超次元ゲイムネプテューヌZ-血と硝煙と鋼と荒唐無稽- 作:アメリカ兎
──シーシャがロムとラムを連れてエヌラスの部屋から出ていくと、ブランは真新しい室内を見渡していた。やがて、調合書にかじりつく姿を見てから袖を引く。
「エヌラス、ちょっといいかしら……」
「ん?」
「よい、しょ」
膝の上に座り込んだかと思うと、それっきり。背中を預けてくるブランを片手で支えながら、エヌラスは調合書のページを捲る。
魂を擦り減らしながら、此処まで来た。ボロボロになった手を両手で抱き締めながら、ブランは顔を見上げる。この人はこんなにも弱く見えただろうか、と疑問を一緒に手にして。
やつれたようにも見える。満足に眠ってもいないのだろう、目の下のクマが酷い。だというのに大魔導師と来たら、遠慮なく激務を押しつけている。
「少しくらい、休んだらいいのに」
「……気を抜くと、二度と起きれなくなる気がしてならねぇ」
「大丈夫よ。ちゃんと起こすから」
「多分、ぶん殴られても起きねぇよ」
手を取り、自分の頬に当ててブランは寒気がした。末端が冷たい。血の巡りが悪くなっている。死人に一歩、また一歩確実に近づいているのが手に取るようにわかってしまった。
限界だ──もう、この人は戦える身体じゃない。生きているのが、動けるのが不思議なほどだ。
「エヌラス、あなた……!?」
「……何も言うな」
「こんな身体で、まだ戦うつもり?」
「…………」
何も言わず、エヌラスはブランの身体を抱き寄せる。まだ動く。
「お前たちが自分の国を取り返すまで、付き合うさ」
「……」
不甲斐ないと思った。ハンターとして活動しているうちにシェアを僅かではあるが取り戻しつつあるが、それでは間に合わない。この人の最期に、間に合わないとブランは確信した。
「ラステイションは、ノワールは大丈夫だったの?」
「あいつなら大丈夫だよ。だからこっちに来たんだ」
「そう……なら、いいのだけれど」
大魔導師はエヌラスの容態を知っていて激務を押しつけているのだろうか。そう考えると無性に腹が立った。どこまで人の心がないのか。
ただそばにいるだけで、それだけで十分だった。明日にも、今日にでもきっとまたふらりと何処かに消えてしまう気がしてならない。少しでも引き止めていたかった。
静かに積もる雪のように、ブランはただ静かにエヌラスの腕を抱きしめる。
──ルウィーの温泉街に近づく影があった。
一人は、マジェコンヌ。そして、もう一匹は魔人だった。大魔導師を苦戦せしめたという件のモンスターの姿を見て、ハンター達がざわつく。
「おい、大魔導師はいるか!」
そして率いるはアズナ=ルブの私兵達。元はルウィーの兵隊だったのだが、全て反女神派の台頭である相手に心変わりしている。その心境の変化もまた、猛争エネルギーが起因していることは大魔導師も把握していた。
暖簾をくぐりながら、呑気にもフルーツ牛乳片手に大魔導師がいつも通りの無表情でマジェコンヌの顔を見るなり一気飲みする。空の瓶を回収に来たネコルーに手渡していた。報酬のマタタビも忘れない。
「なんだ、お前か」
「ふん。相変わらずのんきそうに構えているが今回ばかりはそうもいくまい。その首をもらいに来たぞ!」
マジェコンヌが張り上げる声に、ミナも顔を見せた。
「貰いにきたもなにも、くれてやるなど一言も言っていないのだが」
「いちいち揚げ足を取るな! コイツに手も足も出なかった分際で」
マジェコンヌが引き連れている魔人は、人の姿をしていない。もはや獣だ。だが、混ぜこぜになっている醜悪な姿は忘れもしない。
ヌルズが用意した魔人は、あらゆる次元世界から寄せ集めたキメラだった。その副産物として強靭な肉体のみならず、魔力を無効化するという能力までもが付いてきている。これほどの天敵、そうはいない。マジェコンヌの忠実な下僕としてルウィーを苦しませていた。
ミナも一度はそれを前にして撤退を余儀なくされた、だからこそ秘境にまで足を運ばされたというのに。大魔導師は顎に手を当てて一度だけ唸った。
「ふむ、一理ある」
その言葉を、自らの敗北を認めたものだとマジェコンヌは認識して高笑いをあげる。
「ハーッハッハッハ! 聞いたか、この男は手も足も出なかったことを認めたぞ!? 何がルウィー温泉街安全宣言だ!」
「大魔導師、どうするんですか」
「どうもこうも、どうもしないが?」
「だったら貴様はさっさと降伏しろ! さもなければコイツを仕掛けるぞ!」
「お前はいちいちやかましいやつだな、マジェコンヌ。私はそれどころではないんだ。調合師の爺さんが腰をやってしまったらしくて急用ができた。これではハンターの皆さんの狩りに支障をきたす。そうなるとどうなると思う? 温泉街の売上が下がる。それは私が困る。よって今はお前の相手をしている暇がない」
「──やれ」
マジェコンヌの一声に、魔人が吠える。口腔から放たれる火球が温泉街の看板を破壊して大魔導師の頭上に落下してきた。それを片手で、それも指先一つで防ぐと静かに地面に下ろす。
「貴様も知っての通り、コイツに魔術は通用しない。観念するがいい」
「要求はなんだ」
「知れたことだ。守護女神を差し出せ。そうすれば命ばかりは見逃してやる」
「断る」
「なに?」
「私は貴様の要求を聞いただけだ。だからそれを聞いた上で断る、と言ったんだ。聞こえなかったか? 歳は取りたくないものだ」
「──貴様、ふざけているのか?」
「大真面目だ。そしてお前は何か勘違いをしているようだが──別に私は、そこの魔人に手も足も出なかったわけではない」
息を荒げる魔人に、大魔導師は含み笑いを見せながら腕を組んでみせた。
「ただ、ほんの少しばかり興味があった。どれほどの性能か。それだけだ。だから手も足も出さなかっただけだ」
「はんっ。とんだ負け惜しみだな」
「──
マジェコンヌはそれこそ負け犬の遠吠えと一笑に付す。
「いけ」
そして、魔人をけしかけようとするが異変に気がついた。火球を吐き出しただけで、息を荒げてみせる魔人の様子がおかしい。まるで高山病のように、何度も浅い呼吸を繰り返していた。
「おい、どうした! その程度ではあるまい!?」
並み居るハンター達を蹴散らし、ルウィーの教祖ですら追い込み、果ては大魔導師すら苦戦させた魔人が、その場から動かない。これはどうしたことかとマジェコンヌがその場から動かずに涼しい顔を見せる大魔導師を睨みつけた。
「貴様、何をした!?」
「火球を吐いたな。体内に燃焼器官が存在している、ということは把握済みだ。そしてこのルウィーの気温を鑑みた上で、白い息を吐き出すということは呼吸をしているということだ。もっとも、呼吸をしない陸生動物はそう居ないわけだが」
「こいつに魔術は通用せんはずだぞ!」
「ああ、魔人にはな。だがそいつが触れているものは、そうではあるまい?」
ガフッ、ヒュゴッ──とうとう満足に呼吸が出来ずにいるのが限界に達しつつあるのか、足元がおぼつかない様子で魔人がふらついている。
「呼吸器官の周囲の空間を、固定しているだけだ。お前、土の上で窒息した生物を見たことがないのか? どれだけ呼吸をしようと無駄なことだ。ここにいる私を殺さん限り満足に息すらできんぞクソ魔人」
「チッ──! やれ!」
マジェコンヌの声に応え、そして魔人もまたそれを理解したのか大魔導師目掛けて駆け出す。
巨大な肉食獣が迫る、身の危険を感じたハンター達が逃げ惑うものの、大魔導師だけは腕を組んだまま目を細めていた。
駆け出していた魔人の前脚が、地面に沈み込む。それは沼地のように、関節が飲み込まれてしまえば、もはや身動きすらできなくなっていた。固まっていないコンクリートに全体重を預けているようなものだ。
「地に足をつけている以上は逃れられないわけだ。さて、お前はどうしてくれる? 私は、かまっていられるほど暇ではない」
涼しい顔で、恐ろしく感情の読み取れない声で。大魔導師は地面の上でもがく魔人に歩み寄る。ゆっくりと、さも散歩でもするかのような気楽さを感じさせながら、それがかえって恐ろしい。
「魔法無効化。それがどうした。そんなもの対策済みだ。なにせ天敵だからな? だからどう対処すべきかなど私は把握済みだ。例えば、このまま窒息させてもいい。例えば、体内の空気を膨張させて内側から破裂させてやってもいい。例えば、壊死させてやってもいい。例えば、そう、仮定の話など挙げればキリがない。私はどれでもいいぞ?」
呼吸ができず、舌をだらしなく出しながら息も絶え絶えになっている魔人に、手が届くほど近づいた大魔導師がその醜悪な顔を撫でる。頭に触れて、やがて鷲掴みにするとそのまま自分の身体に重力結界を展開した。人体のプレス機械に、魔人の頭部が軋んだ音を立てた。
「言ってみろ──
それは、大魔導師から唯一の慈悲とも言える言葉だった。笑みを湛えて、歩き出しながらマジェコンヌへ一歩一歩、まるで地面を踏み鳴らすように近づく。魔人の頭部を掴んだまま。抱えるほどもある太い首が逆へと折れ曲がっていくが、それに抵抗しようにも手も足も地面に埋没している。呼吸すら出来ないまま、魔人の身体は曲げられていく。恐ろしくゆっくりと、確実に。痛みだけが全身を苛んでくる。だが声も上げられない、出したところで真空状態では声も伝わらない。
最初、マジェコンヌはそれが自分に向けられている言葉だとは欠片も思わなかった。そもそもそれが大魔導師の口から出ている言葉だと考えられなかった。
「──、貴様はなんだ? 一体……なんなんだ!?」
「言ったはずだな。アズナ=ルブの私兵。私の温泉街に一歩でも踏み入れば、教会ごと消し潰すと宣言したはずだが……そうか、つまりは貴様ら全員それを所望しているわけか。ああ、構わんぞ。それが望みというなら叶えようではないか。そのうえで、もう一度だけ聞こう」
今度は、柔らかな微笑みを浮かべて。声色もまるで子供に聞かせるような温もりすら感じさせながら──。
「お前らは、どう死にたいのか言ってみろ。それが私にできる唯一の慈悲というものだ」
魔人の首を折り、笑みを浮かべたまま破裂させた。おびただしい血液を撒き散らし、肉片を散らかしながら、大魔導師は絶対零度の殺意を投げる。もはや、戦意と呼べるものをその状況において維持できた兵士はいなかった。ただ、恐ろしい。醜悪な獣よりも、邪神の仲間となったマジェコンヌよりも、何よりもただ、返り血に濡れた黄金の怪物が──。
「選ぶが良い。降伏か、消滅か。抵抗するというのなら私は止めんぞ? 個人の意思は尊重されて然るべきだ。お前たちがこちら側に来るというのなら私は快く歓迎しよう。人手が多いことに越したことはない──二度は言わん」
その場にいた兵士達は迷わず武器を捨てて投降した。マジェコンヌだけは、指を鳴らして黒い渦を呼び出すとその場から姿を消そうとするが、大魔導師の動きは早かった。
黄金の弓矢をつがえて、すでに矢を放っている。黒い渦の中に呑まれて消え失せると、静寂が温泉街に流れていた。
大魔導師が指を鳴らす。温泉宿のあちこちからネコルーの群れが飛び出してきた。
「看板の修理と掃除を頼む」
『にゃー』
素早く指示通りに動き出したネコルーの群れを見てから頷いて、温泉街に振り返る。それだけでハンター達が身をすくめた。
自分の格好を見下ろしてから、小さく肩をすくめる。
「興冷めを通り越して湯冷めした。風呂に入り直すとしよう」
「大魔導師……あなた、自分の国でもそんな調子なんですか?」
「それがどうかしたか?」
犯罪国家九龍アマルガムを束ねていられる理由が今、わかった。歩く超常災害。何者にも制御不可能な怪物でもなければ、国王を務められない。だからこそ、その真意を計りかねる。
それだけの怪物が、何故絶望してしまったのだろうかと──そして、それを託されたもうひとりの怪物は何のために用意されたのか。
ミナからの不信な視線を感じながらも、大魔導師は手短な温泉宿の暖簾をくぐっていた。
「敵でなくて本当によかった……」
心底、そう思う。