※この作品はR-18です。

Metro2033 -影を見る者-   作:きゃすたー(7mg)

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最近になって思うことですが、モスクワメトロの路線図の和訳とかってどこかに無いものかと考えることがあります。
それ一枚があれば作中での登場人物の会話がもっとわかりやすくなるんだろうなあ、と思うことが多々あります(今更)


第二十九話 地下都市駅

 

 閃光(フラッシュ)。まばゆい輝きを伴って視界が白に染まる。

 残響(エコー)。少しずつ遠ざかる彼ら(アノマリー)の足音。

 現実(リアル)。再び戻った視界の先に広がるのはただ朽ちたポリャンカ駅の姿だけ。

 

「ヴェート……今のは全て……」

「そう、アノマリー。私たちが駅に入った瞬間から始まりあの手にとったカップも、暖を取っていた篝火も、そして彼らさえも……全てアノマリーの仕業だよ」

 

 彼女(ヴェート)は悲痛な表情を浮かべて、先ほどまで手にしていたシャッターの開閉レバーを見つめている。

 

「あれは全て現実に起こったこと。過去のポリャンカ駅を襲った悲劇の再現映像でしかないんだ。あの二人がここで死んだことも、カーンが彼らの言葉に背中を押されて生き延びたのもそうさ」

「なら……僕たちが話していたあの二人は!? あの人たちはっ、エウゲニーとセルゲイは……!」

「あれは再現映像だって言ったでしょ。カーンがあの若さだから……十年以上も昔に疾うに死んでる。あれがカーンの目で見たポリャンカの最後の姿さ」

「僕たちは……アノマリーの真ん中に居たはずだ。あれも、あんなに穏やかな気持ちになれたものが……幻想(アノマリー)でしかないなんて……」

 

 彼等は死して尚安らかな眠りを得ることができずにいるというのか。もしそうなのだとしたら、他の死んだ人たちは? 同じようにミュータントの犠牲となったものや、同じ人間に殺された人間たちは?

 僕が殺めてきたあの野盗たち、ファシスト、そしてパヴェレツカヤ駅を守ろうと戦い散った“地下の子供達”のメンバーは?

 

 

第二十九話 地下都市駅

 

 

 アルチョムの顔色は優れない。やるせない気持ちが胸を埋め尽くし、思考をかき乱しているのだろう。あんなものを見れば当然だ。私だってそうだ。

 

 命からがらに世界の終末を生き延びて肩を寄せ合った仲間たちが化け物のエサに変わり果てていくのを目の当たりにしたカーンの心境はどうか。私にはそれを推し量る術は無いけれど、大切な誰かが目の前で骸へと変わり果てる光景はいたましいものだ。

 共に戦った仲間はもとより、自らが助け出した人々や道すがらに訪れていた人々まで諸共に生存競争の炎に呑まれて消え去っていくのだ。一人、また一人と斃れ伏した果てにあるのは自らと共にあった銃だけだなんて……ああ……考えたくも無い!

 

 こつ、こつとブーツがコンクリートの床を打つ音だけがトンネルに反響してどこかへと消えていく。ポリス駅のレンジャー(クシャトリヤ)たちが保線を定期的に行っているだけあって、天井を貫いて木々の根っこが伸びてくることもなく、光る不気味なキノコも存在していない。

 ただただ荒涼としたコンクリートと鋼鉄のレール、そして天井を這うパイプや空調設備が真っ直ぐに伸びるだけだ。生き物の気配は無く、ノサリスはおろかラーカーの存在さえも見当たらない。

 

「アルチョム、ついてきてる?」

 

 応答は、無い。彼の足音は聞こえていたはずだ。だがもしも万一、私が自らの足音の反響を彼のものだと誤認していたのだとしたら。

 

「アルチョム!」

「うわっ!? ど、どうしたんだい、いきなり!」

 

 まさかと振り返ってみたものの、振り返った先には彼が健在だ。おまけに責めるようなじっとりとした目つきでこちらを見ている。そうしたいのはこちらのほうだというのに!

 

「……はぁ……アルチョム、せめてすぐに応答してくれない? まさかと思って肝が冷えたよ」

「え、あぁ……あー……ごめん」

 

 一瞬だけ浮かべた困惑の表情はすぐに申し訳なさそうな細々とした声と共にコンクリートの大地へと向けられる。

 

「トンネルで余計な思考は命取りだよ。特に憂鬱な気分や、思い悩むような思考はね」

「ああ、気をつけるよ。……大丈夫だ、行こう」

「本当に気をつけてね。ここはポリス駅の管轄する区域だけど、アノマリーはいつだってどこにでも現れうるんだから」

 

 一度肩を揺するように上半身を動かし、首のこりを解すようにメトロの天井を見上げたアルチョムは一息だけ吐いてAK74を握りなおす。

 歩き出した先はあいも変わらずトンネルの続くだけの世界だが、思考を停止させてしまっているとアノマリーに気付けない。

 

 何も無いのに気を張り続けるというのは存外疲れる。代わり映えの無い視界に代わり映えの無い物音が続き、代わり映えの無い冷たい空気がトンネルを流れているだけだ。何も変わらない世界に対して自らの感覚器を全力で傾けるのだ。

 徒労で終わればそれでよし、何かあれば“気を張っていてよかった”と思えることだろう。そう、何事も前向きでいかなくては。

 精神をすり減らし、命の危険と隣り合わせなのがストーカーでありレンジャーであり、この終末世界の子供達(ニンゲン)の日常なのだから。

 

 ヘッドランプが照らす道が不意に開ける。上下車線が交わる分岐器(ポイント)の広がる広大な空間にランプを向けると、そこには土嚢とコンクリートで築かれた防衛設備が佇んでいる。車両の上下線が通れるほどなのだから広大なのは当然だ。その二つの路線の走る間には鉄道作業員用のホームが奥へと伸びている。

 前方に光を向ければ薄らと、かなり遠くに浮かぶように現れたのは鋼鉄のエアロックだ。鈍色(にびいろ)の、腐食一つ無い関門が光を受けて微かな輝きを放って佇んでいる。

 

「そこで止まれ」

 

 壁全体に反響するようにして聞こえたのは男の声だ。自らの位置を悟られないために闇に潜み、声が最も反響しやすい位置からこちらに呼びかけているらしい。

 

「くっ!?」

「待ったアルチョム!」

 

 すぐさまAK74(カラシニコフ)の安全装置(セイフティ)を解除して構えようとしたアルチョムを手で制する。手にしているAK2013(あいぼう)を背中に回し、両手を挙げて前に進み出る。

 

「我々はレッドラインだ! この駅を奪いにきたぞ!」

「んなっ!?」

「ハァ……おいラスヴェート、今日の幸運に感謝しておけよ。アレンスキーのやつだったら今頃大佐に苦情を飛ばしてるぞ」

「その声はニコライかな。久しぶり、元気そうでなによりだよ」

 

 パシン、パシンと真っ暗闇を切り裂く音と共に天井から光が溢れる。次々と電灯の光が灯っていくトンネル内に待ち構えていたのはレーザーサイトを装備したカラシニコフを構えたマスク姿の戦士たちだ。

 ガスマスクとは違って顔を覆い隠すだけのものだが、その鉄面皮と画一的な装備は見る者を威圧する。もちろんあの暗闇にずっと潜み続けるのだから暗視ゴーグルも取り揃えられている。

 電車の保守整備用のプラットホームに土塁やバリケードを設け、重機関銃が据え付けられた様子はまさに防衛の最前線だ。

 

「で、そいつは」

「ミラー大佐へハンターからの伝言を預かってる。機密が多分に含まれる。私からは話せない」

「いくらお前が連れているとはいえ、信用ならんな」

「アルチョム、タグを貸して」

「ああ。これを確認してほしい」

「ふむ……本物か。通っていいがクラスノフのおっさんにちゃんと説明しろよ。いいな?」

「わかってるよ」

 

 ピューイ、と甲高い口笛でニコライは後方へ合図を伝える。

 

「さ、喜ぼうよアルチョム。ようやく君の願いが叶うんだ」

「そうだね。急がないと」

 

 一層険しさ増したアルチョムの表情は覚悟を決めたという雰囲気を醸し出している。手にしたカラシニコフを後ろ腰に回して、ハンターのタグを慎重に戦闘服の内ポケットに収めて歩き出す。

 重苦しい音を上げてエアロックが開かれる。隙間からは温かな風と共に眩い光が薄らと漏れ始め、開いていくに連れてそれは大きくなって私たちを包み込む。

 

「これが…………地下都市(ポリス)駅」

 

 アルチョムは思わず歩を進めることを忘れて立ち呆けたように天井を見上げる。

 ドーム型の天井が包み込む五つのプラットホーム。それを照らし出す電灯の明かりと、現役そのままの姿で残っている地下鉄の車両。いくつものエンジン付きのレールカーとそれに繋がれたトロッコにはたくさんの木材や地上での収穫物である自動車部品などが山積みにされ、何十人という工員が電車の解体や補修を行っている。

 そして何よりも、その空間の奥行きの果てが見えない。この広いようで狭い地下世界でありながら、反対側の壁が見えないほどの奥行きがあるのだ。

 何両もの編成になっている電車がゆうに八つは収まるほどの広大な空間。車両整備などを行うための工業区画。たったそれだけだというのにポリス駅というものの規模の大きさにアルチョムは圧倒されているようだ。

 

「すごい広さだ……ここだけで博覧会駅の半分はすっぽり収まってしまいそうな……」

「いつまでもレールの上に居ると撥ねられちゃうよ。ほら、こっちに来て」

 

 昼間のような明るさに満たされた操車場は今日も作業の音が木霊している。あの曇天ばかりの核の冬が訪れたモスクワしか知らない私でも、あの地上の空より明るいとはっきりわかるほどだから、その明るさはかつてモスクワメトロが全盛期にあった戦前の時代とほぼ変わらないだろう。

 

 線路の上から逸れて、わき道のように続くコンクリートの歩行者用スペースへ足を踏み入れる。

 未だにその務めを果たし続ける信号機をわき目にホームへの階段を上った先の木製のドアを開くと、その先の小部屋では電話機とデスクトップ型のPCとモニターが置かれたデスクが一つ。椅子に腰掛けたスキンヘッドの戦士は煙草をふかしながら私に目を移すと、ニッと笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「よう、元気そうだなオオカミさんよ。それと初めましてだな坊主。俺はクラスノフ。こちらのゲートの警備隊を率いている者だ」

「初めまして、アルチョムです。博覧会駅(エキシビジョン)出身です」

「博覧会駅! 遥々ようこそポリス駅へ。長い道のりだったろう?」

「ええ、まぁ」

 

 彼らがぐっと交わした握手は友好的なクラスノフ隊長の笑みと相まって、敵意も警戒心も感じられない。アルチョムの場合はようやくポリス駅に辿り着いたという安堵感なのだろうけれど。

 

「それで隊長はもう話を聞いてる?」

「さっきニコライから連絡があったさ。通っていいぞ……と言いたいところだが、そちらの彼氏さんの素性は聞かせてもらわないとな。

 なあ坊主よ、このナマイキで淫蕩なオオカミさんの具合はどうだった?」

「ちょっと、クラスノフ隊長!?」

「冗談だ冗談! だからそのイーグルに手を伸ばすのはやめとけ」

「むぅっ……」

「おやおや……これは……もしかすると……本当に?

 いつもなら“おしゃべりする口を増やしてやろうか”くらいに食って掛かるはずのコイツが……ねぇ」

「いつもそんな言い返しばっかりだと思わないで。こっちは疲れてるんだから。

 コムソモーリスカヤを出てから地獄廻りが続いてくたびれたんだ。彼も博覧会駅から苦労してここまで来ている。疲れているからさっさと大佐に報告を上げてから部屋で休ませてくれない?」

「わかったよ。ただ大佐は今外出中だ。こっちで用件を伝えておくが」

「悪いけど機密事項だよ。大佐に直接話す」

「了解した。そう伝えておこう。ああ、それと」

「まだ何かあるの?」

「ウルマンから伝言だ。“大佐に報告するなら俺も行くから呼べ”だとよ」

 

 ついに来てしまった。そう、ポリス駅へ到達するための旅路は酷く困難で、深い悲しみを伴うものになった。ウルマン、彼に親友であるパヴェルの死を伝えなければならない。そしてオーダーとして、仲間たちにも彼の死は伝わることだろう。

 アルチョムも奥歯をかみ締めて苦い顔をしている。それも当然だろう。彼の末期の瞬間を見たのはアルチョムなのだから。

 

 

 ポリス駅の一画、スパルタンオーダーたちが集まる詰め所の一室でウルマンは待ち構えていた。事前に彼に内線で話したとおり、彼は一通の手紙をテーブルに置いたまま静かに佇んでいる。

 

「アルチョム、ラスヴェート……無事で何よりだ!」

 

 友の死を知ってなお、ウルマンはその髭面に笑みを浮かべてこちらを見る。伝えなければいけないけれど、躊躇いは生まれる。どう告げるか、どのタイミングで言うべきか、葛藤が心の中で続いていく。おそらくアルチョムは私以上の苦しみを味わっていることだろう。

 

「……ウルマン、パヴェルは死んだ」

「あー……その、なんだ」

 

 苦々しい表情でアルチョムは半ば自棄になったように口を開く。アルチョムはただ淡々と事実を告げたものの、ウルマンは「まいったな」と呟いてばつが悪そうに顎鬚を撫でる。

 

「……どうしたの?」

「ヴェート、いや、その、な……生きてるんだよアイツ」

「冗談」

 

 ウルマンはそっと目配せ、手紙を取り上げてその中身を見せる。

 

「…………じゃないんだね?」

「ああ、その通り。パヴェルは生きてる」

「そんなまさか! 彼は確かにグレネードとノサリスごとレールカーから飛び降りて……!」

「らしいな。けど生きてた……生き延びたんだよあいつは! こいつはヴェニス――ノヴォクズネツカヤ駅に駐留しているオーダーの一人が持ってきたんだが、6号線――リジスカヤ線のオクチャブリスカヤからノヴォクズネツカヤの間は浸水がひどくてけが人を連れ歩くのは無理だ。

 それで2号線――ザモスクヴォレツカヤ線が交差するパヴェレツカヤ駅方面からノヴォクズネツカヤ駅に向かい、パヴェルを回収する予定……だったんだがなぁ……」

「へえ、ウルマンにしては歯切れが悪いね? 何かあったの?」

「パヴェレツカヤ……まさか……」

 

 どういうことだろう。アルチョムはウルマンの歯切れの悪さに何か心当たりがあるのだろうか?

 それにしてもヴェニス……ノヴォクズネツカヤ・トレチャコフスカヤ両駅に居るとは……。

 

「……通信は、届いたのかい?」

「あれを送ったのはアルチョムだったのか?」

「ああ。……彼等は……みんなっ、勇敢な人たちだった……!」

 

 ぐっと奥歯をかみ締め、アルチョムは悔恨の意を顕にして口を開く。

 パヴェルとはぐれ、一人生き延びた先で出会ったパヴェレツカヤ駅の戦士たち。彼らとの出会いと共闘、そして託された遺志を胸にパヴェレツカヤ駅を脱出し、ブラック駅の近くの廃ビルに設置されていた通信機を使ってポリス駅にこの非常事態を知らせたことが語られる。

 

「となると、更にヤバいことになったぞ。アルチョムが辿り着いたのは2号線――ザモスクヴォレツカヤ線側のパヴェレツカヤ駅だったんだな?」

「ああ、環状線(ハンザ)側の駅への通路は厳重なエアロックで塞がっていたからわからないけれど、2号線――ザモスクヴォレツカヤ線側は既に……」

 

 つまりモスクワメトロ環状線を南南東から北北西にかけて貫いている2号線の駅の一つは完全に陥落したということだ。もしも南方から侵入してきているミュータントどもがそのまま素通りしていくとなると、その先にあるのは――

 

「ヴェニス――トレチャコフスカヤ駅……これってすごく重大な事件だと思うんだけど」

「ヴェート、こいつは誰がどう見たって一大事だ。環状線と隣接する駅がミュータントに飲み込まれるってことは、環状線の内側にまでミュータントが入り込める入り口ができちまったってことだ」

 

 環状線の内側はファシストや共産主義者など様々な勢力が蔓延っている。逆を言えば人間以外の強敵は空を飛ぶデーモンとノサリスやハウラーくらいのミュータントしか存在していないのだ。それ以外は悉くが駆逐されている。

 逆に環状線の外側は未知なる世界がそのままに残っていると言っても過言ではない。

 

 「おまけに2号線――ザモスクヴォレツカヤ線はパヴェレツカヤから南が既にミュータントどもの巣食う無人駅ばかりだ。アフトザヴォーツカヤ、コロメンスカヤ、カシルスカヤ、そこに接続して西に向かう11号カホフスカヤ線、その先には南北に伸びてポリスにも繋がっている9号線――チミリャゼフスカヤ線のセヴァストーポリスカヤだ」

 

 ウルマンはもさもさと伸びつつある無精髭を撫でながら、苛立ちを顕にして呟く。

 これは不味いことになった。アルチョムの用件がすぐに解決するとは思えない。あのハンターが代理人を立ててでも現場に残ったことからも事態が逼迫していることは間違いないだろう。

 

「ともかく、ミラー大佐を呼んですぐに――」

「その必要は無い」

 

 ウルマンの言葉を遮った声に振り返ると、そこに佇んでいるのは白髪交じりの立派な髭と角刈りの頭髪をした、少し皺の深くなっても相変わらず筋骨隆々の屈強な老戦士という容貌の男だ。

 

「大佐! いつお戻りに? それよりもパヴェレツカヤ駅の件は!?」

「どちらも先ほどだウルマン。急ぎの話があると聞いてここへ来た。久しぶりだなヴェート。また小遣いをせびりに来たのか?」

「ちっ、違うよ大佐! 私は護衛で来たんだよ!」

「んーむ……そうかそうか、そういうことにしておこう。それで――ハンターからの報告というのは?」

 

 朗らかな笑みをかき消すようにミラー大佐はその眼を細め、私たちを見る。

 

「あ、あの」

「君は?」

「初めまして。アルチョムといいます。博覧会駅出身です。ハンターからの伝言を預かってポリスへきました」

「遠路遥々ご苦労だった。アルチョム君。私はメリニクという。まあ皆は“ミラー大佐”と呼ぶがね。

 立ち話も疲れるだろう。皆座るといい」

 

 アルチョムは緊張した面持ちで、そしてミラー大佐はいつもの軍人としての毅然とした様子で握手を交わす。皆自然とその手が離れるのを待ってから席に着く。

 

「さて、アルチョム君。君がハンターから預かったという言伝を聞かせて欲しい」

「……その前に、この部屋は音が漏れたりは?」

「音は漏れないぜ。水漏れはしょっちゅうだがな」

「うるさいぞウルマン。……外に控えているのはスパルタンオーダーの戦士だ。そしてここはオーダーの管理する施設だ。防音も十分に施している。心配は要らんよ」

「では……お話致します」

 

 アルチョムは静かに口を開くと、まず一言目に言う。

 

「まず、これはメトロ全体に関わる脅威についての話です」

 

 ミラー大佐は眉間に皺を寄せ、ウルマンは息を飲む。私はといえば、どこか“やはりか”というような感じが胸中を埋め尽くすばかりだ。

 

「はじまりは一ヶ月前のことでした。博覧会駅から先が無人駅なのは皆さんもご存知だと思います」

「ああ。植物園駅から先はもう誰も住んでないんだろ? もう十年以上前から知ってるよ」

「ウルマンの言うとおり、植物園駅から博覧会駅に向かってくるのはミュータントだけです。ですが、あの日は違ったんです。

 二本足で歩き、長い両手を持った、黒く輝く肌と大きな瞳の――まるでヒトのようなミュータントが現れたんです」

「ヒト……!? みたいな……! そんな存在が有り得るのか!?」

「噂の“吸血鬼”ですかね、大佐? 映画の世界から出てきちまったのかね、かわいそうに。明日には剥製にされて標本になっちまうな」

 

 ウルマンは茶化すように言い、ミラー大佐も半信半疑と言うべき表情でアルチョムに問い詰めるものの、アルチョムは真っ直ぐに大佐に向き合い続ける。

 

「背丈は僕たちよりも大きく、ほっそりとした手足でした。そしてそのとき駅の監視所には僕と駅の司令官のほかに三人が詰めていました。そして、彼らから“攻撃”を受けたんです」

 

 ――黒い肌。細い手足。ヒトガタ。

 

「僕と司令官の目の前で、仲間の三人は……“ノサリス”になったんです」

「――ばかばかしい! そんな荒唐無稽なこと、ハンターはおろかカーンだって言いやしない!」

「アルチョム、リボルバーを貸して。見て、ミラーおじさま。これはハンターから私が預かっていたリボルバーだよ。ウルマンもこれをカーンから確かに預かったはずだ」

 

 受け渡したリボルバーをまじまじと眺めたウルマンはアルチョムに銃を手渡し、きりっと表情を引き締めてミラー大佐に向き合って言う。

 

「……ああ、確かにカーンから預かったリボルバーだ。こいつをハンターに返してくれと言われて、俺は確かにハンターに手渡した」

「そしてアルチョムはこのリボルバーを“預けられて”ここに居る。彼の父は駅の重役らしいから博覧会駅に問い合わせれば確かな答えが聞けるはず。

 ミラーおじさま、アルチョムを信じられないって言うなら私が保証人になる。私だけじゃない。カーンも、ウルマンも、彼の父も、そしてパヴェルも彼の人となりを保障する!」

 

 アルチョムが差し出した一丁のリボルバー。それを受け取った私はハンターの刻印を見せ付けるようにミラー大佐に差し出す。

 私がハンターから預かって、カーン、ウルマンの手を経てハンターの下へと帰っていった銃だ。見間違えるはずもない。そしてそれを預けられたアルチョムが誠実で確かな信を置けるヒトなのだということを私たちは身を以って知っている。

 

「……どうしてお前達はそこまでこの男を信用する?」

「私は、彼が優しい人間だって知っているから」

「俺は、こいつが仲間のために命を張れるヤツだって知ってるからだ」

 

 フゥー、とミラー大佐は額に手のひらを当てて思案したが、ものの数秒でアルチョムに向き直って告げる。

 

「すまない、続けてくれ」

 

 大佐の顔は先ほどまでの不快そうな表情が消え、真摯さを感じさせる面持ちと目線を投げかけてくる。

 アルチョムの想いは、私たちの願いはミラー大佐に届いたのだ。それを感じとったのか、アルチョムは微かに肩を震わせてこちらを見る。

 

「спасибо(スパシーバ)……二人とも……うっ……ぅぅっ……本当に……ありがとう! ありがとう……!」

 

 アルチョムの目じりから一滴の涙が流れ落ちる。短い間だってけれど、彼はどんなときにも涙を流さず挫けることがなかった。そんなアルチョムが涙を抑えきれなくなるほどの歓喜。

 ようやく彼の願いは叶うのだ。一笑に付すことなく、真実と受け止めて認めてくれるヒトに会えた彼の喜びは計り知れない。

 

「ヴェート、お前まで泣いてどうする」

「泣い……てっ、ない!」

 

 涙を流しながらこちらを見るアルチョムには笑みが浮かんでいる。頭をわしゃわしゃと撫でるミラーおじさまのごつごつした手のひらの温かさがどこか嬉しい。

 

「すみません、続けます」

「ああ、頼むぜアルチョム」

「しかし、ノサリスに“なった”とは……どういうことなのだね」

「……それがヤツラの攻撃なんです。我々博覧会駅の上層部ではこのミュータントをこう呼んでいます。“ダークワン”……あるいは……」

 

 アルチョムはふと口ごもるようにしたものの、一つ間を開けて告げる。

 

「“黒き者(チョルヌイ)”と」

 

 黒き者。奇しくもそれは第四帝国の――まさか――

 

「まさかとは思うが、有色人種……とりわけ色の濃い人種を指しているわけではあるまい」

「ええ。ミラー大佐の考えている第四帝国のプロパガンダとは何ら関係ありません。こちらはミュータントです。先ほど言った通り、我々と交戦した黒い体色の謎の存在を指す言葉です」

「なあ大佐、この言葉はやめとこう。“ダークワン”のほうが“穏便”だぜきっと」

 

 確かにそう、ウルマンの言うとおりだ。私たちまで第四帝国の人間のように扱われてはかなわない。

 ミラー大佐もそこには同意見らしく、深く頷いて応える。

 

「だろうな。以後は“ダークワン”と呼称する。二人とも、いいな?」

「このダークワンの攻撃の方法は二種類あります。非常に不愉快な頭痛を伴った音波のようなもの。もう一つは幻覚を見せてくるということです。

 例えば僕が受けた攻撃の場合ですが、目の前にいた三人の仲間が突然ノサリスに変化し始めたんです。そして襲い掛かってきた彼等を殺し終えた瞬間に……彼等は元の姿に戻っていました。

 その場に居た司令官は幻覚を見ていなかったようで、突然僕たちは『ミュータントどもめ!』と叫びだして同士討ちを始めたのだといっていました」

 

 言葉が出ない。つまりアルチョムは、いつも駅で顔を合わせる見知った人たちをその手で――殺してしまったのだ。

 

「つまり、ダークワンは幻覚を見せることで人類同士で殺し合わせたわけだな? ダークワンってのは超能力者が進化したのかねえ?」

「超能力者かどうかは知らないけれど、君の言う通りだよウルマン。僕は彼らが目の前でミュータントに変異したように見せられて、身を守ろうと引き金を引いた。その後に残ったのは……僕に撃ち抜かれた仲間たちの亡骸だけだった。

 一緒にいた友人のセルゲイも……僕がこの手で……! 彼の母は未だにセルゲイが無事なのかどうか聞いてまわっているっていうのにっ! 僕は彼を殺して! あまつさえ彼の母に尋ねられても知らぬフリをするしかできなかった!」

 

 ドンッと机を叩く音と嗚咽が響く。

 

「……アルチョム、辛いことを聞くようですまないが答えてほしい。そのミュータント、ダークワンを撃退することは?」

「できませんでした。気づけば彼等は歩哨たちの目の前にいて、何度監視所で見張りを立てて厳重な防衛ラインを敷いても無意味でした。僕が博覧会駅を発つ前には既に防衛ラインはあと二つしかありませんでした。

 駅のストーカーたちは誰も帰ってこないままで、レンジャーたちも半数以上が病院で気が狂ったままか死んだかです」

 

 なんてことだ。なんてことだ!

 とんでもない事態だ! パヴェレツカヤ駅が陥落した程(・)度(・)のことなど些事でしかないほどの大事件じゃないか!

 

「ハッ、なるほどな……そんでハンターが現場で残って対処せざるを得ないってわけだ。そこで代理人として信の置ける人物としてアルチョムを選び、ポリス駅に向かわせたってとこか」

「ようやく納得がいった。確かにこれはおいそれと言えるような話じゃなかったね……ごめんなさいアルチョム。カース駅であんな物言いをしてしまって」

「いいんだよヴェート。スパルタンオーダーなら疑ったって当然……いや、あんな怪しげな素性の僕じゃあ疑われても仕方が無かったんだ」

 

 彼が背負ったものは私が想像したものより途轍もないものだった。下手をするとこのメトロそのもの、人類という存在にとっての脅威に為り得る。

 

「ミラー大佐。僕がここへ来たのはこのダークワンを倒すために力を貸して欲しいからです。ハンターが信を置くあなたを信じて、ここまで来ました。どうか力を貸してください!」

 

 アルチョムは力強く椅子から立ち上がり大佐を見据える。彼の視線は大佐の黒い瞳をじっと見つめ、まばたきの一つさえしないほどだ。

 すると、大佐は思いにふけるように瞳を閉じて呟いた。

 

「最初は、何を莫迦なと思った」

「…………だと思います」

「だが、こうして詳しく君の口から語ってもらえたことで真実だと確信し、また事態は急を要すると判断した」

 

 カッと見開かれた瞳には炎が宿っている。迷うことのない戦士の目だ。かつての私には無かった、熟練の戦士だけが持つ“見定める目”で以って大佐は立ち上がることを選んだのだ。

 

「すぐに議会を召集し、クシャトリヤ(レンジャー)の派遣を上申しよう。スパルタンオーダーはそのようなしがらみが無いものの数では劣る。この一件は迅速に当たらねばならん。そしてそのためには人手が必要だ。

 ウルマン、ポリスと近隣のハンザ同盟各駅、及び近隣駅に所属するオーダーを召集しろ。それとトミリンのチームを派遣し、博覧会駅の地上部から植物園駅周辺を監視させろ。

 ヤツラの目撃報告は博覧会駅だけしか上がっていない。逆を言えば博覧会駅から先の植物園駅方面にダークワンが存在しているということだ。ヤツらが地上部から侵入してきているのだとすると恐らく植物園駅から先に棲み家(コロニー)が存在しているはずだ」

「Да(了解)! すぐにチームを召集します。でも一息つかせてくださいよ、俺達もつい数時間前に戻ったばっかりなんだ」

「貧乏ヒマ無し、だぞウルマン。アルチョム、君は私と共に後で議会の壇上に立ち、今一度この現状について評議会の議員たちに説明してもらわなければならない。……できるな?」

「ええ、もちろんです」

 

 ミラー大佐は頑固なことで名の通った人物だ。逆を言えば一度やると決めればそれを貫き通す覚悟や意志の強靭さを持ち合わせた人物でもあるということだ。

 そしてそこに軍人として培ってきた柔軟さ、リーダーとして状況や現状を見据えた上で的確な判断と行動を取ることができる能力を持ち合わせている。

 揺ぎ無い信念に基づいた行動力と如何なる苦境にも対応してみせる思考の柔軟性に加えて、自信に満ち溢れた決断を下すことができる彼はまさしくリーダーというものの在り方の一種と言えるだろう。

 

「そしてすまない……ヴェート。この際怪我をしているからといって休ませるわけにはいかんだろう。

 お前はオーダーだ……と同時に一人の女だ。できることなら連絡員としての任務を宛がいたいところではあるが……」

「いいんだよ、ミラーおじさま。私は女で、オーダーだ。だけどそれよりもこのメトロを守りたい人間の一人なんだ。私にできることがあれば遠慮なく言って欲しいんだ。

 このメトロに住む家族や仲間のために戦うことを選んで、オーダーに入ったんだから」

「……ありがとう、ヴェート。ではお前は少し休息を取ってからマーケット駅……平和通り駅(プロスペクト・ミーラ)へ向かえ。タガンスカヤ駅が閉鎖中のため、時計回りに環状線(ハンザ)をぐるりと回るしかない。連絡あるまでそこで待機し、いつでも近隣の駅のレンジャー部隊と連携が取れるよう態勢を整えてくれ。

 要請があり次第部隊と共に博覧会駅の防備を固めるべく移動してくれ。……正直言えば危険は最大級だ。何せダークワンに最接近しなければならないかもしれんのだ。だがカルジスカヤ線の北方路線同盟近辺のハンザ同盟駅が相手ならお前の顔が利く。恙無く、迅速に話をまとめられるのはお前だけだ。……頼むぞ」

「Да(了解)、必ず取り付けてきます」

 

 平和通り駅周辺のハンザのレンジャーを纏める……それは大役ではあるけれど不安は感じない。グリゴリーやアナトリーといったレンジャーのお偉方とは面識があるし、ハンザのストーカーとしての肩書きもある。

 

「一先ず我々に必要なのは時間と情報だ。博覧会駅の陥落を防ぎ、反撃の手立てを整える時間。そしてダークワンに抗する具体的な方法の模索……直接的に倒す方法はもちろんとして巣の在り処や行動範囲、習性や能力について情報を集めて考察し、倒すために有用な手段を見つけ出さなければならん。

 そしてトミリンのチームが情報を持ち帰ってくるまでに、我々は議会を説得し戦力を確保する。パヴェレツカヤ駅の奪還とパヴェルの確保に動くチームはアンナとポリス駅のレンジャーに任せよう。我々はまずダークワンに当たる」

 

 ミラー大佐は古ぼけたパイプ椅子から腰を上げ、私たちに向き直って告げる。

 

「さあいくぞ戦士たち! 崇高な任務が待っているぞ」

「崇高な任務、ね。俺は歴史に名を残すのはあまり興味ないんですが」

「無用の心配だウルマン。とんでもない目に遭って世界を救おうと、誰も気にかけなどしない。

 だが、戦わなければ世界の危機は払えないんだ。褒められようが褒められまいが、オーダーのすることはいつもどおりだ」

 

 そう、私たちのすることはいつもどおりだ。メトロに住まう仲間や家族のために戦い勝利することだ。立ち向かうことでしか守れないもの……それはかけがえの無い大切なものであると私たちは知っている。




一応最期のシーンまでの筋道はできました。
あとはどこにエロいのを挟むべきか。むむむ。
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