※この作品はR-18です。

Metro2033 -影を見る者-   作:きゃすたー(7mg)

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田植え終了のお知らせ。

只<呼んだか

違う、そうじゃない。


ハンターのような戦士を目指すヴェートちゃん。
ハンターのように、でもちょっと違うヴェートちゃん。

彼女の目指す目標と自分の足跡の、そのほんの少しのギャップを描いていけるといいなぁ(希望的観測


第二十六話 追想――Артём

 ガゴン、という重々しい音と共に鋼鉄の門が閉ざされる。

 銃を構えて周囲を警戒していた警備兵の先導で駅の中へと足を踏み入れる。景気のいい挨拶を交わす十番と警備隊長の男が連れ立って歩く後ろに、アルチョムと共について歩いていくと、検問で十番と僅かなやりとりがあっただけですんなりと通り抜けることができた。

 

「お前たちは病院に行って来い。寝るにしても飯を食うにしても、まずはとにかく傷を治療しなきゃあな。ようアルカージー、ちょっといいか」

 

 そういって十番は近くで立っていたレンジャーの一人を捕まえ、案内人に仕立て上げる。

 促されるままに連れてこられた病院でノサリスや第四帝国の兵士に囚われた際に負った傷を治療すると、先に治療を終えたアルチョムとアルカージーが二人して煙草を片手に談笑していた。

 

「しかし十番のやつが助けたのが、十番の弟子の戦友だったとはなあ。つくづく奇妙な縁ってのもあるもんだ。俺はアルカージーだ。改めてよろしく頼むよお二人さん」

「アルチョムです。よろしく」

「改めて、ラスヴェートです。こちらこそよろしく」

 

 アルチョムより少し年上くらいかという青年は無精髭を生やし、ニット帽を被った“いかにも民兵”という風体だ。くたびれたジーンズに薄汚れた革のジャケットを着て、腰には大振りなナイフとマガジンポーチをベルトから提げている。

 

「なんて言うんだろうね、ぐるぐる巻きだね」

「でしょうアルチョム? モスクワの大地で雪だるまになるよりよっぽどマシだけど、この有様はひどいよ。脱がされるついでに戦闘服まで除染のために出さなきゃいけなくなるし」

 

 治療されたのはいいものの、全身の到る所に傷を負った状態で今まで歩き通してきたことを咎められてしばらくは安静にしているように医者から言いつけられている。

 全身の傷を余さず処置された結果、頬はまっさらの絆創膏を張られ、手足は包帯でぐるぐる巻き。身動きがしにくいというわけではないが、窮屈さは人一倍だ。

 その上衣服も余りものの男物のズボンにシャツなものだからぶかぶかだ。ロシア人の成人男性の平均身長と、アジア系の二十代女性の平均身長では体格差が大きくてどうしてもこうなってしまう。

 

 アルチョムも先に戦闘服を除染を兼ねた洗濯のために着替えていて、今は厚手のシャツと所々がほつれたズボンの格好だ。荷物は十番がレンジャーの待機室に運んでくれているお陰で手荷物は必要なだけの軍用弾(カネ)とリボルバーしか手元に残っていない。

 私はというと一切合財を放り込んであった背嚢(バックパック)を置いてきたままだったのだから、そもそも資金がない。手持ちはデザートイーグル一丁くらいなものだ。

 

「ま、何にせよまずは腹ごしらえといこう。二人ともろくに食事も取れてないんだろう?」

 

 アルカージーのお誘いで食事のために駅のホームへと移動すると、そこには環状線ドブルィニンスカヤ駅の人々が生活するスペースがある。

 豚を解体する老女や、遊びまわる子ども達。ウォッカを片手に銃の手入れを行う非番のレンジャー。ゆったりと静かなテンポでギターをかき鳴らす男と、それに聞き入る酒場の客たち。しきりに値段の交渉を行う商店など、一つの大きなスペースに全てが詰め込まれている空間はメトロによくある光景だ。

 薄暗い駅の構内。照明はロウソクの明かりやわずかな電球程度。壁は汚れ、床はボロボロになり、かつてメトロを駆け回った電車が寝床や資材に成り果てた住処。人類の最期の砦たるメトロの駅は既に耐用年数をとうに超えている。

 核シェルターとして稼動することは確かだ。実際にこうして我々は生き延びている。

 だがこれが地上から放射能の脅威が取り除かれ、空気が浄化され、ミュータントに怯えることもなくなった時――地上への回帰の時まで続けられるだろうか? 答えは、否だ。整備する人員は無く、ミュータントが地下鉄内を闊歩し、人類の資源と支配領域は既にごく僅かなものでしかないのだ。

 それでも生きていくしか私たちに道はない。未来を切り開けるのだと信じて、絶望に染まりきったメトロを進んでいくだけなのだから。

 

 それに耐えられなくなった者がへたり込んでいる横をすり抜け、壁際に設けられた酒場の丸いテーブルの一つに陣取る。

 しばらく煙草を吸ってぼうっとしていると、カウンターでマスターと話し込んでいたアルカージーがウォッカを片手に戻ってくる。

 

「さあ、まずは無事の帰還を祝って一杯しようじゃないか」

「……アルチョム、どうかした?」

 

 アルチョムはウォッカを注がれたグラスを前に静かに口を閉じて佇んでいる。どこか翳りを帯びた表情と、沈痛な面持ちで黙り込んだアルチョムの顔をアルカージーが覗き込む。

 

「どうかしたのかアルチョム?」

「え……ああ、少しばかり、いろいろありすぎた一日で……まだ少し心の中を整理しきれていないみたいだ」

「そうか……なら呑め。辛いことがあったのかもしれないけどな、今は酒を飲んで、そんでもって全部吐き出しちまえ。

 自分だけで抱え込んで心のモヤが晴れるわけでもなし、誰かに聞いてもらうだけでも少しばかり気持ちが楽になるってものさ。それにお前にはラスヴェートみたいに仲間が居るんだろう? 辛いことなら吐き出しちまえ。何も一人で背負(しょ)い込んで心をすり減らす必要なんてありやしないんだからな」

 

 躊躇いを振り切るように、アルチョムは目の前に佇むショットグラスを手に取る。

 ゆっくりと掲げられたグラスの輪に自らも加わると、アルカージーは満面の笑みを浮かべて告げる。

 

「お前さんたちの健康を祈って」

 

 それは奇しくも、どこかで聞いた覚えのある乾杯の音頭だった。

 

 

第二十六話 追想――Артём

 

 

 黒い影が迫る。それはアノマリーのような実体の無い存在ではなく、黒光りする肌と黒い瞳の長身の何か。それらはリジスカヤ線の博覧会駅(ВДНХ)の先にある植物園駅(Ботанический Сад)からやってくる、正体不明のミュータント。

 ある者は“ダークワン”と、ある者は“黒き者(チョルヌイ)”とも呼んだ彼らは幾度となく僕達の住まう駅、博覧会駅にやってくる。

 

 あの日もそう、彼らが姿を現したのだ。

 

「おい、起きるんだアルチョム」

「う、んぅ……」

「ようやく起きたか。もうすぐハンターが来るぞ」

 

 目立つようになった白髪。厚手のシャツを着込んだ上に旧ソビエト連邦軍の士官用トレンチコートを羽織った養父の姿がすぐそばにある。

 

「ああ、おじさん。すぐ行くよ」

 

 起き上がって見回した自分の部屋。色あせたメトロの地図や、古い時代の写真が飾られた壁。棚と木製の簡素な机にはいくつもの本が積まれ、寝床代わりのソファと隣にはギターが置かれている。

 急いでランプを吹き消して、無造作に椅子にひっかけてあったコートを羽織ると、いつも持ち歩く煙草とライターをポケットに収めて部屋の外へと出る。

 

 今日も聞こえるものは人々の嗚咽と、その合間に聞こえるいびきや寝息だ。僅かなランプの明かりは明るくないものの、通路を温かに照らし出している。

 

「クソ、豚、病気……だからなんだ! 俺はまだ諦めてないぜ」

「じゃあチョルヌイたちはどうする? ヤツらを一匹残らず殺せるか?」

「……チッ」

「なんとかしなきゃいけないのは俺だってわかってる。だがヤツらに対して俺達がとれる手は少ない……どうしたってハンザのような大国じゃなきゃ、駅の外に出てミュータントを殲滅するなんてできないんだ」

「ああ、でも俺達がこのまま何もしないままじゃ……またヤツらにやられちまうだけだ」

 

 道端で話し込む二人の兵士の会話をよそに、養父の後を追う。

 無精髭の生えた顔に黒縁の眼鏡、ニット帽と白衣を着た中年の男が僕達を見て声をかけてくる。見慣れたその姿は医師ペトロヴィッチの助手であるニコライだ。

 

「どうも、アレクセイ。おはようアルチョム、よく眠れたかい」

「ええ。おかげさまで……あの睡眠薬のお陰でゆっくり眠れました」

「ならよかった。君だけでも無事でよかった。後遺症らしいものも無いようだ……辛いことだったかもしれないが、あまり引き摺ってはいけない」

「はい……ありがとうございます」

 

 ニコライは安心したように笑みを浮かべると、僕の肩を優しく叩く。

 

「それでニコライ、いったいどうしたんだ?」

「…………ウゴロヴィッチが息を引き取った」

「……そう、か……彼が……逝ってしまったか、我が友よ……」

「アレクセイ、このままヤツらの攻勢が止まなければ駅はそう長くは持たない。一刻も早く

 

手を打たなければ……」

「ああ……だがこれ以上何ができる……。地上を探索する我が駅のストーカーたちもチョルヌイによって全滅した。メトロ内を通して物資を持ち帰る遠征部隊も次の出発は明後日になる。アレクセーエフスカヤ駅も人員が少なく、増援を見込める状況じゃない」

 

 養父、アレクセイはがっくりと肩を落としてニコライに背を向けて階段を上っていく。

 長く歴戦の親友であったウゴロヴィッチおじさんの死。それが養父の心に影を落としている。

 

「……もう俺達はチョルヌイたちに皆殺しにされるだけだっていうのか、クソッ……」

 

 悔しさを顕にしたニコライはコンクリートの壁に八つ当たりをし、自らに返ってきたその痛みをかみ締めるように目を閉じた。

 ……戦況を打開する手段。それをハンターが持っていることを願おう。

 

「よう、アルチョム」

 

 階段を上った先の広間では、ざわざわと多くの人が病院の前に詰め掛けて門番の兵士たちに声を投げかけていた。

 それを眺めている僕に、声がかかる。

 

「レオニドヴィッチ、あれは一体?」

「その……昨晩、別のパトロールが襲撃を受けたんだ。駅から800メートル地点の監視所が破壊されて……」

「監視所まで……!?」

 

 メトロのトンネルに配された監視所。ある一定の距離で置かれたその監視所のうち、800メートル地点の場所が破壊されたというのだ。

 あとの監視所は二つ。100メートル地点と400メートル地点。最期の砦たるエアロックに設けられた防御陣地の三つしかない。

 

 あの兵士達やニコライの言葉は正鵠を射ている。このままでは我々博覧会駅はジリ貧のまま彼らに殺されてしまうだけだ。だが養父の言葉もまた正しい。

 今の博覧会駅はこれ以上の戦力を投入することはできず、かといってハンザが重い腰を上げることは無い。“守銭奴”とまで揶揄されるハンザが、疲弊して何の見返りも期待できない駅を救うことはしないのだろう。

 駅の名産品は豚と茶だ。財は多少なりあるほうだが、人員はそう容易く確保できるものではない。

 

「……一体どうなってしまうんだ、俺達は……?」

 

 出会う人間は皆一様にチョルヌイ(ダークワン)のもたらす恐怖に怯えている。そして打つ手無しの状況が不安を煽り、心は絶望に覆われている。

 かける言葉が見つからない。安易な励ましは毒でしかない。ただ静かにその場を立ち去るだけだ。

 

「アルチョム、あなた! セルゲイ、息子のセルゲイを見なかった!?」

「えっ、い、いえ……僕は、見てないです」

「ヤナさん、落ち着いて。今はここを通すことができないんだ」

 

 僕を呼び止めた老婆、ヤナの息子セルゲイ。彼の末路を僕は知っている。だが伝えることなどできやしなかった。あんな末路を彼女に伝えてしまうことは、彼女にとって死よりも酷く苦しい痛みになるだろうから。

 ダークワンたちがどのようにして僕達を殺すのか。それは生き残った数人の証言者から明らかになったことだが……到底彼女が信じられるものではない。

 

「いくぞ、アルチョム。おい、ペトロヴィッチはいるか?」

「ああアレクセイ、あんたか。アルチョムも」

 

 覗き窓から顔を見せた兵士が内側のロックを外し、ドアを開けて僕達に促す。

 広間の喧騒から隔絶され、声が薄らと届くだけの室内に入ればまた別の喧騒が耳を揺さぶる。

 

「う、うぅ……あっ、ああぁっ……あああぁぁっ!」

「ヤメロ……くるな、やめろやめろっ! こっちに来るな!」

「ああぁ……届かないよ……やめろ……近づくんじゃねぇっ!」

「違う、違うんだ! 俺はあいつらを殺してない! 俺は、俺は……! ミュータントを撃っただけなんだ! ノサリスを殺しただけなんだ!」

 

「……ひどい」

「……みんな家族に会いたいんだ。だけど、こんな彼らの姿を見せるのは忍びない。アルチョム、お前がどうにか彼らの仲間入りをせずに済んだことを嬉しく思うよ」

 

 病院として使われている古い部屋にはダクトが走っているだけの部屋で、ボロ布が吊り下げられただけの簡素な間仕切りとボロのベッドの上で患者たちが意味不明の呻き声と叫びをあげている。

 そのベッドでさえも足りず、高さが同じような棚を組み合わせてその上にマットを敷いて即席のベッドが作られている。それでも足りないため床に敷かれたマットの上では別の患者が頭を振り乱して奇声を上げてのた打ち回っている。

 床は赤黒い血で濡れ、点々と零れ落ちた血が洗面所へと続いていて、小さな洗面器いっぱいに溜まった血が溢れて垂れ流しになっている。

 

 死の気配と、血の臭いに溢れた凄惨な病院内の様子に、思わず息を呑む。

 

「ペトロヴィッチ、負傷者はどうだ?」

「よくない。今朝は、二人死んだ」

 

 ペトロヴィッチ、この駅の医者である彼は簡素な机に散らばったカルテを眺めながら血塗れの白衣を気にもせずペンを玩んでいた。

 

「ダークワンたちは、すぐには殺さないし、自らの手で殺すことはしない。連中は犠牲者の心を壊す。錯乱させ、幻覚を見せ、同士討ちさせて我々を殺す。生き残った者も精神を病み、遅かれ早かれ死に到る。どうにか無事だったのは影響をあまり受けなかったレンジャー部隊の司令官とアルチョム、あとはほんの二人だけだ。犠牲者はその十倍にもなるというのに……」

「わかっているなら助手をもう一人つけてくれんか。このままでは我々のほうが過労で殺されかねんよ」

「すまないな。ハンターの伝手でリジスカヤ(リガ)駅から医者が一人こっちに来ること

 

になっている。明後日のキャラバンで迎えにいく予定だ、もう少し耐えてくれ」

 

 疲れた様子でペトロヴィッチが手を振ると、養父は傍目に患者達を流し見て奥の通路へと向かう。

 ドアを抜けた先には換気口の通る一室。コンクリートがはがれ、ボロボロになった部屋の奥には鋼鉄のエアロックが静かに佇み、その両脇に二人の兵士が立っている。ピリピリとした雰囲気の流れる間に静かに割って入る養父。それに気づいた兵士たちが居住まいを正す。

 二人を率いているらしい男と養父が手を挙げて挨拶をする。

 

「キリル、ハンターは来たか?」

「いえ、まだです。もう間も無くのはずですが――」

「なんだ! 一体誰だ!」

 

 ドン、ドンと力強いノックがエアロック越しに響く。ミュータント、特にチョルヌイの存在に対して過敏になっている彼等はすぐさまカラシニコフを構える。 

 

「ミュータントがノックなんてするものか! ゲートを開けろ!」

 

 キリルはそう言いながらもカラシニコフの安全装置を解除し、すぐにでも発砲できる状態で身構える。相手がハンターであると思ってはいても、予期せぬ“お客様”が同伴かもしれないからだ。

 

「ハンター!」

 

 ガコン、と重々しい音を響かせて開かれたエアロックの向こう側には一人の兵士が佇んでいた。メットとマスクが一体となったガスマスクを被り、全身に銃弾を保持するためのマガジンポーチを携え、ショットガンのゲージを収めたベルトを巻いた戦士だ。

 

「博覧会駅(エキジビジョン)へようこそ」

 

 彼は養父と手を挙げて挨拶を交わすと、一歩踏み入れて足元の荷物を手で引いて駅の中へ投げ入れる。

 ずず、と重みを感じるそのケースを兵士に預けると、マスクを外して養父と堅い握手を交わす。

 

「ありがとう、すぐに閉めてくれ」

「会えて嬉しいよ、ハンター」

「久しぶりだなアレクセイ。ようアルチョム、元気にしていたか?」

「ええ、お久しぶりです」

 

 暗い顔をしていた養父は彼に会うなり、笑みを浮かべて迎え入れた。それはキリルたちも同様で、僕も久しぶりに見る彼の壮健な姿に安堵する。

 

「ハンターも地上を歩き通して疲れただろう。少し休むとしよう。外はどんな様子だ?」

「ああ、“アンデッド”とやらがこのあたりに出没していると聞いて気を張り続けていたが、それらしい影は見えなかった。それに大した情報も無い。仲間からもそれらしい情報が回ってくることもなかった」

「そうか……どうしたものかな。チョルヌイ……ヤツらはただのミュータントじゃない。もっと別の……とてつもなく恐ろしいものだ」

「黒き者(チョルヌイ)か……第四帝国のヤツらの言葉を使うのは気に食わん」

「確かにな。ヤツらにとって黒き者(チョルヌイ)と言えば有色人種だ。あんな至上主義者どもの言葉を使っては、我々まで第四帝国(ネオナチ)扱いされかねん」

 

 アレクセイおじさんが差し出した煙草を受け取り、ハンターは手持ちのライターで火をつける。そのままおじさんも火をもらい、二人は大きく紫煙を吐き出して焚き火の傍に腰を下ろして思案にふけるように顔をしかめる。

 

 不意に、ハンターは何かを思い出したようにポケットを探ると一枚の紙切れを差し出した。

 

「そういえばニューヨークの古い絵葉書を売っている奴に会った。お前の部屋を思い出したんだ。それで一枚買っておいたんだ」

 

 差し出されたそれは、自由の女神が写された一枚の絵葉書。色あせつつあり、そして紙の所々が破れそうになっている年代物の絵葉書だが、その存在感は在りし日の世界の姿を克明に残している。

 自由……かつての人類が当たり前のように持っていたもの。今はもはや存在していないもの。このメトロにあるものは明日の生活さえ知れぬ恐怖と、先行きの見えない未来に対する絶望感だ。

 僕にとってはその色あせた一枚が、どうしようもなく皮肉なものとして映って見える。

 

 ゴトン、ガタン、ゴトン。何かが転がるような音。何か重い物がぶつかるような――

 

「何事だ!?」

「メイン通気口に侵入警報! 上部より侵入者あり! 繰り返す! メイン通気口上部より侵入者あり!」

「クソッ! よりにもよってこの真上かよ! 壁一枚向こうは病院だっていうのに!」

 

 スピーカーから流れた声に、すっ、と立ち上がった彼(ハンター)は既に腰に回していたはずの銃を構えて臨戦態勢に入っていた。ぎらりと鋭さを増した眼差し。全身の筋肉が一分一秒でも早く敵を射止めるべく身構えている。

 カン、カン、カンと聞こえる鐘の音。それよりも早く立ち上がった彼の行動はまさしく、

 

予知にも似た何かなのだ。そしてそれに続いてアレクセイおじさんの声が力強く響く。

 

「キリル! 二人を連れてトンネルに向かえ! ハンター、俺達は――」

「エアロックを死守。そうだな?」

「ああ! アルチョム、銃はあるか!?」

 

 即座に戦闘態勢へと移った二人に一寸遅れて懐に手を伸ばすものの、いつもなら持っているはずのリボルバーはそこには無かった。手にあるものは一振りの改造ナイフのみで、ポケットにはリボルバー用の44口径弾だけだ。

 そうだ、確かメンテナンスのために工房に預けたままだ――

 

「使え、アルチョム」

 

 すっ、と差し出されたのは一丁のリボルバー。ハンターが腰から引き抜いたそれは見るからに年代物だが握っても嫌な音一つなく、どうしてかはわからないが安心感すら感じる。

 グリップの底に刻印された“ハンター”という文字。そしてトリガーガードの部分にこっそりと刻まれた“рассвет(ラスヴェート)”という文字。

 夜明けを意味する言葉が刻まれた銃に命を吹き込む。六発の命(タマ)が吹き込まれたことで、銃は六つの命を消し飛ばす怪物へと変貌する。

 

「いいか、俺にはモットーがある。“ダークワン”が何者だろうが俺には関係ない。アルチョム、“敵なら、殺せ”だ」

「“敵なら、殺せ”……」

「アルチョム。室内や閉鎖空間では十字砲火や兆弾に注意しろ。無闇に撃ちまくれば味方が

 

危うい。すばやくしっかり狙いを定めて撃て」

「Да」

「お喋りはそこまでだ……来るぞ……」

 

 天井の真ん中の通気口から茶色いホコリが舞い落ちる。アレクセイおじさんは壁際に寄ってカラシニコフを構え、ハンターは見たことがないがアサルトライフルらしい銃を手に構えている。

 

 開戦の幕は唐突に切って落とされる。

 

「ウウウォォォッ!」

「ハンター!」

「来い、クソッタレめ!」

 

 バコンッ! 中央の通気口の柵がへし折れたと同時に落ちてきたピンク色の肌をしたヒトに近い形の、しかしまったく違う異形の影がハンターに飛び掛る。

 しかしその牙はハンターには届かない。突き立てられた牙は彼の肩に配された装甲板のような肩当てに阻まれ、逆にハンターの繰り出した体当たりでノサリスが吹き飛ばされる。

 

「ぬんっ!」

「ギシッ……グ……グギ……」

 

 すかさず、養父がナイフをノサリスの首に叩き込み絶命させる。

 深々と刺さった肉厚の刃はおそらく脊椎を貫通したのだろう。ノサリスの死体に足をかけて根元まで刺さったナイフを引き抜けば、赤い鮮血がどろりと糸を引いて刀身から垂れ落ちる。

 力なく崩れ落ちたノサリス。しかし束の間の休みさえも無く、ダクトからは更なる足音が響いてくる。

 

「四方から来るぞ! ヤツら、血のにおいを嗅ぎつけたらしい」

「アルチョム、横の通気口から来るノサリスを狙うんだ! ハンターは中央とエアロック側の通気口を頼む!」

 

 ガツン、ガツンと通気口の柵を叩くノサリスたちに狙いを定め引き金を引く。ノサリスの頭蓋が弾けて赤い花が咲く。

 

「降りてきたぞ!」

「俺がやる!」

 

 ハンターがすぐさま銃を構えて、中央ダクトから降りてきた二体のノサリスを蜂の巣に変える。

 

「不味い、突破されるぞ!」

 

 養父の慌てた声に振り向けば、そこには既に柵を打ち破って降り立った異形の姿があった。今にも飛び掛らんと身を縮め、その爪が向く先には養父の姿がある。

 いけない、いけない! このままではアレクセイおじさんが――そう考えた次の瞬間にはノサリスの眼前にハンターが飛び出していた。ノサリスの爪を紙一重の差で切り抜けて突き出されたナイフは真っ直ぐに飛ぶ銃弾の如く異形の脳天を抉り貫いていた。

 

「アルチョム、左から来るぞ! 撃ち続けろ!」

 

 養父は更に押し寄せるノサリスにカラシニコフを叩き込みながら僕に檄を飛ばす。

 思考停止から立ち直らされた手で再びノサリスに狙いを定める。ドンッ、ドンッと銃声が走る度にノサリスは息絶えていくものの、まだ襲撃は収まらない。

 

「アルチョム!」

「おじさん!?」

「ぐうっ! はな、れろっ!」

「ギシャッ!」

 

 養父は僕を庇って腕に牙を受けながらも、カラシニコフをかなぐり捨てた右手でナイフを突き刺す。逆手で持ったナイフが二度、三度と突き刺さる度にノサリスは血を撒き散らして悶えながら息絶える。

 

「アレクセイ! 無事か!」

「ああっ、どうにか、な!」

「……仕留めたのは十体以上か……しかしダークワンはどこだ……? 居るのは“トンネルのクズ”だけか」

「たとえ目で見えずとも、ダークワンはそこに居るのさ。恐怖こそ――ダークワンの武器だ。それがノサリスをネズミのように走らせる」

「どうやら聞いていた以上に厄介なようだな……お前がこれほど警戒しているとは」

 

 養父は傷を負った腕の袖をまくり、傷口にウォッカをかけて消毒しながら言葉を紡ぐ。

 

「ヌッ……ぐう……ああ、ヤツらは……新種だ。より進化したミュータントだ。適者生存って言葉は知っているか? ダークワンは俺達以上にこの世界に適応した存在。つまり俺達は――」

「らしくないな、アレクセイ! 例え俺達が敗者なのだとしても、俺は戦う。戦わずにやられちまうなんざ真っ平ゴメンだ。俺は与えられた爪と歯を使って、この命の限り抗ってみせる。あの新種どもを道連れにしてやるさ」

 

 挑発ともとれるハンターの言葉。その言葉に顔を怒りで歪めた養父が立ち上がり掴みかかる。

 

「西部劇のカウボーイきどりか!? ビリー・ザ・キッドやワイアット・アープのような英雄の真似事とはな!

 見てみろハンター! 何十人もの熟練の兵士が、身も心もズタズタにされて苦しんでいるんだぞ! ヤツらを並みのミュータントと一緒に考えるな! お前がいくつもの新種を殺してきた実績は知っているがな、ダークワンにはそんな考えじゃ通用しない!」

「だからといって手をこまねいているだけか! 俺はスパルタンオーダーだ。メトロの人々と未来のために戦う戦士だ!

  たとえ絶望しかない戦いだろうが、俺は俺の意思で銃を手に取って戦い続けることを選んだ! 戦う意思を折られた人間にあるのはそれこそ滅亡だけだ!」

 

「アレクセイさん、ダークワンだ! 監視所が突破された!」

 

 にらみ合う二人を裂くかのように、突如開かれたドアから兵士の一人が息を切らせて駆け込んできた。

 彼の口から放たれた信じがたい言葉。“監視所が突破された”ということはつまり、100メートル地点の監視所のところにまで、ダークワンの魔の手が迫りつつあるということだ。ついに、我々の喉元にまでヤツらの牙が迫っているのだ。

 

 片や愕然として信じられないという表情を引き攣らせ、もう片方は静かな憤怒に歯を食いしばり銃を握り締める。

 

 どちらともなく、二人は同時にドアに向けて駆け出した。

 

「なんということだ……!」

 

 エアロックの外から100メートルを進んだ監視所を超え、ヘッドランプで線路を照らしながらひたすらに走り続ける。

 上下線のレールが交わる広間のような空間には木材を組み上げて作った二階建ての監視所が健在のままだ。機銃が設置され、線路の中央には焚き火が三つ焚かれているものの、そこに詰めていたはずの兵士達は、もはや正気を失っていた。

 

「ウゥゥ……来る……ヤツらが……ダークワンが来るぞ!」

 

 我々救助隊を見てダークワンと思い込んでいる者。

 

「あぁ、やめてくれぇ! 俺の頭に入ってくるな! 俺は何も悪いことなんかしちゃいないんだ!」

 

 幻覚に囚われ、正気を失いつつある者。

 

「グスッ……俺は、み、みんなのためにやったんだ……! あいつは、急に銃をこっちに向けて……いきなり撃ってきたんだ! 血走った眼でこっちを見て“ミュータントどもが!”って叫んで撃ってきたんだ! 俺は錯乱してるアイツを止めて、同士討ちになるのを止めただけなんだ!」

 

 カラシニコフに撃ち抜かれて事切れた兵士の隣で、自らの行いを涙ながらに振り返る者。

 

「ああ、誰かぁ……誰でもいい、誰でもいいから、あの“声”をとめてくれ! やめろ、俺は人殺しなんかじゃない! 俺の耳元でそんな戯言を吐くなッ!」

 

 このままではダメだ。このままの状態が続くようじゃ僕達は――博覧会駅は当然として、その先にあるアレクセーエフスカヤ駅やリジスカヤ駅さえも、そして環状線駅にまで彼らの魔の手が伸びてしまう。

 

 ある者は担架でレールカーに運び込まれ、ある者は奇声を上げてそれに抵抗する。死体はレールカーが牽引するトロッコに一まとめ、しかし丁寧に一人ずつ載せられていく。

 懸命の救助活動が行われているその光景をよそに、ハンターが隣に立って僕にささやく。

 

「アルチョム、俺は偵察に出る。ヤツらについての情報があまりにも少なすぎる。侵入口を特定することさえできれば、そこを爆破して落盤で封鎖することができるはずだ」

「ハンター……そんな、危険すぎる!」

「だが誰かが為さねばならない任務だ。それに、こんな状況は初めてじゃない。いいかアルチョム、我々は戦わなければ生き残れない。どんな手を使ってでも生き延びなければならない。わかったか?」

 

 どう引き止めても彼は向かう。そんな確信があった。

 ヤツら、ダークワンが入り口としているだろう場所には……心当たりがある。昔、幼馴染のジェーニカたちと一緒に駅を抜け出して植物園駅の外へと出たことがある。

 暗いトンネルを抜けて、朽ち果てた駅に忍び込み、かつての住人たちの亡骸の眠る駅のエアロックを開いて地上を目にしたことがある。

 僕にはあの時駅に戻る際にそのエアロックが閉じられた覚えがない。あの重々しい鋼鉄のドアが閉まる音を聞いた覚えがない。

 もし、それが、今も尚開け放たれているままなのだとしたら――

 

「一つだけ、心当たりがあります」

 

 重々しく開いた口から吐き出される言葉を、ハンターは静かに聞いているだけだった。最初こそ目を見開いてはいたが、今は静かに僕の言葉に耳を傾けている。

 すっと差し出されたのは赤い“М”――モスクワメトロの印の刻印されたドッグタグ。

 

「もし俺が一日経っても戻らなかった場合、これをポリス駅のミラーという男に見せるんだ。彼ならきっと力になってくれる」

「……わかり、ました」

「アルチョム。よく話してくれた。今この惨状を目の当たりにして、それでも俺に教えてくれたことを感謝するぞ。

 伝えたくとも伝えられないことだというのに、お前は勇気を持って俺に語ってくれた。駅の人間が聞けば本来ならお前もその友人たちも、等しく監房にぶちこまれているだろう罪を、俺を信用して伝えてくれた。人々を守るために自らの過ちを掘り返してでも語ってくれた。

 だから、俺がもし戻らなかった場合は――頼むぞ」

 

 とん、と肩を叩いたハンターは静かにトンネルの奥へ、植物園駅へのトンネルへと進んでいった。

 カラシニコフを手に、地上を突破した疲労感さえ感じさせず、敵の待ち構える場所へと自ら歩を進めていった。その背中には悲哀も憤怒も何も無い。ただ一人の勇敢な戦士の背中が見えているだけだ。

 

「敵なら殺せ、だ」

 

 彼なら、ハンターならきっと成し遂げてくれる。そう信じて待つだけしか僕にはできなかった。父の書類整理を手伝い、負傷者を病院へと運び込み、次の襲来に備えて最後の防衛ラインである100メートル地点の監視所で機銃を手に、ハンターの帰還を待ち続けた。

 

 そして彼は――――戻ることはなかった。

 

 

「んんっ……あぁ……」

 

 薄ぼんやりとした目に映るのは薄汚れた白い天井。僅かなランプの明かりが灯ったレンジャーの仮眠室を借りて眠りについたのを思い出す。

 仮眠室とはいえ、ベッドはそう多いものではない。隣ですやすやと寝息を立てる少女の手は枕の下に伸びている。その手が掴んでいるのは彼女の相棒。戦いにおいて彼女を、僕を救い道を拓いて来た44口径の天使(デザートイーグル)だ。

 

 不意に、むく、と起き上がった彼女は眠たそうにしながら部屋を見回す。

 

「……眠れない?」

「ヴェートこそ」

「ちょっとばかし、夢見がよくないんだよね」

「奇遇だね。僕も、昔の夢を見たよ」

 

 彼女は僕が渡した例の下着に薄いシャツを着て上着を取りにベッドから起き上がる。

 すらりと伸びる脚。その曲線美を覆う包帯を淡いランプの明かりが照らし出す。その脚から上、やや小ぶりの尻を揺らして彼女は上着のポケットをまさぐり、煙草を取り出して火を灯す。

 

 膝小僧ほどの高さのベッドの枕元に腰掛けた彼女は二つのベッドの間に置かれた鉄製の灰皿に灰を落とし、右足を投げ出したまま左足を抱えるように持ち上げる。右手を後ろについて支えにして、左手は立てられた肘の上に載せられ、その指先は煙草を玩んでいる。

 憂鬱そうに煙草を吸う彼女の視線は薄汚れた床に向けられ、ついに口をつけられることさえなくなった煙草の灰がぽとりと床に落ちる。

 

 戦闘服を着込み、銃を手に凛々しく戦う彼女とは違う姿。女らしさとか弱さを感じさせるその細身の身体は到底戦士とは思えない。がりがりというわけでもなく、しかし余計な肉がついているわけでもない。均整の取れた、という言葉がピッタリな彼女の肉体は包帯の痛々しさを忘れさせる。

 僅かな寝汗で光を反射する肌。シャワーで洗い流したはずの汗の香りに混ざって漂う牝のフェロモン。

 彼女は気づいていないが、僕の目からは秘所を覆う薄いピンクの布の三角地帯が丸見えになっている。自身の曝け出したものさえ気づいていないというのは、どこか彼女らしくない。

 

「ヴェート、聞きたいことがあるんだ。何故、あの時……動くことも銃を撃つこともできない、無抵抗の兵士を殺したんだい?」

「ああ、そういうこと……」

 

 どこか納得したような様子で、彼女は燃え尽きそうな煙草を一口吸って、吸殻を灰皿に投げ入れて続ける。

 

「君を助けるためだよ。もっとも、あのときはアルチョムだと思ってもみなかったけどね」

「……必要の無い殺しじゃないか、あんなもの」

「いいや、必要な殺しだよ。アルチョムはあの時十人以上の兵士に追われていた。そして釘付けにされていた。言い換えれば皆アルチョムに集中していたんだ。そこを横合いから、強力無比なスナイパーライフルで一方的な攻撃を仕掛けられたら、相手は混乱する。

 混乱が広がればそれは士気へ影響する。指揮官らしいのを早めに仕留められたのも幸運だったよ。あとはアルチョムに向いていたヘイトを私のほうに向くように行動すればいい。脅威対象の優先順位が下がれば、アルチョムが行動しやすくなるし十番も奇襲を仕掛けるタイミングを図りやすくなる。

 ……まあ、アルチョムの理念に沿わないのはわかっているよ。私もあまり取りたいと思う手じゃない。

 だけど、必要だからやるんだ。相手は多数だ。どんな手を使ってでも排除しなきゃ、私たちが生き残れないよ」

 

「そういう、ものなのか?」

「そうだよ。殺し合いは、そういうものだよ。人間だったとしても、敵は敵だよ。殺さなきゃまたいつか私たちに銃を向ける……ごめん、アルチョム。もう寝るね」

 

 矢継ぎ早に繰り出された言葉はどこか苛立ちのようなものを含みながら、しかし彼女の表情に暗い影を落とす。

 批判されたことへの苛立ちだろうか。原因はわからないものの、彼女はどこか心にあった余裕を失くしつつあるような感じをさせる物言いだ。

 

 静かに背を向けてベッドの上で丸くなるように眠る少女。

 その背中はハンターのような勇敢な戦士のものではなく、苦悩する一人の人間の持つ弱さを僕に見せているようだった。




お尻のラインってすごくエロいと思う(小並感)

またしばらく仕事が忙しくなると思います。
更新は不定期のままですが、ご了承ください。
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