クマ吉君の野望【2次創作短編集】 作:堀 吉之助
熱い。
汗が頬を伝い首筋から制服に染み込んでいく。木陰にあるベンチに座った金髪の少女はうんざりした顔で襟を摘まんではたく。襟が動いて風が顔にかかるが気休めにしかならない。
その後ろに長身の女性が一人立っていた。彼女は座っている少女とは違い、汗ひとつかかずに涼しげな顔をしている。熱さに強い。と言うと違うだろう。遠くの地面が陽炎で揺らぐ炎天下の中では異常と言った方が妥当だ。
金髪の少女はずりと体を動かして後ろを向く。後ろの女性を真正面から見るのではなく、半身になってから口を開いた。
「……茶々丸……」
「はい、マスター」
茶々丸と言われた女性は少し目線を下げて少女を見る。その動きで腰までかかった長髪が揺れるがすぐに止まる。風のない証拠だ。
金髪の少女は少し恨めし気に茶々丸を睨む。だがあまり効果はない。やはり眉ひとつ動かさず茶々丸は少女を見返す。少女はふうと息を吐いてから、指を遠くにさした。
「あれを買ってこい」
遠くに背中に昇り(この場合、旗) を刺した行商が居た。クーラーボックスのようなものを肩から下げているのでおそらくアイスか飲み物の行商だろう。ただ何か着ぐるみを着ているのか茶色い頭をしている。しっかりとは少女の位置からは見えない。
茶々丸は短く返事した後に丁寧なお辞儀をしてそちらに歩いて行った。木陰から出て太陽の光に身をさらしても、何も動じた気配はない。やはり少女はその後ろ姿に微かな羨望を感じた。ただ、暑い日限定ではある。
ここはある高校の敷地内だ。日本の首都がある関東圏でもとりわけ巨大なマンモス校のどこかである。高校と一口に言っても、敷地内には数々の施設があり、カフェのようなものまである。一種の街と言ってよい。
だからと言っても学び舎である。普通、行商などするだろうか。ベンチに座った少女には熱さが手伝ってそのことに思いが至らなかった。しかし、単にアイスを買うというのならば警戒するのもおかしいのかもしれない。
汗で額についた髪を払いつつ、少女は口を開けた。熱くて少しでも熱気を出しておきたかったのだ。あまり効果はなさそうだ。彼女はまたふうと息を吐いて、とんとんと指でベンチを叩く。口には出さないがアイス食べたい。そんな気持ちがわかりやすく動きがせわしない。
少しして茶々丸が帰ってきた。その手にはカップ状のものが一つ包まれている。軽くねぎらいの言葉をかけた少女はそのカップを受け取る。手にひんやりとした感覚が伝わってきた。頬ずりしたいくらいに今日はそれがありがたい。だが茶々丸の手前それはさすがにしなかった。彼女は先ほど「マスター」と茶々丸に呼ばれた。それは何らかの主従関係を表しているのだろう。だからあまりはしたない行為もできない。
それはともかく少女は唾を飲む。これなら後ろにも見えない喜びの行動。カップを開けてそこに入っていたバニラ色の――
バニラ色の少女用のパンツを
金髪の少女は掴んでから地面にたたきつけた。
「違うんだよ」
正座しているクマ吉の前にベンチにふんぞり返る少女の姿。そしてその後ろには変わらずに長身の女性。クマ吉の横にはクーラーボックスと昇りが置いてあった。
その昇りには「冷やしパンツ始めました」と言う文字が書いてある。それも手書きではない。しっかりとしたつくりのものだ。あの行商人はクマ吉だったのだ。
「べっ、別にいやらしい気持ちで商売していたんじゃないよ! こ、これはその、冷えたパンツは気持ち良くて、僕が縫ったパンツを女の子が着ているところを想像するだけで、ぐ、ぐふふ。……ぐふう!」
クマ吉の顔の真ん中にローファーのかかとがめり込んだ。少女が蹴りこんだのだ。クマ吉はいやらしい涎をはきながら地面に転がっていった。そのまま逃亡しようとしたので茶々丸が回り込んで再度連れてきた。それをみて金髪の少女は言う。
「……ともかく守衛にでも引き渡すか…?」
「だ、だめだよ! それだともう僕は暖かいパンツしかはけないじゃないか。見てよ!」
クマ吉はそういうと自分のズボンを脱いだ。さすがにびくりとした少女が顔を背ける、と言う動きを予測してクマ吉は右に動く。だが以外にも少女は動じずに視線も変えなかった。
だからクマ吉は高速で少女の視界からズボンを脱ぎながらフェードアウトしたことになる。
「な、なんのまねだ」
ズボンを脱がれてもどうでもいいがさすがに行動の糸がつかめずに少女は問うた。クマ吉はカニ歩きで元の場所に戻ってきた。
その下半身は純白の白。小さなリボンのついたパンツに包まれていた。
「これが僕の答えさ」
何か言うクマ吉。少女は理解できないものを見る、いや汚物を見る目でクマ吉を見た。クマ吉にはいい、その見下した感じが、とてもいいです。
クマ吉は口を開く。涎が流れる。
「パンツを冷蔵庫とかで冷やして履くと、とても気持ちいいんだよ! それをみんなに堪能してもらおうとしただけさ。それに僕が研究を重ねて股のところにジェルを入れることでぬるくならないことも見つけたんだよ! さあ、今はいているものを渡して、履きかえるんだ!」
熱っぽい口調で話すクマ吉に少女は冷たく言う。
「トランクスでも冷やせば……何故女性用の下着をつける?」
少女の疑問をそれこそ理解できないと言った顔でクマ吉は聞き返した。
「……男の子が、トランクスなんて履いて……何が楽しいと思うの……?」
この言葉で少女は理解した。「数百年」生きてきた身の上、多くの経験を積んできたつもりだったが目の前の獣の言うことを理解するのはおそらく無理だろうということを。
「茶々丸」
だからもうクマ吉には話さなかった。少女は手を振る。そうするとクマ吉の後ろで茶々丸が動き。クマ吉の視界が真っ暗になった。
次に彼が目覚めるのは、警察署の中だった。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。それは多くの者たちを恐れさせた恐怖の名前だった。彼女は吸血鬼。その力は人間には到底及びもつかないほどの深さと、暗さを持っている。
その彼女が数百年の時を超えて女子高生をやっているのは、どういえばいいのだろうか。数奇な運命と言えば聞こえはいいが、もはや滑稽ともいえる。
それがあの金髪の少女の正体だった。そしてその侍従である茶々丸も超常の存在であると言ってもよい。いやそう言うしかないだろう。魔術と科学の作った自律する人形……もはや人形と言っては失礼としか言えないほど完成度の高い、彼女。
このエヴァンジェリン(以下、エヴァ)と茶々丸の二人は学校の敷地内に住居を営んでいた。彼女達、正確に言えばエヴァはこの学校から出ることができない。これも彼女が女子高生をやっていることに少なからず関係しているのだがそれは今回の話には関係がなかった。
時刻は午前1時。空にはぽっかりと満月が浮かび、下界をやさしく照らしている。
エヴァはそれを窓の外に眺めながら、ベッドの上で悶えていた。
熱い。とにかく暑い。
昼間外で感じた熱気とは違う屋内の暑さが彼女を包んでいた。体中が汗でじっとりと濡れて、パジャマのはだけた胸元に汗の玉が浮かんでいる。ねぐるしさを感じるたびに彼女はベッドの少しでも冷たい場所を探して動く。だがすぐにそこも熱されてしまうので、また動く。
それを繰り返しているといつの間にか、日をまたいでしまっていた。
エヴァは一度天井を向いて息を吐く。苦虫をかみつぶしたような顔で言う。
「暑い……」
日本に来てから数十年だが、この国の夏にだけは慣れそうにない。いや最近はさらに温度が上がっているような気もする。あとセミとかうるさいのも嫌だ。魔法で部屋を凍らせたりするのはできるが、涼しくするのは力加減が難しい。
ふと、エヴァの頭の中の言葉が浮かんだ。
――パンツを冷蔵庫とかで冷やして履くと、とても気持ちいいんだよ!
ばっとエヴァは体を起こした。そして首を振る。昼にあった変質者の言葉を思い出してしまっただけで恥ずかしかった。別に誰にも見られてはいないので、隠す必要もないのだが意味もなく彼女は周りを見回した。
「……ねよう」
エヴァはベッドに再度寝転がる。しかしさっきまでとおなじで寝ることができない。それに加えて「涼しくなる」方法、が頭の中でぐるぐるとまわって暑さが強調されるような気がする。
エヴァは目を開いた。完全に眠気がなくなっている。彼女はのそのそと起きだすと、部屋の隅にある箪笥を開けて何かを掴みこそこそと部屋を出た。
明かりはつけないで廊下を進み、階段を下りるエヴァ。茶々丸は寝る必要性自体はないのでどこかにいるはずだが、姿はない。
かん
という音が聞こえた。ひっとエヴァが背筋を伸ばす。恐怖ではない、むしろ見つかることを懼(おそ)れている。音は外で聞こえたようだ。と言うことは茶々丸が外にいるのだろう。何をしているのかとエヴァは思う前にほっと息を吐いた。
彼女はゆっくりと音をたてないように冷蔵庫に近づくと横にある流し場で軽く手元の布を濡らしてから冷凍室に入れた。冷蔵庫では時間がかかる。
20分程度、待っていた。
エヴァはその間、別の意味で冷や汗をかきつつ待っていた。茶々丸が外で後を立てるたびに安心する。だがいつ戻ってくるかと思うと心臓が鳴る。何をやっているのかは気にできない。余裕がない。
エヴァはゆっくりと冷凍室から「それ」を取り出すと、急いで部屋に戻った。手にひんやりした感覚があった。それは昼に感じたものと同じだった。
はあ、はあと言いながら部屋のドアを閉めると、ごくりと唾を飲むエヴァ。手に持ったものを握りしめて部屋の中央に進む。電気は点けない。今からの行動を自分でも見たいとは思わないから。
エヴァはパジャマのズボンを脱いだ。白い肌が月明かりに照らされて、妖しく光る。だがそれでも少女の体。細い足が少し内またになっている。
エヴァはパンツに手をかけた。黒のフリルのついたパンツ。大人と高校生の間を現したような下着だった。彼女はするするとそれを自分で下すと、丸いお尻に金色の髪がかかった。自分の髪にくすぐったさを感じて、彼女は腰を振る。髪が払われた。
「……」
パジャマの上着は少し大きく。彼女が真っ直ぐ立てば大切なところは見えない。エヴァは冷やしてきた「もの」を掴んで見た。それはやはり黒のパンツ。水色のリボンのついたもの。それを持っているだけで手が冷たくなる。
冷やす前に濡らしたのでうすい氷が表面についている。エヴァはパンツに足を通してからゆっくりと上げていく。
「あっ……」
冷たさが感覚に線を残していく。とてもきもちのいい冷涼。エヴァは腿からぐっとパンツを履いた。そしてすぐにパジャマのズボンを着直す。
何も言わない。エヴァはごろりとベッドに寝転がる。彼女が居なくなったことで多少は冷えたシーツが肌に当たる。だが今はそんなことは気にならない。彼女は体中の熱が全て下半身に奪われていく錯覚を覚えた。
もちろん錯覚なのだが。彼女の腰回りの冷たさはそれくらいすべてを忘れさせてくれた。だが声に出したりはしない。ある意味クマ吉をほめることになりかねないからだ。
それでも彼女の体は正直だった。だんだんと落ちていく瞼にエヴァは心地よさを感じながら、しばらくして寝息をたてはじめる。かわいらしい寝顔が其処にあった。
「う……ん」
エヴァはベッドの上で伸びをする。こきこきと首を鳴らして時計を見た。まだ午前7時前。学校に行くには早い時間。
「な……?」
それがエヴァには驚きだった。彼女は朝に極端なほど弱い。それこそ茶々丸に起こしてもらわなければ遅刻は確実にするほどだ。そんな彼女は今日に限って早く起きた。
頭はさえている。体は軽い。喜ばしい限りなはずだ。
それでもエヴァの心は多少重い。快眠してしまった。そのことがとても複雑だ。しかし久しぶりに好く寝た気もする。彼女は前髪を払って目を擦る。そしてもう一度伸びをした。
やはり調子がいいらしい。あまり好きではない朝の陽ざしが心地よく感じる程度に。
部屋のドアが開いた。長身の女性がエプロン姿で入ってくる。茶々丸だ。
おそらく彼女はエヴァを起こしに来たのだろう。だが今日はその必要はなかった。エヴァは茶々丸を見ながら、
――新鮮だな。
と思った。いつも起こされるエヴァは部屋に入ってくる茶々丸の姿を見ていない。いつも見ているのは目の前で自分を起こしている姿だけだった。
「……」
茶々丸はすでに起きているエヴァを見ながら数秒止まった。表情はいつもの仏頂面だが、言葉を発しないことで自分の戸惑いを表現しているともいえる。エヴァは何となくその姿におかしくなる。薄く笑いつつ口を開いた。
「どうした? まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしているぞ? 茶々丸」
「……失礼いたしました。おはようございますマスター」
おはようございます。の言葉が「言葉」通りに意味を今朝は持った。エヴァはふふと目を閉じて笑う。茶々丸の戸惑いが面白い。彼女はもぞもぞとベッドから這い上がり、つかつかと茶々丸に近づく。
股が、濡れていることにも気がつかず。
中途半端に凍っていようと、仮に完璧に凍っていようとそんなパンツをはいて寝たのだから溶けるのは当たり前だ。
「今朝はシャワーを浴びたい気分だ」
知らずに自分へのとどめを放つエヴァ。言い逃れは意味をなさないレベルで状況証拠と証言が出そろった。なんといってもベッドも濡れている。寝てから数時間、濡れたパンツで過ごしたエヴァはその違和感がきにな「れ」ない。
茶々丸から見ればたしかにエヴァは「シャワーを浴びたい気分」に違いあるまい。
「……はい。すぐに着替えを用意いたします」
「ああ、頼む」
茶々丸の視線と、その冷たい目がどこを見ているのかも気がつかず、エヴァはカッコつけて髪を払う。美しい金髪が揺れた。まあ、茶々丸が見ているのはその下なのだが。
「ん?」
部屋を出ようとした時エヴァは床に違和感があった。濡れているのだ。なんだと思ってみると自分の股から、足にかけてパジャマがシミを作っている。そして足首あたりから水滴が漏れている。
ばっと赤くなって茶々丸を振り返るエヴァ。その時。茶々丸は濡れたシーツに手をかけていた。当たり前だけれど、濡れているには寝ていたエヴァの股あたりだ。
「ああああああああぁあああああぁああ???」
聡明な彼女の頭が自動で先ほどまでの光景を洗い直し、再生する。股を濡らしたまま。
「今朝はシャワーを浴びたい気分だ」
などと言っていた自分がどれだけ無様かわからないはずがない。
放心状態でエヴァは空を見上げる。じりじりとした熱気が彼女の肌を焼くが、今はそんなことを気にする気分ではなかった。むしろすべてを焼き尽くしてほしい。この世、全てを。
エヴァは制服を着てベンチに座っていた。昨日とは違う場所なのだが時間が違った。今は学校の授業時間。彼女は学校の敷地にいるが、教室には行きたくはなかった。代わりにというよりも今日は離れたかったから茶々丸を行かせている。とりあえず熱で休むと「ぼうや」には伝えるようにしていた。
「…………」
口を開けて虚ろな目で空を見る闇の福音。恥ずかしいというよりも、情けない。結局うまく茶々丸に説明ができなかった。すればクマ吉に感化されたことがばれる。言わなければ自分で出したことになる。
「くっくくく……」
笑うしかない。エヴァは自分を哂い、世の中を呪った。滅びないかな? 世界。などと思っている。
しかしそれはそれとしてなのだが、今朝は間違いなく安眠をした。どう考えても「あれ」のせいなのだ。今の彼女の落胆もそのせいなのだけれど、あの快感を何となくエヴァは思い出してしまう。
結局問題はベッドやパジャマが濡れるところだ。それさえなければ茶々丸にもばれないかもしれない。
「どうすれば……」
いいだろう。とエヴァが考えているのは多分に現実逃避を混ぜている。他のことを考えていれば今朝の痴態を思い出す必要はない。とりあえず昨日のことをエヴァは思い出した。パンツを濡らして、中途半端に凍らせたことは問題ではない。ならばどうすればいいだろうか。
――それに僕が研究を重ねて股のところにジェルを入れることでぬるくならないことも見つけたんだよ!
またクマ吉の言葉を思い出すエヴァ。
「ジェル、だと?」
パンツに仕込んだそれが冷えるのなら、溶けても問題ないだろう。その上何度でも使えるはずだ。要は「アイスノン」みたいなものなのだろうとエヴァは想像した。だけれどあの熊は今留置場にいるはずだ。
「……なにを考えているんだ。私は」
今目の前にあの熊がいればあのパンツを買ってしまいそうな自分が居た。そのことが腹立たしい。――クマ吉は茂みの中からこっそりと現れてくる――。エヴァはふうと息をはいた。あの熊はいないのだから考えるだけ無駄だ。
「だーれだ、ぐふふ」
クマ吉が後ろからエヴァの胸を鷲掴みにした。そのまま揉む。
「うっわあああ!??」
エヴァは驚いて真後ろに右ストレートをくりだす。
「ぐぅふう」
エヴァの小さな拳が的確にクマ吉の眼を強打する。そのままクマ吉は後ろへ跳ね飛ばされた。エヴァは急いで立ち上がって自分を襲った変質者の姿を確認した。
「お、おまえは」
「さ、そうさ。ぼくは恋の化身だよ」
ずうずうしいことをいうクマ吉を胡散臭い目でエヴァは見た。というか昨日今日でこのクマは脱獄をしてきたらしい。彼にとって留置場はわが庭である。クマ吉は立ち上がってからすっとエヴァに近づくと、その横をすり抜けてから彼女が座っていたベンチの座っていた個所に顔をなすりつけた。幸せそうである。
「ぐふふふう。ちがうんだよ、人のぬくもりがなくなってしまった現代社会でわずかなぬくもりを探す旅人なんだよ。決してここに小さな尻があったからなんておもってはいないよ」
エヴァは何も言わずにクマ吉を見下げる。その目は冷たさを伴い、熱い日差しすら気にできなくなるほどに鋭い。
「ま、まるでニャンミちゃんみたい!」
「そんなファンシーな名前なものがいるか。……大体貴様はなんだ、いったいな、にも……?」
そこまで言ってからエヴァは気が付いた。目の前のクマ吉はどう見ても獣である。淫獣といってもいい。そんなものがいることに何故今まで疑問に思わなかったのだろうか。確かにエヴァも超常の存在なのだが、クマ吉もそうだろう。
「何ものだ、貴様」
「何揉んだ貴様? お、おっぱい」
「違う!」
クマ吉はとぼけた顔ベンチに顔をなすりつけながらで憤るエヴァを見上げた。ふむふむと言った後ににやりと笑い。
「黒だね。君のパンティーは」
「なっ!?」
顔と体を見ただけでパンツに色を当てられたエヴァは、スカートを抑えてからベンチにしゃがんでいるクマ吉の腰へ蹴りを入れる。クマ吉は「うふうっ」と何かを叫びながらごろごろと転がった。だが、それは彼の業界ではご褒美に過ぎない。すぐにエヴァに向き直ってから。
「もっと、靴の先っぽを駆使して蹴るんだ。そう相手の股間のあたりを狙うと、いいです」
最後は敬語になりながらクマ吉はエヴァにアドバイスを行う。エヴァはへこたれないクマ吉に不気味さを覚えたが、はっと気が付いた。
――こいつ。昨日の「もの」を持っているのではないか?
あえて「もの」という言葉を使うエヴァには気恥ずかしさがある。 しかしさっきまで悩んでいた通り、彼女はクマ吉の所有している「もの」がほしい。かといって頼みたくはない。相談も商談も嫌だ。
エヴァはいきなりクマ吉に目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。クマ吉に黒い眼がそこにある。まるでどぶ川の黒さだったがエヴァは気にせず口を開く。
「な、なに? キスは目を閉じてするものなんだよ」
戯言につきあう気はエヴァにはない。彼女が発する言葉はクマ吉に聞かせるものだが、クマ吉に返答をただすものではない。
「リク・ラク・ラ……」
小声でエヴァは言う。それは紛れもない魔法の言葉。相手を魅了する比喩ではない。エヴァが言葉を紡ぐ。そしてだんだんとクマ吉は目が落ちてきて、涎を垂らし始めた。
「さ、て」
目の前に涎を垂らすクマ吉いる。エヴァはこきこきと首をならして、あたりを伺った。誰もいない、蝉の声だけが聞こえる。彼女はそれを確認してからクマ吉にいった。
「クマ吉。もはや貴様がどんな存在なのかはどうでもいい」
エヴァはとりあえず目的を果たしたらクマ吉に千葉の房総半島沖あたりで海水浴をしてもらうつもりなので本当にどうでもよかった。ちなみにそこは岸壁をむき出しにした、リアス式海岸のある難所であるが物理的に泳げないことはない。魚とかは泳いでいるし。泳げなかったら母なる海に還れる。
「そ、そのだな」
エヴァは気恥ずかしさを覚えつつ言った。
「昨日のパンツを……持ってこい」
「わかぅたよ」
変な発音でクマ吉が反応すると、おもむろに彼はズボンを脱ぎ始めた。そこにはたしかに昨日エヴァに見せたパンツが――。
「ちがう! それじゃない」
エヴァに静止の声は何故か届かなかった。男であるクマ吉が履いていた少女用のパンツを脱いで、男根をむき出しにする。そうしてからパンツを折りたたんでそっとエヴァに握らせた。まるで賄賂を渡すようだ。
エヴァに手に生暖かい布があった。違う、これじゃない。
しかしエヴァは怒らなかった。単に海水浴の場所が千葉から小笠原諸島になっただけだ。勿論クマ吉は泳いでいく。サメとかいるけれど、それはそれで食物連鎖のなかで役に立てるだろう。
にっこりと笑いながら懇切丁寧にエヴァは説明した。しばらくして目的のものを手に入れた彼女は、ねぎらいの言葉をクマ吉にかけてやりつつ、次の行動を指示する。クマ吉は奇声を上げつつ母なる海へ向かって行った。
それからエヴァは数枚の下着を手に入れてから、安眠の日々を過ごした。彼女の狙い通り、朝起きてから股が濡れているなんてことはなく。暑さで夜に起きることもまれになった。もうぬるいパンツに戻れそうにはない。
「はあ……」
冷えたパンツをはくたびにエヴァは声を出す。風呂上りなんぞに履くと気分がよくなった。そして今日もベッドにねころがると数分で寝息をたてはじめた。今日も安眠ができるだろう。そう思いながら。
だが彼女は自分がおかしたことの重大さを知らなかった。人は立場が変えるという言葉があるが、ならば熊はどうだろうか。その答えが今日海から帰ってきた。
夜の月が彼を照らす。筋肉が唸り。びきびきと胸筋が震える。
クマ吉は上半身裸で昆布を腰に巻いた姿で戻ってきた。服はすでにない。
千葉の岸壁を素手で登るクマ吉は数日前の彼ではない。筋骨隆々、肉球が進化して太い指になっている。顔だけは変わらないので本物のクリーチャーのようだった。つぶらな瞳がミスマッチとしか思えない。
「力こそパワーっ」
崖を登り終えてクマ吉は拳を握りしめつつ「ふうう」と気を吐く。数日前とは違う声。身長が生命の危険に応じて伸び、巨漢といってよい。さらにさまざまな強敵(とも) と出会いパワーアップした彼は本当の強さを知った。
クマ吉は昆布を頭に巻く。まるでそれは鉢巻のようだった。
「棒よりも強い奴に会いに行く……」
静かに言うクマ吉。その股が大きく膨れ上がる。
棒、いやまさに「男」が彼の子孫を残そうといきり立っていた。海から帰った彼は、相手が機械だろうとたとえ人知を超えた吸血鬼だろうとかまわない。
クマ吉はぺろりと指を舐めてから、天にかざした。風が方向を教えてくれる。
「北か」
東から吹いてくる風を感じてクマ吉は言った。絶対今の行動に意味はない。
彼はパンツの風に惹かれるままに、歩み始めた。行く場所は一つしかない――。
お疲れ様でした。後篇は、ひどいことになりそうな気がします。