私が知る限り、この世で最も愚かに思えることの1つは、愛情に優劣をつけることである。
だが愚かにも彼女達の愛情に優劣をつけるとすれば、明らかに1人群を抜いて彼を愛している者がいる。最も深き愛とは、他者から見れば狂気を孕んだものであるが、そうであるからこそ他者には出来ないほど人を愛せる。"愛は死線を越える"と誰かが言った通り、彼女は彼を愛する為に、"彼を殺す"ことすら厭わなかった。
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東條 直毅が退学したスクープは学園中に駆け巡った。ある者達は訪れるであろう静寂を喜び、またある者達は訪れるであろう静寂を嘆く。特に新聞部部長の吉永 文音は、これが最後の特ダネだと嘆き悲しんだ。
彼は1つ置き土産を残していった。それは学園そのものに叩き込んだハイキックで、静寂を嘆く者達への僅からながらの餞別。生徒会長の矢澤 薫に渡した学園の不正、隠蔽の事実全てを、報道機関に流すように指示したのだ。当分の間ワイドショーは学園の話題で持ち切りとなり、対応に追われ機能しなくなった学園の生徒達は、つかの間の休日を満喫することとなる。
彼の存在が消えるのには時間がかかることを誰もが思い知る。現に、彼は時々学園を訪れている。アリスの空中散歩に連れられ、屋上のベンチで一休みしたり、学園の前まで春音を送り、帰る時間になれば迎えに来るなど、姿を完全に消すことはなかった。
彼にとって、この期間はとても充実していたと言っていい。家族と十分な時間を過ごし、自分が五感を失っていることを忘れるほど平穏な日々を送った。
出来ることならこの期間こそ事細かに描写したかったが、観客達がつまらない場面を飛ばすように早送りにしたために、彼の幸福を記すことは叶わない。
私が事細かに記すことを許された場面は、春音が学園から家に帰って来る少し前からである。
久しぶりに彼女の家に両親が帰って来た日、彼女よりも早く家を訪れた者が居た。姿は春音そのものではあるが、彼女を知る者が見ればある一点が違うことに気がつくだろう。彼女の瞳に生気が無い点に。ただ、その点に気が付かなければ春音の両親は助かっただろう。だが不運にも、彼らはその違和感に気が付いてしまった。
久しぶりの我が家でくつろぐ両親のもとに来た彼女に、彼らは再会の言葉をかける。彼女の受け答えはまさに春音そのものだったと言える。だがその瞳が自分達を見ていないことに彼らが気が付いた瞬間、彼女は春音であることを止め、死へと変貌する。
彼らは永遠に思える恐怖を味わっていた。血潮が床を、壁を染め、悲鳴すら呑み込まれていく。両親共に触手によって四肢を切断され、父親は床に投げ出され、母親は延髄破壊され首から下の感覚を失ってから、1つ1つ臓器を壊されていく。直ぐさま死なない臓器から引き抜かれ、最終的に肺と心臓だけが残される。何より恐ろしいのは、その光景をはっきりとした意識で認識させられるという点。苦痛で意識を途絶えた方がマシと思える状況。最後に彼女の掌から出た触手が母親の頭を飲み込み、ヤスリで削り取るように生皮を剥いだところで、母親の意識は途絶えた。
父親はそれをただ見ることしか出来なかった。目の前で妻を殺されるのを見せ付けられた事以上に恐ろしいのは、その妻を殺したのが自分の娘の姿をした何かだという事。それは観客達からしてみれば、それこそ最大の救いであるとした点だろう。得体の知れない者に殺されるよりも、最もよく知る者に殺される方が幸せだろうと。
唯一の救いは、父親が彼女の手にかかる前にショック死したという事だけである。彼女は春音の姿はまま血溜まりの中で立ち尽くして、死体を興味なさそうに眺めている。暫くして、その死体が邪魔だと思った彼女は死体を跡形もなく触手で喰い、血で汚れるのも構わず床に寝そべって、時折血を舐めていた。
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春音が帰って来た時のことを詳細に記せるほどの技量を、私は持ち合わせていない。というのも、彼女の感情は、記せる感情の域を完全に超えているからだ。
想像を絶する恐怖、と記す他にないだろう。血と死の匂いに脳を侵され、それだけで意識を失うには十分な衝撃であったにもかかわらず、血塗れになった自分自身を見る羽目になったのだ。
本能が"意図的に"その場で起きた惨劇の内容を告げ、彼女は恐怖でただ立ち竦み、震えることしか出来なかった。ゆっくりと自分の姿をした何かが起き上がり、血塗れの身体で近付いて来る。死を覚悟した瞬間、それは微笑んだ。
「貴女は私。私は貴女。彼を愛しているのだから。」
そこで彼女の意識は途絶える。観客の誰かが監督のような声を上げた。