※この作品はR-18です。

Metro2033 -影を見る者-   作:きゃすたー(7mg)

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タイトルはサントラに頼った


第三十一話 原罪の杯

 

 眩しい光。そしてクラクション。ドスンという鈍い音。僕の目の前に立ちふさがったミュータントは、僕がその場を飛び退いたほんの二三秒ほどの間に肉片に変わり果てていた。

 代わりに目の前にあるのは鋼鉄の除雪板を備えたトラックだ。中央で鋭く尖った鋼板は赤いデコレーションで彩られ、荒々しい排気音(鼻息)を上げて佇んでいる。

 

「どこへ行くんだ相棒? 軍用弾五十発で連れてってやるよ」

「無事でなによりだアルチョム。さあ乗りこめ、教会へ急ぐぞ」

 

 目の前に降り立った図書館の“司書”……ライブラリアンを轢殺したトラックの運転席から頼もしい声が向けられる。

 

「ウルマン……! ミラー大佐……!」

 

 ガスマスク越しだが彼の陽気さは変わらない。一人レーニン図書館をさ迷い歩いて幾度となく死を感じたことさえ忘れそうだ。

 開け放たれたドアから助手席に乗り込むと、ウルマンがハンドルを握りなおしてトラックを発進させる。

 

「首尾はどうだアルチョム?」

「これです。機密文書保管庫で見つけました」

「上出来だ!」

「イイ感じだな。大佐、音楽でもどうです?」

「ああ、かけてくれ!」

 

 地上の物悲しい廃墟の合間を陽気なロックンロールと共に駆け抜けていく。大佐は開いたファイル――薄汚れて劣化しているが――を開いて書類をめくりながら目を通していく。

 

「フム……やはり“D6”に向かうゲートの位置は暗号化されているな……」

「暗号化、ですか?」

「そうだ。幸いと言うべきか、このファイルの情報自体がかなり古いものだ。おそらく建設中かその直後のものだろう。そのため暗号そのものは現代からすれば複雑ではなさそうだが、2013年当時となっては使用されていない入り口に行き当たる可能性もある。

 それにこの書類自体がダミーである可能性もあり得る。十分な装備と人員を以って探索する必要性がありそうだな」

「……それとミラー大佐、ダニーラの容態は……」

「心配いらんよアルチョム。幸いにも腕の骨折だけで済んだ。アルチョムが咄嗟にライブラリアンの頭にドラゴンブレス弾を叩き込んでくれたお陰だ」

「よかった……ああ、本当によかった……」

 

 彼が身代わりになってライブラリアンに捕まったあの瞬間は生きた心地がしなかった。その上で僕が咄嗟に動けたのは……きっとあの二人のお陰だったのだろう。第四帝国からの脱出の折に彼女はレールカーに飛び乗ってきたノサリスに引き摺り下ろされ、助けようと突き出した僕の手は彼女の差し出す手を掴むことができなかった。そしてその数分後にはパヴェルがグレネードと共にノサリスを道連れにしたのだ。

 

 モスクワメトロを導く灯火のような彼女を失い、立て続けに僕の命を救ってくれた恩人さえも失った。その上パヴェレツカヤ駅では見知らぬ仲間たち、名前さえ知らない戦友と死に抗って……僕だけが生き残ることができた……生き残ってしまった。その失意は当時の僕には絶望に等しいものだった。

 だが二人が命がけで戦ってくれたからこそ僕はポリス駅へと辿り着くことができたし、見ず知らずの僕を助けてくれた彼らが居たからこそ、僕は名も知れぬ戦友たちの助けになりたいと思うことができたのだろう。

 

 もう失いたくないという一心……ただそれだけが僕を突き動かし、結果としてダニーラの命を救うことができたんだ。

 

 

第三十一話 原罪の杯

 

 

 ハンザ同盟――環状線駅の間を運行するレールカーの復路便に飛び乗って平和通り駅に滑り込むと挨拶もそこそこにカルジスカヤ=リジスカヤ線のホームへと踏み入れる。一週間か十日前かは覚えてないけれど、あの日ブルボンがリガ駅へ向かったのを見送った場所を過ぎ去ってリジスカヤ線側の平和通り駅へ踏み入れる。

 ハンザ側をモールとするならばこちらは露店街だ。薄暗い駅のホームはランプの明かりで彩られ、軒を連ねる商店の品物は雑多に並べられ、小さな酒場の隣に武器庫が一つあるだけだ。しかし人の賑わいだけはハンザ側にも負けていない。

 小さな言い合いや酒場の笑い声が響き渡り、ギターをかき鳴らす歌い手の歌声が不安に押し潰されそうな大人たちを慰める。子供達は笑い声を上げて人の隙間を縫って駆け抜け、女たちは飲んだくれた亭主や友人、恋人を叱り付けて引き摺るように寝床へ帰っていく。

 

 この駅の人たちは今を精一杯に生きている。それを奪われるわけにはいかない。

 

 ハンドカーの漕ぎ手を買って出てまでリジスカヤ駅へ向かう様はさながらあのときのブルボンを思い返す。借金取りの連中に見つからないように必死だったっけ。

 

「はぁっ……んっ、はぁっ……ようやく着いた…………あー! 疲れたー!」

「お疲れさんお嬢ちゃん。レンジャーとはいえそのちっこい“なり”でよく動くもんだ」

「きっ、鍛えて……はぁっ……ふう……いるから……ね!」

 

 グッとサムズアップしてみせるものの正直足腰が痛い。鍛えていようがスタミナはきれてくるものだし、女性にしてはという補足だってついてくる。

 

「ほらユージーン、ゲンナジー、お前さんらもお嬢さんを見習っておけ。この程度で音を上げてちゃ男が廃るというものだぞ。二人がかりでハンドルを漕いでそのザマはなんだ?」

「ヒィー……! ハァー……ッ! も、もう無理だ……!」

「ボッ、ボリス……お、おれた……ちは……ハァ……ハァ…………ただの、護衛、なんだぜ……」

「護衛だろうがレンジャーだろうが男はタフネスだぞ! 夜も昼もな!」

 

 ぐったりと倒れ伏した二人の青年をボリスと呼ばれたヒゲの立派なおじ様が叱咤する。AKを手に構えた姿も堂に入っていたし、少々のノサリスやラーカー程度は一発で仕留めていた腕を見るにボリスはかなり経験豊富なようだ。

 

「それじゃ私はここで。みんなも道中気をつけて」

「お嬢さんにも幸運を! いくぞ二人とも、出発だ!」

「マジかよ……」

「勘弁……してくれぇ」

 

 ボリスは意気揚々とAKを掲げて号令を下す。着いたと思ったらまた走り出さなければいけないことにユージーンとゲンナジーはうんざりとした顔をしていたが、半ばやけっぱちのようにレバーを漕ぎ始める。

 ガコン、と前のトロッコの連結器が伸びきり次のトロッコが動き出す。少しずつ速度を上げていく商隊(キャラバン)の列車を見送ると、リジスカヤ駅のホームを出て行政区へ足を踏み入れる。

 

 リジスカヤ駅の片隅にはこのご時勢には珍しく通信施設が設けられている。それもそのはずでこの駅は旧時代に於ける“モスクワの玄関口”の一画であり、私の住むコモソモーリスカヤ駅、そこから北東に少し先に進んだところにあるソコリニキ線クラスノセリスカヤ駅、そしてオスタンキノタワーの南の地上部に立つ“ЕСП-сервис”(以前探索して調べたところ鉄道会社か旅行会社らしい)のオフィスとを結んだ広大なターミナルの中に存在している。

 航空写真で見たとき、その広さに顔が引き攣ったのはいい思い出だ。ざっと縮尺で計算してみても私の住む駅から北北東に向かって実に4kmにも渡る鉄道の関連施設がずらりと並んでいるのだ。車両が通る本線、待避線、多方面に伸びる分岐と貨車とそのターミナルと倉庫、そこに車両のメンテナンスのための整備工場が並び、鉄道会社や関連企業のオフィスまで……軽く想像しただけでこれほどの施設が軒を連ねているのだ。

 となれば無線機の一つや二つはすぐに見つかる。何せこれだけ巨大なターミナルで作業が行われるとなると、無線機で逐次情報を遣り取りする必要があるからだ。

 

 ストーカーにとっては宝の山で、ミュータントにとってはごちそうが勝手に集まってくる餌場だ。

 

「やあジェニス、調子はどう?」

「ラスヴェート、どうもこうもないさ。話を聞いたときには正直わけがわからなかったよ」

 

 無線機のヘッドホンを片耳に当てていた三十代の男、スパルタンオーダーの連絡員ジェニスは無線機のボリュームを落としてこちらに向き直る。深緑の戦闘服(BDU)をラフに着流した彼は深いため息を吐いて手にしていたマイクをテーブルに置いた。

 

「トミリンなら部下とストーカーのチームと共に“博覧会(ВДНХ)駅”から地上部に上がるとついさっき報告があったぞ。駅を出て少し北東に進んだところにあるホテル・コスモスの最上階から監視を行うそうだ」

「アレクセーエフスカヤ駅の地上部じゃなくて?」

「ああ、アレクセーエフスカヤの近郊はほとんど高層建築物が無いんだよ。その点博覧会駅の近くは開発が進んでるから高層マンションなんかもある。ホテル・コスモスはその中でも頭一つ抜けて高い上に目の前の全ロシア博覧センターの先、植物園駅まで見通せる。

 オマケに駅も近い。まさに“お客様のニーズに応えた最高の物件”ってやつさ」

 

 ジェニスはくつくつと笑みを浮かべ不動産屋の謳い文句のように言っているが果たしてそこは本当に安全なのだろうか。あまり近すぎてはダークワンを刺激しかねないし、何よりダークワン以外の既知の脅威も気がかりだ。

 地上部の巨大建造物はミュータントの巣窟になっていることだってある。ともすればダークワン以外の、更に未知のミュータントとの遭遇だってあり得る。

 

「……とりあえず大佐に連絡取らせて。報告しなきゃいけないこともあるし」

「ちょっとまて……よし、いいぞ」

 

 ジェニスに変わって席に着き、ヘッドホンを耳にあててマイクを手に取る。

 

「大佐、聞こえますか。こちらナンバー1337、ヴォールク。応答願います」

『……私だ。無事で何よりだラスヴェート』

「大佐もご無事でなによりだよ」

『スパシーバ、では報告を聞こう』

「平和通り(プロスペクト・ミーラ)駅とコムソモーリスカヤ駅は動いてくれる。けど……」

『あとの二つに関しては構わん。動かないなら動かないでそのままファシストどもの相手をしてもらうだけだ。連絡員に情報をいくつか“流させる”さ。お前は今リジスカヤ駅か?』

「Да、駅の部隊の到着を待って合流し、博覧会駅へ向かう予定だよ」

『うむ、そうしてくれ。ただこちらは少々問題が発生している。議会の決定でポリス駅のレンジャーの協力は望めなくなった』

 

 ……駅を、見捨てた……か……あの老人どもめ……! いや、もしかすると宗教家どもの差し金か?

 

 ぎり、と握り締めた右手に掌が重なる。見るとジェニスもヘッドホンを着けて会話を聞いていたらしい。

 

「ラスヴェート、その怒りは後にとっておけ」

 

 ああ、もちろんだ。この怒りはあの老害どもの股間を蹴り上げるためにとっておかないと。

 

「それで大佐、私はどうすればいい?」

『お前はそのままプラン通り部隊と合流してくれ。こちらは今から“切り札”を確保しにいく』

「……切り札?」

『そうだ。機密事項故お前に話すことはできないが……下手をすれば私も生きて帰れるかわからん』

「……アンナには?」

『伝えていない』

「絶対に、絶対に生きて帰ってきて。……大切な家族を遺していったりしないで……大佐……お願い」

『――――――――わかった』

 

 長い、長い沈黙。十秒か、一分か、あるいは永遠とも思える一瞬の沈黙の果てに大佐の答えが返ってくる。

 

「私は後続が合流するまでリジスカヤ駅で待機するよ。大佐、幸運を」

『何かあればお前の判断で動いて構わない。緊急事態の場合は許可を取る必要もいらん。ラスヴェート、死ぬなよ』

 

 大佐との通信が切れる。ザーッと鳴り響く砂嵐、または豪雨のようなノイズ。ふう、と吐き出したため息に重なるように、不意に耳に響いていた嵐の音が止む。

 

 ――私はあなたのために死んだのに、あなたはそれを知らないまま――

 

「お前は、何者だ!」

「お、おい、どうした!? 落ち着け、ラスヴェート!」

 

 どくん、と跳ねる鼓動。背筋を這うぞわりとした冷たい感触。耳に届いた声はまだ幼い少女の、鈴のような音色で囁くように語り掛けてくる。

 

 ――私はあなたのために死んだのに、あなたはそれを知らないまま――

 

 こいつは……一体何なんだ? アノマリーにしては妙に声がはっきりとしている。ノイズらしい呻き声でもなく、人としてのカタチを得たわけでもないのに……どうしてこうも正確に聞き取れるんだろうか。

 

 ――おしゃべり、しましょう――

 

 ざあ、とノイズが戻る。もう声は聞こえない。

 

「……大丈夫、もう、聞こえなくなった」

「どうしたんだ急に? ……気でも狂ったのかと思ったぞ」

「アノマリーだ……通信回線にだけ割り込んでくるなんて……随分小器用な真似ができるようになったものだよ」

「――聞こえたわけか。安全そうか?」

 

 ジェニスの声は低く問いただすような圧を感じる。身の安全はもとより、リジスカヤ駅の住人に被害が及ぶかもしれないのだ。警戒するに越したことは無い。

 とはいえ情報が少なすぎる。最期の言葉を鑑みるに……おそらく狙いは私なのだろう。それでも他の人に被害が出ないとは限らない。

 

「わからない。少なくとも用心に越したことは無いと思う」

「間も無く午後十八時か……アノマリーが強まる時間帯だな。気をつけよう」

「私も寝るよ。ジェニスも今日は明かりを多めにしてね」

「ああ。……無理はするなよ、ラスヴェート」

 

 席を立った私の背に忠告が投げかけられる。手を振って返事をしてまず捜し求めたのは今日の寝床だ。ポリス駅で睡眠は十分とっているが、アノマリーが来るとなればそれなりに対策をしておかなければ。

 

「さて、今日はどう出てくるのか」

 

 幸いにしてリジスカヤ駅の駅長は快く寝床を貸してくれた。ランプも質のいいものを提供してくれたことだし、今日一晩はアノマリーに備えて水銀灯や焚き火も増設されるらしい。アノマリーの気配が強いと忠言したときの彼の顔は水銀灯よりも青白かったが。

 今日の寝床のベッドは普段のものより柔らかい。いつもは板切れを重ね合わせたものに地上から持ち帰ったボロのマットレス――もちろん除染済み――を敷いたものだが、ここのマットレスはホテルから持ち込まれたのだろうか、すこぶる快適な寝心地だ。

 

 

 

「……ん、ぅ……」

 

 じっとりと、蝕むような寝苦しさに目を開く。下着は寝汗でべたつき、額を流れる汗の感触がはっきりと感じ取れる。

 ぱしゃん、と水面を叩く音。水底に手をついて気だるい身体をどうにかして持ち上がらせる。

 見回せば前と後ろに続いていく岸壁があり、眼前には上が見えないほどの大きな扉があって足元は水路のように水が流れている。所々に転がっているのは見間違えようもないヒトの死骸の数々。

 

「ああ……! 我が愛しきものよ……! き、聞こえる……聞こえるぞ! そう、そう! いつもいつも! いつの時もぉぉッ!」

 

 男の絶叫。歓喜に塗りつぶされたような悲鳴に振り返る。水路の先には一つの鉄格子。その格子を持ち上げるハンドルを必死に回す、見覚えのある何者か。

 

「……ブルボンに、アルチョム?」

 

 不意に風が駆け抜ける。そよ風のように私をすり抜けたかと思えば次の瞬間にはまるで台風や吹雪のように私の身体を押し流そうとする。

 

 ガコン、と重々しい音に再び振り返れば視線の先で扉が開きつつある。真っ赤な光を湛えた“そこ”へ向かって足元の死体が流れていく。風に乗り、水の流れに乗り、私さえも巻き込んで流れていく。

 

「――ヒッ」

 

 赤い光の中心。そこに佇む白い少女。真っ白のワンピースを着て俯いたままの黒髪の少女がすっと顔を持ち上げ――

 

 ――その赤い瞳で私を射抜く。

 

「ぅ、あぁ、いっ、ヒィッ……!」

 

 不安感、嫌悪感、嘔吐感、不快感、既視感、絶望感が立て続けに私を苛む。

 言い知れない不安、私が私でなくなるような心細さ。

 本能的な恐怖、アレを受け入れたくないという拒絶。

 逃げろという警鐘、人間では無いナニカへの警戒心。

 這いずり回る狂気、脳を侵し心を踏みにじるあの子。

 だけどどこかで、私は彼女を知っているという確信。

 逃げないと、けど逃げ切れないジレンマに似た葛藤。

 

「ゃ、だ……! いやっ、いやぁっ! し、死にたくないっっっ! ヤダヤダッ! たすけて! 助けてよぉっ! アルチョム! ブルボン!」

 

 死体に足を取られ、吹き付ける風……いや飲み込もうとする風に追い返され、這い蹲って手を伸ばす。ブルボンを抱えながら格子の先へと身を乗り出したアルチョムに呼びかける。

 黒い何かに手を取られ、手繰り寄せられるように二人が格子の向こうへ辿り着く。彼がこちらを振り返った。気づいてくれた、助けてくれる、瞬間――

 

 ――ガシャン

 

「……ぁ……」

 

 錆び付いて、開くことさえままならなかったはずの格子が、滑り落ちるように私たちを分け隔てる。

 

 ――パシャン

 

 背中越しに響く水面を打つ音。腰を抜かして這い蹲ったままの私を見下ろす、ヒトの姿をしたナニカ。私と同じ顔、同じ声のソレが語りかけてくる。

 

 ――おかえりなさい、ラスヴェート――

 

 そっと頬を柔らかな指先が撫でる。ゆっくりと近づく私の顔をした誰か。母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべたソレと唇が触れる。

 抜けていく――ナニカ、大切なものが抜け落ちてイク。じゅるり、ぬちゃ、ねちゃり、と水音を響かせてゆっくり交わされたディープキスを通じて、私から大切なモノが零れテいク。

 

『敵なら、殺せ』

 

 あなたは、ダレだ。

 

『ラスヴェート、そう名乗るといい』

 

 たいせつなシト、だれだ。

 

『おめでとう、今日から君はスパルタン・オーダーだ』

 

 ワかラない、おも――せない。

 

『スパシーバ、ヴェート』

 

 誰だ……? キミ……だれ……?

 

『おかえりなさい、ラスヴェート』

 

 ――た――いま。

 

 群がってくる。死者たちの手が群がってくる。腕も足も胸も髪も余すところ無く覆い隠すように黒い手が伸びて私を包み込んでいく。ただ、顔だけは残したままそれ以外の全てを覆っていく。

 

『見せてもらったわ、アナタの大切なモノ』

 

 ワタシが私に語りかける。同じ顔を近づけ、赤い瞳で私を覗き込んで、唇がまた触れ合う。

 抜け落ちていたモノが埋まっていく。記憶、経験、知識、感覚、穴だらけになっていたパズルにピースが埋まっていく。

 滲んで見えていた彼女の顔がようやくまともに見え始める。目鼻顔立ちは私そのものだ。同一人物なのだから当然なのだろうが、それでも違和感がすさまじい。

 

『おはよう、ラスヴェート』

「……おはよう、ゾーヤ」

『お久しぶりね。気分はどう? 私のことは思い出せたかしら?』

「サイアク。脳みそを引っこ抜かれてまたねじ込まれたみたいな吐き気がする」

『あら、それは災難ね』

「六年ぶりに会ったのにひどい言いようだよ」

 

 覆いかぶさっていた黒いヘドロが解け落ちる。不意に圧力を感じなくなって身を起こしてみればそこは私が眠ったはずの一室だった。

 部屋の片隅に蜘蛛の巣の張った小部屋。ドラム缶の上に置いたランプが煌々と火のぬくもりを放っているものの、それすらも跳ね除ける強力なアノマリーがリジスカヤ駅を支配しているらしい。

 真っ白のワンピースを着た、私と同じ顔同じ背格好の彼女。私の大切な半身……ゾーヤ・ワシレフスカヤ。あの日アノマリーによって闇に囚われたはずの彼女が何故?

 

「……ドブルイニンスカヤのアレはなんだったの?」

『様子見。あの年寄りが施した防壁が意外に厄介だったのよ。呼びかけても届かないうえに他のアノマリーが寄って来るわ寄って来るわで。

 ああ、そんなに睨まないで。ちゃんと説明するから』

 

 ケラケラと笑いながら彼女(ワタシ)は対面のベッドに腰掛ける。足をぶらつかせ、年相応の見た目の、少女のような振る舞いで私に向き合う。

 

『まず私たちが分かたれた時のことから始めましょう。絶望から逃げ出そうとした私はアナタ(ラスヴェート)を作り出して全てを押し付けた。そしてキタイ・ゴーロド駅を逃げ出して、妹たちと別れた後に私たちはアノマリーに飲まれた。そこは覚えているかしら?』

「ああ。忌々しくもノサリスにまで犯されて、食われそうになる直前で撃ち殺してやったのを覚えてるよ」

『“ワタシとアナタ”だったあの日私たちはアノマリーに飲まれ、ワタシ(ゾーヤ)が消えて“アナタ(ラスヴェート)”だけが残った。魂で満たすべき杯は中身が半分零れ落ちて、その空いたスペースには代替品としてアノマリー……ううん、たくさんの魂が溶け合ったナニカが満たされたの。結果としてアナタは生きた人間でありながら死者に近しい存在になった。

 元々私たちはアノマリーを見る素養があったのは覚えているでしょ? 男に抱かれ、精の迸りと共に受け止めたあの黒い影……あれはヒトの原罪。死に到る宿業(カルマ)。

 溜め込んだ宿業(カルマ)をまったく関係のない誰かに押し付けることで自らを死地から救う……そういうモノなのよ。抜き出したヒトが助かるのはただの副作用に過ぎないの』

「……それは、つまり」

『私たちは、生き残るために周囲に居る誰かに死を押し付け続けてきたの』

 

 イリーナもリーリヤもブルボンもヴァレンティンも……私の周囲で死んでいった人は……私が殺したも同然だっていうのか。

 結局のところ私は“間違えたまま”ここまで来てしまった。あの時のカーンの忠告は自らを過信するなという意味でも、自らの行動の善悪という意味でもなかったんだ。

 そう、自分の力の本質を間違えて……曲解して受け止めて納得してはいけないということだった。

 私が影を抜けば抜かれたヒトは死がほんの少し遠のく。逆を言えば影が残っているヒトに死の矛先が向くということだ。そしてそれを“取捨選択できてしまう”……つまり“生きるか死ぬかを自らの意思でより分けることができてしまう”ということ。

 

『けどそれに気づけばきっとあの時の、人格が定まっていないままのアナタじゃ発狂してしまう。だから年寄り(カーン)はそれに対する一手を打ったの』

「ちなみにどういうもの?」

『一言で言えば催眠ね。戦闘中にやたらとハイになったり、逆境になればなるほど前向きに行こうと意識したり……そういうのが何度かあるはずよ。

 無理矢理にでもマイナス思考を取り払って、強制的に前を向かせるように刷り込まれていたのよ。少なくとも第四帝国での戦い……あの絶望で破られるまでは。まあそれが破られたお陰で私はこうやってアナタに近づけるんだけど』

 

 ……ありすぎる。心当たりが多すぎる。やたらめったら前向きに行こうと考えるのはクセなのだと思っていたけれど、まさかカーンの計略だったとは。

 野盗との戦いでもそうだ、カース駅での防衛戦だってそうだ、第四帝国へ潜入するときの高揚感さえも!

 

「んん? じゃあ、第四帝国の後は……?」

『何もかかっていないわ。ニュートラルそのままの状態よ。……もうアナタには一人で歩いていく力がある。そしてそれは既に証明されているの。

 だから、私からもプレゼントをあげようと思ってここに来たの。どうやらまた無茶しそうだったから近くにあるアノマリーの発生に便乗してこうやって会いに来たっていうわけ』

 

 向こう見ずなところだけは相変わらずなんだから、と言って彼女は頭を抑えてため息を吐く。まったく失敬な。一応の勝算はあるというのに。

 ぶすっとむくれた顔でゾーヤはこちらを睨みつける。こうして見ているだけなら年相応の少女なのだけれど、ゾーヤは既に死者だ。そして私はラスヴェート・ロマノフスキー。曲がりなりにも生きている人間だ。

 

『ラスヴェート、アナタは生きてる。生きているなら変わっていける。アルチョムやいろんなヒトに会って……喜んだり悲しんだりして、それでも前に進んでいける。

 だから、私が持って逝ってしまったものをアナタにあげる』

 

 ベッドから立ち上がって近寄るゾーヤの容姿は私と同じ。ゾーヤの一部を切り取って生み出されたのが今の私なのだから当然だ。けど……ランプの明かりで浮かび上がる儚げな笑みはきっと彼女(ゾーヤ)にしか持ち得ないものだろう。

 オレンジの揺らめきで映える柔らかな唇。鮮血を光で透かしたような赤い瞳。穢れの無い純白のワンピースを纏っただけの彼女の唇が、私の唇にかすかに触れて離れていく。

 一秒にも満たない交合。けれど確かに、じわりと染み渡るような熱が胸の真ん中から指先に向かって駆け抜けていく。例えるならば熱を失いそうな灰に再び火が宿ったような、燃え尽きない残り火のような、不確かでありながら確かな感覚だ。

 

『忘れないで。アナタの力が他者に死を振り撒くことを』

 

 警告が私の耳に響く。努々忘れてはならないと彼女は力強く念押しする。

 

『覚えていて。アナタに誰より大切な半身が居たことを』

 

 懇願の声が反響する。ああ、きっとこの再会は最初で最期なのだろう。

 

『さようなら。あなたの生きる未来が平穏であるように』

 

 さようなら。キミの眠りがどうか安らかであるように。

 

 ああ、目の前が滲んでいく。あれだけはっきり見えていたハズなのに、あれだけしっかりと聞こえていたはずなのに。彼女がおぼろげになって見えなくなっていく。

 私に流れ込んで駆け巡っていく彼女の記憶。両親の微笑む顔、年の近かった男の子、見送りにきてくれたレンジャー、かつて永遠に続くと思われた安息の日々の記憶。私にとってどこか他人事にしか思えなかったソレが、途轍もなく愛おしく思えてくる。

 

『――La――La、La――』

 

 もう彼女の輪郭も見えなくなってきた。彼女の歌声が聞こえるだけ。

 消えてしまう。居なくなってしまう。けれど彼女から受け取った大切な思い出だけは、確かに私の中で生き続けている。

 

『――――La、La――』

 

 いつか聞いた、あの歌が、聞こえる――




パーソナリティに関する問題については詳しくないのでアノマリー的論理によってさっくり飛ばしました(諦観)

後何話で完結するんだろう……(白目)

ダクソリマスターで人間性稼いで来ます。
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