1.
――初夏。
私は、かつてユウシロウが余流能楽の修行をしていたという、ある山間の郷"鬼哭石(きなし)の郷"を訪れていた。無論ユウシロウに誘われてだ。
と、本当は言いたいところだが、実際は彼が実に三年ぶりに、郷に能の修行に赴くということを、彼自身から聞きつけた私が、ぜひ一緒にと半ば強引に頼み込んだのだ。
勿論、乃三郎の許可は取ってある……その許可が簡単に降りたことこそ、むしろ不可思議なことであり、実際はもっと殊更に警戒心を抱かねばならないことでもあったのだろうけれど。
でも、そんな一抹の懸念さえも忘れ、ユウシロウについてもっと知りたいというその思いは、確かに半分は単なる一エージェントとしての調査の一貫もあったのだが、それ以上に本当は私自身が、純粋に彼について深く知りたいと思ったからなのだ。
彼は一体何を考え、なんのために現在のような生活を受け入れているのか。
そして豪和は、彼の何にそれほどまでに執着し、またそのように豪和が欲している彼の真の能力とは、一体なんなのか。
正直、真面目な話、私はどうしてもそれについて調べなければならなかった。
郷にある能の修行場を兼ねている古式ゆかしい古寺で、ユウシロウの師匠である余流能楽の宗家、空知検校が出迎えた。
「……これはようこそ。早速参られましたな」
「お世話になります」
一週間ほどの期間に限ってだったが、しばらく空知の家に世話になる私は、深々とお辞儀した。
穏やかな表情を常に携える老師、空知。これといって何も特徴はないが、その独特の佇まいに、私は何か特別な空気を感じるのだった。
元々伊集院家は代々豪和に仕えてきた家系だったが、この空知検校の家も、ある意味では同様に同じ使命を担っているといえよう。ただしそれは、能の伝承といった特殊なことに限ってのものだったが。
しかし私は、なぜ豪和の家に余流能楽が必要だったのか、案の定詳しいことは何一つ知らなかった。
そしてなぜ、豪和一族の中でただ一人の伝承者であるユウシロウだけが、辛い修行に耐えねばならなかったのかも。
*
初夏のすがすがしい風を受けて、周囲の山々の緑が輝いて見えた。
私は久方ぶりに豪和の家を出た開放感もあり、大きく伸びをした。
実際は一週間だけだったが、この際うんと羽を伸ばそうと思ったのだ。自分の置かれている状況や役目を忘れ――ちょっと早めの夏休み、そんな気分もあったかもしれない。
しかしそんな私とは裏腹に、実に久しぶりにこの地に足を踏み入れたユウシロウには、なぜだか、かえって全身に張り詰めた糸のような緊張感が漲(みなぎ)っていた。
私はユウシロウの家庭教師という名目を利用して、ほとんど軽い気持ちで彼についてきてしまったが、彼は再び自身の身に能のリズムを刻みつけるために、この郷に戻ったのだ。
彼には、〝休暇を取る気分で来てください〟などと言われてしまったが、そんなユウシロウのことを考えると、なぜだか自分まで気が引き締まるような気がした。
――それにしても、ユウシロウと能楽。異様なほどの、そのあまりの相性のよさに、私は思わず身震いするようだった。
きっと今の彼は、能があったからこそ築き上げられたものなのかもしれないし、それに能という日本古来の伝統芸能の技芸によって、彼の存在自体もまた一番に輝いてくるのだろう……。
その時の私は、単純にそう思っていた。
ある朝私は、早くから起き出して、ユウシロウが毎朝修行を続けているという、能舞台へ足を運んでみた。
澄み切った山間の朝の空気は、また格別だった。
そんな清澄な静けさの元、袴姿のユウシロウが、能の呼吸を自身の身に呼び戻そうと、ひとり稽古に励んでいた。
古い寺の一角を造り替えた木造の能楽堂の能舞台に、ぴんと張り詰めた空気が漂っているのが私にもわかった。
構えの姿勢で舞台のほぼ中央に位置したユウシロウは扇子を手にし、気持ちのよいほど背筋を伸ばし、静かに、目の前の空間に何かを思い描いているようにも感じられた。
宙を見つめるその眸は真剣そのもので、泉のように澄んでいる。
彼が摺足で移動すると、空気がゆっくり弧を描いたような気がした。
そのままユウシロウは立ち止まると、力を蓄え、一呼吸のあと、ドン!と檜舞台を踏み鳴らす。その瞬発力の鋭さ、静と動の微妙な呼吸の使い分けは、見事と言ってよい。
だが、俄かに舞台上の場面(シーン)が変わり、次第にユウシロウの動きは激しさを増していく。
早く、激しく――。
ユウシロウの額から、汗が滴り落ちる。ひたすらに激しさを増していく息遣いに圧され、彼の動きに支配された周囲の空気が鳴り、耳の奥が痛くなる。
私はそんなユウシロウの動きに目を奪われたまま、凍りついたように動けなくなった。単なる錯覚だろうか……、しかし、そのままユウシロウの意識は、遠く忘却の彼方へと、次第に立ち入っていくかと思われた。
だが彼は目を閉じると、先程まで激しく上下していた呼吸を鎮め、すっと静かに足を地に付けた。
その途端、次第に周囲がもとの静けさを取り戻す。
私は何が起こったのかわからず、ただひとりその場に立ち尽くしていた。
ユウシロウは何事もなかったかのように、もとの構えの姿勢に戻っている。
呆然としたままの私は我に返り、次の瞬間感激のあまり、思わず引き込まれたように両の掌を打ち鳴らしていた。その音に初めて我に返ったユウシロウは、舞台の袖でこちらに向かって律儀に拍手している私を見つけた。
「――おはようございます。佐和子先生」
ひと呼吸の後、ユウシロウは私に挨拶した。
「おはようユウシロウ……素晴らしかったわ!」
私はたった今感じた感動を、素直に言葉にして伝えた。
ユウシロウは私のその感嘆の言葉に少し恥じらい微笑すると、すぐに元の真顔に戻った。が、私はその時、彼のその表情の奥に潜む蒼い翳りに気付かなかった。
「さすがね。やはり本物は違うということかしら?」
重ねて褒めちぎる私に、ユウシロウは微笑みを返しながら無言で首を振った。
「……なんていうかこう、水面に波紋が広がるような……さざ波が立つような。そんな感じがしたわ」
「確かに舞の呼吸の緩急は、そんなものに似ているかもしれません」
ユウシロウは控えめに私の感想に答える。
能のことに関して話している時、気のせいかユウシロウは、まるで現(うつつ)を忘れるように、少しだけ饒舌になるような気がした。それだけ彼は能の修行に没頭しているのだろう。
しかし、話が豪和家代々に伝わる余流のことに深く関わってくるようになると、途端に口を噤んでしまい、なぜかその表情はそれまでとは打って変わって厳しくなり、やがて次第に暗い陰に打ち沈んでいくようにみえた。
それともそれは、単なる私の気のせいなのだろうか……。
だが私は、先程のユウシロウの舞を思い出していた。
確かにユウシロウは何事もなかったかのような表情で舞を終えたが、しかし一時の彼のあの舞の激しさは、私にある種の不安感を抱かせた。
そこには、いつのまにか現(うつつ)とはかけ離れた無限の境地へ踏み込んでいくような、二度とこちらの世界には戻っては来れないような、どこかそんな危うげな気配があった。
私は目の前のユウシロウの沈痛な面持ちを見つめながら、自分の与り知らないところに存在し漂っている、そんな何か底知れぬ不安を感じずにはいられなかった。
*
確かにユウシロウは、豪和では特異な存在だ。
兄弟の中で唯一彼だけが特別扱いされ、家の中だけも、あんな離れに住まわせられている。
そればかりか、普通なら高校生である年齢だというのに(実質的に行く必要性がないのだろうが)学校へ行く通常の生活も送らず、特務自衛隊で豪和の開発した二足歩行型兵器TA――タクティカル・アーマーのテストパイロットとして日夜、実験と訓練に明け暮れている。
それは勿論、巷からの見かけで捉えた彼の姿だが、それ以上に私は、これまでそんな彼を自分の使命を貫徹させるための、いわゆるただの道具としてしか見ていなかったのかもしれない。
少なくとも、彼自身をよく知るまでは……。
しかし、彼もまた豪和の一族にとって道具同然なのではないかと当たり前に感づいた頃から、私のユウシロウに対する見方は180度変わった。
そして彼もまた不幸な身の上なのだと思い、同時に自分がこれまでやろうとしていたことは、ほとんど豪和のしていることと変わらぬことであったのだと――そんな悔恨の念が、いつしか私の心を包んだ。
勿論、豪和は許せない。しかしユウシロウだけは、何かが違う気がする。彼にはあんな非情なことをする人種とは明らかに隔たりのあるものを感じるのだ。
それどころか現にユウシロウ自体、彼らにずっと利用され続けているではないか。
私は、せめて心だけでもユウシロウの力になりたかった。彼にはきっと彼自身を支える第三者の存在が必要だ。
……それはおそらく彼にとって、三人の兄でも母でも父でもないのかもしれない。
だがしかし、こんな私が、はたして彼という存在の力になることなどできるのだろうか。――豪和に復讐を誓った、この私が。
「ユウシロウ……」
私はふと、いつもと少しだけ違う声音でユウシロウに近づき、語りかけた。
「私に力になれることがあったら、遠慮せず、なんでも言ってちょうだい。私、いつでもあなたのそばにいるから」
そう囁くと私はユウシロウの肩をそっと引き寄せ、抱いた。
……そう、まるで小さな子供に優しく接する時のように。
しかし私は、いま自分が何気なくしている行為の意味に気付き、思わずはっとした。そして瞬間的に膠着するユウシロウの身体を咄嗟に離していた。
〝……どうしたの、一体〟
私は自分自身でも半ば戸惑っていた。冷静に考えれば、ユウシロウは私と九つも離れた一七歳の少年である。
しかし私は、いつしかユウシロウを心のどこかで〝一人の男性〟として意識している自分がいることに気付いた。確かにかつての私は、少なからず汚い言葉を使えば、そうやって女の武器を使うことで、豪和の四男である彼を陥れようとしていたのだ。
でも、違う。
この感情は、そんな不毛なものとはまったく無縁なものだ。
この大切な、たったひとつの切ない気持ちは……。
でも私は、そんな自分の思いを振り払った。
〝ばか!……何やってるの。私には、誠司さんというひとがいるじゃない。それに一体なんのために、私はこの家にやってきたと思っているの。
豪和に文字通り殺された父と母と兄の無念を忘れたわけではないでしょう?
だけど、だけど――〟
私の心で、二つの思いが同時に叫ぶ。身体がまっぷたつに引き裂かれそうだった。
きっとユウシロウは、こんな私の中の苦しい思いなんて、何ひとつ知らないでいるのだろう。あの澄んだ眸に映っているのは、あくまで一人の家庭教師としての私だけなのだ。
しかし勘の強いユウシロウは、なにがしか思い悩んでいる私に気付いたのかどうか、さっき私が告げた言葉の真意に対して、優しく微笑んで言った。
「――先生、ありがとう。きっと僕は、先生のことをずっと忘れないでしょう」
〝なにそれ。まるで今生の別れの言葉みたいじゃない……〟
私はそう思いながら、悲痛な思いでユウシロウの澄んだ鳶色の瞳を見つめた。なんの一点の曇りもない、その綺麗な瞳の色を。
一体、彼の華奢な身体のどこに、凛としたこれほどの力が宿っているのだろう。そう思わずにはいられない何かが、常に彼にはあった。
脆くて壊れそうな、まるで薄くて透明なクリスタルグラスのような危うさに縁取られている彼の印象と、それは不思議に同居していた。
できることなら私は、そんな彼の純粋な何かを守りたい。
時に激しく、時に儚く、硝子のように繊細なその心を守るために――彼のために、できることなら私は自分自身の存在を活かしたい……。
絶望的な思いのなかで、それでも私は、心からそう思っていた。
2.
ある月の輝く晩、私は空知検校の屋敷の空知の部屋を訪れていた。
ユウシロウの能の師匠である空知。
その古く鄙びた邸宅は、人里はなれた山間の、さらに奥深く人目を避けるかのように、ひっそりと建っていた。しかし、野手あふれる、その奥ゆかしく静かな日本家屋の佇まいは、この余流能楽宗家の穏やかな品格にこれ以上ないほど相応しく思われた。
「……いいお宅ですね。なんだかとっても落ち着きます」
書院造りの和室に通された私は、それとなく辺りを見回しながら、あらためて言った。
「……お褒めに預かるほどの所ではありませぬが」
穏やかに微笑み、私に茶を勧める空知。
「――して、今宵参られたのは、何かお尋ねになりたいことがある由でしょうかな」
いきなり確信を突かれ、私は思わずどきりとした。
が、すぐに真面目な顔で頷き、単刀直入に切り出した。
「お尋ねしたいのは、ほかでもない、ユウシロウのことなのですが」
その名に、空知の顔に心なしか哀しみの色が微かに浮かんだような気がした。
しかし、すぐに平静に戻って空知は口を開いた。
「ユウシロウ殿は豪和宗家に古くから伝わる余流能楽のただひとりの伝承者。それは既にご存知のはず――」
「――ええ。そしてその豪和でただひとり、いえ、民間人でただ一人、大尉と呼ばれる二足歩行型兵器TAのテストパイロット……」
それから私はひと呼吸おき、一気にまくしたてた。自分でも信じられないような激しさで。
「私には納得できません。いいえ、きっと誰にだって!いったい豪和は、彼に何をさせようとしているのか。私はただそれが知りたいのです。……確かに私は部外者かもしれません。しかし、はたしてそうなのでしょうか? 私の家は代々、地方豪族であった豪和の家に仕えてきました。でも、豪和はそんな私たちを見捨てた――なんのためらいもなしに。確かにそれは、いまや一巨大企業と化し、一地方都市をも、いえ、この日本全体をも揺り動かす力を持つ豪和にとって、小さな駒を捨てるような取るに足らないことだったかもしれません。でも私は許せない……許せないのです!そんな人を人とも思わぬ、彼らのやり方が――」
私は、決してこんなことを言うために空知の元を訪れたつもりではなかった。
しかし一度吐き出された激情は、とどまるところを知らず、堰を切って溢れ出た。
「伊集院殿……」
しかし空知は戸惑うどころか、そんな私を変わらぬ慈悲と穏やかさに満ちた眼差しで包んだ。
「――余流という異端の能を伝える使命とはいえ、この空知の家も同じような役割を担って参りました」
私ははっとして空知を見た。その仏像のように静かな表情に、すべてを受け入れようとする無常の境地を、私は垣間見た気がした。
「しかし、すべてが真実であるということが言えるのかどうか、この老人には最早確かめるべくもありませぬ。……だが、貴方には。貴方がたには――」
そう言って空知は立ち上がり、障子を開けた。
障子の隙間から、俄かに心地よい夜気が流れ込んでくる。廊下を隔てた日本庭園には、蒼白い月の光が射し込んでいた。
「空知検校、あなたはなぜ、ユウシロウに余流能楽を教えたのですか――なぜ彼は、甘んじて、すべてを受け入れようとしているのでしょうか?」
私は、凝と立ち尽くす空知の背中に問うた。
「――嵬」
「カイ?」
「さよう。すべては、ユウシロウ殿がその血を受け継ぐ者であったがため――」
その言葉に、空知の背中は、殊更に深く打ち沈んでいるように見えた。
私は一瞬言葉をなくした。が、すぐに我に返って、弾かれるように言った。
「お願いです、教えてください!何もかもを……」
空知はゆっくりと振り返った。
*
「先生、こっちです」
初夏の陽射しが降り注ぐ山道を、私はユウシロウに促されて歩いた。
きらきらと輝く木漏れ日がまぶしくて、私はかざした手のひらで額に滲む汗を拭った。しかしユウシロウは、ひょいひょいと先に立って、ほとんど道なき道を身軽に進んでゆく。
慣れない山道に、さすがに堪えてはいたが、自分が言い出したことでもあり、私は気を取り直してユウシロウに続いた。
しばらくすると、渓流の流れる静かな水音が聞こえてくる。
「疲れたでしょう?」
ユウシロウは肩で息をしている私を気遣ってくれた。
が、やはりその表情には、気づかなければ、まったくそうとはわからないが、相変わらず深い蔭が差しているのを、私は見逃さなかった。
「ごめんなさい。無理を言って」
しかしユウシロウは、無言で首を振ると、目の前に広がる渓流を見渡した。
石舞台――この山中の奥深く、僅かだが開けた場所に、それはあった。
一体誰が作ったのか、それさえも定かでなく、まるで永い歳月の間ずっとそこにあったかのように、渓流に突き出たその岩棚を利用し、穿たれた石の能舞台は、ひっそりとそこに佇んでいた。
深い渓流に突き出した形で残るその舞台には屋根がなく、その四方に僅かばかり残されている柱の根が、無言で何かを物語っているように思われた。
そう、まるでそれは、いまのユウシロウのように……。
「ここが?」
「ええ。余流能楽の伝承者が、代々執り行なう神事の場」
ユウシロウは、実際にまだここで舞ったことはないそうだが、彼の硬い表情に、私は先日の空知の言葉を思い出していた。
『ユウシロウ殿が余流能楽を習得なされたのは、嵬として神事を受け継ぐため――いえ、真にそれは、餓沙羅鬼を呼び出すため!』
餓沙羅鬼――。
それは人知を超えた、決して人が触れてはならぬもの。そしてそれを招ぐための餓沙羅の舞は、禁忌の舞。
『人知を超えた? それは一体……』
空知の言葉に私は驚愕した。なんというものを、豪和は代々伝えてきたのだろう。
そして、それを受け継ぐ嵬とは……。
本当にその血が、ユウシロウの身体の中に流れているのだろうか。いや、だとしたら、豪和が彼に執着するのも、解らないではないかもしれない。人の力を超えた力を持つ、嵬。
でも、それと二足歩行型兵器とは、やはりどこかで何かが関係しているのだろうか?(これは〝私たち〟の潜入調査の結果、判明したことだが)特自のTAパイロットの中でも、ずば抜けて日々そのスキルを上げているというユウシロウ。
そこまでは、知っているのか知らぬのか、さしもの空知も何も話してはくれなかった。
私はあらためて、ユウシロウの横顔を見つめた。その顔は、なおも暗然とした蔭に包まれていた。
……やはり彼は自分が何者であるかを知っているのだろうか?
いままでずっと自分自身について何も語ろうとしなかったユウシロウを前に、私は思った。
「ユウシロウ、ここであなたは何をしようとしているの?」
ふと問いかけた私に、ユウシロウはどこか不安げな眼差しで、沈黙の言葉を投げかけた。そして言った。
「わからない。でも……」
「でも?」
「いずれ僕はここで舞わなければならない気がする」
そう呟いたユウシロウは、再び石舞台に視線を落とした。
その背中に、見てはならないものを見た気がして、私はずきりと胸が痛むのを感じた。
――ユウシロウと嵬。そして、餓沙羅鬼。
それに豪和が開発に成功した二足歩行型兵器。
さらにそのテストパイロットである、ユウシロウ。
私はどうしても、それらを繋ぎ絡まる糸を解きほぐし、謎を解き明かしたかった。その見えない循環を知ることこそが、豪和を知ることであり、また皮肉にもユウシロウ自身を知ることでもあった。
それを知ることで、なぜだか私は、ユウシロウを救うことができるような気がしていたのだ。そう、たとえこんな私でも……。
3.
ユウシロウとともに豪和邸に戻ったあとも、豪和に伝えられている餓沙羅鬼の伝承について、私は密かに調べた。
そしてある日ついに、豪和の家に代々受け継がれている〝骨嵬(くがい)〟というものの存在に行き着いた。
〝骨嵬〟――それは豪和の一族にとって、一つの強大な力の象徴でもあった。
しかし餓沙羅鬼同様、それにまつわる伝承は、まさに形骸的な神話そのものでしかなく、決して現実的な事実として受け入れられるようなものではなかった。
だがしかし、それからしばらくして、私の婚約者でもある鷹水が密かに送ってきた情報の中で、豪和の二足歩行型兵器の開発になくてはならないものであった〝人工筋肉〟なるものの存在が浮かび上がってきた。
その彼らが密かに〝マイル1〟と呼んでいる人工筋肉は、未知の構造を持つ金属複合体で出来ていた。そしてそれは、何らかの古い遺物から取り出されたものだというのだ。
これは豪和の、それもごく限られたものしか知り得ない、いわゆるトップシークレットだった。それをなぜ、(豪和に潜伏していた私ではなく)真っ先に鷹水が知ることができたのか。
無論、鷹水の所属する国際ジャーナリズム団体の情報網の底力を疑うわけではないが。
その点において、少し疑問に思う部分がなかったわけではないが、それよりも私は、その情報自体に、何か引っかかるものを感じずにはいられなかった。
およそ千三百年続くといわれる豪和一族の淵源である嵬。
それは傀儡子(くぐつ)の民といわれる、鬼神を呼び出すことのできる能力を持つ一種の軍事部族だったらしい。
彼らは骨嵬という甲冑武具のようなものを操り、餓沙羅鬼を招ぐ神事を執り行なう。
しかし、いつしか彼らが純然たる神事のためではなく、自らの野望のためにその骨嵬を使い、殺戮のみを繰り返した結果、嵬の一族はついに餓沙羅鬼の怒りに触れ、そして骨嵬は永遠に封印されてしまった……。
だがしかし、嵬の属していたと思われる北九州の古代王朝、筑紫王朝は、実在していた王朝だった。
それが何を意味するのかは、いまはまだ定かではなかったが、私にはこれらの伝承が、単なる神話をも超えた神話に思えてならなかった。
空知検校が守り、現在に伝えている余流能楽。
それはおそらく、嵬が嵬であるための証。その神事の舞を守り、代々伝えていくために存在しているものだった。
しかしなぜ、その伝承者であるユウシロウが、豪和の開発した二足歩行型兵器TAの操縦士として選ばれたのか。やはりそこには何か深い繋がりがあるのだろうか。
骨嵬とひとつになり、餓沙羅鬼の力に耐えうる強大な能力を発揮したという嵬。
もし仮に真実、ユウシロウにその嵬の血が流れているのだとしたら……。
豪和の開発した人工筋肉とは、一体なんなのだ?
私は次第に、自分が決して触れてはならないものの中に、少しづつ足を踏み入れているような気がしていた。
でも、もう戻れない。
そう。私は彼を、ユウシロウを放ってはおけない。
たとえそれによって、私自身の身に危険が迫るのだとしても……。
もう戻れない。もう……。
*
「それでは、二足歩行型兵器の駆動系に用いられている人工筋肉は、そのクガイから取り出し、自然培養させたものだというのは、真実なのですね?」
鷹水はデスクから身を乗り出し、報告してきたあるエージェントに訊いた。
「ええ。豪和の情報バンクに秘密裏にアクセスさせた情報局員の報告データが確かであるならば」
鷹水は何かを思い巡らすように沈黙した。先頃、豪和に潜入した私、佐和子から送られてきた報告書の内容の数々が、鷹水の脳裏をよぎった。
「そのクガイについてもですが、豪和が行っている諸々の兵器開発の実験については、まだ明らかになっていないことが多く残されています。豪和にとって機密事項であるならば、当然かもしれませんが」
確かにそれ以前に、それほど簡単に豪和の情報バンクにアクセスできるとも思えないのだが……それでも、その言葉を聞きながら、鷹水は思った。
〝それが真実であるならば、豪和に伝えられている伝承は、現在に亘って生きたものであるということがいえるのか?しかし……〟
豪和が特自と共同で極秘裏に行っている二足歩行型兵器の実験開発。それになくてはならないものであるクガイ……そして。
〝なくてはならないもの……!?〟
鷹水の脳裏を豪和の四男で、同時に二足歩行型兵器のテストパイロットとして、特自に委託配属され、開発の中心に据えられているユウシロウの存在がよぎり、いつしかその関心を占めていった。
そう――いま、佐和子が豪和邸宅で家庭教師として付き添っているユウシロウ。
彼についても、なぜ彼が豪和の実験において、なくてはならないものであったのか、多くの疑問が残されていたが、鷹水は次第に霞が晴れるように、すべての謎が一気に解き明かされていくような気がした。
〝もし、豪和にまつわる骨嵬と餓沙羅鬼の伝承が真実であるならば……「嵬」であるユウシロウと、二足歩行型兵器・タクティカルアーマーとの繋がりも、自ずと見えてくるはず……〟
そこまで考え、鷹水は全身に何か冷たいものが走るのを覚えた。
〝豪和は一体、それを使って何を企んでいるのか……?〟
そう、実の息子――肉親である、ユウシロウを使って。
そうまでして、豪和の総代である豪和乃三郎が目指そうとしているものとは。