【GODEATER】 龍治 -A Ghost of Hero- 作:あとろふ
彼女は案の定というべきか、またラウンジに居た。昇降機の扉が開けば、たとえ目を閉じていても、彼女の喫す煙草の独特の甘くそれでいて冷たく鼻腔を撫でて通っていく感覚で自ずと判る。いつしか彼女の香りとなったそれに、その日は焦げた木のような匂いのおまけ付きであった。青龍支部に唯一の暖色光、劇場の柔らかいスポットライトのようでもあるカウンターのランプに照らされて、毛羽立つ紫紺色のセーターの背中が纏う煙との輪郭を定かで無いままに黄色くぼやけていた。
「隊長───」
呼びかけたはいいものの、次の言葉が見つからない。
「あら、もう大丈夫なの?」
彼女は頬だけを見せてそう言った。
「大丈夫───じゃねえけど、俺の処遇とか」
返辞に暇を要した零は歩きながらそう言って隊長の横へと腰掛ける。彼女はさもそれに興味のないように装って
「処遇ね、処遇───えっと、納得行かないと思うけど、懲罰を受けるのは正虎さんだけみたいだよ?」
と言葉の継ぎ目に吸った紫煙を鼻先に撫でさせながら答えた。
「ああ。洲から聞いた。それで───」
零が彼女を訪れたがったのは、決して冗談の前に口実となった譴責とやらの為だけではない。
「どうしてあの時、俺じゃなくて正虎さんを───」
彼女のあの時の態度が、虚ろな記憶の中でも殊に焼き付けられて腑に落ちなかったのだ。
「うん。」
彼女はそう静かに鳴いて頷き、朧に揺れた前髪の横顔を見せる。二人を隔てるダイアモンドカットをあしらった灰皿に置かれた煙草の煙越しの彼女は、磨り硝子のベイルを幾重に重ねられたように零には映った。
「零クンにはそんな事、出来ないかなって。───馬鹿にしてるわけじゃないよ。その人を助けたくて、見逃してあげたのかな、って思った」
優しい声だが、その瞳は笑っていない。
「ああ───その通りだ、助けたかった。助からないと解ってたのに。」
同情するような彼女の珍しい言葉に、零は言い訳がましくもそう漏らしてしまう。
「でしょ?───そんな人を、責められないよ。助けてあげたいって思って、ダメだって分かっててもそうしちゃった、そんな人を、私は責められない」
彼女のその言葉は妙に具体的だ。その違和感とかつての洲の語り口を符合させた零は、談柄を外れあらぬ詮索をしてしまう。
「それって、隊長の家族の───」
ああ、また嫌な顔をされる。そうして突き放されるんだろう。
───その苦い予想は、不思議にも的中しなかった。
「なんで君が知ってるの。って、言いたいけど───まあ、その通り、かな。」
そう言って彼女は灰皿に挟まれた煙草を白手袋へ移し替えて大きく吸い込む。その勢いにオレンジ色に灯った先端はパチパチと微かな音を立てた。その奥で柘榴石のような酒精を湛えたグラスが彼を視ている。
「はぁ───っ。」
吸った分に勢い良く噴かれた紫煙が、より濃く灯りの周りで夜の虫のように遊んでいる。
「いや、悪い───気持ち悪いよな、頼んでもないのにそんなに詮索されたら」
二人の間で嫌な空気が時を刻む。最も、どうやらそれを感じていたのは零だけであったらしい。
「ううん、いいよ。」
灰皿にぽとと煙草を打った彼女の珊瑚色の唇を揺らした声は、そこから微かに漏れる紫煙さえもが彼を慰めているかのような程に優しい。ほとんどそれは、まるで初々しい恋人のように零に甘えているかのようにすら感じ取れる。
「───私さ、家族を殺しちゃったの───知ってるか、あはは」
そうして、彼女の口から聴くとはにも夢にすら及ばなかった独白が彼の意識を突き抜ける。
「そうしよう、って思ってたわけじゃないよ。でも、そうなっちゃった。みんな、私のせいで死んじゃった。」
彼女は、様々に反射して多様な顔を見せるグラスを目の前に持ってきてそれを見つめていた。
「私のことが大好きなお母さんやお父さんも、私のことが大嫌いなお姉ちゃんも、私が守ってあげたかったのになぁ。そんな事しなかったら、あの時終わらずに済んでたのかも。」
目の前のグラスに注がれたウイスキーを遠く眺める彼女の横顔は、幸のない笑顔に被せられている。
「守ってあげたかったんだー。それまでなぁーんにも出来なかったから。何をしても迷惑ばっかり。私なんて居ないほうが良かったんだろうなぁーって。やっとみんなを守れる力を手に入れた。痛い思いして腕輪をはめて。だから、私がこの手で守ってあげたかった。お姉ちゃんに、ありがとー、って笑って欲しかった。お母さんやお父さんに、心から喜んで欲しかった。───でも、だめだった。みぃんな、届かなかったぁ。」
届かなかった。そう言って彼女はグラスを持った手をランプに翳す。匙も全ても放り投げてしまったように、彼女の頬は紅く染まっていた。
やがて、返辞を寄越せない零へと、
「えぇーと、だから、零クンも同じだったんだろうなーって。へへ。」
彼女はそう笑って赤らんだ顔を向けた。悲しみも苦しみも過去から引っ張ってきたその笑顔に、零は喉の根っこが大きく窪められたような気を味わっている。
「俺は───」
素面の零は恰も軽く発されたその言葉の重さに踏みつけられて身動きが取れない。
「零クンは?」
まるで優治に向けるかのようなオウム返しの微笑みがいたく零の心に突き刺さった。その笑顔が零の手足を縛り上げて身動きを許さなかった。
「俺は───すまない、なんて言えばいいか。解らない。」
いざ彼女の本心を目の前にすると、こうもそれが非情に重くのしかかるものなのか、零はそれを腑に沁み入ったように痛感した。
「そっか。そうだよね。───ごめんね、変な話して。とにかく、私からは零クンは叱れないなぁーって話。悪いのは正虎さんだよ、まったく」
彼女は愚痴っぽく溢す。
「あの人は何処に」
零が身を乗り出してそう尋ねると、その仕草に彼女はむすっと唇を尖らせて
「しらない。アナグラの懲罰房にでも居るんじゃない?」
と言い持っていたグラスを強引に渇かした。それの底をを強くカウンターに叩きつけ
「っあー!とりあえず、この話は終わり!零クンはお咎めなし!ここで解散!」
と言って席を立って昇降機へ戻ろうとする。両の指先を互い違いにした足はあさっての方へと進んでいた。
「おいおい、大丈夫かよ、なんだってそんなにたくさん」
グラスの横に空けられた四角い瓶をちらと見遣った零は片足だけ降りて彼女の腕を抱える。しかし───
「もう───!ほっといて!」
ふらつく彼女は絡みついた腕を強引に払い除けた。全くもって喜怒哀楽が零には読めない。つい先程までの態度と見合わせて
「はぁ!?」
と声を上げてしまった。紅く染まった彼女の白い頬に無頓着にかかった髪、その隙間から錆びた刃のような瞳が零を威嚇している。
「じゃないと私、また突き放しちゃうから」
───彼女はカウンターや円卓に手を掛けながらよれよれと昇降機の方へ消えていった。
「───はぁ・・・?ったく。なんだってんだよ、一体」
それでもまだカウンターの上では、消し忘れられた煙草の隣で、乱暴に干された透明のグラスが彼を視つめている。