※この作品はR-18です。

Metro2033 -影を見る者-   作:きゃすたー(7mg)

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お久しぶりです。遅くなりまして申し訳ありません。

仕事やめるやめないだの配置換えだの、年度初めというものはいつもトラブルばかりで苦労します。

(0M0)<オデノカラダハボドボドダ!

仕事のできない上司が偉そうにのさばっているとめんどくさいですよね(遠い目


第二十三話 彷徨う者たち

「――――ガッ、アァ……」

 

 痛い。目がチカチカする。目の前は真っ暗闇のはずなのに。

 

「ど、どこ、だ……ここ、はっ……」

 

 どこだ。一体どこだろうか。確か、ノサリスと戦っていて、レールカーが突然横に揺れて――

 

「パ、ヴェルッ……!」

 

 そうだ、彼があの横揺れでレールカーから振り落とされて、グレネードの爆発音が聞こえて――

 

「う、うぅっ……い、かなきゃ――」

 

 生きている。僕はまだ生きている。なら、進まなきゃいけない。彼らの犠牲を無駄にするわけには、いかないんだ。

 僕にはまだ、生きて為さなければいけない使命があるんだ!

 

「ハァッ、ハァッ……まだ、動く……」

 

 悲鳴を上げる身体を動かして、覚束ない脚を叱咤して立ち上がる。涙が頬を伝っているのも分かっている。声をあげてしまいたいほどの悲しみが沸き起こっている。それでも、それでも前にいかなければならないんだ。

 

 土ぼこりと焼けたエンジンの臭いが鼻をつく。足元に地面があることはわかるものの、目の前は明かりも何も無い真っ暗闇。ヘッドランプのあったはずの位置には何も無い。

 

「ライターは――――あった!」

 

 ごそごそと野戦服のポケットを漁ると、コツンと当たる感触。

 いつもの見慣れたライター。一面の闇の中でも、触るだけでそれが認識できる。シュッ、という音を伴って散った火花から生まれた小さな希望(火)が、オイルを吸った導線に燃え移る。

 

 ぼう、と灯った炎はか弱い。だけどそれだけでも僕の心には活力が戻ってきたような感じがする。

 

 僅かに照らし出された足元には様々なものが散らばっている。ひしゃげたトロッコ、木片、空の薬莢、未使用の銃弾、彼女の――ヴェートがレールカーに置いていた背嚢(バックパック)も。

 

 そうだ、確か制御を失ったレールカーごと下り坂を駆け下りて、途切れた線路からレールカーごと吹き飛んでしまったはずだ。

 灯りを持って周囲を見回すと、横転して壊れたレールカーとその残骸が転がっていた。ぐしゃぐしゃに歪んだフレーム。車輪に動力を伝える主軸もへし折れ、焼け焦げたエンジンからは煙と悪臭が立ち昇っている。

 

「――――今は、進もう」

 

 そうだ。今は自分にできることをするんだ。前に進む、前進するんだ。例えどれだけの回り道でも、進まなければ道は開けない。希望を繋ぐことなどできやしない。

 だが背嚢を二つも持ったまま進むなど、動きを妨げるだけでしかない。自分が背負っていた背嚢を下ろし、不要な衣類と擬装用に持っていた茶葉をいくらか取り出し放置する。

 その分の空いたスペースに、彼女の荷物を詰め込んでいく。

 予備のフィルターや軍用弾(カネ)はもちろん、食料の缶詰とライター用のオイルなどを詰め込む。

 

「ん……これは……!」

 

 手に取ったのは綺麗に折りたたまれた淡いピンク色の物体。布地のきめ細かさはもちろん、装飾らしい刺繍も加わっている上下セットのそれは――

 

「……持って行こう。そうだ、きっとこれは“だいじなもの”に違いない」

 

 不意に脳裏を過る妄想を振り払う。大丈夫だ、きっと彼女は生きている。荷物がいくつか持ちきれないけれど、戦闘において重要なものじゃあない。

 だけどこれは違う。これはきっと、いや必ずと断言できるほどに、(夜の)戦いにおいて重要な装備品だ。

 そういえばあのパジャマが見当たらない。まさかとは思うが、第四帝国のヤツら……。

 

 とん、と空になった背嚢を置いた時にこつんという音が耳に入る。手探りで漁った背嚢の底から出てきたのは、ドッグタグ。本来二つあるはずの半分、片方だけのドッグタグ。

 ライターの灯火を近づけると、刻まれた文字はより鮮明にその姿を現していく。

 

 

 コムソモーリスカヤ駅レンジャー部隊

 

 イアン=ミハイロヴィッチ=ネステロフ

 

 認識番号:002674 血液型:A+

 

 ロシア正教会

 

 

「……安らかに」

 

 二つあるうちの、片方。つまりはそういうことなんだろう。彼はもうこの世の存在ではなくなってしまったのだ。

 ――これ以上はいけない。時間は有限だ、先を急がないと。

 

「本当に、彼女の言うとおりだよ」

 

 背嚢から取り出しておいた“NVG”を被り、ゴーグルを覗き込む。キュィン、という電子音の次には、緑色と黒と白で象られた世界が広がっている。

 生き残るために奪う。それはまさしくこの世界のあり方そのものだ。現に僕も彼女も、おそらくパヴェルやカーン、ハンターでさえ同じような経験があるのだろう。

 そしてその逆に、奪われるという経験もあるのだろう。

 

 進もう。今はただ、自らの使命を果たすことだ。それがきっと、彼らやヴェートたちの、僕の道程を助けてくれた人々への、せめてもの恩返しだと思って。

 

 握り締めたリボルバーの、どこかほんのりとした温かさを信じて。

 

 

第二十三話 彷徨う者たち

 

 

「――、生―、我――ザザッ――」

 

 黒い影が、彼の背中に浮かび上がる。銃を私に突き付けるアルチョムの後ろ。背の高い彼よりもさらに高い、2メートル以上はあろう黒い身体のそれはゆっくりと両手をアルチョムの頭に翳していく。

 

 アルチョムの瞳が、光を失う。ぐらりと揺らいだ身体がどさりと崩れ落ちると同時に“それ”の黒い瞳が私を見据える。

 ゆっくりと、跪いて私を覗き込む“それ”の声が強くなっていく。

 

「メッギギザザッジ――、我ら―ビビーッガギ――ゴギガガえ―る」

 

 頭に直接響く音。ぎり、ぎり、と万力で締め付けられたような痛みと雑音を伴う声が次第に大きく反響していく。

 

「――、生命、――ザザーッを――む」

 

 なんだ、一体こいつは何がしたい!? やめろ、やめろやめろっ! 頭が痛い!

 クソッタレめ! 私に干渉するなっ! わけのわからないミュータントごときが私に指図するなッ!

 

「……ぉぉおおお゛あぁぁぁア゛ァァァッ!」

 

 首元を狙って左手のナイフを突き出す。ずっ、と脳天にナイフが沈み込む感触を確かめるよりも早く時計周りに刃をぐちゃりと捻って抉り、一気に振り払う。

 

 影が霧散していくと同時にぼんやりと目の前に映ったのは、脳漿をぶちまけたノサリスの姿。抉りぬかれた脳みそは私の野戦服の上に飛び散り、汚物をぶちまけたような茶色い温かな肉片が垂れている。

 僅かな光を灯すヘッドランプの光で煌く血の飛沫が頬に落ちる。ぐったりとノサリスの身体が力を失い、私の体の上に崩れ落ちる。

 

「……あ?」

 

 一体、何だったんだ、今のあれは!?

 

「……アノマリーじゃ、ない?」

 

 違う。確かにあれは異質なものだ。アノマリーでも、人の怨念の具象と言ってもいいあの“影”達とも違う。カーン曰くアノマリーに対しての感受性の高い私だが、あれからはアノマリーとは別種の何か、もっと人の奥底を見透かすような何かを感じた。

 

「――考えてる暇はないっ!」

 

 ごろん、と息絶えたノサリスを押し退けて立ち上がる。べったりと顔にまで飛び散った血と脳漿を袖で拭う。左腕はノサリスの牙を受けて肉が少し裂け、自分の真っ赤な血で濡れているが、戦えないほどではない。

 脚は血が止まりつつあるようだが、依然として激しい戦闘は不可能だ。

 

「脚をやられ、腕は満足に動かない。けど依然としてアノマリーは継続中だし、ノサリスもまだ来る。……どうする、どうするラスヴェート?」

 

 車両の中に入って篭城する? 愚策だ。敢えて敵に囲まれにいくなんて。それに食料も弾薬も少ない。

 

 所々に爆弾を仕掛けて爆破していく? 愚行だ。爆弾の威力さえ不明のままなのにおいそれと使って巻き添えになったらどうする。

 

 トンネルの入り口だけを吹き飛ばす? 蛮行だ。爆風と衝撃をもろに受けることは必定だ。今後の行動にさえ支障をきたしかねない。――――が、トンネルを崩落させれば追っ手は分断できるし、運がよければそのまま逃げ切れる。傷の治療も急がなければならない。ただ、行き止まりだった場合は……

 

「やるしかない、か」

 

 脂汗の伝う額を拭い、息を整える。ノサリスの撒き散らした汚物の悪臭に耐え、呼吸を落ち着けて三度の出番となる業の炎を灯す。

 最早ヘッドランプはライターも同然のか弱い光しか放っていない。自分の周囲だけしか浮かび上がらせることができないヘッドランプだけで進むのは難しいだろう。

 かといってゆっくり充電していくわけにもいかない。影はまだ迫りつつあるし、ノサリスの襲撃にも気を配らなければいけないのだ。

 

「アノマリーのど真ん中で使いたくはないんだけどっ」

 

 炎を鞭のように振るい、影の壁の一角を切り崩す。その隙間を縫うように襲い掛かるノサリスに対し、先制にして必殺の一撃を以って地に沈める。

 わらわらと増えていく影たち。時折襲い掛かるノサリス。痛む足と腕に力を籠めて、ただひたすらに出口を求めて彷徨う。

 幸いにも幻視さえ伴うほどだった圧迫感は無い。せいぜい影に立体感(・・・)を感じる程度か。

 

「はぁっ! ハァッ! もうっ! ッハァッ!」

 

 ぬう、と伸びる黒い影の手。電車から、地面から、死したノサリスやレールからも、到るところから這い出るように手が伸びる。

 やはり、現れた。やせ細ったひ弱そうな腕がわらわらと、私の足を手をとり、逃すまいと伸びてくる。

 彼等(・・)が悲しみから逃れたいと必死に腕を伸ばしてくる。私の力を、炎の温もりを欲して、我先に、奪われる前に奪えとでもいうかのように。

 

「ここまできてっ……呑まれてたまるかアァァッ!」

 

 火を集める。集める。集める集める集める集める集める。

 一点に凝縮し、密度が高められた火は熱量を伴ってその光を強めていく。ざわ、と動揺したかのように空気が揺らいだ瞬間に光を振り翳す。

 

「どうだっ!」

 

 光の強さに押されて拘束が緩む。強引に振り払って駆け出すと、微かな風の流れが頬を撫でるのを感じ取る。真っ直ぐ進もうとしていた身体を踏ん張って減速し、90度に曲がって駆け出す。

 

 その先に見えたものは確かに希望そのものだ。もしくは絶望への片道切符か。。

 材木で組まれた坑道と歪んだレールが延びて進むそのトンネルはお世辞にも頑丈とは言いがたいが、風は確かにあのトンネルから吹き込んでいる。

 崩落してきただろう石や土くれを躓かないように飛び超し、レールに沿って進む。真っ直ぐに突き進む。

 湧いて出る影にナイフを振るい、ノサリスを炎で焼き殺し、足止めをする闇の手を振りほどいてひたすらにトンネルを目指す。

 

 トロッコ一両が通れるかどうかというほどに小さく、しかし人間を飲み込むには十分すぎる大きさのトンネルを炎の光で照らし出す。

 湿度が少なかったお陰か、腐食はそれほどまで進んではおらず状態がよい。だがやや砂地の混じった地盤であるため、ひとたび強力な衝撃を与えればすぐさま崩壊するだろうことは一目瞭然だ。

 

「支柱がこれとあっちのやつだから……両端を崩すようにすれば……」

 

 いける。確たる理由は無いが、確信した。賭けではあるが、決して分が悪いわけではないのだと。

 どっすん、と重々しい音を立てて置かれた爆薬。大型の成形炸薬を二つ取り出し、左右の二つの柱に細い紐で固定していく。モンローだったかマリリンだったか、そんな名前の現象の効果が作用して、たとえ鋼鉄でも吹き飛ばすシロモノだったはずだ。

 それに、解体用ではないものの一つの炸薬の重量はなかなかのものだ。木材の柱なら木っ端微塵に吹き飛ばす程度は容易いだろう。

 タイマーをセット。爆破までの猶予は……衝撃波の伝達や粉塵の飛散も考えれば二十秒はとりたい。それに崩落が広範囲に渡った場合、最悪生き埋めになってしまう。そんな末路は御免被る。

 

 二十五秒で動き始めたタイマー。そしてもう一つの爆薬のタイマーを二十秒でセットし、爆破が同時に行われるようにするためスタートを待つ。

 

 いいか、覚悟はできたか? ヴェート。

 

 チリチリと業の炎があたりを照らす中で息を殺し、指先に意識を向ける。

 ……カチ、とセットした音と秒針の動く音が聞こえた瞬間にトンネルの奥へと駆け出す。覚束ない足元でも、腕が満足に振れなくても、たとえ脚から血を流そうとも、奥へ奥へと駆けて行く。

 歪んだレールにつまづかないように。枕木に脚をとられないように。

 

「はぁっ! ふっ、ハッ、ハァッ!」

 

 酸素が足りない。脚が悲鳴を上げる。腕が軋む。目の前でさえよく見えない。だがそれでも走り抜けないと。生きてここを脱出しないと!

 わき腹が痛む。ガシャガシャとAK2013(あいぼう)が背中で揺れる感触はまるで私を叱咤するようだ。

 

「ま、だっ……まだ、終わるもんかっ……!」

 

 振り切れ――

 

       ――もっと速く

 

 走り抜け――

 

       ――生を掴め

 

 生き抜け――

 

       ――死にたくない

 

 

 ドッ――閃光を伴った爆音の直後、背中を激しく叩くようにして身体が前に押し出される。

 キーンとつんざくような耳鳴りを伴って、チカチカと明滅する視界の中を瓦礫やホコリが舞う。

 どさっと前のめりに倒れた痛みが全身を貫く。それでも傷ついた身体を起こし、痛みを堪えて再び立ち上がり、炎が照らす闇の先に希望があると信じて走り始める。逃げなければまずい。ただその思考だけが脳裏を過っていく。

 今ここで走り出すことができなければ、待っているのは死だ。メトロの土の一部となって、私はこの世界での生を終えることだろう。

 不要な悩みに煩わされることもなくなり、絶望感に苛まれることもなくなり、痛みも感じなくなる。そして多くの仲間(かげ)たちと交じり合い、共に救いの無い世界に融けるのだ。

 

 明日に怯えることもなく、今日に悩む必要も無い――だが永遠に続く悲しみの世界に囚われてしまう。

 

 みし、めきめきっ、とくたびれた支柱が悲鳴を上げ始める。ドドドドドと轟音を響かせながら、トンネルの崩落は今まさにすぐ後ろまできている。私を飲み込まんと、その口を閉じようとしているのだ。

 迫る。迫る。迫り来る。ノサリスではない。ラーカーでもない。影も形も無いはずの、しかしそこにまさしく存在しているモノたちが。

 彼等はやはり、私を求めている。彼らを苛む人類の業の苦しみを和らげる力、私の異能を求めて追いかけてきている。

 

「――っ」

 

 トンネルの先、私の炎の明かりさえ届かないはずの場所に何かが佇んでいる。真っ暗闇のはずのトンネルにありながら、さながら太陽に照らされたような明るさで浮かび上がったのは、人の姿。

 

 カーキの戦闘服。右手に持ったリボルバー。彫りの深い、いかめしい顔の男。

 頭髪は綺麗に剃りあげられ、肩から提げられたベルトで後ろ腰に回されたカラシニコフが静かな威圧感を放っている。

 

 

「ハンター」

 

 いつだったか……そう、いつかのあの日の光景が重なって見える。一人トンネルを彷徨っていた私と彼が初めて出会った日のことを。

 すっ、と彼の右手が突き出される。私を攫おうとした悪漢を撃ち抜いたあの時のように、彼の手に握られたリボルバーがこちらに銃口を向けている。

 

 背中越しに聞こえる崩落の音さえ忘れ、心の奥底から歓喜が湧き上がる。死がすぐ後ろにまで迫っている絶望的な状況でたった一人戦い続け、ようやく見つけた突破口でこうして彼に再び出会えるなんて!

 

「ハンター! トンネルが崩れてくる! 早く逃げ――」

 

 どっ、と衝撃が背中に響く。圧し掛かる重み、全身に走る激痛の電気信号。

 ごとん、と土くれの塊が足元へと転がり落ちる。

 

「――あっ、か、ぁ……」

 

 身体から力が抜ける。“立ち上がれ”と脳から出し続ける命令にも反応しない。辛うじて転倒を避けるものの、脚は動かない。動かせない。

 痛みと衝撃が駆け抜けた腹部。踏み出そうとした右足から膝を突いて崩れ落ちる。

 

「ハ、ハンター……?」

 

 真っ直ぐ突き出された硝煙の立つリボルバー。霞む視界の先、ハンターは僅かに口を開いたようにも思える。そして二発目の銃声が響くと共に、私を飲み込もうとする黒い手は大地に染み込むように消えうせていった。

 

 “敵なら、殺せ”

 

 霧に飲まれていくような意識の片隅で、彼はそう呟いたような、そんな気がする。

 

 

 

 

「お前は今日から――――ではない。七番(スェーミ)、そう七番(スェーミ)だ」

 

 七番、それがキタイ・ゴーロド駅に売られた私の名だ。яблоко(リンゴ)を数えるかのように、свинья(ブタ)を管理するように、機械的な名づけられ方。

 ふとっちょな中年男に連れられ、駅の施設を利用した、看板も提げられていない一室へと連れ込まれた。

 彼の部下らしい数人の男に服を剥かれると、まだ発育も十分でない私の肢体が顕になる。舐め回すように見る男、下衆な笑みを浮かべる男。周囲を取り囲む男を無意識に睨みつけた。

 

「どうやら躾が必要なようだが……まあいい。今日は検査だけだ、いきなり激しくはしない。抵抗するならしなさい。そのときは……わかるだろう?」

 

 カチリ、とカラシニコフの安全装置を外した男たちが前に出る。八人の少女たちの心を襲うのは、たった一つ……死の恐怖だ。

 死を理解している年頃の少女たち。しかし未だ大人と呼ぶには未熟すぎる少女たち。抵抗する力など持たない彼女たちでは、抵抗したところで無意味だ。

 

 間近に感じた死の恐怖に背中を押され、少女たちの“検査”は滞りなく進んでいく。一際愚図る者には銃弾を撃ち込んで黙らせ、その次に泣き喚く者の喉元には刃物がちらつかされる。

 そして、無言の抵抗を繰り返す私には――――

 

「……ァッ……ゥ…ヵ……」

「よし、さっさと済ませろ」

 

 理性を溶かし、ヒトをケモノに変えるアレが打ちこまれた。

 

 気づけば検査が終わっていて、私以外に三人で一つの部屋――といっても車両を改造した寝床があるだけだが――に押し込まれ、外からは鍵が掛けられていた。家畜が逃げ出せないように、しっかりとチェーンと南京錠で車両のドアが閉じられて。

 

「……だ、だいじょうぶ?」

 

 おずおずと、おっかなびっくりという様子で私に問いかけたのがリーリヤという少女だった。

 ゆっくりと上体を起こしてあたりを見回した私の前に立ち、そっと私の手を握ろうとした彼女は、まるでひったくるかのような強引さで彼女の姉に引き止められた。

 言葉を交わすことさえなく、リーリヤを抱き締めた姉のイリーナはこちらを一瞥してリーリヤと共に寝床に横になって毛布を被った。

 そこへ不意に、隣から声が掛けられた。

 

「心配しないで。私相手にも、こんな感じだったよ」

「……お前は?」

「そんなに喧嘩腰にならないで。私は今は……三番。いつまで続くかはわからないけど、よろしくね」

「私は――――……それで、本名は教えてくれないの?」

「…………私はもう、死んだも同然だから、別に三番でいいの。私はね、リャザンスキー・プロスペクト……七号線――タガンスカヤ線――の駅に住んでたの。もう、何年も前の話……あそこは貧しい駅だったんだけど、それでも私の故郷の駅。けど、お母さんも流行り病で死んで……」

 

 俯き、震える声で少女は――エレオノーラは自らの事を語り始めた。母を亡くし、養父に引き取られたこと。そしてあの男に預けられた――売り飛ばされたことも理解していた。

 

「なんだか、似てるね」

「似てる……?」

「あたしはカホフスカヤに居たんだ」

「そ、それは……っ」

 

 エレオノーラは案の定、言葉に詰まった。あの駅の惨劇、そしてその破滅から始まった悲劇。知る者にとってはモスクワメトロの存続さえ危ぶまれた、忌避すべき事件。

 

「……あの戦争のあと、あたしは人買いに売り飛ばされて最初はヴェニスの酒場に居たんだ。そこでとにかく反抗してやったら、あのゲスがやってきてあたしを買い取った。……こんなところで慰み者になるくらいなら、いっそ……そんなことも考えた。でも死ぬよりも前に、やりたいことがあるから、私は死にたくない」

「やりたいこと……」

「そう、あたしは――地上に出る」

 

 一体何を、気が狂ったのか、そんな眼をあの日の三番――エレオノーラは私に向けた。

 だけどこればっかりは、譲れるものではなかったのだ。あの日の七番にとって、そしてその意思を継いでいる今のラスヴェートにとっても。

 

「ねえ」

「……なに?」

「いっしょに、寝よう」

 

 彼女は寂しがっている。理屈はわからないけれど、確信めいた何かが私の中にあった。それと同時に私も彼女の存在をどこかで求めているんだと気づいたとき、強張っていた肩の力が抜けていくようだった。

 どちらともなく指先が触れ、指を絡め、お互いの温もりを感じながら眠りに落ちていった。

 

 凍土のモスクワの寒さなど気にもならないほどに、心地よい温かさと優しさを感じながら。

 

 

 

 ぼんやりと、絵の具が滲むように景色が曖昧になっていく。懐かしい夢だ。今の私でもそう感じるのだから、以前の私なら……そう今の私が形作られる前の私にはかけがえのない思い出なのだろう。

 モスクワメトロに蔓延る人間の悪性。それを目の当たりにし、身を以って味わって、人格さえも歪められた。壊れていたって記憶はしっかりと引き継いできた。

 世界(メトロ)を知らない純粋だった子供のころの私から、絶望に打ちひしがれまいと必死にもがいた少女のころの私から、そして今モスクワメトロのために二本足で地上に立つ人類である私までずっと受け継がれている。

 

 見開いた眼の先にあるものは暗闇ばかり。土の臭いが立ち込める、暗黒の世界。ひんやりとした空気が頬を撫でて過ぎるだけで、感覚器官は何も捉えることはない。

 

「…………ん……くっ…」

 

 夢を見ていた。しかし何故今になって?

 

 戦闘中に夢を見るような間抜けではないはずだ。

 

 ノサリスは居ないのか? ラーカーの気配も? 逃げ延びたのか?

 

 崩落に巻き込まれたわけではない。こうして生きていることを実感できるのだから。

 

 そういえば、彼は――

 

「ハンターッ!」

 

 気だるさが掻き消える。くたびれた身体のはずなのに、跳ね上がるように飛び起きて“炎”を灯し周囲を照らす。

 あるのは背後の崩れたトンネルと、目の前に続いているトンネルだけだ。レールと枕木は多少の歪みはあるものの真っ直ぐに奥へと伸びている。周囲に人影など微塵もない。

 

 そういえば私は彼に……撃たれたのではなかったかと、ふと気づく。

 

「……無い?」

 

 撃たれた痕跡など何一つ無い、土とノサリスの血で濡れた戦闘服があるだけだ。穴が開いているわけでもなく、私はいたって健康体――とはいえ右足と左腕は負傷しているが――無事そのものだ。

 

「アノマリーによる幻覚……なのかな?」

 

 確かにあの時はアノマリーは私の背中にまで迫っていた。彼らの苦痛と悲しみを払う炎の温もりを求め、死者たちは私を捉えつつあったのだから。

 だとしたら目の前に現れた彼は、ハンターの幻影はなんだったのか。彼もアノマリー……超常の理にある存在だったなら、何故彼らと同時に現れなかったのか。

 

『いいかヴェート、アノマリーは大きく分けて二種類ある。生ける者を飲み食らうアノマリーと、ただそこに“在るだけ”の無害なアノマリーだ』

 

「……あれが、無害なアノマリー……? カーンから話には聞いていたけど、もっと穏やかなものだったような……」

 

 カーンの体験したものを聞かされただけだったが、アノマリーには無害なものも存在しているということだった。

 彼はある商隊(キャラバン)の護衛を引き受けた際に、アノマリーに出くわしたという。目を閉じるとそこには崩壊前、戦前の平穏な時代のモスクワの街並みがあって、屋台やレストランが客で賑わう通りから青々と葉の茂った公園の木々が立ち並ぶ光景を見たという。

 とても穏やかで、懐かしいものだったと彼が感慨深げに語っていたのを覚えている。

 

「どれくらい寝てたのかわからないけど、急がないと」

 

 幸いにもトンネルはまだ先がある。脱出口を見つけられれば、それでなくとも近くの線路に通じる横穴にでも出られれば、まだ希望はある。

 壁を背に腰を下ろし携帯発電機(ダイナモ)のグリップをカッチン、カッチンと握り続ける。

 メーターがゼロの状態から満タンにまで回復させるのはなかなかに骨が折れるが、これがなければ始まらないのだ。イヤだろうが疲れようが、為すべきことは為さなければいけないものだ。

 銃の状態はひどい。相棒のデザートイーグルは弾切れで、カラシニコフ2013も汎用5.45mm弾の残りは少ない。おまけに軍用弾のほうは背嚢の中、つまり無一文だ。泣きっ面に蜂といわんばかりにヘルシング――空気圧式クロスボウ――もレーザーサイトが壊れ、バルブの部分からは僅かだが空気の漏れる音が聞こえる。使えないわけではないが、こまめに充填しなければ最大威力は発揮できないだろう。

 

「……っ……」

 

 ふら、と立ちくらみが襲う。同時に、くぅ、と戦士らしくもない音を立て空腹感が全身を覆っていく。

 ちらりと覗き込んだ腕時計は壊れ、既に時を刻んでないいなかった。

 

「結局、何日食べてないんだろう……」

 

 最期の食事がキタイ・ゴーロド駅だ。捕まって一日、さらにアルチョムがやってきて一日。そこから脱出して、今は何時間くらいだろうか。栄養剤と媚薬の混合物を打たれはしたものの、少なくとも二日は何も食べていない。

 

「…………おなか、へったなぁ……」

 

 せめてここにシュリンプの一匹でもいれば、とは思うもののあれはミュータントだ。食用にもなるとはいえ、せめて汚染の酷くない場所で生育したものがいい。

 それ以外となるとノサリス、そしてラーカーだがあれは食えたものではない。ノサリスは劣悪な環境化でも生きられる分、汚染物質や放射性物質を体内に有していることが多い。

 ラーカーは嫌いだ。骨ばかりで肉は少ない。なにより、ノサリスだろうが人間だろうが構わず食べるヤツなのだ。私の産んだあの子も、こいつらの胃の中に消えたのだ。食える程度になど留めるものか。骨さえ残さず焼き尽くしてやる!

 

「アルチョムもパヴェルも、無事ならいいんだけど」

 

 二人はどこへ行ったのだろうか。地獄の底で朽ち果てるだけの存在になってしまったのか、それとも地の底から這い上がった生者として存在しているのだろうか。

 それを知る術は、今や離れ離れになった私にはない。ただ、たった一つ……そうたった一つの答えがあるだけだ。

 

「ポリス駅」

 

 彼が……アルチョムが目指す場所へ向かうこと。

 

 私も、アルチョムも、そしてパヴェルも目指す場所へ。

 

 人類最期の砦。失われた叡智を蒐集する都市国家。人類の地上進出を模索するあの街へ。




お察しの通り不定期な更新が続きますが、ご容赦ください。
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