二日後の日曜日。ヴィータは少し慌てた様子で公園に向かっていた。
「やべ、ちょっと遅刻しちまったな」
腕時計を見ると、カイズとの待ち合わせ時間を十分ほど過ぎてしまっている。
いや、正直に言えばヴィータはもっと遅刻するつもりでいた。それははやてが体調がどうにも悪かったからだ。
「はやてはただの二日酔いだからって言ってたけど。……でもあんなに見境なく飲むほうじゃないよな。きっとあたしの気を使ってそう言ってくれたんだろうな」
実際は昨日何をしていたか、はやては話してくれなかった。
「まあ昨日はなのはやテスタロッサもいたし、今日はシグナム達がついてるから大丈夫だとは思うけど。……あー、でもとりあえずちゃんと謝ろう」
理由があったにしても、遅刻は遅刻だ。ヴィータは待ち合わせのベンチをきょろきょろと探す。すると視線の先に黒髪の男を発見した。
「おっ、あそこにいたのか。……ん。なんだあの子供は?」
視線を少し降ろすと、カイズの隣に少年の姿が見える。自分の頭一個分ほど小さいその男の子は、カイズに何か文句を言っているようだ。
「はっ、腰抜け野郎。俺たちのことに口だしてるんじゃねえよ!」
少年はそう言い放つと、カイズの臑を思い切り蹴る。筋肉の表面が薄い部分を蹴られると、管理局で鍛えたカイズもさすがに苦悶の表情を見せた。
少年はそんなカイズを見ると、馬鹿にしたように舌をだしそのまま走り去ってしまった。
「…………はぁ? って、大丈夫かカイズ!」
あまりの光景に数秒呆気にとられてしまったが、ヴィータはすぐにカイズの元に走り出した。
カイズはヴィータが近寄って来る姿を見ると、苦笑いを浮かべながら軽く会釈をした。
「あっ、ヴィータさん。俺もいま来たところで」
「そんなわけねえだろ。何だ今の子供は」
「見ちゃってました。いやいや、どうにも自分のお節介だったみたいで。お恥ずかしいところを見られてしまいました」
「お節介って。と、とにかく一度座るぞ」
ヴィータは待ち合わせのベンチに座ると、隣の席をぽんぽんと叩く。カイズは少し考えるような顔をしながらも、ヴィータの隣に座った。
「いやー、ヴィータさん今日も可愛いですね。青のボーダーの入った白のTシャツに、短いジャケット。でもその黒のミニスカートはもうちょっと長くてもいいと思いますよ。いや、俺的には嬉しいんですけど、ちょっと周りに――――」
「そんなこと言って誤魔化そうとするなよ。……そろそろ付き合い長いんだから、カイズのそういうところわかるんだからな」
「……はい、すみません。あっ、でもヴィータさんが今日も可愛いって言うのは本気ですからね!」
「うっ、だ、だから、そういうのも分かってるって言ってるだろ!」
ヴィータはほんのり頬を染めると、カイズの頭をポカっと叩く。カイズは叩かれながらも嬉しそうな顔をすると、少しだけ肩を竦めた。
「でも本当に俺の勘違いだったんですよ。……まあ勘違いであっても、それが正しかったかはわからないんですけどね」
「それって、さっきの子供のことだよな」
「そうですね。んー、どこから話したらいいですかね。時刻で言うと四十分ぐらい前ですかね。ヴィータさんのことを考えながら、ずっとベンチに座ってたんですよ」
四十分前。その時点で待ち合わせ時間の三十分ほど早く来ていたということだ。やはり一時間前ほどから来ていたのかもしれない。
だがここで話の腰を折るのもどうかと思い、ヴィータはそのまま話を聞き続けた。
「で、そしたら奥の公園スペースのほうから女の子の泣き声が聞こえたんですよ。初めは迷子かなーって思って、ちょっと様子を見に行ったんです。そしたら、さっきの男の子が、女の子を泣かしてるところに遭遇したんですよ」
カイズはそのときのことを思い出しているのだろう。指折りで何かを数えると、さらに話を続けた。
「男の子一人の、女の子三人でしたね。いかにも乱暴そうな男の子の周りに女の子が二人。まあその場面だけをみた俺は、三人で女の子虐めてるって思ったんですよ」
「でもそれは勘違いだったのか?」
「んー、勘違いではないんですよ。実際に男の子は女の子に乱暴してたみたいで。でも、その周りの女の子は、泣かされてる子と大の仲良しみたいで。その泣かされてる子も自分が悪いんだって頑なだったんですよね」
「それで最終的に蹴りをくらわされたってわけか。……確かにそれは納得のいかない感じだな」
「まあ結局俺の勘違いってことで決着がついたからいいんですけどね」
これでこの話はおしまい。カイズは肩の力を抜くと、いつもの優しい笑みをヴィータに向ける。そんな彼を見ると、ヴィータは素朴な疑問を口にした。
「そういえばカイズって全然怒んねえんだな」
「怒るってなんでですか」
「いや、勘違いだったかもしれないけど、あんな小さい子供に臑蹴られて。ちょっとは愚痴こぼしてもいいんじゃねえかって思ってよ」
「いやいや。だってあんな小さな子供のすることですよ。それに対して怒ったり、愚痴こぼしたりなんてありえませんって」
「んー、まあカイズがそれでいいんならいいんだけどよー」
もしかしたらカイズの違った一面が見られたかもしれない。そんなほのかな願望はどうやら叶うことはなさそうだ。
でも子供に言われっぱなしで、のほほーんとしてるのもな。カイズの良いところ言えば、そうだけど。こう、ビシーっと言ってもいい気がするけど。
「……ん、ビシッ? あれ??」
「どうしましたヴィータさん」
「い、いや、なんでもねえ」
何でもないといいながら、何かが引っかかるような気がした。果たしてカイズは本当に怒ったことがないのであろうか。いや、この前も思い出したように、付き合い初めてからそんなことはなかったはず。だが、何かが喉の奥に引っかかっているような気がしていた。
「あっ、喉乾いたんですね。そういえばヴィータさん走って来てましたからね。ちょっと何か買ってきますね」
「えっ、ちが、お、おい!」
ヴィータの制止の声を聞くことなく、カイズは売店のほうに向かって走っていってしまう。
ヴィータは一人残されてしまうと、ベンチの背もたれに深く体を預けた。
「うーん。気が利いて、優しくて、真っ直ぐで。それはそうなんだけど、んー、なんだろう。この変な感じは」
未だに答えがでてこない。ヴィータは何とも言えない気持ちのまま空に目を向ける。
そうやって喋ることをやめたからだろう。ヴィータの耳に、その声は聞こえてきた。
『スン、スン』
「ん、なんだ?」
誰かがすすり泣く声が聞こえる。それも視界に入らない自分に届くほどの大きなものだ。
もしかしなくても、これはカイズの聞いたものと同じだろう。だがその件は勘違いで終わっているはずだ。
『うっ、ひっく、うう……』
「……でも確かに、こんな声聞いたら放っておけねえよな」
こんな声で泣く女の子が助けを求めていないわけがない。きっとカイズのしたことは正しかったと。そう証明するために、ヴィータはベンチから立ち上がり遊具広場に走っていった。
遊具広場にはカイズの言っていたままの光景があった。先ほどカイズを蹴っていた男の子は、腕を組んだまま怒りを露わにしていた。
「ひっく、ひっく」
「この泣き虫また泣いてやがるぞ。何とか言ってやれよ」
「う、うん……」
二人の女の子は、困ったような顔をしながら、泣いている女の子に近づく。だが女の子はなかなか泣きやむ様子を見せなかった。
ヴィータは額に青筋を立てると、ズンズンと男の子の元に向かった。
「おい、そこのおまえ。なにやってるんだよ!」
「ちっ、なんだよ。あっ? ここら辺じゃみない奴だな。ってかちょっと年上だからって威張ってるんじゃねえよ!」
本当は何倍も年上だ。だが今はそういう問題ではない。ヴィータは頭一つ低い男の子を見下ろすと、泣いている子を指さした。
「あの子はお前が泣かしたのか」
「泣かせたって。あいつ、ちょっとからかっただけですぐ泣くんだぜ。別に俺は泣かせる気なんてねえよ」
「でも実際に泣いてるじゃねえか!」
「そんなの俺たちの勝手だろ。別に困ってないよなお前達」
男の子がそういうと、二人の女の子は少し考えながら首を縦に振る。
「おい、泣き虫。お前もそうだよな」
「うっ、ひっく……」
「いつまでも泣いてるんじゃねえよ!」
男の子に怒鳴られると、女の子はビクリと体を震わせる。
「わ、私は、だ、だいじょ――――」
「大丈夫なわけねえだろう!」
ヴィータは少女の言葉を遮ると、男の子をギロリと睨みつける。だが男の子は馬鹿にしたように両手をあげると、首を横に振った。
「本人が大丈夫だって言ってるんだから大丈夫なんだよ」
「どうみたって大丈夫に見えないから、あたしは突っかかってるんだよ。おい、そこの二人。お前はその子の友達なんじゃないのかよ!」
話の矛先が二人の女の子に向けられる。二人は先ほどとは違い考えることなく、力強く頷いた。
「だったらどうして友達が虐められてるのに、平気な顔してるんだよ。こいつに脅されでもしてるのか」
「そ、そういうわけじゃ……」
「……ないです」
「なら、どうして助けてやらねえんだよ。その子は大切な友達なんじゃねえのかよ!」
ヴィータは二人の女の子に対し、懸命に語りかける。だが二人は俯いたまま声をあげようとはしなかった。
そんな二人の少女を見て、男の子は勝ち誇ったように鼻息を荒くした。
「ほら、みんないいって言ってるだろ。部外者が突っ込んでくるなよ」
「うっせえ、お前は黙ってろ!」
「ッツ! アッ!!」
ヴィータは握り拳を作ると、男の子の頭にげんこつを放つ。力いっぱい放ったそれは、少年を地面にのたうち回すのに十分な威力があった。
ヴィータは痛がっている男の子を気にすることなく、泣いている子の前に立った。
「お前も泣いてるだけでいいのかよ。それじゃなんの解決にもならねえぞ」
「うっ、ひっく。い、いいんです。だ、だって、だって、そうじゃないと、ひっく、わ、わたし、ひとりぼっちに」
「はぁ? なんでそんなことになるんだよ。お前には二人の友達がいるじゃねえか」
ヴィータはそう返す。すると少女は涙を流しながら、ゆっくりと少しずつ言葉を紡いだ。
「だ、だって。ふ、二人が、あ、アライ君のこと、ひっく、す、好きだっていうから。ひっく、だ、だから、わ、たしもそういうふりしないと、うっうっ、仲間外れにされちゃうと思って」
アライ君とはきっといま地面で転がっている男の子のことだろう。こんな女の子を泣かせる男のどこがいいのだろうと、ヴィータは大きなため息をついた。
だがその答えを聞いて、驚いたのはヴィータだけではなかった。
「えっ、嘘? だってミズホがアライ君のこと格好いいって」
「ち、違うよ。た、ただ、ひっく、アライ君、クラスで一番足が、は、速くて、す、すごいなって。でもカオリは言ってたよね。スポーツできる男の子って、か、かっこいいねって」
「そ、それは隣のクラスのセキネ君のことで。そ、それに私もコヨリがアライ君のこと好きなんだと思って。……そ、その、そういう振りをしないと。……みんなが離れて行っちゃうと思って、その……」
「えっ?」
「ええっ!?」
三人の少女は同時に目をキョトンとさせる。ヴィータはそんな少女たちの肩を抱くと、柔らかい笑みを浮かべた。
「そういうことだ。お前たちは三人は仲良しだし、あんな男のこと気遣う必要なんてないんだよ。ほら、わかったら二人とも謝れ」
「ご、ごめんねミズホ」
「ごめんなさいミズホちゃん」
二人は心の底から申し訳なさそうに。そして今まで泣いている姿を見て見ぬ振りをしてしまったことを後悔して頭を下げる。
「ふ、二人とも顔をあげてよ。わ、私がちゃんと言えなかったのが悪いんだから。ねっ」
「ありがとう、ミズホ」
「ミズホちゃん、ありがとうね」
「――――うんっ! それにありがとうねお姉ちゃん」
「おうよ」
ヴィータはぐっと右手を出すと、満面の笑みを見せる。三人の少女はそれぞれ手を繋ぎあうと、そのまま公園をあとにした。
三人の背中が見えなくなると、ヴィータはほっと息をつく。
「さーって、これで一件落着だな」
「…………そうはいかねえよ」
「はっ、まあそうだよな」
ヴィータが後ろを向くと、男の子は顔を真っ赤にしてゆっくりと起きあがる。
ヴィータはやれやれと頭を掻いた。
「それで、お前はどうするんだ」
「……決まってるだろうが! ぶっ倒してやるよ、この凶暴女が!」
男の子は地面を蹴るとヴィータに近寄り右拳で殴りかかってくる。
しかし子供の拳とはここまで遅いのだろうか。そんな拳に当たるはずもなく。ヴィータはそれを受け止めると、左手で右拳を思い切り握りしめた。
「い、いてててっ! この暴力女、離しやがれ!」
「暴力を振るってきたのはお前のほうだろうが」
「うっせーよ、このブス、ゴリラ、バカ女が! そんな暴力女じゃ、ぜってえ彼氏なんてできねえぞ!」
小学生ながらに、なんて語彙力が少ないのだろうか。ヴィータは呆れながらため息をつく。
「一つだけ言っておくけどな。こうみえてもあたしには彼氏――――」
がいる。そう口にしようとした瞬間、視線の先に映るその顔を見て、ヴィータの口は思わず止まってしまった。
「……………………」
両手にジュースを持った黒髪の男性は、固まった笑顔のままこちらを見ていた。
その笑顔のまま競歩で近づいてくる様は、見ている側にとって恐怖でしかなかった。
その顔と背負っているオーラの違いに、ヴィータは思わず息を飲む。そして先ほど喉に引っかかっていたことを、ようやく思い出すことができた。
「ヴィータさん、この飲み物お願いします」
「お、おい、カイズ」
「お願いします」
「お、おぅ……」
有無言わせぬ笑顔に、ヴィータはそのまま飲み物を受け取ってしまう。カイズはヴィータに背を向けると、少年の前に座り込んだ。
「さ、さっきの腰抜けじゃねえか。邪魔するなよ!」
「…………お前さー。別にいいんだよ。俺のこと腰抜けって言ったり、臑蹴ったりしても怒りはしないよ。だけどさー、お前いまヴィータさんのことなんて言った? はっ? こんな天使捕まえて、とんでもない暴言吐いてなかったか」
「天使って、こんな奴ただの暴力女じゃ―――――」
「ああっ?」
カイズが今までにない声で男の子を威嚇する。ヴィータからではその表情を読みとることはできないが、その怖さは男の子の顔から読みとることができた。
ここまでくればヴィータももう思い出すことができた。確かにカイズは付き合ってから怒った姿を見せたことはない。だが付き合う前はどうであろうか。
シャワー室で告白される直前。カイズの同期がヴィータの体型などのことを馬鹿にしていた時に、彼は今までにないくらい盛大に怒っていたではないか。
それは確かに付き合ってからのことを考えては、思い出せないことであった。
「おい。今度ヴィータさんにふざけたこと言ってみろ。……どうなるかは、俺にもわからないぞ」
「(コクコク)ご、ごめんなさい!」
ヴィータがいろいろ思い出している間に、お説教が終わったのだろう。男の子は半べそをかきながら、一心不乱に走り出してしまった。
カイズは男の子の背中が見えなくなると、その場から立ち上がる。そしてパンパンと頬を叩くと、ゆっくりとこちらに振り返った。
「さすがですねヴィータさん。まさか俺のいない間に、あの子達のことを解決するなんて」
その顔はいつも通りの柔らかい笑みで。
しかし先ほどまで見せていたであろう彼の怒りは、きっと自分のためにしか見せないのだろうと思うと。
男の子には悪いが、カイズの新しい面が見れたと。いや、その新しい面は自分にしか見せないのだと。
少しばかり心が温かくなっていくのだった。