第七話「その人、神秘的につき」
学校が終わった後。僕は友達と共に駅前の電気街へと訪れていた。
平日も平日だというのに、この街の混み様は見事なものだと感心してしまう。主だって行き交うのはやはり。同国の人間が多いのだが、ちらほらと外国人観光客の姿も見える。
仕事中の人と観光している人間との区別は容易で、パッと見ただけで判断がつく。そして今も。
「ハイ、チーズ」
アニメか何かのキャラクターがプリントされたティーシャツを着込み、両手には丸めたポスターがはみ出ている紙袋を下げた外国人に記念撮影を頼まれていた。
ボタンを押してからデジカメのフラッシュが瞬いた後。短い金髪頭の白人男性は僕にお礼を告げ、陽気な足取りで去って行く。
「こんなとこ観光に来るってさ、どうなのよ」
頼まれ事を済ませている僕を遠巻きに見ていた友達――悠斗(ゆうと)の元へ駆け戻ると、やや苦笑混じりに告げてくる。
「今じゃオタク文化も立派な日本の特色になったってことだろ?」
「まあいいんだけど。いち日本人として俺はどうにも複雑だわな」
「そう言うなよ。悠斗だってアニメとか見るだろ?」
「見るっちゃ見るけど、俺はどちらかと言うと――平面よりは立体の方に気があるかなぁ」
戯けたように笑うと、悠斗は視線を僕よりも後方へと向け始める。それにつられて振り返ると、そこにはスクールアイドル専門のファンショップが見えた。
「同じ高校だし、本物のアイドルよりは可能性あるだろ?」
酷く下品な笑い方をしている。全くこいつは……。
「魂胆が不純すぎるよ。悠斗に比べたらさっきの観光客の人の方が、僕としてはずいぶんと好感が持てるよ」
「あーあ。幼馴染がアイドルだと、言うことも違うねぇ」
「やめろって。第一、僕は穂乃果のことを――」
どう思っているのだろうか、実際。
「ホント、ただの幼馴染だよ」
「へいへい。ごっそさーん」
つくづくこいつは。どうしてこう……。
咄嗟に幼馴染なだけの関係だと言ってしまったが、正直なところは微妙だ。それは勿論、恋愛感情があるというわけでもない。
僕にとって穂乃果は妹のようであり、時に姉だったり。双子のような存在だ。近過ぎず、離れてもいない。そんな微妙な関係。
他人であることに違いはないが、それでも。彼女の存在は家族へ定める特別な価値と似たような物があるのだ。
「なあ、歩。あれって……」
ボンヤリとしていたらしく、興奮気味の悠斗に肩を叩かれると。僕はふと我に返ったように視界が鮮明になる。
「どうしたんだよ」
「あれってμ'sのメンバーだよな?」
悠斗が指差した先を見る。
肩に掛かる暗いワインレッドの髪はクルリと癖がついており、ややつり上がった目には紫色をした綺麗なガラス玉のような瞳が収まっている。
キュッと結ばれた口もとが不機嫌そうにも見えるその娘は――西木野真姫、その人だ。
「確かに、そうだな」
「すげー美人だよなぁ。ウチの学校じゃ、そうそうあのレベルはいないよな」
仕方がないことかもしれないが、悠斗の興奮具合は先の比ではない。
「声、掛けようぜ」
そして、この言いっぷりである。
「掛けたければ勝手にしろよ。僕はいいからさ」
「んじゃ、行って来るっ」
去り際に小さな敬礼を残して、悠斗は真姫の方へ駆けて行った。その心の内にある醜い欲望は置いとくとしても。思い立ったらすぐに行動する。そのアグレッシブさは確かに、尊敬に値するものがある。
しかし、息巻いて向かった悠斗の背は次第に縮んで行き。僕の元へ帰って来る頃にもなるとその姿はあまりに、哀れだった。
「一発でフられた……」
「帰ってくるの早かったけど、いきなり告白でもしたのか?」
「男に二言は必要ないんだよっ」
やや目に涙を浮かべながら叫んではくるが、どうにも同情の余地はないな。
「この場合は男を捨てるべきだったよ」
「チクショー! 男として生まれた自分が恨めしいぃ」
それじゃ本末も転倒してるよ。
それからしばらく。僕は悔しがる悠斗の姿を苦い笑みと共に見守っていた。
すっかりと陽が暮れた頃。駅前で悠斗と別れた僕が家路を歩き進めていると、ふいに上の方から呼び止めてくる声が降ってきた。
「ちょい、そこの君。少しだけ手伝って欲しいんけど、ええかな?」
声の方を見ると、やや傾斜の程が激しい石階段の途中で腰を下ろす巫女装束の女性が見えた。
おっとりとした口調の通り。緑色の目はタレ目気味で、服の上からでも分かるくらいにふくよかな胸をしている。そんな容姿から漂ってくる大人な雰囲気に、僕は思わず息を呑み込んでから応える。
「あっはい。大丈夫ですけど」
「ほんま? 助かるわぁ」
元より柔らかな表情をさらに緩めて微笑む。大人びた雰囲気とそのギャップに、早くも僕は照れてくる。
しかし、女性の横に見えていた物へ意識を向かわせた時。僕のそんな照れは、すぐにその身を潜めたのだった。
「ほんまに助かったんよ。ありがとうね」
「い、いえ。これくらい、どうってこと、ない、です」
パンパンになった両腕を脱力させながら笑い返してみるが、どうにも引きつっているようで。情けないことに口もとのヒクつきを感じる。
「意外と重いんよね、あれ」
そう言って指差す先には、僕が今し方運んで来た二つのダンボールがある。中身は絵馬やおみくじの紙らしいのだけれど、その重みは尋常な物ではなかった。
「そうや。お礼せんといけんよね?」
パン、と手を打ち鳴らす。
「いえ。構いませんよ?」
「少年。人の厚意には素直に甘んじた方がええんやで?」
母性溢れるというのだろうか。その表情はまさに、全てを覆い包んで丸める。そんな包容力を感じさせ、僕の抗う意思は揉み消されてしまう。
「それじゃあ……甘えさせてもらいます」
「ふっふっふ。素直でよろしい」
えっへん、と胸を張る仕草。見た目のワリには茶目っ気も持ち合わせているらしい。さすがは大人な女性――
「のぞみ、来たわよ――て、あんたはっ!?」
その時。背後から最近になって聞き知った声が聞こえてくる。振り返るとそこには、やはりあの顔があった。
「や、矢澤、さん……」
「ん、二人とも知り合いなん?」
当然に理解できないであろう女性――ん?
「のぞみって……あの、もしかして」
ゆっくりと首だけ回して振り返ると、にっこりと笑みを浮かべたまま女性、もとい。東條希さんは告げてくる。
「そうやで。うちはμ'sのメンバーなんよ――穂乃果ちゃんたちの、幼馴染くん?」
知っていた。この人は僕のことを知っていた。知っていて声を掛けてきたんだ――でも、なぜ?
「え、こいつが穂乃果の言ってた幼馴染なの?」
「そうやで」
どうやら僕のことを話には聞いていたみたいだが。それよりも。
「あの、東條さん。どうして僕に声を?」
「さぁ。なんでやろ?」
完全に何かを企んでいる。そんな笑顔である。
「もしかして、のぞみ。あんたコイツと会わせる為に呼び出したんじゃないでしょうね?」
「さすが。ニコちゃんは察しがええね」
「え?」
いったいこの人は、どういうつもりなんだ……。
「冗談じゃないわよっ。私、帰るから――」
「ええの? 謝りたかったんやないの?」
その言葉を聞くと、踵を返して歩き出した矢澤さんの足が止まる。しかし、謝る?
「……あの後、虎太郎から聞いたわよ」
「え、何をです?」
「あいつ、あんたにワザとアイスをぶつけたみたい」
そう言って振り返る矢澤さんだったが、その視線は依然として横を向いたまま僕を捉えない。
「どうしてそんなことを?」
「あいつって悪知恵が働くからさ。あんたがいい人そうだからって、ぶつけてダメにしても買ってくれる、とか。企んでたんじゃないの?」
なんて狡猾な……。
「そう、だったんですか……」
「それだけだから」
じゃ、と。再び振り返ろうとする矢澤さんを、僕は無意識の内に呼び止めていた。
「僕の方こそ、あの時はすいませんでした。ついカッとしたとはいえ、あんな場所で怒鳴ったりして、本当。すいません」
こんなことで誠意が伝わるかは分からない。けれど、僕は出来る限りに頭を下げる。
「ちょっ――」
矢澤さんの驚いた声が聞こえる。そして。
「――たわよ」
何かを言ったようだが、小さくて聞き取れない。
「あの、なんて?」
「私の方こそ悪かったわよ、って言ったのっ!」
顔を紅潮させて怒鳴ってくる。せっかく和解できそうだったのに、怒らせてせてしまったようだ。
どうしよう……。
「ほな。仲直りの記念に」
すると希さんは僕たちの間に立ち、缶ジュースを差し出してきてくれる。
「あ、ありがとうございます。でも――」
「今のはな、ニコちゃんの照れ隠し、ってやつなんよ」
「のぞみ、なに勝手なこと――ひゃっ?!」
紅潮の程を増しながら叫ばんとする矢澤さんの頬に、希さんは笑顔のまま缶を押し当てる。
「ニコちゃんも。人の厚意は素直に受け取っとくもんやで?」
「うぅ……覚えときなさいよ、のぞみ」
「はいはい」
この人はやはり、どこまでも底の知れない人だ。
惚けたままの僕を他所に繰り広げられる彼女たちのやり取りを眺めながら、そう思った。