パラダイス・ロスト Birth of UNKNOWN 作:さみに
というのも感想を寄せられることが少なくなりまして、こちらでなら少しばかりでもいいただくことができるかな、と考えた次第です。
眼を開いたら、そこは水の中だった。
どこまでもどこまでも、浮力に従って水面に浮かぶこともできないような、水だけの空間。
自分の視線の先には太陽の光が差し込んでいて、波で作られる揺らめきに合わせてきらめいていた。
口を開いてみても、塩辛さは無い。それどころか何の味もしないし、呼吸が苦しくなることもない。
「ああ、これは夢なんだな」と理解するまでに、時間はそう必要無かった。
眼を閉じてただ揺蕩っていると、次第に自分の肌と水の境界線が曖昧になっているように思える。それは嘘では無く、やがて、自分の身体が液体に、水に溶けて失せていく――
戸田若菜はその末期に覚醒した。
自分の部屋の、慣れ親しんだベッドの上だ。
服は、学校の制服……らしい。というのも、記憶している限り確かに登校してはいるのだが、窓の外を見れば夜の帳が下りている。そんな時間になって制服を着ている理由も無いし、かといって帰宅した記憶も無い。不可解なこの状況に、左手で額を押さえるくらいしかできなかった。
「起きた?」
ベッドのすぐ傍で声が聞こえて、思わず跳ね起きそうになった。実際は、気怠くて重い身体が言う事を聞かなかったが。
僅かに手を動かすよりも前に、声で何物かを理解した少女は溜息を吐いた。
「悪夢を見たかな。」
幼馴染の少女が、大人しい顔で見下ろしながら笑っている。
笑って、笑って……そして続きを促している。
「水の中で、沈んでいくんじゃなくて浮かんでるだけなのに、そこから出られなくて……泳ぐことが好きなのに、怖いなって。最後は、もう身体が水になって、私が私じゃなくなっちゃうって夢。」
言葉で説明しながら、理解されないことを理解していた。概念的なもので、そもそも身体が水になる感覚などというのは、この世の誰も経験したことのない感覚だからだ。
だから、それを聞いていた悠乃の反応もまた、曖昧なものにしかならなかった。否定も肯定もせずに、ただ聞いて静かに頷いているだけだった。
「怖いなって思う事もあるんだね。不思議な夢だったんだ。」
顔を隠している左腕に、温かい感触。人肌の、柔らかさと安心感が伝わってくる。
「疲れてるかもしれないね?ちゃんと寝ないと。学校もあるし、部活だってあるんだから。」
明らかに疲弊しているだろう今の自分には、誰かの体温と言葉が自然と入り込んでいく。
握ってくれている手首に、確かな力が伝わっている。喉が渇いた時に飲む水の、一度飲み込む度に身体に広がっていく感覚に似ていた。
さっきまで嫌悪感しか湧かなかったはずが、少しずつ心地良い疲労感へと変換されて隅々まで行き渡っていく。
自分の友人の優しい気遣いに感謝しながら、再び重くなり始めた瞼を閉じる。
手の隙間から見えたその友人の瞳は、瞼が閉じ切る瞬間に、僅かに白んでいるように見えた。いや、瞳だけではなくて、これは自分の、視界が――
意識を手放したらしい自分の親友……「妹」を見下ろしながら、悠乃は醜悪に唇を歪めた。
それとほぼ同時に、親友の顔に黒々とした紋様が浮かび上がる。顔の上に置いている左腕にも同様だ。
さらに、子宮の上にあたる位置……下腹部に、突如として灰色の紋章が刻まれたエンブレムが出現する。
水面が沸騰するかのように若菜の身体のシルエットが崩れていくと、エンブレムを中心にして新たな灰一色の肉体が現れ始めた。
薄着で寝汗に濡れた衣服も、その下の早熟な身体も、より淫靡に豊かに実って妖艶な意匠で彩られていく。
やがて、烏賊を暗示した姿の怪人へと変化し終えるのを見届けて、下品にも舌なめずりまでした。
美味しそうな子になった。まだ自覚が足りないようだが、もう本当にあと一押しだ。
しかも、「ハジメテ」なのに早くも自分の力を、自然に使おうとしている。
それが本当に嬉しくて、愛らしくて、たまらなかった。
眠りの中で再び同じような悪夢を見ているのだろう怪人と、その影に映し出され、豊かに実った裸体を曝している若菜の対比をたっぷりと視姦する。
その最中にも、怪人は疼きに耐えるような声を何度か漏らしながら身体を何度も捩らせている。すると、怪人の手に持っていた杖の先が、ひくひくと震えだした。
何度か開閉を繰り返した後、根元が突如として膨らんだ。次第にそれが盛り上がっていくと、先端に向かって進んでいき――
ぼじゅんっ…!
墨の塊のような「ナニカ」が飛び出した。直径三十センチほどの、墨っぽい液体に塗れた黒い固体だ。心臓のように「どくん、どくん……」と脈を打つそれを、悠乃は既知のものであるかのように観察する。
やがて、それは球体じみた形から自らを変化させはじめると、質量を無視して体積を増す。ものの数秒でヒト型にまで膨れ上がると、確かな輪郭を表していく。黒一色だった体表が、それに合わせて人間らしい肌色に変わっていく。髪も、目も、口も、淡い蕾も。
悠乃の前には、いつの間にか一人の少女が立っていた。
「フフ……、お前、名前は?」
自身の肉体の感覚が上手くつかめていないのか、はたまた実感が無いのか。
顔や身体をぺたぺたと触っていた少女は、問いかけられてから少し間を空けて、漸く口を開いた。
「さ、く…さく……櫻井、岬。」
「はい、よく言えました。偉い偉い。」
内容とは裏腹に、どこか冷たい語調。親友に対してのそれとは違い、明らかに態度が悪い。
「産まれたばかり」の少女に、悠乃は立ち上がって、にこやかに笑いながら肩を抱いた。
「それじゃあ、行きましょう。若菜に最後の仕上げをするための前準備に、ね。」
瞳を真鍮色に輝かせ、顔面に先程の若菜と同じような紋様を浮かべつつ、少女の顔を睨む。
それに呼応して、少女の瞳もまた真鍮色の輝きを灯す。その反応に、自分自身驚きながら、強引に抱かれるまま部屋から連れ出されていく。
そして扉が開いて、閉じられる。
後に残った怪人の姿が、白い光と共に消え失せていき……そして、安らかに眠る哀れな少女だけが残った。