カタッ
「…イスナーン、帰って来てたのか」
「只今戻りました、我が王よ………例の小細工、感謝する」
小さな音を耳を入れ白旺が名を呼べば、黒い影が現れ恭しく頭を下げる。シンドリアで本体ごと消されたはずの、イスナーンその人だ。
小細工、と称されるそれは、白旺の手に乗ったマトリョーシカの如き人形。
「小細工とは言ってくれるね。本体そっくりの複製体を作るのがどんなに大変か、お前に分かる?」
「ああ、これは失礼……………おや、眠いのかな?」
「昨夜は夢見が良くなかった、膝枕しろ、イスナーン」
「仰せのままに」
彼女はイスナーンの本体を複製し、シンドバッドにはそちらを壊させたのである。本物は自分の部屋に隠し持って。
眠いのか気分が悪いのか、彼に膝枕させて、彼女はゴロンと寝転がる。無防備に目を閉じるように見えて眠る間も気を張り続けているのを、イスナーンは知っている。
「ゆっくり休め、良い夢を」
イスナーンは、彼女が好きだった。最初は彼女の中のソロモンに対してのみ感じていた敬愛も何もかも、現在は同時に白旺に対しても存在する。アンバランスで不安定で強そうなのに実は弱い心の、バランスを取る手助けをしたいと、そう思う。「練白旺」には、何か、人を惹きつけるものがあるらしい。
せめて自分の近くにいるときくらい、安心して休んで欲しいと、彼は優しく願う。
昼下がりの部屋に射し込む陽光は、暖かかった。
僅かに一時間程度休んでイスナーンに礼を述べ、中庭を歩く白旺の元に、元気良く黒い影が飛び込んで来た。
「旺姉~!」
「紅覇か、どうした?」
第三皇子、練紅覇。小柄な体躯と中性的な容姿に似合わず戦闘狂の彼は、昔から、従姉妹の白旺によく懐いている。白旺にとっても、彼は大事な義弟だ。
「僕ね、近々マグノシュタットとの『交渉』をしに行くんだぁ」
「マグノシュタットといえば、確か魔導士の国だな。モガメット学長は老獪な人物とも聞く」
「大丈夫だよぉ、旺姉はいつも心配し過ぎ!」
10近くも年が離れた義弟に関しては、どうも過保護になってしまう。紅覇は有難くもあり、反面そろそろ過保護を卒業したいお年頃として、頬を膨らませ抗議してみる。そんな彼に、自覚のある白旺は苦笑するしかなかった。
「ごめんごめん、悪気は無いのさ、許しておくれ。気を付けて行ってらっしゃい、紅覇」
「はーい、がんばりまぁす」
とはいえ紅覇も心底嫌がっている訳ではなく、頭を撫でて額にキスしてやれば、うれしそうに笑い頬擦りして甘えてくれる。存分にお互いを満喫したあと、彼とは別れた。
『交渉ねぇ?物は言い様、ってか』
含み笑いで言う若い男の声。青い髪、アラジンに似た顔立ち。
「交渉だよ、問答無用で戦争しかけるのとは違う」
『服従か戦争か、だろ?脅迫じゃねぇか』
アルマトランの王で、今は白旺の前世、ソロモン・ヨアズ・アブラヒム。彼には分からない。「アル・サーメン」との繋がりを持つ国に、交渉、をする意味が。聞き入れるはずも無いのに。
『さっさと戦争しかけるなり強硬手段使って、一般人は害さずトップ限定で排除すれば良い。そうすれば被害も最小限になる』
「煌は野蛮な国と言われれば後々動きづらく面倒臭い。一旦は平和的に、交渉しても無理なら戦争、それがやり方」
『人間はつくづく遠回りで無駄な真似を………』
「過去のお前と同じ、模索して足掻いて、人は正しく良い方法を見つける」
『…そうだな』
無駄と、遠回りと言ってしまえば、人間に進歩は無い。アルマトランの頃の未熟な自分を思い返し、ソロモンは静かに頷く。
動乱の気配が近付く世界で、彼と彼女は、まだ蒼い空を見上げていた。