第三話「他人の目」
バイト先の古本屋を後にした僕が穂乃果の家の前を通り過ぎようとした時、中から誰かが出てきた。
「それでは、お邪魔しました」
見覚えのある青みがかった長い髪が覆う背中が振り返ると、そこにはやっぱり見覚えのある顔があった。
幼い頃よりもしっかりとした顔つきになったが、幾らか面影の残るその人に向かって声を掛ける。
「よ、久しぶりだな園田」
「歩じゃないですか、驚かさないでください」
「いや、別に驚かせてはいないだろう」
「振り返った瞬間にいきなり声を掛けられたら、誰だって驚きますよ」
可愛いと言うよりは綺麗な系統に入るであろう顔をやや強張らせる園田。
しかし、すぐに和らぐ。
「でも、本当に久しぶりですね。高校に上がってからはすっかり顔を合わせなくなってしまいましたから」
「まあ、学校が違くなったからな。中学までとは違うさ」
「高校の方はどうですか?」
「別段これといって特別なことはないかな。園田たちに比べたら、な」
昨日までの僕なら、この言葉は無意識に口を突いて出た嫌味だったのかもしれない。
けど、今のは素直に賞賛を送る意味合いで放った言葉だ。
「特別、ですか……そうかもしれませんね。最近では当たり前のように感じて来てしまっていて、自分では気付きませんでした」
「ずいぶんとサマになってたしな、昨日のライブ」
「え、見に来ていたのですか?」
驚いた様子の園田が半歩だけ退く。
「そんなに意外か?」
「い、いえ。そういうことではなく、ですね……」
すると今度は頬を赤くして目線を逸らしてくる。
そこで僕は気付いた。
「ああ。やっぱあの衣装見られるのは恥ずかしいのか」
「うっ――最近は幾らか抵抗がなくなってきたのですが、昔からの知り合いに改まって見られたかと思うと……」
園田の姿がさっきよりも一回りだけ小さく見える。
「そんなに恥じる必要ないと思うよ。すごい似合ってたしな」
「本当、ですか?」
「ああ、本当に」
そこまで言うとようやく園田の大きさが元に戻った。
あのあと、幾らかの会話を交わした僕はそのまま園田を送ることになり、今は並んで歩いている。
「園田はもっと楽に生きた方がいいと思うよ」
「どういうことですか?」
「いやね、どうも園田って細かいことまで考えるだろう? そこが園田のいい所だとも思う。けどさ、もう少し自分本位な考え方になってもいいと思うんだよ」
昔から思っていたことだった。
自由奔放な穂乃果、どこまでもマイペースな南。
その二人に囲まれていた園田は、否が応でもしっかり者に成らざるを得なかったように思えてならなかったのだ。
「自分本位、ですか」
「まあ。何も無理にとは言わないし、今すぐにどうこうしろって言う訳でもないよ」
「なら聞きますけど、今の私が窮屈な生き方をしているように見えるのですか?」
ちょうど街灯の下で園田は足を止めて身体ごと向き直ってくる。その目は真剣そのものである。
だからこそ、僕も足を止めて向き合う。
「そうだよ。さっきの園田が見せてきた反応が、その証拠だ」
「あれが何だと言うんですか?」
「なんで恥ずかしいって感じたんだ?」
「そ、それは……」
口籠ってしまう姿で僕は確信する。
「どんな服だって似合っていようがいまいが、着ている人間が着たいと思えば着てもいいんだよ。それを咎められる人間なんて存在しないし、居たとしても気にする必要なんてないんだよ」
園田の両目がまばたきを忘れたように見開かれる。
きっと聡明な園田のことだ、自分でも気付いていたんだろう。ただ、誰かにそう言って貰えるのを待っていただけなのかもしれない。
「――頭では分かっていました。でも、やっぱり怖いんですよ。他人からなんて思われているのかが、すごくっ」
「だったらさ、その心配はもう要らないんじゃないのか?」
胸中を吐露した際に伏せられていた園田の顔が上がる。
「だって園田はもう、大勢の人間に認められてるじゃないか。そうだろう?」
「歩……」
しばらく目蓋を閉じていると、引き下がっていた口の端しが持ち上がるのと一緒に目蓋が開かれ、再び僕を見る。
その表情は憑き物が落ちたかのようにスッキリとしているようにも見える。
「ありがとうございます。相変わらず歩は不思議な人ですね」
「不思議?」
「はい。何故だか貴方に言われると、それが本当に正しい事のように思えるんですよ」
その物言いはともかく、笑顔が戻ったようで何よりだ。
「なんか含みのある言い方に聞こえるんだけど、まあいいか」
「それじゃ、今日はここまでで大丈夫ですよ」
「そっか。んじゃ、無理しない程度に頑張れよ」
「はい。歩も頑張って下さいね」
園田の後ろ姿が見えなくなるまで見届けてから僕は振り返った――その時、暗がりの中から誰かが駆けて来る影が目に入ってきた。
「ほ、穂乃果っ?!」
僕の立っている街灯の明かりの元に入ってきた穂乃果が膝に手を当てて前屈みになると、上から幾つかのボタンが外されたブラウスの隙間から胸元が覗いてくる。
「はぁはぁ……う、海未ちゃんを見なかった?」
「いや、それより……む、胸元が」
「胸元?」
ゆっくりと首を曲げてから間もなく、走って来た疲れも忘れたかのように穂乃果は上体を上げてブラウスの胸元を両手で閉じる。
「み、見た?」
「見たんじゃなくて、一瞬だけ見えたんだよ」
怪訝な目を向けながら急いでボタンを留め直す穂乃果。
「それで、どうして園田を探してんだ?」
「あっ、そうだった……海未ちゃん、私の部屋に携帯を忘れてたから、届けに来たんだった!」
さっきまでの理不尽な眼差しを一転させ、再びその場で足踏みし始める。
「それじゃ、早く行くぞ」
「うんっ」
園田にはああ言ってしまったが、コイツはコイツでもう少し他人の目を気にした方がいいのかもしれない。
そんなことを考えつつ、僕たちは園田の家へと歩き出したのだった。