Metro2033 -影を見る者- 作:きゃすたー(7mg)
しばらくは原作小説読破とゲームの再プレイのため更新が止まります。
本編以外に一度カース駅までの登場人物や武器、装備や設定・用語などについての解説などを挟む予定です。
自身に上手にストーリーを構築する技量があれば、解説などを挟まずともMetro2033についておおよそ知って戴けるのに、と自省しております。
拙作ではありますが、楽しんで読んで頂ければ幸いです。
トンネルを進むうちに、次第にこの親子のことを信用するようになった。
カーンはトンネルの知識や歩き方に精通していて、その判断力や戦闘技術は老いが見える見た目からは想像もできない確かなものだった。胡散臭いのは変わらないが。
冷静さを失わず、絶えず周囲の変化に気を配り、同行者に注意を促してくれるその姿はリーダーというものの一つの姿なのだろう。
娘のラスヴェートは戦闘中以外は見た目どおりの少女だった。アジア系の黒髪黒眼、中国系ともモンゴル系の人ともどこか違うが、小柄な体躯と華奢な体つきからは想像できないほどに力強い。
彼女は「力の扱い方がうまいだけ」と言っていたが、それでも並みの男性以上に感じる。
性格はカーンのような熟練の戦士のように冷静だったり、駅で遊んでいる子供のようにふざけてみたりで、少し年下の妹―ときどき姉みたいな―ができたような気分だ。
何より一番の驚きは彼女がストーカーであることだった。女性のストーカー、というものは滅多に聞く事が無い。この眼で見たのも初めてだった。
彼女は普段よく聞くストーカーやレンジャーとは大きく違っていた。彼らは往々にして“気性の荒い”とか“喧嘩っ早い”とか言われるが、彼女は対照的に静かな少女だった。
見た目相応のうら若い少女が、何のためらいもなく男の喉にナイフを突き立てる姿は、まさに衝撃だった。獲物を狙う狼の目つき、というのはああいうものなのだろう。
静かに確実に人間を始末していく光景をまざまざと見せ付けられる度に、彼女の思想を見せ付けられるようだった。
「敵なら、殺せ」
彼女は奇しくもハンターと同じ信念を持っている。敵対する者を情け容赦無く殺し、自身の背後に居る力無き人々を守ろうとしているようだった。
だが“敵なら、殺せ”という彼の言葉を反芻するたび、目の前の暗殺者の少女に対する疑念は増していく。何かが違うのだと、自分の中で確証があるわけでもないのに思ってしまう。
第九話 呪いの駅
カタン、カタンとレールの上をトロッコが走る。トンネルを照らすのは吊り下げられたランプの灯りとヘッドランプだけ。トンネルは天井を貫いた木の根が垂れ、水滴がトンネルの路面を濡らしている。
相変わらず電気の流れていない送電線とレールだけが延びるトンネルだが、空気に重苦しさはない。
トロッコはエンジンを取り付けただけの木製の簡素なものだが、移動する分には十分な速度だ。レールカーというものは多くがレバーで漕ぐ手漕ぎ式が一般的に普及しているが、ストーカーたちが地上から廃車のエンジンを持ち帰ってきたものを車両に載せたものもある。
数は少ないが、大きな駅なら一つは所有している。手漕ぎに比べてスピードも馬力も桁違いだ。エンジン付き一台があれば輸送能力は大幅に向上するため、エンジンの部品一つを持ち帰るだけでもストーカーには儲けになる。
地上には多数の廃車が眠っている。地上に出てすぐ眼に飛び込むもの、それが錆び付いたオンボロの車だ。一歩踏み出したすぐ傍にあるものが値千金の価値を持っているものだから、食い詰めた人間や流れ者などが稼ぎを得るべくストーカーになる場合が多い。そして地上に関する詳しい知識も無いストーカーもどきが、主にハウラーやデーモンの餌になっている。
彼らは食い詰めてストーカーとなるものだから、装備がまず貧弱だ。戦闘服などない。銃もリボルバーとデュプレットだけとか、ノーマルのバスタード一丁とか。
本来ならストーカーは駅のレンジャーなどで訓練を受けた精鋭だけが成れる職業だ。一攫千金で名を上げたストーカーというものは、非常に少ない。
それを隣で座るアルチョムに話してみたところ、彼は非常に気まずい表情を浮かべて頭を抱えた。
「………ブルボン、そんな危険地帯を通っていこうなんて言ってたのか…」
「あー、まあ、ご愁傷様…? 生きていられたことに感謝だね。というかあの出会ったときの装備でよく生きてドライ駅まで来れたものだと思うよ」
「リボルバー、デュプレット、バスタード……普段トンネルの警備で見慣れている装備のはずなのに、これで地上に出たって考えると不安になるね…」
落ち着いて彼を眺めてみたものの、アルチョムの装備は到って普通の靴と服に戦闘用にあつらえたジャケットを着て、ヘッドランプを装備し、背嚢にガスマスクと簡易テントを引っ提げただけの姿だ。
確かに、これでよくあの地上に出て生きて戻ってきたものだと私でも感じる。
「それでアルチョムはポリス駅に行きたいんだっけ?」
「そうだね。僕自身は出身駅の博覧会駅からあまり出たことが無くてね…」
「ふうん、見聞を広めるために駅を出たの?」
「………まあ、ね」
今時の人間にしては珍しい。いつ、どこで、どのような末期を迎えるかさえわからないこの時代に、自ら進んで駅を出ようだなんて。
モスクワメトロは元々臨時統一政府が全体を管轄していた。だがそれは長く続かず、どの駅も独立を果たしたことで、メトロという地下世界は無政府状態に陥った。
少ない資源を、限りある領土を、どの駅もこぞって奪い合う凄惨な時代があった。今でこそ路線内はある程度の落ち着きを保っているが、それは休火山のようなものだ。ほんの些細な変化と刺激が大噴火へと連鎖的に繋がっていきかねない。
人が人を信じられず、人が人を尚も殺し、奪うことで仲間に分け与えて生き延びる時代。ミュータントと人間の生存競争に平行して、駅と駅の間でもそれらの生存競争が繰り広げられてきたのだ。
先日同盟を組んだ駅が後ろから自分を撃つかもしれないという疑心暗鬼がメトロに蔓延っている。このままの世界が続けば、たとえミュータントがメトロ内から排除されたのだとしても、人は人を殺す戦いを続けていくのだろう。
敗者の命は二束三文にすらならず、女は犯され、男は労働力として使われ、年寄りは殺される。幼子は労働に使えれば生かされるか、使えなければその手の好事家に高値で売られる。それが男の子だろうと女の子だろうと、彼らの欲を満たすための道具として売られるのだ。
その一人が私だ。駅を追われ、ハンターに助けられたものの、得た自由はほんの一瞬のことだった。娼館に売られ、絶望を叩きつけられ、自由を手にするために銃を手に取った。払った犠牲は大きかったが、私は自らの自由意志を勝ち取ることができた。
だが今のメトロには目標というものが無い。地下鉄という閉じた空間に閉じこもった人類は、さながら母の胎で眠る赤子のようなものだ。外界から隔絶され、ただじっとそこで佇んでいるだけの幼い赤子同然なのだ。
我々人類が赤子から脱却するためには外へ出なければいけない。メトロの外へ、地上へ、自らの生き残る術を求めなければならない。
鋼鉄とコンクリートの胎から出て目を見開き、自らが歩くべき大地を、目標地点を取り戻さなければいけない。そしてオーダーはその先駈けとして、未だ胎の中で過ごす人々に地上への進出を促す存在なのだ。
「若者よ、目標があるというのは素晴らしいことだ。たとえそれが誰かによって定められたものだとしても、このトンネルを行くためには一つの目標が必要だ。当ても無くふらふらと歩いていたのでは、またトンネルの闇に飲まれてしまう」
「………カーンは、ああいうものを多く見てきたのですか?」
「然り。私とて伊達で歳を食っただけではない。トンネルに触れ、声を聞き、目で見てきたからこそ理解し、知ることができた。長い時を費やしたが、私は私のあるべき姿を見つけられた。それがこんな変人の生き方であるのには君も驚いただろうがね」
「あ、いえ……風変わりだとは思いましたが…」
「遠慮はいらないよアルチョム。この偏屈親父は、初対面ならどう考えたって変人で、まともな人間とは思えないんだから」
「娘とはいえ、酷い言い草だな」
「事実ですから」
「………ハァ、すまないなアルチョム。無遠慮で未熟者の娘だが、私よりかは幾分まともだ。この子は信じてやってほしい」
「私はもっとまともです。カーンが変なだけです。何なのあれ、私と初対面のときに“私はチンギス・ハーンの最期の生まれ変わりだ”なんて言っちゃってさ」
「ヴェート、それが私が辿り着いた解答だ。前世がたまたまチンギス・ハーンであっただけで、それ以外はごくごく普通の人間だ。お前だって」
「カーン」
カーンの声を遮るように、告げる。
「私は、私だ」
「………なら、それでいい。そう思いたいのなら、な」
「ふ、二人とも…落ち着いて。こんな場所で言い争いをしなくたって…」
ラスヴェート・ロマノフスキー。それが私だ。前世は確かに男だっただろう。それも異世界から流れ着いた、ごくごく平凡な男の魂だった。
だが今ここにいる私はそれを飲み喰らって知識と記憶が混ざり合ってできた存在。彼ではない。彼は、かつての彼ではない。例えその片鱗が残っているのだとしても、それはもう既に私と一体だ。
彼の生きた時代のような平和な世界の常識など通用しないこのメトロに生きているのは、この世界で生まれた私なのだ。
「カーンは私が何者かの生まれ変わりだって言うんだよ。例えそれがカーンの言うように事実だとしても、私は私だよ。私の自由意志で、私の道を決め、私の手で次の到着駅を決める。アルチョムだってそうだったでしょ? 自分の意志で駅を出て、自分の意志でブルボンの護衛になり、自分の意志で野盗を殺して生き延びたように」
「私は運命の導きだと思っているがな」
「カーンは黙ってて。アルチョム、私は運命ってものが存在しているのだとしたら、きっとそれはとてつもなく嫌みったらしいもので、私たちをあざ笑う奴らだって思ってる。人類の滅亡が運命なら、私はこの歯で噛み付いて最期までナイフを振り翳す」
そう、最期の一瞬でさえもオーダーは戦うのだ。戦うことで己の運命と向き合い、人類滅亡という定められた結末に立ち向かう。それが地下で怯える人々や子供たちを救い、未来を繋ぐことになるのなら。
「最期まで…」
「そう、最期まで」
瞳を閉じたアルチョムの表情がぐっと引き締まる。彼にも似たような経験があるのかもしれない。自らの無力感と絶望を味わったことが。
だが次に見開かれたその眼には闘志が宿っている。やり遂げる、成してみせる、そういった決意がアルチョムの中で確かなものに変わったのだろう。
「カーンだってそう思ってるくせにさ」
「当然だ。私は今の滅びの運命をそもそも信じていないのでな」
「ふうん……運命が私たちを肯定すると?」
「そうだ。そうなるべく私は答えを探しているのだからな。滅ぶという結果は必然だ。列車が終着駅に辿り着くように、環状線なら始発電車があって終発電車があるように、必ず終焉は訪れる。だが先延ばしにする方法が無いわけではないはずだ。運命は分岐点の連なりによって成り立っている。右か左、上か下か、真っ直ぐか横道か、様々な分岐があって様々な終焉がある。私はその分岐点の連なりの中でも最も長く運命が続く分岐を辿る方法を探しているのだ」
「………まるで私が滅亡する道しか見えていないように言うんだね。終焉を回避するために足掻いているのは同じだっていうのに」
「目指すものは同じだがその先が違う。レールを見てみるといい。レールは二本で車両を支えているが、常に平行で交じり合うことがない。そしてそれはどちらも同じ終着駅に辿り着く。だがその終着駅というものはいくつもの分岐によって、いくつものホームに分かれているだろう?」
「つまり、結果は同じだけどその到着地点にはズレがある、ということですか?」
「そういうことだ。ホームで終わってしまっている線路もあれば、そこから更に別の路線に乗り入れる線路だってあるように」
私は地上を目指す。目指して、這い上がり、歩き回ってきた。
その、先は――
そう、地上へと出た、その先は?
地表へ上がり、人類が再び日の当たる大地を踏みしめ、取り戻したその先は?
私は地上へ出た。出て、その後は…?
ああ、つまりそういうことなんだ。私は地上に出ることこそが目標だと信じているが、カーンは人類が地上へ進出してかつての栄華を取り戻したその先にあるものを既に予測しているのだ。
たとえ地上に出て、その冷たき母の大地を手にしたとしても、人類が再び滅亡に追いやられる可能性は消えやしない。カーンは今このメトロが窮地を脱した後の問題を、それこそを回避しなければならないと考えているのだ。
人類は地下であってもお互いを撃ち合い、殺し、奪い合っている。おそらく地上に出たところで、それは――変わらないのだろう。
だがカーンはそこを変えようとしている。やっと理解できた。カーンが言った“意識の変革”というものは、人類が地上へと再び上り詰めたときにこそその真価を見せるものなのだと。
お互いを理解し、助け合い、互いに手を取り合い未知へと挑む勇気を持つことこそ、カーンが唱えている“改革”なのだろう。
「しかし私の答えが正しいとは限らない。もしかするとさらに最良の解答があるのかもしれない。それを探して私はトンネルを行く。アルチョム、ヴェート。君たちは二人ともまだ若い。若い間に世界を見なさい。その先に、自らの求めるものがあるだろう」
地表へと挑むことこそがストーカーの役割だ。挑み続け、その先にあるものとは一体何なのか。
背中を押してくれたカーンの言葉が染み渡るようだ。今まで我武者羅に進んできた道だったけれど、今一度心を落ち着けて行き先に眼を向けてみるのもいいのかもしれない。
「……求めるもの…」
アルチョムは再び瞑想するように瞳を閉じ、静かな呼吸を繰り返す。
私の腹はすでに決まった。目指す場所はたった一つだ。そこへ辿り着くまでの苦難は今までの地上探索の比ではないだろうけれど、いつか私は挑むだろう。未知と地上の恐怖に挑んでこそのストーカーだ。そこで死んでも悔いは――
ある。だから、生きて戻ってみせよう。
私が希望を持ち帰ってみせよう。この、モスクワメトロに。幸いにも一つ狙い目の場所もあることだし、コムソモーリスカヤへ戻ったら足を伸ばしてみよう。
「グオオアァァーッ!」
ガシャン、と静寂を破り裂いてノサリスが列車に飛び乗ろうとレールカーの淵に手をかける。
アルチョムもカーンも一瞬だが遅れを取っている。空気の読めない阿呆が! 邪魔するな!
「ノサリス!?」
「ぬぅっ!」
「乗車お断りだクソッタレ!」
座席に座ったまま、カーンとアルチョムの間の手すりを掴んだノサリスの頭にデザートイーグルの銃口を向ける。レールカーの端から頭を出すノサリスは金切り声のような声を上げるものの、それさえ打ち破るものがこちらにはある。
――ドウンッ!
「ギエェッー!」
クソ野郎の頭蓋をぶち抜く44口径の銀の天使。二つの咆哮が過ぎ去ると、トンネル内の音は再び線路の上を走るコトンコトンという振動とエンジン音だけに戻る。
「不味いな…また駅が襲撃を受けている!」
「準備しなきゃね。もうここは西部開拓時代の荒野より危険そうだ」
「駅に着いたら私が先導する。アルチョムはヴェートの後ろについて警戒し、援護してくれ。ヴェートはこいつを持ってくるんだ」
「弾薬箱?」
「駅の防衛線は幾度もの襲撃で疲弊している。せめて手土産に弾くらいは無ければ私が離れた意味がない!」
「大丈夫だよカーン。軍用5.45mm弾より頼もしいのが二人増えたんだから」
「フッ……そうだな。この駅には破滅の運命が迫っている。だが、これならどうにか立ち向かうこともできるだろう」
「………助けましょう、カーン。必ず!」
「スパシーバ…アルチョム…ヴェート…。着いたぞ! まずは防衛部隊と合流する!」
「Да!」
「了解! ってこの箱結構重い!」
ゆっくりと減速したトロッコが停止するのも待たずにアルチョムが飛び降りてシャンブラーを構えて周囲を警戒する。真っ暗なホームを切り裂いてヘッドランプの光が伸びた先には、戦闘で死んだらしい兵士とノサリスの亡骸が転がっている。
喉笛を食いちぎられる寸前の兵士。彼が命がけでノサリスの胸をリボルバーで撃ちぬいたのだろう。弾が貫通したノサリスが兵士の肉を口に含んだまま息絶えている。
カーンが飛び降りるのに続いて、弾薬箱を手にそっと降りる。ガシャンとかなりの重量を持った弾薬箱を抱え、アルチョムが私の後ろに付き、カーンが先導していく。
ところどころに薄ぼんやりと焚き火の灯りが見え始める。周囲には空き缶で作られた警報装置や、グレネードを仕掛けたらしいトラップがいくつか破られている。
おまけにホームには簡易テントや木材で作られた、住居とも呼べない寝所が並んでいる。薄汚れた雑誌、誰かの着替えらしい衣服、食事中だったのだろうか薬缶が火にかけられたまま湯気を噴いている。
カラン、カランと警鐘の音が遠くで何度も鳴っている。おそらく遠方に設置された警報がまだ機能しているのだろう。
駅のホームの中央に辿り着くと、ヘッドランプの灯りがいくつか遠めに確認できる。それを見たカーンは左手で持ったライトで合図を送る。
「あれだ…行くぞ! 味方だ、撃つな!」
「カーンか!? 銃をさげろ、あれは味方だ!」
兵士たちの表情は驚愕で染まっている。まさか、本当に、といった様子で私たちを見ている。
「カーン、この二人は? 片方は女…しかも子供同然じゃないか!? 正気なのか!?」
「到って正気だ。この子はヴェート、私の娘であり歴としたハンザ同盟コムソモーリスカヤ駅のストーカーだ」
「初めましておじさま! 私はヴェート、ラスヴェートです! よろしくねっ!」
「…あ、ああ……よろしく…」
なんだいアルチョム、その眼は。煙草吸って酒飲んで寝転がる中年親父みたいなことをしているノサリスでも見たような顔は。要するに“信じられない”っていうんだろう?
防衛部隊の指揮官らしい髭面の男も面食らった様子だけど、絶望的で緊迫した空気を和らげよういう私の気遣いじゃないか!
「で、こっちの男は? 見たところ旅人って具合だが」
「初めまして。僕はアルチョムといいます。ポリス駅へ向かう道中で二人に助けられた者です」
「二人ともよろしく頼む。俺はロマノヴィッチ、防衛部隊の指揮官だ。あいつは機銃手のオレゴヴィッチ」
「どうも」
グリーンの戦闘服の男が機銃を構えて警戒しつつ、右手で略式ながら敬礼をする。
「ショットガン持ちの男はヴァレンティン」
「ハッハー、よろしくお二人さん!」
シャンブラーを手にした眼出し帽の男が陽気な声で笑う。
「AK74の髭面中年がマラートだ」
「うるせえぞロマノヴィッチ! ああ、ごめんよお嬢さん! よろしければ生き抜いた暁には一晩ほどお互いの生を確かめ合いたく…」
「私と生きる実感を確かめ合うのはいいけど、次の日にはミイラになってるかもよ?」
「そりゃあ恐ろしい! 是非とも今日を生き抜かねばな!」
「マラート、死に際に美しい黒髪の女神様が御越しになられたのは嬉しいんだろうがな、口を動かさずに指を動かせ!」
「いいぜぇ、たっぷりイかせてやるからなぁ!」
意気揚々とAKを構えるマラート。額に汗が滲んでいるものの、心は未だ折れていないようだ。
彼らは何度このような戦いに挑んできたのだろう。疲れ果て、弾は尽きかけ、心さえ折れそうになっても尚銃を手に取り、家族のため、生死を共にする仲間のために立ち続けようとしている。
疲れを隠せない表情、絶望に打ちひしがれつつある心、それらをどうにか堪えて今のこの時まで耐え続けたのだ。カーンが、銃弾でも医薬品でも、この戦局を打開する何かを手にして必ず戻ると信じて…!
「フッ、相変わらずにぎやかだな」
「まあな。こいつらが死に際でもお喋りなくせにしぶといもんでな。……こいつらがバカみたいに騒がしいお陰で随分助かってるよ」
「お前も相変わらず素直ではないな」
「………人はそう簡単に変わらんさ」
彼らが佇む背後のエスカレーター。ツルゲーネフスカヤ駅の上階からはすすり泣く女の声や、痛みに苦しむ男のうめき声が響いてくる。だがそこを塞いでいるバリケードは扉のある一部以外は完全に閉じられている。
退路は無い、という覚悟だ。足元には機銃弾の薬莢やAKのもの、ショットガンのゲージなどが転がっている。
ツルゲーネフスカヤ駅は既に終焉が目の前に迫っている。だが、そこから駅の人々を掬い上げることができるのは私たちを含めても、たった7人だ。
たった7人で絶望的な戦局を変える、か。まるで旧時代の映画だよこりゃあ。
「それで、状況は?」
「ああ、奴らは駅外周の防衛線を突破したんだ。生存者は全て上階に逃がしたが、弾薬も少ない上に襲撃が何度も続いている。今のところは撃退できているが、このままではあと一日と持たないだろう…」
「ミュータントはどこから?」
「いつもと同じ左のトンネルからだ。それに上からもだ。現地に爆破部隊を送ったが戻らず、新たに送る余裕も無い」
状況は最悪ということか。敵は際限無く沸いてくるのに弾は尽きかけ、人員もたった四名。よく心を折られずに銃を握っていられるものだ。並みの兵士なら発狂していてもおかしくはないのに。
「なるほど、八方塞ってワケ。じゃあ私とカーンでトンネルを…」
「いや、お前はここで敵を引き付けてくれ。その隙に私とアルチョムでトンネルの爆破を行う」
「彼はただの旅人だよカーン。あまり無茶をさせるわけには…」
「できるか、アルチョム?」
「
やっぱり彼は芯が強い。苦境にあっても折れることなく前を向くことのできる人間だ。くじけそうになったり哀しいことがあっても、前を向いて再び歩き出せる勇気がある。
「……任せたよ、アルチョム。死なないで」
「ええ、皆さんも」
………コロン……カラン…。
その音はきっと全ての者が聞きつけただろう。身近に迫る死、それを知らせる空き缶の罠と、それに連動した警鐘の音だ。
「全員構えろ! オレグ、引き付けてから狙って撃て! マラート、俺と共に弾幕を張るぞ! ヴァレンティンは弾幕を抜けそうなヤツを片っ端から撃ってやれ!」
「ロマノヴィッチ、私とアルチョムは上部のエアロックをまず落としてくる。もうしばらく耐えてくれ!」
「了解した。……来たぞ、団体さんだ。カーン、アルチョム、あんたらは撃つな。温存しとけ」
ぞろ、ぞろと暗闇に光る獣の眼。一体や二体ではない。二桁を超えるノサリスが上階への階段やホームからこちらに向かってくる。
エスカレーター前のバリケードのランプの前で弾薬箱の木の蓋を引っぺがすなり、マラートたちにマガジンを投げ渡す。
「まだ、まだだ………」
カチ、と装填済みのマガジンを外し、コッキングレバーを引いて薬室に装填されていた初弾を排莢する。ごそ、と取り出したカラシニコフ2013用のマガジンを新たにセットし、レバーを引いて初弾を装填する。
カシャン、と
「撃てェーッ!」
「うおおおおっ!」
「死ねぇっ! クソッタレ!」
機銃の醸し出す、地面を振るわせるような重厚な射撃音。
AKの奏でる、小気味良い軽やかな銃声。
ショットガンが放つ、獣の咆哮のような轟音。
その中で、一際彼らの耳を引く音が走る。
ドドドンッ! ドドドンッ!
機銃とも違う、しかしショットガンでも、汎用弾薬のような軽やかさは無い。
カラシニコフ2013から奏でられるメタル。重厚に、激しく、
「グエッ!」
「グォォォーンッ!」
「ギヒュッ!」
トリガーを引くたびに一体、二体、三体とノサリスの体を軍用弾が貫いていく。絶命したノサリスを踏み越えて新たなノサリスが現れるも、それらは機銃とショットガン、そして汎用弾の雨によってその歩みを止めることになる。
ノサリスの波が途絶えたると、ロマノヴィッチは呆れたようにつぶやく。
「軍用弾を実際に撃つやつを見るのは久しぶりだよ……カネの使いどころを知っている人間ってのは強いと聞くが、いい腕だなお嬢さん」
「そりゃあどうも」
「ヴェート、しばらくここを頼むぞ。ロマノヴィッチ、娘を死なせたらお前の頭をまずぶち抜くぞ。気をつけろよ、死んでいようが私には関係ないからな」
「わかってるさ、アンタの娘は強い。心配いらん」
「……いこう、アルチョム。まずはエアロックからだ」
「カーンが出たらアレを仕掛ける。戻ってくるときは気をつけて」
「アレ?」
「わかった。急ごうアルチョム」
よく飲み込めていないままのアルチョムを連れてカーンがホームを駆け抜けていく。ノサリスの死体を踏み越えて、奴らが入り込んだ穴を目指して階段に入っていく。
「……今のうちに罠を仕掛けるよ」
「罠だって? グレネードにしたって紐すら…!?」
私が背嚢から取り出したものに気づいたヴァレンティンが息を呑む。
「そりゃあ、クレイモアか!?」
「ご名答」
「これなら少しは凌げそうだな。援護するぞ、設置しよう」
ヴァレンティンが警戒する中でクレイモアをホームの通路へと設置していく。ホームの左右から中央へと入るための通路や、中央通路を真ん中だけ空けて間隔を置き、ハの字で一列、二列とセットしていく。
散発的に現れるノサリスを弾幕で蜂の巣に変えること二回。既に五分以上経ったのに変化は無い。
―――ズドォォンッ! ガシャアンッ!
地響きと共に爆破音がホームの天井を伝って駆け抜けていく。パラパラと土ぼこりがホームの天井から舞い降り、土臭いニオイに混ざって火薬の爆発したニオイがあたりに漂う。
「……何か居るぞ!」
「……ろ……リス…!」
「二人だ! ノサリスに追われてる!」
「オオォォォンッ!」
遠目に見える土ぼこりの中から出てきた二人の背後にはまたもノサリスが大量に迫っている。一回目の波と同じくらいか、それ以上のノサリスだ。
しきりにわめき、やつらは目の前の餌を追いかけるのに夢中になっている!
「カアァァァーン! アルチョォォム! 通路の端にはクレイモアをセットしているっ! ホームの真ん中を走ってくるんだーっ!」
「了解だー! 走れ走れアルチョムッ!」
「クソォォッ! これじゃあまるで映画だっ!」
ああ、まったくもって同感! これじゃロシア製の西部劇だ!
「こっちに急いで! 早く!」
二人を追うノサリスの何体かがクレイモアに引っかかり、悲鳴を上げて爆発に飲まれる。
命からがら全速力で防衛陣地へと駆け込む二人を確認すると、ロマノヴィッチが号令を発する。
「一斉射撃! 奴らのハラワタをぶちまけてやれ!」
「уууууррррааааа!!!」
「
「グウアアァァッ!」
「グルルゥゥ…!」
火を噴く機関銃。鳴り響くAKの旋律。吼えるシャンブラーが迫るノサリスを撃ち払い、カラシニコフがクソッタレを射止めていく。
「ハァッ、ハァッ! なんて、数なんだ…!」
「ハーッ……ハァーッ…流石に、この歳には、厳しいな…」
「しかし、カーンは……本当に老年が近いので?」
「もう随分歳をとったさ……まだ負ける気は無いがね。さあもう一踏ん張りだ」
汗を流して座り込んだカーンとアルチョム。ほんの少し息を整えて、再びカーンが立ち上がりAK74を構えてアルチョムと共に右側のホームへと消えていく。
そしてそれに入れ替わるように、更なる波が押し寄せる。くそっ、“
「撃て撃てェーッ!」
「くそっ、まさかメトロ中のノサリスがやってきてんじゃないだろうな!?」
「マラートォッ! そんなへっぴり腰じゃお嬢さんを喜ばせられないな! 俺が代わってやろうか!」
「ヴァレンティン、その情けない12ゲージ弾じゃ弾数はあっても届かねぇよ。俺の機銃の12.7mm弾くらいはなきゃあな」
「悪いね、私はサイズより硬さ重視なんだ!」
「お前らその五月蝿い口を閉じてさっさと撃て! チッ、一匹抜けたぞヴァレンティン!」
「了解!」
機銃とAKの雨を一匹の黒いノサリスが抜け出る。ここぞとばかりに三人の前に歩み出たヴァレンティンはシャンブラーの銃口を向けて引き金を指にかける。
「グゥゥオアアアァァッ!」
「…こ、……こいつ…!」
ドウンッ、と彼のシャンブラーが吐き出した鉛弾は駅のホームの床だけを捉える。
僅かな一瞬。ヴァレンティンが狙いを定めてトリガーが引かれるよりも僅かに早く、ノサリスが跳んだのは私にも見えた。
そいつは嘲笑うようにホームの壁に四本の足をつけ、じっとこちらに視線を投げかけていた。
バラクラバの下の彼の顔はわからない。ただ、彼はノサリスを仕留められなかったことを悔いている真っ最中だろう。
そしてノサリスの姿が再び、彼の目前に迫る。
「うっ、ひっ…! うわああぁぁっ!?」
「ヴヴ……ヴオオオッ!」
「ガッ、ア゛、ギッ…あっ、ぁ…」
彼の喉笛にノサリスの牙が容赦なく突き刺さる。体当たりを受けたヴァレンティン。幾度かの痙攣を繰り返し、見開かれた瞳には既に生気は無い。彼の抜け殻が、力なく駅のホームのタイルを赤く染めて横たわる。
グジュッ、グチャッ、バギッ、ボギュッ。ノサリスの顎が彼の首を噛み砕く。
ほんの一秒。たったの一秒で、彼はそのおしゃべりな口を閉ざされてしまった。
「ヴァレンティンッ!」
黒いノサリスの青い瞳が私を捉える。私の声に気づいたヤツの次の獲物は、私だ!
彼の首から噴出した血で濡れた体を翻し、私に赤と黒の影が迫る。再び跳躍して私を狙うノサリス。内から顔を覗かせるミュータントへの恐怖を押さえ込み、必死に足を動かして飛び退く。
そしてノサリスの両腕が私を捉えられず空ぶった瞬間に右胸のナイフシースから抜き出したサバイバルナイフをヤツに向けて突き出す。
「ヴォゥッ!」
「っ…こい、つっ! ごほっ!」
「お嬢ちゃん!? くそっ、まだ奥から来るのか!」
ノサリスは私を射止めるべく跳躍する。自身が傷つくことさえ厭わず、私を押し倒して腹の上にノサリスが圧し掛かる。
人間とほぼ同じサイズのノサリス。その筋力は生半可なものではない。そしてその重量も。
ぎし、と骨が軋む。例えるなら100kg越えの重量級レスラーに圧し掛かられているようなものだ。華奢なこの体、おまけに骨で守られた肋骨ではなく、子を産み育てるための胎の真上に陣取られている。
ノサリスの吐息が近い。口元に彼の肉がへばりついたまま、ノサリスの牙がナイフを持った左腕に食い込む。肉がみぢ、みぢと引きちぎられていくような痛みが駆ける。頼みの綱のナイフが左手から、零れ落ちる。
“炉心”を目覚めさせる。もう、なりふり構ってなど――!
「グアアアッ!」
いられないんだから!
「ヴッ、グウゥ…!」
「燃え尽きろ…!」
ノサリスの全身を覆いつくす赤い炎。一層激しく燃え上がった黒いノサリスは数秒ほどのた打ち回り、その巨体を駅のホームにこすり付ける。
だが消えやしない。その炎は、私が吸い上げ続けてきた人間の“業”から生まれた炎だ。自らさえ焼き尽くす“業”の炎は知性などないノサリスに耐えられるわけもない。
「ハァッ…! ハァッ…!」
目の前が霞む。視界が定まらない。でも銃があるのは見える。立ち上がり、揺れる世界の中で尚も銃を手に取り狙いを定める。
迫り来る新手に向けて、トリガーを引く。銃身がぶれる。修正し、トリガーを引く。撃ちつくしてマガジンを変える。
それを二度ほど繰り返して、ようやく駅のホームはひと時の静寂に包まれる。
「ヴァレンティン……いつも陽気でいいやつだったのに…!」
「オレグ、嘆くのは後だ。マラート、ヴェートのお嬢さんは?」
「……大丈夫だ。手首の近いところに噛み付かれたようだが、グローブのプロテクターが防いでくれている。動脈も傷ついてない」
「お嬢さん。よくヴァレンティンの仇を討ってくれた。………スパシーバ」
ズズン…という地響きが突如走る。パラパラと土ぼこりが舞い込むホーム。何事かと三人が各々の得物をホームへと向ける。しかしノサリスがやってくる気配は無い。
おそらくカーンとアルチョムがトンネルを爆破したのだろう。……一歩、あと一歩速ければ…!
いや……考えたって仕方がないことだ。そうじゃないか。だってトンネルが塞がれたのはついさっきだ。どうやったって間に合うハズがなかったんだ。
左腕の破れた戦闘服には赤色の血が滴る新鮮な肉塊がへばりついている。それを指先で剥がそうとして、肉塊はぽろりとホームのボロボロのタイルの上に零れ落ちた。
ヴァレンティンだったものを見る。その首の肉は喰いちぎられ、頭と胴を繋いでいるのは僅かな肉塊と脊髄だけだ。噛み砕かれた骨と、その骨の突き刺さった肉があのノサリスの凶悪さを再び私に思い出させる。
小さな駅の大きな勝利。滅びつつあった駅は、救われた。
小さな駅の一つの勝利。ここに到るまでに幾度の敗北と犠牲があったのだろう。
勝利を得られたのは確かだ。メトロの民が救われたのは事実だ。だけどまた一つ、メトロから小さな灯火が消えたことには変わらない。
変えられないんだろうか。このメトロの未来は――
次回は解説その他をまとめたものになる予定です。
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共産主義者と第四帝国が出てくるからには、より残酷なシーンがきっと書けるはず。