「せんぱ~い」
「んー?」
一色の呼びかけに読んでいた本を閉じて顔を上げる。真正面にいた一色はなぜか不満そうに頬を膨らませている。なに、フグになりたいの? 今の海は寒いよ?
「炬燵提供してるんだから資料整理手伝ってくださいよ~」
「ほーう……」
そう、今俺は生徒会室の炬燵でぬくぬくしているのである。奉仕部は、決してサボりではない。由比ヶ浜と雪ノ下が何やら買い物をするということで今日は休みなのだ。急にできた自由時間に有頂天になった俺は意気揚々と帰ろうとしたのだが、一色に炬燵を出汁に生徒会室に連行されたのだ。炬燵になんて負けないもん! 炬燵には勝てなかったよの二コマ堕ちをやってしまった俺である。
これだけ聞くと、炬燵使わせてもらっているんだから手伝えよ! と言われるかもしれない。俺でもそう言うし、報酬を得るならそれなりの対価が必要である。対価払いたくないから俺は絶対働かない。
しかし、しかしだ。俺の言い分も聞いてほしい。
「その資料作成半分ちょっとすでに俺が終わらせているんだが? 半分くらい自分でやりなさい」
俺は自分が作成した資料を見せつけるようにポンポン叩きながら一年生生徒会長を諭す。そう、すでに俺は仕事上がりなのである。むしろ最初半分だった仕事量を六割まで受け持ったのだ。何か追加で報酬があってもよさそうなものではないか。
「ぶ~、彼女が苦しんでいる姿を見て何とも思わないんですか~?」
「お前が俺のかわいい彼女なのは事実だが、それと同時に生徒会長だ。そろそろ自分の仕事くらい自分でこなせるようになってもらわないと」
「か、かわ……む~、せんぱいずるいです」
「いや、ずるくねえし」
まあ、なんだかんだ言ってだいぶこなせるようにはなってきてるよな。正直お馬鹿な部類の一色がここまで頑張っているのには感心する。というか、手伝ってみて思ったけど生徒会地味なくせにやること多すぎじゃないっすかね。よくこんな損な役回り引き受けようと思う人間いるよな。……俺は人のこと言えないのでは……。
「あ~、せんぱ~い。疲れました~、休憩したいです~」
「はいはいあざといあざとい。まあ、作業効率落ちてるならちょっと休憩したらどうだ? どうせ今終わっても帰れそうにもないし」
窓の外を見ると真っ白、何も見えない。温暖化温暖化と言うならなぜこんなに吹雪いているのか。窓を強風が叩きつけ、細かな雪をへばりつかせながらガタガタと揺らす。生徒会の手伝いを始めて少しした頃から急に勢いを増した雪はまだ当分止みそうもない。
「そうですね~。それじゃあ、きうけいきうけい!」
なんだよ「きうけい」って古代中国の高官にでもなるの?
寒そうに炬燵から抜け出した一色は棚の上のケトルの方……ではなく、俺の方に来ると隣に潜り込んできた。
「……休憩じゃないのか?」
「はい! 休憩ですよ?」
なんで俺の隣に座るのが休憩なんですかね。あれか? ひょっとして俺からマイナスイオンが出ていてリラクゼーション効果が炬燵とのシナジーを……やめよう、玉縄のまねとか頭が痛くなってくる。
「だって、せんぱいの隣は安心しますから」
リラクゼーション効果がある……だと!? 比企谷菌マイナスイオン説が出てきた。専門の機関に身体を差し出せば一生働かずに暮らせるかもしれない。
馬鹿なことを考えていると、一色がこてんと肩に頭を乗せてきた。なんだそれかわいいなおい。
「ふふ、こうしてると思い出しますね」
「? 何をだ?」
「せんぱいと付き合うことになった日ですよ」
「あぁ……」
覚えている。自分の想いを隠して、一色の言葉を否定して、拒絶したあの時。それでも追いかけて来てくれた彼女を絶対に離さないと誓ったあの時を……忘れるはずがない。思い出すだけで胸が苦しくなるし、温かくなる。自然と彼女の腰に手を回して身体を少し引き寄せる。
「ぁ……せんぱい……」
「絶対離さないからな」
「ふふっ、私も離しませんよ?」
腰に回した手に一色の手が重なる。ただそれだけのことなのに幸せが溢れてくる。
……ただ、幸せでも、俺には常にある不安が残っていた。
「そういえば、なんで葉山じゃなくて俺を選んだんだ?」
「……それ、今聞きます?」
すっごい嫌そうな顔された。さっきの幸せな気持ち返して。俺のせいだけど。
「いや、言いたくないなら言わなくてもいいんだけど。どうしても不安なんだよ」
一色はため息をつくと、まあいいですけどね、と苦笑してくる。ほんとダメな彼氏でごめんな。
「葉山先輩の場合は恋愛、というより、憧れとか、所有欲みたいなものだったんですよ。結局私は葉山隼人という人ではなくて、学校の人気者の葉山隼人っていうブランドが欲しかったんですね。子供が新しいおもちゃを自慢するみたいに、セレブが高級な衣装を見せびらかすみたいに。葉山先輩の隣にいる自分を見せつけて、嫉妬や尊敬の視線を集めて悦に浸りたかっただけだったんです」
それは分かる気がする。同性との交流の場において、恋人とは一種のステータスとなる。去年の夏祭で相模達が俺を見て由比ヶ浜を嘲笑したように、主婦の井戸端会議で旦那自慢が始まるように。それは決して女性に限らず、男だってかわいい彼女が欲しいと考えるし、いれば自慢する。“恋愛に憧れている人間”というのは大抵そうなのかもしれない。
「それが本物じゃないって気付かせてくれたのが、せんぱいなんですよ?」
「あれは忘れてくれよ……」
ああ……今思い出しただけでもまた暴れたくなる。あれを一色に見られたのは完全に誤算だった。
「私は、あれが聞けてよかったです。だって、ブランドなんていずれ飽きて捨てちゃうんですから、そんなの相手にも、自分の心にも失礼だって思います。けど、当時の私はまだ自分の中のその疑問に否定的で、葉山先輩への思いが本物じゃないのが信じられなくて。……だからあの日告白したんです。私にとっての“本物”の確認と決別のために」
「そっか……」
一色の意識の変化がいいものかどうかはわからない。ひょっとしたら変わらないままの方がよかったのかもしれないし、しかしそれは俺にはわからない。人生にifストーリーなんてないんだから。
「で、せんぱいを好きになった理由はわかりません」
「おい……」
「いや、確かにせんぱいはなんだかんだ面倒見がよかったり、あざとかったり、時々かっこ良かったり、意外と高スペックだったり、良いところはたくさんあるんですけど、どうして好きになったかって聞かれると答えられないんですよ。気がつくとせんぱいを見つけたら話しかけに行くようになってましたし、何かしら理由を付けてせんぱいと出かけたりしていました。せんぱい生徒会か葉山先輩を理由にすると嫌々来てくれましたしね」
まあ、その二つを引き合いに出されたら俺としては断れんからな、断ろうとした気もするけど。それにそういう予定の提案の仕方だったから、俺もずっとこいつの気持ちに気付かなかったんだよな。直球アピールでも俺が勘違いと切り捨てていた可能性もあるが、だいぶ回りくどいルートの恋愛をしたものだ。
「そ、それに……振られてすぐせんぱいに切り替えるとビッチって言われそうで怖かったですし……」
なにこの子くっそかわいいやんけ! こいつの彼氏は幸せもんだな。俺だわ。顔あっつ。
「たしかにあの時の俺なら言いそうだ」
「ちょっ、そこは否定してくださ……っ」
一色に覆いかぶさるように抱きしめる。この愛おしい彼女を離さないという意思を込めて、優しく、強く。
「けど、好きになってくれて、今の俺はすごくうれしいよ」
「っ。~~ずるいですせんぱい!」
本心から言ったのに怒られてしまった。こんなときどういう顔をすればいいのかわからないのでとりあえず苦笑する。
「まったくもう……」
「悪い悪い」
そのまま対の目の視線が重なる。ゆっくりと、お互いの隙間をなくすように身体と近づき、唇を重ねた。
「ん……」
唇同士を触れさせた後はついばむように軽いキスをした。少し腕に力を込めて強めに抱きしめると身体と唇を離した。
「ぁ……」
……物欲しそうな顔すんなよ、このまま勢いに任せて押し倒しちゃいそうになるだろ。欲望の扉に理性の鍵をかけていたずらっぽく笑ってやる。
「さ、休憩終わりな。さっさと終わらせようぜ」
「な、なあああああぁぁぁっ!! せんぱい酷すぎません!?」
「ヒドクナイヒドクナイ。ほら、俺も手伝ってやるから」
「……ぅ~~っ」
だからそんなかわいい顔すんなって、襲いそうになるから。
結局俺が大半をこなした資料作成が終わった頃には吹雪は収まり、シンシンと静かに白い結晶たちが舞っていた。
* * *
「わぁ! せんぱい、雪結構積もってますよ!」
校庭一面の銀世界を目の当たりにした一色はケラケラ笑いながら駆け出した。あいつマフラー巻けよ、風邪引くぞ。
「あんまりはしゃぐと転ぶぞー」
「だいじょ~ぶですよ~、はははっ……あっ」
あ。
フラグ回収早すぎですよ一色さん。さらさらのパウダースノーに足を取られた一色は背中から倒れた。鞄を持つのもそこそこに駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「せんぱ~い、雪ふかふかですよ~。つめた~い」
予想よりも積雪量は多いようで一色は特に痛くなさそうにケラケラ笑っていた。のんきな奴、怪我したかと心配したってのに。
「はぁ、心配して損したわ。ほら、手ぇ貸してやるから早く起きろよ」
一色はひとしきり笑うと俺の手を取ってニコッと笑い――
「せんぱい!」
「ん? うぉっ!?」
――思いっきり引っ張ってきた。前のめりに倒れそうになり、慌てて両手を地面につく。軽く雪に手が沈みこみ、それがクッションになって痛くはなかった。
「ったく、危ないな」
「ふふ、ごめんなさい。けど、これってせんぱいが私を押し倒してるみたいですね」
「なっ……」
雪が降っているのに冷房が欲しくなるくらい顔が熱くなった。こいつまた人をからかいやがって……。文句の一つも言ってやろうと視線を下げると、一色の顔もまた上気して、物欲しそうなとろんとした表情をしていた。
「はぁ……」
本当に、こいつには敵わない。
軽く目を閉じた一色に覆いかぶさるようにして唇を奪う。軽くついばんで一度唇を離す。
「せんぱい……」
「いろは……」
お互いの存在を確認してもう一度唇を近づけて――
「……くしゅっ」
…………。
……くしゅっ? 目を開けると一色が口元を押さえて顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。少し呆けた後、盛大に笑ってしまった。
「あ、せんぱい酷くないですか!」
「くくく……こんなとこに寝転んでたら、そりゃくしゃみもでるわ。ほら、起きろよ。さっさと帰ろうぜ、送ってくから」
「む~、けどキスぅ……」
こいつどんだけキス好きなんだよ。まあ、俺も超好きだけど。
「キスはいつでもできるだろ」
「え、TPOわきまえないのはちょっと……」
「そういう意味じゃねえよ」
というかTPOわきまえないのは今さらである。校庭でキスするのはTPOをわきまえているのか、いないだろ。
まあ、こんなバカップルっぽいことをやるのもこいつとなら楽しいと思う自分もいるわけだけど。
「ほら、マフラーちゃんと巻け。ほんとに風邪ひくぞ」
「せんぱいが巻いてくださ~い」
「ったく、ほら巻くぞ」
「わ~い、せんぱい大好き~」
「はいはい、俺も大好きだよ」
マフラーを巻き終わると俺の腕に抱きついてくる一色を連れて、俺達は帰るのだった。いつもより少しだけ近く、少しだけゆっくりと。
ちなみに別れ際にキスを要求された。TPOどうした生徒会長! 恋愛TPOは全てが許されるのか? 怖い!
まあ、嬉々としてしたわけだが。
今日も軽めなお話のきぶーん
なんとか一色のエロはす化を二日連続で食い止めたぞ☆
割と一色と小町はこういうネタで書きたいってのを溜めているんで、その日の気分で書いています
小町話の方が終わったら小町の話も書きたいですね
※UA20000、お気に入り200件ありがとうございます!