※この作品はR-18です。

櫻ノ舞 【gasaraki 外伝】   作:ミナモトルカ

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第七章 星詠み

1.

 

「えっシンボルが……?」

 鷹水からのTELは、意外な事実を私に告げた。

 シンボルとは世界最大級の巨大コングロマリット――豊潤な資金力からなる同族経営会社から出発した神出鬼没の巨大組織のことだ。特定の株主の制約を一切受けない同族経営会社といえば、その規模こそ違え、豪和も同等の性格を持つ企業である。

 その意味では、この両者間には奇妙な関連性があったのだが、今時点の私たちにその詳細の何が解ろうはずもなかった。

 そのシンボルの調査員が私たち同様に、この筑紫の地に足を踏み入れている、という情報が入ってきたのだ。文字通りそれは無造作に投げ込まれた情報……。

 無論、シンボルという謎の巨大組織の足取りが、多国籍に幅広く展開しているジャーナリズム組織である私たちにさえ、逐一掴める道理もない。

 明らかに「シンボル」とは、私たちの様々な情報網と知力を持ってしても、その存在は、私たちにとって単なる一つの記号にすぎなかったのだ。たとえその存在が実在することを知っていたとしても、その存在の過去から今日にわたる居場所の詳細は、ようとして知れることはなかった。

 それほどにシンボルという存在は大きすぎ、そしてあまりに遠すぎるのだ――

 その「遠すぎる、大きすぎる」謎に包まれた存在が自ら私たちに、その端緒を掴む機会を与えてくれた。

 しかしなぜ、一体何のために?

 ……一つだけ考えられるのは、豪和のTA開発。

 確かに現在、政府や特自までをも巻き込み一子企業だけで進められている豪和の二足歩行型兵器開発には、様々な異常な点がひしめいていた。

 (そう……それはまるで一種の"怨念"のような……)

 その事実が今、シンボルの目に明らかにされたとでもいうのだろうか。だとしても、なぜシンボルが。そうシンボルとて……いや。

 "彼ら"には、彼らの何らかの確固とした「目的」があるのだろうか?確かに兵器開発もシンボルの企業としての一つの中心的柱であることは事実だった。それにしても。

「なぜシンボルが……」

『――それは俺にもわからない。だが一つだけ言えることは、彼らが我々同様、豪和の秘密に感づいているかもしれない、という一つの可能性だ』

 確かにありえない話ではなかった。何しろ相手は、基本的に国際展開されているとはいえ、私たちのような草の根的NPO団体とは根本のスケール自体からして異なる、桁違いの利潤を得ている巨大企業なのだ。

 そう……何もかもが違いすぎる、遠すぎる。

 私は一瞬、自分自身の無力さにも通ずる謂れなき虚無感を感じた。

 そのシンボルが、ここ北九州の地に足を踏み入れている。何かの確固たる目的を持って。

 しかもその存在を自ら、こうして向こうから私たちの目に直接触れさせてきたのだ。

 それはなぜ――

 一種、奇妙な感覚が鷹水と私を押し包む。

 それはまるで、巨大な力の前に屈服するしか術のない無力すぎる相手へのひとつの置き土産、のような。どこかで誰かが、その見えない口元に笑いを浮かべているような気がした。

 一体シンボルは何を私たちに教えようとしているのだろう?そんな形なき疑問までも浮かび上がってくるほどだ。

 そう、相手は確かに何かを、何らかの意図を以ってこちらに伝達しようとしている……その無言の威圧によって。

 ――それは警告?

 もうこれ以上は、この先前に進むな、と、彼らは私たちに伝えようとしている?

 しかしシンボルという存在が介入してきた以上、かえって豪和のしようとしていることの重大さが垣間見えてくるような気もするのだ。

 あらためて、私はぞっとした。

 そうだ、彼らが冒そうとしていることの危険性は元より解っていたことだった。だからこそ私たちは、それを見過ごすことができなかった。そう、見過ごすことなどできなかった……。

 特に私と鷹水は……いえ、私は……。

 ユウシロウという存在を知ってしまった。

 だが、その見るからに不気味な目に見えぬ"警告"は、私たちの無意識のうちの畏れが生み出したものにすぎなかったのだろうか。

 実際、事実シンボルは何らかの通達をしてきたのだ。我々は確かにここにいるのだ、と。

 しかし本当はシンボルが豪和のこととは無関係に、この地にやってきたのだということなど知る由もない私は――私たちは、一旦その歩みを徒に躊躇せざるをえなかった。

 いやそれは、あながち無関係ではなかったかもしれないが。

 

     *

 

 佐和子が立ち去ってからというもの、豪和の家は元の静けさを取り戻していた。

 せっかくそれと判った貴重な獲物をみすみす逃してしまった……、そんな焦りがあるわけではなかったが、一清はひとりごちた。

「馬鹿な親父様だ……」

 しかしその父と、素性の解らぬどこの女とも知らないが――その女が産み落としてくれた娘がこうして戻ってきたのだ。

「そう、満千留と言ったか」

 "結局は貴方も人の子だったというわけですね"

「まあ、いい……」

ふ。と、おかしそうに息を吐くと、一清は椅子の背もたれにけだるげに体重をかけた。

 

 なぜ自分は彼女の家族を守ってやれなかった。いや守ろうとしなかったのだ。

 それどころか、最も安全だと託した一番の親友の家と解っていてさえ。結果的に自分は見殺しにした。

 だがその彼女が生きてこの家に戻ってきた。たとえ憎まれてもいい。何度帰ってきて欲しいと願ったことか。

だが佐和子は豪和の家に戻ってくるべきではなかった。

 

 

 ――やめろ!……やめるんだ。

  

 そう何度"その声〟に非難されたことか――しかし。

 これは偽らざる真実。畢竟、自分の両の手は既に血にまみれているのだ。

 この豪和という家に生れ堕ちたその日から。

 

 乃三郎の苦悩は、未だ終わることはなかった。

 

   2.

 

 卑弥呼……筑紫王朝の女王であった弥呼(みか)姫は、鬼道を用いたという。

 それは陰陽道における呪術のようなものであったらしい。

 だから弥呼姫は、星の人と呼ばれた。星から来た星の人。

 それが彼女が民草から畏れを以って敬われた由縁であったのだ。

 

「まるで、かぐや姫みたい――ね」

 そう、卑弥呼の存在は半ば御伽噺のようなものだったかもしれない。だから今日の歴史ファンの中でも彼女の人気は殊更に高い。

 しかし当の彼女には、そんなことは知る由もないことであると同時に、たとえその時代の人々に敬愛され傅かれたとしても、もしかしたら彼女にとってそれは、半分は心寂しいことであったのかもしれない。

 まるで観光にでも訪れたカップルのように、そんな歴史ロマンを語っている暇などないはずなのだが、目に見えぬシンボルからの呪縛に捕らえられた今では、私たちはどうにも動きようがなかった。しかし、ある意味もどかしい、その手持ちぶたさな時間がかえって考える時間を与えてくれたのかもしれない。

 

 そもそもどうして鷹水は、私をユウシロウ――嵬の縁の地である、ここ筑紫は福岡に連れてきたのか。それに現地調査であれば、直々に鷹水が赴かなくても済むはずである。

 それはまるで何かの儀式のように……。

 ふと私の薬指で冷たく光るリングに心臓ごとぎゅっと締め付けられるような気がした。

 そういえば、左手の薬指は心の臓……心に最も近く経由する指だった。

 そう。私は鷹水の妻となることを承諾したのだ。

「結婚しよう――」

 その言葉は、待ちわびたような、そして胸苦しいような不可思議な響きに満ちていた。

 本当はとても苦しかった。でも鷹水の抱擁には、真実が宿っていた。言葉より何より、それは何物にもかえがたい優しさに溢れていた。

 だから苦しい……。

 鷹水のことを愛していないといえば嘘になる。けれど。

 "ああ、ユウシロウ〟

 決して呼んではいけないその名を、また胸の奥底で叫んでしまう。

 なぜだか私は、常に何かに縛られていた弥呼姫の気持ちが少しだけ解るような気がした。女性でありながら一国の主であり、その重い責務を一身に背負っていた卑弥呼。本当に欲しい人への愛を真っ直ぐ叫べない孤独。

 それは不思議な呼応だった。

 

     *

 

 鷹水にとってそれは、一つの賭けに近かった。

 佐和子はまだ知らない。その真実を鷹水は知っていた。

 どうして自分はこんなことをしているのか。無論それはユウシロウに関してのことだ。

 彼女が彼のことを忘れられないというのは承知の上だった。それでも鷹水は佐和子を愛していた。

 だからこそ……だからこそ?

 "ダメだ、佐和子をユウシロウの元へ行かせては――〟

 それは彼女の身の破滅を意味する。だが……。

「俺は一体どうしたらいい?」

 鷹水は独り自問した。

 

 幸いシンボルが介入してきたことで、彼らは再考を余儀なくされた。

 結果的に、そのことが佐和子のユウシロウへの歩みを遅らせるのに貢献した。

 豪和の秘密。二足歩行型兵器の詳細。本当はそんなことはどうだっていい――鷹水は心の奥底でそう思っていた。

 ただひとり佐和子の身さえ無事ならば……。

 だが彼女自身は待とうとはしないだろう。それほどまでに佐和子はユウシロウ君のことを?

「ふ、まるで茶番だな……」

 鷹水の胸中にあったのは、本当は愛であったのか、それとも憎しみであったのか。

 

     *

 

「貴嶋満千留という女性を御存知ですか?」

 その男は単刀直入に尋ねた。この筑紫の地で彼女のことを知らぬ者はなかった。

 それだけその名とその存在は、あまりにもこの土地と風土とに根付くものと深く関係していたのである。

「ええ、勿論ですとも……満千留さんの舞を見たことがない人間は、この土地には一人もおりません」

 不意に尋ねられた町角の商店街の女店主は、にこやかに答えた。

「ただ――」

「ただ?」

 ふと遠くを見るような眼差しになった年配の女店主に男は聞き返した。

「あの方はもう……」

「亡くなった?」

「ええ、もう何年前になるかな、突然……」

 そう言葉を継ぐ店主の話から、生前の彼女がどれほど町の皆から愛されていたのかが垣間見られた。

「良い舞手さんだったのにねぇ……」

 実際、貴嶋満千留の名は、その世界では著名なものだった。

 筑紫舞のただ一人の伝承者。そして貴嶋神社の巫女であると同時に、その生まれ自体には、超常的な伝説的逸話が隠されているというのだから驚きである。

 彼女は神社の鎮守の杜に古くから祀られている、御神体の窟座(いわくら)より生まれ出たというのだ。しかし彼女自身は、無論そのことや幼い頃のことをほとんど覚えていないという。

 だが、たとえもしそれが本当なのだとしても、あまりに途方もない作り話に聞こえてしまう。

 しかし――、

 

 鷹水とユウシロウの事とは別に、私の脳裏からは、あの日観た筑紫舞と宮地嶽神社の石室に現れた不思議な少女の姿が離れなかった。

 そして、この貴嶋満千留の話。実際、筑紫舞はその後、彼女の存在によって広められ、その死後も口伝伝承として残された。

 不思議なことに、実際に彼女が舞を舞った宮地嶽神社や関連するその他の場所から、常に何かの気配が感じられるような気がした。それは奇妙なことに、あの日私が出遭った亡霊のような少女から感じたものと、あまりに似通っていたのである。

 そう、少女から発せられていたオーラのようなもの……。

 それにしても、どうしてこんなにも気になるのだろう? 本当はあまり思い出したくない――なぜだか私は怖かった。

 勿論、本物の幽霊なのだとしたら怖ろしくない方がおかしいのだろうが、そういうこととは別に、不可思議な恐怖感と悪寒が私を押し包んでいた。

 あの哀しそうな瞳……どこかで見覚えがあるような気がする。でも一体どこで?思い出せない。けれど私は彼女のことを知っている。いいえ、あの少女だけじゃない。

 貴嶋満千留。その舞を直接見たことも、本人に会ったことさえないというのに……どうして。

 鷹水が福岡支社でシンボルの動きを探っている間、ともかく私は単身、その貴嶋神社へ向かうことにした。

 だが私は、シンボルの上級エージェントがマーキングするように密かに探っていた情報に、いつしか触れていたことを知らなかった。

     

  3.

 

 "千年……、"いや。

 おそらくそれ以上の遠大な年月を、その魂は生きてきたのであろう。

 嵬とは、人知れずその身に遥か彼方、幾千もの膨大な時の記憶を宿す者。

 空知検校は、深い吐息を清明なる大気の淀みに零した。

 とうに秋は足早に過ぎ去り、山間の村落は早くもひんやりとした冷気に包まれていた。

 最後の落ち葉が、紅の残像を瞼に残して風に舞い散る。

 

 その打ち沈む老いた背中を、木陰から一人美鈴が見詰めていた。

「空知のおじ様……」

「……美鈴殿?」

 半ば不安げなその声色に空知は振り返る。

 美鈴には予感があった。きっとユウシロウは、この鬼哭石の郷を訪れるのだと。

 はたしてユウシロウは美鈴の予期した通り、空知の元を訪れていた。

 御師匠ならば、何か知っているはず――。

 そんなわけがあるはずが無い。だが、なぜ佐和子先生は……。

 

 美鈴は、なぜだかとても不安だった。

 だからまだ病み上がりの体だというのに、この寒空の下、こっそり家を抜け出してきてしまったのだ。また……、

 美鈴はすっかり悪い娘になってしまいました、お兄さま。でも。

 先生とお兄さま――どうしてこんなにも心が騒ぐの。

 私がお兄さまをお慕いしているように、先生も……。

 でも、そのことはもう……ぜんぜん悪いとは思わない。けれど。

 

    *

 

 二人は奇しくも、この嵬の郷、鬼哭石に引き寄せられるようにして来ていた。

 そして当の私はというと、そのさらに嵬の淵源とも言える、筑紫の地に身を潜めていた。

 ……豪和、特に一清の手から逃れるため、というわけでは特になかったのだが、結果的に私は今、この遠く離れた北九州の地に身を置いていた。

 その総てが嵬、そして豪和の謎に連なっている。

 "ユウシロウ……!"

 彼はまたしても、豪和の掌からすり抜けていた。

 彼がこれほどまでに積極性を見せるようになったのは、確かに私が原因なのかもしれない。

 時折送られてくるユウシロウ周辺の近情をメーラーでチェックしたあと、そう。私はまたしても不可思議な思いに囚われた。

 秘事中の秘事とされた、空地の余流能楽が豪和という家を介して、ひっそりと受け継がれてきたように、この筑紫の地にあって同様にして筑紫舞も、人知れず人々の間で密かに守られ、此処に息づいていた。

 鬼哭石の郷で見たユウシロウの舞。そして数名の舞手をして繰り広げられた、荘厳な筑紫の宮廷演舞。どちらも変わらぬ静謐な空気に満ち満ちていた。

 そして私は、そんな舞の動きの所作に惹かれている。あの幻の少女、そして貴嶋満千留という人にも……多分。

 ええ。ユウシロウ、彼自身に惹かれたように。

 

 "佐和子先生……"――何処にいる?

 また、ユウシロウの声が聞こえる。変ね、こんなに離れているというのに。

 だからユウシロウは、鬼哭石の郷へと訪れていた――先生の声がより近く聞こえる処に。

 それが嵬の真実に連なる己の出生を知る鍵でもある、この場所にあるという事との奇妙な符号。それがどうしようもなくユウシロウを引き付ける。

 なぜこんなに切ない気持ちになるのだろう。先生の髪に、指先に触れた瞬間、何かがどこか遠くへ逆流していくような心地になった。

 愛しくて、けれど、とても切ない気持ちに。

 それは、私だって同じよ。

 ユウシロウの唇、まだその感触(ぬくもり)が残っている気がする……。

 私は指先をそっと唇に押し当てた。そして、その見えない体温を両手で抱きしめる。

 ただ一度だけ触れ合った、大切なぬくもり。

 

 "大丈夫……大丈夫だ。だから心配しないで"

 "ユウシロウ……"

 お願い――石舞台にはのぼらないで。

 けれど、逆に私のことを心配しているユウシロウの柔和な眸が脳裏に浮かぶ。

 どこか淋しげで懐かしい、あたたかな瞳。

 

      *

 

 その懐かしい瞳を、私は目の前に佇む一人の少女に見たような気がした。

 貴嶋神社に仕える、巫女――白衣に赤袴姿の。ぴんと背筋を伸ばし、不思議に凛とした気配を漂わせている少女。

 いえ……少女というには若干語弊がある。もう二十歳になろうかという彼女は唖(おし)で、一切口が利けなかった。

 元来、筑紫舞の継承者には、障害者が多いのだと聞く。不具=福を呼ぶという縁起からか、どこかしら何か体が不自由な者は、神の意を伝える舞手に最良なのだそうだ。

 では、貴嶋満千留も……?はたして彼女も、盲目の女性だった。

「――美命(みこと)は御師匠……満千留の一番弟子でした」

 傍らに寄り添う老宮司、貴嶋紀仁は言った。

 ユウシロウのそれよりは少し気の強そうな、けれど芯の強さといったことでは共通するものを感じる少女の瞳。

 彼女は両親に捨てられた孤児だった。貴嶋神社の近くに流れる宝満川の河原で満千留が見つけた赤子だ。育ての親も満千留自身である。

 この子には"資質"がある――。

「いつしかそう見抜いて、満千留は美命に舞を教え込むようになったのです」

 宝満川の"宝"とは、子供の意である。捨て子の川原でありながら。

 なんと美しい名前だろうか……私はそう思った。

 

 こんもりとした古墳の杜に抱かれるようにして、佇む貴嶋神社。

 この地に大小数多くある神社や古墳の中でも、それほど大きくもなく、そして特に名が知れた処というわけではない。

 けれど、そこには確かに神が宿っていた。名を持たぬ神。そう思わせる特別の静謐な空気が、鳥居の連なる苔生した石段の上に漂っていた。一段一段踏みしめ登る毎に、その気配は濃くなる。

 なぜだか魂を吸い取られたかのように拝宮殿の社前に呆然と立ち竦む私に、神社の宮司である貴嶋氏が声をかけたのが最初だった。

「伊集院佐和子と申します。貴嶋満千留さんの……あの、お話を少し聞かせていただけないでしょうか?」

 私はぺこりと頭を下げた。

 

      *

 

 鬱蒼とした鎮守の杜の奥まった場所に、その祠はあった。そこには確かに真っ二つに割れた巨石が、注連縄で飾られ祀られていた。

 そこから"生まれた"という満千留……。

「実は、満千留も孤児なのです」

 ああ、そうか……本当の娘さんではないんだ。

 どうしてか、その途端、訳のわからぬ感情の塊が喉の奥から昇ってくるような息苦しさを覚えて、私は瞬間、戸惑った。

 宮司の話によると、生まれたばかりの幼い満千留はこの二つに割れた岩の間で発見されたのだという。だから、この窟座から生まれたという神がかった逸話も生まれようというものなのだろう。

 だがしかし、その神話的な話も、あながち嘘ではないと思えるような気配を満千留は常に身に纏っていたのである。

 それでも。

 おそらく満千留は一人の人間だったはずだ――なんとなくだが、そんな気がする。

 不遇な生い立ちを持つ美命の気丈な瞳を見ていると、私にはそう思えた。

 多分それは……私自身も、そうだったからだ。

 

 私は傍らに立つ美命に、そっと話しかけた。

「……満千留さん、優しい人だったのね」

 美命は返事をする代わりに、にこっと微笑った。その輝くような笑顔には、何物にも変えがたい、すべての答えが宿っていた。

 それを育んだのは、傍らにいてくれた人のぬくもり。満千留さんにとっての育ての父親である紀仁氏。(因みに奥様は既に他界されているそうである)

 そして、満千留さんに育てられた美命さん。そう、だからこんなに強く生きて来られた。この嘘のない優しさを育めた。人は決して皆、独りぼっちではないから。

 "命"は、ただそこにあるだけで美しい。それには障害のあるなし、生まれのどうこうなどは何も関係ない。だから、満千留はこの子を美命と名付けたのだ。

「よろしければ、美命の舞を観ていかれては……」

 その貴嶋氏の提案は、思わぬ展開へと発展した。その晩、私は本当に思わぬ歓待を受け、美命さんの舞に触れるとともに、貴嶋家に一泊することとなった。

 

      *

 

「筑紫の日向(ひむか)の高千穂の霊(く)しふる峰に天降りましき……」

「――それは?」

 ふと漏らした空知の呟きに、ユウシロウは訊ねた。

「古事記、神代巻からの出典でございます。日本書紀にも同様の詞(ことば)が」

 筑紫は日本神話における天孫降臨の地。それは分かっていたが、なぜそれがここで……。

 空知の屋敷の書院造の奥座敷にて、ユウシロウと空知は対面していた。後ろでは美鈴が一人、二人を見守っている。

 不意に流れるひんやりとした静謐な空気。ひたと空知を見詰めるユウシロウの真剣な眼差し。

 訊ねたいことは、唯一つだった。

「余流能楽の淵源が筑紫――北九州にあることは、既にご存知のはずですな」

 それは遥か遠く、豪和の縁起が伝えている通りであった。しかし……。

「もしかしたら、佐和子先生は――」

 ユウシロウの口にしたその名に、美鈴はびくっと震える。

「出雲同様、神話の地である筑紫には、いまだ神が降りますと申します。しかしそれは、日本古来からの純粋な八百万の神」

 餓沙羅鬼とは異なる……空知はそう言いたいのであろうか。

 そうだ、餓沙羅鬼は――余流は、異端の能楽。しかし遥か古に筑紫で行われた神事がそうでなかったという証はない。

 むしろその淵源であれば、もっと色濃くその血を引いていると言えなくはないか。それがまごう事なき純血であれば、時にその霊験なる純粋さは、残酷なほどに容赦なく時事を行う。

「伊集院殿は……いいえ」

 空知の言い掛けた言葉に、ユウシロウは反射的に全身の意識を集中させる。

 だが空知は、それ以上は口を閉ざし、何も語ろうとはしなかった。 

 

「先生は筑紫にいらっしゃるのではないかしら?」

 空知の部屋を退室したあと、美鈴は庭先でユウシロウに囁いた。

「でも……」

 ユウシロウ自身も、それはなんとなく分かっていた――しかし、だからと言って。

 "お兄さまは、先生にお会いになりたくはないの?"

 美鈴は心の内で一人呟いた。

 まだ美鈴は不安だった。そして心配だった……ユウシロウと佐和子のことが。

 その美鈴の予感は、あながち間違いではなかった。それは嵬として生まれた者の運命(さだめ)と言ってもよかった。そして、その同じ記憶を共有する者は互いに、同じ哀しみを追体験するという。

 ――否応なしにその身に刻まれる、おぞましい恐怖と哀しみ。

 人は人であるがゆえに、時に力を欲する。そしてそのあくなき黒い欲望が、人を永遠とも思える深い悲しみに突き落とすのだ。

 哀しみという絆――。

 

 それを私は、まさに今この身に呼び覚まそうとしているのだろうか。

 そうでない大切なぬくもりを、やっと此処に二人で見つけたというのに。

 "ユウシロウ……"

 

 "沙耶……私を、許して"

 

 また……、あの声が聞こえる。

 少女は、何を私に伝えようとしているのだろうか。

 

 "――刹也"

 

 その名に、全身の血が沸騰する。

 しかしそれは、刹那の瞬き……。

 

  4.

 

"時の依人インヴィテイターは、遥か古(むかし)に、かの地に存在した"

 シンボル・ジャパン上級エージェント、朴は評議員メスの幻のような言葉を、今更のように思い出した。

 そう――それは彼らの組織の最高機密にして最重要優先事項である「ナダ・プロジェクト」の柱である一人の少女に起因していた。

 ある意味で"彼女"は人柱であったのかもしれない。その華奢な体の中に秘めたる未知の力ゆえに、シンボルという組織は一人の少女の半生を際限なく奪い続けるのだ。それは否応なしに行われる、絶対的な強制。

 だが少女は一切それを拒まない。それはあまりに不自然な態度に見えたが、その小さな一個の人間の思いを敏感に感じ取ることもせぬまま、巨大な組織は拒絶を許さぬ絶対の意思を以って、その巨大な歯車の中に、あまりに無力で脆弱な少女を呑み込んだ。

 いや――彼女は決して弱くなどなかった。ただすべてを水の流れの如く超然と受け流していただけなのだ。

 "瞠(みはる)"

 その名は、あまりに静謐な、不思議な引力に満ちていた。

 彼女はこのシンボルという檻の中で飼育されながら、すべてを受け入れているようで、その実すべてを見えない磁力で拒絶していたのかもしれない。

 実験に次ぐ実験に身をやつしながらも、決して弱音を吐く事などない。むしろ歳に似合わぬ、その毅然とした態度が、さらに悲壮とまで思える静謐さを漂わせるのだ。

「日本人、か……」

 自らもその同じアジア系民族の血を引きながら、朴は妙な感慨を思い起こさずにはいられなかった。そしてこの福岡の地に赴き、貴嶋満千留の逸話をたどる一足一足毎に、同じような不可思議な磁力に引き付けられた。

 在日韓国人である彼には、日本という国はあまりに近すぎた。そして彼はこの神話の地にて、同時に遠いまほろばの国であることも不思議に実感するのであった。

 

 かつて筑紫は、大陸との最も近い接点を持つ土地であった。だからここが中国文化を最初に受け入れた倭国の玄関口であったというのも頷ける話である。

 今にして日本は世界を一歩リードする先進国、経済大国となったが、初めはただの素朴で小さな島国でしかなかった。

 そう、海岸線によって守られた島国……。ある意味で最初の日本の歴史は海洋国家としての歴史でもあったのかもしれない。かつて傀儡子の民が海人の民であったように……原初の日本、大和の国は母のような海の懐に守られていた。

"そういえばインヴィテイターは月と会話するらしいな"

 あまりに荒唐無稽な話だが、確かにそれは妙な符号を見せていた。日本人――瞠の国籍は、何を物語っているのか。

 海の満ち引きは月の引力によって引き起こされるという、あまりに当たり前の自然現象を朴は思った。しかしその"当たり前"が自然界、宇宙そのものの理であることも、また事実だった。

 元来日本文化は、引き算的な質素さに彩られていた。陰陽五行の陰だ。太陽的な欧米文化に対して、その陰の気質を持つアジア圏の日本文化。それは淡いパールの如くの月の光の持つ引力と同じだった。要らぬものを削ぎ落とせるだけ削ぎ落とした処にしか存在しない、無の境地。そう、水は低きにこそ流れるのだ。

"まるでブラックホールだ……、"朴は我知らず呟く。

 インヴィテイター瞠の異様なほどの落ち着きに何故か惹かれるものを感じていたのは、実質的な彼女の育ての親である評議員メスだけではなかった。

 だからメスはこの調査を、自身の代わりに朴に依頼したのかもしれない。

 

       *

 

「美鈴とユウシロウが?」

 しかし、そう訊き返す一清には何の驚きの表情もなかった。

 確かに未だ二足歩行型兵器の開発途上にある豪和にとって、これ以上の実験の遅延を許すわけにはいかないのは事実であったが、同時に彼は知っていた。

 そう"刻(とき)"が満ちつつあることを――。

「まあ、ユウシロウが美鈴と一緒であるなら心配は要らないが……」

 落ち着き払った乃三郎の態度に、一清は思わず鼻白む。

 ふ、何も知らないとでも思っているのですか……。

 ユウシロウと美鈴。豪和家の末弟と末娘。たとえ憂四郎の記憶を転写したとはいえ、二人はあまりにしっくりしすぎる兄妹だった。だが、本来の偽りなき姉妹こそは佐和子と美鈴の方だったのだ。そう、異母姉妹とはいえ。しかも佐和子は……。

 最早一清は、笑いを堪える事が出来なかった。

"クク……豪和の末弟?……姉と弟、か"

 実際、佐和子がユウシロウの精神に何を与えたのかは、彼にはどうでもよいことだった。いつしか意思を持った人形――しかし人形は、一度操り手の手の内に入れば。

 そのために佐和子の存在は不可欠だった。いや、佐和子それ自体の存在こそが、豪和の淵源を遡る手助けとなってくれるやもしれぬ。いつでも手繰り寄せることができるよう、一清の掌の中には、その人形に繋がる糸が握られていた。

「総代、今一度ユウシロウには役に立って貰わなければなりませんね」

 その言葉の意味するところに、乃三郎はまだ気付かなかった。

 

       *

 

"メンタルバースト"――「機能相転移」とも、彼らは呼んでいた。

 それは嵬が餓沙羅鬼を呼ぶ、まさにその兆候であった。これまでの実験においてユウシロウは、何度かその「メンタルバースト」を引き起こしていた。

 言うなればそれは、文字通り精神の暴発だった。心拍数は優に300を超え、通常の人間ならば、とうに心臓麻痺を起こし死んでいるだろう。通常では考えられないような現象――それは驚異的なTAの性能向上を可能とした。無論それはユウシロウがの能力が、いかに常人離れしているかということを示すのに他ならない、尋常ならざる現象でもあった。

 そればかりでなく、ユウシロウのTA搭乗時のメンタルバーストは、同じチームを組む他の機体にも、同様の作用を否応なく引き起こす。

 メンタルバーストが機能相転移、と呼ばれる所以である。

 それは個体から個体へと、そう相対的に、それぞれがそれぞれの連帯であるかのように並列化されて起こる暴発。そしてまさにそれを操り司っているのが、TA小隊の母体とも言えるユウシロウ機。いや、ユウシロウ自身であった。(そのことは他の隊員の士気にも作用するため、表向きには公にされていないが――)

 だからこのTAプロジェクトに、真にユウシロウはなくてはならぬ存在なのだ。

「巫女の恍惚……」

 ふと一清は呟いた。

 能を舞い己が己でなくなる瞬間、仕手はまさしくそのトランス状態に陥る。だからこそ優れた能の舞手であるユウシロウが、同時に優秀なTAパイロットであるということも頷ける。

 嵬――そして骨嵬の映し身であるTA。その両者は既に鏡のように密接な関係性にあった。

「次にユウシロウが、機能相転移を引き起こすのは、石舞台で……、かもしれませんな」

 一清の言いたい事は大方解っている。乃三郎には、その不気味な嗤い貌(がお)の奥に沈む思惑が透けて見えた。

 だが自分とて、どこまでその業に抵抗する事ができるだろうか。そう、己とて同じなのだ。同じ豪和の軛(くびき)から逃れられぬ宿命を背負っている。憂四郎はもういない。そして空也も……。だが、その亡くした命こそが、物言わぬ言葉で乃三郎を責め立てる。

 その悲しげな亡霊の風圧が……しかし。

「そう……いずれ佐和子を招かなければなりませんね。正式に豪和の娘――ええ、長女として」

「……!」

 乃三郎は絶句した。

 あまりに早いその瞬間の訪れ。だが、それも時間の問題であったのだろうか。

 "福岡――筑紫の地、ですか……"

 佐和子が、いや彼女の所属するジャーナリズム団体の長兄である鷹水誠司が、そこで何を企んでいるのか、大方予想はついた。

 知っているのだ、やつも。"妹"がその真の巫女であるということを。

 ……おそらくはユウシロウにも引けを取らない、その未知なる力。

 "女……。"

 一清はふと、嵬の始祖である傀儡子の民が、元は海人族であることを思い出した。

 おそらく満千留も女性であるからこそ、真にその力を己が身に秘め宿すことができたのやもしれぬ。そして、女は子を産む。そうだ、その最たる純血を産み落としてくれるのだ。

 ユウシロウはまだ少年だが――いや。嵬と嵬は互いに惹き合う。たとえ離れていたとて。

 佐和子の中に宿る、その"種"を逃してはならない――決して。

「些か気が早いが……そうですね、」

 その瞬間、能面のような一清の歪んだ貌(かお)は確かに笑っていた。

「早ければ早いに越した事はないでしょう。明日にでも迎えにいかねばなりません……かな?大切な妹……いや、愛娘を」

 もはや乃三郎に言葉はなかった。

 

       *

 

「今宵のような宴は何年ぶりでしょうか――」

 その祭礼をあえて"宴"という呼び方をした貴嶋宮司の心内は快く凪いでいた。

 私は質素でありながら、心配りに溢れた料理を前にした客人の席に着き、隣に座する貴嶋氏の顔をそっと見つめた。

"不思議と他人という気がしない……"

 それは目の前の舞台に静やかに佇む美命にも、同様に感じることである。

 ユウシロウの舞。その源流が確かに"此処"にもあった。

 だからなのだろうか?こんなにも懐かしい思いが溢れるのは。

 ……いいえ、それだけじゃない。何かもっと……。なんだろう、この胸が熱く締め付けられるような感じ。

 美命の舞は、あの筑紫舞の公演で観たものと違い、まだ若干ぎこちなさを残していたが、それでもその荒削りな所作の中に、さらにもっと原初的な何かが見て取れるような気がするのは、気のせいだろうか。

 そう、ユウシロウの舞によく似ているわ。

 やはり優しく清々しく凛と澄んでいて、でも、どこかとても悲しげで……。

 私は次の瞬間、思わず自分の両腕を両手で抱き締めていた。

"な……に……?"

 自然と涙が両眼から零れ落ちる。

 えもいわれぬ、熱い何かが胸にこみ上げてくる。

 ――ドクン!と、身体の奥で胎動する何か……。

「どうかなさいましたか?」

 貴嶋宮司の柔和な眸(まなざし)が、ふと訝しげに曇る。

「ごめんなさい――私、」

 私は思わず席を立ち、座敷をあとにしていた。

 

 その晩、月は煌々と闇に照り映えていた。

 あの日、少女の幻を見た夜も、今は少しだけ欠けてはいるが、こんな美しく冷たい月夜だった。

"ユウシロウ、私……"

 気がつくと、いつの間にか私は、あの真っ二つに割れた御神体の窟座の前を訪れていた。

 まるで導かれるように、ひんやりとした苔生したその岩肌に触れると、自然と気持ちが落ち着く気がした。その感触に、ふとユウシロウの涼やかな気配が重なる。

 けれど、ここまで走ってきたためか、突然溢れ出した感情のままに早鐘を打つ鼓動は、なかなか鎮まろうとしない。

 どうして、急に……。

 はあはあと弾む呼吸を何とかして整えながら、私は巨石を見上げた。その瞬間を静かに留めたまま二つに割れた岩は、凍りついた時のままに鎮座して何も語ろうとはしない。

 しかし私には、その御神体の巨石が、母のように私の戸惑いを見守り、静かに包み込んでくれているような気がした。

 しばらくその岩肌のぬくもりにもたれかかるようにして、私は一人目を閉じていた。

 

 すると、その肩に背後から、そっと掌で触れる者があった。

「……!?」

 私は思わず、びくっと身を震わせた。驚いて振り返ると、そこに舞の白装束のままの美命が佇んでいた。

「美命さん」

 突然、席を立った私を心配して追ってきてくれたのだろう。美命は静かに頷くと、私の肩に羽織っていた薄い絹衣をそっとのせた。

"綺麗……よく似合うわ……"

 微笑む美命の唇が、そう動いた気がした。

「――ありがとう」

 美命の優しい真心を感じ取り、私もぎこちなく微笑んだ。差し出されたその手にそっと触れると、さっきまで触れていた、ひんやりした岩肌に感じていたのと同じ懐かしさがこみ上げた。

"え?"

 美命はふと目配せすると、私の手を取り、静かに歩き出す。

 

"佐和子が貴嶋家に――?"

 自らが直接招いたのではないにせよ、鷹水はその必然のような偶然に思わず目を見開いた。

 元はと言えば、そのために彼女を直々にこの地に連れてきた――佐和子の中に眠る嵬の血を確かめるために。

 千年を優に超える豪和の淵源。それが何を意味するのか……鷹水の思惑は、既に一ジャーナリストとしての目的を越えていた。

 彼もまた確かめたかったのかもしれない。この日本という国に何が眠っているのかを。

 国際化の波に洗われ、はや幾年月。物質的豊かさと表向きの発展を得るうち、この国は確かに何かを失った。次第に内側から腐敗し、衰弱していく日本人の精神。それはまさに緩慢な壊死であった。

 鷹水は決して純然たる愛国者というわけではなかったが、それでも静かに惹かれていた。

 ――今まさに失われつつある、秘められた無窮の力に。

 

 8年前、確かに彼女を燃え盛る炎の中から救け出したのは、単なる偶然であり、同時に彼自身の正義感が為したことでもあった。

 だが、それはさらなる"出遭い"でもあった。

 無論、そこにも下心など何もなかった。ただ純然と彼女を守りたいと思った。

 だからこそ孤児となった佐和子の後見人になり、その孤独な魂を育て見守り、そのまま将来も誓い合ったのだ。

 しかし、彼は後に知ってしまった。豪和に復讐を誓った彼女こそが、豪和自身に最も益をもたらす存在であったことを。

 いや――。

 ジャーナリストとしての純粋な正義感? 佐和子自身への愛? ……違う。

 佐和子の豪和に対する憎しみは、本当は己自身の感情でもあった。

 豪和ユウシロウ……。

 彼が真に豪和の人間でないなどという事実は、最早、何の意味も成さなかった。

 そんなことはどちらでもよいのだ。無論、世の道徳に反する二足歩行型兵器開発の事実も、表向き非難する立場にこそあれ、鷹水自身の感情にとっては、どうでもよいことであったかもしれない。

 "ふ、国際ジャーナリストか……我ながら笑えるな"

 鷹水は人知れず自嘲した。

 これまで佐和子の豪和への憎しみが、己自身の心を代弁してくれていた。だが今となっては……。

 

 どちらにせよ佐和子は、己自身の"力"に対する覚醒(めざめ)も知らぬまま、まるで自ら引き寄せられるように自分自身の故郷に戻った。

 彼女がユウシロウに出逢い、ともに心を通わせるようになったのも――。

 すべてが運命なのだ。嵬という名の、変えることの出来ない、偽らざる宿命。

 ただ自分は、それを手引きしただけだ。豪和からも、そしてユウシロウからも遠ざかるようでいて、その実、最も近い場所に。

 もしかしたら、佐和子への自分自身の愛は、その"憎しみ"から生まれたのかもしれない。

 愛するがゆえに……。

 畢竟、人というものの真実などはそんなもの。

 "救えないやつだ――"

 佐和子からの携帯の着信を点滅させながら、鷹水は一人思った。

 

 

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