「ヒッキー大変! いろはちゃんが怪我しちゃったって!」
「っ……!?」
休み時間、最近だと少し寝る時間も遅めということで自分の席でぼーっとしていたら、慌てた様子で飛び込んできた由比ヶ浜の放った一言に――――一気に眠気が覚めた。
というか、思考が真っ白になった。立ち上がった拍子に次の授業のために出していた教科書やノートが床にパサリと落ちたようだが、それすら気にしてはいられなかった。
「今保健室に……ちょっとヒッキー!?」
場所さえ聞いてしまうと身体は勝手に動き出してしまった。止める由比ヶ浜の声も無視して教室を飛び出し、まだ休み時間ということで廊下に生徒がまばらにいたが、ぼっちの天敵であるはずの浴びせられるような視線すら気にならない。
「おい比企谷っ、もうすぐ授業が……!?」
一瞬俺に呼ばれたような気がしたが声の方向を向くことなく振り切り、階段を一足飛びで駆け下りる。目指すのは一階にある保健室だ。
怪我って何があった? 今でこそ多方面から高評価を得ている一色だが、生徒会長になる前は女子からの評価がすこぶる悪かった。ひょっとしたら、一色の評判が気に入らない女子から何かされたのではないだろうか。それか男受けのいいあいつのことだ。男子から告白されてその腹いせで……。
それか、それかもしかしたら……。
俺の近くにいるせいでいじめを受けていたりするんじゃ……?
いや、今は原因なんてどうでもいい。一色の無事を確認するのが先決だ。
たまに使われる特別教室と保健室しかない廊下まで来ると、もう生徒の姿も先生の姿も見えない。はやる気持ちを止めることなく、保健室の扉の前で急ブレーキ。そしてノータイムで引き戸に手をかけて――
「一色! 大丈夫か!?」
開いた。
「せ、せんぱいっ!?」
部屋の中にいたのは一色と、同級生だろうか、眼鏡をかけて後ろ髪を高い位置にまとめている女生徒だった。保険医の先生は席を外しているのか姿はない。
そして、ベッドに腰を下ろしている彼女は――なぜか上を脱いでいた。傷一つない滑らかで白い肌に一瞬目が奪われる。ハーフパンツから伸びる細い足もさることながら、唯一上半身に着けられている淡いピンクのブラジャーがかわいらしい。ここで「あざとい」と出なくなったあたり、だいぶ一色に毒されているなとか考えてしまう。
「っ…………! っっ!」
ところで、なんで一色は顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせてるの? 魚はすなの? それとも誘ってるの? 襲うよ?
「あの、比企谷先輩……でよろしいのでしょうか?」
「ん? あ、おう」
いつの間にかすぐそばに来ていたポニテ女子はどうやら後輩のようだ。幾分堅いくらいの礼儀正しさで小さくお辞儀をすると――
「一色さんが着替え中ですので、終わるまで外でお待ちください!」
「は、はいっ!」
雪ノ下とはまた別種の射抜くような視線で怒鳴られた。相手が年下であることも忘れて、背筋を伸ばして回れ右。部屋を出ると「まったく……」と呆れたような声と共に背中の方で扉が閉まった。
ああ、なるほど。さっきの授業、一色は体育だったのか。それで今着替えを持ってきてもらっていたと。
「……さすがに取り乱しすぎだろ」
ちょっと考えれば分かることだと言うのに、それだけ焦っていたんだなと思うと、いっそ笑いすら出てきそうだ。
扉を挟んでいるせいか、中の声はよく聞こえない。しかし、雰囲気から察するに悪い間柄ではないことは分かった。一色の声も存外明るいし、ここに来るまでに考えていたネガティブな可能性は俺の杞憂だったようだ。
ようやく整ってきた呼吸を大きく深呼吸することで平時に戻して、かすかに聞こえてくる二人の対話、正確にはそこから感じるほのぼのとした雰囲気に浸って目を閉じる。
チャイムの音が聞こえてくるが、今教室に戻る気にはなれない。次の授業は……平塚先生か。後で鉄拳制裁を食らうことになるだろうが、まあいい。
一色と一緒にいられるのなら、それくらいは甘んじて受けよう。
と、そんな事を言っていたわけだが。
「せんぱい」
「はい……」
あの時さっさと戻ればよかったかなとか今考えてる八幡です、どうも。
着替えも終わり見慣れた制服姿になった一色は、ベッドに腰を下ろして足を組んでいて、俺はその前で正座をさせられている。ちなみにさっきのポニテ後輩は授業に向かうために早足で出ていった。廊下を走らず早歩きなあたり真面目だ。
「あんまり友達の前で醜態を晒さないでもらいたいんですけど」
「面目ない……」
いやもう本当にあの時の取り乱しようったらないよね。クールなイメージで売っている比企谷八幡にあるまじき失態だわ。え? そんなイメージじゃない? さいですか……。
「そのせいで私まで弄られたんですからね……」
「なに言われたんだよ……」
というか、久しぶりに見たわそのフグ顔。「プンプン」っていう擬音が立体文字で頭の上に浮いてそうな感じで抗議をしてきていた一色は、顎に人差し指を添えて考える仕草を取ると――少しだけ目を泳がせた。何かあるのかと目線を追うが、先にあるのは絹のような陽光をふわりと被せられた桃と紫の二輪の花が活けられた花瓶だけだ。
首を傾げていると、「んんっ」と喉を鳴らす音が聞こえてきて視線を戻す。さっきのハプニングからそこそこ時間も経ってだいぶ元に戻っていた顔色は、心なしか片輪の花のようにほんのり桃色を帯びていた。
「『少しそそっかしいところもあるけど、いい先輩じゃない。あんなに慌てて飛び込んできたのも、あなたが心配だったからでしょ? 愛されてるのね』とかしたり顔で言われたんですよ!? 私がどれだけ恥ずかしかったか分かりますか!?」
あー……うん。
分かった。たぶんそれ、俺もよく分かった。だって今死ぬほど恥ずかしいもん。「愛されてるのね」ってなんだよ。いや、確かに一色の事は……その……愛して、いるわけだが……それを他人に言われるのはこんなに恥ずかしいものなのか……。何これやばい、顔中の毛細血管が一斉に破裂するんじゃないかってくらい熱い。それはそれでホラーだからやばいわ。
とりあえずここは話題を切り替えるべきだ! 早急に切り替えないと俺の顔面が赤い部屋になりかねない。アナタハアカイヘヤガスキデスカ? 赤い部屋とか落ち着くわけねえだろ!
「と、ところで、なんで怪我なんかしたんだよ?」
ポニテさんから聞いたところでは軽い捻挫らしい。数日安静にするだけで病院に行く必要もないだろうとは言われたが、理由までは聞いていなかった。
「あ~……」
俺としてはなんでもない話題変更のつもりだったが、一色の視線が今度は窓とは反対の部屋の隅に流れる。しかしそれも一瞬で、すぐに照れるように頭の後ろに手を当てて小さく舌を出した。ご丁寧に「てへっ」なんて口に出して。
「ちょっとバレーで無茶しちゃっただけですよ~。せんぱいが考えてるようなことは起こってないです」
なにせ今の私は男の子にも女の子にも先生にも人気の美少女生徒会長ですからね! と自画自賛する一色に、短く「そうか」とだけ返す。
一色の言葉は嘘ではないだろう。もしも、実際にいじめみたいなことが起こっていたらあのポニ子ちゃんあたりが隠さずに教えてくれる気がするし。こんなに話題に出てくるならあのポニーテール後輩の名前を聞いておくべきだった。雪ノ下あたりなら知っているかもしれん。さすがユキペディアさん(予言)。
まあ、本人が言いたくないことを無理に聞き出す必要はないだろう。緊急性があるとも思えないし、言いたくなったら聞いてやるくらいがちょうどいい。というか、俺が彼女相手とはいえ積極的にお悩み相談とかその時点でキモくね?頭の心配されるまである。なにそれ悲しい……。
「まったく、あんまり無茶すんじゃねえぞ。俺が心配になる」
立ち上がった俺とベッドに座った一色とは割とちょうどいい位置関係にある。正確には俺の手と彼女の頭が、だが。
自然と手が伸びて、おしおきも兼ねていつもより強めにわしゃわしゃ撫でると、目尻をほのかの下げて俺の手の動きに身を任せてきた。小さい鼻からむふー、とそれ絶対自然に出た音じゃないよね、とツッコミたくなる音まで漏らし出している。
むぅ、これおしおきになってねえな。いや別におしおきをする必要はないのだが、思惑が相手にうまく伝わらなかったことが少々気に入らない。このバブルスライム並みにとろけた顔を崩してやりたいという悪戯心もあるわけで。
…………ふむ。
相変わらず撫でる手は止めることなく、わずかに開けられた窓から漏れ入る風に揺れて、時々触れ合ったりする花なんぞを眺めてみたりして――そいつらの真似をしてみることにした。
「えへへぇ……ふぇっ!?」
かすめるようなソフトなキスを頬にしてみると、バブルスライムがスライムベスになった。いや、それだとさっきまでの一色の顔色が緑だったみたいな表現だが。ていうか、スライムベスでもにやけてるよね? 明らかに最初の表現からして間違ってたわ。
それにしても不意打ちだったからか予想以上の反応に、心臓の鼓動が一つ増えたような錯覚に陥る。わしゃわしゃ撫でていた手の指を軽く立てて、手ぐしを通すように髪を梳きながらもう一度頬と唇を触れ合わせてみると、また可愛らしい声を上げてストーンスライムみたいになった。体を固まらせたって意味ね。一色の目はちゃんと二つあります。
「むぅ~」
「なんだよ」
ストーンスライムちゃんが防御を一段階下げようと睨みつけてきたので、もう一度キスしてみる。
「ふにゃっ! なんかせんぱい、最近そういうこと手慣れてきたなぁって思いまして。前は恥ずかしそうというか、必死な感じでかわいかったのに」
「ばっかお前、こんなことするの慣れるわけねえだろ。今でも十分恥ずかしい」
実際、さっきも最初のキスの時は割と緊張したのだ。それ以降はちょっと楽しくなっちゃったわけだが、さすがに付き合い始めの頃と比べれば多少は勝手も分かっていると言っても、手慣れるとかそんなことは断じてない。それ以前に、俺のことをかわいいと表現する一色の感受性が心配なのだが。
「じゃあ、確かめてみます」
「は? 何を――」
確かめるのか確認する前に、頬に柔らかいものが当てられた。それはこの数ヶ月でだいぶ慣れ親しんだ感触、むしろ俺たちにとっては記念に近い感触なわけで、体内の血液量が倍増したのではないかと思うほど身体が熱くなった。
「あ、ほんとだ。やっぱり先輩も恥ずかしいんですね~」
「お前な……」
抗議しようとも思ったが、目の前に咲く満開の花を見ていると、もう怒る気にもなれない。
それでも、反撃をしないわけでは決してなく――
「うにゅっ、せんぱいがその気なら、私もやめませんよ!」
む、やはり不意打ちじゃないと一色にキス攻勢は効果が薄いようだ。しかし、ここで止めては一色にいいように弄ばれてしまうのは火を見るよりも明らか。止めるわけにはいくまい。
それにしても、なにやら一色からやけに甘い匂いが香ってくる。バレーで怪我をしたと言っていたし、これは汗の匂いだろうか。なんでこんな甘いん?
「ぁ…………」
男を惹きつける蜜の香りが俺の理性を揺さぶってきて、気がつくと一色をベッドに押し倒していた。捻挫のことを考えてゆっくり倒したあたりはまだ理性的に行動できた自分を褒めてやりたい。
真下にある一色の表情は驚きに染まっているが、その瞳の奥にはトロッとした期待が見え隠れしていて。
嗅覚だけでなく、視覚でも俺を誘ってくる。そうなると次に来るのは聴覚と――
「せんぱい、ほっぺだけで……満足、ですか?」
味覚、だろうか。
さっきまで頬に触れていたプルプルの果実の中から時折ちらりと覗く紅い舌が妖しく俺を誘う。今にも引き込もうとするように別の生き物のごとく舞うそれの動きに、意識せずとも目が引きつけられた。
満足? 満足かだって? そんなの――
「満足なわけ……ないだろ?」
顔を少し傾けると、小さく微笑んで反対側に顔を傾けてくれる。瞼を閉じると逆に敏感になった聴覚が浅い息遣いを捉えた。距離を詰める時間はあまりにももどかしかったが、がっつきたい衝動を必死に抑えてゆっくり、ことさらゆっくりと顔を近づけた。
鼻腔をつく甘い香りも、離れていても感じる熱いくらいの体温もだんだんとはっきり分かるようになり、少し遠慮気味に俺の唇と一色のそれが――
「一色さん、授業終わったけれど、帰りは車で送ろうかって先生が言って……」
触れ合うことはなかった。何の前触れもなく引き戸が開け放たれた音に振りかえると、ぽけっとした表情のポニ子ちゃんがいるわけで。その奥の壁にかかっている時計を確認すると既に授業が終了している時刻。あの……授業終了のチャイムって、鳴りました? 俺達が聞こえなかっただけ?
そして客観的に見て、いや主観的に見ても俺が一色を押し倒している構図なわけで。頬がわずかに上気したかと思うと眼鏡越しの瞳が徐々に鋭いものに変わっていき、怒鳴ろうとしたのか大きく開いた口から溢れたため息を飲み込むようにポニテ少女は天を仰いだ。心なしか後ろの大きなポニーテールもハリがない気がする。
「別に、恋人同士ですからそういうことをするなとは言いませんが……時と場所くらいはちゃんと考えてください」
「「おっしゃる通りです……」」
そうだよね。特に一色なんて生徒会長だもんね。風紀的に超絶問題あるよね。本当に一部の隙もなく我々が悪かったので、ウボァ化だけはやめてくださいお願いします。
え? そんな変身はできないの? そっかー。
「聞いているんですか、比企谷先輩?」
「はい……」
ふえぇ……、変身しなくてもポニ子ちゃん怖いよぉ。
このシリーズではお久しぶりです。
八色欲が高まったので久しぶりにいちゃいちゃさせておきました。
というか、モブキャラの予定だったポニ子ちゃんが予想以上に動きました。ポニーテールで眼鏡で後輩とか絶対かわいい(確信
思いの外キャラが立ったので、余裕があればこの子をメインに据えた八オリとか書いてみても面白そうと思っていたり(予定は未定
最近はSSを書きながらVITAちゃんのVCで真・女神転生とかやってました。SJしかやったことなかったけど、やっぱりあのダークな世界観は不思議な魅力がありますね。アリスかわいいよアリス。
とりあえずNルートでの殲滅戦が終わったので、今はデビルチルドレンの赤の書を遊んでいます。DQMみたいな感じでやりこめて楽しいゾ!
まあ、あんまりゲームばっかりやってSSの投稿ペースが落ちないようには気をつけたいと思います><
ではでは、またどこかのSSで。