【GODEATER】 龍治 -A Ghost of Hero- 作:あとろふ
アナグラの懲罰房───鉄板で庇護された粗暴なつくりのアナグラの中でもまた、取分け陰気な、文字通りに檻のような空間。冬場の空気が足元から、壁から、鉄格子から、零を取り囲む空気へと滲み出し、寒いというよりは冷たい処であると彼に感じさせる。先程まで通り過ぎていた居住区にはまだ生命の気配があっただろうとすら思えるほどだ。
想像していたとおり、細い廊下の壁は狭い檻に埋め尽くされているのだが、見てみれば右も左も伽藍堂である。看守と思しき人間の影も見えず、置き去りにされ主の居ない寝床の規則的な羅列に薄気味悪さを感じた零は、より一層脚を速めた。その檻の中に一人置かれてみれば、この空間では存在すら凍り切った大気に溶け出して消え去ってしまうのではないか。
実際よりも長く感じる廊下の途中、やっと彼を見出した。足音は紛れもなく自らに向うものだと判っていただろうが、鉄格子越しの顔は廊下から覗く零の方へは向けられていない。粗雑なこしらえのベッドに腕を組んで真っ直ぐに座り、深く窪んだ眼を静かに閉じて石膏像のように動かないままだ。
「正虎さん」
零はその彫像に声をかける。耳を刺す程の静寂の中で、その声は幾重にも反響して凍った空間をどよめかせている。しかし、揺れた空間の中でも彼は依然として彫像の姿を保っていた。
何をしに来たのか、零は動かない正虎にそのように質されているように感じ、返辞のないままに再び口を開く。
「謝りに来た───アンタが隊長にしていることは間違っていることじゃない、って事と、俺が───介錯を、出来なかったことを」
その声に正虎は僅かな反応を見せたが、眉肉の奥はまだ固く閉じたままだ。零は狼狽えながらも恭しく続ける。
「すまなかった───本当は俺がそこに居るべきなのに」
「違うな」
不意に正虎の低く強い声が独房に木霊する。
「えっ───」
彼の眼は開かれ、顔の向うまっすぐ先、床の何もない一点を朧に見つめていた。長い沈黙の後、
「あの状況では介錯の義務は俺にあった。新兵のお前にやらせることではない」
と正虎は喝破した。それが、檻の前に立つ無罪放免の自身よりも遥かに潔い姿として零には映ったのだろう。
「同じことを言われたよ、洲にも───」
廉直な彼を前にして、零は泣き言のようにそう弱々しく呟く他なかった。
「だったら聞き分けるんだな。この責任を背負い込めるなどと、そうそう自惚れない事だ」
「自惚れ───」
予想していなかった正虎の追撃に、遂に零は口を噤まされる。───そうして再び訪れた長い静寂を、正虎の少し落ち着いた声が破った。
「それに───」
ハァ、と息をついた正虎が固まった首を捻って零の方を顔ごとに向ける。
「それに───?」
「俺がここに居るのは俺自身が介錯を出来なかったからだ。───自惚れたお前のことだ。その為にわざわざ来たんだろう」
零よりも3倍近くの物を長く見てきた彼を以て、零の浅はかな思慮などはとうに見透かされていた。自らそのものも騙そうと躍起になっている彼の足掻きも、畢竟は無意味なものだったのか。
「───そうだ。俺に何か出来るんじゃないかって思っちまったんだよ」
すっかり泣き言しか吐けなくなった零を見て、正虎は何処か屈託のないように
「お前、本気で永音をどうにかしようって思ってるのか」
と問うた。その声に先までの突っ放すような冷たさは感じられない。
「解らない、だが、出来ることがあるならって思うし、あって欲しい───隊長だけじゃない、洲や喜鴉姉、アンタにも」
今まさにそうであるように、零の自意識は洲や正虎といった存在を前にして簡単に崩れ去る。脆弱な殻をまとった利己的な善意だ───零はつくづくそう感じて自分が厭になるような気を患った。
嗚呼、また、だ。そんな自分本位の善意で何が出来ると言うのか。かつて隊長の言ったとおりではないか。
───
「話を聞いてやろう、あわよくば───、なんて青臭い考えで首を突っ込んで欲しくもないし、分かったつもりになっても欲しくないから。それに、半人前にもなれない君が誰かの為になれるとでも思ってるの?」
───。
彼女の声が静寂の中で水面に拡がる波のように、あるいは、その時の彼女の顔が、その水面に歪んで反射する光景のように、蘇る。
だが。
「ハハハ。まるで誰かにそっくりだ」
そう言って正虎は笑い、
「好いだろう。こんな所で話すには丁度いい話がある」
と続けた。水面は水しぶきを上げて瓦解し、零の意識から姿を消す。
「何だ」
正虎の明るい声と対照的に、いよいよ零は自嘲的になってしまっている。
「まあそう自棄になるな。真面目な話だ。お前にも関係のある事だろう。永音を本気でどうこうしたいと思ってるんならな」
見定めるような強い眼光、零はそれに強い圧力を感じた。
「隊長の事か───?何を知ってるんだ」
その圧力へと拮抗するように檻に喰らいつく零。それこそが、零が理性では否定し始めてしまっている、彼女への意識ではないだろうか。
「逸るんじゃない、物事には順序ってものがある。───まずは龍治の話からだ」
「有瀬龍治───」
───零は思い出した。忘れていてはならない。有瀬永音を見据えるがあまりに大局から目を逸らしていた。隊長だけではない。喜鴉姉や正虎さん、洲、彼ら全てが抱える、有瀬龍治という自身の知らざる存在を。
正虎はつとめて潔く、有瀬龍治の記憶をなぞり始める。
「そう、龍治だ。あいつが全ての始まりなのさ───」