生者が目覚めるには相応しく、死者が目覚めるには不釣り合いな朝。生まれて初めて私は静かな、何者にも邪魔されない朝を迎えた。顔の側に居た黒猫のベルが起きた私を見てぺろりと頬を舐め、顔の上に本を乗せソファーで横になっている彼の胸に乗っかる。
いつの間にか、ベッドの横の机の上に着替えが一式置かれていて、私は1度それを手にとってから着替える。朝食を作ろとキッチンに向かう。死人が食事をするのかと思いながら冷蔵庫を開けると、部屋の乱雑さとは対照的に、中には食材が並べられていた。
「フレンチトーストは作れるか?」
横になったまま彼が尋ね、私は一通りの材料を取り出す。
「味は保証しないよ。」
「いいぜ。手料理なんてもう随分食べてないからな。」
ボウルに卵と牛乳を入れかき混ぜ、砂糖を入れてパンに浸し、長らく使われないでいたのであろうコンロに火をつけフライパンで焼き上げる。焼き色が付いたところで火を止め皿に乗せる。
「いい匂いだ。無くなった食欲が湧いてきそうだな。」
顔に乗せた本を取り彼が起き上がる。机の上に山積みになった本をどかし、椅子に座る。もう1つの椅子に私が座ってナイフとフォークを使ってフレンチトーストを食べ始める。
「美味いもんだ。胸を刺された"かい"があったな。」
トーストを千切り、机の上に乗ったベルに食べさる彼を見ながら、私は疑問を投げかける。
「これからどうする気?」
「お前さんをか?何もしないさ。好きにするといい。偶に仕事で留守にするに時にベルの世話をしてくれればな。」
「ホラー映画のゴースト役?」
「それなら良かったんだがな。まぁ大抵は殺しの依頼だ。」
「なら死神役ね。鎌でも使うの?」
「いや、もっと下賤な武器さ。銃だよ。」
そう言って、彼は何処からともなく手品のように現れた大きな黒い拳銃を見せる。銃のことをよく知らない私はただ、人を殺すには大きな銃だとだけ思った。
「メンフィスはナイフの方が好きか?」
ゴトリと音を立て銃を机の上に置き、彼はトーストを食べながら尋ねる。私が静かに頷くと、彼はまた何もない所から一本のナイフを出し、私に差し出す。
「何なら死神役でもやるか?地獄が覗ける。そこら中に死体が転がってるような場所に行く羽目になるけどな。」
「人殺しの手伝いをさせる気?」
「冗談だよ。だがその眼を見てると、どうも昔の俺に似ててな。死を見つめてる様な眼が。」
「…目の前に死人が居たら、嫌でも見つめることになると思うけど。」
「成る程、そりゃそうだ。まぁ死神の役をやるってなると、色々用意が要る。技術だとかそういう類のがな。」
ナイフに手を伸ばそうとする私に、彼は机にナイフを突き立て私を見つめる。
「いいのか?こいつを手に取ったら死人のお仲間になるぞ。」
「誰も私を知らないから、私は死人も同然よ。それに、"私の血は全部死んでる"。」
両親を殺した時に、私を構成した要素は死んだ。半分は父親の、半分は母親の身体。その肉の檻から逃げ出した為に、私は死人となんら変わりない存在になった。
「Dead bloodか。益々似た者同士だな。」
私はナイフを抜き、刃に写る自分を見つめる。写る私の顔は一瞬だけ、笑っているように見えた。
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「特に教えることはなさそうだが、一応やるか。ナイフ投げは出来るか?」
微かな灯りが照らす地下室。埃の溜まった机の上にナイフを並べ、壁にダーツの的を掛ける。何本かナイフを手に取り、特に力も入れず的に向けて投げる。中心に突き刺さったナイフを見て、彼は口笛を吹いた。
「本当に何も教える必要はなさそうだな。後は、"こいつ"が使えれば満点だ。」
余ったナイフを的に投げきった私に、彼は別のナイフを手渡す。鉄とは違う輝きを見て、彼の方を向く。
「そいつは銀のナイフだ。今度は俺に向かって投げてみろ。」
壁際に立った彼を真っ直ぐに見て、投げようとした瞬間、腕が硬直して投げられなくなる。
「俺を人間だと思うな。マネキンか的だと思えば投げれる。心の底から思い込めばな。」
力を抜き、気を取り直して彼を捉える。今度は止まることなくナイフが投げられ、彼の首元に飛んで行った。
「よし、合格だ。その感覚を忘れなきゃ、もう立派な死神役だ。」
寸前のところでナイフを受け止め、彼は机の上に腰掛け煙草を咥えた。
「それじゃ、道具を揃えに行かなきゃな。ついでに魔境に仕事を貰いに行くか。」
指を鳴らして火をつけ、紫煙を吐き出した彼を見て、私はふと思ったことを口にする。
「魔法使いみたい。」
「生憎、"魔法使いの息子"ではあったが、魔法使いじゃない。魔術師の底辺さ。」
「何が違うの?魔法使いと魔術師は。」
「そうだな…魔術師は手品師だ。下準備をすりゃ誰でも出来る事をする。対して魔法使いは、下準備無しで、世界の法則に逆らえる。時間を止めたり、巻き戻したりな。」
「進めることは出来ないの?」
「今のところ、時間を進められた奴は居ない。確定した未来を観測する方法が見つかってないからな。それに、未来に行きたいなら光より速く移動する手段を探した方が早い。さぁ、講義はまた今度だ。」
煙草を咥えたまま彼は地下室を後にし、私もその後に続く。こうして、私は死神役の一歩を踏み出した。
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「取り敢えずはこんなところか。」
ジョンがベッドの上に何本もの投げナイフやワイヤー、液体の入った小さなビンを並べて呟く。投げナイフは持ち手の先端が赤、青、黄、緑、白、黒と色分けされていた。私は肩の上にダラリと乗るベルを撫でながら近寄り、まじまじとそれらを見つめる。
「この投げナイフには魔術が付与してある。赤は投げると燃えて、青は当たった場所を凍らせる。黄色は電気を流し、緑は強風を起こす。白は閃光、黒は煙幕だ。」
「銀のナイフはないの?」
「銀は貴重でな。投げナイフの分を用意するのは時間がかかる。何せ魔術が効かない物質だ。稀に感情無しで人を殺せる奴が居るからな。今は"こいつ"で我慢してくれ。」
そう言って、彼は奇妙な形のナイフを取り出し私に手渡す。30cm程の長さで、細く欠けた月を組み合わせた様なナイフは、全てを傷付けるように輝いていた。
「そいつはトゥルスだ。近接戦闘で使ってもいいが、扱い難いぞ。」
逆手に持ち感触を確かめる。この奇妙な形のナイフは妙に手に合う。
「後はブーツにグローブ、ナイフをしまえるコート。毒薬。一通り身に付けてみろ。」
白いコートの裏側にナイフと小ビンをしまい、グローブを着けてブーツを履く。ブーツの紐を結んだところで、身体が軽くなった事に気がつく。
「ブーツに飛翔の術をかけてある。試しにベルを連れて屋根の上を走ってみろ。初めての感覚だろうからな、慣れとけ。」
煙草を咥え窓を開けた彼に言われた通り、私は窓枠に足をかけ飛び出す。屋根の上に飛び乗り、肩から降りたベルの後を追って走る。家と家の間も難なく飛び越し、風に乗って私は走り続けた。
「全く…クソ野郎共、あの子に何させる気だ?」
紫煙を吐き出した彼が、夜空に浮かぶ月を眺めて呟いたのも知らず。