※この作品はR-18です。

Metro2033 -影を見る者-   作:きゃすたー(7mg)

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ロシア語わからないのに頑張って使ってみようとした人間の末路がこれです。

最期の頼みはやはり翻訳機能だったよ…。


第十五話 летать в аД

 

 メトロに夜が訪れる。日差しなどない地下世界であっても、人は昼と夜を区別している。それはかつての人類が日常としていたものであるが故、まるで過去の栄光を忘れないようにと刻み込むように、メトロの人類は時間のくびきに囚われたままである。

 薄暗さの増すクズネツキー・モスト(アーモリー)のホームからは先ほどまで聞こえていた機械の駆動音が一切消え、片隅の酒場からは住人達の笑い声や喋り声が聞こえ始めている。

 

 アンドリューに促され、宿代わりの列車の中に背嚢を置き、三丁の銃器(あいぼう)を手に工房へと足を運ぶ。

 

「来たか。しかしまた急な話だな。突然押しかけてきた上に、こんな夜から銃を整備してくれとは」

「まあまあ、ちゃんと御代は用意してあるからさ。コイツ以外を頼むよ」

 

 デザートイーグル以外の銃を預けて軍用弾(タマ)をアンドリューの前に差し出すものの、彼は受け取ろうとはせず、静かに手を突き返される。

 

「取っておくんだ。女の子は何かと要り様だろうしな。カーンにでも請求させてもらうさ」

「じゃあそれでお願い」

「また後で取りに来い。12時をまわらないように気をつけろよ。“お巡りさん”が不審者を補導するのに躍起になっているからな」

 

 共産主義者、か。スパイ容疑をかけられたのではたまらない。もしも捕まればその先にあるのは死だ。罪を否定し続ければ死ぬまで殴り倒され、罪を認めれば絞首刑で死ぬ。どちらにしたって奴らの手にかかれば死が待っているだけだ。

 

 駅のホームを横切り、レンジャーの詰め所の立つ武器庫への扉を開ける。

 夜回りのレンジャーたちが景気の良い声をかけてくれるが、その眼が放つ鋭い眼光は、こちらを見定めるような彼らの視線はいつまでたっても慣れないものだ。

 その中の一室、駅のレンジャーを取りまとめる司令官の執務室の前で立ち止まる。訝しげにしていた歩哨がパスポートを確認して、部屋の中へと一度入っていく。

 しばらくして扉が再び開かれると、歩哨の男が部屋の中へと手招きする。

 

「コンスタンチン司令」

「何だ、俺は忙しいんだ。アレクセイ、お前は任務に戻れ」

「Да、任務に戻ります」

 

 木製の簡素なドアの向こうには書類と格闘する司令官の姿がある。薄暗い部屋にはランプが一つ灯されただけで、彼の背後の本棚に眠る書籍の姿さえあいまいにぼやけている。

 右目の上を側頭部から鼻先に向かって伸びる三本の傷。眼帯を“気取ってる”と言って隠すことのない彼の象徴。さながら鬼教官を思わせる態度に見合う、相手を威圧する強面の司令官。

 ぎょろ、と睨むような左目が私を捉えている。

 紫煙が充満した室内。既に灰皿は突き刺さった吸殻でさながらハリネズミのようだ。頻繁に動く左手に対して、ゆったりと緩慢な動きをするだけの右手。その右手に握られたペンをペン立てに放り投げて、司令官は口を開く。

 

「何の用だ。もう夜だぞ、良い子はさっさとクソしてシャワー浴びてオナニーして寝てろ」

「頼みがあるんだ、司令官」

「そうかい。ならまずはその小さいおクチで一発抜いてもらおうか。生憎左手は塞がって右手は疲れてるんだ。その後は跪いて尻を―――」

「構わないよ」

 

 椅子に腰掛けたままの司令官の右隣で膝立ちになり、彼のベルトに手を伸ばす。

 

「気が変わった。従順な貴様なんぞ御免被る」

 

 パシン、と私の手を払うコンスタンチン司令。払いのけたその大きな手で私の首を、ぎり、と片手で締め上げる。

 ぐぐ、とそのまま片手で膝立ちから無理矢理立たされる。じわじわと視界を闇が包み始める。私は息ができないまま、しかし彼は手を緩める気配がない。ランプの明かりでも払えない闇が包み始めるほどになって、かすかに声が聞こえる。

 

「俺はな、腑抜けに興味など無い。強気で気丈で、芯の強さのある女が好みなんだ。今の貴様なんぞに欲情はしない」

 

 首にかかってた圧が消える。力が入らないままに、膝から崩れ落ちた先に彼の膝が迫る。

 

「ぐっ、げほっ、がはっ」

 

 視界が回る。闇で埋め尽くされた視界に閃光が走る。同時に駆け巡るのは額を強かに打ちつけられた痛みとようやく吸い込むことのできた酸素。今の私がどうなっているのかさえ、わからない。

 

「無様だ。ああ無様だ! 今の貴様はカーンの野郎に連れてこられたときの貴様より無様だ!」

「カッ……あ、ぁ…っ…!」

 

 問答無用とばかりにブーツの踵が腹に打ち込まれる。胃の中のものを全て吐き出しそうな、強烈な圧迫感が体の中心を貫く。

 そこは女にとって、一番大事なところだというのに。

 

「なんだその眼は? なんだその態度は? なんだその腑抜けた顔は!? いつものように俺を殺してやると息巻いて銃を抜くことさえできやしない!」

 

 首根っこを再び掴まれ引き摺り上げられる。四肢に力の入らないままでも、彼は容赦などしない。そのまま彼の座っていた椅子に叩きつけるように座らされると、彼の顔が目の前に迫る。

 ドンドンドンとけたたましくドアを叩く音と共に、声が響く。

 

「командир(司令官)!? 何があったんですか! 開けてください!」

「下がってろ! 俺とコイツの問題だ! ネズミはもちろんとしてこの駅の人間でも入れるな。それとどんな物音が聞こえようが、“貴様は何も聞いていない”んだ。いいな?」

「………Да(了解)、командир(司令官)」

 

 一喝して歩哨を下がらせるコンスタンチン司令の表情は、今まさに獰猛な熊のように私を睨みつけている。

 私を掴み上げていた両手を離し、司令は壁際のソファに腰掛けて私を見る。

 

「何があった? 一体何が、貴様をここまで腑抜けにさせている? 吐け、全てっ!」

 

第十五話 летать в аД

 

「……ふん、生き別れた義理の姉妹を助けるために第四帝国へねぇ…」

 

 ソファに腰掛け、だらんと足を放り出したまま三本目の煙草に火をつける。来客者用に置かれていただろう灰皿を手元に寄せ、彼は紫煙を吐き出して目を閉じる。

 

「貴様、さては正気を失ったか。第四帝国にわざわざ忍び込んで何をするかと思えば、人一人救い出すだけだと? 阿呆めが!」

「自分でも、無謀だとわかってる。だけどやらなきゃ、私は……大切な人をまた……取りこぼしてしまう。そんな思いをしたくはないし、むざむざ失うつもりもない。たとえ地獄へ飛び込むのと同じだとしても、私は……先へ進みたい。だから、夜のうちにここを通して欲しい」

「ハァーッ……貴様は本当に阿呆だなぁ」

 

 そうだ、普通の神経をしているならこんなことは考えやしないだろう。血の繋がらない相手だと言われれば、そうだとしか言えない。だけど私は、彼女達の流した血の上に立っている。姉妹達を助けることができぬままに、のうのうとここまで生きてきた。

 勇気を振り絞って辿り着いてみれば、手遅れになる寸前だった。だけど、手遅れではないかもしれないんだ。

 私は、オーダーとして、人々を守る存在として……家族の一人を救うだけの力があるんだ!

 

「誰かに背中を突かれなきゃあ動けないか? 今の腑抜けた貴様はただの犬―兵士―だ。牙を削られ、誰かが指し示した獲物を狩るだけの猟犬だ。貴様は、一角の戦士に育つと思っていたが……俺の勘も鈍ったもんだ。司令官もそろそろ引退だなこりゃあ」

 

 彼は、やはり興味なさげにあくびをするだけだ。私には彼女を助けられるだけの力があって、今まさにそれを揮うと決めてここに来たっていうのに!

 私は私の為すべき事を見つけ、今まさに挑もうとしているというのに!

 

「カーンも貧乏くじを引かされたものだな。……狼になりたいと言った我が子が、まさか犬コロになってしまうとは思いもしなかっただろう。老いた狼は、やはり潔く去るのみというわけか。あのジジイも、そう長くはなさそうだな。嗅覚が、衰えたのかもな」

「カーンを、そんな風に言わないで」

「何故だね? 彼は歴戦の戦士、まさに“狼”と呼ぶに相応しい男だった。一人トンネルを流れ歩き、ふらふらとあてもなく彷徨うだけの、だが誰よりも強い狼だった。それでも老いには勝てないというだけのことだろう?」

「カーンは、老いてなんかいない」

「いいや、老いたさ。最早よぼよぼで足腰も貧弱な狼さ。お前のような犬コロを頼るようになっちまったんだからな」

 

 違う、カーンはずっと強い。私よりも、彼よりも、ハンターにだって引けをとらない!

 

「……取り消せ」

「取り消すぅ? 阿呆が。これは、純然たる事実だろうが……」

 

 殺意が向けられる。左目から放たれる視線。彼の表情がもたらす威圧感。声が運ぶ死の気配。

 

「取り、消せっ」

「この分じゃあ三人の犠牲は無駄もいいところだ。いやいや、麗しい愛情かもしれん。何せ大切な犬コロを逃がすために人間様が盾になって、お前は生き延びたんだからな」

「私は、犬なんかじゃない…!」

「犬だよ貴様は」

 

 違う。私は犬じゃない。いつだって自分の意思で敵を殺してきた! この行いが悪だと知っていても、大切な仲間や駅の人たちのために手を汚し続けてきたっ!

 ふざけるな、ふざけるなふざけんなっ!

 

「狼ってのは独りでも確りと野に立ち、己の意思で獲物を狩り、しぶとく戦い続けるヤツだ。犬コロのようにゴシュジンサマが居なくて寂しくなって泣き喚くような存在じゃあない」

「取り消せっ! カーンは、……カーンは……! 私は……っ!」

「ああ、パーパが心配ならこれから先はしっかり介護してやりな。さっさと銃を棄てて元居た駅で甲斐甲斐しく家族ゴッコをしてこい。カーンがボケちまわないうちに、な」

「違う、違うっ! 家族ごっこなんかじゃないっ!!!」

 

 こんな男を頼った私がバカだった! オーダーの候補生時代から暴力親父みたいな風に振舞う人だったけど、それはいつだってレンジャーとしての心構えを私に叩き込むためのものだと思っていたのに!

 私の大切な、かけがえの無い人たちをこうも簡単にバカにしてっ!

 

「お、どうした? 涙流して可愛い子ぶるか? 犬コロのようにゴシュジンサマを呼んでみな。今ならあのアルチョムとかいう男が飼い主か? お情けであいつのモノを恵んでもらえたなら、雌犬の貴様はさぞ悦んで腰を振るんだろうな」

 

 染まる。染まる。染まっていく。

 赤が、黒が、視界を染めていく。

 部屋の景色さえ、ランプの明かりさえ、もう目には入らない。

 

「取り消せッ!」

 

 息が荒い。血が駆け巡る。体の細胞の全てが、彼を殺せと私を突き動かす。ああ、やってやるとも。このクソ野朗の息の根を今ここで止めて、父を、仲間を、姉妹を侮辱したことを後悔させてやるともっ!

 

「командир(司令官)! もう流石に我慢の限界だっ! 無理矢理にでも入るぞッ!」

 

 ドン、ドンと打ち付けるような音が狭い室内に響く。そんなもの知ったことか! 今、この目の前の“敵”を殺すことこそが全てだ!

 

「それだ」

 

 ホルスターに収まっていたデザートイーグルに手が伸び、掴み取ろうとした矢先に彼の囁く声が響く。どんな音よりも強く、ドアを叩くけたたましい音よりも、私の耳を揺さぶる。

 

「いいぞ、その眼だ。自らの意思で敵を殺そうとしているのがよくわかる。ああ、いいぞ! そうだ、それだ!」

 

 彼は、何を言っている? 今の私は、子供でも大の男を永遠に黙らせることができるものを、手にしているというのに。今あなたに向けようとしているのに。

 

「お役目、大義、責任、他者、それらに己の罪を擦り付けなければ常人は無慈悲な殺しを行えない。なぜなら躊躇うからだ! 己の意思で人を殺したとき、人は同じ人間を殺したという罪悪感に苛まれる。自らの為した悪事に慄く。それが恐ろしくて人は何かを理由に、自らの行う殺しを正当化する。

 故に犬なのだ! 走狗―兵士―である己を走らせるに足る正当な理由を求める! 今までの貴様がそうだ。誰かのため、自らの役職という責任、それが貴様を犬に貶めているのだよラスヴェート!」

 

 「だからこそ、覚えておけ」と彼は続ける。

 

「狼―戦士―は自らの意思で敵を殺す。自らの眼と嗅覚で敵を見定めて屠る。『しなければいけない』だとか『敵だから殺さなければいけない』とかいう受動的なものではなく、『敵だから殺す』という能動的な意思に基づいて行動する。明確な殺意と、それがもたらす罪悪感を踏み越え、諦めないという確固たる意思の下に歩み続けるからこそ――」

 

 彼は、何を言っている。

 

「狼―戦士―は、生き延びる」

 

 ガタン! とドアが開かれる。手に取ろうとしていたデザートイーグルを取り上げられたにも関わらず、そして私の頭にAKの銃口が向いているというのに、声すらも出せない。

 

「機械的に殺すだけなら鍛えられた犬で十分だ。そしてお前が進む先に居るのはそういう“走狗”ばかりだ。そして貴様も同様に“走狗”でしかなかった。つい先ほどまでは、な」

「司令官、おしゃべりはそこまでです。こいつをさっさと排除しなければ…!」

「いい、やめとけ。こいつはさっきまでは犬コロだった。だが、今は良い瞳をしている。半端物の“猟犬(犬コロ)”から“狼”の眼に変わった」

 

 声が出せない。出してはいけない。出さずとも、先ほど部屋に立ち入ってきた彼の眼を見ればわかる。

 バラクラバで表情はわからない。だけど、彼の眼は、確かに“狼―戦士―”の眼をしている。自らにとって、そして仲間にとって障害となる敵を自ら見定め、己の意思と責任でもって排除するという覚悟が宿っている。

 見たことがある。カーンのあの鋭い目つき、ハンターの宿していた貫くような眼差し、そして彼らアーモリー駅のレンジャーの覚悟と信念を宿した視線。

 だからこそ、クズネツキー・モスト(アーモリー)は独立駅として、“自由の駅”であることができるのだ。入り込もうとする悪意と敵意を嗅ぎわけ、的確に排除することのできる彼ら“狼”の群れが、このアーモリー駅に跋扈しているから。

 

「………私が…犬…?」

「そうだ。今までの貴様は大義と役目を免罪符に敵を殺してきただろう。だがな、それじゃあ駄目なんだよ。今までのような走狗のままでは、その免罪符を失った瞬間に貴様は敗者に成り下がる。自らの行いを振り返り、その業の重さに耐え切れなくなるだろう。だが狼―戦士―はその免罪符を失おうと、戦うための牙と意思を失うことはない。

 お前は、本来なら優しい子だ。たった一人の姉妹のために自らを差し出せるほどに家族を、仲間を思い遣れる子だ。感情や思考を棄てて機械のように敵を処理するだけの走狗―兵士―にはなるな。

 『やらなければ』なんていう受身な思考をやめろ。『自分がやる』という意思を持って諦めるこ

となく行動してゆけ」

 

 腕を掴み取られて引き剥がされる。ソファに寝転がっていた巨大な体を持ち上げ、彼は私の頭を手のひらでバスケットボールのように掴み、部屋の外へと放り投げて告げる。

 

「アレクセイ、そういえばプーシキンスカヤ駅側のエアロックの不調を訴えていたヤツがいたな。すまんがド忘れしちまったようだ」

「ハイ? そのような事案は一つも……」

「一度外に出て確認する必要があった、そうだな?」

「……Да(はい)、確か自分が申し上げたのでした! 酒の席でしたので、酔っ払って自分もすっかり忘れていました!」

「よし、俺も貴様も気をつけなければな。忘れ物が多いと歳を食ってからボケやすいらしいぞ」

 

 カチン、とライターで煙草に火をつけ司令官は目線で私とアレクセイという男に促す。

 

「ヴェート、静かに荷物をまとめておけ。それとアレクセイ、このメモ書きの物を持ってこい。アンドリューをたたき起こしてでも用意させろ」

「……よろしいので?」

「やれ」

「Да(了解)、ボス」

 

 宿に置いてきた背嚢をこっそりと持ち出し、武器庫で汎用弾と44口径拳銃弾を買ってホームへと出る。宿ではアルチョムが眠っていたが、起こさないように慎重を期した。少なくとも駅の人間と共産主義者に気づかれたりはしていない。アンドリューは目を丸くして驚いてはいたが。

 ホームに人の気配は数人しかない。エアロックを開く人間と、護衛の人間が二人、そして私とコンスタンチン司令官。その間に言葉は交わされない。ただ静かに開いていくエアロックの先に出た護衛が、“異常なし”と告げる以外は。

 

「ヴェート」

 

 不意に、司令官の声が背中越しに響く。今までに聞いたこともない、落ち着いた声色で彼は言う。

 

「自らの意思だけで人を殺すというのは、辛いものだ。逃げることもできず、擦り付けることさえできない。それを受け入れて認めた上で、乗り越えていく覚悟はあるのか」

 

 エアロックの外へと歩み出る。冷たいトンネルの風が頬を撫でる様は、まるで闇が私を呼んでいるかのように優しい。

 

「“意思なき行動の行き着く先は、常に妥協できる結果でしかない。なぜなら最初から望んで行動したわけではないからだ”……そう言われたよ」

「いい言葉だ。実に俺好みだ」

「コンスタンチン司令官、спасибо(ありがとう)……眼が覚めた気分だよ。地獄に向かうっていうのに、こんなに清清しいんだもの」

「俺はエアロックの確認に来ただけだ。礼を言われる筋合いが無いな」

「私はきっとこれから先にも人を殺す。おそらくたくさんの命を奪っていく。排除すべきと見定めた敵を、自らの意思と覚悟で……撃ち抜いていく。私が望む未来を、かけがえのないものを守り通すために」

「なら、餞別だ。持って行け」

 

 八つの筒が一まとめになった弾倉。加圧用のボンベがついた銃身。そして手渡されたボルト。それは見紛うことなき、カーンも使用している空気圧式クロスボウ(ヘルシング)だ。

 まるで新品同様に手入れがされたそれを受け取る。加圧しても空気が漏れるような音は一切しない。スコープは中距離に対応したスコープが装備され、レーザーサイトも装備されている。

 そしてもう一つゴーグルのような形状のものが手渡される。

 

「これは?」

「旧ロシア国防軍の正式採用型ナイトビジョンゴーグルだ。小型化された2012年最新版。解像度も十分に高い。電力消費がちと嵩むのが難点だがな。こんなものがあるのは地上部に軍事工廠跡を持っているアーモリーならではと言うところだ」

「……いいの?」

「ここから先は暗闇ばかりだ。暗殺が得意な貴様なら扱えるだろう。それに友人の娘をこんな形でしか送り出せない俺からの、せめてもの手向けだ。シャンブラーはこっちで預かる。じゃあなヴェート。地獄か、地獄を抜けた先で生きてたらまた会おう」

 

 鋼鉄のエアロックが閉じられていく。背を向けて佇む彼の表情は、ここからは見えない。照明さえ落とされ、僅かな警告灯の赤い光だけがトンネルを照らしている。

 行こう。この先に、私が求めるものがある。この闇を抜けてその先へ、そして地獄の向こうへ。

 

 私の妹を救い出すために。私は私の意志でもって、敵を殺す。

 

 

 彼女はいつの間にか姿を消していた。いつ、どこに、どうやって消えたのかさえわからない。

 司令官もアンドリューも知らないと言うし、夜の駅は本来なら完全に閉鎖されるのが常だ。つまり彼女がエアロックの外へ出ることはまず不可能に近い。だというのに、彼女は消えてしまっていた。

 まるで闇の中に消えたかのように、ラスヴェート・ロマノフスキーという少女はクズネツキー・モストから居なくなっていた。彼女の持ち物も背嚢も無い。ただ、彼女の相棒であるシャンブラーが整備のために解体されて、アンドリューの工房に置かれているだけだった。

 彼女が大切な銃を置いてどこかへ行くことがありえるだろうか? 地上に出たのか? それともレッドラインの駅であるルビャンカに向かったとでも言うのだろうか。

 

 不安が過ぎる。胸の中で絡まった糸をほどけなくて、苛々だけが募っていく中で一日が終わった。

 

 一日あれば戻る。そう言って姿を消した少女は、戻ってきていない。何かがおかしいのだと警鐘が発せられる。頭の中で疑問だけが浮かんでは降り積もる。

 彼女はどこへいった? 何かを知っている人物は居ないのか? ふらふらとアーモリーを見て回り、彼女の足跡を求めて歩き回る。

 スピーカーからは陽気な音楽が流れ、商店―ほとんどが機械類や銃器関係だが―には買出しに訪れただろう商人たちがしきりに値段交渉を行っている。

 だがそんな喧騒や明るい音楽の中でも、僕の内心は曇ったモスクワの空のようにどんよりとしている。

 

「アーモリーの警備はぁザルかぁっ!?」

 

 男の叫び声が銃器店の隣のレールカー発着所から聞こえてくる。やけにヒステリックで、かなり耳障りだ。

 見れば共産主義者の兵士たちがトレーニングに励む横で、将校らしいコートを着た男と前線兵士の服装をした男がもめている。

 

「この駅はテロを企てているスパイだらけだぞぉっ! そこらじゅうでサボタージュ(破壊活動)が行われてるうぅぅっ!」

「パニックになるな、第四帝国(ファシスト)側との国境は全て閉鎖した! エアロックはもちろん侵入路は全てバリケードで塞いでいる。ネズミ一匹通すものか」

「バリケードは塞いでいる、だとっ!? 一昨日の夜には何者かが第四帝国(ファシスト)との国境を警備していたヤツらを壊滅させたばかりだろうがっ! それに地上はどうなんだよォ地上はっ!? あの悪魔どもが上から攻めてくるかもしれないだろォう!?」

 

 国境の警備にあたっていた共産主義者が、壊滅? それも、一昨日の夜に?

 

「これまで連中のスパイが侵略に備えて潜り込んでたんだァッ!」

「わ、わかった、こうしよう。新しく来た連中は疑いが晴れるまでは檻に閉じ込める。こうすればお前達で疑わしい連中を探すことができる!」

 

 一昨日の夜に、何者かが前線に潜り込んだ? 一体何のために? いや慌ててはいけないぞアルチョム。たとえその何者かがヴェートなのだとしても、何故たった一人で第四帝国(ファシスト)の側へと向かう必要があるんだ?

 

「ああ思い出すだけでも腹が立つぅっ! 何が“静かなる来訪者”だっ! 何が“暗闇の天使”だっ! そんなものただの幻想だ! 見間違いに決まってるうっ!」

「………音も無く隣に立つ来訪者……闇に溶けたような漆黒の天使……俺だってそんなものが居ると信じたくはないが……あれは、あれは……とても人間の無し得る業じゃあない……!

 銃弾なんかじゃあない。解剖したって弾は見つからなかった。死んだ者は全て頭を何かで射抜かれたように穴を開けられていた。側頭部、眉間、顎から突き上げるように後頭部を貫通したものまで、全て、全て頭だけを正確に貫かれていたんだ……!

  重装備のアーマーを着込んだやつでさえ、ヘルメットごと貫かれて息絶えていた。あの場にいた二十人の中で唯一生き残ったのは、野戦病院に居た数人だけ……俺だって彼らの気がふれたのかと思ったが、奴等は“ソレ”を間近にしたと言っていた。ライトが落とされた暗闇の中で、何かが……あぁ、何かが近づいてくるのを……!」

 

 まさか、本当に彼女なのか。彼女なら悟られることなく敵を始末する程度は造作も無いかもしれないが、そのためにはあのエアロックを抜けていくしかない。わからない。わからないけれど、何かがおかしいというのはわかる。自分の中で、何かが腑に落ちないんだ。

 つまりどこかで、なにかが、一見すると噛み合っているはずの何かが噛み合っていないんだ。エアロックはそう簡単に開けられるものじゃあない。駅の外へ出ることも中へ入ることも、全てが制限されるのがメトロの駅というものだ。出入りできるとすれば駅のレンジャーか重役くらいな――

 

「そうか」

 

 彼女が面識があって、かつ権力を持ち、エアロックや監視所を見張るレンジャーを押さえ込める人間なんていうものは一人しか居ないじゃあないか!

 

「コンスタンチン・アレクセーヴィチ」

 

 意を決してレンジャーの詰め所―武器庫の一角―へと向かって駅の中を駆け抜ける。走り抜けていく僕とぶつかりそうになって驚く若い女性。一体何事かと工房から顔を出して驚愕するアンドリュー。危ないぞと金槌を片手に怒鳴りつける作業員。トレーニング中なのも忘れて僕を眺める共産主義者の兵士。

 ホームを駆け抜けて詰め所へ辿り着いた僕の額には大粒の汗が伝っている。驚いた顔をしているレンジャーに司令官に合わせて欲しいと伝えると、予想していたよりもすんなりと奥の部屋へと通される。

 

 デスクの上には山のような書類。灰皿はまるで不発弾の絨毯爆撃を喰らったように、灰埋め尽くすほどの数の吸殻が突き刺さっている。不機嫌そうに眉を顰めた司令官の顔は、怒りにも似た感情が浮かんでいる。

 

「何の、用だ」

「彼女は、何故第四帝国(ファシスト)の駅に向かったんですか」

「ああ? 昨日も言ったが俺は知らん。あれがどこへいこうがあれの勝手だ。それとも何か? あのおチビの飼い主気取りか? あれは狼だ。飼い犬のような大人しいお上品な犬コロとは違う。自らの意思で自らの行く道を決められる戦士だ」

「たとえ彼女が腕の立つ戦士でも、エアロックをどうこうすることはできません。あなたが、彼女を通さない限りは。ではお聞きします。何故、一昨日の夜にエアロックが開いていたのですか」

「………………どこからそれを知った」

「やはりアナタが協力者だったのですね」

「ほう、こりゃあ一本取られた……! 鎌掛けだったか! レンジャーが口を割ることはしないとわかってはいるが、もしお前さんが誰かから聞いたってなれば俺はそいつを“事情聴取”しなきゃならんところだった。杞憂で済んでよかったよ」

 

 「で、何が聞きたい?」と言って彼は椅子の背もたれに体を預け、キノコ茶を一杯飲んで煙草の灰を灰皿に落とす。

 

「何故彼女がファシストの駅へ向かったのか? 何故あなたはそれを通したのか? 自分なりに彼女が向こうに行った理由を考えてみましたが、まるで見当がつかない。彼女が第四帝国の人間であるわけがないですし、共産主義者であるというわけでもない。

 僕をポリスまで案内すると買って出てくれた彼女が僕をわざと罠に嵌める必要性も無いですし、オーダーである彼女の同僚は僕の父親の友人です。オーダーという人々がどのような集団なのかも、少しは知っていますし彼女は歴としたオーダーの一人です」

「……聞いて、どうする? 今あいつは第四帝国の領土内だ。そして一日で戻らなかったということはあいつが捕まったか、既にこの世の存在ではないということだ。それを理解したうえで、お前はどうする?」

「助けにいきます」

 

 司令官の顔が驚愕で染まる。かと思えばフッと堪えきれないという様子で笑みを浮かべる。

 

「クックック……ククッ、ハハハハッ! お前もか! お前もまだアレが生きていると信じて死地へと飛び込むか!? いいぞ! 実に真っ直ぐな意思(センス)をしている!」

「……彼女は僕の相棒です。そして、彼女には家族が居る。彼女を失うことで、悲しむ人が居るんです」

「まるで映画の主人公のようだなあ、ええ? そう上手く現実が回るとでも思ってんのか?」

「上手くいくわけがない、とは思いますよ。ですが、やらなければ……彼女の命は無いんです。僕は彼女に、救われたんです。僕一人では到底進めないだろう道を彼女は切り開いて、その道中で僕の中にあったわだかまりに対する答えをくれました。彼女にとっては何気ない一言で、大して特別でもない言葉だったのでしょうけれど、僕にとっては救済に等しい言葉でした。僕はまだ彼女に、この恩を返せていない」

 

 彼女の言葉が、僕の中にあった義父へのわだかまりを溶かしてくれた。

 彼女の行動が、ドライ駅で僕の命の危機を救ってくれた。

 

「……いい眼をしている。レンジャーになりつつあるな、貴様。いいだろう。教えてやろう。あの小娘、ラスヴェート・ロマノフスキーについて。といっても俺も彼女から聞かされただけのことしか知らんがな。小娘の人生を知りたきゃカーンに聞くことだ」

 

 彼が、司令官が話した内容は、壮絶なものだった。たった一人になってしまった孤児の少女。別にそれは珍しくもなんともない。だがその道のりは、過酷な道のりだ。

 契りを交わした大切な姉妹に生かされ、罪と共にキタイ・ゴーロドに彼女達を残してきてしまった。そして戻ってきたときにはその姉妹の全員を失う寸前にあったのだ。彼女はどれだけ悩みぬいたのだろう。どれほどの葛藤に陥ったのだろう。

 メトロを守るオーダーとしての務めを果たし、ポリス駅のミラー大佐へハンターのメッセージを届けることを優先するべきなのか。

 姉妹の長女として、大切な義妹たちを救うべく立ち向かうべきなのか。既にこの世にはないかもしれない人を探して第四帝国に踏み入るのか。

 

 彼女はカース駅の住人たちと同じような状況に追い込まれていたのだ。どちらかを選ばなければいけない、苦渋の決断を……いや断腸の思いで選択しなければならなかった。

 僕に何も告げずに去るようなことを、本来の彼女ならばすることはないだろう。彼女は正直な子だ。約束を裏切ってしまう罪悪感、姉妹を失うかもしれないという不安、不義理を働いてしまうという事実。それらが一緒くたになってかき混ぜられた中で、最終的に彼女は姉妹のために戦うことを選んだのだろう。

 

 きっと、僕も選んでいたかもしれない道だ。僕の仲間が生きる駅、博覧会(エキシビジョン)駅。そこに暮らす友人や仲間たちは今黒き者(チョルヌイ)―あるいはダークワン―と呼称される新種のミュータントによって追い詰められつつある。

 彼等は今もなお駅に留まり、抵抗を続けているのだ。ジェーニカ、ユージーン、ボリス、ピョートル、ペトロヴィッチ先生、アンドレイ司令官、ジェジュールヌィ駅長……そしてアレックス義父さん。

 彼らを救うためにハンターの遺志を引き継いで、行ったこともないポリスへと向かい会ったこともない人を頼るか、彼らと共に戦い続けるかを天秤にかけて悩み続けた。その秤はどちらにも傾くこともなく、ただ平行になって僕を更に戸惑わせる。

 だけど、最終的に僕はポリスへと向かうと決めた。駅の皆を救い、そしてメトロの危機を伝えるために、メッセージを託された僕がやってみせると腹を括ったのだ。

 

 今の彼女は、あの日のハンターと同じだ。絶望的とさえ言える状況で、しかし自らの守りたいもののために、己が意思で以って死地へと飛び込んでいったのだ。

 

 あの日ハンターは、戻らなかった。

 そして今、彼女も、戻ってきていない。

 

 恩人を、二度も失うなど―――僕は御免だ!




捕まっちゃった(かもしれない)ヴェートちゃん。
相手は屈強なハゲ頭のオッサンたち(無慈悲)

追いかけるアルチョムさん(手遅れ感)
立ちはだかるは共産主義者と第四帝国(前線地帯が超難易度化してそう)

果たしてヴェートちゃんは(肉棒に屈することなく)生還できるのか。
アルチョムさんは白くべたつく何かにまみれた彼女を見つけられるのか。

次回、『やっぱ捕虜シチュって滾るよね』

ヴェートちゃんのメンタルを全力でへし折れるように頑張ります(ゲス顔
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