Metro2033 -影を見る者- 作:きゃすたー(7mg)
仕事ははかどらないし、運転はしにくいし、階段を上がるのも一苦労です。
ここから独自の設定やストーリーなどが増えてくるかと思います。おおよその流れはゲーム中とそう変わらないですが、いろいろ変えてみたりヴェートちゃんだけのストーリーも入るようになるかと思います。
駅のホームに聞こえる音はパチパチと燃える篝火の音だけだ。
あの激戦が繰り広げられたホーム。多くの人がミュータントの犠牲となり、阿鼻叫喚の地獄絵図が描かれたツルゲーネフスカヤ駅の夜。
一昨日もそうだった。こうしてマラートと共にトンネルの警戒線を警備していて、突如現れた大量のノサリスの前に退くしかなかった。機銃を二台設置した防衛線さえ、奴らによって突破されてしまった。
妹も、そしてヴァレンティンさえも、失ってしまった。
「なあ、マラート」
「あん? どうしたよオレグ」
思わず隣で見張り番をする髭面の男に声をかける。もじゃもじゃの髭面に皺のよった笑みを浮かべ、マラートは吸っていた煙草を靴底で踏み消してAKを構えなおす。
トンネル内の気温はある程度一定だが、モスクワの夜は冷える。ましてや地上は年がら年中猛吹雪と放射能の雪が舞う死の大地だ。カレンダーの上では真夏でも、地上は常に冬が続いている。そう、核の冬が。
当然大地は冷やされ、このモスクワメトロの駅だって寒い。マラートも俺もウシャンカ―コサック帽子―を被り白い
「この先、どうなるんだろうな…」
「さあなぁ…駅を放棄して移住するか、もしくは人を集めて再建するか、だろうな。下手すれば俺達も野盗のお仲間入りかもしれんが」
「……あいつらを、置いていかなきゃならないのか」
「オレグ、お前の良いところは…仲間のために泣けることだ。……妹を亡くして、義弟を、親友を失ったその辛さは俺にはわからない。
だがお前は生き残った。あいつらのために泣いた後に、次は立ち上がる番だ。俺達が本当に乗り切るべき課題は、これから後にいくらでも出てくる。そのときは、俺達だけでなんとかしなきゃならん。
カーンだって、あのお嬢ちゃんや坊主だって、ずっとここで戦ってくれるわけじゃあない。俺達、ツルゲーネフスカヤ駅の人間だけで乗り切らなきゃならないことはいくらでも出てくる」
この先の問題。そう、まだ終わりじゃあない。本当にこの駅は救われたというわけではない。
今のツルゲーネフスカヤ駅はミュータントの攻勢に一度耐えられるかどうかというほどにまで弱体化している。武器弾薬は少なく、駅と駅を結ぶ
おまけにチスチェイエ・ブルドイは赤の路線の駅だし、スレテンスキー・プリヴァールに連絡をつけようにも地上を通るしか方法が無い。それに野盗の襲撃がないとも限らない。
「……寒い、な」
ああ寒いったらありゃしない。こんな寒い日は久しぶりだ。まるで背筋まで凍りつきそうだ。
息苦しい上に目が霞む。なんだってこんなに疲れてる日に限ってトンネルの空気が悪いんだ。
「どうした、眠いのか?」
「あぁっ……くそ、眠気のせいか…」
ごしごしと眠気を払うように瞼を指の腹でこすり、疲れ眼をほぐすようにぱちぱちと瞬きをする。
ジ、ジジッ、という、ブラウン管テレビのようなノイズまで走って――
「………ターニャ…」
「ヴァレンティン……」
背中を預けあった頼もしい親友、妹婿の姿が―
「イサーク…ユーリ……セルゲイ…ッ!」
如何なる窮地でも、死線を共に駆けた仲間達が―
「疲れているようだな、オレグ」
背後から一際強く響いた男の声。老年の近い、しかし力強さを感じさせる声に振り返る。
「な、なんだ、カーンか…」
「……どうやら灯りが足りないようだ。ホームにいくつか篝火を置こう。そうすれば問題ない」
「またあんたの勘、てやつかい?」
「そう、だな」
「…わかったよ。オレグ、ちょっとここで見張ってろ。俺はカーンと松明を配置してくる。……心配すんな、目の前で居るんだから何もありゃしねえよ」
カーンとマラートの二人は近くに立てかけていた松明をいくつか提げて、ホームの柱に沿って一つ一つを丁寧に設置していく。離れすぎず、しかし近すぎもせず、その並びはまるで幼少のころに飛行機の窓から見た滑走路の進入灯のように希望の社まで伸びていく。
マラートは基本的に飲んだくれで猥談が好きな監視所の警備員だが、その眼は確かな人間だ。以前に自由商人を装った人攫いを見抜いて捕まえたのも彼だったし、トンネルの異常にいち早く気づくのも彼だった。
トンネルでは絶対的な権力とでもいうのか、有無を言わせぬ指揮力を揮っていた。そんな彼がカーンの指示や意見にはよく従うのが常々疑問になっていた。だが単純なことだった。カーンはトンネルについて彼以上によく知っているから、彼はカーンに従っているのだ。
あれは、きっとアノマリーだ。
家族の、親友の、仲間達の、過去の幻影でしかない。俺の知らない、マラートさえよく理解できていない何かが、俺の中の大切な人たちの姿を映し出しただけなんだ。
彼等はもう、思い出の中にしか存在していない。
「オレグ、上に戻ってしばらく寝ておけ。俺とカーンで見ておくさ」
「いや、しかし…」
「いいから寝て来い。交代が来るのはあと二時間後だ。ただでさえ連戦で疲れてるんだから、お前はゆっくり休んで来い」
……マラートめ、あんただってずっとAKを持ってノサリスと戦っていたじゃないか。いつもは飲んだくれておしゃべりばかりなのに、ここぞというところでそんな真剣な眼で俺達の先頭に立って戦うんだ。
ロマノヴィッチの親父さんとはまた違ったリーダーシップを持ってるあんたにこそ、死んでほしくなんてない。あんたとロマノヴィッチの親父さんが居たから、俺達はここまで戦ってこれたんだ。
くだらないホラ話や噂話をして、それを親父さんが辛らつに返して。それでもマラートはおしゃべりをやめず、親父さんは呆れたようにしながらも返し続ける。そんなおしゃべりに乗せられて、俺達は二人から勇気と気力を貰って立ってこれた。
「私が代わりにここで見張りに立とう。オレグ、お前はまだ若い。我々は最早老いた狼だが、お前はこれからだ。朝まで英気を養ってから戻って来い、いいな?」
「……スパシーバ、二人とも。少し寝てから必ず戻る」
バリケードに設けられた隙間を広げ、上階への壊れたエスカレーターを慎重に登っていく。深夜であることもあって、皆眠りについている。すすり泣く女性の声も、負傷してなお戦おうとする男の怒号も、鎮魂を奏でるギターの音色も聞こえない。
「……ッ……――!」
僅かな物音。掠れるような声が聞こえる。大方悪い夢でも見て魘されているのだろう。
「……んっ………はっ…!」
違う、これは――
「―――んっ! はぁっ……はぁっ…」
自然と足が向かう。やめろ、そんな不誠実なことはやめろオレグ。
「おやすみ、アルチョム…」
曲がり角から聞こえてくる女の声。昼間に出会ったカーンの娘。二十にすら届かないような少女は、まさに今男の前でその股を開いていたのだろう。
真っ直ぐに敵を見つめるあの瞳。正確にノサリスどもを射抜いた銃の腕前。ヴァレンティンの仇を取ってくれたあの少女が、一緒にいた男と一夜を共にしている。
「おやすみ、オレグ」
閃光が瞼の裏を駆け抜けて―――冷たい地面と口付けしていた。
「んっ、はぁっ…ふぅっ……あっ…」
視界の中で、誰かが居る。俺の上で跳ねるように揺れる、誰かの姿。暗闇でわからない。
「…かっ……あはぁ…」
「んあっ…ま、また……ナカにきたぁっ……!」
よろこぶような甘い声。だれだ、誰なんだ…。
「んっ……んむ…」
「―――ターニャ…?」
「……もう一回…いいよね……」
黒い髪。長い、長い髪が揺れている。弾けるような胸が揺れている。
……ああ、本当に、ターニャ…きれい、だ…。
「ぐ、があっ…!? い、いてぇ…」
後頭部に走る痛みで目が覚める。一体何があったんだ。どこかでぶつけたのか?
ああ、確かにあのときは随分と眠かったのは覚えている。寝ぼけてた、のか。
腕時計は既に約束の時間まであと十分のところを指している。まだ早朝もいいところだが、休む時間をくれた二人にあまり無理はさせられない。
「……ん、んー?」
やけにすっきりとしている。視界が澄んでいるというべきか、それとも憑き物が落ちたようなと形容するべきか。
ほのかな気だるさと男の精臭、そして僅かに雌の香りが漂うマット。まさか寝ている間に、とか思ったがそういうわけではない。下着が濡れているわけでもない。
「………なんでだ?」
答えは、出ない。身に覚えがないし、何よりそういう行為をするような気力も無かった。寝ぼけて女を襲うような余力などあるわけもなし。
きっと前にマットを使った奴らがしたんだろう。まったく、うらやましいものだ。
さっ、と飛び起きて立てかけてあった、相棒の形見のシャンブラーを手に取り、エスカレーターを慎重に降りていく。一段ずつ、足元をライトで照らしながら、まるで地獄の底へ降りるような気分がする。
「やあ、おはようオレグ」
哨戒に当たっているのはカーンと、妹の面影を思い出す少女、ラスヴェートの二人だ。
「おはよう、お二人さん。カーン、マラートは?」
「あいつも疲れているようだったのでな。早朝にヴェートが起きたものだから、交代して休ませているよ。見張りを続けているが、こちらも異常は無い」
「そうだったのか。ありがとう、ヴェート。お陰でマラートもゆっくり休めるだろう」
「……ふふっ、そうだね。きっとキモチよく寝てるころだと思うよ」
ああ、そうだろうな。何せ久々にミュータントの攻撃に怯えずに眠れるんだから。
やはり心の持ちようなんだろう。こんなにすっきりとした朝は久しぶりだ。平和な日常というものは長いこと迎えていなかった。
「じゃあカーン、私はアルチョムを起こしてくるよ」
「わかった。私もロマノヴィッチが戻ったらしばらく眠る。また少し頼むぞ」
「Да、もちろんだ」
「偏屈親父のお喋りの相手は疲れるだろうけど、頑張ってね」
ふと、あのマットの上で感じた香りと同じものを感じる。まさか、そんなわけがない。
意識を失うほど俺は眠りこけていたんだ。あの少女が夜半に男のモノを自ら咥えにくるような風には見えないし、あの子は妹によく似ている。目元なんかそっくりだ。髪の質も似ているし、どうしても彼女を女として見ることは俺にはできないだろう。
前を向こう。ターニャが愛し、ヴァレンティンが死力を尽くして守り、幾人もの仲間たちが繋いで残したこの駅を守るために、今はただ目の前を見据えよう。
第十二話 タガンスカヤ駅へ
アルチョムだけでは物足りず、結局彼ら二人も揃って搾り取ってしまうことになろうとは。
やはり“業”を飲み込むというのは理性の箍が外れて、私を本能的に動かしてしまうものだと再認識できた。喜ばしいことではないのだけど、ちょうどいい具合に『補給』できたからよしとしよう。
まさかオレグに見つかるとは思わなかった。どうにか意識を刈り取って眠らせたはいいものの、大の男一人を音を出さずに引き摺るのは気を遣ってしまって疲れる。
しかしながら、彼の溜め込んでいた“業”はなかなかの美味だった。彼は一体どのような悲しみと苦難を乗り越えてきたのだろう。アルチョムほどとはいかずとも、あの“業”は並みのレンジャーでは味わえないものだ。
………しかし彼は口で一度、胎で三度果てたはずなのに、どうしてああもピンピンしているんだろう。オレゴヴィッチ、彼はもしかして…とんでもない逸材なのではないだろうか。
マラートも彼を見習ってほしいものだ。眠っているとはいえたった一度でへばるなんて。
とにかく『燃料補給』は十分だ。あのトンネルで燃やし続けた分はしっかりと回収できた。ロマノヴィッチから貰った新品同様のこのコンバットスーツも動きやすい。
深い青色のお陰で暗闇でライトが少々当たっても相手からは認識しにくいだろうし、サイズまでぴったりだ。まさか私のような小柄な人間に合うようなものが残っているとは思いもしなかった。
「来たか。まあ座ってくれ」
かろうじて部屋という体裁が為されている小屋の中で、ロマノヴィッチは路線図を前にして座っている。彼の言葉に従って席に着くと、彼は手にした路線図を前にして説明を始める。
ぎし、と木の古い椅子が軋む音を皮切りに、ロマノフスキーは口を開く。
「我々は…ツルゲーネフスカヤ駅を放棄する」
「……そう、なんだ」
当然だと言われれば、その通りだとしか言えない。もはやこの駅は立ち行かないのだ。防衛する力を失い、駅は生産能力のほとんどを失い、行政さえも無い。
難民として別の駅に移住するしか、彼らが生き延びる道は無いのだ。
「しかしすぐにというわけではない。現在の住人の人数は既に三十人にすら満たないが、これだけの人数を今すぐに移動させるというわけにはいかない。トンネルの危険性、移動手段、その道中での住民の護衛。そして最も重要なのが、移住先だ」
「…確かにね、そればっかりは、ね」
「ハンザは今移民の新規移住についてかなり厳しい状況だ。乗り換え駅である場所なら少しくらいは入れるかもしれないが、全員を移すことはできないだろう。かといってハンザを通らずに移住する場所となると……キタイ・ゴーロド駅かヴェニス……そしてレッドラインくらいなものしかない」
キタイ・ゴーロドにヴェニス。どちらも駅の中で勢力が対立している駅だ。どちらかといえばヴェニス―ノヴォクズネツカヤ駅とトレチャコフスカヤ駅―のほうが荒くれやギャングのせいで治安が悪いのだが、あそこの“シュリンプ”はなかなかにウマい。あれを狩ることさえできれば食料問題をある程度気にしなくていい分、ヴェニスを考慮するのも当然か。
「アレクセーエフスカヤは、どうでしょうか? 少しばかり距離がありますが…」
「リジスカヤ線の北方同盟か。何故そこを?」
「僕は博覧会駅の出身です。そしてつい最近そこを出たばかりですが、アレクセーエフスカヤ駅は住人が年々減っていて新規の移住者も少ないと父から聞きました。駅の人間や行政も人手を欲しがっているそうです。そして同盟によってかろうじて繋がっているような状態だとも。おそらく無碍に扱われることはないはずです。何せ三十人もの人手を確保することができるのですから」
「………それは一体誰からの情報だね、アルチョム君」
「父です。父は博覧会駅の重役で、対外交渉や遠征部隊にも参加している人物です」
「……それは本当なのかね」
「疑うのは、当然のことだと思います。こんな時代ですから、情報の重さは命の重さに繋がるのだと、知っています……ある人たちに教えられました」
ふむ、とロマノフスキーはアルチョムを見定めるように目を細める。対するアルチョムは静かなように見えて、その手を力強く握り締めている。
きっと自らの持てる最大のカードかもしれないと、ここで切ったのだろう。だけどロマノフスキー相手には一押しが足りていない。
ならまずは、一つ手助けしてみようか。
「ロマノフスキーおじさま、私がアルチョムを保障するよ」
「お嬢さんが、か?」
「そうだよ。私はこれでもコムソモーリスカヤ駅のストーカー“17番”を拝命していてね。そして“スパルタンオーダー”の末席の一人でもあるんだ。彼の父の友人に“ハンター”という人物が居て、彼もまたスパルタンの一人だよ。これが、オーダーの証明だよ」
首からオーダーの認識票を外し、それを彼の前に突きつける。
「僕からはこれを。ハンターの持っていた銃と認識票です。これを彼から直接預かりました」
アルチョムはホルスターから拳銃を抜き出し、弾を抜いて彼の前にハンターのタグと共に差し出す。グリップの底に刻印された、“狩人”の文字を見せ付けるように。
「ちなみにその銃は私がつい先日まで持ってた銃だよ。私は彼に銃を返し、彼が確かにそれを受け取り、アルチョムはその銃を受け取ったのは間違いない」
ロマノフスキーは無精髭の生えた顎をなぞるように撫でると、しっかりと見定めるように銃を手にとって手触りを確かめるように握り締める。
「ハンザが障害になるなら私の出番だ。伊達でストーカーの“17番”なんて背負っちゃいないんだ。通行させるように手紙を書いておくから、使って欲しい。普段もてあましてる特権の使いどころだよ」
「僕からも父に宛てて一筆認めておきます。同盟を経由してアレクセーエフスカヤ駅とかけあってもらえるように頼んでみます」
しかしそれでもなお、彼は首を縦に振ることはしない。見定めるような目が私とアルチョムを交互に行き来し、彼は静かに思考の中に没入している。
「娘とアルチョムを、信用してやってほしい」
「……カーン、あんたまで…」
「私は身元も知れぬ放浪者だが、娘と彼は違う。どちらもしっかりとした身元があり、そして心根の正しい人間だ。私の言葉を信じずともよい。だがこの二人を、私の信頼するこの子たちを、信じてやってはくれないだろうか」
ロマノフスキーはじっとリボルバーを見つめて、動きを見せない。ただただランプの中で揺らぐ炎が周囲を照らすだけだ。
カーンも私もアルチョムも、固唾を飲んで彼の返事を待つ。それが何分ほど続いただろうか、ロマノフルキーはグリップを握っていた状態からトリガーガードに添えた人差し指を基点にくるりと回して銃身を手にすると、そっとリボルバーをアルチョムに手渡し、ようやく口を開いた。
「良い銃だ」
「は、はぁ…」
「手入れは十分にされている。部品の損耗も少ない。少しばかり古い部品もあるが、修理と調整で大切に使われてきた証拠だ。このメトロで重要なのは他人から又聞きした情報を信用しないことだ。
だが俺はこの眼で見て、確かめて、俺の判断で結論を導くことができた」
ふぅ、と一息、覚悟を決めた男の瞳が見開かれる。
「カーン……お前さんが信じる娘を、娘さんが信用するハンターという男を、彼の信用したアルチョムを、そしてアルチョムが信頼する父を、俺は信じることにしたよ」
「ロマノフスキーおじさま! ……スパシーバ!」
フッ、とロマノフスキーは穏やかだが力強い笑みを浮かべる。自らの選択を誤りだなどと一片も感じていない、自信に満ちた男の姿だ。
ああもうカッコイイおじさまだよほんとに!
堅苦しいあの口ぶりからは想像もできないけど、やっぱり人生経験の豊富なおじさまってすごくカッコよくて芯の強いおじさまばかりだ!
「さっすがおじさま! 大好きになっちゃいそうだよ!」
「お嬢ちゃん…嬉しいのはわかるんだが、少し首が絞まっていないかね…」
「ヴェート、あまり過剰なスキンシップはやめなさいと言っただろう」
「父さん、ありがとう。お陰でなんだかうまく行きそうだよ」
椅子に腰掛けた義父の頬に軽く口付けする。
「………まあ、偶にはいいだろう…」
素直じゃない。素直じゃないなあ、義父さん。まあでもそんな少しぶっきらぼうなところも、カーンらしくて好きなんだけど。
それにしてもこれでツルゲーネフスカヤの人たちにもようやく希望が見えてきた。私やカーン、アルチョム、ハンター、そして遠く博覧会駅に居るアルチョムの父。たった数人の人のつながりが、この駅の人々を救う手立てになるかもしれないんだ。これを喜ばないような者はオーダーはおろかレンジャーにだって居やしない!
「スパシーバ、ヴェート……お陰でどうにかなりそうだよ」
「ふふっ、だから言ったんだよ。私が手を貸す、ってね」
「ほう……何やらいい進展があったようだな。これなら一年後には私も祖父になる日も遠くはないというわけか、随分と歳をとったものだな……実感させられるよ」
ぎく、と胸を突くようにカーンが言い放つ。同じようにアルチョムも冷や汗を垂らして視線が泳いだままだ。放蕩親父め、昨日の一件を見届けた上で言ってやがる!
ま、まぁ…彼が父親かどうかは五分五分の確立ではあるんだけど。
「ははは! その時は是非式に呼んでくれ。マラートとオレグも連れて盛大に祝ってやるぞ!」
「無いよ。そんな予定は当面無いよ」
やめてください、修羅場になってしまいます。一応避妊薬は飲んだのでそういう事態にはならない、はず。
「カーンもからかうのはほどほどにしてよね。たかが一晩じゃない」
「……まあ、そうだな。だが、自制はするようにしなさいヴェート」
「…了解」
確かに近頃はどうにもおかしい。トンネル内でブルボンに犯された日から、枷が外れてしまうのが更に早くなっているような気がする。
最近はそれをずっと感じていたが、まるで急加速したように早まっている。お陰で口だけで済ますことさえ我慢できなくなりつつある。このままでは、いけない。
「さて、アルチョムはポリスへと向かうのだったか」
「あ、はい…昼には発とうかと思っています」
「そうか。ヴェートは?」
「エスコートさせてもらうよ。道案内兼護衛だね。しっかりオーダーらしく仕事するよ」
「慢心するなよ、ヴェート。私は駅の今後に関してしばらく協力するつもりだ。ここからは二人きりだが、気をつけなさい。トンネルは、死者はいつでも、我々の傍で見ているぞ」
アルチョムの表情が引き締まる。ぐっと緊張感の増した表情はまさしく一角の戦士へと成長している。ああ、これで人殺しができれば立派なレンジャーなのに。
だが彼は人を撃つことを躊躇うことができる、心優しい人間だ。人の死を悼むことのできる人間だ。素質はレンジャーに向いているのに、その心は到底レンジャーとして戦い続けるには優しすぎる。
替えの下着を詰めた小さな袋を簡易テント付きの背嚢に放り込み、左側の腰にロマノフスキーから貰ったマップポーチを提げる。防弾ベストを纏い、マガジンとナイフを収めていく。
コンコン、と鋼板入りのコンバットブーツを確かめるようにつま先でタイルを叩く。
医薬品も少量を残して駅の人々のために置いていく。水と僅かな乾燥キノコを貰い、空になったスキットルに貴重なマッシュルームウォッカを注いでもらう。
ヘッドランプは良好、バッテリーも満タンだ。
シャンブラーをベルトで提げてデザートイーグルを右足のホルスターへ配し、2013の初弾を装填し、左腕につけた時計の時間を合わせる。
アルチョムもカース駅の故人の所有していた戦闘服を譲ってもらって着替えると、もはや立派なレンジャーの一員だ。見た目は、だが。
着替え終わってカーンに連れられて希望の社へと足を運ぶ。そこまでの駅のホームは何の音もせず、ただ足音だけが響くホームが続いていた。
先日までの銃撃の音を思い出す。命のやり取りがここで行われたのだという事実だけは、あちこちの弾痕と血の痕から見て取れる。
死体はどこにもない。ノサリスも、人間も、ホームの上には一体たりとて死体は存在していない。
ホームはさながら荒廃した神殿のようで、整然と並んだ松明が希望の社への道を照らし出している。
床の鋼鉄の板を押し退けると、そこにはコの字でコンクリートの壁に生える、錆びた梯子が伸びている。
「ここだ、ここからタガンスカヤ線へ出ることができる。出て右に進めばアーモリー駅…クズネツキー・モスト駅に出る。左に進めばキタイ・ゴーロド駅だ」
「ありがとうございます。何から何までお世話になりました。感謝してもしきれません」
「気にするなアルチョム……これはな、ある男に頼まれたのだ」
「ある男…?」
「そうだ」
「あれは確かつい一昨日の夜だったか」とカーンは続ける。
「その日、私は夢の中である男に会った。頭をそり上げた、いかめしい顔の面長の屈強な男だった。彼は力強く、しかし優しい声で私にすがるように懇願していた。『彼を助けてやってほしい』とな」
「それは、まさか……」
「おそらく彼がハンターなのだろう。私は会ったことが無いが、夢の中の彼は君の行く末を案じていた。それと、今朝も彼の夢を見た」
カーンの眼が、私を見据える。いつもの父親のような目ではなく、獲物を狩る狼の視線が。
「お前に宛ててだ。『間違ってはならない』……どういう意味なのかはわからん。だが、気をつけるんだぞヴェート。物事はよく…」
「考えてから判断を下す。気をつけるよ、カーン」
「ならばいい。行ってきなさい。無事に帰るんだぞ、グリゴリーやツィツェーリアも心配しているだろうし、何よりあの私服が散らかった汚い部屋をさっさと掃除しなければネズミが…」
「わー! してきた! してあるから大丈夫だってば!」
押し込むようにアルチョムを梯子に追いやり、それに続いて急ぎ足で梯子を降りる。蓋を閉める寸前に、怨めしげにカーンを見る。意地の悪い笑みを浮かべて、義父は私に手を振る。
それに対して私が中指を突きたて、カーンに向けて曲げるや彼は顔をしかめて言い放つ。
「ヴェートッ! どこでそんな汚いものを覚えてきたんだ! 私はお前を他人に屈辱を与えるようなことをする子に育てた覚えなど……――!」
「……何したの?」
「乙女の秘密を暴露した代償」
蜘蛛の巣の張った通路。中腰でどうにか通れるかという狭いメンテナンス通路を抜けると、トンネルの横穴に抜けることができた。
タガンスカヤ線のトンネルは割りと清潔だ。蜘蛛の巣は少ないし、所々にだが電灯が灯されてそれほどの暗さは無い。足元が少し見えにくい程度で、これならヘッドランプも使えば割と快適な道程になるだろう。
メトロの職員が利用したであろう休憩室が対面にあるが、その扉は閉まったままだ。中に何があるのか、見ようとは思わないし見たいとも思わない。まだこの路線は整備が行き届いている分マシなほうだが、整備もされていない、人通りの少ない場所となるとああいった小さな休憩室には死体か何かが必ずあると言って良い。
時にその一室がトンネルの闇を内包していたり、立ち入るだけで影が実体を得て存在していたり、フラッシュバックと記憶の流入で脳みそがショートしたりと危険が一杯の宝箱だ。
危険の割りにリターンが少ない、なんてものはよくあることだ。むしろ生きて出てこれたことのほうが最大のリターンだったりする。
「こっちだね」
線路に出て休憩室の前の錆びたプレートを見ると、タガンスカヤ方面とプーシキンスカヤ方面への方向が示されている。
幸いトンネル内は平穏だ。あのドライ駅から伸びるトンネルと違ってアノマリーの気配も無いし、闇が蠢くような不安も圧力も感じない。
あとはレールや死体なんかに蹴躓かないように、慎重に足元を照らして進むだけだ。
ヘッドランプの光が僅かに明るいトンネルに伸びる。同時にカラシニコフに装備したフラッシュライトを点灯し、さらに領域を広げていく。
影は無い。今のところは、だが。
じゃり、と足元は小石の混じった土が敷かれている。僅かにカーブして伸びているトンネルと、それに沿って伸びる電線から提げられた電灯の明かりが誘うように光を放っている。
「行くよ。まずはキタイ・ゴーロド駅だ」
「ああ。なんとしてもポリスへ辿り着かなければ…」
また、あの駅に足を踏み入れることになるのか。あの忌まわしい駅に。
あのとき、同じ場所に、同じ日に、同じような境遇の、同じような年頃の少女たちが居た。
金髪青眼の美しい少女イリーナ、その妹のリーリヤ、私と同じ黒髪の少女エレオノーラ。そして私を含めた四人。
お互いに大変な目にあったが、助け合って生きていこうと誓い合った日を思い出す。辛い時は支えあい、涙を分かち合い、屈辱に屈することなくどうにか生きていこうと約束した。
それは婚姻にも等しい、幼い少女たちの間で交わされた盟約。私は彼女達のために、彼女達は私のために力となって、鬱屈とした娼婦生活をどうにか生き延びてきた。道具のように扱われても、罰則と称して嬲られたときにも、分かち合って生きてきた。
あの日、私が娼館の主を撃ち殺してしまうまでは。
以来、私は彼女達に会っていない。私は自由を得て、自らの意思で歩き始めたから。
払った犠牲は、今も記憶に焼きついて消えることがない。
私は過日の名残や記憶を色濃く残すあの駅の重圧に、耐えられるのだろうか――
いや、耐えなければならない。乗り越えなければいけない。そうでなければアルチョムをポリス駅へと送り届けることさえできやしない。
私はオーダーだ。メトロの民のために、アルチョムを助けると決めたんだ。
進め、進め、前に進め。闇を切り裂くヘッドランプとカラシニコフを手に、己の闇を切り裂いて前に進むんだ。
今の私なら、乗り越えられるのだと信じて…。
初めて予約機能とやらを使ってみました。試しに、というのもかねて。
正常に投稿されているか内心不安です。できてるといいなぁ。
ようやくツルゲーネフスカヤ駅編が終わりました。
さあ、どうやってヴェートちゃんを可愛がっていこうかしら。
一部で過激な表現や登場人物の発言なども出ます。
この先はトンネルの闇よりも、人間性の闇にご注意ください(多分)