未だ未完ではありますが、初めてきちんと形にした執筆小説でも
一応TVシリーズより(ユウシロウが現特自に入隊前)一年前の設定...
(というつもりでしたが、特に本編との繋がりをきっちり持たせなくとも
よいような気が次第に...現時点では、そう割り切って書いています)
基本的な部分ではアニメ本編ないし小説版(あるいはドラマCD)を踏襲しておりますが、
オリジナルキャラの主眼において物語が進み、後半はかなりの部分で脚色してます
(特に小説版にて触りのみ言及されていた筑紫王朝エピソードにおいて)
後半から歴史学者・古田武彦氏の著作「よみがえる九州王朝」なども参考に...
アニメ本編の詳細については、末筆のDVDBOXプロモート用公式webにて
(アニメ作品データ)
企画:サンライズ
原案:矢立肇、高橋良輔
シリーズ構成:野崎透
キャラクターデザイン:村瀬修功
ゲストキャラクターデザイン:山形厚史
メカニックデザイン:出渕裕、荒牧伸志
美術監督:池田繁美
色彩設計:岩沢れい子
助監督:谷口悟朗
監督:高橋良輔
音響監督:浦上靖夫
音楽:蓜島邦明
OPテーマ『MESSAGE #9』
作詞:種ともこ / 作曲・編曲:保刈久明 / 歌:種ともこ
EDテーマ『LOVE SONG』
作詞:種ともこ/作曲・編曲:新居昭乃/歌:種ともこ
製作:テレビ大阪、読売広告社、サンライズ
著作:(C)1998 SUNRISE INC.・テレビ大阪
小説版(野崎透・著)
I 戦術甲冑(タクティカル・アーマー)(1999年4月1日 ISBN 4-04-420001-7)
II 傀儡子(くぐつ)(1999年6月1日 ISBN 4-04-420002-5)
III 接触(ふれあい)(1999年8月1日 ISBN 4-04-420003-3)
IV 未来(あした)(1999年9月1日 ISBN 4-04-420004-1)
ドラマCD
餓沙羅鬼見聞録CD1「風の記憶 砂の伝承」(1998年11月21日)未来編。本編から3000年後の物語。
餓沙羅鬼見聞録CD2「天の人 海の民」(1998年12月19日)古代編。卑弥呼の時代の物語。
餓沙羅鬼見聞録CD3「人、嵬」(1999年2月24日)平安末期編。第15・16話とは異なる時代の物語。
餓沙羅鬼見聞録CD4「出発(たびだち)」(1999年4月7日)近未来編。最終話の後日談。
「ガサラキ」公式webサイト
http://www.gasaraki.net/
序ノ舞
清(さや)かなる 時の水面に 風渡る
睦月すぎれば 春の騒めき――
心つないだ 空の息吹
古(いにしへ)の記憶 いつしか憶(おぼ)へ
秘め事咲けども はらはらと
臨月きたりて 桜散るらむ……
1.
私が初めて彼に出会ったのは、今から遡ること約5ヶ月ほど前、満開をすぎた桜が散り急ぐ、ある春の日のことだった。
――彼の名は、豪和ユウシロウ。
私はその日、由緒正しい地方豪族の流れを汲む、豪奢な構えながらも、ひっそりと静まり返った佇まいの中に重々しい歴史を感じさせる日本邸宅、豪和邸にやって来た。
彼、ユウシロウの家庭教師の任に就くために。
豪和の家は、中部地方は首都圏に程近い企業城下町、豪和市に居を構えていた。
そう、その地方都市の一つをも、その支配の傘下に置く巨大企業――それが豪和という家のもう一つの真実の顔であった。
私はその豪和の四男である御曹司のひとり、ユウシロウに語学、とりわけ英会話を中心に教えるべく、ここ豪和邸に赴いたのだ。
しかし、こうして私が豪和に近づいたのは、本当はそんなことのためじゃない。
私の家をめちゃめちゃにし、家族を奪った豪和そのものに復讐するため……。
私の名は――伊集院佐和子。
伊集院家は、かつて地方豪族であった豪和家に代々仕えてきた家柄であり、同時に日本有数の一大コンツェルンを形成する軍需兵器産業、豪和インダストリーの傘下にある、ある中堅企業を営んでいた。
しかし、およそ8年前、豪和が特務自衛隊と共同参画して、二足歩行型兵器〝タクティカル・アーマー〟通称TAの開発に着手した際、伊集院は突然豪和との取引を断ち切られてしまった。
それはあまりにも突然に。
豪和はそれが当然の事であるかのように、またその行為が、まるでこれまで続けてきたものと、ひと繋がりの行為であるかのように、平然と私たちを裏切った。
それが、いまや日本有数の軍需産業と化した豪和という企業の正体なのである。
自らの利益のためならば、たとえ長年関係を続け温めてきたものであろうと、いやたとえそれが自身の身内のようなもので、永い歴史の歳月に亘って主従関係を続けてきたものであろうと、一切関係ない。
その乾いた企業論理は時に、弱い者に対して特に冷酷な牙を剥いた。
それは、常に豪和に忠誠を誓い、献身を惰らなかった伊集院家に対しても、決して例外ではなかった。
……私はそんな豪和が許せない。そう、決して許すことなどできない。
たとえ伊集院家が古来より豪和の家臣として、家そのものを存続させてきたのだとしても――私は豪和という一族の存在を許すことができない。
それが、たとえ自身に繋がる、永い歴史の系譜に終止符を穿つことになろうとも……。
8年前のあの日、追い詰められた私たち家族は、やむなく一家心中を試みた。
信頼を裏切られた絶望と虚しさも、燃え盛る炎に焼かれ、掻き消され、蒸発していける気がした。
父と母、そして兄と一緒なら、もう何も怖くはなかった。
しかし、そんな思いとは裏腹に、運命の悪戯か、私はひとり生き残った。
炎の中から救け出され、最初に目覚めた時、生きているはずがない、そう思った。
そうだ。自分ひとりが生き残ってどうするというのだ?
私は、父や母や兄と共に、あの炎の中にいなければならなかった。それなのに私は……。
だが流す涙も涸れ果て、ただ茫然と時を見送るうちに、胸の中に激情にも似た強い想いが沸々と沸きあがった。
私ひとりが生き残ったのは、もしかしたら、そのためかもしれなかった。
そのために神が――もしそんなものが在るのなら――与えてくれたひとつの使命だったのかもしれない。
私は復讐を誓った。深い絶望と落胆のなかにこの身を囲うよりも。
その虚空のただ中へと私たちを突き落とし、家族を死地へと追いやった豪和に……。
そんな私を、陰になり日向になり支えてくれたのは、私をあの焔の中から救い出してくれた、ある一人の男だった。
国際ジャーナリスト連盟所属、鷹水誠司。
彼は私をアメリカへと留学させてくれた。そして私はその数年後、米ハーバード大学を首席で卒業した。
それができたのは、豪和に対する強い憎しみの気持ちがあったからだが、思えば常に彼が私の心の支えとなってくれたからこそ、私はどんな困難をも克服できたのだ。
鷹水がいなければ、私はきっと豪和に復讐するどころか、自分ひとりで生きていくことも、おそらく容易ではなかっただろう。
そして私は、いつからか国籍を超えて組織化された、ある国際ジャーナリズム団体で、彼の秘書として働くようになった。鷹水は、そのゲリラ的組織の中核をなす人物でもあった。
やがて鷹水は、私の婚約者となった。
鷹水の元で働くうちに、私はとうとう豪和に接近する機会を得ることになった。
そう――現在彼らが極秘に調査している、日本の軍需企業・豪和がこれも極秘裏に開発している、二足方歩行兵器について探るために、8年ぶりに米から帰国し、この豪和邸潜入に成功したのだ。
無論、表向きは豪和の四男、ユウシロウの家庭教師として。
*
「軍服――?」
父、乃三郎(だいざぶろう)に連れられたユウシロウを初めて見た瞬間、私は言葉を失った。
ネクタイを締め、薄青色をした品の良い制服姿のそれは、明らかに階級章を胸と肩に付けた軍服姿そのものだった。
彼は民間人でありながら、豪和の二足歩行型兵器開発のために特別にチーム化された特務自衛隊の実験中隊に属し、大尉の階級を与えられている。
それは彼が、二足歩行型兵器TAの開発になくてはならない存在だかららしいのだが、その詳細は世界各国に亘る私たちの組織の情報網によっても、いまだ明らかにされてはいなかった。
初対面のユウシロウを前にした私の驚きは、その特自の制服姿であったこともだが、それがあまりにも違和感を感じさせず、異様にしっくりしていたからなのだが。
しかし本当のところ、そう感じる理由は、もっと別な所にあったのかもしれない。
「彼女が今日からお前が家庭教師としてお世話になる、伊集院佐和子君だ」
「伊集院佐和子です――どうぞよろしく」
「豪和ユウシロウです」
彼はとても十七歳になったばかりとは思えないほどの、不思議な落ち着きに満ちた少年だった。こちらの問いかけに対し、ひと言ふた言答えるその言葉の丁寧さ。単に育ちがよいからなのだろうか?
でも、その立ち振る舞いなどをも含めた彼の存在の全体像から、明らかに普通の高校生とはかけ離れたものを感じるのだ。
豪和の末息子として、確かに通常とは遥かに異なる環境下に置かれているとはいえ、それはまるで十七歳にして、既に永い歳月を生きてきたかのような――その眸の色からは、そんな老成した思慮深い何かが垣間見られた。
(後に私は、そんな彼ユウシロウが背負っているものの尋常ならざる大きさを知るのだが……)
ただ無口でおとなしいだけではない、ユウシロウは、そんな不思議な少年だった。
*
「伊集院先生……」
そう呼ばれて、私ははっとした。
彼と二人きりになったことを思い出したのだ。
ユウシロウは、いとも簡単に自分の存在をその場から消し去ることができる。それはおそらく彼が、この豪和の家で能を習っているからなのだろうか。
それでいて時々とても重苦しい、目には見えない息苦しいほどの圧迫感を感じさせるのだ。
一度彼を意識し始めると、その存在を無視することができなくなる。
「これから、どのようなカリキュラムで勉強を進めていけばよいのでしょうか」
そう抑揚のない声で問われて、私はやっと我に返る。
当然これは、彼の家庭教師の任に当たるに際し、父乃三郎から聞かされていた話ではあったが、実はユウシロウはとっくに高校を卒業している。
つまり飛び級――相手がそれだけのIQの持ち主であることに、米大学を首席卒業の経歴を持つ自身が特別引け目を感じるわけではないが、それでも彼は、九歳も年下の十七歳。
どこかその独特の貫禄のようなものを携えた気配に気圧されたように答えた。
「そ、そうね。じゃあ……」
なぜか英会話だけは苦手という彼に、まず基本的な段階からレクチュアし、授業を始めることにする。
でもIQが飛び抜けて高いのに、英語が全く喋れないだなんて……。
それでも私には、それが全然おかしなことには感じられなかった。ことユウシロウに関しては。
彼と顔を突き合せるうちに、次第に表面の頼りなげな雰囲気と平行して、どこか朴訥としているその人となりに、それがなんとなく如実に表れているように感じられてくるのだった。
*
――春。豪和の家の純和風の庭園を吹き抜ける心地よい風が、障子の隙間から流れ込んでくる。
部屋には、私とユウシロウの二人だけ。私の英語のスピーチだけが、しんと静まり返った和室に響く。
目の前ではユウシロウが、熱心にそのスピーチに耳を傾けながら、手元のテキストを目で追っている。
ただそれだけの、何もない時間――。
「……じゃ、ここまで読んでみて」
私は英文を朗読するのをやめると、ユウシロウを促した。
ユウシロウは、言われた通りの箇所を、少しつっかえながらも、忠実に細かい発音を真似てみせる。やはりそれだけ集中力が、ずば抜けているのだ。
「OK。さすがに始めたばかりにしては上出来ね。でも、こことここの発音は……」
私はそんな風に毎日決まった時間に繰り返される、ユウシロウとの穏やかなひと時を過ごしながら、頭の片隅では、自分に課せられた使命について、片時も常に忘れたことはなかった。
――何かの拍子にユウシロウから、豪和の兵器開発について、それとなく訊きだす……実際はそれほど単純なコトではないのだろうが、ユウシロウ自身のそばにいることで、必ず何かが掴めるはずだ。
そうやって少しずつ、ターゲットとの距離を狭めていく。そして、いずれ豪和を。どんな小さな綻びが、この一大帝国を築く高い城壁を崩す礫(つぶて)となるとも限らない。鷹水はそのために私を豪和へとやった。いや、むしろこれは私自身の意思でもあったのだ。実際、国際的緊張から鑑みても、その尋常ならざる兵器開発が忌々しき事態であることを知るのは、それでももう少しあとの事になるのだが……。
そんなことを何気なく考えながら、私は目の前に俯き座っているユウシロウの表情を盗み見た。
何も知らない彼は、私のことをおそらくただの家庭教師としてしか見ていないだろう。
そう、それが当たり前……しかし、これから私がしようとしていることは、この何も知らない繊細でおとなしい少年一個人までをも、当然巻き込んでいくことなのだ。
私のことを先生と信じて疑わず、こうして静かな同じ時を過ごしている彼を。
〝いいえ佐和子、忘れたわけではないわよね。豪和が私たち伊集院家に何をしたのかを。一体誰が、平凡で幸せな家庭を一瞬にして奪い去ったとでも思っているの?〟
そう思うと、春風にひと時収まっていた憎しみの感情が、急に胸に押し寄せてきた。
〝彼だって豪和の一員。いいえ、むしろ文字通り立派に豪和の力となる存在。ならば、決してこのままにしておくことはできないはずよ……!〟
そう思って、私はユウシロウを密かに睨みつけた。
しかしその意に反して傍らの彼は、目の前で我知らず、机に前半身の体重を傾け、すうすうと軽い寝息を立てている。
「ユウシロウ?」
私はそっと呼びかけた。すると彼ははっとして飛び起き、所在なげに戸惑いを見せると、緊張した面持ちで詫びた。
「……ごめんなさい」
普段のどちらかというと無表情な、まるで能面のような彼の面影からは、想像もつかないようなその慌てぶりに、私は何もかも忘れ、思わず噴き出していた。
そして先程の憎しみの感情も、いつしか不思議とどこかに消え去っていた。
「あなた確か、夜は特自で訓練を受けているんでしょ? きっと疲れてるのね。いいわ、少し休みましょう」
そう言って私は、障子をすっと開けて縁側へ出た。ユウシロウに対する、そのあまりに自然な気遣いに自ら驚くこともなく。
縁側の陽だまりでは、午後の日差しが燦々と降り注ぎ、雲雀のさえずりが、そこに暖かい静寂を作り出していた。
ユウシロウも私に続いて縁側へ出ると、音もなく私の傍らに腰掛けた。
「ユウシロウ。私、以前から気になっていたことがあるんだけど、あなた、なぜ特自に行ってるの?」
私はまるで何の意図も持たない〝ただの家庭教師〟を装うように、平然と問いかけた。
その何気ない問いに、ユウシロウはしばらく間を置いてから、そっと確かめるように答えた。
「……父や兄たちが望んでいるからです」
「あなたは? あなた自身は望んでそれを承諾したの?」
あくまでユウシロウは正規の自衛隊隊員ではないが、出向という扱いで特別に特自――特務自衛隊に在籍している。私が彼の家庭教師として雇われたのだって、単に英会話だけとはいえ、大学へ通う時間を短縮してのことなのだろうが、それにしても。
彼が特自の――TA開発の雛型として扱われていることに端を発するように、豪和の兵器開発にとって、やはり彼はなくてはならない存在なのか。
考えてみれば、彼も豪和の犠牲者のひとりかもしれないのだ。いくらなんでも一企業の都合に、それも身内の者が振り回されているどころか、それは一種の人権をも逸脱しているとまで言える。
ユウシロウは、些か自分の内面にまで食い込んでくるような、私の質問に少し戸惑いを覚えたのか、やや視線を逸らした。
「たぶん……」
「ユウシロウ」
私はそんな彼のことが気になってしかたなくなった。
彼は一体なんのために、そこまで自分自身を犠牲にしてまで、豪和の意のままに黙々と従っているのだろう。いくら豪和(みうち)の企業のためといっても、限度というものがある。
豪和だって個人の、それも身内である、こんないたいけな少年の自由を奪う権利などないはずだ。
だが、確かに彼は豪和の四男であり、同時にただ一人民間人でありながら、大尉の階級を持つ、非凡な二足歩行型兵器のテストパイロットなのだ。
それだけは、哀しいかな明白な事実だった。TA開発の骨子を探ることと同時に、そんな彼を保護し、最終的に豪和にとって使い物にならなくさせること――それが暗黙のうちに私に課せられた、一つの使命でもあるのだった。
*
私は傍らで横になり眠っているユウシロウの寝顔を凝っと視つめた。
その寝顔は、ひと時、己の使命から開放された安らぎに満ちていた。
と、彼の着物の懐から、ころころと何かが転がり落ちた。不審に思って手に取ると、それは小さな透明の硝子球だった。
その硝子球は、午後のまぶしい光を受けて、キラキラと万華鏡のように七色に美しく輝いた。
ふと見ると、その玉には小さく〝みすず〟と、彫り込まれてある。
「女の子の名前?」
どこかでその名には覚えがあった。私はふと思い出した。確かユウシロウの下に、もう一人美鈴という妹がいることを。
彼は妹から貰ったこの硝子球を、片時も肌身離さず懐に忍ばせているのだろうか。確か彼の妹は、病弱なため療養中と聞く。
私はあらためて、ユウシロウの寝顔を見やった。そして、手にした硝子球を再び彼の懐にそっと戻そうとした。
しかし私が彼に近づいた次の瞬間、寝返りを打ったユウシロウのアップが、突然目と鼻の先に飛び込んできたのだ。
「……!」
次の瞬間、私は釘付けになった。
陽に透ける、さらさらとした柔らかな髪を揺らす微風。閉じた瞼の際に陰を落とす、思いのほか長い睫毛。すっと通った鼻筋。白くて柔らかそうな頬。そして、触れたら溶けてしまいそうな唇……。
瞬間、心臓の鼓動が弾け飛んだ。思わず身を引いた私は、そのままの姿勢で固まったまま、まじまじとユウシロウの寝顔を眺めてしまった。
何とかして呼吸を整えようとするのに、なぜだか胸が締め付けられるように苦しい。瞬間的に頂点に達してしまった心拍数は、なかなか元に戻ってくれない。
〝……ドクン……ドクン……ドクン…ドクン……ドクン……〟
なのに私の指先は、ゆっくりと誘われるようにユウシロウに伸びていった。まるで意思を喪くした操り人形のように。
時間の流れが、突然ゆっくりとスローモーションで流れ始めたようだった。
そしてその震える指先が、ユウシロウの前髪に触れるか触れないかという刹那、ユウシロウは目覚めた。私は、引っ込めるに引っ込めなくなった指先を止めたまま、ただその姿勢で凍りつくしかなかった。
「……先生?」
目覚めたユウシロウは、目をぱちぱちさせ、何事かと私を見上げる。
「……あ……。いま、は、花びらが……そう、桜の花弁(はなびら)がついていたから、取ってあげようと思って」
「桜?」
半ば不思議そうに尋ねるユウシロウに、私はしまったと思った。
桜なんて、とうの昔に散ってしまったからだ。
「いいえ、違った……光の加減で花びらに見えたのよ」
そう言ってなんとか誤魔化したが、当のユウシロウは、特別気にする様子もない。それでも私は決まり悪そうに、何気なく手にしたままの硝子球を弄んだ。
「先生、それは」
ユウシロウが私が手にした硝子球に気づいて言った。
「あ――」
私は再び若干凍りついたが、何も慌てることはないのだと、胸の中で自分に言い聞かせ、それをユウシロウにそっと差し出した。
「はい、これ。さっきあなたの着物から落ちたの」
ユウシロウは、ふっと微笑むと、
「……すみません」
少しだけ恥じらいながら、受け取った。
「妹さん? 確か美鈴さんって」
「ええ。妹が別れ際にくれたんです。『私だと思って、大切にして』と」
「妹さんのこと、とても大切にしてるのね」
「ええ……たった一人の妹ですから」
〝たったひとりの妹〟
――何気なく呟いたそのユウシロウの言葉に、ふと私は胸の片隅が痛むのを感じた。
しかしふと盗み見たユウシロウの横顔には、とても幸せそうな微笑が浮かんでいる。
〝羨ましい〝――私は咄嗟にそう思う、いじましい自分自身を感じた。子供じみた羨望の気持ちだろうか。
しかし、そんな私にも兄がいたのだ。たったひとりの、とても優しい兄だった。
でも、その兄は。兄だけでなく、父も母も……。
急に強張った怖い顔になって黙りこくってしまった私を見て、ユウシロウは怪訝な表情になった。
「先生……?」
その声に我に返った私は、ふと立ち上がりユウシロウに背を向けた。
「いいえ。なんでもないの……なんでも」
ユウシロウを妬んでどうする。
しかし、そう思えば思うほど、いたずらに切なく胸は締めつけられる。
しかし私は、何事もなかったかのように、元の教師の仮面を被り、ユウシロウを促した。
「――さあ、続きを始めましょうか」
2.
〝私はたった一人の彼の幸せを奪おうとしている。彼の妹は、私が彼を不幸に陥れようとしていることを知ったら、なんて思うかしら?〟
私はしばらくの間、そんな思いから逃れられなかった。でも、それでは一体なんのために、私はこの家に潜り込んだの?
彼の父、豪和乃三郎は、8年ぶりに日本に舞い戻った私に、こう言った。
『……あの時はすまなかった』
〝すまなかったですって〟
――そんなたった一言だけで、すべてを水に流せるとでも思っているの?
私はどうしても豪和が許せない。豪和という存在がこの世にあり続ける限り、この心に平安は訪れない。きっと豪和一族をすべて根絶やしにしてしまうまで、私の心はずっと満たされやしないだろう。
でも、私は微笑って乃三郎に言葉を返した。
『いいんです。もう――』
おそらく乃三郎自身も、それで済むとは思ってはいないだろう。しかし、隠し持った鋭いナイフのように、私の冷たく光る微笑みの奥の光を知ってか知らずか、乃三郎は静かに目を伏せた。それはどこか赦(ゆる)しを求める殉教者のようだった。
*
「先生、終わりました」
ユウシロウは英会話のスピーチを終えるも、しばらくして私が何の反応も返さないので、テキストから顔をあげ、怪訝そうに物思いに沈む私をみつめた。
「――あ、ごめんなさい。終わったのね。じゃ、次はここから」
「ここはさっきやりました……?」
おもむろにそう返され、私はユウシロウを目の前にして、なぜだか自分がいつになく動揺していることを感じた。
「――ごめんなさい、私、今日はぼんやりしていて」
私は目頭を押さえ、繰り返しユウシロウに詫びた。考えてみれば、ここのところずっと疲れが溜まっていたのか、昨夜は一睡もできなかったのだ。
いや、実のところ本当は……。
「あの……ちょっと気分が悪くて。すまないけど、今日はこの辺にして――」
そう言いかけて立ち上がった途端、突然立ち眩みに襲われ、私はふらりとテーブルの上に崩れ落ちた。
「――先生?」
普段は冷静な彼も、これにはさすがにびっくりしたらしく、必死になって私に呼びかけた。
「佐和子先生!」
「初めて、呼んでくれたのね……私の名前」
その時の彼からすれば、どうでもいいことを、朦朧とする意識の中で呟き微笑んだ私は、心配して覗き込むユウシロウに見守られながら、ただ次第に気が遠くなっていくのを感じていた。
気がつくと、私は別室で布団に寝かされていた。
もうとっくに日は落ち、時計の針は深夜近くを差していた。
「あとは僕が看ているから」
奥女中らを帰す、そんなやり取りが頭の隅の方で聞こえた。
「私……」
見廻すと、傍らでユウシロウが真剣な顔を私に向けている。
「――大丈夫ですか?」
ユウシロウは、ずっと私の傍に付き添っていてくれたらしい。
「ユウシロウ? あなた、特自に行かなくていいの?」
「今日は休みました」
しかし、例え出向とはいえ軍隊の性格上、休むといって、そう簡単に休めるものではない。そう思うと、頭の片隅に一抹の不安が首をもたげた。なぜ、そんなに簡単に……、それでも、単純にそうまでしてユウシロウが私の傍についていてくれたことが、私はなんだかとても嬉しかった。
でもその一方で、私はそんな自分自身に戸惑い、自分でもわけが分からず、ただただ無心に驚くばかりだった。
「ユウシロウ」
「はい」
ふと私は彼に語りかけた。
「私がいまの私でなくなったら、あなたは私を許さないかしら?」
彼の前で咄嗟に口をついて、こんな言葉が飛び出してくるとは思いも寄らなかった。しかし、そう思いながら私は続けた。
「あなたがこんなに私に優しいのは、私があなたの先生だから……きっとそうなのでしょ? 他に理由なんて何もないわよね」
ユウシロウは思わぬその言葉に、ふと言い淀んだが、硬い表情ながらも、ようやく口を開いた。
「……分かりません、僕にも。でも、ひとつだけ言えることがあります。それは、いまの僕には、先生がたったひとりの先生だということです」
その言葉を聞いて知らず知らずのうちに、涙が頬を伝って流れるのを感じていた。なぜ……どうして。けれど、まるで堰を切って流れ出したような、その感情の奔流を、私はしばらく止めることができなかった。
「ユウシロウ、私、私は――」
でも、それ以上は言えなかった。
*
ここは豪和邸の地下に設けられた機密情報室。豪和の、それも総代ほか極々限られた者でなければ、立ち入ることのできない場所である。
その中二階。そこに豪和インスツゥルメンツの会長であり、豪和一族の総代でもあるユウシロウの父、豪和乃三郎がゆったりと椅子に腰掛けていた。
そして、部屋の前面に設えられた、様々に世界情勢を映し出すモニター画面の前で、ユウシロウの三人の兄たちのうちの二人――長男の一清、そして次男の清継が、画面の明かりに照らし出される部屋の薄闇の中、それぞれの場所で各々思いを漂わせていた。三男の清春だけが仕事の都合上、いまだ豪和の渉外にいた。
本当は日々続々と特自から送られてくるTAとユウシロウの被験データを検討するために、今ここに集った面々であった。が、その日は密かに別の議題が持ち上がっていた。
おもむろに清継がモニター画面に、ある一つのデータを呼び出した。そこには、ほぼ住み込みの状態で豪和邸に潜入した私、伊集院佐和子の姿があった。
「伊集院か……まさか生きているとは思わなかったな」
一清が微妙に薄い笑いを含んだ声色を吐いた。
「情報によると、彼女は留学のため渡米し、米ハーバード大を首席で卒業したそうだ。どうやら優秀な女性に成長したらしい」
科学という自分の管轄からすれば畑違いのことに、あまり関心がなさそうな次男の清継が言葉を次ぐ。それでも女の身でそこまでになったことは褒めてやってもよかった。
「その後彼女は、あるジャーナリスト団体の秘書になったようだが、それがただの秘書ではないらしい。どうやら彼女には、その昔彼女を救け、後ろ盾となり渡米にも尽力した、素敵なフィアンセがいるとのことだ――」
「こいつがその鷹水誠司か」
清継が呼び出したもう一つのデータに一人の男の姿が映し出された。
「彼女がなんのために家庭教師なんて下手な芝居をしているのかは、押して知るべし……だけど。いいんですか、お父さん?」
それでも清継は、ユウシロウの英会話の教師として雇った、かつての乃三郎の同僚であった伊集院大祐の忘れ形見、佐和子を豪和に迎え入れた父の真意が訊きたかった。
「総代には総代の考えがあるのだ」
その一清の言葉に沿うわけではないが、乃三郎がややあって重い口を開いた。
「彼女がうちに来てくれれば、何かと手間が省けることもあるだろう。違うか?」
「……まあ、確かに」
乃三郎の言葉を受けて、一清が不気味に呟いた。