1.
――夏も盛りを迎え、私とユウシロウは、いつもの変わらぬ生活に戻っていた。
ユウシロウの成績は一歩一歩確実に上がっていった。しかしそれも、普段の真面目な彼の学習態度からすれば、当然の結果だったといえるかもしれない。
優秀な生徒を持った教師として、私は単純に満足だった。
だがしかし、それは既に日々繰り返される、表面上を上滑りしていく仮初めの出来事でしかなかった。
そう――そうしている間にも、鷹水からもたらされ、彼が探っていた情報の中から明らかになった真実が、私の心をずっと占めていたのだ。
〝二足歩行型兵器――タクティカル・アーマー通称TAの駆動系に使用されている人工筋肉マイル1は、豪和に古来より伝えられている遺物である骨嵬の一部から取り出し、自然培養させたものだった〟
もしそれが真実であるならば、骨嵬とユウシロウを繋ぐひと筋の糸は、より濃く太いものとなる。
豪和が、総代である豪和乃三郎を始めとする豪和一族が、ユウシロウを使って推し進めている計画の先にあるものは、やはり餓沙羅鬼――!
しかしそんなことが、そんな大それたことが本当に実現可能であるのだろうか?私は思いながら、得体の知れぬ冷たい寒気が全身を走るのを感じていた。
〝けれどユウシロウを、彼をこのままにはしておけない……嵬の末裔であったがために、どす黒く計り知れない野望の手段として扱われ、その大きな渦のなかに今まさに巻き込まれようとしている彼を――〟
私の中に、いつしか確かに、新たな使命感のようなものが芽生えようとしていた。
だが既にそんな己自身でさえ、激しくうねり、すべてを巻き込み押し流していく濁流のさなかに飲み込まれようとしていくことをさえ、その時の私はまだ知らなかった。
*
ある日私の胸に、ひとつの考えが浮かび上がった。
……それは最も簡単で、最も明解な回答。
出口の見えない迷路のような問いの中で、ずっとさまよっていた私に、それはある一つの行動の実行を囁いた。
だがしかしそれは、確かに大きなリスクを伴う危険な賭けでもあった。
〝ユウシロウを、この豪和の家から連れ出すこと――〟
しかし、どうやってそれを決行する?
それに第一、当のユウシロウ本人は、そのことを承諾するだろうか。彼だってきっと、逃れられるものなら、豪和から逃れる術をこれまで何度か考えたはずだ。
でもユウシロウは逃れようとはしなかった。単に心理的な操作を施されていたからなのだろうか。当然それもあるだろうが、だとしても彼が豪和の仕打ちを、これまでずっと一人静かに受け入れ続けてきたのは、一体なぜなのか。
嵬として生まれたがために、伝説の武具である骨嵬を用いたTAの開発に参加、そして余流能楽を受け継ぎ、まるでそれが当然のことであるかのように、当たり前のようにに豪和に貢献してきたユウシロウ。
そしていつの日か彼は、あの石舞台で……。
私の脳裏に、空知検校から聞かされた餓沙羅鬼の神事について明かされた真実が、今また再び浮かび上がった。
ユウシロウと同じ嵬の血を受け継いでいた空知の息子もまた、石舞台に立ち、餓沙羅鬼の神事を行った。が、彼は神事を最後まで執り行うことができず、ついには死亡したというのだ。
もう十六年も前の出来事である。
豪和のやろうとしていることは、人ひとりの命でさえも顧みようとしない、冷酷無比なものなのだ。目的のためならば、手段を選ばない……。
あらためて私の胸に忘れえぬ過去が去来した。
長年澱のように降り積もってきた怒りが再び込み上げてくるのを抑えられなかった。間接的にでも家族を殺され、たった独りの身の上になり、ただ復讐の念に駆られるだけの鬼と化した私。
だが今は決して、そんな自分ひとりの執念から来る思いではない。
今の私は、自分以外の誰かのために――そう、ユウシロウのため。
今、豪和への怒りと糾弾の念は、得体の知れない恐怖を伴い、いまや私ひとりの胸中に押しとどめておけない程のものとなっていた。
〝やはりこんなところにユウシロウを置いてはおけない!〟
私はひとり胸の内で固く決心した。
*
そんな折も折、私、伊集院佐和子のかつての米ハーバード大の恩師から、近々東京で開かれるという若者向けのセミナー――米大学教授の講演会の誘いが入った。
一応、首席卒業という経歴のある私に、オブザーバーとして出席して欲しいというのだ。
急速に拡大してきた国際社会で、日本の占める割合は、半世紀前から非常に大きなものとなってきたのだが、あらためて留学など、次代を担う日本の若者を大学に誘致しようという試みからくる講演会だった。
奇しくも特自のエリート中隊に属しているユウシロウにとっては、特別IQが高く優秀であるという意味においても、それらの事柄は当面の彼には必要のないものとはいえ、ひとつの実体験として、よい機会であることは事実であった。
しかしはたして、豪和の家に半ば拘束されているユウシロウに、それらの事柄が許されることなのだろうか。
だが同時に、豪和の四男であるユウシロウとしても、表面上では、それなりの扱いが必要であり、それはただ単に特自の出向として委託配属される以前に、表向き重要なことでもあったかもしれない。
特自での実験が一段落したこともあり、乃三郎は、私とユウシロウの東京行きを許可した。無論、数人のお目付け役を配しての条件付きではあったが。
それにしても、約一ヶ月前の鬼哭石の郷行きにしても今回にしても、よく乃三郎の許可が得られたものだと思う。
正直言って、かつて伊集院家が豪和に仕えていた家柄とはいえ、そして乃三郎と父が同僚であったとはいえ、厳密には豪和の部外者である私をユウシロウに近づけすぎなのでは?
もし自分がTA開発や餓沙羅鬼の神事について実行する者ならば、ここまでその中核をなす人物であるユウシロウを自由にしたりしない。
それでも私は、乃三郎の"人の父"としての側面に、ある意味で期待していたのかもしれない。
たとえそれが豪和の総代であったとしても?
いや、それこそが本来の人の心というものだ。
誰かを恨み、疑うばかりではない。たとえ裏切られようとも、純粋に人を信じることも、時に必要なのではないか。
特に豪和に関しての、自分自身の心の変化に、私は自分でも驚いていた。やはりそれは、ユウシロウと出会ったからなのだろうか。
だからこそ私は、成功させなければならない。このただ一度きりかもしれないチャンスを見逃してはならない。
ユウシロウと東京の講演会に出席した折、私はとうとうそれを実行に移した。
確かに遠方に出掛けた際であればあるほど、それを決行するには都合がよかった。
もしかしたら、それは乃三郎の私と彼へのせめてもの恩赦?それとも、罠――。
ユウシロウと私には、数名の黒服のガードマンたちが付き添っていた。高層ビル群が建ち並ぶ都会の一角で行われた講演会の前後も、その最中も、彼らは片時も私たちから目を離すことはなかった。
いや、むしろ普段よりその監視の目は特別、厳しかったといえるのだが、既にそれは承知の上だ。
「ユウシロウ、走って!」
それは講演会も終わり、私が恩師にユウシロウを紹介し終え、豪和の車に戻ろうかという矢先の一瞬の出来事だった。
突然、私はユウシロウの手を取って走り出した。
「待て!」
だが時既に遅し、私たちは都会の雑踏の中に紛れ込んでいた。当然黒服の男たちも二人を追いかけてくる。その光景は、さながらサスペンス映画の撮影風景を見るようでもあった。
長い髪が風に流れていく。必死に走っている最中も、私はしっかりとユウシロウの手を握っていた。
この手を決して離してはいけない。たとえ何が起ころうとも。そんな思いに、思わずユウシロウの手を握った右手にぎゅっと力がこもる。
戸惑いながら、ユウシロウは私と一緒に、休日の人いきれを必死に駆けぬけた。二人はひたすら、自分たちを縛る運命から逃れようとした。
やっとガードマンたちを巻いたことに気づき、私たちは弾む呼吸を整えながら、立ち止まった。
「――なんだか、駆け落ちみたいね……!」
私はユウシロウに明るくそう笑いかけたが、その笑えるはずもない冗句に、結局二人して押し黙り俯いてしまった。
「……先生、なぜこんなことを?」
そうユウシロウに尋ねられても、私はその問いに明確に答えることができなかった。ユウシロウ本人には、今回の〝計画〟について、特に何も打ち明けてはいなかったのだ。
しかし本当は、時前にすべて話すべきだったのだろうか。
確かに豪和のやり方は納得できない。しかしそれはユウシロウ自身も、既に承知していることだったかもしれない。
では、すべてを承知していて彼は……?
それに豪和から、こんなに簡単に逃げられるとも正直思っていなかった。そのうち逃走した二人の元へ、追っ手の魔手が伸びてくることは容易に予想できた。
それなのに私は、こうしてユウシロウの手を強引に引っ張ってきてしまった。
それが本当によいことだったのかどうかも解らぬまま。
それは、なぜ?……それは、それは……。
二人は途方に暮れたまま、都会の街を歩いた。
こんな雑踏の人いきれの中では、ユウシロウの着ている折り目正しい特自の制服は、人目に珍しく映るらしく、日曜の昼下がり、ただでさえ普通の若者たちの間にあって特に目についた。
私たちは我知らず、いつしか人気のない場所を選んで歩くようになった。
今ごろ豪和では、大変な騒ぎになっていることだろう。そんなことを思いながら、二人は都電に乗り、人知れず湾岸へと向かった。
「……ユウシロウ、疲れた?」
無言で海を見ているユウシロウに、私は声をかけた。
「大丈夫……佐和子先生は?」
慣れない都会をさまよい、疲れているだろうに、気丈にも僅かに微笑み、そう言って自分より私を気遣うユウシロウの顔を見た途端、私は今まで張り詰めていた緊張が突然、解かれていくのを感じた。
そして次の瞬間、押しとどめていた感情が一気にあふれ出した。誰もいない埠頭で二人きり追い詰められてしまったように……。私は思わずユウシロウを自分の腕の中にきつく抱きしめていた。その時既に私の教師という肩書きは、脆くもどこかに崩れ去っていた。
「先……生……?」
ユウシロウは、明らかに戸惑っている。
しかし私はもう、こんな風に自分の感情を抑えつけていることが苦しくてたまらなかった。
教師と生徒だからではない。豪和と伊集院家だからではない。
それらの軛とは完全に切り離されたところに、もはやこの心はあった。
たとえ彼がどのような境遇にあろうとしても、私のこの気持ちは変わらなかった。いや、かえって彼の境遇を知ったことで、それは私のなかで確実なものとなっていったのだ。
"……そう、私はユウシロウが――〟
とめどなく心にリピートする言葉を、私はいますぐにでも、彼に伝えたかった。でも想いとは裏腹に、理性はすぐに私をがんじがらめにする。
「ユウシロウ……私……私……」
そう呟きながら、いつのまにか私は、彼の前で大粒の涙を零している自分に気づいた。止めようと思っても、まるでさざ波のように、胸の奥底から込み上げてくる。
いつのまにか、空には黒い雨雲が立ち込めていた。私たちは俄かに降り出した大粒のシャワーの中に取り残された。ただ立ち尽くしているだけでは、すぐにも濡れ鼠になってしまいそうな激しい雨の中。
ユウシロウは突然の私の涙に戸惑いながらも、そんな今にも崩れそうな私を支えようとするかのように、激しい夕立の中、今度は逆に私の手を取って歩き出した。
……どこへ?
私たちは、ずぶ濡れのまま、雨宿りできる場所を探した。
とりあえず入った店舗の片隅。雨粒の当たらない屋根の下で、それでも私の頬は涙に濡れたまま、二人の戸惑いはお互いの距離を僅かに計りかねていた。
そうしているうちに、雨脚は小降りになってきたようだ。
「とにかく、このままでは風邪を引く」
そう言って再び雨の中を、のろのろと歩き出すユウシロウと私。ユウシロウの頬から雫が滴り落ちる。それさえかまわず、しっかりと私の手を引く彼の中に、私はこれまで一度も垣間見たことのなかった、頼もしい大人の男性(ひと)の面影を見た気がした。
なのに今の私は、まるでさながら駄々をこねて泣きじゃくっている、小さな少女のようだ。
そろそろ日も暮れようというのに、このままでは二人とも身が持たない。
結局二人は、手持ちの現金で、小さな安ホテルのワンルームに身を落ち着けた。
〝……こんなのは、嫌だ〟
とうとう自分の気持ちも碌に伝えられぬまま、落ち着くところに落ち着いてしまった私は、それでも行き場のないもどかしさの中、そう思った。
しかし、そんな私の気持ちを他所に、ユウシロウがぼそりと言った。
「――とにかく、身体を温めよう」
ユウシロウに促されて、私はシャワールームに押し込められた。
雨に濡れて冷えた身体を温める湯の感触は、とても心地よかったけれど、私は動揺を隠しきれない。
でも、同じように冷えてしまっているユウシロウのために、私はガウンを羽織り早めにシャワールームから出た。第一、大の大人の女がみっともない?
ユウシロウは怒ったような顔つきで、黙ったまま、私と入れ違いに扉の向こうへと消えた。
……長い時間が経った。(少なくとも、私にはそう感じられた)
今日のユウシロウは、とても大人びて見える。そのことが、かえって私をどことなく不安にさせた。
でも、濡れた髪の彼を見るのは、これが初めてだった。しかし、それを言ったら私だって同じだ。
二人はいま――教師と生徒ではなく――等身大のまま裸のまま、ここにいた。
こんなことをしていられる時間は、現実的に考えれば、もうあまり残されてはいなかった。
つかのまの邂逅。つかのまの休息(やすらぎ)。
だが二人は逃げなければならない。どこか豪和の手の届かない処へ……。
そう考えると、いつしか私はユウシロウにおずおずと声をかけていた。
「……ごめんなさい」
しかし、ユウシロウはまだ黙っている。
「……私……あなたをどこか遠くへ逃がしたかった。どこか豪和の……あなたの運命の届かぬ場所へ。そのためなら私は、きっとどんなことも怖くない。そう、たとえ殺されても……」
その絞り出すような声を聞いて、ユウシロウははっとして私を見た。
その驚いた顔を茫然と見つめながら、思い詰めたような声で、私はとうとう自身の胸の内を彼に告げた。
「ユウシロウ……あなたが好き」
言葉にしてしまうと、意外と簡単だった。しかし、一体どうしたというんだろう。
それでもこんな風に、ただ真っ直ぐな気持ちのまま言えたのは、きっと彼に対する強い想いがそうさせたのかもしれない。
けれど困惑し戸惑うばかりか、ユウシロウは次の瞬間、まるで慰めてくれるかのように、私を優しく抱きしめてくれた。
私は驚いた。彼の取った意外な行動は、私の胸の鼓動を殊更に高鳴らせた。
互いの皮膚のぬくもりが二人を包む。
まるで女の子のように線の細いユウシロウの肩が、急に広くしっかりとしたものに感じられる。彼の胸は少年らしい陽だまりの匂いがした。
「ユウシロウ、こんな私を受け入れてくれるの?」
私はつかのまの時の中で、ユウシロウに尋ねた。
なぜ私が彼の家庭教師として豪和にやってきたのかも、自分自身の身の上についても、すべてをユウシロウに話すと急に心が楽になった。(ただひとつの秘密を除いては……)
ユウシロウは、ほとんどすべての鎧を脱ぎ去った、そんな私の言葉に静かに答えた。
「……言っただろ。佐和子先生は、たったひとりの僕の大切な女性(ひと)だって」
〝え?〟
以前、彼の口から聞いたものとは、微妙に違うニュアンスのその言葉を聞いて、私は信じられない気持ちに包まれていた。
ユウシロウは、私を教師としてではなく、ひとりの女性として見てくれているのだろうか?
豪和に潜入した工作員(スパイ)としての私。
復讐の鬼と化した、不毛なこれまでの私。そのどの姿さえも超えて……。
しかし私はふと、彼の肩先が僅かに震えているのを感じた。
ユウシロウはずっと、不安定に揺れていた私を支えているのに精一杯だったのだ。それでも今彼は、変わらず私に優しくしてくれている。
私はそんなユウシロウのことが愛しくてたまらなくなった。そして初めて少しだけ積極的になって、ひと呼吸のあと、思い切って彼の耳元に囁いた。
「……ユウシロウ。キスしてもいい?」
ふと思わず小さく見開くユウシロウの瞳。
ふいに出合った視線と視線が微熱に浮かされ、絡み合う。めまい。時間も空間もなくした時空で軸を失ったまま、たった今生じた互いの感情が生み出す波間に身を任す。頬を高潮させ、でも恥じらうことを忘れ、私の視線に捕らえられた彼が夢のように頷くか頷かないか、その刹那を合図に、私は目を閉じ、震える彼の唇に唇を近づけていった。
その瞬間、時間(とき)が止まった。
そっと重なる二つの唇……重なる二つの鼓動。
触れ合ったその刹那、震えるユウシロウの躊躇いを、もどかしげに奪う。やっと……?
やっぱり彼の唇は、思ったとおり柔らかだった。まるでそれは、天使の唇みたいに。
「……ユウシロウ、好きよ。好き……」
逸る鼓動のなか、私は彼の耳元にそっと切ない吐息を漏らした。
それにつられて、ユウシロウもまた次第に、精神のたがを外していく。少しずつ、ためらいがちに……。
私のバスローブが肌蹴け、しっとりと濡れた髪がユウシロウにしな垂れ零れていく。
こんな幸福な気持ちは、初めてだった。きっと彼が初めてだ。
いままでずっと、見えない鎧に覆われていた私の心を解いたのは。
それはきっと、いままで出会った誰でもなかったのだ。
〝ユウシロウ……〟
私はいま、彼だけを感じていた。
彼のぬくもり、彼の息遣い、彼の鼓動。
そのすべてがいま、私の胸の中にある。
たとえ彼がどのような運命を背負っていようとも、たとえ、どんな刻(とき)を、その記憶の中に宿していようとも……。
二人は次第にひとつになっていく。
〝私はずっとあなたを探していたのね〟
薄れゆく意識の中で、私は思った。その思いは、まるで遠く意識の淵へ向かって、逆行していく時の流れのように、遥か彼方からやってくるもののように感じられた。
それはなぜ……?
〝ああ……そうか〟
私はユウシロウが〝嵬〟であることを思い出した。まるでそのことが当たり前のことであるように。彼に触れている瞬間、彼のその血に流れている嵬の記憶が、私をこんなところまで連れてきたのかもしれない。
だからこんなにも自然で、どこか懐かしい、そんな安らかな気持ちになれるのかもしれない。私は朦朧とする意識の中で、そう思った。
〝……?〟
心地よい互いの温もりの中、突然、私は何かの違和感を感じて、我に返った。
「……どうしたの?」
ユウシロウは少しためらいがちに言った。
「……ごめん……でも、何だか信じられない」
「え?」
「先生と……こんな風になれるなんて」
ユウシロウは、さすがに少しだけ興奮気味のようだった。少しだけ? ……そんなわけない。
「初めてだから……でも、きっと大丈夫。ありがとう。嬉しかった……先生がそばにいてくれて」
不思議に恥じらいながら、ぽつぽつと繋ぐユウシロウの言葉に、私は普通の一七歳の少年の面影を感じて、思わず緊張している彼の身体をぎゅっと抱きしめた。
「私も……すごく嬉しい」
そして再びくちづけ――。
今度は、深く……。
「せ……ん、せい……」
「……ダメ」
「……サワコ……」
観念したように目を閉じたユウシロウが、私の名を呼ぶ。
いつしか我を忘れ、きつく舌に絡みつく舌――息ができない。でも、それでよかったのかもしれない。呼吸することさえ忘れなければ、二人は一つになれなかったから。
次第に二人は、激しく揺れては打ちつける荒波に飲まれていく。私という熱く切ない感情が堰を切ってあふれ出す。
硬く目を閉じながら、その奔流を抵抗することなく、受け入れ翻弄され続けるユウシロウの額に、まるで真珠のような大粒の汗が浮かんでいる。しなだれかかる彼の髪をかきあげ、ただ激情のままに掻き抱く。
苦しげに切なげに、私に凭れかかり、身悶えするその苦悶の表情が、殊更に彼への愛しさをかき立てる。でもそれは、決してTAという鉄の塊に拘束されている時の、それではない。今、彼は一人じゃない。そう、私たちは。その熱も苦しみも、皆私に分けて。二人で行きましょう――ユウシロウ。もう、あなたを一人になんかしない。
〝……ハァ……はぁ……ハァ……〟
きれいだった。いままで見たどんな彼より、いちばん、ユウシロウがきれいに見えた。
それはまるで、砕けた硝子の欠片が、光の飛沫を散りばめながら、闇のなかに落ちていくような……そんな刹那の輝き。
私はいま、そんな彼を独占している。そんな言いようのない満足感と幸福感のさなか、私たちは、ただその快感の先にあるものを求めた。
溶け合う肌と肌。重なり合う過去と未来。
――はやく、はやく。
私はこれでも、上手に丁寧にユウシロウを導いたつもりだった。でも、彼とひとつになれる嬉しさと感激のあまり、少しだけ強引すぎたかもしれない。
「――ユウシロウ?」
奔流が過ぎ去った後、私はユウシロウの耳元に囁いた。
その行き着いた果てで、いつのまにか彼は眠りに落ちている。
私は、たった今ようやく手に入れたばかりの、そんな愛しい年下の恋人の柔らかな髪をそっと撫でた。
〝このままずっとこうしていたい〟
しばらくユウシロウの髪に触れ、気まぐれに弄びながら、私はただいたずらに過ぎていく時間を恨んだ。
……ユウシロウ。あなたが好き――。
私は何度も何度も、夢の中にいる彼に囁いた。
*
「起きた?」
眩しい光に、私は思わず目を瞑った。そして再び薄っすらと目を開けると、その光の中でユウシロウが微笑んでいた。
〝――ドキン!〟
瞬間、私の胸の鼓動が高鳴った。目の前のユウシロウが、ひどく大人びて見えたからだ。
私はそっと上半身を起こして、柄にもなく恥じらい、胸元にシーツを引き寄せた。
「――おはよう」
「おはよう……」
私は少しドギマギしながら答えた。
〝とうとう朝を迎えてしまった……〟
なんだか不思議だった。昨夜はあんなに夢中だったのに、いまこうして朝の光の中に二人でいると、妙なもどかしさが胸の中で戸惑っている。
何だか、ユウシロウの前でこうしているのが、やけに恥ずかしい……。
というより、むしろ自分の方が未成年の彼に対して、なんていうことをしてしまったのだろうという後悔の念が襲いきてもよいはずなのに。その灼けるような罪悪感は、不思議に身体の奥で息を潜めていた。
それよりも私は、昨夜も感じたように、ユウシロウが自分よりずっと年上のような、奇妙な感覚に襲われていた。
「よく眠れた?」
「……うん」
ユウシロウは、微笑んで腰掛けていたベッドから起き上がった。
しかし――。
「……どうする、これから」
私に背を向け、窓辺へと向かいながら、彼は自分自身に問いかけるように呟いた。
そう。先延ばしにしたくてもできない現実が、私たちの目の前に立ちはだかっていた。確かにこんな所でぐずぐずしているわけにはいかなかった。
しかしどこへ? とりあえず彼を連れて行ける安全な場所は、鷹水のいるアメリカだろうか。
〝鷹水……!〟
ふいに私は、彼の名が自然に出てくる自分に絶句した。本当に都合のよい時だけ――。
はたして私はこのまま、彼の元へ平然な顔をして帰って行けるのだろうか? ユウシロウを連れて。
こんな気持ちのまま、彼を頼ってはいけない。それは正面切って、鷹水を裏切ることにならないだろうか。いや、既に自分は鷹水を裏切っているのだ……その事実を思うだけで、私は息が苦しくなった。
でも、今の私には、彼を頼るしか他に術がなかった。ユウシロウを豪和の手から逃がすには、それしか有功な手だてがなかった。
そう、今は何としてでも私は、彼を守らねばならないのだ……。
「行きましょう、アメリカへ」
私は思い切って口を開いた。
「私の〝知り合い〟の国際ジャーナリズム団体の本部がアメリカにあるの。そこなら、きっと豪和も手が出せないわ」
「でも……」
ユウシロウは振り返り、私を凝と見つめた。
「大丈夫よ。私の仲間に連絡を取れば、なんとか上手く手引きして貰えるわ」
しかしユウシロウは、首を振った。
「そうじゃない。佐和子は……先生は、それでいいのか」
「ユウシロウ?」
「俺にかかわると、先生に迷惑がかかる……」
ユウシロウは、そう呟くと目を伏せた。
「……何言ってるの、いまさら……そんなこと、初めから承知の上よ。なんのために二人でここまで逃げてきたと思ってるの。そんなに私、頼りにならない?」
言いながら私は、次第に感情が高ぶってくるのを感じた。
「あなたのためだったら、私はどんなことでも覚悟できる……約束したじゃない、いつでもあなたのそばにいるって。だから、お願いだから、もうそんなこと言わないで……」
いつのまにか肩を小刻みに震わせ、柄にもなく私は泣いていた。
もう何もかも、どうなってもよかった。ユウシロウ、彼のためだったら。
「ごめん……ありがとう」
ユウシロウは、そんなありきたりな感謝の言葉を返すのが精一杯だった。
そして嗚咽する私の背中をそっと抱きしめた。私はしばらく彼の胸に頬を預け、震えていた。
2.
私たちは、急いで空港へと向かった。場所や時間的な問題もあり、成田より羽田の国際空港へ。
レンタカーを運転しながら、私はちらと助手席に座るユウシロウを見た。真新しい生成りのシャツとジャケットに身を包み、風に流れるサイドの髪をかきあげている。
『その前にその服、なんとかしなくちゃね――』
私は、ユウシロウの着ている特自の制服を指して言った。やはりいくらなんでも、目立ちすぎるか。
二人は、とある若者向けの服が並ぶブティックに立ち寄った。
『……うん、これなら大丈夫』
私の見立てた私服に着替えたユウシロウは、どこから見ても普通の少年に見えた。非常時とはいえ……、まるで純白の清純さそのままに、何を着ても似合うユウシロウに見惚れてしまう自分を苦笑った。
しかし、そんな自分の頬を叩いて喝を入れると、私はユウシロウに何気なく告げた。
『――私の仲間が用意してくれた便は、一時間後に出発の予定よ。それまで何としてでも、あなたを無事に空港まで送り届けるから』
車を運転しながら、私は先程のユウシロウとのやり取りを思い出していた。
ユウシロウを空港まで連れて行って、そこから先は――。
でも変ね。いくらなんでも、上手く行きすぎる。こんなに簡単に、日本を出られるものかしら?
勿論、空港で足止めを食らう可能性もまったく否定できない。そこで豪和がてぐすね引いて待っていることも十分考えられた。
私はあらためて、日本最大の一大コンツェルンを築く豪和という、この国を動かせるほどの力を持った大企業について、思い巡らせていた。その豪和が、彼らにとって稀有な存在であるユウシロウを、みすみす見逃すはずがない。
サングラスをかけた私の視線が、バックミラーへと滑った。
と、一台の車が、ぴったりと二人の乗ったクーペについて来ているのに私は気づいた。
〝まさかね〟
が、不運にも、私の勘は当たってしまった。後ろの真っ黒な車が突然サイドに寄ってきて、体当たりを食らわせてきたのだ。
――ガァン!
「……!」
その衝撃に、二人は思わず身を固くした。
「ユウシロウ、しっかり掴まってて!」
私は叫ぶと、強くアクセルを踏み込んだ。しかし、追手は執拗に追いかけてくる。
「やっぱり簡単には行かせてくれないみたいね。それにしても、追跡の手が早すぎる!」
でも、ここまで来てユウシロウを奴らにみすみす渡してしまうなんてことできない。空港はもう目と鼻の先なのだ。
私は必死になってアクセルを踏んだ。二台の車は、前方を行く車を巧みに避けながら、湾岸道路でカーチェイスを繰り広げた。
が、突然、追手の車の窓が開き、中から男が放った銃弾が、私たちの車のリアウィンドを貫いた。
「嘘でしょ――ユウシロウ、大丈夫!?」
「――大丈夫だ!」
背を低くして身構えたユウシロウが答えた。
「どうやら、本気みたいね?」
しかし次の瞬間、追手の放った第二の弾丸が、ハンドルを握る私の左腕をかすめた。
「う!」
ユウシロウは、それに気づくと叫んだ。
「佐和子先生!」
「大丈夫よ、これくらい」
しかし、言葉とは裏腹に、次第に視界が霞んでくる。刺すように痛む傷口から、いつしか血がドクドクと滲み出す。
でも、私は必死でハンドルを操作した。ユウシロウを、彼を無事に空港まで送り届けなければ……ただ、それだけの思いで。
だが、前方を走る大型トラックを避けようとして、私はハンドル操作を誤った。
――キキィ――ッ!
私には、それがスローモーションのように感じられた。
「……!」
二人の車はガードレールを飛び越え、宙を舞ったかと思うと、その向こうに広がる海面へと突っ込んでいった。
――バシャ――ン!
海面を叩きつける音に続いて、鈍い衝撃音と、周囲を包み込むゴボゴボとした気泡の音に、私の意識が鮮やかに蘇った。すぐに車内に大量の海水が流れ込んでくる。
二人の乗った車は、急速に海底に沈んでいった。
「先……生……先、生!」
「ユウシロウ!」
二人は必死で互いを呼び交わした。
しかし、鋭い腕の痛みに加えて、二人を隔てる大量の海水が、蒼白の私の意識をどこかへ連れていこうとする。ユウシロウ……!その言葉が、ただ脳裏で繰り返される。
「ごめん……ごめんね、ユウシロウ。あなたを守ってあげられなくて」
霞んでいく意識の中で、私は傍にいるはずのユウシロウの姿を探した。
「先生!しっかりして、先生!」
必死に叫ぶユウシロウの声が、次第に遠く聞こえなくなっていく。
*
ユウシロウは、気を失った私を抱えて、必死に泳いだ。
車内に閉じ込められてから数分が経っていた。なんとか窓ガラスを割り、車外へ出て海面に浮かび上がったものの、波間から道路上に数台のパトカーが止まり、二人を捜索する者たちの姿が、ちらと見えた。このまま水からあがるわけにはいかない。
「せんせい、佐和子先生!」
ユウシロウは泳ぎながら、何度も私に呼びかけた。しかし返事はない。だが、何とか息はあるようだった。
でも私は、随分と海水を飲んでいた。
〝このままでは危ない〟
すると、しばらくして彼の視界に、人工の島である対岸の埠頭が見えてきた。ユウシロウは意を決すると、海水を叩くその腕に力をこめた。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
ユウシロウは私を背負ったまま、肩で息をしながら岸に上がった。
二人の服はすっかり水を含み、その重みも手伝って、私を背負うユウシロウの肩にかかる重力は、水からあがった途端、突然その重さを増して彼を襲った。
ユウシロウは二、三歩歩いたところで力尽き、私もろとも、どっと倒れた。だが、すぐに起き上がり、意識のない私を仰向けにすると、その頬を叩いた。
「佐和子先生!」
しかし、私の顔からは、すっかり血の気が引き、まったく意識が戻る気配がない。海上で応急処置で止血したため、どうやら左腕の出血は止まったようだが、やはり大量に水を飲んでいるらしい。
「……駄目か」
ユウシロウは、紫色になった私の唇にそっと唇を重ねると、同時に合わせた両手で私の胸元を規則的に押し続けた。
やがて、何度かそれを繰り返すうち、私はやっとのことで息を吹き返した。私はゲホ、ゲホと飲んでしまった海水を吐き出した。でも、まだ起き上がれない。
「よかった……意識が戻って」
私を覗き込んだユウシロウが、ひとまず安堵の表情を浮かべて言った。
「ユウシロウ!」
私は半ば涙目で微笑むユウシロウの顔を見ると、思わず起き上がり、彼に抱きついていた。
「ユウシロウ……ユウシロウ」
「まったく、先生は泣き虫だな」
泣きじゃくる私を見て、ユウシロウは笑った。
「だって、だって……このままもう会えないのかと思った……よかった、ユウシロウが無事で」
私は咽び泣きながら、切れ切れに言葉を繋いだ。
「もう大丈夫だから」
ユウシロウは、濡れた私の髪をかきあげ、優しく抱きしめながら言った。
「また、びしょ濡れになっちゃったな」
「……ほんとね」
二人は顔を見合わせると、思わず噴き出したけれど、しかしそんな私の表情が俄かに曇っていく。
「……ユウシロウ、ごめんね。あなたを日本から逃がせなくなってしまって」
「いいんだ。簡単に逃げられるなんて、思ってなかったから」
その言葉を聞いて、再び私の目にじわじわと涙が滲む。
「でも、でも……駄目。あなたは、逃げなくちゃ駄目」
私は涙目のまま、ユウシロウの顔を正面から見つめた。
「あなたには、自由になる権利があるんだから――」
しかし、そこまで言うと、次第に再び意識が遠のいていくのを私は感じていた。
「あ……」
〝いや……嫌だ……またユウシロウと離れ離れになるなんて〟
「ユウ……シロウ」
私は朦朧としていく意識のただなかで、彼の名を呼んだ。ユウシロウは、そんな私の異変に気づき叫ぶ。
「佐和子先生……!」
どうやら、腕の傷が堪えていたらしい。それにかなり出血していた。ユウシロウの手のひらが触れた私の額には、脂汗が滲み、私は高い熱に支配されていた。
「ユウシロウ……自由に、なって――」
「佐和子先生!」
私はその言葉を最後に、意識を失い、再び何も届かない昏い淵へと沈んでいった。
*
どれくらい時間が経っただろう。いつしか私は暖かなベッドに寝かされていた。その傍らには、ユウシロウが無言で付き添っている。
しかし私は容易に目覚めなかった。私の身体は、すっかり衰弱しきっていた。左腕の傷の負担のため、そして長い間海上を漂っていたために体温を奪われ、体力を使い果たしてしまい、酷い肺炎を起こしていた。
「大丈夫だ」
しかし心配そうに見守るユウシロウに、ベッドの傍らに佇んだ、ある男が言った。
「これから向かう日本支部にあるメディカルセンターに行けば、よい医者もいるし、良い薬もある」
――そう。それは私の婚約者である、国際ジャーナリズム連盟に属する鷹水誠司であった。
私たちは団体のクルーザーで、そのとある日本支部へ向かっていた。ここはその船上の一室。結局、私とユウシロウは彼らに救われたのだ。
しかしユウシロウは、ずっと硬い表情を崩さなかった。彼らはユウシロウのことを事細かに知っていた。そのことが彼に、鷹水に対して警戒心を抱かせた要因だった。
「佐和子を……その、救けてくれてありがとう」
「いえ……」
鷹水はユウシロウに握手を求めたが、依然、憮然とした表情のユウシロウはそれを無視し、席を立った。
「豪和……ユウシロウ君。我々は君を歓迎する。……何も心配することはない」
だが、ユウシロウは相変わらず口を閉ざしていた。
3.
そこは鷹水誠司の所属する国際ジャーナリスト連合、通称"FOIJ〟日本仙台支部。
表向きは単なるNPO法人のジャーナリスト団体だったが、彼らは世界中で違法に行われている政治経済などの裏工作の実態を暴くため、国際的に組織化され、取材は勿論、多岐に亘って様々な調査発表、情報のリークなどを文字通り水面下で行っていた。日本や米国は勿論、ドイツ、イギリス、フランスなど欧州主要国や、アジア方面にも数多くの要員を抱えている。
勿論、彼ら鷹水たちにとって、豪和の二足歩行型兵器についての取材調査も、いまや、その大きな焦点のひとつだった。
その点で言えば、彼らがユウシロウのことに関して色々と知っていても、何ら不思議はなかった。だがユウシロウは、直感で察知したのだ。彼、鷹水に心を許してはならないと。
そんなユウシロウの警戒心を目敏く感じ取ったのか、鷹水は口を開いた。
「何をそんなに警戒しているのか知らないが、君を悪いようにはしない。なんといっても佐和子の恩人だからな。それに我々は、色々と君に協力して貰いたいこともある」
豪和のやっている様々な実験に関して、詳しく話してくれとでも言うのか。
確かに鷹水の言うことは理にかなっている。実際、豪和の行っている理不尽な実験開発は、世間的に人道的に見ても俄かに許せるようなものではなかった。
だがユウシロウは、それでもためらう。それは一体なぜなのか。
*
その日本支部にあるメディカルセンターに移された私は、日増しに回復していった。
だが、私の心は揺れていた。そう、鷹水とユウシロウとのあいだで。
結局追い詰められていた私たちを救ってくれたのは、鷹水たちだった。しかし私は、そんな彼を既に気持ちの上で裏切っているのだ。
そう……8年前、家族を喪い、行く処さえなくなった私を支えてくれ、生きる場所を与えてくれた。(豪和に復讐する機会を与えてくれたのも、彼だった)
これまで鷹水は、そんな風にずっと私の精神的、物質的な支えだった。いわば彼は大事な後見人ともいえる。いや、そればかりでなく、文字通り彼は私の命の恩人であった。
彼がいたから、私はどんな辛いことにも耐えてこれたのだ。その内面的な強さを、私は彼の元で育むことができた。
そして、いつしか私たちは、本当に自然に将来を約束した。
彼の元という、戻るべき場所がある。そのことがどれほど私に勇気を与えてくれたか。そのことを誰よりも何よりも深く知っているのは、私自身だった。
でも、私は知った。ユウシロウに出会って。
……自分はずっと、他人に甘えて生きてきたのだ。
だがユウシロウは違った。
私が知る限り、彼はいつでも独りきりで生きていた。
豪和という鳥籠に飼われながらも、彼は常に毅然としていた。沈黙を言葉とし、全てを受け入れていた。
――それはなぜなのか。
――やはりそれは、彼が〝嵬〟だから?
彼の強さは、彼が嵬として生きていかねばならない宿命から来るものなのか……。
だとしたら、なんて哀しく痛々しいほど、彼は気高いのだろう。その凛とした潔い魂の美しさが、あるいは私の心を惹き付けたのかもしれない。
気高く、強く、美しく――そして何処となく壊れそうで。
そう、ただ強いだけじゃない。人は弱いから強い……そして強いから、弱い。その当たり前の人としての生の輝き。まっさらで、どこか危なっかしくて。
そんなユウシロウの姿は、私の心を奪った。彼は特別なようでいて、当たり前に人が持つ何かを胸に携えているのかもしれない。その輝きが、私にとって、とても愛おしく感じられたのだ。
だがそれでも、それとこれとは、当然のごとく別の問題なのだ。鷹水を裏切ることなど、私にはできない。いや、できるはずが、ないのだ。
いつ何時も誠実であたたかな人柄で、そして何より、どんな時も辛抱強く私を待っていてくれる。その鷹水を……。