――――ピョン、ドゥ、ドゥ、ドゥドゥ。
ゲームを始めてだいたい一時間が経っただろうか。部屋の中には未だにゲームのBGMとSEだけが流れ続けていた。
ゲームに慣れていないシグナムは、初めこそ操作に四苦八苦していた。だが昔のゲームでボタン数が少ないこと。そして持ち前の感覚の良さからか、十五分くらいでゲームには慣れてきていた。
それとは逆に。
――――――ビュン。ヒュー、デュデュ!
コウキのプレイしていたキャラクターが、なんてことのない谷底に落ちていく。そして残機が全てなくなると、ゲームオーバーの画面が表示された。
「どうしたんだコウキ。先ほどから変なミスが多いようだが?」
初めこそコウキは軽快にプレイをしていた。だが時間が経つにつれて、どんどんと凡ミスが増えてきていた。
それに時折こちらを見ている気がする。自分自身画面から目を離している暇がないので確信は持てないが確かに彼の視線を感じていた。
コウキは1Pのコントローラーを床に置くと、すまなそうに頭を下げる。
「悪いな。せっかく手伝ってもらってるのに、こんな体たらくで」
「いや、私は別段問題はないのだが。……調子でも悪いのか?」
「そうじゃないんだけどな。……何か温かいものでも持ってくるか。コーヒーか牛乳しかないけど、どっちがいい」
「それではコーヒーをごちそうになろう」
「わかった。じゃあちょっと行ってくるな。――――うっ!?」
コウキはその場から立ち上がると、こちらを見てなぜか少し身を引く。それに顔が少し赤く見えるのは、どうしてだろうか。
コウキはジッとこちらを見ると、ハッとしたように視線を外す。
「そ、それじゃあちょっと待っててくれ」
そう言い残すと、返事を待つことなく部屋から出ていってしまう。シグナムは「うん?」と首を傾げた。
「コウキは何を慌てていたんだ。別にやましいことはないと思うのだが」
シグナムはそう言いながら、先ほどの彼の視線を改めて追う。それは自分の顔を見ていたと言うよりは、もう少し下だったような。
「――――――!?」
シグナムが視線を下に移すと、当然ながら自身の胸が見えた。そう、それは比喩ではない。彼女の胸の大きさに押されて実際に胸の谷間がしっかり見えていたのだ。
この角度で見えるということは、立ち上がったコウキの位置から谷間が見えていてもおかしくはない。
シグナムは服を首もとに引っ張るが、シャツはべろんと下に垂れるだけだ。
「だ、だからコウキは急いで行ってしまったのか。だがコウキは立ち上がるまで気づいていなかったはずだ。だとしたら、ゲーム中は何を見てたんだ」
床に座りゲームしていた彼は、時折視線を横にずらしていた気がする。
だがそこにはベッドに座っている自分の脚しか。
「――――も、もしや。私の脚を見ていたのか」
ずっとベッドの下段を見ていたが、それがもし自分の脚を見ていたとしたら。それがわかると、急激に羞恥心がこみ上げてくる。
実際シグナムは性的対象として異性から視線を送られたことがなかった。
いや、送られたことはあったのかもしれないが、彼女の強さと性格、そして地位の高さ故によこしまな気持ちが継続しなかったというほうが正しいかもしれない。
コウキの彼女になったことで、女性として心がけるようになった。だが実際に女性として見られることに、シグナムは慣れていなかったのだ。
コウキはもちろん男性だ。男としての欲求はもちろんあるだろうし、それは本棚の上のディスクパッケージが物語っていた。
「だ、だがコウキは何もしてこなかった。今だってこうやってゲームをやっているわけだし。だがコウキはどこか本調子じゃなかった。それならどうして」
そうぶつぶつと考えを始めるが、それはこちらに向かってくる足音ですぐに中断される。
コウキは行儀悪く足で扉を開けると、二人分のコップを持って部屋に戻ってきた。
「ういーっす。とりあえずこっちがシグナムのな。コップはそこの小さい机に置いてくれ」
「あ、ああ、わかった」
コウキはまだ自分が何も気づいていないと思っているのだろう。
自覚してしまったからか、今ならコウキの視線が胸に向けられているのがシグナムにはよくわかってしまった。
飲み物を受け取ると、コーヒーの香りが鼻に広がる。だが緊張のためか、味はほとんどわからなかった。
コウキもまた先ほどのように少し顔を赤らめ、ちらりとこちらを覗き見ては視線を逸らす。だがまたこちらを見ては視線を逸らすと、同じことを繰り返していた。
集中力も切れてしまったのだろう。コウキはコントローラーを取ることもなく、部屋に無言の空気が流れた。
(こ、これは私から話しかけたほうがいいのだろうか)
だが「先ほどから私の脚を見てどうしたんだ?」とはさすがに聞くことはできない。どうしたものかと、そのまま無言を保つことしかできない。
そしてその状態にギブアップしたのは、コウキが先だった。
「…………悪い。今日はこんなところでお開きにしないか」
「お開きと言われても、外は相変わらずの雨だぞ」
「ああ、だったら傘でもカッパでも何でも貸すからさ」
「だが制服の乾燥もあと三十分以上はかかるはずだが?」
「だったらそれも俺が明日持っていく。だからとりあえず今日は。……悪いな」
コウキはそれだけいうと、床に体育座りのまま部屋の隅に向いてしまう。シグナムは少しむっとすると、座っている彼に近づく。
「自分から自宅に誘っておいて、それはあまりいい物言いではないな」
「そ、そりゃ俺だってわかってるよ。……だけど、正直いろいろ想定してなかったっていうか。なんていうか」
コウキは意地でもシグナムを見ないようにと、そっぽ向き続ける。
だがここでこのまま帰ってしまったら、その後のいざこざにつながるのは考えるまでもなかった。
シグナムはそれがわかっているからこそ、一度呼吸を落ち着かせる。そして心の準備が整うと、ゆっくりと歩き出す。
それはコウキに言われたように家に帰るためではない。シグナムはそのままコウキの横を通ると、彼の前に立った。
「えっ、お、おおっ!?」
コウキがこんなに狼狽している声は、初めて聞いたかもしれない。きっと今彼の目には自分の太股しか映っていないだろう。
突き刺さる視線に羞恥心がこみ上げたが、シグナムは平静を保ちながら言葉を続ける。
「そのだな。……コウキの視線には気づいていた。いや、さっき気づいたというほうが正しいのだがな」
「――――! な、何、何の、のこと、だ、はっ」
「目の前に見えるもののことだ」
シグナムはぐいっと足を近づけていくと、コウキは体育座りのまま驚きで体が浮き上がる。彼は器用にそのまま体を百八十度回転させた。
シグナムはさらにその先に回り込むと、コウキと同じ視線の高さに腰を下ろした。
「……それに、先ほど私の胸を見ていたのもわかっている。それに対して弁明があるなら聞くがどうする」
シグナムはそう意地悪に問いつめる。今まさに胸の谷間を凝視している彼では、言ったところで栓のないことであろう。
コウキは思い切り唇を奥に引っ込めると、何かを言いたそうな顔をする。だがそれはすでに無駄だとわかると、諦めたようにため息をついた。
「…………それがわかってるなら、どうしてうちに残るんだよ。俺、ずっとシグナムのことエロい目で見てたんだぞ」
「まあ私も異性からじろじろ見られるのは、あまりいい気はしないな」
「だ、だったら」
「だが、だがだな。……コウキは私のか、彼氏なんだぞ。その、み、見るくらいなら私は別に咎めはしない」
シグナムがそういうと長い沈黙が流れる。その間、コウキは顔を上げては、何かを言おうとする。だがそのたびに言葉を飲み込むと、また押し黙ってしまう。
そんなことをじっくり五分は繰り返しただろう。コウキは顔中真っ赤にすると、ぼそぼそと声を出す。
「………………………………もし見るだけじゃ収まらないって言ったらどうする」
「どういうことだ?」
「――――今ここでシグナムをベッドに押し倒したいって。そう言ったらどうするって聞いてるんだ」
コウキはそういうと、体育座りの自らの足に顔を埋めてしまう。そして今の言葉を後悔するように、低い声で言葉を続けた。
「何か嫌だったんだ。シグナムを誘ったのは本当に雨宿りのためだし、一緒にゲームができたら楽しいって思ってた。……だけどいざ風呂上がりのお前を見たら、エロい妄想が止まらなくなって」
「……そうなのか」
「……俺、今までろくに人付き合いしてこなかったし、もちろん彼女がいたことだってなくて。だから自分でも自制がこんなに効かないんだって思わなくて」
「自制が効かない? 確かにコウキは私のことを見ていたかもしれないが、そこまで言うほどではないと思うが」
「………………ゲームやる直前。俺、勢いのままシグナムのこと押し倒そうとしてた。なんだか頭の中ぜんぜん回らなくて、だけどシグナムの顔を見たらハッと正気に戻ったんだ」
「私の顔?」
シグナムはそういうと、その時のことを思い出す。確かあのときは、コウキが急に迫ってきてそのとき彼女は。
シグナムはそのときのことを思い出すと、コウキはその言葉を口にした。
「あの時シグナムが怖がってる顔してくれたから。だから止まることができたんだ。―――――ごめんな。俺、そういう空気本当に読めなくて、その、怖い思いさせちまって」
「――――――」
その言葉でようやく全ての合点がいった。
コウキの行動も、歯切れの悪さも、ゲームの調子の悪さも全て、全てにだ。
コウキは本当に悪かったと、頭を垂れる。
「だから今日はちょっと帰ってくれ。また明日には、う、うおっ!?」
コウキは突然後ろから抱きしめられると、驚きの声を上げる。だがそれは手を回されたというよりは、背中に思い切り柔らかい膨らみを押しつけられたからだろう。
柔らかいものを押しあてられると、緊張で彼の体はさらに固くなる。
――――ドクン、ドクン。
背中に大きな鼓動が響く。シグナムは消え入りそうな声をしっかり届けるために、彼の耳元で囁いた。
「…………怖くないと言えば嘘になる」
「だ、だったらやっぱり」
「だけど怖いと思っているのはコウキも同じだ。だから今だって私と距離を置こうとした。――――だから一つ頼みがあるんだ」
「頼み?」
シグナムはそういうと、抱きしめていた彼から体を離す。そしてようやく顔を上げたコウキと目を合わせた。
「思い切り私を抱きしめてくれないか。恐怖や不安が吹き飛ぶほど力強く」
「――――シグナムっ!!」
コウキはその言葉を聞くと、先ほどとは逆に彼女を力強く抱きしめる。
そしてそのまま彼女を持ち上げると、ベッドの上に押し倒していくのだった。