第四話「変わるものと変わらないもの」
第二土曜日はバイト先の古本屋は定休日であり、特にすることもない僕が部屋で寝転がっていると不意に窓ガラスが叩かれる音が耳に入ってきた。
幼馴染が僕を呼ぶ合図である。
案の定、向かいの窓から身を乗り出している外行きの格好をした穂乃果が例のごとく満面の笑みをこちらに向けてくる。
「暇してるならさ、出掛けようよっ」
窓を開けて第一声がこれである。
「勝手にヒトを暇人として決めつけるなよ」
「えー、寝てたじゃん」
「まあ、暇だったけどさ――」
「じゃあ出掛けよっ!」
とことんなまでにマイペースな幼馴染である。
けれど、ここまで勇んで誘ってくるのは珍しいことで、それが気になって聞いてみる。
「海未ちゃんが急に来られなくなっちゃったんだ。だからちょうどいいし歩を誘おうかな、って」
何がちょうどいいのかは分からないがどこか含みのある笑みを見るに、この幼馴染には企みめいた考えがあるに違いない。
そうした場合、往々にして良からぬことに巻き込まれるのがお決まりだ。今までの経験上……。
「あのさ、急にお腹が痛くなって――」
「いいから早く――わわっ?!」
手すりから乗り出していた体を支えていた手が滑り、穂乃果は態勢を崩して落ちそうになる。
「バカ――ッ?!」
僕は咄嗟に両肩を掴んで手すりの代わりに支える。
「あ、ありがと――」
窮地を脱して息を吐こうとすると、鼻先に何かが触れる。
目の前の青いガラス玉に僕の瞳が映り込んで、いる?
「えっ……?」
僕たちの住んでいる場所と違い、駅前に近付くに連れて人通りは格段と多くなる。そんな中、僕は右頬に残るヒリついた痛みを抱えながら穂乃果と並んで歩いていた。
「あははは……つい」
「つい、って……こっちは助けたってのに」
「だってその、近かったから、ね?」
「もういいんだけどさ」
そう。別に怒ってるわけじゃない。ただ、理不尽さを感じているだけだ。この叩かれた右頬の。
「それはいいとして、結局どこに向かってるんだ?」
「ふっふーん、ナイショだよ」
本当に切り替えが早いな……まあ、助かるけど。
それにしても、やはり穂乃果の高揚具合には目を見張るものがある。故に僕の不安は加速度を増して行くのだが。
「あの、さ。本当に大丈夫なんだろうな?」
「え、なにが?」
「何がって……ほらこう、身の危険を伴うような事じゃないか、ってことだよ」
「ああっ、うん。それは大丈夫だよ」
すごくいい笑顔をしていらっしゃる。でも、こいつの大丈夫ほど当てにならない物なんてこの世には存在し得ない。心して掛かるに限るな……。
「お、着いたよ。ここっ」
そうこうしていると、穂乃果は雑居ビルを指差して立ち止まる。
「このビルに来たかったのか?」
「うんっ。ほら、行こっ!」
手を引かれるままビルの階段を上がって行く。
やがて僕の目に飛び込んで来たのは――
「メイド喫茶……?」
意外、といえば意外な場所ではある。が、どうしてメイドなのだろうか?
「こっとりちゃーんっ!」
「わあっ、穂乃果ちゃん?」
先んじてタネ明かしをしてしまうあたり、さすがは穂乃果だ。
店先に取り残された僕が中で待っているであろうメイド服姿の南を想像しつつ中へ進むと、先に入店を果たしていた穂乃果の向こうにさっそく南の姿を捉えられた。
「おかえ――」
目があった瞬間、南は笑顔のまま固まる。その理由が容易に想像がつき、堪らず苦い笑みが漏れてしまう。
「久しぶり」
軽く手を上げる。
「ほ、穂乃果ちゃんっ?!」
「ほえっ?」
南に腕を引かれた穂乃果がそのまま店の奥へ連れて行かれる。
連れてきた張本人が不在になり、途端に居心地の悪くなった僕の耳に聞き知った声が聞こえてくる。
「一体どうしたのです――」
「そ、園田っ?!」
「あ、歩っ?!」
穂乃果たちとは逆の方向から出てきたのはメイド服姿の園田だった――のだが、僕の姿を見るや否や来た道を辿って姿をくらませる。
なんだこれ……。
その後、穂乃果と話をつけた南に席へ案内された僕たちはようやく一旦の落ち着きを取り戻せた。
「それにしても、南がメイド喫茶で働いてるなんて知らなかったよ」
「あの、他の人には……」
「あ、ああ。僕の口からは公言しないから、安心してくれていいよ」
それはそうだろう。目の前のアホみたいに面白がって来られたら、南もたまったもんじゃないだろうな。
「でもさ、でもさ、ことりちゃんのメイド服姿、すっごく可愛いよね?」
「まあ南は何を着てもサマになるよな、昔から」
「そ、そんなこと、ないよ」
本人は照れているが、本当にそう思う。
「あの時だって……えーっと、確かお姫様の役だっけ? あの時もけっこうサマになってたしな」
幼稚園か小学校の低学年時のお遊戯会やら学芸会の時の話だ。
「もう、そんな昔のこと」
「あはは、私は魔女の役だったよね」
「そうそう。それで――って、そういえば園田は?」
木の役をしていた園田の姿を喚起し、不覚にもようやく僕は彼女の存在を思い出した。
「え、海未ちゃん?」
「さっき見たんだよ。園田もここで働いてんのか?」
南の方を向くと、なぜか苦笑が浮かんでいる。
「今日は手伝いに来てくれたんだけどね、たぶん厨房の方だと思う」
僕が原因か。
「それなら言ってくれればいいのに。そしたら私だって手伝いに来たよ?」
「う、うん。ごめんね?」
ふと南の笑みが引きつったように見える。
「だったら穂乃果、少し様子を見に行ってやれよ」
「え、うん」
頷いて見せてから厨房の方へ向かうのを見送り、テーブルの脇に立っている南に声をかける。
「もしかして園田のやつが手伝いたい、って言ったのか?」
「え、どうして知ってるの?」
やはりそうか。
「いや、なんとなくな」
「私もびっくりしたんだけどね、昨日の夜に海未ちゃんから電話があって」
もしかしたら、この間の話が起因だったりするのだろうか。いや、それは勘繰りすぎか?
「変わろうとしてるんだな……」
「変わ、る?」
「いや、なんでもないよ。それより、こうして話すのって久しぶりだよな」
つい口から溢れてしまった独り言を誤魔化すため、適当な話題を振ってしまう。
「うん。でもね、穂乃果ちゃんからは良く歩くんの話を聞くんだよ?」
「僕の?」
それは意外だ。
しかし、外であいつが僕のことをなんて言っているのかは素直に興味がある。
「相変わらず仲がいいんだなぁ、って少し羨ましいくらいにね」
「まあ家が隣だからな。嫌でも、ってやつだよ」
「でもね、最近は私も歩くんに感謝してるんだ」
これまた意外なことだ。
「なにかしたっけか?」
「私が留学するかどうか迷ってる時だよ」
そういえばそんなこともあったな。
あの時は正直、僕も本気で心配していた。
「あの時の穂乃果、ことがことなだけに本気で沈んでたからな……」
「あの時も歩くんが背中を押してくれたんだよね?」
「いや。あれは僕っていうか、ほとんど園田だったけどな」
実際、励ましはしたが背中を押してやりはしていない――いや、押してやることが出来なかった。
無責任に穂乃果を焚き付けることを恐れたんだ。
「でも穂乃果ちゃんは感謝してたよ。話してる内にだいぶ気持ちが楽になった、って」
「そっか。ならよかったよ」
するとその時、ちょうど穂乃果が引きずるようにして園田を連れてきた。
もちろん、園田は必死に抵抗を続けている。
「もう、観念しなよ海未ちゃん」
「や、やめて下さ、い……」
そんな二人を見て僕たちは笑い合う。
「なんだかんだで根っこは変わらないんだな、僕たち」
「うん。そうだね」
それがなんだか嬉しくて、僕は自然と笑い声を漏らしていた。