Metro2033 -影を見る者- 作:きゃすたー(7mg)
社員旅行でビール飲みすぎて旅館の廊下で寝そうになっていた、きゃすたー(7mg)です。
チマチマと書きながらHalo5 guardians をプレイしたり、仕事ばっかりでしたがどうにか投稿できました。
長らくお待たせして申し訳ありません。
あの頃の義姉はきっと家族というものに依存していたのだろう。再び見えた義姉は変わらず私を家族だと、義妹だと見てくれたけれど、その本質はまるで違うものだった。ヴェート姉さんが求めたもの、家族というものへの執着は娼館での日々の中でやがて私たち姉妹への依存に代わり、そして数年の年月を経て親愛にまで昇華されていた。
過去を捨て去ることをせず受け入れ、それでいて前に進もうと義姉はもがき足掻いてきたのだろう。私のようにイリーナとリーリヤを失って絶望に打ちひしがれたままではなかっただろう。
そんな姉が折れた姿は、目も当てられないものだった。メトロに立ち込める霧のように、姿形を失って霧散してしまうのではないかとさえ思えるほどに痛ましかった。
そんなとき、二人のレンジャーが救ってくれた。パヴェル、そしてアルチョム。私とはまた違う絆を持った、屈強な戦士たちの手によって姉は再び立ち上がった。
「戻るよ、必ず。私とエレナがもう一度会えたように、何度だって帰ってくるから」
「待ってるから必ず帰ってきて。必ず……」
共に肩を寄せ合って生きてきた義姉を抱きとめる。小さい。本当に小さなこの背中と肩で、義姉はかつて妹三人を支え続けてきたんだ。
既に何もかもを諦めかけていたはずの私が、往生際の悪いことに敵わぬと知りつつ足掻いた理由がやっとわかった。目の前に居る傷だらけの姉を、オーダーの戦士でもなんでもないヴェート姉さんを救いたかったからだ。守られてばかりの私ではなくて、義姉を守ることもできる私でありたいと願ったから、私は死にたくないと足掻いたのだ。
まるで火を吹き込まれたように沸々と滾ってくる。ほんの一日前には死を覚悟し諦めてすらいたというのに、懐かしい顔を見てその思いは焼き払われるように消え去ったようだ。
私とヴェート姉さんは血は繋がっていない。それでも私は嬉しい。彼女が無事であることが何より嬉しい。私たちは確かに義姉妹として過ごし、共に生きて、別れを告げた。だけどこの歳になって、ようやくだけど――本当の姉妹になれたような気がする。
第二十話 疾走
「行こう」
手にしたカラシニコフの重みが懐かしく思える。もう数年手にしていないような錯覚にさえ陥りそうだ。だけどここから先はそんな腑抜けでは居られない。
メトロには絶望しかなく、希望などありやしない。それは理解できた。ならばその絶望の中でどのように足掻いて生きるかが重要になる。纏わり付く絶望を振りほどきながら暗闇と知りつつ歩を進めるか、無駄なことだと切り捨てるかだ。
私は無駄な足掻きをやってみせよう。ようやく出会えた家族を泣かせたくはないし、何より私の探究心は燃え尽きちゃいない。絶望しかない世界を切り開くために地上へと挑むのがストーカーであり、スパルタンオーダーの戦士だ。
見つけ出そう。このメトロを覆う絶望を断ち切って、トンネルと死の大地の向こう側へ希望を探しにいこう。それこそが私の望んだ生き方なのだから。そのためにもまずはメトロを守り抜くために最善を尽くすとしよう。
「パヴェル、先導して」
「わかった。こっちだ、ついてこいよ二人とも」
人が一人通れる程度の狭いコンクリートの通路を警戒しながら進む。蜘蛛の巣が天井に張り、空気の澱んだ狭い通路を駆け足で行く。ジジジと音を立てる電球と真っ赤な非常灯の灯りを潜り、ダットサイトをいつでも覗き込めるようにカラシニコフ2013を構えて歩を進めていく。
一つ、二つと配水管が天井を貫いて通路に伸びていく。私たちの進むその先、トンネルへと向かって死のレーテ川の流れるパイプが、まるで私たちを誘うように走っている。
ホコリとかび臭いニオイの立ち込めるトンネルに出ると、一台のレールバイクが私たちの目に留まる。
湿気を帯びた生暖かいトンネルの空気。吹き抜けていく風は“影”に染まった黒い風となって私の頬を撫でる。左手へ伸びるはずのトンネルは崩落し、電車を丸ごと飲み込んで行く手を塞いでいるが右手にはレールが延びたままだ。
電灯も何も明かりのない、ただバイクの周辺をランタンが照らしているだけのトンネル。その闇の中に一歩踏み出し、影を見渡してパヴェルに尋ねる。
「それで脱出プランは?」
「撃ちまくって強行突破する…………状況次第だが、な」
「……了解」
何故か深緑のパワードスーツを纏ってライフルを構えた近未来的な兵士の姿が思い浮かんだ。きっと映画館でポスターやビラを探していたときに見かけたのだろう。サイエンスフィクションの映画にああいう手合いのパワードスーツが登場するのはよくあることだ。
もしかすると私である以前の“私”の記憶の残滓なのかもしれないが。
「ねえ、アルチョムはバイクの操縦経験は?」
「いや、無いね」
「じゃあ後部シートはもらうよ。アルチョムはサイドカーのほうね」
「座席はヴェートが乗りなよ。まだ身体が追いつかないだろう?」
「どっちでもいいからさっさと乗ってくれないか」
パヴェルがスターターを蹴ると400cc―くらいの雰囲気―のエンジンがガソリンを燃やして目を覚ます。単気筒のトコトコという小気味良い音がトンネルのコンクリートに跳ね返り、闇の中へと吸い込まれていく。
バイクの車体を流用しているだけあって、ライトも単眼ながら装備されている。残念なことに崩壊前のものより電球の質は劣るため、照らす先にある闇はそんなチャチな光などいとも容易く飲み込んでしまっているが。
タンデムステップに足をかけてシートに腰掛け、パヴェルの腰のベルトを掴む。右手にはいつでも発砲できるように
「この先で線路の交わるポイントを突破してしばらく進むと車両整備用のプラットホームに出る。そこで降りて連絡通路を通って地上に出たらあと少しってとこだな」
「でも、もしこの先の整備用プラットホームが占領されていたら? あれだけの騒ぎだ。外のヤツらだって気づいているはず」
「その時はザモスクヴォレツカヤ線を南下して二つ目のプラットホームに向かう。テアトラリナヤ……“シアター”駅が近いから安全とは言い切れないが、そこからも地上に出られるだろう」
ガコン、とギアが入る。軽快な排気音が少しずつ甲高くなるにつれてゆっくりと、レールバイクが前に進み始める。セカンド、サードと変速のショックが襲うものの、手にした銃を離すことはない。
ぐんぐんと速度を上げるレールバイク。その先を照らすヘッドライト。錆びの目立つサイドカー。お世辞にも快適とはいえない旅路ではあるが我慢しよう。あんな場所よりかはマシなものだ。
蜘蛛の巣の張ったトンネルを進むうちに平行に走る線路が現れる。配電盤やケーブルで遮られてはいるが、おそらく私たちが通っている線路と同様にザモスクヴォレツカヤ線の退避線だろう。赤錆や腐食の目立つ電車が並んでいる。
あの収容所もどうやら作業員用の退避駅を改造して作られていたようだ。つまり私たちが今走っているのは支線か待避線で、本線とは別のトンネルなのかもしれない。
「パヴェル、この路線は一体どういうものなの?」
「つい一週間ほど前か、クシャトリヤ……ああ、ポリスのストーカー部隊の一人がレーニン図書館で路線敷設の計画図を見つけてきたんだ。と言っても古いものだったんでな、実地調査をして当たりが出たのがこの路線だった。この線路はザモスクヴォレツカヤ線のトヴェルスカヤ駅とテアトラリナヤ駅の近くを繋ぐ退避線なんだそうだ。残念ながらテアトラリナヤ駅側へはまだ行ったことがないんだがな」
「ふうん。メトロの全体路線図はまだ見つかってないの?」
「ああ。チームが増員されて今も捜索中だ。クズミッチ隊長にシャーマンのおっさんやスー、バーの双子に……なんつったかな、新入りも投入するらしいってのは聞いちゃいるがな」
「パヴェル、ヴェート……レーニン図書館が今も残っているのかい?」
「そう、あそこは知識の集積地だよ。今は失われた技術や知識の宝庫であり、同時に凶悪なミュータントの住む地獄でもあるのさ。だけどそこから持ち帰られた技術のお陰で今もメトロは生きながらえてると言ったっていいよ。もしかするとメトロの困窮そのものを解決できる切欠があるかもしれない場所なんだから」
「恐ろしい場所、なんだね。だけど……行ってみたいとも思うよ」
「へえ、どうして?」
「どうにも本に目がなくてね……小説に学術書から児童書まで、本という本を読み漁ってきたんだ。出身駅の博覧会駅の本は読みつくしてしまったし、ちょうど新しい本が欲しいところだったんだよ。やっぱり紙を手にとってページを捲るあの瞬間はたまらなく興奮するね! それにあの本にはどんな栞を挟むと見栄えがいいかとか……」
「へ、へえ、ステキな趣味だね……」
まさかアルチョムがビブロフィリアであろうとは……! このまま語らせたら一時間は喋りっぱなしな気がする。
とはいえ、目を輝かせて本について今も熱く語り続ける彼はまるで少年のようだ。これほどに熱中し、深い愛情を注ぐことのできる趣味や物事があるというのは彼にとって良いものだろう。
成し遂げるという意思を持っているからこそ、人は輝きを放つことができるのかもしれない。彼の“何が何でもポリス駅へ辿り着く”という意思はこの危険なメトロにおいて、彼の身に迫った危機を乗り越えるための力になったのだろう。
――なら、乗り越えることのできなかった私はきっと、どこかで心折れていたのかもしれない。今も折れたままなのかもしれない。それでも、前に進むことだけは諦めてはいけないと思う。
彼の熱を思い出す。逞しい腕が私を組み伏せて、理性を失った彼に無理矢理に犯されたはずの身体が僅かに火照り、思考に僅かな霞がかかる。
もう一度あの熱が欲しいだなんて――何を莫迦な。そんな余計な思考はいらない。考える必要などない。あの温もりはもう、手に入らないんだから。
「ヴェート! 正面に誰か居る!」
はっ、とパヴェルの声に気づいて正面を見据えると、闇の中に一つの灯りが見える。ヘッドランプだろうか、白い光を放っていたそれはゆらりとトンネルの側面を照らして遠ざかっていく。
「撃て! 敵だッ!」
額に当てていた暗視ゴーグルを被り、ダットサイトを覗き込む――ものの、車体の揺れのせいで狙いが定まらない! 早く仕留めなければトンネルが封鎖されかねない!
「ごめんよパヴェル!」
「ぬおっ! その邪魔な乳袋をどけろ!」
「ガマンして!」
パヴェルの巨大な背中に腹を押し付けるようにして身を乗り出し、彼の後頭部に胸を置いて銃を構える。ようやく安定することのできた身体で
パスンッ、とサプレッサーごしの発射音の後には敵兵は崩れ落ちていた。逃げるように遠ざかっていた光も消えている。
ガコンッ、ぐしゃり、という生々しい音と共に駆け抜けていくバイク。開かれているままのエアロックへ向かって、速度を落とすことなく突っ込んでいく。
「ねえ、今、轢いたよね?」
「ああ、轢いたな!」
「まさに
「ヴェート、誰が上手いこと言えと!」
「ついでに……あぶり焼きにしてやるよ!」
火の点いたグレネードを監視所の敵兵に向かって投げつけるべく身構える。じりじりと音を立てて導火線が短くなるにつれて開けっ放しのエアロックが近づいてくる。線路が交差する地点に陣を構えた兵士たちは目を点のようにして、思わぬ闖入者の襲撃に思考が凍り付いている。
エアロックの中では多数の第四帝国の兵士が銃を手に暖を取っている真っ最中だったらしく、あちらこちらに焚き火が焚かれているままだ。機銃まで設置されて、簡単な検問所の様相を呈した陣地へと、バイクごと突っ込んでいく。
「ごはあっ!?」
線路上に立っていた将校らしい不運な兵士が衝撃と共に吹き飛んでいく様をよそに、導火線の短くなったグレネードを焚き火に向かって放り投げる。
「に、逃げろぉぉっ!」
「
後方から迫るドドドンッ! という豪快な爆発音を浴びながら、バイクはスピードを上げて再びトンネルへと入っていく。
してやったりと笑みを浮かべた私を見て、アルチョムはため息交じりに呟く。
「……元気そうでなによりだよ」
「これであいつらも暖まれるでしょ。まあすぐに冷えちゃうけどね」
追撃が来る様子もない。このまま一気に突っ切って退避駅に到着できれば…!
「しかし、これはどうにも雲行きが怪しいな」
まったく同感。この線路はポリス駅でさえ今まで知らなかった路線だ。そして第四帝国はこの路線に陣を張っていた。つまり私たちがこの路線の存在を知る以前からヤツらはここを通っていたということになる。
「ちらっと見えた程度だったが同じようなレールバイクやトロッコもあった。前々からファシストどもはこの路線を、俺達の知らない線路を通ってそこかしこに足を伸ばしていたってことになる。しかしようやく合点がいったぞ。何故あいつらが本国から遠く離れた環状線のドブルィニンスカヤ駅やパヴェレツカヤ駅近くをうろついているのか!」
そう、つまりこの路線を足がかりに第四帝国は環状線の内側で勢力を伸ばしてきたということだ。ヤツらがキタイ・ゴーロド駅で女を攫っていたのはおそらくこの路線であの駅の近くへと抜けていたからなのだろう。
でなきゃクズネツキーモスト駅、“
……いや、戦う力も持たない多くの人が死んでいるんだ。幸運だなどと思うことはいけない。
「ヴェート、パヴェル……それって、つまり」
「おそらく退避駅も占領されているだろうな。俺達が忍び込んだときは無人だったが、ヤツらの部隊が過ぎ去った後だったのかもしれん。そして路線を調査して戻ってみれば捕虜脱走の大火事だ。十中八九この先で待ち構えているぞ」
パヴェルはライトを落としてアクセルを回し、バイクを加速させていく。80キロに達しようかというところで彼は左手のクラッチレバーを握り、クラッチを切ってアクセルを元に戻す。動力の伝達が途絶えたバイクは惰性で一気に速度を保ったまま走り続け、エンジンは元の静けさを取り戻し、トントントンと小気味良く音を立てて回り続ける。
できる限りに静かにしていても、車両がレールの上を走る音だけはかき消すことさえできない。
願わくば彼らが私たちの接近に気づいていないことを祈るだけだが――
「二人とも構えろ……少し揺れるぞ。振り落とされるなよ」
そうは問屋がなんとやら、らしい。
「まだだ、まだ…!」
一列に並んで通せんぼ、とでもいう具合に並ぶその姿はまるでチェス盤に並んだ
「いいか、いくぞ…!」
暗闇の中を惰性で進んでいるバイクと敵との距離はもはや100メートルさえもない。ライトは消し、エンジン音は抑え、コトンコトンとレールの上を走る音が鮮明に聞こえるほどの静けさを保ったまま、動力を断たれたバイクは線路の抵抗に少しずつ速度を削られながら近づいていく。
幸いなことにサーチライトの類は備えられていないらしい。ヤツらからはこちらの姿が確認できないのは好都合だ。退避駅のエアロックに僅かに光の届く範囲内で構えているだけだ。
「やれ」
ダットサイトに映った人影、そのうちの一人の頭部に
「Уууууррррррааааааааーッ!!!」
パヴェルの雄叫びに応えるように、“ヴォンッ!”と咆哮をあげるエンジン。カッと光を放ったヘッドライトの先には十人もの帝国兵。解き放たれた獣のように、ガクンと揺れたバイクはエンジンの回転数と共にその速度を上げていく。
80、90、100、110、瞬く間に加速していく
「う、うおあああ来るなぁぁっ! ――ガヒュッ!」
「クソッ! 共産主義者どもめ!」
「ほうら! お前達にも平等にプレゼントだ!」
「避けろ避けろ! グラナータだ!」
グレネードが放り込まれた瞬間に数人が飛び退き地に伏せる。二三人轢き殺したが
後方から響く爆音を背に受け、エアロックを全速力で突き抜ける。
「うわっ!?」
「くそっ、照明が生きてるとはな!」
「二人とも、ホームに敵が居る!」
カッと視界が真っ白になる。すぐさまゴーグルを額にかけて目を開くものの、強い光を急に浴びたせいで視界はあまりの眩しさに白みがかかっている。
ドンッ、ドンッとリボルバーの銃声に混じってAK74の特徴的な射撃音が断続的に続く中、霞む視界にどうにか捉えた敵兵たちに向けて2013を突き出し、トリガーを引く。
当てずっぽうの、狙いさえ定めていない射撃でも牽制するくらいには!
「ぐっ……ぬっ……!? くそっ、後方から、レールバイクだ!」
「アルチョム、始末して! 私はホームの敵を抑える!」
「
アルチョムは狭いサイドカーの中で身体ごと後方を振り返り、AKを掃射する。リズムに乗ったように繰り広げられる銃撃の応酬が始まる。
身体を掠めるように走る銃弾。チリッと髪の毛が数本、レールバイクで追走してくる兵士の放った銃弾に散らされていく。頼むアルチョム、早く始末してくれ!
明るさに慣れはじめた目を見開き、駅のホームを観察する。敵兵が階段を駆け下りてきたところを
タタタンッ、タタタンッ。サプレッサーの軽い射撃音と共に銃弾が放たれるものの、高速で走り続けるバイクの上から人間を狙うというのは難しい。一人倒したものの、数人がこちらに向けて
「加速してパヴェル!」
「ぬおおっ!」
がくん、と置き去りにされるような加速感と共にバイクのエンジンが唸りを上げて車体を前へ前へと押し出す。肌を掠める
「ぐっ……くそっ…!」
「アルチョム!?」
「大丈夫……! 散弾で少しやられただけだ!」
左の二の腕を抑えるアルチョム。後方のレールカーは未だに健在のままだ。このままでは積みだ。ワンパターンではあるけれど、仕掛けてみるしかない!
「いい加減……おやすみ!」
グレネードの導火線に意識を集中させる。じり、と焦げるニオイと共に“業”の炎が走り、導火線が火花をあげて死のカウントダウンを始める。だがすぐに投げてはいけない。大事なのはタイミングだ。爆発の瞬間にヤツらのレールカーを巻き込めなくては意味が無い。
「1、2、3……いけっ!」
後方を振り返る必要は、無い。そのまま左手で持ったグレネードを肩越しに、空き缶でも投げ捨てるような気軽さで放り投げれば――――
「不味い! ブレーキだっ! 早くしろ!」
「クソッ、クソクソクソォォッ! ――逃げっ」
ドカン、だ。
「い、いいぞ……! お手柄だ……!」
「頼むからもう来ないでくれ……!」
レールバイクはそのままホームを突っ切ってまたトンネルへと滑り込んでいく。ホームからの射撃は届かないと諦めたのか、銃撃も既に無い。そして敵の追撃が行われる気配もない。
再び暗黒のトンネルをバイクのライトが切り裂きながら駆け抜ける。追撃を振り切ったという安堵感がどっと津波のように押し寄せる。やはり銃撃戦はいつも息が詰まるようだ。アルチョムは当然として、死線に慣れたパヴェルでさえも死に間近に晒された緊張感から肩で息をするようにぜえぜえと呼吸を繰り返している。
「振り切ったか……! しかし……この先は俺達も確認していない路線だが」
「危険は承知だよパヴェル。未知の場所に踏み込むのがストーカー、そして私だよ。地上だろうと地下だろうと、それだけは変わらない」
地上に比べてガスマスクを被る必要が少ない分、地下の探索というものはまだ幾分か気が楽だ。死の都、モスクワの地上は汚染によって人が活動する時間さえも制限されるほどなのだ。常にマスクを被り、ガイガーカウンターの警告を聞き逃さぬようにして、ミュータントの奇襲に怯えながら少しずつ少しずつ、フィルターと腕時計を頼りに慎重に歩を進めていかなければいけない。
フィルターが無くなれば死ぬ。ガスマスクが割れれば死ぬ。複数のミュータントに襲われれば死ぬ。デーモンに捕まったら死ぬ。倒壊する建物の下敷きになって死ぬ。足を滑らせて汚染された池に落ちて死ぬ。人影の、“業”の溜まった場所に踏み入れれば死ぬ。
ぱっと思い浮かぶだけでもこれだけの死に方ができてしまう場所。それが地上だ。それに比べれば地下はどうだろう。
野盗に捕まって死ぬ。有毒ガスで死ぬ。ノサリスやスパイダーに襲われて死ぬ。トンネルの崩落で死ぬ。汚染された水に浸かって死ぬ。橋梁などで足を滑らせての転落死もありうる。あとはトンネルの闇に飲まれて死ぬか、アノマリーに殺されるか。
……ま、まあ……どのみち、まともな死に方はできないだろう。少なくとも、このモスクワメトロでは。
不意にアルチョムがサイドカーの座席に預けていた上半身を起こし、耳を澄ませるように手を当てる。いつの間にか腕には白い布が止血のために巻かれている。器用なものだ。
「これは……まさか地下河川?」
「アルチョムは見るのは初めてなの?」
「まあね。それにしても……こんな地下に本当に川があるなんて」
ざあざあと、まるで滝の流れるような音が響く中をレールバイクが進む。とはいえ、照らす先にあるものは仄暗い水と橋梁を走るレールだけだ。そのほかは全て暗闇。光さえ飲み喰らう漆黒の帳に、私たちはおろか辺り一面が包まれている。
「モスクワメトロは地下深くに建設されているからね。モスクワ川の下を通る路線なんかもあるから、こういった地下水の排出のための水路も建設されているんだ。それでも、こんな巨大なのは私も初めて見たよ……」
音の響き具合からしてかなり広大なものだというのはわかる。人の手が入らなくなって既に20年も経つというのに、未だにメトロの機能の一部はそのまま稼動し続けているのか。
確かにこれは核シェルターを兼ねたものとして素晴らしい出来だ。できることならミュータントや野盗のような暴漢の居ない、平和な時代にこのメトロを見てみたいものだ。
そんな時代が来るのはいつになるのだろう。十年、二十年か、それとも私たちの孫やひ孫の世代だろうか。……いや、変に夢を見るのはやめだ。二年もつかさえ怪しいのが今のメトロなのだ。
それでも諦めきれない。だからこそ、今はまだ見えない希望を見出すために、ストーカーたちもオーダーも戦っているのだから。
私も結局のところ、諦めきれないだけなんだ。“どうか救いを”と、縋るべき何かを求めているだけでしかない。他の人は宗教や政治にそれを求めたが、私は戦いの中に求めた。銃とナイフを手に地上を駆け、モスクワメトロの未来を切り開こうと戦ってきた。
アルチョムだってそうだ。一人では到底為し得ぬだろう旅路に、迷いを振り切って挑んだはずだ。彼は真っ直ぐで、正義感の強い人間だ。責任感もあると、数日の旅だったが理解できる。
自らの与り知らぬところで家族や仲間や友人が死ぬかもしれないのに、それを覚悟の上で旅に出たはずだ。ハンターからのメッセージというものがどのようなものかは私は聞いていないが、彼はハンターが信を置いた人物だというのは間違いないだろう。
そして今、私の目の前でレールバイクのハンドルを握る彼も。
「パヴェル」
「ああ、なんだ……?」
「痛む?」
「……まあ、当然だ、な……」
彼の腰のベルトを掴んでいた私の左手は、流れ出た赤い雫で濡れている。仲間の血。それが流れて零れ落ちる光景は何度でも見てきている。崩落して行き止まりになっているトンネルで、ゆっくりと停車したレールバイクから飛び降り、彼の巨体を支えようと手を伸ばす。しかし彼はそれを振り払って自らバイクを降り、トンネルの壁に背中を預けて座り込む。
ヘッドランプを翳して傷口を見るとカーキ色の戦闘服のわき腹の部分にはぽっかりと穴が開き、そこから赤い染みが広がっている。屈強な軍人の顔が痛みに歪むものの、パヴェルはその険しい表情でも口を真一文字に結んで呻き声すらも上げることがない。
「パヴェル、少し捲るよ」
「……出血量は多くなさそうだね」
「ああ、だけど……うん……肉が抉れているけど、血管の損傷は無いみたいだ。アルチョム、治
療キットを出して。このくらいなら応急処置で動ける程度には抑えられる」
消毒用のアルコールで手を洗い流し、滅菌ガーゼに含ませた浄化水でわき腹の傷口から流れた血液をふき取る。びく、と震えた巨体に動じることなく拭きあげ、アルコールで消毒し、すぐに新しいガーゼを傷口にあてがい、傷口をしっかりと押さえつけられるように布を巻いて縛り上げる。
応急手当程度でしかないが、この過酷な環境下のメトロにおいては必要な処置だ。衛生的とは決して言えないこのモスクワメトロにおいて、トンネルで負った傷というものは脅威である。
何せ砂埃や得体の知れないキノコや、腐敗した死体が散乱しているのが常なのだ。
手当てを施されたパヴェルの額には僅かに汗が滴っているが、表情は生気で満ちている。傷そのものも重症というわけではないし、このまましばらく行動することもできるだろう。
「よかったねパヴェル。勲章が確定したよ」
「ああ。二階級特進だけは勘弁願うがな」
「立てる?」
「軽く走ってやろうか」
「“両手はあるか? 頭はあるか? 銃を取れ!”」
「“さあ行け! 怖れるな!”……だろう?」
彼はまるで私を引き倒すかのような力強さで私の手を取って立ち上がる。駅でまず新米のレンジャーが教わる教訓。私が教官のような口調で問いかけるや、彼は強い意思を籠めた声で答える。
ニッと笑みを浮かべ、パヴェルは投げ捨てるように線路に置いたAKを手に取り、痛みなんて感じていないかのようにしっかりとした足取りで近くの連絡通路へと足を向ける。
ヘッドランプが照らす先、通路の入り口にはいくつかの焦げた痕と、通路の内側に向かって吹き飛ばされている鋼鉄の扉が見える。
「ヤツら、ドアを吹き飛ばしたのか」
「まったくどこかの誰かみたいに荒っぽいんだから」
「俺達が吹き飛ばしたのはドアノブだけだ。それ以外は蹴り壊したがな」
似たようなものだと思うんだけどね。
パヴェルはドアの蝶番があったらしい場所から放射状に広がる黒い染みを指差す。
「で、それ以上に問題なのはこの爆破痕がごくごく最近のものだってことだ。それに、このトンネルの崩落状況もな。つまりはヤツらはこのトンネルが埋まる前に先に進んだはいいが、崩落してしまって行き来ができなくなった。そのためこの通路の扉をブッ壊して隣の線路を通って救出か捜索に向かったって考えるのが妥当だろう」
「つまり、この先にもまだ第四帝国の兵士が居ると?」
アルチョムがきりっと表情を引き締めて、AKを手にパヴェルに尋ねる。
「第四帝国は神出鬼没だ。まぁ、生きているかどうかは知らんが」
パヴェルはそう言って躊躇無くホコリの舞う連絡通路へと踏み入る。光るキノコが生み出すパヴェルの影を追って、アルチョムは意を決した表情で彼に続いていく。
ふと、振り返った先のトンネルを見渡す。ざあざあと地下を流れる大河のせせらぎが聞こえるだけで、他には何も聞こえないし影も形も見えない。
言い知れない不安を掻き立てるように、闇は私を取り囲んでいる。逃げ場など無い。この地下世界で生きる限り、私には闇が付きまとうだろう。
せめて、少しでもその影を振り切ろうと、アルチョムの背中を追いかけて小走りで駆け出す。
気づけばもうすぐ師走ですよ師走!
忘年会やらなんやらでまたプライベートな時間が減っていく…アァ……。
まあお酒好きなので何も問題無いんですけどね。
皆さんも年の瀬で忙しいとは思いますが、乗り越えた先に良き新年を迎えられるように願っています。