パラダイス・ロスト Birth of UNKNOWN 作:さみに
単純に多忙であるが故の更新停滞です。
今回はアブノーマル要素は無いので楽しんでご利用いただけます(多分)
若菜の体調はすこぶる良かった。
水を掻く手も、水中を蹴る足も、昨日までとは全く違う。
そのまま溶け込んでしまったような錯覚に陥りそうなほどに、水が身体に馴染む。
県大会を終えた後で、少しは安心できた結果だろうか。
興味を示した顧問教諭の勧めでタイムを計ったが、何と5秒も縮まっていたという。
未だに底の見えない若菜の才能に、部員達も歓声をあげ、そして祝福した。
その日の下校時間を迎え、更衣室へと引っ込んだ彼女らの話も、若菜のことでもちきりだった。
悪い気はしない。
周知の事実だろうが、陸上然り、カーレース然り、速さを競う世界において「一秒を縮める」ということの難しさは筆舌に尽くし難いものである。
軽量化、手法の試行錯誤、純粋な肉体強化などを施しても、その壁はあまりにも大き過ぎる。
当然、水泳の世界に生きる若菜もその重みについては理解していた。
だからこそ、今日の一件は自信に繋がる良い出来事だと言える。それは間違いない。
……だが、諸手を挙げて喜ぶことができていないのも事実であった。
そう、いくらなんでも短縮し過ぎなのだ。
まだ1秒ならば、まだ絶好調の範囲内かもしれない。それでも充分過ぎるが、非現実的とも言い切れない。
現実はどうだ。5秒。そのたった5秒を縮めることに、本来どれだけの心血が注がれるだろう。
何か特別なことをしたわけでもない、普段通りに食事をし、普段通りに起き、普段通りに練習をし、普段通りに寝た。
たかだか3日そこらで変われば違法行為などで取り締まられるような事態は起きないだろう。
思案を巡らせたまま着替えを済ませて、帰路に着く。
その間も一部の先輩や同級生、後輩から熱い視線が自らの肢体に注がれていたのはまた別の話。
――…ぇ、……ぁい………ねー。
…何か聞こえたような気がする。
「……?」
周囲を見渡す。田園風景が広がる中に、夕暮れ時でも虫の鳴き声がそこら中から聞こえてはくるが、人っ子一人見当たらない。
先ほどの声はすぐそばで微かに囁いたように聞こえた。…ありえない。
―ほんっと、今日の若菜先輩すごかったー。
「…!」
今度は間違いない。先ほどまで部室に居たであろう後輩の声だ。
彼女の家がどこかなんて知らないが、この虫たちのラブコールが響く中で誰も人が居ないのに声が聴こえるなんて奇妙にも程がある。
幽霊や心霊現象など信じるほうでは無いけれど、違和感や不審に思う気持ちは強まっていく。
―五秒も縮めたなんて、全然聞いたことないわねー。
―素人が色々教えられたとして、それを全部マスターしても無理っぽいでしょ。
―ほんとほんと。一体何したんだろ?
随分勝手なことを言う…当の本人ですらわからないのだから、そんなことを言わないでほしい。
言っている彼女らはまさか聞かれているなんて思わないのだし、遠慮などするはずもないだろうけど。
――入部してからずーっと思ってたけど、実は人間じゃなかったりして?
(ず、ぐ…ん) えっ…? (…ド、 クン……)
――あっ、わっかるぅ!あのナイスバディ、おっぱいもおしりもあんなにおっきいしさー。
――実は宇宙人、とか?もしくは新たな新人類?
あ、ぅ…? な (ドクン) にぃ、これ… (ド クン)
――あんなぽやぽやした顔とか性格って実は演技でさぁ
――裏じゃドーピングとか汚いことしてたり…なんちゃって!
(ドクン ドクン ドクン) が、ぁ……私、じゃ…ぁ…!!! (ドクン………ッ!)
『ふふふ……始まった。…若菜も、これで階段を一つ登れたねぇ…』
雑木林の中、大木の上で意匠通りの四足獣と化した悠乃――メメコレウスが目と、下腹部のエンブレムを光らせる。
その視線の先で、苦しげに地面に蹲っていた若菜が立ち上がり、ふらふらと何処かへと歩き始めた。
メメコレウスは、視界から消えるまで目を離さずに見届けてから、その姿を悠乃へと戻す。
木から下り、慈愛と劣情の入り混じった表情を浮かべながら微笑むと、若菜の後を追って姿を消して――
「……はっ。」
…知っている天井。
若菜が目を覚ましたのは自室のベッドだった。
いつの間にやら夜が明けている。昨日の夕方からどうも記憶が無い。
それに、身体が少し気怠い。ほんの少し、といえる程度なので別に気にするほどでもないのだが。
「…なんだっけ、何か忘れてるよーな……?」
昨日の朝も、いつの間にかベッドの上で迎えていた。
記憶が抜け落ちているところも同じだ。
違うところと言えば夢見が悪かったかどうか、だろうか。
(…今日も部活だし、一先ず身支度を済ませちゃ――ぬちゃ――………ぬちゃ?)
ベッドの脇、足を下ろした部分がやけにぬめり気を持っている。
いや、一箇所だけではない。見渡せば部屋のカーペットに点々と水滴が落ちている。
(…? お風呂に入ってから身体をよく拭かなかったのかな?)
頭を傾げながら、とりあえず疑問は後回しに洗面所へと向かう。
練習時間に遅れて泳げなくなるのはイヤだからだ。
少し心配だけれど、多分帰っている頃には乾いているだろう。
パジャマを脱ぎ、着替えを小脇に抱えながら、髪を整えていく――
触手が、揺らめく。
一話あたりのボリュームアップを目指そうとした場合、必然的にプロットは長くなりますが
一気に読めるというメリットがついてくるんですよね。
実体の本でいうところのページをめくるという労力が軽減されるわけです。
ただ、回を跨ぐ…いわゆる「引き」っていうんですかね?そういうのでしか表現できないものもあると思うんです。
現状の一話あたりの文字数が少ないのは多分大体はそれによるんじゃないかなあとか
…そのうち一話分に纏めて再投稿したりするかもしれませんね。
これではSSレベルの長さですから