暫くの間、五感を取り戻した直毅は自分と世界を呪いながら眠っていた。取り戻した感覚は、ただ自らを傷つける情報を送り続ける器官と化していた。彼の胸の中で共に眠るユキの儚い温もりだけが、彼を癒してくれる唯一のものだった。
彼は悪夢から逃げ出すように目を覚ます。部屋は既に薄暗く、すうすうと寝息を立てるユキを起こさないようにベッドから出た直毅は、外の空気を吸おうとバルコニーへ向かう。
「今度ばっかりは流石に堪えたか。」
バルコニーには先客が居た。赤黒いフードを被り、煙草を吸う男…ジョン・ドゥが。
「お前は、誰だ。」
「そいつは自分が何者か訊いてるのと同じだ。まぁ、自分のことを完全に理解してる奴はこの世界には居ないがな。」
敵意を露わにする直毅を気にせず、ジョンは紫煙を吐き出して彼の前に立つと、フードをゆっくりと下ろす。
その顔は、東條 直毅の顔だった。
殴りかかった直毅の拳を受け止め、ジョンは彼の目を見る。
「"俺はお前じゃない"。俺がお前だったのは"1回目"だけだ。」
「訳の、分からない事を…!」
自分の顔が目の前にあることが許せず、彼は受け止められた拳を震わせる。
「そんなに自分の顔が嫌か?整形でもしたらどうだ。」
「"俺の顔"で、喋るな!」
手を振り払い、左脚で顔面に向け蹴りつけるも、彼は悠々と躱して紫煙を再び吐き出す。
「いい目だ。その目が出来るなら、俺を殺せるだろうな。感情に身を任せての人間だ。まぁ、そうやって"俺達は死んでいったんだが"。」
「俺達…?お前みたいなのが他にも居るって言うのか。」
「あぁ、腐る程な。ある1人を除いて、全員どうしようもない屑だった。…1910人だ。死んだ俺達は。」
到底理解出来るものではなかった。ただ本能が彼に、目の前にいる者が"自分自身"であると告げていた。
「お前は、俺なのか…?」
「俺は東條 直毅じゃあない。いや、昔はそういう名前だった。今は名前の無い死人だ。取り敢えず、今は自分の正体を知るべきだな。両親に訊いてみろ。高速道路の下で拾ったと言われた方がマシな真実が待ってる。」
「俺の正体…待て、お前は…!」
ジョンは紫煙の様に掻き消えた。1人残された直毅はただ、虚空を見つめることしか出来ない。直毅が居なくなっている事に気が付いたユキがバルコニーに訪れ、彼に声をかける。
「直毅…どうしたの?」
「…あ、あぁ。外の空気が吸いたかったんだ。戻ろうか。」
片手でユキを抱き抱え、直毅は自室へ戻りベッドの中に入ると、強く抱き付いてくる彼女の頭を撫でて目を閉じた。
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目を閉じたところで、真に闇の中に向かう訳では無い。焼き付いた光が何時までも、何時までもそこに在り続ける。
その点で、彼は確かに真黒の闇だった。子供の様に横たわり、只々負の感情を垂れ流しては溜め込み続ける。既に元の人格は無く、"1909"の憎悪で形作られた彼の顔も、歪みながらも東條 直毅と同じ顔をしていた。