超次元ゲイムネプテューヌZ-血と硝煙と鋼と荒唐無稽- 作:アメリカ兎
――目を覚まし、エヌラスは自分の身体の調子を確かめる。右腕の不調も外見だけはどうにもならなかったようだが、それでも動かせる程度には快復していた。
隣で幸せそうな顔をして眠りこけているマリーは、寝ているうちに下着がはだけてしまったのかもはや下着の役割を果たしていない。
「……むにゃ」
「…………」
自分の隣でこうしていつも無防備な姿を見せて眠っているのを見ると、どうしても昔に戻ったような感覚に陥る。しかし自分の隣には一人だけ足りなかった。
もう、会えることはない。自分が死に至らない限り。
それまでは、まだ。
まだ、この身体が動く限り最後まで足掻き続ける。
寝室の扉がノックされ、間もなく顔を覗かせたのは教会メイド。
「お休みのところ失礼いたします、エヌラス様。マリー様も」
「ああ……」
「お召し物をこちらでご用意させていただきました。どうぞ」
「……大魔導師の差し金か?」
「ええ。その姿のままでは、不便かとお気遣いを」
「天変地異の前触れかなにかか?」
あの大魔導師が、気まぐれであっても他人を気遣うとか世界の終わりは近いらしい。とはいえ今の姿では不便なのも確か。
どんなものを用意してくれたのかと受け取ると、それは拘束具のような片袖だった。右腕だけをすっぽりと覆うようなレザーボレロに袖を通してみる。
指先まで覆い隠して、左肩と脇下を通したホックで固定。腕全体を締めつけるフィット感に、表面を魔術回路が駆け巡る。
右腕にだけ集中していた回路の調整器具としても兼ねていたのか、これまで過負荷を掛けていた腕の過敏な魔術回路が落ち着いていくのがわかる。
「お加減の方は如何でしょうか?」
「……気持ち悪いくらい調子が良いな」
「流石は、ですね」
「本当。あの人はどれだけこんな物持ってんだか」
大魔導師の保管庫は挙げればキリがない。エヌラスは何度か忍び込んだこともあるが、毎回その場所が違うし品目も変わっている。不法侵入を怒られたことはないが、何度か死にかけた。
「……戦線に復帰をなされますか?」
「当たり前のことを聞くな」
「そうですか。エヌラス様が教会にいらっしゃる間は、どこか此処も明るいので」
「どこ行っても薄暗くて血生臭い廊下、なんとかならねぇのか」
「難しい話ですね。教会を大改装でもしない限り」
「一から作り直せ」
「それなら貴方が国王になった方が早いです」
きっぱりと正面から言い返されて、帯刀メイドは会釈して退室する。――愛想がないのは、人形らしいが、その実感情表現が下手なだけのツンデレだった。
「……ん~……、むぅ~……」
寝息に振り返れば、マリーが寒そうに毛布にくるまっている。
ベッドに腰を下ろして、左手で頭を撫でればまるで猫のように擦り寄せてきていた。
また、此処に置いていくことしかできない。だが連れ出したとして、どこに身を寄せるか。
ラステイションに建てた魔術工房、そこで二人静かに暮らす未来も考えた。だが、守護女神を敵に回し、ノワールと喧嘩別れをした形で離れた国だ。スピカとカルネは無事だろうか。あの二人のことだ。上手く立ち回ってくれているだろう。
頭を撫でて、金の髪を指に絡ませて整える。すると、マリーが薄っすらを目を開けた。
「……おはよぉ」
「ああ、おはようマリー。相変わらず寝起きは弱いな」
「……んぅー、ねむい……」
身体をぐーっと伸ばして、顔を見つめてくる。頬を赤らめながら、はにかむ。
「エヌラス。もうお出かけ?」
「悪いな」
「元気になった?」
「それなりに。マリー、また留守番頼めるか?」
「はーい。私はいい子に待ってるね」
エヌラスが腰を上げてベッドから離れようとするが、腰に手を回してしがみついてきた。普段と変わらない調子のマリーだが、なにか違和感のような物を覚えたのだろう。
「どうした?」
「……んー。なんか、やな感じがするから」
「気のせいだろ」
「…………そうかな。だといいけど。なんかね、今日は一緒にいたい気分」
「いーいーこーにー、お留守番だ」
「いふぁいよー?」
頬を軽く引っ張ってから、エヌラスは服を着替える。
新調されたハウンドスーツに、もう一着。余計な外套も添えられていた。
それは、以前から愛用していた黒いロングコート。
サイバネティクスコート――人体工学に加えて、人形力学、耐寒耐熱防刃と、様々な防御機能を兼ね備えている逸品だ。ひと手間かけた物を大分昔から愛着していた。
地下帝国というだけあって、闇夜に紛れるには重宝する。性能そのものも申し分ない。だが、それでも邪神狩りの最中で摩耗し切っていた。何着遣い潰したかなんて覚えていない。何なら大魔導師と正面衝突した際にはボロ雑巾と化している。
「じゃ、行ってくる」
「……いってらっしゃーい」
いつもより少しだけ元気のない見送りの言葉。マリーの頬に、元気づけるようなキスをしてからエヌラスは部屋を後にする。一瞬、鏡に映った自分の顔を見た。
壊れて、人の形ですらなくなった左目。それでも視界に不備はない。顔を隠しておきたいところだがそんな便利な物は持ち歩いていなかった。眼帯は嫌だし、仮面は以ての外。
教会の廊下を歩いていると、今日は随分と空間の歪みが酷い。大魔導師がまた何かやっているのだろう。ただ、こういう時は大概ろくでもないことになる。どうせ自分でも把握し切れていない倉庫をひっくり返して何か探してるのだろう。
触らぬ神に何とやら。エヌラスは何も言わずに教会を出ていった。
大魔導師と話すことなど、いくらでもある。だが、それでも――今はただ、話す気分にはなれなかった。
どれだけの力があろうとも。どれほどの魔術を修めようとも。
人の心を喪った死人に、何を言おうと無駄だ。
今、自分の中にある感情を口にしても心が揺れ動くことなどないのだろう。
「……」
せめてなにか、一言。気晴らし程度に口に出そうかとも考えたが、別れの言葉しか思い浮かばなかった。
死んだように生きている相手に道連れにされるのは、もう御免だ。そのせいで、どれだけ大切なものを奪われ続けてきたのか。大魔導師は知らないだろう。解らないだろう。
たった一人、たったひとつの命を奪われた。友達を見捨てられて、他でもないただ一人の恩師から救われた。それでも、自分からあまりに多くのものを奪いすぎた。
…………、もう。これ以上。
自分から何も奪わないでくれと、願う。
大切なひとを預けるから――今度は、絶対に守ってくれ。
何も言わず、エヌラスは廃病棟の正面玄関から音を立てずに街へ出て歩く。相変わらず、陰鬱な空気で、鬱蒼としていて、気が滅入るほどの瘴気に満ちた国だ。
教会前から、細い路地を抜ける。大通りは人々の喧騒に満ちており、どこもかしこも道路工事の看板が出ていた。
思えば、ろくな思い出がない。覚えていない、というのが正しいか。
微かに覚えているのは……、とある交差点の角に建っていたブティック。ガラス張りの中、展示されている赤いワンピースを見て、不意に――妹の姿を幻視する。
真っ赤な髪で。真っ赤な瞳で。真っ赤な頬で、笑顔を見せてくれた。
――兄様、兄様。このワンピース、私の色にそっくり! とても素敵な色をしてるの! 私これが欲しいわ!
出かける時も、眠る時も。ずっとその赤い服を着ていた。汚れても、破れても。何度も縫って直して、ずっと。一生の宝物のように。――人形工学の一環で、自分でも服を繕えるようにと勉強したのは、そんな妹の笑顔があったからだ。
「……――――」
本当に、懐かしい。もう忘れたものだと思っていたが、案外覚えているものだ。
「…………、走馬灯じゃあるまいし」
ぽつりと呟き、エヌラスが人のまばらな通りに足を向ける。その隣に、自然と並ぶような形で歩調を合わせてきた相手の顔を盗み見た。
銀の髪。赤い瞳。きちっと着こなしたスーツ姿は、まるでビジネスマンだ。しかし、彼にとってはそれは仕事着であり、同時に私服でもある。戦闘服でも。
「――顔を見るのは、随分と久しい」
「…………ああ。そうだな、クロックサイコ。“生”のテメェの顔見るのはな」
「毛嫌いされていることは思い出したが、これでも勇気を出して君の前に出てきたんだ。話だけでも聞いてくれないだろうか?」
「先を急いでる。歩きながらでいいならな」
神格剥奪者、クロックサイコ。今となっては、もう以前のような狂気の道化の面影が見られないほどに落ち着いている。それが、エヌラスにとってはかえって不愉快極まりなかった。