疑う事を知らない者を手玉に取るのは非常に容易い。悪意を知らない少女など特に。だが、疑う事を知らないからこそ、手玉に取ろうとする者を陥れる事もまた容易い。
夜の繁華街。如何わしい店やホテルが並ぶ欲望の通りには似合わない、汚れを知らない1人の少女が歩く。向けられる欲望の視線に怯える様子も無く、そもそもその目にその視線は映っていない。更に言えば、"何も見ていなかった"。
少女の蜜を吸おうと、1人の男が少女に近寄る。こんな所に来るのだから、自分を買ってくれと言っているのに等しい。男の考えは間違っていない。善意ある者が居れば場違いだと言うだろうが、そもそもこの欲望の掃き溜めにそんな者は居らず、観客達がそれを許さない。
ここから起こる出来事を詳しく記す気は起きない。簡潔に記すに留めるが、少女は人を探していた。男は言葉巧みに少女をホテルに連れ込み、(非常に下賤な表現ではあるが)少女を自分の上で踊らせようとする。だがその"悪意ある悪意"は、少女の"悪意なき悪意"に呑み込まれた。白く美しい裸体を晒した少女に、男は喉を鳴らして手を伸ばす。だが突如として、少女の頸椎、丁度骨が突起している辺りから、背骨の様に角張った黒い尾が突き出た。例えるなら、魚の背びれのの様に。男からはその尾が見えない。ゆっくりと男の手が伸び、あと少しで少女に触れようかという距離まで来た所で、黒い尾が少女の身体ごと男を貫いた。
激痛に男は悲鳴を上げる。勢いよく血が流れ、男と少女の身体を汚していく。呻き声しか出せなくなった男の様子に、少女は小首を傾げて尾を下に降ろし人中線に沿って男を斬り裂く。絶命した男に興味を示すこともなく、少女は身体に張り付いた血に触れもて遊ぶ。少女の長い髪と瞳はその血の色よりもどす黒く、虚ろな瞳はただ血を眺めていた。
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「冗談だろ?心臓撃ち抜かれたら、大人しく倒れるもんだ。"鉄板"を入れてたとしてもな。」
「俺はイーストウッドじゃない。残念ながら、最初から死んでる身でね。身体に風穴を開けられたが、まぁ馴染みの店を荒らされるよりマシか。」
路地裏に鳴り響いた銃声が収まり、胸に開いた穴に触れるジョンの姿に雄治は唖然とする。ジョンが胸ポケットに手を入れると、雄治は再び銃を構えて警戒する。
「あんまり身構えるなよ。煙草を吸うだけだ。」
胸ポケットからキャスターを取り出し、ジョンは1本口に咥えて指を鳴らし火を付ける。紫煙を深々と吐き出した彼に、雄治は銃を収めた。
「一体何者だ?お前は。」
「さてね。死人らしく、ジョン・ドゥと名乗っておこうか。Angel…いや、Devil's sonの方がいいのか?なぁ?Magic・killer あんたも、"Julius"と呼ぶべきか?」
「お前…何を知ってる?回答次第じゃ、死人だろうが殺してやるぜ。」
もう1度ホルスターに手をかける雄治に、ジョンは煙草を咥えたまま答える。
「俺も、"螺旋階段"に囚われてる身だからさ。…聞いてるんだろう?姿を見せたらどうだ、Ms.wind,あんたも、"Milky way" と呼ぶべきか?」
彼が背後に向け声を上げると、路地裏に突風が吹いて凛が姿を現した。
「…"螺旋階段"に囚われてるですって…?冗談でしょう、唯の死にたがりの間違いじゃなくて?」
「同感だな、棺桶に送ってやるよDeadman.俺達をその名で呼んだんだ、それ位の覚悟は出来てるだろう?」
刺すような視線でジョンを睨みつける凛が掌を向け、雄治もホルスターからデザートイーグルとM500を引き抜いて構える。ジョンは降参と言わんばかりに両手を挙げ、ゆっくりとフードを下ろし顔に手を当て、小さく溜息を吐いて顔を見せた。
「勘弁してくれ。この"顔"なら信じて貰えるかね、2人共。」
「…嘘だろ…?デロリアンに乗ったつもりはないぜ…」
「……そんな……あり得ない。"どうして此処に存在出来るの"…?」
彼の顔を見た2人はゆっくりと手を下ろし驚愕する。ジョンはフードを再び被り、"Backstreet boy"の看板を指差した。
「酒でも呑みながら話すか?長くなるからな。生きてる間じゃ、あんたらと酒も飲めなかったからな。」
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翌日。朝食の場に雄治と凛の姿は無く、直毅はホテルで起きた猟奇殺人事件を伝えるニュースを聞き流しながら、膝にユキを乗せコーヒーを飲んでいた。リビングには雄治と凛以外の全員が、各々朝のゆったりとした時間を過ごす。
「……暇だな……」
直毅はユキの読む本を眺めて呟く。平穏を噛み締める様な大きな欠伸をし、今にも眠りそうな彼に、アリスが後ろから抱き付いた。
「暇なら、私と空を飛ばないか?直毅。」
「無茶言うなよ。出来て落ちるのが精一杯だぜ俺は。誰かの"魔力"を借りれば飛べるだろうが、自由に飛び回るわけにも…いや、"左腕"の魔力を使えば飛べるか?」
ふと思い立ち、膝の上に座るユキを下ろして立ち上がると直毅は左腕を右手で掴んだ。
「……どうやって飛ぶかな。翼…いや、風かな。」
足に緑色の魔方陣が足首の辺りに現れ小さく風が吹き、直毅の身体が少し浮かび、ユキと麗華が読んでいた本のページが揺れる。その様子を見ていた麗華は、半ば呆れ顔で呟いた。
「全く…考えただけで術式を構築出来るなんて、天才もいいところね。」
「魔法使いの弟子には劣るさ。それに"こいつら"に頼りっぱなしだしな。」
「よかった。直毅と一緒に飛べるな。」
手を離すと魔方陣は消え、地面に足が付く。しみじみと左腕を見て直毅が呟くと、優子が手を叩いて提案した。
「そうだ。お昼は外で食べましょう、お弁当作って。お天気もいいことだし。」
「いいね。夢の丘にピクニックと行こうか。」
「それじゃ、お弁当の用意をしましょう。」
リビングに居た全員が賛同し、優子やメティスが昼食の準備を始める。ソファーに直毅が座ると、ユキがまた膝に乗って本を読み始めた。幸せな溜息を吐き、彼は再び大きな欠伸をした。
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昼時、予定通り昼食の準備をした彼らは家を出て夢の丘へと向かう。直毅は背中にギターケースを背負い、ユキ片手で抱き抱え、空いた手で弁当箱やシートが入ったバケットを持っていた。
「いい天気だ。雲1つない青空、美味い飯に芝生に木陰、それにそよ風。贅沢過ぎるピクニックだ。」
丘を登り、直毅は頂上の木の下に荷物とユキを下ろし、シートを広げて風で飛ばないように四隅にペグを押し込む。弁当を広げ、彼らは円になって座る。あぐらをかいた直毅の上に座ったユキの被った、大きな麦わら帽子を彼が取って、彼らは弁当箱に詰まったおにぎりやサンドイッチを食べ始める。メティスは皆に飲み物を配り、アリスは楽しげに空を飛び回る。優子とメティスの料理に舌鼓をうち、談笑を交わしながら昼食を食べ、幸せな時間を過ごす。
「ご馳走様。あぁ、美味かった。」
昼食を終え、直毅の上に座っていたユキが小さな欠伸をして目を擦る。うつらうつらと揺れる身体を支え、直毅は彼女を横にして優しく顔を撫で、すうすうと寝息を立て始めた彼女を見て微笑むと、優子をやメティスを一瞥してその場から離れる。
「それじゃ、少し鳥になってみるかな。」
左腕を掴み、足首に魔方陣を展開させ、直毅は感覚を確かめるように空へ飛んでいく。頂上に生える木と同じ位の高さまで来ると、アリスが彼の側に飛んできた。
「直毅、一緒に飛ぼう。」
「あぁ。あんまり高くも速くも飛べないけどな。」
2人は横並びになり、慣らし飛行に丘の周りを飛んでから、編隊を組んだ戦闘機の様にアリスが直毅の側にピッタリと付いて高度を上げていく。
「どうしてアリスは飛ぶのが好きなんだ?」
真上で飛ぶアリスに、背面飛行でついて行く直毅が尋ねると、彼女は手を翼の様に広げて答える。
「空は自由だ。何にも束縛されない。」
「自由か。確かに、憧れの存在なのは間違いない。上に行きたがるのが人間だからな。」
「いつか宇宙に行ってみたいんだ。地球を見てみたい。」
「なら、ガガーリンより上手い台詞を考えとかなきゃ。」
「言葉を考えるのは苦手だな…直毅は何が好きなんだ?」
悩むアリスに笑みを浮かべる直毅。彼女の問いに、彼はくるりと一回転して答える。
「そうだな…歌に映画、本…無難なところしかないな。今日もギターを弾こうと持ってきたしな。」
「歌…聴きたいな。直毅の歌。」
「そうか?それじゃ戻るとしますか。」
揃ってターンをし、2人は丘の頂上へと戻る。丘では優子の膝枕で眠るユキと、本を読む麗華に紅茶を淹れるメティス、芝生に寝そべる翔の姿があった。
「お帰りなさい。空の散歩は楽しかったかしら。」
「あぁ。母さんも…いや、親父がもうやってそうだな。」
ギターケースを開けギターとピックを取り出し、直毅はあぐらをかいて座ると、弾く曲を考えた。
「何か弾くの?久しぶりね、直毅の歌を聴くのは。」
「直毅様。ギターが弾けるのですか?」
「あぁ。あんまり上手くないけどな、歌の方も。」
「貴方の事だから謙遜ね。期待してるわ、直毅。」
「楽しみだなぁ。優しい歌がいいね、眠たくなるような。」
「過大な期待は止してくれよ…」
軽く溜息を吐き、直毅は空を見上げて曲を決め、"青空になる"を弾き始めた。