紅玉がシンドリアより帰還した。入れ替わりのように紅覇はマグノシュタットへ。
白瑛も白龍もいない中で、白旺はふと、ある義弟に会おうと執務室へ向かった。
長兄の紅炎とはまた違った才の持ち主で、博識なる軍師、練紅明。彼は執務室で、筆を持った姿勢のまま、ぐっすりと眠っていた。仕方なく、彼の部屋の伝書鳩と戯れ始めて、約1時間半後。
「……………しまった寝ていた!」
「あ、おはよう紅明、よく眠れたか?」
「………おはようございます義姉上、御用があれば起こして頂いて良かったんですがね」
ガバッと勢い良く目覚めた彼と、ようやくご挨拶した。
「特に何も用は無い。ただお前の顔を見たくなったから来たけど、ダメだったか?」
「いえ、問題ありません、どうぞごゆっくりお寛ぎください」
白旺が微笑んでゆるりと首を傾げれば、義姉を尊敬し慕う紅明が嫌がるはずもなく。彼の執務が終了するまで、出されたお茶を飲みつつ待った。
「紅覇が『交渉』へ行ったらしいな」
「ええ。お会いにはなりましたか?」
「数日前に」
他愛ない会話の話題が政になるのは、彼との会話において当たり前。それが良くもあり悪くもあり、面白い、と白旺は考える。
「義姉上は、モガメットは動くと思いますか?」
「…難しいだろう。彼は魔導士さえ護れるなら、非魔導士を全て敵に回しても構わないタイプだよ」
「やはりそうですか」
想定内、と動揺も無い表情の紅明は、やはり軍師として非常に頭が良い。すでに次の策を練り始めている。
頼もしく感じながらも、彼の頭の回転を邪魔しないように、白旺は部屋の外にいた者に声をかけてそっと場を離れた。
「あら、珍しく花でも愛でる気分?」
「……………母上」
良い天気だし、と気紛れに庭に足を向けたのが運の尽きか。紅明と別れた後、何の気無しに花を眺めていた彼女は、至上最も出会いたくない人物に遭遇してしまった。
皇帝練紅徳の妻、元は初代皇帝白徳の妻、皇后練玉艶。白旺と白瑛、白龍の実母で、アル・サーメンの魔女。
そして、「アルマトラン」のマギ、アルバ。
「あなたとこうしてお話するのは、いつぶりかしら。最近はあまり顔を見られなくて、とても寂しいわ」
優しく優しく優しく、慈愛の笑みで話す玉艶に、吐き気しか覚えない。それでも白旺はにこりと微笑み、答える。
「ジュダルに仕事を押し付けられてシンドリアに出向いたり、いろいろとありましたので。母上も相変わらずお美しく、益々のご健勝お喜び申し上げます」
いっそ禍々しい程に。内心でそう付け足して、憎い仇敵を見据える。
尊敬する父を、大切な弟を、何より愛おしい片割れを奪い。「アルマトラン」の頃、ソロモンの愛した女性を殺し。さらに「アルマトラン」の罪無き民を、「黒の神」により殺戮した、殺しても殺し足りない女。
「あなたも相変わらず、聡く美しい子。さすがは我が自慢の娘」
刺し殺したい衝動を耐えている自分を褒め称えてやりたい気分だ、と白旺は思った。気付かれてはいけない。自分の中に渦巻く、白龍に勝るとも劣らぬ黒き憎悪を。殺意を。
「申し訳ありません、そういえば本日の執務が少しばかり残っているのを失念しておりました」
失礼致します、と一礼して、白旺は早足で母から離れた。
ガシャッバリンッ
色鮮やかな陶磁器の置物が、床に投げつけられ、無残に粉々に割れる。玉艶に会うと、どうにも毎回怒りが抑えられない。
「あのクソババァ………よくもまあぬけぬけと!我が自慢の娘?殺し損ねた邪魔者と忌々しく感じている癖に!」
彼女の憎悪も殺意も悲痛な叫びも、全部伝わってしまうソロモンは、静かに彼女を見ていた。彼の複雑な心は無論逆に白旺にも伝わり、余計に感情を乱し、混乱させる。
純粋に嫌悪と憎悪の対象として見る白旺。元仲間に対しての哀れみの気持ちが強いソロモン。
結局は同一人物と言っても、辿った経路は同じでは無い。抱くものも、同じには、ならない。
「どんなに沢山の人間の側にいても、誰も…誰も、お前の代わりにはならないしなれない………」
やがて散々室内で暴れ回って疲れたのか、へたりと座り込み、呆然と呟く。
「どうしてわたしを置いて逝ったの…?」
白雄……………
悲壮で小さな声は、真っ青に晴れた空へ、吸い込まれて消えていく。
彼女が泣くのを見たのは、今日もまた、ソロモンひとりだけであった。