Metro2033 -影を見る者- 作:きゃすたー(7mg)
ああ、腰が痛い。だけどおいしいお米が待っている。
あとお酒も忘れないように。
10/20 追記
「…………ぁ……」
薄らと見開いた視界にぼんやりと、だれかの姿が留まる。身じろぎ一つしないだれかを抱きしめる何者かの姿が薄暗いランプの明かりを受けて浮かび上がる。
一心不乱に腰を振る男、それを受け止める女。エメラルドの瞳は暗い澱みに染められ、琥珀色の肌はオトコが吐き出した精液で彩られている。何時間犯されたのか、乾いた精液の痕と口の端から流れたあぶく。
ひゅう、と微かな風が頬を撫でる。少女の胸が僅かに上下する。
――生きている。
気だるい身体に鞭打つように、少女に手を伸ばす。冷たく、まるで死人のように冷え切った手をとり、少しの力を精一杯に振り絞って握り締める。
きゅっと握り返された指先の感触が、何よりも嬉しい。男の激しいピストン運動でがくがくと揺さぶられたまま、少女は虚ろな瞳を私に向ける。
妹の、エレナの身体に残った薬剤投与の痕。一体どれだけ、気の狂うようなあの快楽を受け止めてきたのだろう。たったの二本でも頭がおかしくなりそうなあの劇毒を、エレナはいくつ受け止めてきたのだろう。
一つ目――最初からあった傷だ。おそらくは、私がここを訪れるよりも前の。
二つ目、三つ目――犯される寸前に私と共に打たれたものだ。
四つ目、五つ目――アルチョムに犯されている最中にされたもの。
六、七、八、九、十、十一、十二、十三……十三回。十三回も、エレナはあの
艶やかだった黒髪は光沢を失い、碧玉の光は褪せ、男と薬のもたらす快楽に思考は焼け落ち、息をしているだけの肉塊同然にされている。こんな、惨めな姿に……。
「グウウウ……オオオォォッッ!」
雄たけびを上げる男の眼は獣の本能に支配され、最早ヒトらしい思考を残してはいない。ただ目の前のメスに己の子孫を産ませるために精を吐き出す。ただそれだけを忠実に実行するだけのケダモノとなっている。
「……ぁっ…………ぅぅ……」
エレナの口から呻き声のような音が出るものの、そこから発せられる声はかつての美声の片鱗さえ感じられない。アルト歌手が謡うような美しい声色は、乾きと飢えと疲労によって幽かな音を放つだけだ。
男がエレナをまるで麦の入った袋を投げるようにベッドの上に放り出す。精液と愛液のミックスジュースを撒き散らして転がされた妹は、手足を投げ出したまま身動きさえしない。
屈強な肉体の男の腕が、私の首輪に伸び――
「――ァ……ヵッ…! ァ、ギ―――!」
みし、と骨の軋む音を伴って身体が宙に浮く。足さえつかないまま、気道を塞がれたまま、男はぎらついた瞳で私の姿を舐め回すように見定めている。生きているか? 子を産めるのか? 強いメスか? そう、まるでメスを試すかのように。
視界が真っ黒に染まる直前、ちょろちょろと水音が響くと同時に首にかかっていた圧力が消え、支えを失った身体がコンクリートの床に崩れ落ちる。
「――はぁっ…! ゲホ、ゲホッ!」
どうしたよ私。今日はやけに、理性的じゃないか。クスリが抜けたお陰か、それともしこたまセックスして“影”を堪能できて満足したのか。それとも単に――
「ヴ、ェー、ト」
「アルチョム……」
彼のこんな姿に、妹の惨めな姿に、飼い犬に貶められた自分自身に、絶望しただけなのか。
「犯して」
「……ヴェート……!」
「私を、孕ませて。あの外道のじゃなくて、アルチョム……君の子種で……せめて……!」
赤い首輪が私を縛る。犬の烙印。その証明を見せ付けるように、アルチョムを見上げて股を開く。漏らした小便で濡れた秘裂を指で広げ、未だ精液の垂れる肉穴を見せ付ける。
反り返るほどに硬く、焼けた鉄のように熱く、二つ目の心臓のように脈打つ彼の肉棒。私を持ち上げて宛がわれた彼のソレは今までのどの行為よりもそそり立ち、十代前半の少女の手首ほどもある太さをしている。
きっと、私はもう引き返すことなどできない場所に来てしまった。娼婦として身体を売らされた程度はまだ、いい。一人前の娼婦となるように性感帯を開発されて調教されたくらいは、どうということはない。だけど、大切な妹と大切な仲間を私の身勝手で死に追いやってしまいかねないという事態だけはあってほしくなかった。
そう、もう私たちは死ぬしかない。運命のレールはすぐそこで途切れて奈落へと真っ逆さまだ。
「あ、あぁぁっ……うっ、ぐ、あっ、あはぁっ!」
何度も掘り返された私の膣に、最大級の槍が、最早これは破城槌と言ったっていいほどの肉棒が押し込まれていく。
軽々と抱きかかえられた私の身体が、自らの重みで彼の肉棒をくわえこんでゆく。
「――――ッ!」
声にすらならない圧迫感。押し広げられ、埋め尽くされ、蹂躙され尽したはずの私の蜜壷が、苦痛と共に更に開拓されていく。だというのにその痛みさえ快楽に変えてしまうように調教された私の肉体は、悦びに打ち震えてしまう。
いいんだ。もう、いいんだ。雌犬として、私とエレナは死ぬまでここで慰み者となるだけだ。救いなんて無かった。最初から、私の歩む道に救済なんて、無かった。ヒトの命を奪い、ヒトの罪業を玩び続ける私に、救いなど有り得ないんだ。
そう、メトロを覆う闇が晴れないのと同じように、有り得ないんだ――
第十八話 死に水
「あ、ぐっ、んおおぉぉっ! がはっ! あぐっ!」
「グウッ……うおおアアアァァッ!」
どくんっ、と一際強い打ち込みと共に下腹部に熱が迸る。
「はぁー……はぁー……うぅ……はぁっ……」
何度目、だろう。二回目まで数えて、その先が思い出せない。息がしづらい。鼻が詰まって、口の中があぶくで塞がれているようで、すごく息苦しい。
ベッドの上で寝転がるエレナの横に倒れ込むように転がる。手近なタオルを掴み、口の中の不快感をつばと共に吐き出す。精液で濡れたタオルであることも気にしない。そのまま汚れの少ない部分で鼻を拭き、目じりを伝う涙を拭い去る。
アルチョムはどうやら精魂尽き果てたらしい。コンクリートの床に敷いたマットの上で気絶したように寝息を立てている。何時間経ったかさえわからない。いったいどれだけの時間、彼は私たちを犯し続けていたのだろう。
布石は、打った。アルチョムやツルゲーネフルカヤ駅でオレゴヴィッチやマラートから抜き取った“業”をここの男たちにありったけくれてやった。ロウソクの火に劣るものさえ、今の私には作り出せないだろう。もうからっぽだ。
できるだけのことはした。だが、救いが訪れることは無かった。万策、尽きた。それでもせめて妹とアルチョムだけは守り通したい。何もかもを奪い去られ、心さえ踏みにじられた私に残された、最後の希望だけは。
マットの上で寒さに震えるアルチョムに毛布を一枚被せ、妹の身体にまとわりつく体液を拭う。その汚れたタオルで自らを拭き、薄い毛布一枚を被り妹を抱きしめる。
冷え切ったエレナの身体に、セックスで火照った己の身体をあてがう。死者のような冷たさを放つ妹。その腕に刻まれた陵辱の証をそっと撫でる。
私が気をやっていた間に、エレナに一体何があったんだろう。私が使い物にならなくなったばかりに、エレナが身代わりに使われたとでもいうのか。私の代わりに、エレナは狂気に侵されながらも陵辱に耐え続けたのではないか。
「……おやすみ、エレナ」
眠ろう。眠れば、きっとしあわせな夢が見られるから。
大切な妹と再会できた喜びが、きっとしあわせな夢を見せてくれるから。
今はただエレナの温もりを感じて、眠りにつこう。私は、幸せだ。こんなみすぼらしい姿での再会ではあったけれど、私は幸せだ。
――たとえそれが束の間の現実逃避であるのだとしても。今の私は幸福だ。
ランプの明かりに照らされた妹の顔がぼやけていく。ゆっくりと私たちに覆いかぶさっていく闇の帳。普段の暗闇は恐ろしいものでしかないというのに、今この場に限ってはこんなにも心地よい温もりと安堵感を感じられる。
じわりじわりと闇に溶けて消えていくように、身体の末端から砂になっていくかのように、意思があいまいになっていく。指先の感触も、彼女の吐息も、毛布の感触も、男の精液のニオイも、何もかもが私にとってどうでもいいものに変わって行く。
心臓の鼓動さえも聞こえない。息遣いさえ忘却の彼方に。全身を駆けていたはずの血潮は留まり、その熱量も肌寒いメトロに溶けて消える。全身に走る倦怠感と疲労感さえも霧散して、私の肉体はゆっくりと咀嚼されるようにどこかへときえていくだけ。
からだも、ココロも、わたシさえも、あいまいになっていく。そう、すべてが、“あいまい”なものにかわっていく。
「よう、ヴェート」
へたくそな歌と共に声が聞こえる。カーンの知人、ブルボンの声が。
「ヴェート」
低く野太く、力強い声が聞こえる。コムソモーリスカヤ駅を守るために共に戦い、散っていった仲間たちの声。
「姉さん」
「お姉ちゃん」
救い出せなかった姉妹の声が聞こえる。手を伸ばせば掴み取れたかもしれない人たち。イリーナとリーリヤの二人の声。
「ヲか、エり、――――」
――――って、誰だろう。知らない声、聞いた覚えのない声。だけど落ち着く。心が安らぐ。何も心配する必要なんてないと思えるほどに、温かくて懐かしい。
何故か不安は感じない。まるで母に呼ばれたような、そんな温かい気分がする。
「起きろ劣等種!」
「あ゛っ……ぐあっ……」
はらが、いたい。じんじんと響く痛みに意識が覚醒していく。薄ぼんやりとした己の存在感が痛みと共に増していく。
「時間だ」
じ、かん? いったい、何の?
薄暗い部屋の中で、兵士がエレナをベッドから引き摺り下ろす。身に付けるものが何一つ無い妹の身体がコンクリートの床に叩きつけられ、そのままずるずると兵士は彼女を気にする様子も無く引っ張る。
「ボウズ、お前はそのままだ。お前達は特別室に連れていってやるよ」
「い、いやっ! 離して離してぇっ!」
「エレナ、ヴェート!」
「黙ってなクソガキ!」
「がっ、ごふっ!」
兵士の手に持っているAKの銃底がアルチョムの腹に突き刺さる。突然の激痛で前かがみに崩れ落ちるアルチョムを見るも、裸のまますぐに部屋の外へとたたき出され、私にも同様にローライフのグリップが叩き込まれる。
「う、っ、くぅっ……」
「ほら、こっちだぞ。しっかり立てよ」
ずきずきと頭を苛む痛みに耐え、引き摺られていく妹の後に続く。視界がふらふらとブレるものの、歩けないわけではない。
薄暗いコンクリートの通路を行く道すがらの扉からは銃声や女の喘ぎ声が木霊する。ここはつまり、収容所の区画だ。ここで多くの人々が処刑されていくのだ。おそらく、私たちも。
「おぐっ、ごほっげふっ、や! やめ……! あがっ!」
男の悲鳴と、パンッと乾いた音が響く。
「お母さんっ! おかあさんっ……!」
「んっ! ぐぅっ! はぁっ! ううんっ!」
少女の嘆きと、悦の入った女の喘ぎ声が。
「う゛ゥゥ……あぁ、あー……うぎ……グァァッ……!」
意味不明の、獣の慟哭のような唸り声が。
ここで一体どれだけの
「入れ」
突き飛ばされるように押し込められた部屋には3メートルはあろう高さの分厚いガラス張りの一室が片隅に設けられている。隣にはガラス張りの部屋の上に続いているらしい階段。部屋の隅に設けられたパイプのバルブ。つまりこれは、そういうことなのだろう。
エレナも目の前のソレが何か理解していないなりに恐怖を抱いている。一体何が行われるのかも知らない彼女はただすごすごと暴力を振るわれないように従順に従うだけだ。
恐怖で打ち震えるエレナの手をとり、そっと肌を寄せ合う。ガチャとぶつかり合う手錠さえ気にならない。
ゆっくりと階段を登り終えるや、すぐに私の尻に蹴りが飛ぶ。どん、と突き出された身体が宙を舞い、ガラス張りの
「ぐはっ! ぐっ、ああ、痛い、な……」
「ね、姉さんっ! きゃあっ!」
「ごはっ、エ、エレナ……大丈夫……!?」
同じように突き落とされたエレナが私の上に折り重なるように圧し掛かる。ぐしゃりと背中にめり込んでくる手錠の感触。じわりとした熱を帯びた傷口に、ひやりとした空気が染みていく。
「これより刑を執行する」
ガシャン、と鋼鉄の柵が穴を塞ぐ。その上に立った『
「ラスヴェート・ロマノフスキー。我が第四帝国の兵士二十八人の殺人罪、十三人の傷害致死罪及び収容所施設への攻撃と器物破損の罪。そして叛乱の扇動。以上の罪状に対し、水責めに処すものとする。そしてエレオノーラ・ロマノフスキー、汚染遺伝子の撒布とミュータント化の認定により、姉同様に水責めに処す」
ふざけるな、クソッタレ――――と叫んでいただろう。こんな風になる前の私だったなら、だが。
もう、いいんだ。末期の時をエレナと共に居られるのなら、私はそれでいい。あの日別れてしまった姉妹たちに、もう一度寄り添うことができるのならなんだっていい。私が居ない間に彼女達が背負った苦難を分かち合えるのなら、それで満足なんだ。
だからエレナ、そんな希望の篭った眼で私を見ないで。私には何もできないんだ。
「姉さん」
ガラスの向こう側で少佐の男が仁王立ちしてこちらを見る中、エレナが私に呼びかける。どこか力強さの篭った声は、まるで私を叱責するように突き刺さる。
「このまま死ぬの?」
「そう、だね」
「……本当に、いいの?」
「私は、もう一度エレナに会えただけで……満足できたよ。あとは、向こうでイリーナやリーリヤに会わなくちゃね」
「ヴェート姉さん……んっ……!」
遮るように口付けをする。舌を絡め、妹の口内を舐る。じわりと、エレナに僅かに残っていた“影”が私の炉心に微かな炎を灯す。せめて妹だけは。一分一秒でも長く、その命が続くように願って“業”を吸い上げる。
ざあ、と音を立てて死が足元に這い寄って来る。パイプから流れ出す水。私たちをメトロの闇へと誘う死に水が私たちを濡らしていく。
言葉は、無い。ただ静かに身を寄せ合い、冷たい水に耐え忍ぶだけしかできることはない。薄褐色を帯びたエレナの乳房と私の乳房が擦れあう。琥珀色の肌には擦り傷が目立ち、同様に私の白みを帯びた黄色の肌も赤い痣ができている。
ぴちゃりと跳ねた水が秘唇を濡らす。ゆっくりと死が這い上がってくる。股を濡らし、腰が水に浸かり、着実にその時は近づいてきている。
私の頭の少し上で、妹が呟く。
「寒いね、姉さん」
「……そうだね」
「ボルシチって、おいしいのかな? 私、食べたことなかったよ」
「おいしいのはもちろん、心まであったまるよ。そうだね、お母さんの味って言うのかな」
「母さんの、味」
「そうだよ。食べるとね、懐かしくなってくるんだ。母親も知らない、平和な地上を知らない私でも、そんな気持ちになれるんだよ」
へそが水に浸かっていく。
「姉さん、私……ボルシチが食べたい」
「……みんなで作ろっか。イリーナやリーリヤも、みんな揃って……あったかいボルシチを」
触れ合った胸が、冷たい水に晒される。水に濡れた髪が水面に揺らぐ。徐々に死が私たちを飲み込んでいく中で、エレナは呼びかけをやることをしない。
「あとさ、姉さんと一緒にクレムリンも見たいな。赤の広場に行って晴れた日にはお弁当を食べて、写真を撮ったり、ソラを見たり。ソラって青いんだよね? 私、聞いたことがあるよ。お空にはいくつもお星様っていうのがあって、キラキラ輝いているんだって」
「エレナ」
「あと! あとねっ、……あとは……っ! 動物園に行って、ホワイトタイガーを見たい! おっきくて綺麗な毛並みの、真っ白なトラが居るって、ウラジミールおじさんから聞いたの」
ぽつりと肩に水が滴る。私の胸までを飲み込んだ冷たいメトロの水とは違う、人肌の温もりを感じさせる柔らかな水が私の肩を濡らす。
「姉さんっ」
「エレナ……」
「姉さん、姉さんっ!」
赤子のように泣き喚く、大きな妹。こんなに背も高く胸も立派になって、いい女に育った妹はまるで旧日の小さなころのように涙を流して私に縋ってくる。
既に妹の肩口まで水に浸かっている。それにかかるかどうかという私には、既に頭まで死に水が這い登ってしまっている。
「私っ、死にたくない……! 死にたく――ないよっ……!」
ぽつりと、妹の小さな声が水音の中で確かに響いた。
そして、悲痛な叫びと涙で美しい顔を歪めて吐き出された儚い願いさえも、死は容赦なく飲み喰らう。鉄柵を越えて注がれる死の中で苦しみもがく様を眺めている第四帝国の兵士たちには、卑下た笑みが張り付いている。狂気とさえ思えるほどに、死を玩ぶかのように、兵士たちが笑う姿がガラスの向こうに見える。
もがく、もがく。生を掴み取ろうと、妹は柵を揺らし、ガラスを叩き、最期まで足掻きぬこうと命を燃やす。せめてそんな健気な妹が僅かでも永らえることができるように――
「――――……!?」
「――……、――!」
末期の口付けと共に、
そして
「ごほっ! がふっ、ごぼっ!! あっ、ごふ――――」
死が、はいってくる。
「え」
真っ暗な、底知れない闇がただただ広がっている。ただそれだけ。それだけの世界。音さえも響かず、光など無い。そんな場所にただぽつんと、自分だけが佇んでいるという実感。
「……これが、終わり、か……ははっ」
これが終焉。これこそが死。この果ての無い暗闇と深遠の世界はまさに、虚無だ。闇という概念など無く、光というカタチも存在しない、まさに何も無い世界。
「あはっ、あっははははははっ! ひゃはははっ! クククっ、ぎゃはははは!!!」
ああ終わりだ! 全て終わりだ! このくだらないワタシは今ここで終わりを迎えた!
唯一の家族を救おうと無謀な賭けに挑み! 命がけで戦った末路が第四帝国のクソッタレどもの性欲処理の道具だ! そして道具として生かされることさえもなく殺された!
惨め、なんて惨めな終わりだ! 何も救えないまま、誰も生かせないまま、己さえ守れないままに全てが終わった! なんて滑稽だ。なんて道化だ! 悲劇はおろか喜劇にすらなりゃあしな――
――おかえり――
……おかしい。ワタシは、死んだじゃないか。もう何も聞こえなくなって、妹の水死体さえ見えなくなって、今にこの意識さえ消え去ってしまうに違いないはずなのに。
――ヲかえリ――
ずる、と水に濡れた服を引き摺るような音が、背後に迫る。光などない、闇などない、何も無いはずの世界に声と音が響く。何が起こっている? 死んだ人間に何が起ころうがどうだっていいはずだ。なのに、今ワタシの後ろに居るのは、“誰”だ。
『“誰”、という言葉はここでは意味を持たない』
意味を、持たない。ダレでも無く、そしてダレでも在る。
『トンネルのパイプには死のレーテ川が絶え間なく流れている。たとえ目に見えずとも、彼等はパイプを通してメトロを取り巻いているのだ』
死の、レーテ。ならばつまりあのパイプから流れてきていたものとは。
「あっ、が、ぎっ、が、ア゛ア゛ァァァ!」
閉じていたはずの口が開く。顎を無理矢理掴まれ、上下に広げられた口に――
「グ、ア、あ゛あ゛ア゛アアァァッ!」
「。;f化;ファjcっだふぇ;あ:だcfvfkfsfdkさdk!」
闇が、死が、叫びが、悲しみが、憎しみが、怒りが、死者たちが、流れ込んでくる。
まるで生者の来訪を喜ぶように、歓喜の声でワタシが塗りつぶされていく――
「んで、コイツはどうする? ゲシュタポを呼ばなくていいのか?」
彼女達が連れ出された後には僕だけが残された。正確に言えば、僕を始末する兵士二人と僕の三人だけだ。黒い軍服にあしらった第四帝国の象徴たる『
ジジ、と輝く電灯の光。明滅する電球に合わせてしかけようかとも考えたものの、両手を手錠で塞がれた状態では一人を締め上げるのに手一杯だ。もう一人が持つ銃をどうにかすることはできない。
「本国が近いとはいえそう簡単にあいつらが来るかよ。それにあまり時間をかけると、あいつらが寂しがるだろう? なあ元飼い主さん」
「それもそうだな。なあどんな気分だった? お前さんの大切な女だったんだろう? それを妹ともども無理矢理犯されて、その後に獣のように犯し尽した気分はどうだった?」
最低の気分だ。クソッタレどもめ!
何か打開策は無いのか? こいつらを叩きのめし、今すぐにでも彼女たちを救うことができる方法は!?
「さて、恨むならあの女を恨むんだな。
ごり、とリボルバーの銃口が向けられる。見慣れたサプレッサーと古ぼけたトリガーガード、そこに刻印された
ハンターから預けられた銃が僕に向くことになろうとは。彼女が手にし、ハンターを通じて僕の下へとやってきた44口径の天使の炎は今や、僕の命を射止めんとその撃鉄を起こして、振り下ろされる瞬間を待ち遠しそうにしている。
「お前の銃だぜ。せめてこいつで眠らせてやるよ」
……くそっ。どこまで嫌味な奴らなんだ!
鈍色の銃口が眉間に添えられる。自分をこれから撃ち殺そうとしている男が映る。その視界の端、部屋のドアの傍でもぞもぞと動く何かの影。マスクをして、ゴーグルらしいものをかけた何者かが銀色に煌く死を振り上げる。
「カッ」
「……な、だ、誰ぐぎっ!?」
何者かがナイフを兵士の一人に叩きつけると同時に、もう一つの影が踊る。獣のように跳躍した影の主が持つナイフ。銀の輝きが軌跡を描いて、僕を殺そうと銃を手にしていた男の眉間にどすりと鈍い音を伴って突き刺さる。
びく、びく、と小さな痙攣を起こしながら帝国の兵士が首から血を流して崩れ落ちる。やがてその命の火が消え去るだろうことも構わず、ダメ押しとばかりに首に今一度ナイフの刀身がずぶりと食い込んで、兵士はかろうじて残っていた命の火をかき消される。
「ようお兄さん、無事かい」
くぐもった陽気な声が暗殺者のマスクの下から聞こえる。こちらに銃を向ける気は、無いらしい。身振り手振りでおどけるようにしてみせるそれは、まるで呆れるように手を広げているみたいだ。
未だに警戒心を解かない僕を見たのか、もう一人の男が進み出て僕の手を取り引っ張り上げる。その腕の力はまるでハンターを思い起こすほどの屈強な肉体から生み出されている。
「ひどい目にあったようだが、もう大丈夫だ」
「あ、あの……あなた方は……?」
「俺はウルマン、そっちのガタイのデカイのがパヴェルだ」
「よろしく、パヴェルだ」
「ありがとうございます……僕はアルチョムといいます」
「いいってことよ。これが任務だからな」
ウルマンとパヴェルは身に付けていたマスクを外し、スキットルを僕に差し出してくる。蓋を開けて一口含んだそれはウォッカのきついアルコールと共に、乾いた喉を焼くように染み渡っていく。
パヴェルと名乗った男は転がっていたリボルバーを拾い上げるや、目の色を変えてつぶさに観察しはじめる。
「これは、お前さんのか」
真一文字に結ばれた口を開き、パヴェルは相手を射殺すような意思を籠めた視線をこちらに向ける。
リボルバーを見たウルマンはカッと目を見開き、リボルバーのグリップを確認し、次いでトリガーガードを食い入るように見つめている。
たくわえた口ひげをさすり、ウルマンはパヴェルに向かって頷く。
「ええ、そうです……ハンターというレンジャーから預かったものなんです」
「……何故こいつがここに? それにこいつはヴェートがハンターに返してくれと言ったものだったんだが」
「ヴェートを知っているのか!?」
「おっ、おいおい! 落ち着け、あと静かにしろ!」
「す、すみません……しかし、あなたの知るヴェートという人物はその、長い黒髪と黄色人種の肌の、女ストーカーで?」
「……ああ、そうだ。彼女らしい人物が捕らえられていると第四帝国に潜入した仲間から情報が入っていてな、事実関係の確認と、事実であれば救出……可能なら遺体の回収ってとこだな」
これは、天恵だ! なんてことだ…! ああ、なんという素晴らしい日だ!
こんな敵地の奥深くで、まさか彼女を知る人物に出会えるだなんて!
「か、彼女はさっきまでここに居たんだ! 早くしなければ奴らが彼女を殺してしまう!」
「落ち着くんだアルチョム。そして、ここに彼女が居ることは間違いないんだな?」
「そうだ! 父とその友人のハンターの名に誓って事実だ!」
「なあパヴェル」
「ああわかってるさウルマン」
カシャ、とAKの遊底が引かれた音が響く。パヴェルはサプレッサー付きのAKを、ウルマンは旧ロシア国防軍の軍用品らしい銃を手に鋭い目つきで死した兵士を睨みつける。
「使えそうだな。それにお前さんは、レンジャーみたいだしな」
使えそう、とはどういうことだろう。まさか、いやそんなことをするなんて僕はイヤだ。
「こいつを着れ、アルチョム。素っ裸じゃ敵中突破はできないぜ」
ああ、なんてことだ! やっぱりと言うべきかなんというか、嫌な予感は当たるというべきか! 何故こんなクソッタレどもの服を拝借しなければいけないんだ。
……とは言っても、服を探す余裕は無いし武器もリボルバーだけでは頼りない。やむをえないと割り切るしか、ない。
第四帝国の兵士の服は意外とぴっちりとしている。さすがに彼らと全て同じ格好をしていてはまずい。腕章を外し、黒い防弾ベストを外すと真っ白なシャツが顕になる。
兵士の持っていた
「……さて準備はいいかアルチョム。ウルマン、お前はどうする?」
「ついでに捕虜解放の任務もやっておこう。最優先はヴェートだが、こちらも重要なのには違いないからな。俺が捕虜解放と陽動に回るから、その隙にアルチョムと共にヴェートを確保してくれ。俺はこの区画の捕虜を解放して武装させてからマヤコフスカヤ駅方面へのエアロックを襲撃する。捕虜の脱出を見届けてからそっちを追いかけるさ。
俺達の脱出ルートはザモスクヴォレツカヤ線を南下し、オホトヌィ=リャド駅へ向かうほうだ。車両搬入用の支線へと入ればレッドラインを経由せずに環状線に出られる。そこからセルポフスカヤ駅を経由してポリスへ向かう。セルポフスカヤ駅で合流だ、頼むぜパヴェル」
「ああわかった。お転婆娘はこちらでどうにかするさ」
「それじゃ、幸運を」
がっちりと、堅い握手が交わされる。グレーの戦闘服にカーキの防弾ベストを纏った二人の男が先導するようにドアに張り付く。キイと僅かな音を立てて開いたドアの向こうに、敵の影は無い。通路に伸びているのは、死体の織り成す赤い道だけだ。通路に寄りかかるように斃れた兵士たちの死骸。血を流し息絶えた肉塊。
「……うっ」
「見慣れていないなら見ないに越したことは無い。いくぞ」
パヴェルが先頭に立ち、前に前に進んでいく。それに続いて敵兵から拝借したAKを手に真ん中を警戒しつつ進む。最期にウルマンが一つずつ部屋を確認し敵兵を始末していく。捕らえられていた捕虜に銃を手渡し、死んだ兵士から弾を奪って分け与える。
「――あっ」
「
「た、助けて、くれるのか……?」
歓喜の涙で頬を濡らす者には励ましの言葉をかけ、悲嘆に暮れる者に慰めの声をかける。そして持ち前の陽気さで一声、“自由だ”と彼らに告げる。
たったそれだけ、それだけだというのに、彼等は拷問で疲れ果てているだろう身体を奮い立たせて銃を握る。女も男も、老いも若きも、ついに手にした自由を二度と手放すまいと力を籠めて銃を握り締める。
「さあこっちだ。戦える男は銃を持って敵に備えるんだ。女子どもやけが人は下がって、いつでも逃げられるように備えておいてくれ。おいあんた、名前は?」
「アントニーだ。ツヴェトノイ・ブリヴァール出身」
「レンジャーの経験があるか?」
「ああ。警備所の副隊長を務めていた」
「ならあんたにここの捕虜の護衛を頼む。区画を制圧したらマヤコフスカヤ方面へのエアロックを奇襲して解放する。あんたらは捕虜を護衛しつつマヤコフスカヤへ向かうんだ」
「
背後の警戒を彼らに任せ、静かに収容所を制圧するパヴェルとウルマン。物音に気づいた敵兵が出てきても彼らが引き金を引く前に鉛弾を撃ち込み黙らせていく様はまさに暗殺者だ。
隠れる場所も無く、電球の光が灯った敵地で、気取られることさえなく鮮やかに敵を排除して進んでいく。
次々に解放されていく人々の目には意思が蘇っている。自由を掴むと、生き抜いてみせると、目の前に横たわる苦難を乗り越えんとする強い意思がか彼らを突き動かしている。
「おい、こっちを手伝ってくれ。けが人が居るんだ」
「誰かっ……モルヒネでもなんでも、いい……痛み止めを……」
「いいか決して一人で相手に当たるな。二人で一人に当たるんだ。二対一なら勝てる」
「お母さん、おうちに帰れるの? お父さんは?」
「大丈夫。心配しないで……きっとお父さんも大丈夫よ」
助け出された人々は既に互いを支えあおうと、この窮地に訪れた好機を無為にするわけにはいかないと本能で理解している。お互いの素性を何一つ知らない者たちだというのに、その行動は未来を掴み取るためにという意思に集約されている。
救い出した人々は、ウルマンたちが既に助けた数十人が加わったことで五十人にも登る数になっていた。そのうちでも若い女や子どもが大半で、大人の男は多くが拷問などで立ち上がる力さえ奪われていた。幸運にも戦える状態にある男衆と大人の女たちは各々が第四帝国の兵士から奪った銃をそれぞれ手に持ち、三人で一組となって通路の警戒にあたっている。
「うまいだろう、ウルマンのやつ」
パヴェルが最前線でぽつりと呟くように語り掛けてくる。
「あいつは、素質があるのさ。群れを率いる素質だ。俺のような不器用な人間には真似のできない、人を先導する魅力がある」
「……ここを、解放できるでしょうか」
「できるさ。既に半分は制圧してきた後だ。そしてロシア人の気性の根っこにあるのは反骨だ。人を虐げ、搾取し、仲間を傷つける者を許さないという強固な意志がある。仲間と共に掴み取り、仲間に分け与えること。そうでなきゃメトロじゃ生きていけない。
ここに居るのは皆同じように虐げられた人々だ。奴らに対する恨みと怒りは生半可ではないだろう。恨みを生きる糧にして、彼等はこの危険地帯でも立ち上がることができる。それは同じ境遇の同じような経験を経た者たちだからこその共感であり、ある種の連帯感なんだ」
暗闇の中で生きることは難しい。不安になったり、ミュータントの襲撃で疲弊し、先行きの見えない世界に絶望するかもしれない。そんなとき、隣に居る誰かが励ましてくれる。共に苦難に立ち向かう仲間が居ることは、素晴らしくかけがえの無いものだろう。
ラスヴェート・ロマノフスキー。彼女は己がために、たった一人孤独な戦いを挑み、敗れ、今まさに窮地に陥っている。だがまだ彼女が連れ去られてそう長い時間が経ったわけではない。
生きている可能性が残っているんだ。ならば、諦めるわけにはいかない。生きていると信じて戦いを挑んだ彼女のように、僕は諦めず彼女たちを救い出すために戦おう。
そう。あの日キツイ言葉をかけながらも、戸惑ってばかりだった僕を励ましてくれた彼女のように。
今度は、僕が助け出すんだ。彼女を、共にメトロで命を賭けて戦う仲間を、この手で!
腰が痛いので後日追記予定です(あとがき)
いくつか追記しました。具体的に言えばウルマン&パヴェルとアルチョムのシーンです。
何か物足りない感じがしたので多少の追記を行った程度ですが。