超次元ゲイムネプテューヌZ-血と硝煙と鋼と荒唐無稽- 作:アメリカ兎
ユノスダスを出てからドラグレイスは一人、街道を歩いていた。
――次元演算。
その言葉を反芻する。
魔術を嗜んだ身分であるからか、それが途方も無い大魔術であることは分かる。
月面の吸血姫。ムルフェストは元々魔術に通じていた。しかし、その全貌を明かしたことはこれまでの戦いの中でただの一度もない。
いや、正確には
全力を出すに足るほどの実力を有していなかった、という現実に打ちのめされそうになる。
ただの一度も。
――大魔導師すらも、自分を全力で相手したことなどない。
琴霧ソラも。アルシュベイトも。――エヌラスも。
どうして自分が神格者として選定されたのか。
神に願ったものは日々の安寧。変わらぬ毎日があれば、それで良かった。
――四方を山に囲まれた、小さな村。ヒナグラシへと戻ってきたドラグレイスを迎えたのは、村で過ごす僅かな人々だった。
守護女神が生まれるはずだった土地……しかし、そうはならなかった。だからこそ、神に見放された場所として、近づく者はいない。
閉塞感のある村だが、ドラグレイスは此処が故郷だ。それを疎ましく思ったことはない。
茜空に染まった空を見上げて、ポツポツと建てられた民家。
そして、麓の鳥居から山頂に向けて続く石段に足をかける。
女神。女神――、その言葉を自分の胸中で繰り返した。
思い出すのは、かつての遠い記憶。刃を交え、塔争の佳境にて争った別次元の守護女神達。
守護女神。本来であれば、彼の地を救うはずであった存在だ。
――なぜ見放されたのか。なぜ女神が生まれなかったのか。なぜ、見捨てたのか。
救う価値などないと、そう言われた気がした。
世界が我々を見捨てると言うのなら、こちらから御免だ。
こんな世界の命運を左右する戦いになど、命を懸けるつもりは毛頭ない。
石段を登り続けること、十数分。
ヒナグラシ教会――とはいえ、この小さな村では大きな城など建てられるはずもなく小さな神社が精一杯だった。これが、此処でできる誠意の証。
そうして、辛うじて僅かな信仰で存命している。
果たして彼女は女神なのかどうか。
アゴウの剣姫のように絶大な信仰を有しているわけではない。だからこそ、信仰を失うことは存在の消滅を意味している。
誰かが信じなければ命が失われてしまう。
最早、誰もその女神を――守護女神を、守ろうとはしなかった。
呪われた土地神とさえ罵られても、彼女は誰も恨まなかった。
「…………」
だからこそ、ドラグレイスは憎まなかった。恨まなかった。怒らなかった。
真に憎むべきは、自分たちを救う力を持たない女神ではなく――この無力な土地神をこそ生み出した、この次元世界だ。
この子を救う奇跡がこの世界にないのなら、他の次元世界に求めるしかない。だからこそ、あの時――次元連結装置の開発に助力した。
辛うじて彼女を土地神として存命させるための結界がある鳥居をくぐり、ドラグレイスはその小さな神社にたどり着く。
縁側に腰を下ろした着物姿の幼い少女が気配に気づき、顔を上げた。
「おかえりなさい」
「……ああ。今、戻った」
「また買ってきてくれたのですか?」
「そろそろ切らすと思ってな」
毎日のように茶を嗜んでいるだけに、商業国家にこうして定期的に足を運んで茶葉を仕入れている。交通の不便さを理由に外部へわざわざ買い出しにはいかない。
普段の食事ならば、村の中で事足りている。
「上がるぞ」
「はい」
「夕飯は済ませたのか」
「いえ。来るとわかってたので」
「…………」
つまり、まだ夕飯の支度もしていないということ。
この小さな神社の境内が、土地神の出歩ける範囲だ。鳥居の外には出られない。
窮屈な思いをさせてしまっている。
ドラグレイスは、教会職員としての職務を全うとしているだけのことだ。
ヒナグラシでも変わり者として扱われている。誰も救えない神に捧げる信仰も時間も、村の人々は持ち合わせていない。
神に見捨てられたからこそ、神を見放した。そんな自分勝手で身勝手な村の人々の行いを、ドラグレイスは当然の行為と見なした。なぜならば、不思議と身に覚えがある。
全てを思い出した今となっては当然のこと。
信仰を失ったとはいえ、それでも人々は奉納品として村の食材を届けていた。
それだけは村の皆で取り決めたことだから。だがそれだけ。ただの習慣。だからこそ、一言も会話を交わしたことはない。
運ばれてくる食材に感謝をして、立ち去る人々の背中を見送る。
――食卓に並べられた料理を見て、土地神が感謝していた。
いつもの夕飯。いつもの食事、いつもの光景。変わらない日々。それだけがドラグレイスの望みであった。
「……美味いか?」
「はい。いつもの味です」
「そうか」
良し悪しではなく、ただ食事が振る舞われることが嬉しいのか、いつも笑っている。
「ここに、俺以外の誰かが来たか?」
「いえ。食材を運んだ人以外は誰も」
「そうか」
土地神の少女はここから出られない。
それを可哀相だと思ったことはない。今となっては、それがささやかな幸福だと思っている。
知らぬが仏とはよく言うものだ。知ることばかりが幸福ではない。
だからせめて、土地神がこのまま外の世界を知らないままに生き続けることを願う。
「……外の世界の話を、聞きたいと思わないのか」
つい、口をついて出てしまった言葉に。
土地神の少女が目を丸くしていた。
「なぜ?」
「窮屈な思いをさせている。だからせめて、気を紛らわせることは出来ないかと」
「いいえ。大丈夫です。貴方はいつも、外から戻ってくると嬉しそうな顔をするので」
「……俺が?」
自覚などなかっただけに、驚く。
「なら私は、それだけで満足しています。そうして、笑顔を見せてくれるだけで」
誰にも、土地神へ笑顔を向ける人はいない。
「……外の世界など、楽しいものではない」
「どうしてです?」
「此処にはないものがありふれているようで、なにもないからだ」
「でも、嬉しいはずです。貴方はそういう人だから。ありふれているものがあること、それが貴方にとって幸せなのでしょう」
「……」
「不変であること。誰かにとって、それが当然であること。――それが、誰かに与えられないことが許せない人。だから、世界の全てが憎くて仕方ない」
変わらぬ日々が変わることが、許せない。
いつもの場所に、いつもの顔がいる。それだけでいいのに、それが奪われることが許せない。
例えそれが、神の定めた運命であったとしても。
夕飯を終えてから、ドラグレイスは身の回りの世話が済むまで神社に残っていた。
すっかり日は暮れて、夜が来る。
布団を敷いて、星の輝く夜空を見上げた。
星空。――喫茶店『Starry Sky』は、琴霧ソラの考えた店名だ。
青空が好きだった男が、なぜ店の名前を星空にしたのか。
夜は怖いものだ。だからこの喫茶店は、そんな夜の怖さを和らげるように人々を照らす場所でありたい。そう願って、店の名前を決めたのだという。
なにもない。だからこそ、澄んだ空気で星が一層綺麗に輝いて見える。
――空に流れる星を見てドラグレイスは目を背けた。
流星に願うことなど何もない。
「……」
ああ、そうか。
叶わぬと知り、それでも抗い続けることにすら疲れていた。もはや、あの男と同じように全てを諦めてしまったのか。
黄金の獣と、大魔導師と呼ばれるあの男は常にこんな心地だったのか。
これを地獄と呼ばずになんと呼ぶのか。まるで泥沼の中で呼吸をしているように、何もかもが苦しいだけだ。
生きていることすら煩わしいとさえ感じる。だが、死を選ぶつもりもない。そうすれば楽になると知っているのに。次が無いのなら、永劫の安らぎが得られるはずだ。
――ならばなぜ、まだ抗おうとする意思が自分の中にあるのだろう。
「……ドラグレイス?」
「……なにか?」
「星を睨んで、どうしました?」
「…………いいや。何も」
自分に何ができる。
神格を失い、かつての力を失い、記憶を取り戻し――何ができるのかを考える。
かつてあれほどにまで焦がれた理想郷、ティル・ナ・ノーグに対する思いは何も浮かばない。
同じように星空を見上げた土地神の少女が手を合わせる。
そこに何もなくとも、祈りを捧ぐ。
「変わらぬ日々が、訪れますように――」
その祝詞は、誰かに向けたものでもない。だが、ドラグレイスだけは聞いていた。
土地神の少女の願いがそこにはあった。
だからこそ、それを叶えることが自分の果たすべき役目だ。
「……そうだな」
「え?」
「こうして変わらぬ日々を送れることが、幸せなんだろうな――俺にとっては」
だからこそ、誰にとってもこの幸福は訪れるべきであり。
この幸福は、神であっても奪うべきではないのだ。
「ヤシロ」
「ほえ?」
「しばらく、暇をいただくぞ」
名前を呼ばれて、キョトンとした表情を見せる土地神の少女を尻目にドラグレイスは村を後にする。その背中を見つめて、ただ一人の信徒を送り出す土地神、ヤシロは静かに戸を閉めた。
次はいつ、会いに来てくれるだろうかと思いながら。
嬉しそうな顔を瞼の裏に思い浮かべて、床についた。