上海と名付けられた人形も蓬莱と名付けられた人形も、あくまでただの人形。…と、そういう設定を数人は思い出していたものの、自分の指で遊び始めた2人を見ると本当は何か別の生物なのでは、と思い始めた。
「シャンハーイ」
「ホラーイ」
上海が数人の左手の人差し指を持ち上げると、蓬莱は反対の手の人差し指を持ち上げる。すかさず上海が中指を掲げると、蓬莱は少し重たそうにしながら同じ指を持ち上げた。
(可愛いな)
自分より圧倒的にサイズの小さい存在に絡まれる。まるでガリバー旅行記だ。
(でも2人はあくまで操られているだけ………。アリスが操作してるだけなんだよ…な?)
目の前で優雅に紅茶を飲む彼女に視線を移す。人形を操ると言えば十字型の木の棒を操作するような姿を想像するが、彼女は今カップを手に持っているだけだ。もしかしたら左手で上手いことやっているのかもしれないが、その上手いことが一体どうなっているのかは見当もつかない。
(どうやって、なんて聞いても分かんないんだろうな)
そういう未知な部分を魔法でと括ってしまうと、あらゆる事がストンと腑に落ちる。上海と蓬莱は魔法で操作されているし、ティーポットに注がれた熱湯も魔法で沸かされたもの。そして何より自分が瘴気に満ちた森を無事に移動出来たのも魔法のおかげだ。
元の世界では有り得なかった未知の存在。そんな魔法というファンタジーに欠かせない神秘を体感しても、数人の心臓は不思議なことに落ち着き払っていた。アリスに魔法を請う訳でもなく、家の外に広がる幻想の世界に想いを馳せることもない。ただ自分の指で遊ぶ人形たちを見つめているだけだ。
静かな時の中に数人は包まれていた。しかし重苦しさや息苦しさは感じない。ただ静寂とチクタクと優しく鳴る振り子時計の音にアリスがカップを触った時に鳴る音だけが空気に溶け込んでいる。
数人は家に連れてこられてから一言も喋ってはいなかった。最初は魔女アリスの存在が恐ろしかったからだったが、今ではこの神秘的とすら感じさせる空気を壊したくないという思いで、数人は口を閉ざしていた。
「ねぇ」
誰の声か数人は分からなかった。もしかしたら上海か蓬莱が鳴き声とは違う声をあげたのではと注視してみたが、どうも違うようだ。
「…ねぇ」
少し呆れの混じったのような声。2回呼びかけられてやっと数人はその声がアリスのものだということに気付く。
「私の人形に興味を持ってくれるのは嬉しいわ。でも私は貴方に興味があるの。自己紹介くらいはしてくれても良いんじゃないかしら」
わざとそうさせているのか、上海と蓬莱は身体を前後に揺らしながらテッコテッコと歩きだした。まるで玩具の兵隊人形のような、可愛らしい歩き方だ。
「その…、それは、ごめんなさい。あの、え~っと、僕の名前は、鴇矢数人と言います。……助けてくれてありがとうございました」
数人は軽く頭を下げるが、内心ではハッと思い出していた。
自分はアリスの助けを拒んだ。アリスが人から外れた存在であることを不安に思って、彼女の親切心を振り払おうとした。結局半ば誘拐される形で治療をしてもらったが、もしあそこで放置されていたらそれこそ一巻の終わりだったかもしれなかった。今も心の何処かでは彼女を恐ろしく思っている。でも上海と蓬莱のコミカルな動きを見ていて、あの遊ぶ動きは自分を和ませる為のものだったのではと思うのだ。
数人はアリスと目を合わせる。透き通った青
「そう。数人と言うのね。もう怪我の痛みは収まったかしら」
「はい。もう大丈夫です。…色々とありがとう」
「…フフフ、良いのよ。むしろ懐かしい気持ちになれたわ」
そう言うと、アリスは立ち上がる。綺麗な金色の髪がふわりと揺れる。
「ちょっと買い物に行ってくるわ。留守番を頼めるかしら」
「はい、…あの、でも手伝わなくて良いんですか?」
「気持ちは嬉しいけど、貴方飛べないでしょ?、それに今上海と蓬莱に指示を入れておいたから、2人のお手伝いをして欲しいの」
「分かり、ました。それじゃ、あの、いってらっしゃい」
「ええ。いってくるわね」
玄関がパタンと閉じられる。窓越しにアリスが飛び去っていくのが見えた。
(俺が何で森にいたのか、とか何で名前を知っているのか、とか一切聞かなかったな)
アリスは深く追求してこなかった。何か事情があると汲んでくれた。
だからこそ、ますます居た堪れなくなる。今自分がここに居るということ自体が、アリスの親切心を裏切っている。
「だからって言えないよ…」
上海と蓬莱はまだ休止状態なのか、机の上にちょこんと座ったままだ。
魔力の込められた人形1体にすら自分は勝てないだろうから、いざという時の保険でアリスは人形を置いていったと考えられる。…そう考えられるが、アリスにはそんな意図は無いだろう。少なくともそんな邪推を彼女には向けたくない。
上海を優しく両手で掬い上げる。掌サイズでありながら、精巧に作られた美しい人形。しかしフランス人形や日本人形のような妙な恐ろしさはなく、可愛らしくデフォルメされた表情が安心感を抱かせる。
ほんの少しだけ罪悪感が和らいだ数人は2体を両肩に乗せると、手始めにアリスが使っていたティーカップを持って台所に向かう。魔法という神秘が存在しながら、それでいて台所周りは至って普通だった。見たこともないような道具も散見されたが、大体使い方が想像出来るものばかりで、何より蛇口を捻れば水が出るという常識は幻想郷にも通じていた。異世界に憧れながら、それでもそんな当たり前に安心する自分に苦笑する。
数人はスポンジらしきものでティーカップを優しく洗う。その姿をアリスは人形を通じてしっかりと見ていた。
「…落ち着かない」
来客用だと説明されたベッドから見上げる天井は、無機質な木目を描いている。
結局数人は本当のことをアリスに言えないでいた。怒られたくなかった。嫌われたくなかった。心の中で様々な理由が浮かび上がる。
「寝れないなぁ…」
頭を右に向けると、消えたろうそくからまだが煙が立っているのが見えた。
次に目だけで部屋全体を見渡す。大きな鏡が貼ってある化粧台にオーク調の丸テーブルと椅子が1つずつ。少し小さめのクローゼットにふかふかのシングルベッド。何が書かれているのかちっとも分からない本が収納された2段の本棚…。
アリスに言われたお手伝いとは部屋の掃除のことだった。何の部屋だか分からないまま、いつ吹き込んだのか分からないアリスの音声に数人は従い、家財の具合を確かめた。ホテルみたいな部屋が完成する頃にはアリスも帰ってきていて、結局あの部屋は何だったのかと聞く前に、貴方の部屋よと言われてしまった。てっきり村里に身柄を引き渡されるものだと思っていた数人は流石にと遠慮したが、良いから良いからと流されてしまい、そして今に至る。
「まだアリスは起きてるかな」
スマホを取り出そうとして、持っていないことに気付く。まるでキャンプに来たようなあの感覚。利便性を必要としない幻想郷の生活は、まったりとゆったりとしている。
「多分、9時頃かな。多分」
フランス窓から見える月は余りにも白くて美しく、夜の静けさを照らしている。
居ても立っても居られなくなった数人は起き上がり、ベッドから腰を下ろした。アリスのお手製スリッパを履くと、差し込む光を頼りに部屋の扉を開ける。そして廊下に出ると、隣の部屋の扉の前で立ち止まった。
数人は深く息を吸い、そしてゆっくりと吐いた。何度もソレを繰り返し、強引に心臓を落ち着かせると、1つ、2つ、扉をノックした。
「…出ないな。寝てるのかな」
再びコンコンと扉を鳴らす。しかし、出ない。
(寝てるだろうし、明日にでも………、いや、駄目だ、駄目だ。もしかしたらまだ下にいるのかもしれない)
扉から離れると、数人は奥にある螺旋階段へと歩き出す。
本当なら聞かれるまではずっと秘密にしておくべきことだ。助けてくれて、しかも部屋まで貸してくれた彼女にあんな馬鹿げた真実なんて言えるはずもない。…だが、秘密にし続けるのも我慢出来そうにない。
数人は部屋の一件の後、結局アリスに何も伝えられないまま夜まで時を過ごした。しかしその間胸中は後ろめたい気持ちでいっぱいだった。アリスの好意を受け取っている事自体が彼女に対して失礼だと、自分の心は潰れそうになっていた。
歩みは牛のように遅い。螺旋階段から下を覗くのが怖い。
「…何で、魔法の森なんかに、転送されたんだろうなぁ」
性奴隷なんてとんでもない。少なくとも、アリスをそんな存在に貶めたくはない。
(光が付いてる)
よくよく思えばアリスは魔法使いだった。寝る必要が無いのかもしれない。
(…降りよう)
覚悟を改めて決め直すと、ゆっくりと一段一段、極力音を立てずに降りていく。どうせ真実を告げるのだから気配を殺す意味などなかったが、数人はそれに必死だった。
アリスの場合はラブラブイチャイチャするのが、そのまま1番魅力的なエロに繋がると思っています