※この作品はR-18です。

Metro2033 -影を見る者-   作:きゃすたー(7mg)

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お待たせしました。
行き詰ったときはダークソウルすれば筆が進む。はっきりわかんだね

人間性を……失う……(3のDLCプレイ中


第二十八話 モスクワメトロ2

 

 世の中にはかつてたくさんの人間が存在していた。過去形なのは、今現在のモスクワメトロを見てみればわかることだ。推定で四万人。それがこの地球上に残った人間の数なのかもしれないからだ。

 それでもヒトというものはある程度似たり寄ったりな傾向を持つ。趣味嗜好であったり、宗教や思想であったり、人間は群れや集団を作る傾向がある。世界の終末から十年以上もの歳月を経た今でも――大小様々ではあるが――コミュニティが成り立っていることからも人間というナマモノが社会的な集団を形成する種であるのは明白だ。

 そんなナマモノたちの巣窟、モスクワメトロというコンクリートのゆりかごでは今日も酒場が賑わっている。

 

「俺も昔は空軍基地の通信兵をやっていたんだが、膝に5.56mm弾を受けてしまってな……」

「だいたいあの阿呆は無茶苦茶なこと言い出すんだよ。火炎放射機持ってスパイダーの巣に乗り込むだとか言ってたが、焼けばどうにかなるミュータントじゃねえんだよありゃあな」

「おい決闘しろよ」

「いいぜ、俺を満足させてくれよ!」

 

 今日も今日とて人類(バカ)が生きている。私もそんな人類(バカ)の一人だ。

 カーンとかいう頭のイカれた中年オヤジに連れてこられ、何とも無しに日々を過ごすだけ。騒がしいだけの酒場を通り抜け、いつものようにコムソモーリスカヤをふらふらと彷徨うだけだ。

 気が乗ればレンジャーか若い男の一人でも適当に食うか。どうせやることなど無い。その日だけ切り抜けられればそれでいい。いつ死ぬかもわからないのだから明日の心配は必要ない。私に明日など必要ない。

 私にあるのは殺しと男に奉仕する技術だけだ。“豚様”の世話ができるわけでもなく、料理が上手なわけでもない。まして植物の生育などとてもじゃないができやしない。つまるところ平時における私というものは、無能だった。

 ろくな働きのできない私は幸いというべきか女に生まれてきた。娼館に来るヤツらには名指しで呼び出される時さえあったのだ。見た目もそれなりには整っているし、男を悦ばせる自信もある。男を相手に股を開き、はしたなく腰を振ればその日一日を生きられる程度には弾(カネ)がもらえる。だから、他には何も必要ない。

 

 当時の私はそう思っていた。5年前、コムソモーリスカヤ駅にカーンと共にやってきた時のことだ。

 

 

第二十八話 モスクワメトロ2

 

 

 ――私はあなたのために死んだのに、あなたはそれを知らないまま――

 

 不意に脳裏を言葉が走る。一体どこから、誰が、と気配を探るもののあるのは生きた存在ではなくただ“影”だけだ。ドブルイニンスカヤを出てからずっとこの調子だ。

 一体何がしたいのか、何が言いたいのかさえ不明のままに歩きとおしている。トンネルはいつも通りに人骨やノサリスの骨が散らばっているものの、生きた存在を一度たりとも目にしていない。

 粗末な懐中電灯とヘッドランプの放つ明かりだけが闇の中を進む標(しるべ)であり、私達二人の命綱だ。これのお陰で暗闇が圧し掛かるような息苦しさを感じずに済んでいるものの、ひとたび電池がきれれば私達は闇に呑まれることになる。

 

 カチン、カチンと充電をこまめに。お互いがはぐれていないかを確認して前に進んでいく。

 トンネルには危険が満ちている。それこそ私達の感知することさえできない超常現象はもちろんとして、ノサリスなどのミュータントの奇襲や“敵対的な人類”との遭遇戦など理由は様々だが、一番に気をつけなければいけないのは“線路そのもの”だ。

 例え自身が地図を片手にしていて松明のような明かりも備えていたとしても、進むべき線路を間違えてしまえば何の意味も為さない。

 モスクワの地下は核シェルターでありながら、ともすればクノッソスに作られたラビリントスにも等しい迷宮でもあると言えよう。一度入り込めば二度と出られない――それはメトロに逃げ込んだ人類そのものを指しているようにさえ思える。

 

「アルチョム、気づいている?」

「ああ、まだ僕には影は見えていないけど……何か変な感じがし始めている」

「注意して。“人影”が増え始めてる」

「了解(Да)」

「もうすぐポリャンカだ。……狙ったようにアノマリーが出てくるのが癪だけど、こんなもの無視してさっさと進もう」

 

 しばらく進んで目に留まったのは開け放たれた両開きの鋼鉄のゲートだった。もはや錆び付いてしまい、鋳造されたころのような光沢さえも失っているが、かつてはこのゲートはポリャンカ駅に住まう人々にとって最後の守りとなっていたのだ。

 ポリャンカがミュータントに侵入され、駅のニンゲンが一人残らず食い尽くされてもなお佇む鋼鉄のゲートを一瞥して歩を進める。ホームへのスロープを登り、トラップや生物の痕跡が無いかを注意深く観察しながら静かに一歩を進めていく。

 私がカーンと共にポリス駅への旅をしたとき、ポリャンカは既に廃墟となっていた。

 かつて人々が寝泊りしただろう電車はナニカの骨が散乱したまま埃を被り、商店だったらしい一角は必要の無いガラクタさえ回収されてボルトの一本さえ残さずに何者かに運び出されていた。

 今では外から持ち込まれただろう古タイヤのバリケードが駅の中にまで設けられ、木製の建屋は燃え落ちて炭化した姿を晒し、半開きになった中央ゲートのエアロックの向こうは崩れ落ちた瓦礫が積み上がり、僅かばかり外の世界――地上口へのエスカレーター――からは光が差し込み、メトロ内を漂う薄暗い霧に反射してプリズムの輝きを駅に放っている。

 資材として使えそうな物資は運び出せそうなものが全て運び出され、子ども向けのおもちゃの一つどころか銃弾の一発さえも見当たらない。人々の生活感も戦闘の名残も何も無いただの廃墟となって、ここにかつて多くの人々が暮らしていた事実はもはやどこにも形を留めていない。

 所々に散った赤黒い飛沫や血溜りの痕跡があるだけの無人駅。住居も設備も何も生きては居ない、瓦礫の積み重なっただけの死んだ駅。かつてのレールカー発着所は壊れた信号機が力なく頭を垂れて眠るだけ。人々が夜を過ごしたであろう廃車両は内装を剥がされ、外装の一部さえも切り取られてしまっている。

 

 死した人間が腐敗し肉が崩れ落ちて骨だけになっていくのと同じように、このポリャンカという駅は死んだその日から少しずつその面影さえも失ってゆき、やがて骨だけの姿に変わり果てたのだろう。

 

「……誰か居る…」

「まさか……野盗?」

「わからない。静かに、足音に注意してついてきて」

「……どうする?」

「すり抜ける。いちいち相手もしていられないし、厄介なことになる可能性もある」

 

 かつて多くの人々が喜びも哀しみも分かち合った場所、駅の全てが集約される広場には光が灯っている。赤い赤い、煌々と輝きを放つ温かな火の赤が周囲を照らしている。

 そっと廃材の影に身を潜め隙間から先を伺う。そこにヒトの姿はおろかノサリスも居らず、ただ小さな篝火が焚かれているだけだ。……どうやらいけそうだ。

 

「行こう。近づかなければ何もなさそうだ」

 

 静かに頷くアルチョム。表情は緊張感をあらわにして、息を整えて覚悟を決めている。

 クリアリングをしながらゆっくりと周辺へ警戒心を向け、影から身を乗り出して前方を振り向いた。

 ――――瞬間、息が詰まる。

 

 居る。目の前の篝火を中心に椅子代わりの瓦礫に腰掛け、三脚の上に載せたポットでお湯をわかしている二人の……何者かが。

 誰も居なかったはずだ。私は確かにこの目で見て、何も無いことを確信して身を乗り出したはずだ。なのにほんの数秒目を離しただけで、篝火が見えなくなったあの一瞬の間に、彼等は既にそこに居たのだ。

 無視すればいい――そんな思考は既に吹き飛んでいる。

 

「……あれは……誰だろう?」

「旅のお二人さん、こちらに掛けるといい。心配せずともよいさ」

 

 不意を突いて声がかかる。どうする、無視したっていいし“彼ら”の言葉に従ったっていい。どのみちここ――ポリャンカ駅は既にアノマリーの真っ只中なのだから。

 

「……どうする?」

 

 アルチョムは甲乙決めがたしと見て私に意見を求める。そりゃあ当然だろう。アノマリーをよく知る私の経験や知識をアテにするのは至極真っ当な理論だ。

 

「―――――ォォォ――……ゥゥ――」

 

 おまけにトンネル側からは呻き声にも似た風の音。しかも向かい風で吹き付けてくる。

 

「少し、休ませてもらおう……」

 

 やっぱりか、とアルチョムもばつが悪いといった表情でため息を吐く。彼にとっては当然の反応だろう。何せ目の前に目的地がありながら足止めを喰らってしまうのだから。

 篝火を囲む彼らが暗に“座れ”と指し示すように開けられたスペースに腰を下ろす。ちりちりと燃える薪の音と煌々と輝く赤い火の照らす温もりはたとえアノマリーが生み出したものだろうとも安らぎを感じる。

 それが人間なのだ。火を手放すことのできないか弱い存在。自らを守る火を他者に向けて躊躇なく使う酷薄な存在。炎の温もりを求めるあまりに手を伸ばし、自らさえ燃やし尽くす火を掴んでしまった存在。

 善であり悪であるもの。慈悲深くして残酷なるもの。清と濁を併せ持った、ゆらぎの中に揺蕩(たゆと)うもの。時代の流れ、世界の移り変わる中にあって数千年の“揺らぐことのないゆらぎ(変わらぬ欲望)”を備えたものこそが人間だ。

 

「お二人さん、名前はなんというんだい?」

「僕はアルチョムといいます」

「ラスヴェート」

「アルチョム、それにラスヴェート。おもしろい組み合わせだと思わないかい! セルゲイ・アンドレーヴィチ!」

「確かに、確かに君の言うとおりだよ、エウゲニー・ドミトリェヴィチ」

「そうだろう。あの日も確かにそうだった! 美しいお月様の真下に太陽が生れ落ちたあの衝撃を思い出したよ。

 私はあの日セント・クレメント教会で祈りを捧げていたよ。モスクワメトロのトレチャコフスカヤ駅から程近い場所だった。

 祈りを捧げ終えて教会の正門を出たまさにその瞬間だ。突然南の空が明るく染まったんだ。その次の瞬間には突き動かすような衝撃と爆音と閃光が走って、気づけば廃墟のようになったボロボロの教会の天井を見上げて長椅子の上で寝転んでいたよ」

「私はレーニン図書館で調べ物をしていたよ。あの日の私は若かったな。モスクワメトロ2の情報の断片を、あの膨大な資料の中から探し当てるんだと息巻いていた。いざ往かんとしたその矢先にあの核攻撃だ。そのままメトロに一目散だったさ」

 

 二人は年老いて色の抜けた長い髭を揺らすほど饒舌に語り始める。それを止めようとは思わないし、止める必要も無い。彼らが満足すれば私達はさっさと出て行くことができるだろうから。

 しかし、エウゲニー……それにセルゲイ……何か引っかかる。

 

「君たちは知っているかな? モスクワメトロ2という名の伝説さ」

「おいおいセルゲイ……どう見たってこの若いお二人さんは戦後か戦争末期の生まれだ。戦前のウワサ話なぞ知る由もないだろうに」

「わかっている。わかっているともエウゲニーよ。あくまで確認のためだ。それに彼らなら……知っておいて損は無いだろう」

「相変わらずの都市伝説好きだなあ、お前さん」

「これが私なのでね」

 

 エウゲニーと呼ばれた白い髭を蓄えた老人はポットのお湯にキノコ茶を入れ、赤熱を放つレンガから下ろして薄汚れた金属製のカップに注いでいく。

 短く刈りそろえられた黒い髪―所々が白髪―の、少し頬のこけた男――セルゲイは私たちに向き直り言葉を続ける。

 

「モスクワメトロ2……かつて世界の滅びるより以前の、西暦2000年代にまではよく知られていた都市伝説だ。ああ、君たちには“都市伝説”という言葉自体あまりなじみがないだろう」

「モスクワメトロ、というのはわかりますが、なぜ“2”なのです?」

「至極単純な話さ、アルチョム君。君はこのモスクワメトロのコンクリート壁の一枚向こうに何があると思う?」

「……土、でしょう」

「そう。普通なら、例えばニューヨークやロンドン、東京など諸外国の普通の地下鉄(メトロ)であるならばそれは限りなく正答に近い。

 しかしモスクワメトロにおいてはそれは誤りだ。この壁一つ向こう側には今我々の暮らすモスクワメトロのほかに、もう一つのモスクワメトロが走っているからさ」

「もう一つの、モスクワメトロ……!?」

「そうとも! それこそが“モスクワメトロ2”! そして我々羊たちが待ち望む監視者たちの住まう世界なのだよ!」

 

 大きな身振り手振りでセルゲイは熱の篭った声でアルチョムに語りかける。アルチョムの醸し出す半信半疑というような様子にも動じることなく彼は続ける。

 

「モスクワメトロが核シェルターとしての機能を備えているのは当時の敵国――アメリカ合衆国との核開発競争が大きく関わっているんだ。合衆国で行われていたマンハッタン計画の情報が秘密裏にソヴィエトに持ち帰られ、地図はおろか住所さえ無い町が作られ、そこで研究が行われていた。

 詳しい話は省くが、アメリカ合衆国が核兵器開発に成功し、続いてソヴィエトもそれに成功した。となれば敵対するこの両国間で戦争勃発の事態になってまず想像するのはそれらの新型兵器――核による戦争だった。

 スターリンは万一の核戦争に備えてモスクワメトロを緊急時のシェルターとして、第二次大戦中から建設を開始したわけだ。

 そうしていつごろから囁かれだしたかはわからないが、こんな噂話が流れ始めた。

 “モスクワメトロには知られざるもう一つの路線がある”と。それは様々に推測が為されてきたものでね。曰く“政府高官の秘密の脱出路だ”とか“秘密の地下司令部に繋がっている”とか、荒唐無稽な話では“ウラル山脈の基地まで続いている”とか“シベリカの司令部に直通の電車が走っている”なんてものまである始末で――」

「セルゲイ、少々ばかし早口すぎるんじゃないかい。見ろ、お二人だって戸惑っているだろう」

「ああ、すまない。ついメトロ2の話となると熱くなってしまって……」

「お二人もセルゲイも一息つこうじゃないか。長話や談笑はお茶と共にすればいいさ」

 

 エウゲニーから手渡された金属製のカップを手に取ると温かなお茶の香りが鼻をくすぐる。

 彼らの狙いとは一体何なのか。私たちをここで足止めしてまで行うものがただのティータイムで、そのお茶のアテとしてモスクワメトロ2の御伽噺を聞かされた。それだけ、本当にそれだけなのだろうか。

 

「うーむ……いいキノコ茶だ。これはもしや博覧会駅の?」

「ご名答だよセルゲイ。以前ある商人から格安で譲ってもらったんだ」

「なるほど。……ふぅむ……やはり、美味いな。

 さて、ここまでは戦前の話。これからは戦後のモスクワメトロ2の話だ。かつての戦争によって人々がメトロに移り住んだことは君も知っているだろう?

 モスクワメトロは臨時統一政府によって統治されていたが、実はその背後には“監視者(オブザーバー)”と呼ばれる人々の存在があるのさ」

「まさか、メトロ2というのは……」

「ああ、やはり君は察しがいい。影の監視者たる彼等はモスクワメトロ2を自由に行き来し、臨時統一政府を管轄して我々の住むモスクワメトロを統治していたんだ。我々はメトロ2へ行くことはできず、しかし彼等は自由にこちらへと出てくることができる……まさに上位存在としてメトロ2は存在していた。

 だが臨時統一政府さえも無知蒙昧な人間たちは破壊しつくし……彼等はこちら側に住む羊(ヒト)たちを統率することができなくなった。こうしてメトロ2と我々の住むメトロは切り離され、メトロ2へ辿り着く術を持たない我々にとって、それは伝説……空想上の存在に成り果てたというわけさ。夢のある見方をすればこんなところか」

「でもあなたは存在していると信じている……そういうことですか?」

「その通りさ! まあ、手がかりは一向に見つからないままだったが」

 

 アルチョムはまだ気づいていない。彼等は既にこの世の存在ではないことに。

 彼等は、セルゲイとエウゲニーの二人は既にアノマリーの一部に成り果てているのだ。死して尚彼等はこの駅に留まり、時折発生する別のアノマリーの力を借りてここに現れては、こうして篝火に当たって二人語らってきたのだろう。

 

「既にメトロ2は失われた神秘の眠る地とされているよ。まるで創世神話のような御伽噺がまことしやかに囁かれているだけさ。確かなんだったかなあれは。そう、“かつて――」

 

「“かつてソヴィエトにおわしました神人たち

  死屍たる都の底 二つのメトロに落ち延びた

  彼等は牧夫 我等哀れなる子羊(ヒト)たちを導く牧夫

  しかし多くの牧夫たちは力尽き、残るは我等子羊のみ

  標(しるべ)を失くした我等(ヒツジ)はまた相争い

  嘆き悲しむ牧夫たちはメトロを閉ざし消えうせる

  かくて我等は見放され 今日も彷徨い歩き往く”」

 

「ラスヴェート君、よくそんな歌を知っているものだね。まさか“影の監視者(オブザーバー)”信仰でもしているのかい……?」

「私は生憎そんなものは興味が無いよ」

「セルゲイさん、そんな宗教があるんですか?」

「ふむ、うむ……そうだね。簡単に言えば、メトロ2に逃げ延びた人たちは今も尚我々を見放すことなく影ながらに見守っているというものだ。

 ただメトロ2に住まう彼らに対して我々は反逆し、政府を打倒した……裏切ってしまった。だから彼等はただ傍観しているだけで関わることをせずにいる。けれど我々の犯した罪を贖うことのできた日には彼らが救済してくれるのだ、と信じているのさ」

「夢も希望も銃弾一発の価値さえ無いこんな時代だ。それでも誰だって何かにすがりたいし救われたい。それ故に生まれた信仰のカタチの一つであろうな」

 

 セルゲイの解説にエウゲニーが指先を銃のようにして“バァン!”とアルチョムに向かって言い放つ。

 

「モスクワメトロ2……もしもそれが仮に実在するのだとして、それはこちら(メトロ)の人々にとって何か利があるのですか?」

「うむ、信奉者(アホ)どもはメトロ2は秘密の軍事基地……通称“Д‐6(D‐6)”に通じているのだと考えているらしいがね……どうなんだいセルゲイ?」

「Д‐6はさも秘密基地のように囁かれているが、入り口となる場所のひとつの呼び名でしかない。戦前……そうだな1990年代半ばにはメトロにある開かずの扉……まあよく駅や線路で見かける隔壁だが、その一つがメトロ2へと通じていると言われていたよ。

 他には駅を作るには不必要なほどの大きな立坑の存在であったり、スターリンの作った地下壕は実は本物とダミーの二つが作られていただとかいうものもあるな。ホワイトハウスの地下バンカーへの対抗心で作ったのか……はてさて」

 

 セルゲイがくつくつと笑うとエウゲニーも同じように笑い始める。

 西と東の対抗心はこんなものにまで及んでいたのかと考えていると、アルチョムも呆れたように笑みを浮かべる。

 

「くだらない伝説。くだらない妄想。くだらない噂話。信じたって何もありゃしないくだらない信仰さ。アルチョム、こんなものを信じるくらいなら私はブルボンの持ってきた儲け話のほうを信じるよ」

「ははは……ブルボンが引き合いに出されるあたり、随分な扱いだね」

 

 アルチョムは手にしたカップを口元に運び、キノコ茶を一口飲んで煙草に火をつける。

 メトロ2というものがどういうものなのか私もアルチョムも知らない。だけど少なくともメトロ2には何かしらの侵入経路があるはずだ。ソコリニキ線のスポリチーヴナヤ駅とモスクワ大学駅の間にその入り口があるという話も聞いたことがあるけれど、今やモスクワ大学駅はモスクワ河の落ちた橋の先だ。メトロ2と同様に既に伝説上の、空想上の存在として“エメラルドの街”などと呼ばれている始末だ。

 あとは他にあるとすればポリス駅か、赤の広場や大統領官邸などくらいしか思いつかない。

 

「犯した罪を清算するなんて、できもしないことを吹聴(ふいちょう)するだけのバカの集まりさ。ありもしない希望に縋るだけで自らは何もしないヤツら。

 メトロの浄化だとか、人類の平等だとか、謳っていることは大それたことばかりだ。信じていたって救われない人間が……このメトロにどれだけ居ることか……。

 信じているだけで救われるなら、それは……ああ……なんて世界だろう」

 

 私は少なくとも救われなかった。そして私の妹たち……イリーナもリーリヤも救われなかった。同じように集められた、名も知らぬ彼女たちも救われなかった。

 “いつかきっと”、“大人になったら”、“諦めずにいれば”と、聖書や神話の神々に捧げられたのは無垢な儚い信仰。だがそれは彼女達(わたしたち)に何も救いを齎すなどしなかった。なのに、だというのに、あの頃の彼女達(わたしたち)はひたすらに祈りを捧げることを止めずにいた。

 

「私は……救いなんて信じやしない。誰かが救ってくれるなんて思わない。私は私を信じて進むだけだよ。未来に、私たちの子や孫の時代に……地上を歩く夢を見られる人が居るようにしたいから」

 

 仰いだメトロの天井はくすんでいる。それが私たちにとっての“空”だ。コンクリートの蓋をされて外に這い出ることさえできない幼子……それが私たち人類……メトロで生まれてきた“終わった世界の住人(こどもたち)”だ。

 幼くして駅を追われ、娼婦や暗殺者に身をやつし、そしてそこから脱出すべく足掻いた私の手を握ってくれたのは神などではなく人(カーン)だった。

 だが今の人々は“救われると信じながら絶望している”のだ。終わりの無い終わった世界。語られることのない後日譚が紡がれていく今のこの世界の閉塞感に、人々は絶望の淵に立っている。

 私もそうだ。絶望して信じることを諦め、それでも前に進もうと立ち上がった。

 私は私の道を進む。暗闇だろうと死の行軍だろうと、進むことさえやめた人類は滅びていくだけだ。

 

 モスクワメトロ2への到達。そしてその先へ――それこそが私が抱いた願いなのだから。

 

「なあ……夢、とは……好いものだ。なあセルゲイ」

「そうだな。前を向いて進む勇気、活力を蘇らせる。どんな夢も現実に描こうとしなければ意味は無いが、夢さえ見れぬ世界など……私は御免被るよ、エウゲニー」

「そうだな。夢は共有すべきだ。胸の内に秘めるのもよいが、手を取り合って進む仲間が居るのなら……それは共有すべき財産だ。だが一歩を踏み出すのが果てしなく辛い時だってある。お互い人間だ。すれ違うも人生、交じり合うも人生だ。悩むことができることは素晴らしいことだよ」

 

 エウゲニーは口をつけていたカップを足元に置くと私の目を見て言葉を続ける。

 

「さて、ラスヴェート……いや……ゾーヤ・ワシレフスカヤ」

「……それは、もしかしてラスヴェートの?」

「アルチョムの考えで間違いはないよ。エウゲニーがしれっと出しちゃったけど、確かにそれ(ゾーヤ)は私の本名だった。

 少し考えればわかることだよ。“ラスヴェート・ロマノフスキー”なんて男性名詞を女が名乗るハズないじゃない」

「……ああ、そういえば確かに。口調が男っぽいからつい……」

 

 ほう、それはつまり私が男同然だと言いたいわけだ。

 あれだけ股座をいきり立たせていたくせによくもそんなことを言えるものだ。

 

「あ、いや、その、こうして戦闘服を着ていると性別がわかりにくいからで」

 

 しどろもどろな返しをするアルチョムを見てため息が漏れる。

 

「まあいいさ。そういうことにしておくよ。ただ一点、訂正したいことが。ゾーヤ・ワシレフスカヤは……彼女はもう何年も前に死んだんだ。

 私はラスヴェート・ロマノフスキー。彼女だった時の記憶は確かに私も持ち合わせているけど、私は彼女じゃない」

「ふむ。なにやら込み入った話のようだぞセルゲイ」

「言いだしっぺは君だぞエウゲニー。まあ深くは追求しないさ」

「ありがとう(スパシーバ)。助かるよ。エウゲニー、それにセルゲイ、そしてポリャンカと来て……少しだけ予想はしてたんだ。まさかこういう形でめぐり合うとは思ってもなかったけど」

「その通り。一つ、私たち……セルゲイも私も気がかりなことがある。だから是非今聞いておきたいんだ」

 

 二人はお互いに向き合うとセルゲイの取り出した煙草を咥え、ニンマリと笑みを浮かべてライターに火を灯す。

 アルチョムはわけもわからず神妙な顔をして聞き入るばかりだ。

 

「カーン、あの本好きのヒヨっ子」

「生真面目で冗談もすぐには言えない青いヤツだった」

「そう、確かあのとき君もいたはずだ! セルゲイ!」

「覚えている。覚えているぞエウゲニー。あの時二人してカーンのやつを見てこう言ったんだ」

 

「「“制御版に長靴を置いたのは誰か!”」」

 

 二人は高らかに笑い声を無人駅に響かせて、昔を懐かしむように紫煙を吐き出す。

 

「そう、エウゲニーや私が聞きたいのはヤツのことさ」

「カーン、あの青さの抜けない冴えない顔した男さ」

「……いつだったかカーンが言ってた戦友っていうのは、あなたたちのことだったんだね。セルゲイ、そしてエウゲニー。

 彼は――ううん、父さんは元気だよ。ついこの間ノサリスに侵入された駅でも元気に駆けずり回ってた。私やアルチョム、それと駅の防衛部隊と一緒になって住人を助け出したんだ」

「ほう、あの若造がな。立派になったものだな」

「そら見ろ。私の見込んだとおりだ」

「そのちょっと前には野盗どもを空気式クロスボウ(ヘルシング)で次々仕留めていたし、その前は有人駅のコジュホフスカヤ駅から無人駅のアフトザヴォーツカヤ駅まで地上を踏破して探索してきたりとか……」

 

 言葉は止まらない。紡がれる声が途切れることもない。ただただ私が私の知る限りカーンについて語り続ける。こんな出会いだったということから始まり、確たる“私”が形成されるまでの世話の話が続き、私がオーダーになりたいと駄々を捏ねてカーンが困り果てたこと、生死を賭けた戦闘中に起こったハプニング、カーンがつい洩らしてしまった本音や私が戦死するかもしれないことへの恐怖感を語ったことも洗いざらいに吐き出されていく。

 まるでアノマリーに憑かれたかのように……といってもここは既にアノマリーのど真ん中なのだけれど。

 

「カーンめ、あいつが真っ当に親の真似事をできるとはな」

「だが……悪くない。そうだろう? エウゲニー」

「お嬢さ――いや、ラスヴェートさん……月並みで申し訳ないが礼を言わせておくれ。俺達の弟分を救ってくれたこと、感謝する。Большое спасибо(ほんとうにありがとう)」

「私からも感謝を。Большое спасибо(ほんとうにありがとう)」

 

 彼等は揃って私に向かって謝辞を述べる。けど何故かそれをすんなりと受け入れられない自分がいる。

 もやもやとした、メトロを漂う霧のように不鮮明な、見通しがきかないあの不安にも似ている。

 

「どうして、という顔をしているね。

 しかし答えは実に単純で簡単だ。カーンという我々の弟分は生真面目と戦闘技術だけが“とりえ”のような男だったが、君の話を聞いてあいつが人間らしさを取り戻せたという実感が湧いたからだ」

「そうセルゲイの言ったとおりさ。ポリャンカに来た当初のあいつは全てに絶望していて、ともすれば幽鬼のような存在に等しかった。あのころはアノマリーもミュータントも戦争もなかった時代で人々は再び地上への回帰が為されるのだと信じていたがヤツだけは違ったんだよ。

 生きようが死のうが大差が無い。ただそこに“在る”だけに等しいと言っていい。そんな虚ろな男だった。どうにか惰性で生きようと思う程度には回復したが、それ以上は望めなかった」

「だが、君を拾ったことでカーンは蘇ったのさ。己の生きる意義を見出し、己の為すべきを定め、己の命数を如何に用いるかを決定することができたのさ」

「私を拾って、カーンが救われた……? むしろ救ってもらったのは私のほうなんじゃ?」

 

 そのはずだ。かつての私はキタイ・ゴーロド駅の奴隷娼館から必死で逃げ出したはいいもののアノマリーに呑まれたはずだ。かつてのゾーヤ(わたし)の欠けた魂に幾多の人の魂の溶け合った存在……アノマリーが混ざり合って生まれたのが今のラスヴェート(わたし)なのだ。そのはず……そのはずなのだ。

 入れ物の半分しかなかったゾーヤ(わたし)に泥水(アノマリー)が注ぎ足され、それを混ぜ合わせたものが今のラスヴェート(わたし)に変じたのだ。そしてその変化を促したのは紛れも無くカーンだ。

 

「お前さんはカーンによって命を救われ、そしてカーンはお前さんに過去の己を見出したのだろうな。今の己自身のようにはなってくれるな、という願いもあるやもしれん。

 が、何よりもあやつにとって救いとなったのは……家族というものなのだろう」

「家族……」

「そうとも。家族というものは好いものだ。カーンが取り戻したいと願ったのは家族というものの温かさだ。我々は戦場の兄弟として傍に居たがそれはアイツの取り戻したかったものとは少し違ったんだ。

 もし戦争が起こっておらず、我々がメトロに逃げることさえ無かったとしたらの話だが……カーンは一児の父親だったのだそうだ」

「ふぅん」

 

 カーンにとっての私という存在は、かつて失ってしまったものの代替品というものだったということなのだろう。無論最初のうちは、だが。

 仮初の家族。偽りの親愛。自己保身のための献身。時を過ごすうちに積もり積もった偽善はいつの間にか自らの本心をも変えてしまったのかもしれない。

 

 けどそんなことは最早どうだっていいことだ。

 私はカーンと共に生き、背中を見て育ち、隣に立って戦場を見てきたのだ。彼は私が過ちを犯せば正してくれたし、彼が窮地にあるときは私を頼る時もあった。無論素直に助力を請うことはしなかったが。

 同じ酒場でウォッカを呑み、議論し、ケンカして、それでも共に同じ時を生きてきた。私と彼を家族として繋ぐものは血ではない何かに因るのだと確信している。

 

「しかし、あまりショックを受けないんだね。君は」

「セルゲイ、私とカーンは家族だよ。……しょっちゅう言い合いにはなるけど」

「だろうな。アレは生真面目だが時々素直じゃない男だからな」

「ふむ……まあ杞憂だったか。それならばよいだろうさ、なあ」

「ああ。エウゲニーも私も取り越し苦労で終わったなら一安心というものだ」

 

 穏やかな笑みが浮かぶ。彼らはもちろん私もだ。そしてアルチョムも瞳を閉じて懐かしむような温和さを感じさせる笑みを浮かべている。

 

「む……ヤツらが来るか」

 

 不意にセルゲイは老いて皺の寄った眉間に更に皺を作るほどの形相で私たちがやってきたトンネルを睨みつける。

 トンネルを吹く風に乗って駅の中に臭いが満ちていく。あの忌々しいミュータントの臭いだ。しかしこの付近はポリス駅のレンジャーが定期的に駆除をしているお陰で大きな群れは存在していないはずなのだが。

 

「そのようだぞセルゲイ。となれば君たちは行くといい。気にするな。振り返るな。前を向いて進め。例えこのトンネルが地獄の底へと続く道だろうと、君たちならば地獄を踏み越えてでも掴みとることができるだろう」

「ああ。行こうアルチョム」

「…………あの、お二人は……?」

 

 アルチョムはばつが悪そうに顔をしかめて尋ねようとするが、彼等はそれを遮って言う。

 

「言わずともいいさ。我々は問題ない。だろう? エウゲニー」

「ああ。お二人の健康を祈っているよ」

「そうじゃなくて! このままではミュータントが!」

「急ごうアルチョム。私たちはまだ前に進むことができる。そして前に進まなきゃいけない」

「だけどヴェート! 彼らに身代わりになってもらうって言うのか!」

「気遣い痛み入る。しかし我等は問題ではないのだよアルチョム君。ああ……シャッターを閉じるレバーを下げておいておくれ、ラスヴェートさん」

 

 無言で頷きAK2013(あいぼう)を提げてポリャンカの出口へ、ポリス駅へ向かうトンネルへ続く通路へと足早に向かう。

 穴の開いた床と剥がれ落ちたタイルの欠片に躓かないように、しかし急ぎ足でシャッターのある出口へと向かう。

 振り返ればアルチョムは彼らと一言二言会話していたようだったがすぐに振り向いて私の下へとやってきた。

 

「さ、言われた通りにシャッターを下ろそうか。手を添えて、アルチョム!」

「このシャッター……壊れてるじゃないか。これでどうやってミュータントを防ぐって言うんだ?」

 

 彼の言う通り隔壁は錆び付いて腐食し、そして開閉するための動力も無い。その上レバーの配線は何かで断ち切られていてもはやただのオブジェ同然でしかない。

 

「いいから! 早くして!」

「……っ……ああ! わかったよ!」

 

 アルチョムの大きな手が私の手の上に覆いかぶさるように重ねられる。

 ジジ、ジジジッ、と切れかけの電灯の明滅にもにたフラッシュと共に視界は一面の炎に包まれ、周囲からはノサリスの雄叫びと人々の悲鳴、怒号、絶望の嘆きが大合唱となって押し寄せる。

 

「こ、れは……まさかアノマリー……!? あれは……!」

「そう。やっぱり……そうなんだね、カーン」

 

 眼前に佇むのはアルチョムより年上の三十台と思しき男。腕や脚は傷を負い、血を流しながらシャッターの開閉レバーにその手をかけようとしている。

 息は荒く、銃は粗末なバカマシンガン(バスタード)一丁。止血のためにボロ布を巻きつけた痛々しい姿でその視線は先ほど私たちが暖を取っていた広場へと向けられている。

 

「……エウゲニーさん……それに、セルゲイさん……」

 

 アルチョムが絞り出すように彼らを呼ぶ。だがその声は彼らには届かない。傷ついたエウゲニーは微動だにせず、しかしセルゲイはそんな彼を肩に回して前へ前へと這うような速度で進んでいく。

 駅には既に火の手が回っている。空気の循環の少ないこの地下世界で起こる火災がどんな事態を引き起こすかは明白だ。酸素は奪われ呼吸は難しく、煙は視界を覆い人を惑わせるがそれはミュータントとて同じことだ。

 大量のミュータントが入り込んだポリャンカ駅は、侵入したミュータントと住人たちもろともに焼け落ちたのだ。

 

「往け」

 

 シャッターが下りる。カーンの手に委ねられた命運は今この瞬間に決した。

 鋼鉄の壁が生者と死者を分かつその瞬間、彼らがカーンにそう言ったような気がする。

 

 後に残ったのは悔恨と慟哭と、全てを再び失った一人の男(カーン)だけ。




エロ挟みたかったのにどうしてこうなった

できる夫のMETRO2033はよいもの。リスペクトしてます。
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