超次元ゲイムネプテューヌZ-血と硝煙と鋼と荒唐無稽- 作:アメリカ兎
「……ぅ……んん……」
気を失い、倒れていたネプギアが目を覚ます。何か、自分の身にとても恐ろしい事が起きたような気がして――道化師の仮面を思い出した。背筋が凍るような恐怖だった。周囲を見渡して、そこがどこか退廃した部屋であることを把握すると、どうやら自分は拉致されたらしい。薄暗くて中の様子はよく分からないが、ひどく冷えた空気に身体を抱いて壁際に寄せた。
壁にある落書きの紋様はデタラメで、一目見ればよからぬ輩が描いたものだと分かるが……ネプギアは眉を寄せた。何度も書き直して書き加えて書き続けて、それが何度も重ね書きされて埋め尽くすような取り留めのない絵画になっている。それを解読しようと太ももからNギアを取り出し、画面の『通信不可』という表示に落胆した。だが画面の明かりで壁を照らすと――
タスケテ
「――――」
シニタクナイ。タスケテ。ヤメテ。
懇願。悲願。赤い文字。赤黒い文字は擦り切れている。
これは、なんだろう――何を意味している文字なのだろう。文字、なのだろうか。そもそもなんでこんなにラクガキがたくさんあるのだろう。
「……え」
わけもなく手が震えた。これは、駄目だ――見てはいけないモノだ――Nギアを戻そうとして、手から抜け落ちた。歯の根が合わず、風邪を引いているわけでもないのに背筋が寒い。拾い上げようとしたNギアで照らされた床が、蠢いていた。肉色の、肉……? ピンクと赤と綺麗な色をして時折脈打っている。
「ヒッ――――――!?」
喉の奥からこみ上げる嘔吐感を手で抑えこむ。此処は、何処だろう。此処は何だろう。
一体自分は、何処に連れて来られたのだろう。ネプギアは胸を押さえて呼吸を整える。涙と嗚咽を漏らし、必死に恐怖を拭う。
「お姉ちゃん……!」
姉の凛々しい姿を思い出す。女神化して敵を倒す姿、手を差し伸べる姿。何度も世界の危機を救い、困難に立ち向かってきた姿――それに少しだけ勇気をもらって、ネプギアは涙を拭うとNギアを拾って改めて足元を照らす。生唾を飲み込み、その脈動する肉の床に触れた。粘液が手について不快感しか残らない。
「うえぇぇ……触らなきゃよかったなぁ……」
壁に塗りつけて汚れを落とす。
部屋を照らすと、真っ赤な汚ればかりが目立つ。一度深呼吸をしてから歩き出した。寂れた室内はドアが壊れており、そのまま廊下に出ると奥まで暗闇と沈黙が続いている。まるで肝試しに来たような気分だ。事態はそれ以上に深刻だが、そう楽観的に捉えなければ心が悲鳴に耐えられそうにない。
濃密な魔力の気配と瘴気で気分が悪くなってきたネプギアが袖で口元を覆う。時折足元の不快な感触に眉を寄せて顔をしかめながらも、足元を照らして一歩一歩廊下を進んでいた。ふと、そこで階段を見つける。上に行くか、それとも下か。今自分がいる場所が何階なのかもわからない。階層を示す表記も見当たらない。だが、その静寂の中で風が吹いた――隙間風なのかもしれない。亀裂の入った壁の中でネズミが走り回っている。割れた窓から外の様子を伺っても暗闇ばかりが広がっていた。
風に乗って聞こえてきたのは、賛美歌。荘厳な音楽に混じり、人の声が聞こえてきた。まるで儀式のように、祝うように、呪いのように奏でられる歌。ネプギアはそれに導かれるように階段を降りていく。
“……あれ”
ネプギアの足がふと、止まった。
クロックサイコに連れて来られた場所、だと思う。それなのになぜ「狂気の魔人が連れてきた場所」の「人がいる方向」へ向かっているのだろうか――不思議なことに、足は再び歩き出す。
行ってはいけない。そんな本能からの警告。
ネプギアはそれに従う事ができなかった――そして、目にしてしまった。
邪神を崇拝する儀式の大広間。
荘厳な協奏曲を狂ったように奏でる伴奏者は、人ではなかった。いや、かつては人であったのだろうか。それとも人ではなくなってしまったのだろう。それは“頭蓋を開けられて”“脳をさらけ出しながら”パイプオルガンを奏でている。狂ったように身体を揺らしてリズムを執りながら、デタラメに指揮棒を振るう指揮者もまた、人ではなく、魔物だった。全身を黒い炎に焼かれながら、苦しみ悶えて苦痛と共に歓喜の声を上げて。
「アァァァァ、イ……アァァァァ、ィ」
呻きながらタクトを振り、デタラメな軌道で魔法陣を描く。それによって生まれる瘴気と魔力の流れに世界が歪み、侵されていく。その壇上から下に目線を向ければ無数の信徒が肉欲に身を任せて互いに犯し、貪るように奇妙な香の煙が漂う中で食らいあっていた。淫靡な水音を響かせながら女が大勢の男に囲まれ、その全身を白く染め上げていく。
ただ、ただただ呆然とその光景に目を奪われ、魂を奪われ、しばし立ち竦み、その中の一人。全裸の男性と目が合ってしまった。
逃げなければと本能的に身体が動き、その背中が壁にぶつかる。
「やぁ☆」
「――――ぁ……」
「うんうん、一人は寂しいネ。じゃー、カウントダウンを始めよっか」
言葉を失う。喉の奥からひゅうひゅうと吐息が漏れた。狂気の魔人を前にして、ネプギアは自身が女神候補生であるということを完全に忘れる。一人の少女が今、邪神崇拝の儀式の贄のひとりとして捕らえられそうになるその瞬間に――“猟犬”ティンダロスは異常な角度から信徒の腕を噛みちぎった。男が絶叫し、激痛に身を転がすとネプギアに視線が集中する。だが、今はそれを阻むように鋼鉄の魔獣が立ちはだかり、唸り声を上げた。腰を抜かした少女の肩に手を置いてクロックサイコは優しく告げる。
「――彼には“正しく怒って”もらわないと困るんだヨ」
「……それって、どういう」
「彼には“正しい憎しみ”を抱いて貰わなきゃ、ネ」
「どうして……」
「だから、キミが適任だったのサ。まだ彼に抱いてもらってないんだろう? そういう弱いコが彼は大の大好きだから、死に物狂いで助けに来てくれる」
何故か、その時だけは狂気の魔人の言葉に嘘偽りがないものだと信じることが出来た。どうしてか分からない。だが、その時だけはクロックサイコは狂ってなどいなかった。壊れた懐中時計を見て、大げさに驚いてみせる。
いあ……いあ……ふたぐん。
ずあ、うぃあ……。
ふんぐるい……むぐる……うなふ……。
いあ……ずあ、うぃあ……。
「いあ、ずあうぃあ……」
信徒たちが虚ろな目で、魂の抜けた動きでゆらゆらと身体を揺らしながらゆっくりと歩み寄る。既にネプギアに逃げ場はない。だが――。
突如として崩壊した天井にクロックサイコが「ヒャー!?」と間の抜けた驚きの声を上げた。破片に潰されて何人もの信徒達が床の染みとなっていく。
真紅のブラッドハート、ネプテューヌ=パープルハート、そしてブシドーの三人が落下して着地した。その際にブシドーは道中で拾い上げた刀で一閃すると五人ほどまとめて胴体に別れを告げて即死する。
「役者が途中退場はねぇだろ、
パキィン――。
指を鳴らすと、それだけでエヌラス=ブラッドハートを取り巻く何人もの信徒の身体が膨れ上がり、爆ぜた。肉片と鮮血を撒き散らしながら死んでいき、その血で頬を汚しながら拭おうともせずにクロックサイコに向かって歩む。まるで羽虫でも払うように、虫けらを踏み潰すように鬱陶しそうにするだけで大勢が血だまりの中へ沈んでいった。その血が更にエヌラス=ブラッドハートによって操られてより強固に、より強靭な術式を編み上げていく。
「
赤い結晶。神聖なはずのクリスタルは禍々しく歪められて鈍く紅く輝いていた。その十字架状の結晶にはネプテューヌもネプギアも見覚えがある。
「人々の希望が、信仰が、正しくシェアエネルギーを生み出すなら――ボク達のコレは、人々の絶望と破滅を望むアンチエナジーとでも言えばいいのカナ☆ ……おおっと、まぁキミにはどちらでもイイコトだよネ! そうさそうだよ、そうだよネ! ボクを殺せりゃ、それでいいもんネェ!」
「ネプギアは返してもらうわよ、クロックサイコ!」
「イイヨー」
「……なんですって?」
「と、いうよりも――これは予想外でネ。さて、どうしよ」
人々の信仰心で変身するシェアクリスタルと正反対の性質を持つアンチクリスタル――それを用いた変神は、まさに邪神と呼ぶに相応しい。その残虐性、残忍性、悪のカリスマ性。一切合切に躊躇なく刃を突き立てる様は、邪神を崇拝する信徒達には救いの神と映り、彼らは一様に跪いて殺されていった。
「国王、この者達は邪教徒――それも秘密結社の大本たる『緑龍会』の」
「知ってる」
それは、虐殺だった。抹殺だった。ネプテューヌの目の前でティンダロスが信徒の喉笛を食い破る。酸鼻を極める虐殺の光景に胸が不快感で一杯になった。そんな只中であって、エヌラス=ブラッドハートは笑っていたのだ。
「誰一人生かして帰すつもりはねぇよ? 今日ここにいる信者共はな」
「……エヌ、ラスさん……?」
「ああ、心配すんなネプギア――今、殺してやる。ここにいる、全員」
クロックサイコを指さし、
「そいつを含めてな」
そう断言した。
「……真逆、まさかだよネ。邪神となってまで殺しに来るとは思わなかったヨ」
「――エヌラス、貴方……そんな力を使って大丈夫なの」
ネプテューヌ=パープルハートの懸念をよそにエヌラス=ブラッドハートの両手に二振りの
「でも、そのお陰で今回は間に合っ――」
クロックサイコが言葉を終えるより先に、その首が薙がれていた。宙に舞う仮面、頭部に十字に組み上げられたダガーが突き刺さり、壁に縫い付ける。
『大丈夫じゃないヨ~! 当然だよネ! それは本来“あっちゃならない力”なんだかラ!』
どこからともなく拡声器を通したような声が響き渡り、ネプギアの背後で無数の蟲となってクロックサイコの身体が崩れ落ちた。それをネプテューヌ=パープルハートは剣で振り払うと妹を抱きしめて即座に離脱する。
「ティンダロス」
《YES_》
「“吼えろ”」
無貌なる猟犬の口が、耳元まで裂けた。その口を大きく開けて、ティンダロスが吼える。
「
耳鳴りにも似た空気の震動は激しい嘔吐感と平衡感覚を喪失させた。だが、それだけではなくそのティンダロスの進路上にいた信徒達の身体が突如として膨れ上がり、やがて――ぱん――破裂する。平然と大量殺戮を繰り広げ、エヌラス=ブラッドハートの視線がそこにいない気配を辿っていた。やがて、呆れたため息を吐き出すと血のように赤い魔法陣を描き出す。
“ダメ……”
冷水を浴びせかけられたようにネプギアは全身が冷たくなっていくのを感じていた。
“ダメです、エヌラスさん――!”
クロックサイコは言っていた。「正しく怒って」もらわないと困る、と。それが何を思っているのかは狂人の戯言かも知れない。それでも、何か、今はそれがとても危険なのだと全身が危険信号を発していた。
信徒達が呪詛のように呻きながら転がっていく。いあ。いあ。
エヌラスの血刃が。ブシドーの閃刃が信徒達を血に伏せていった。ずあ、うぃあ。
「ああ、もう面倒くせぇ。まとめて潰してやる――」
「ネプギア。大丈夫?」
「……お姉、ちゃん。止めて。エヌラスさんを、止めて!」
「えっ?」
なにか、とてつもなく嫌な予感がする。クロックサイコはどうして自分を此処に連れてきたのだろう。秘密結社『緑竜会』の根城に。彼らは何を崇拝していただろう。邪神だ。そして今――エヌラスの振るっている力は……!
左胸の“銀鍵守護器官”が魔力を帯びて――。
「エヌラスさん、ダメェェェ!」
「――ネプギア!?」
その詠唱が、半ば強制的に止められた。青ざめて、それでも懸命に駆け出したネプギアの身体がエヌラス=ブラッドハートを突き飛ばす。それに面食らって編んでいた術式が解除された。
「っ……何しやがる!」
「ご、ごめんなさい――でも!」
どくん。
地面が、胎動する。心臓の鼓動に似た震動に、エヌラス=ブラッドハートが眉を寄せた。
『ああ惜しい! 惜しいネ! まぁどちらでも良かったんだけどネ! 彼らが望んでいたのは破滅だったし、ボクァどうでもよかったからサ! 言ったろう、エヌラス! キミには試練を与えようってサ! 聞いてたかな? 聞いてたよね? 聞いていたはずだよねぇ!』
赤黒いコールタールにも似た液体が、溢れ出す。
『此処が何処だか、忘れたかナ? ――