※この作品はR-18です。

とある佐天の百合洗礼《レズテスマ》   作:エステル

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※警告

・こちらが本編です

・一部ボーイズ・ラブ含みます。


B
第8話 私の知り合い


◆ 変態レズ女(私の知り合い)に賭ける。◆

 

「駄目よ。黒子を巻き込むわけにはいかないわ」

 

 美琴は自分の選択を捨てる。

 上条当麻。自分の能力に絶対的自信を持っていた御坂美琴のプライドを、右手1つで粉々に殺し尽くした男。あいつにはどんな能力だって通用しない。そんな男が目の前に現れれば、初春は卒倒するだろう。定温保存(サーマルハンド)を強化したのは、美琴と戦うという明確な意思表示なのだから。

 

「って――あたしあいつの連絡先知らないじゃない!」

 

 美琴はわずかばかり思案して、ついさっき別れたばかりの佐天の許に戻る。佐天は肩で息をしながら、繁華街の歩道をよろよろと彷徨っていた。

 

「佐天さーん!」

 

 100%の笑顔で愛嬌を振りまく美琴。いきなり豹変した態度に佐天は不信感丸出しでたじろぐ。

 

「御坂さん……なんです? 釈明する気にでもなりました?」

 

「悪いんだけどさぁ、ちょろっと制服貸してくんない?」

 

 自分を泣かせといて厚かましくそんな要求をする美琴。いい加減ブチ切れても良い頃だな、と佐天はプルプルと震える。

 

「はいぃ!? 私に裸で帰れって言うつもりですか!」

「そんな訳ないじゃない、この服と交換よ?」

 

 そう言って薄汚れた自分のTシャツをパタパタと広げる美琴。

 どうかしてる、そんな御坂さんの匂いが染みこんだ服をただでくれるなんて……と一瞬浮かびかけた変態レズシンキングを封印する佐天。今は美琴に媚びたって付けあがらせるだけだ。

 

「嫌ですよ、そんな趣味の悪い服。どこで買ったんです? だいたい御坂さんは素材はダイヤモンドクラスなのに、原石を紙やすりで削ろうとしてるんですよ! 紙やすりでダイヤを輝かせられますか!? 今度一緒にセブンスミスト行ってあげますから――」

「あのね佐天さん、申し訳ないけど時間がないのよ。これお小遣い。3万円あげるから、今すぐ制服交換して!」

 

 ゲコ太財布から差し出される几帳面に折りたたまれた一万円札。上から目線のいけ好かない(福沢)クソッタレレイシスト(諭吉)と目があった瞬間、佐天の中で何かがぷっつりと切断された。

 

「み……見くびらないでくださいよッ! あたしはお金なんかで服を脱ぐ安い女じゃありません! それも3万……って3万円!? ……いやいやっ、3万円でも駄目なものは駄目ですってば! 御坂さんにとってあたしの価値は3万円ってことですか!? 3万円で買える女って言いたいんですよねえ! どこまであたしを虚仮にすれば気が済むんですか!」

 

 それでも美琴に気を使ったのか万札だけを叩き飛ばす。ひらひらと舞う諭吉を、美琴はひょいとつかみ取る。そのしぐさがますます佐天の怒りを買うとも知らずに。

 

「もう……一体どうしたら交換してくれるのよ……」

「その露骨にとぼける態度をやめてくださいよ! さっきはあんなに素直でかわいかったのに……」

「はぁー、もういい、面倒だわ。少し黙ってなさい」

 

 首筋に当てられる美琴の細い指。指先が青く発光したかと思えば……

 

「み、みしゃきゃうっ」

 

 バチン……OFF。佐天の意識がカットされる。

 美琴は気絶した佐天と制服を取り換えると、タクシーを拾って常盤台女子寮まで届けるように言った。寝言で誰が好きだとか愛してるとか呟いてたが、生憎美琴は女には興味はない。

 

◆

 

 常盤台の制服に身を包んだ美琴。どこからともなくレモンの香りが漂う。佐天の使っているボディソープの匂いだろうか。と思ったら、ポケットにジャラジャラと騒がしいレモン・キャンディーが入っていた。美琴は一つ舐めてみる。頭がクリアになるような、刺激的なレモン味が口いっぱいに広がる。万が一あいつとファーストキスをすることになっても、これで何とかなるだろう、と美琴は頭を桃色に染める。

 美琴は第7学区の中心部へ舞い戻る。そろそろスキルアウト(クズども)がどこからともなく発生する時間帯だ。その辺をブラブラしてれば、向こうから勝手に絡んでくるだろう。そうすれば、上条当麻は図ったようにやってきて、熱血教師気取りで介入してくるのだ。

 いるいる。見た目からしてイっちゃってるヤンキーが選り取り見取りだ。天下の学園都市の治安は、サウス・ロサンゼルスか80年代のニューヨーク地下鉄並に崩壊気味。外の世界では日本のヨハネスブルグとも噂されているらしい。格差や不良を大量に生み出す学園都市の構造的欠陥を美琴は実感していた。天真爛漫を擬人化したような佐天涙子でさえ、犯罪に手を染めてしまうのだ。そこら辺にいる心の汚れきった連中が、学園都市というシステムの中でどんな末路を辿るか……想像力は不要だろう。

 道に迷っちゃいました、てな感じでおろおろしながら歩いていたら、絵に描いたようなチンピラが6人ばかり集まってきた。美琴は気弱そうな女子中学生を演じ、いつものように店仕舞後の閑散とした商店の前に追い詰めらて、シャッターにもたれかかった。後は待つだけだ。

 

「君、可愛いねえ」

「うひょー、しかも常盤台じゃん」

「今からオレたちと遊びにいかない? 帰りは送ってやるからよぉ」

「ま、いつ帰れるか分かんねえけど」

「「うっひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃけーっけっけっけけけけけ!!」」

 

 こいつら、ハッピーになる薬でもやってるんじゃないだろうか、と美琴はいらぬ心配をする。通り過ぎる学生たちは、いろんな意味で危険極まりないヤンキー軍団とのパーティーに参加しようなどと考えるはずもなく、そそくさと通り過ぎていく。誰だって自分が可愛い、それが普通。見ず知らずの人間のためにそんな事する奴がいたとしたら、そいつは馬鹿か――

 

 

「あたしから逃げられるとか思っちゃったんですか、御坂さん!」

 

 

 飛び切りの馬鹿が、のこのことやってきた。気絶していたはずの佐天が、先ほどの美琴と同じ格好で、ずかずかとヤンキーをかき分けてやってくる。本当に馬鹿だ、と美琴は呆れる。この世にこれほどの馬鹿が存在するのだろうか。

 

「なんだァ、このガキ!?」

「おい、よく見ろよ。ファッションセンスはお子様だが、体はこっちの貧相なガキよりも随分大人じゃねえか!」

「へへへ……おっぱい揉ませてくれよぉお!」

 

 早速佐天に絡み始めるヤンキー。美琴は乙女モードから一転、やれやれとため息をつき、不良共を一撃で葬るための計算式をくみ上げる。その照準のど真ん中、佐天が歩いてきて、美琴に背を向けて踏ん反り返った。薄いTシャツを持ち上げる品の良い胸が、圧倒的な存在感で不良を釘付けにする。布が足りないせいで、ヘソが無防備にさらけ出された。ちなみに佐天と美琴のバストサイズは1cmしか違わないのだが、骨格や筋肉の関係なのか2人の差は一目瞭然。どちらが大きいのかは、本人の名誉のために割愛させていただく。

 

「恥を知りなさい! 年端もいかない女の子を寄ってたかって虐めて……御坂さん泣きそうじゃないですか! 御坂さんはですね、常盤台の超電磁砲(レールガン)とか、最強無敵の電撃姫(エレクトロ・プリンセス)とか、普段は調子に乗ってますけどねえ! パンツはゲコ太柄だし、きるぐまーちゃんを抱っこさんしないと熟睡できないし、プロポーズを受けた後は海から花火が上がって欲しいとか少女漫画もどん引きなロマンチストで……要するにみんなと同じか弱い女の子なんです。見てください、怖くて震えちゃって、能力使えなくなってるじゃないですか! いつもの御坂さんならあなた達瞬殺ですよ! 視界に入った瞬間ビリビリーってやられちゃうんですよ。それをこんなになるまで虐めて……恥ずかしくないんですか!?」

 

 どうやら佐天は、自分が絡まれているのを見て、「恐怖のあまり能力が使えない」などとありえない勘違いをしてやって来たらしい。馬鹿だ、もしかしたら、あいつ以上の馬鹿かもしれない……と美琴は戦慄する。仮にそうだとしても、無能力者(レベル0)の佐天が来た所で、被害者2名になるのがオチなのに。その勇気は買おうじゃない、と美琴は前置きする。だがそれ以上に、格下どころか一般人以下の弱者に、この程度の相手に劣っていると思われたことが、何よりも腹が立ってしまう。なのに、その怒りがむしろ心地良い。思えば佐天はいつもこうだった。銀行強盗から小さな女の子を庇ったり、何の関係もないオタクの為にヤンキーに立ち向かったり……しかも特別な右手のあるあいつとは違う。本当に何の力もないどこにでもいる普通の女子中学生……にしては少々胸が大きすぎるが。

 パチリと、脳内のどこかでスイッチが切り替わった音がした。なんというか美琴は、あいつを前にしたときと同じ種類の感情を、佐天涙子に感じてしまったのだ。しかも……あいつの時よりも強力。感動と言ってもいいかもしれない。ずっと無能力者を下の存在だと見下してきた美琴にとって、新しいルームメイトは保護対象でしかなかった。今はそんな彼女の……背中を見ているではないか。

 

「あのー、もしもし佐天さん。ちょろっと勘違いしていなぁい? 私は別にこんな連中にビビッて絡まれてる訳じゃなくて……」

 

「ええ、分ってます。安心してください御坂さん」

 

 背中で返事をする佐天。格好つけすぎだ。その上どこから拾って来たのか金属バットを構え、やる気満々のご様子。ヤンキーたちもバタフライ・ナイフやスタンガンを取り出し、臨戦態勢をとる。相手が子供二人とはいえ、金属バットに素手で挑むのはハイリスクだと思ったのだろう。

 

「常盤台のエースがスキルアウト(不良)相手に泣かされただなんて、誰にも言いませんって。もちろん初春にも、白井さんにもです」

 

「いや――だから私はね!」

「皆まで言わないでください。2人だけの秘密ですよ御坂さん。いくら超能力者(レベル5)でも、強面の男の人達に囲まれたら平気な訳ないですもんね。ここは私に任せて、早く逃げてください!」

「佐天さん……アンタ(・ ・ ・)ねぇ……」

 

 佐天はぶんぶんと素振りをしてヤンキーを威圧する。なかなかに腰の入ったフォーム。ソフトボールチームを作れば4番は間違いない。美琴は自分が、甲子園のバッターボックスに立つ憧れの先輩を眺める女子マネにでもなったかのような気がした。ひどく赤面している。熱でもあるのだろうか。そうに違いない。そうでないなら―――いや、そんなはずは――

 

「だいたい男なんて、一言目には『可愛い娘いる?』、二言目には『彼氏いるの?』、三言目は『とっとと出ていけ!』、精子を出すことしか考えてないただの射精する機械のくせに! あなた達は女の子のことなんて一秒も考えてないんですよ。そんなに射精したいなら、自分達で性欲処理してればいいでしょ!? 何で男同士でエッチしてみようって思わないんですか? そしたら誰もが笑って誰もが望む最っ高に最っ高な幸福な結末(ハッピーエンド)じゃないですか!」

 

「ごめん、途中から何言ってるのか分かんないや」

 

 素っ気なさそうに言いながらも、美琴は噴き出していた。朝からの疲労で、ベッドがあれば迷わず潜りこみたい美琴なのだが、どこからともなく無限の力が溢れて来る気さえしてしまう。なぜこんなに感情が高ぶっているのか、全く理解が及ばない。きっと寝不足でホルモン・バランスが崩れて、報酬系が過剰分泌されているのだろう。短パンからすらりと伸びる佐天の白いふとももが妙に気になることと、関係があろうはずがない。

 

「さっさとやっちまおうゼ、このメスガキども」

「お望み通りカラになるまで子種をくれてやるよ」

 

 にじり寄るハッピーヤンキーの群れ。佐天が狙いを付けたのはナイフを持つハゲの手。重心移動によりさりげなく振り上げられるバット。そのバッティング・フォームはボールを打ち返すような生温いものじゃない。佐天の目的はホームランじゃない、ボールの粉砕なのだから!

 

「お断りします。あたし達はこれから百合女子会(パジャマパーティー)するんですから。あなた達はヤリ友同士で仲良く交尾しててください! ていうか、その方が絶対に気持ちいいですって。あたしが……保証しますからぁぁあああ!」

 

 黒髪を振り乱しながら正しいフォームで振り抜く佐天。その破壊力を人体が受け止めれば、軽く骨を粉砕し、肉体を引きちぎる。腰に回される2本の手。佐天の遠心力を利用して踊る様に前にステップを踏む御坂美琴。標的を見失った佐天は、当たれば脳震盪確定のデンジャラスなトリプルアクセルを決め、目まいを起してヘロヘロと地面に倒れ込んだ。まるでイカ釣り漁船。煌々と輝く御坂の頭。ヤンキーのナイフが宙を舞い、スタンガンは抵抗を遥かにしのぐ逆流電流で破裂。電撃はアーチ状に地面と美琴を結び、コンクリートと空気の焼ける異臭を漂わせながら衝撃波を放つ。

 

「だから――私はビビッてないつってんでしょうがァア!」

 

 連発する乾いた爆発音。美琴を中心としたあらゆる電子機器が火花を噴いてショートする。何の罪もない商店の看板も、カカシのように立ち尽くしている電灯も、不良たちがなけなしの金で買った携帯電話も。

 

「思い出した……常盤台の超電磁砲って、学園都市第3位の超能力者(レベル5)じゃねえかよお!」

「お、俺達が悪かった……! もっとレベル低い奴をレイプするから……頼むから勘弁してくれぇ!!」

 

 はいつくばって口々に謝罪を述べ立てるヤンキーたち。美琴はクスリと軽く笑う。何かひらめいたらしい彼女は、6人のヤンキーに電撃を纏った右手を突きつけ、それぞれ店に背を向けて2列に整列させる。それから車道側の列に四つん這いになる様に命令し、後列にこう言った。

 

「死にたくなければ掘りなさい。言っとくけど、あんた達の精巣が空っぽになるまで帰さないから」

 

 雷鳴。美琴の威嚇電撃が、逃げようとしたヤンキーの行く手を塞ぐ。それでも止まらないヤンキー。体に撃ちこまれる電撃の槍。彼らの動物的本能がいやでも理解する。逃げようものなら容赦なく追い詰めらる。死の直前まで! この女は本気だ。本気で帰さないつもりなのだ。始めは威勢よく抵抗していたヤンキーも、徐々に下手に出始めた。

 

「ひぃいい! マジで言ってるわけじゃねえよなぁ?」

「か、勘弁してくれよ、超電磁砲姐さん!」

 

 情けない声で美琴の慈悲を乞うチンピラ一同。だが美琴の冷酷な瞳が物語っているのは、残酷な結末のみ。本当に殺されるかもしれない、一同は震え上がる。

 

「ヤりなさい」

 

 ヤンキーたちは泣き喚きながらパンツを降ろし、しぶしぶ肛門にペニスを突っ込んだ。ろくに洗ってもいない直腸を犯していくペニス。美琴はその様子を興味なさげに見守る。微生物の交尾を見るときでも、もう少し熱心になる。

 やがて彼らの防衛機制はシグナル伝達機構に働きかけて、神経伝達物質の分泌量を調整する。快感のスイッチを切り替えることで脳内の情報伝達を操作し、思考パターンを組み替えてゆく。「あのガキの言った通りだ。面倒な女を犯すより、気心の知れた男同士で楽しんだ方が手っ取り早いし気持ちいいんじゃないか?」と。

 後は美琴が脅すまでもない。嫌悪感が背徳感に、苦痛が快楽に、友情が愛に変換される。彼らは自発的に腰を突き出し、自ら望んでゲイセックスを堪能し始めている。彼らは感謝さえしていた。男の悦びを教えてくれた、無慈悲なビリビリ女に。恋愛は報酬系を刺激するための方法論にすぎない、所詮は精神病なのだ、と美琴は納得する。

 

「誰もが笑って誰もが望む最っ高に最っ高な幸福な結末(ハッピーエンド)ねぇ……」

 

 そう呟きながら、気を失った佐天の頭を膝の上にのせて、天使のような寝顔をペチペチと叩く。

 意識を取り戻した佐天の眼前に広がる凄惨なゲイセックス(ボーイズラブ)。あまりにも心理的ダメージが大きく、美琴の膝枕が意識に入らない。これほど醜悪なモノが、どうして地上にあるのだろうか。こみ上げる吐き気。けれども佐天は昼間から何も食べていない。口に入れた物と言えば、レモン・キャンディーを除けば、ミサカ9982号の唾液と愛液くらいなもの。得も言われぬ不快感だけが体内を逆流する。

 

「み・み・みみみみみみっ、御坂さんこれって!?」

「あぁ、これ? 彼らは二度と女の子を襲ったりしないわ。それより佐天さん、私はここでね……」

 

 言葉が詰まった。はて、と美琴は首をかしげる。自分がここで誰を待っていたのか、夢から覚めたみたいに綺麗に忘れ去っていたのだ。上条当麻の顔と名前は憶えているのだが、なぜその男を頼ろうとしたのかが思い出せない。よくよく考えれば、上条と美琴はそれ程親しい仲でもない。一度頼みもしないのにヤンキーから助けられて、何度か喧嘩して負け――もとへ引き分けた……それだけ。私闘に巻き込むほどの信頼関係はない。しかも……相手は初春飾利。佐天と黒子、その共通の友人。無関係な人間を介入させる方が、よっぽど話をこじらせてしまいそうだ。そんな状況でなぜ上条を巻き込もうと思ったのか、美琴は改めて考える。能力を無効化する幻想殺し(イマジンブレイカー)のことは覚えている。だからと言って友人でもない人間を当てにするなど、普段の美琴らしくない。疲労のせいで軽い精神錯乱に陥り、気の迷いを起したのだろう。

 

◆

 

 美琴は真っ白な脳内キャンバスに新たな行動計画を策定すると、両手で目を覆い隠している佐天の手を引いて獣の性交現場を後にした。向かう先は自分がここしばらく泊まっているシティ・ホテル。今日は佐天を寮に戻す気にはなれない。百合妹達(レズ・シスターズ)との接触を防ぐには、居場所を知られてない所で匿った方が良い……。美琴はそんな当たり前のことに今さら気が付いたのだ。まともな一流ホテルなら、蜂食いしいたけ女が出張ってくるかCTU捜査官に拷問でもされない限り、従業員が居場所を漏らすことはないだろう。

 

「御坂さん、どこへ向かってるんです?」

 

 またしても態度を豹変させた美琴のご機嫌を伺うように、戦々恐々と訊く佐天。

 

「ホテルよ」と美琴は短い返事を返す。

 

「ホテル……ってぇ、ホテルぅううう!?」

 

 握っていた手が死後硬直みたいに固くなった。何を勘違いしているのか、そわそわと落ち着きなく目を泳がせる佐天。夜の雲を目で追ったり横目で覗き込んだり、たまに目があったら時間が止まったみたいに表情を停止させた。

 

 地下鉄とバスを乗り継ぎ、2人は第3学区のホテル街へと辿り着く。ホテル街と言っても、佐天が想像していたアミューズメントパーク的ないかわしい外見の建物が立ち並んでいる怪しい区画ではない。外部からの賓客を迎えるための名だたる一流ホテルがずらりと並ぶ、学園都市の玄関ホールだ。もっとも、清廉潔白なのは外見のことだけであるが。

 心臓がまだ壊れていないのが不思議なくらいだな、と佐天は胸を押える。第3学区の高級ホテル、夜景の見えるレストラン……いくらなんでも本気すぎる。さっきまで自分を手玉に取って遊んでいた美琴が、今度は結婚前提のお付き合いでも申し込む勢い。

 舞踏会場みたいなエントランスホールを抜け、部屋丸ごとアンティークなエレベータに乗せられる。佐天の知っているホテルのエレベータとは概念そのものが異なっていた。クローゼットに入って移動しているかのようだ。

 美琴は「入れっぱなしだったわ」と言いながら、佐天の短パンをまさぐる。細い指先がおしりを撫で、一筋の切なさを残して消えてしまう。引き換えに出て来た金色の鍵を制御盤に入れる。噂に聞くクラブフロアというやつだろう。10階、20階、30階……随分と長い時間かけて、エレベータは最上階付近の高層階に止まった。扉が開いた先にあったのは、何と言うか現実離れしたお伽噺の世界だ。女子中学生が2人で泊まるには不釣り合いすぎる。庶民根性まるだしの佐天は、どこまでも体が沈みそうなソファーや別の意味でピカピカ光ってるテーブル・ライトやシャンデリアの値段をいちいち予測して頭をショートさせる。コンシェルジュが「お帰りなさいませ」とメイドカフェみたいな挨拶をぶちかましてきた。佐天はしどろもどろに「お邪魔します」と言ってから赤面した。

 部屋の中も言わずもがな。資本主義社会の勝者だけに与えられるスイートいう名のトロフィー。ソファーもベッドも椅子もテーブルも花瓶も電灯も、佐天には目に映るもの全てが美術館の展示品にしか見えない。いくら何でもやり過ぎだ、と佐天は縮こまる。3万円で脱ぐような安い女ではないが、ここじゃ1泊が10倍はしかねない。

 

 美琴は「そこで待ってて」と佐天を巨大な一枚岩みたいなベッドに座らせる。ここだけは日常の痕跡があった。シーツがしわくちゃになっており、美琴の制服が乱雑に放置されている。清掃を断っているのだろう。自分の制服を集めると、佐天を放置してシャワーを浴びに行ってしまう。やばいやばい、と佐天の心臓が暴走を始める。布擦れの音がするたび、胸をハンマーで叩かれているような気分。しばらくしてシャワーの音。あのドアの向こうで、一糸まとわぬ美琴の裸体が水を弾いているのだ。佐天は水に嫉妬する。恋する乙女はいろんなものに嫉妬するのだ。

 佐天は10分ほど忠犬のように律儀に座っていた。バスルームが不気味なほどゆっくりと音を立てて開き、制服姿の美琴が現れる。タオルで拭いただけでまだ水分をたっぷりと含んだ茶髪が、艶めかしくうなじに張り付いている。生唾を飲み込む佐天。今度は自分の番だとばかりにベッドから地面に体重を移そうとするが……美琴は佐天の正面に跪き、目を覗き込みながら手を握る。しまったそういう趣味か、と佐天は悔しがる。それから覚悟を決めて、これから始まるであろう美琴との甘く切ない夜を妄想し、過呼吸気味に見つめ返す。

 

「佐天さん、しばらくここに泊まっててくれない? 出来るだけ部屋から出ないで欲しいの……って言うか、お願いだから出ないで! 行動範囲はこの階のフロアまでにしてちょうだい。お腹空いたらラウンジで軽食食べられるし、8時からスイーツ食べ放題だから。それでも足りなかったらルームサービスで済ませてね。コンビニとかスーパーとか、絶対行っちゃダメだから!」

 

 矢継ぎ早に投げつけられる一方的な要求。もちろん美琴には、そんな夜を過ごすつもりは毛頭ないのだ。

 

「で、でもあたしお金ちょびっとしか持ってませんし……こういう所って、サンドイッチ1つで3000円くらいするんでしょ。破産しちゃいますよ!」

「私が払うから! よく聞いて佐天さん。あなたに誤解して欲しくないから、正直に打ち明けるわ。あなたはね、狙われてるの。あなたと……その……き、キスした私は、私じゃないのよ!」

 

 一瞬で涙腺を潤ませる佐天。なんせ名前が涙子なのだ。どうして泣かずにいられよう。美琴は罪滅ぼしの為にエスコートしているのだ……そう思えば、この部屋から飛び降りて死んでしまいたいほど惨めな気分になった。

 やはり美琴の大切なところに小便をかけるべきではなかったのだ、と佐天に嗚咽がこみ上げる。悔やんでも悔やみきれない。あれは佐天を試していたのだろう。本当にかけるはずがないと信じていた美琴を、裏切ってしまった。だから御坂さんはあたしのことが嫌いになっちゃったんだ、と佐天は行き場のない後悔を涙と一緒に飲み下す。

 

「い、いや……私はあなたをからかってるとかじゃないのよ!?」

「気を使わなくても……いいです。あんなことしたあたしが悪いんですから……!」

「……あのさ、超能力者(レベル5)の量産軍用計画って知ってる?」

「え……?」

 

 唐突に飛び出してきた場違いな単語。佐天は3度脳内で反芻するまで意味が理解できなかった。言い逃れにしてもできが悪すぎるが……と考えたところで昼間から抱いていたもやもやが薄まってゆく。

 

「わりと有名な都市伝説ですよね。第3位の超電磁砲(レールガン)を素体として――」

 

 最初から違和感はあったのだ。彼女が別人だとすれば、美琴の意味不明な言動にも合点が行く。

 

「ってぇまさかっ!?」

 

 涙は止まる。海馬から脳内スクリーンに投影される、縞パンに妙な言葉遣い。御坂美琴ではないことは、佐天だって薄々勘づいてはいた。クローン御坂が目の前に現れてキスを迫ってくる……そんな非現実的な状況起こり得ない。佐天の恒常性バイアスが美琴本人だと見せていた。ここは学園都市、想像できることは何だって起こり得るのに。

 

「連中はね、私のクローン作ってたのよ。でも彼女たち、通称妹達(シスターズ)はせいぜい異能力者(レベル2)の欠陥品だったの。だから研究者は佐天さんの力を狙って……」

 

 親密さを取り戻すために動き始めたかに思えた空気から、不意に振り下ろされる言葉のチェーンソー。無防備な佐天は容赦なく切り刻まれる。無神経な美琴は基本的に言葉を選ばないのだ。

 

「欠陥品……異能力者(レベル2)でも欠陥品なんですか」

 

 佐天の口から吐息と共に漏れる冷ややかな声。ホテルに連れ込まれて何をされるかと思えば、美琴の口から出てくるのは自分への無関心さだけ。最悪な気分だ。丑の刻参りでもしてやろうか、と佐天は不満気に美琴を睨む。

 

「御坂さんはあたしのこと欠陥品以下のゴミクズだって――」

「こ、言葉の綾っていうか……佐天さんは違うよ!」

 

 美琴はバレバレの作り笑いを浮かべて機嫌を伺う。佐天は相変わらず沈んだまま、美琴から目を背けて俯き、わなわなと震えている。

 

「またそれですか。何がどう違うのか説明してくださいよ」

 

 普段の美琴なら、友人とはいえこういう悲観的な人間に対しては、怒りのようなものが芽生えていたかもしれない。能力がなければ努力をすればいい、それだけの話だからだ。自分はそうしてきた――が、果たしてそれは真実であったろうか。薬剤を投与されたり脳に直接電極を刺したり、そんなものを努力と呼べるのか。学園都市が作ったカリキュラムは全身全霊でこなしてきた。でも……それは自分で何かを成し遂げたということなのだろうか。目の前にハードルが置かれたら、飛び越えないと気が済まなかった――美琴のしてきた努力とはそういうものだ。その果ての超能力者(レベル5)。だけど普通の人々(レベル0)は、ハードルの置かれない道をひたすら前に走り続けているのだ。障害がなくったって、立ち止まることも許されずに、息も絶え絶えに毎日全力で走り続けている。そういう人々がハードルを越えられないからと言って、馬鹿にして見下す権利が自分にはあるのだろうか。

 美琴はふと、今までの自分を全否定するかのような衝動に襲われる。天才は1%のひらめきと99%の努力……かつて逆の意味で広く誤用されていたこの言葉。今ではすっかりエジソンの真意が広まっている。上条や佐天の特殊能力にしてもそういう類のものなのだ。自分の超能力が天恵でないとどうして言えるのだろう。

 やはり何かがおかしい、と美琴は自問した。どこかで脳内の回路が切り替わってしまったのだ。「レベルなんて、どうでもいいことじゃない」。今なら、無能力者(レベル0)が抱く嫉妬を理解したうえで、本心からそう言える気がする。もちろんそんなこと口には出さない。代わりに佐天と額を合わせて、彼女の長い黒髪にそっと指を這わせる。指先を通して佐天の絡まった感情がほどけてゆくのが感じられた。スイート・ルームには親密な空気が立ち込め、2人の少女を穏やかに包み込んだ。

 

「ごめんね、佐天さん。言い方が悪かったわ。私が無能力者(レベル0)を見下して生きて来たのは事実。最低よね」

「えっと……なんといいますか……」

「自分じゃ気が付かなかったけど、きっとあなたは、こんな私の嫌な部分をずっと見てきたのよね。佐天さん、本当にごめんなさい」

「い、いえっ! そんなっ、責めるつもりはなかったんです……。こっちこそすみませんっ!」

「何で佐天さんが謝るのよ。あのね、これだけは信じて欲しいの。私は佐天さんのことは大切に思ってる。他人を見下すことは良くないって分かってるの。"公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間は僕は好まない"……何の本に載ってたのか忘れちゃったけど、グサッと来たわ。私は結局、自分のための努力しかしてこなかったのかもって。その結果高位能力と大金を得たけれど……友達が対等な関係を意味するなら、私には1人もいない。友達なんか欲しくないって強がってるわけでも、孤独ってわけでもないわ。ただ、友達がいないって事実を、毎日空気みたいに吸い込むのよ。……だから上条って人に固執しちゃったのかも。自分を負かしてくれる幻想殺し(あの右手)が、心地良かったのかもしれない」

「……イエス様はこんなことを仰ってます。『おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう』って。私だって……ダメダメですもん。御坂さんに会いもしないうちから、上から目線でいけ好かない奴だーっとか思ってましたし」

「そっか……」

「あっ、いえ、今は違いますよ! つまりですね、人間はみんな醜くて罪深いんです。それを認められる人と、自己欺瞞の中で死んじゃう人が居るってことですよ」

「佐天さん……クリスチャンなの?」

「そういう訳じゃありませんけど……全宇宙の創造主は居ると思ってますよ。学園都市は、神様の存在証明をするために作られたんだーって都市伝説があるくらいですし。なんでも、虚数学区・五行機関(プライマリー=ノーリッジ)は、神とお話するために人工の天使を降臨させる研究をしてるとか!」

 

「……虚数学区!?」

 

 美琴の裏返る。今となってはどこまでが真実なのか分からないが、初春は百合妹達(レズ・シスターズ)計画という事実に、妙な都市伝説を混ぜ込んで、尤もらしいカバー・ストーリーをでっち上げたのだろう。美琴は咳ばらいをしてから改めて佐天に向き直った。

 

「とっ、ともかくね! マッド・サイエンティスト連中が佐天さんの力を利用して、大量の超能力者(レベル5)を作ろうとしてるのよ。その上、百合妹達(量産レベル5)を使ってもっと悪いことを企んでる……らしいのよ」

「悪いこと……って何です?」

「せ、世界征服とかよ。ここしばらく、私はその計画を止めるために動いてたの」

「よかった。あたしが嫌いだから……一緒に居るのが嫌だからじゃなかったんだ」

 

 佐天は独り言をわざと聞かせるみたいに呟いた。臆病な小動物が、それでも構って欲しくて必死にアピールしている姿。美琴はキスでもしてあげたい気分だったが……寸での所で思いとどまる。偏見があったからではない。美琴の脳に14年に渡って細々と蓄積されてきた黒い塊は、いつの間にか゚消え去っていた。ただ、超能力者(レベル5)の自分が佐天とキスをすることで、能力が暴走でもしたら大ごと――そう思っただけである。佐天の居場所がばれるだけでは済まない。それこそ地球規模の災厄が起こりかねないのだ。

 その代りに、佐天の頬をつまんで左右に引っ張る。本当は優しく頬を撫でようと思ったのだが、なぜだか羞恥心のようなものがこみ上げ、誤魔化さなければという衝動に駆られたのだ。

 

「い……いらいれふみしゃかさん……」

「私が佐天さんを嫌う理由なんてないでしょ。勝手に妄想膨らませてんじゃないわよ、馬鹿」

 

 美琴は佐天を解放。肩をすくめて佐天の隣に腰かける。それから思い出したようにバスルームからレモン・キャンディーをとってきて佐天に返し、代わりにゲーム・コインを差し出させた。

 

「そっか、そうですよね」

 

 佐天は小さくうなづきながら、一枚一枚美琴の手に重ねて行って……最後の一枚と一緒に彼女の手を掴んだ。引き寄せるように顔を近づける。キスの射程圏内。美琴はベッドに手をついて上半身を逸らせる。

 

「ならあたしも一緒に行きます! そんな計画、あたしだって許せませんもん。あの公然わいせつ女……他人様の心を弄んだ上に、世界征服を目論んでたなんて!」

 

 飛んで来た唾液が唇に触れ、一部はその中に浸透する。仄かに広がる甘酸っぱいレモン味。美琴は反射的に、自分の唇に残るその味を、舌で舐めとってしまう。佐天の薄い桃色の唇が目に入る。瑞々しい果実は、美琴の為だけに用意されたラズベリー・スイーツ。間接照明によって温かく照らされる輝きは、味見だけでもしてくださいと雄弁に主張している。魔力に抗い切れず目を閉じる美琴――が佐天はあっさり顔を放して正面に向き直ってしまう。誘うだけ誘っておいて、肝心なところはお預けする。罪な女、佐天涙子の常套手段なのだ。もちろん当の佐天は無意識だが。

 

「そりゃぁ……あたしだって嫌って訳じゃなかったですけどぉ……そ、それはあの子が御坂さんだと思ってたからですし! 思い返せばあの子、AIM拡散力場がどうのとか、オリジナルとの誤差がこうのとか、胡散臭いこと言ってましたよ。しかも代替不可能な最重要人物って、あれそういう意味だったんだ……。なんかあたしも、だんだん腹が立ってきましたよっ!」

 

 佐天はベッドから飛び上がって、美琴の目の前で体全体を使って肩を回し始める。それが終わるとアキレス腱を伸ばし、お次は屈伸を始める。いちいち動きが大袈裟で、部屋の調度品をぶっ壊すんじゃないかと美琴はひやひやする。やる気をアピールしているつもりなのだろう。さっき言ったことをすっかり忘れているらしい。美琴もベッドを立つ。

 

「ダ・メ・よ! 奴らの狙いはアンタなんだから」

 

 叱りつけるように佐天の額に向けられた人差し指。青白い電荷を伴っていた。佐天の皮膚に触れる直前、美琴はそれに気が付いて指を引っ込める。後輩である佐天に対して、普段は無意識にに働かせていた脳内リミッターが、引き下げられてしまっているようだ。美琴が敵対者以外で電撃を浴びせる相手は、白井黒子と上条当麻くらいなもの。これに佐天涙子が加わりつつある。その事実が何を意味するのかに気付た故、彼女は電撃を止めざるを得なかった。

 佐天はこの不可解な行動を、象の飼育係がするような穏やかな目で眺めていた。誤解が解けた後に残った物は、この上なく甘美な希望だったのだから。

 

「でもあたしの能力があれば少しくらいお手伝いができると思うし! 御坂さんがお嫌でしたら、初春や白井さんとでも!」

 

 距離感が元に戻ったと認識しているはずなのに、佐天は美琴の自分だけの空間(パーソナル・スペース)を問答無用で侵略する。耳元から駆け上がった吐息が美琴の短い髪を揺らす。

 

「ね……ねぇ、お願いよ。佐天さんは……ここでじっとしてて……」

 

 喉の奥から辛うじて発せられる掠れ声。佐天の不満気な抗議が、直接美琴の鼓膜を揺らす。単なる空気の振動なはずが、大きな羽で撫でつけられるこそばゆい感触が背中に走った。共感覚性の一瞬、Autonomous Sensory Meridian Response。脳を直接愛撫される不可思議な感覚。どこにどうやって作用したのか、音波は性的な信号に変換され、美琴は無意識に太ももをすり合わせてしまう。

 

「あたしは御坂さんのお手伝いがしたいだけなんです。御坂さん……いいですよねぇ?」

「だ……ダメっ……」

「えぇー何でですか? そんな意地悪、言わないでくださいよぉ……」

 

 耳元で囁き続ける佐天。口から空気の波が零れるたび、美琴は下腹部に鈍い疼きを感じてしまう。ただ佐天から距離をとればいいだけなのに、甘い誘惑は美琴をそこに止まらせる。美琴は自分が黒子にでもなってしまったような気分だった。友人の囁き声で感じているなど、疑いの余地ない変態だ。

 突然、下腹部から電流が突き抜けた。美琴は直感的に理解する。これは佐天の能力、幻想深化(イマジン・サポーター)に違いない。初春から送られたデータには――信ぴょう性は疑わしいが――百合妹達(レズ・シスターズ)と佐天と性交させることになっていたはずだ。キス以外の性的接触でも、能力発動の危険性があるのかもしれない。その結論に至り、美琴は辛うじて冷静さを取り戻した。無邪気に近づいてくる佐天の両肩を掴んで距離を確保する。肩は人間の体で最も公共的な部分。ここに触ることで、親愛と同時に一定の関係性を保つことができる。佐天は身動きを封じられてしまった。

 

「私のお願い、聞・い・て・く・れ・る・わ・よ・ね?」

「むむむむ……」

 

 佐天は美琴を凝視しながら考え込む。近づかせる訳には行かない美琴は、目を逸らすに逸らせない。人間の顔をこれほど執拗に見たのは初めてかも知れない、と美琴は思っていた。見れば見る程、自分が佐天の顔をまともに見たことがないことを思い知る。爛々と輝く銀色の虹彩。全体の大人っぽい雰囲気の中で、幼さの片鱗を残す頬の柔らかい輪郭。鼻は小さめだが鼻筋が通っており、唇と顎がぴったりとEラインに並んでいる。決して派手ではないが、佐天涙子の顔を構成する各パーツは高度に均整が取れていて、日本人が理想とする美人の条件をすべてクリアしていた。山の天気のようにコロコロ変わる表情が、その美しさを捉えどころのない無邪気さの中に覆い隠していたのだ。

 

◆

 

 そうして美琴も無言で思案していると、電灯が灯ったみたいに佐天の頬がぽっと赤く染まった。大きな目がせわしなく動き回り、唇は何か言いたげに小さく開いたり閉じたりを繰り返す。かと思えば、満開の花みたいな笑顔を浮かべ、視線を元の位置に戻した。

 

「そういえば御坂さん、初春がどうとか言ってたじゃないですかー。初春は御坂さんに協力してるんですか?」

「えっ……ああ、言ったかしらね、そんなこと」

 

 唐突に別の女の名前が出て来たからか、美琴は不明瞭な返事と共に佐天から手を放してしまった。解放された佐天はゼンマイ仕掛けのミニカーの如くずんずんと前に進む。止める機会を逸した美琴は一歩二歩と後ずさり……壁際に追い詰められてしまった。耳裏をすり抜ける2本の腕。ベッドサイドテーブルに置いてあったロココ調の花瓶がドンと揺れた。生けられていたのは、よりにもよって純白の百合の花。聖母マリアの象徴として用いられるこの花が何を意味しているのか……起源は知らない美琴だが、何となく知っている。佐天はガンを飛ばすと言うには牧歌的すぎる上目遣いで、百合に浮気する美琴の視線を奪う。

 

「教えてくださいよ御坂さん。何であたしじゃなくて初春なんです!? あたしの百合幻想(イマジン・サポーター)より、飾利(かざり)のハッキングの方が役に立つって言いたいんですか!」

「あの……その……そうじゃないのよ。初春さんは……佐天さんとは事情が違うの」

「何が違うんです!? はっきり言ってくださいよ御坂さん。はっ……!」

 

 幽霊でも見たのか、驚愕に目を見開いて美琴から体を話す佐天。丁度一歩下がった所で立ち止まる。

 

「ま、まさか御坂さん……飾利(かざり)のことが好きなんですか!? そんな……そんなのって……!」

 

 佐天は頭を抱え、長い黒髪をくしゃくしゃにする。髪飾りが飛んできて、美琴の頭にポンと刺さった。手に取ってまじまじと見る美琴。白い花の髪留め。忌々しい頭上庭園が意識を掠め、美琴の揺らぐ精神が逆方向に一気に加速する。

 

「なんでそうなるのよ! あんの花畑女は私が必死に潰そうとしてた計画を……」

 

 慌てて口を押えるも時すでに遅し。佐天は真正面から目力で続きを催促する。隠しても面倒なことになるだけかも、と美琴はため息をついた。白い花を佐天の髪に挿してから、とぼとぼと部屋を歩いて一人がけのソファーに腰を落ち着かせる。さすがの佐天も、隣のソファーに座らざるをえない。最初からここに座ればよかったかなぁと、美琴は少しだけ反省する。

 

「……信じたくはないんだけどね。どうも初春さんが、私への妨害工作をしているみたいなのよ。さっき言った計画を止められてないのは、初春さんの邪魔によるところが大きいわ」

「な……何で初春がそんな事を!?」

 佐天はソファーから身を乗り出して食いついてくる。今にも飛びかかって来そうだ。

「さーてね、分からないわ。でも私が何とかするから」

「ジーザス! またそれですか、御坂さん!」

 

 関係がないのだ。佐天涙子にとって1人掛けも2人掛けも同じ。あっさり自分の席を立って、美琴のソファーのひじ掛けに腰かける。人懐っこさにも限度がある。トイレにまで付いてくる小型犬のようだ。相手が男ならとっくに滅茶苦茶にされている。

 

「また……ってどういうこと?」と美琴はあえて顔を合わせずに言う。

「どうしていつもいつも自分一人で抱え込もうとするんですかってことです! 何とか出来てないから、面倒なことになってるんじゃないですか。他のことならともかく、初春のことならあたしに頼ってくださいよ。あたしってそんなに頼りないですか!?」

「そういう訳じゃなくて……私は佐天さんを巻き込みたくなかったから……! 私のクローンが作られたのは昔DNAマップを提供しちゃったからなの。全ての責任は私にある。だから私の責任で解決しなきゃ――」

 

「御坂さん、今御坂さんの目には、何が見えていますか」

 

 なぜこの無能力者(レベル0)はいつも自分の前に立ちふさがるのだろう、と美琴は軽く不快感を覚える。人間そう簡単には変わらないものだ。

 

「何って……」

 

 仕方なく視界にあるものを整理する。さっきまで自分が着ていたお洒落な黒Tシャツを着てる佐天涙子。マホガニーの応接机と向かいの長ソファー。よく見れば白百合柄。フランス貴族の邸宅からひっ剥がして来たような壁紙には、百合をモチーフにしたデザイン。ところどころに置かれたテーブルランプも、百合の花を形どっている。一面の窓からは学園都市の夜景……そのサイドを彩るカーテンは百合模様。極めつけに、先ほど見ていたベッド際の花瓶。今までなぜ気が付かなかったのか不思議なくらい、この部屋には百合が溢れていた。注意深く見るといろんなことが見えて来るのだ。

 

「百合……かなぁ?」

 

 自分が物凄く馬鹿っぽい事を言った気がして、首筋まで赤く染まる美琴。

 

「そういうことです。私だって初めから関係者じゃないですか!」

 

 佐天はようやく分かってくれましたね、とばかりにしみじみと頷きながら言う。

 

「えっ、正解なんだ……」

 

「てゆーかもう巻き込まれちゃったので、成り行き的に協力しなきゃですよね。それが友達って奴ですよ、御坂さん!」

「と……友達なのよねぇ、私達って!」

「ええ、100%友達です!」

「そ……そうよね! 友達よね!」

 

 手を取って友情を確認し合う2人。なぜか美琴は「友達」という言葉にえも言われぬ複雑な感情を覚えていたが、きっと気のせいだろう。中学生らしい会話をしてしまったからだ。

 

「私が電話して聞いてみますよ。初春のことだから、何か事情があるはずです。たとえどんな訳でも、私の話なら聞いてくれるはずですし!」

「……そうね。ありがと、佐天さん。あなたに任せてみるわ」

 

 佐天は目を爛々と輝かせ、画面も見ずに携帯を耳に当てる。耳元でブラインドタッチする親指を……美琴は摘まんで静止した。

 

「ちょろっとストップ! 回線にスクランブルかけるから」

 

 美琴は佐天の携帯に手を触れて電磁波を体内に取り込む。美琴程の電撃使い(エレクトロマスター)ならば、能力で暗号回線を敷設することさえ可能なのだ。

 

「オーケー、1分程度なら逆探知されないわ。でも気を付けて。相手は学園都市最強のハッカーよ」

 

「心配しないでください。初春はどんな事情があったってあたしを襲ったりしませんよ」

 

 美琴が携帯に触れたまま、佐天は初春に発信する。指先にやわらかい頬の感触。ピリピリした妙な電気が走っているが、間違いなく能力のせいだ。呼び出し音がきっちり3回鳴ってから、初春は電話をとった。

 

◆

 

「クロエ俺だっ! 衛星画像はまだかー!」と佐天は午前9時のテンションで叫んだ。

 

「誰ですかクロエって……って佐天さんですよねぇ!」

「うん、あたしだよ」

「これ安全な回線ですか? 何か番号がバグっちゃってますけど!」

「気にしない気にしなーい」

 

 佐天の揺るぎない恒常性バイアスは、電波を通してさえ強烈な威力を発揮する。初春に芽生えた疑念の芽は、わずか数秒ですっかり摘み取られてしまった。

 

「そ、そうだ。佐天さん……ごめんなさい! 私が待っててって言ったんですよね。申し訳ないんですが、まだ帰れそうにないんです」

「お仕事忙しいんだ?」

「ええ、もうジャッジメント始まって以来の忙しさですよ!」

「ほぉー、一体どういう状況かね?」

「うーん……本当は言っちゃいけないんですけど。佐天さんなら……まぁ。今朝、品雨大学とSプロセッサ社でテロ事件があったじゃないですか」

「あったねぇ」

「実は、追跡していた犯人を見失っちゃったんです。第7学区に潜伏してることまでは突き止めてるんですが……そこからの足取りがどうにも掴めなくて……。白井さんはやる気ゼロだし、アンチスキルの方も全く進展がないし……」

 

 美琴は笑いを堪えるのに必至だ。この場にその犯人が居ると知ったら、初春はどんな花をするだろう。想像するだけで腹筋が引きつりそうだ。

 

「でもすぐに捕まえて、佐天さんの部屋に帰りますから!」

 

 

「その事なんだけどさぁ。初春ぅー、なんで御坂さんの邪魔してんの?」

 

 

 身も蓋もない。直球ど真ん中のストレート。美琴は寸での所で出かかった声を封じ込める。初春の浅い呼吸が細かい霧となり、電波に乗って送り出されてくる。携帯が氷河のように冷たくなった。

 

「な……何言ってるんですか。意味が分からないんですけど……」

「だからさぁ~。初春、御坂さんに意地悪してるでしょ? あたしにバレないとでも思った?」

「し、失敬な! どういうつもりですか佐天さん!? 私はテロリストから学園都市を守っているだけですよ!」

 

 初春は急に小声になって、間違って飼い主に吠えた小型犬みたいに弁明を始める。ドアの開閉音に続いて小走りの足音。屋上にでも上っているのだろう。

 

「そのテロリストって誰のこと? 御坂さんじゃないよねえ?」

 

 佐天はすかさず追撃をかける。乱れ始める初春の呼吸音。

 

「佐天さん、よく聞いてください。御坂さんは……学園都市の研究施設を破壊して回っている危険極まりない凶悪犯罪者なんです」

「そんなこと本気で言ってるの? 昨日御坂さんと喧嘩したから意地悪してるんなら、あたし怒るよ?」

 

 糾弾というより、クラスメイトの諍いを仲裁する世話好きな中学生のテンション。ある意味文字通りなのだが、当事者の2人との温度差は分厚い雲を形成する。進展しない捜査と想定外の人物の介入は、初春から確実に平静さを奪う。

 

「違います、全て事実です! 佐天さんが信じられないのは無理もありませんが……。思い返してください。ここ数日、あの人寮に帰らなかったりしてましたよね。あれ、テロ攻撃してたからですよ!」

「テロ攻撃ねぇ……だけど初春。あたしは逆だと思うよ。悪いことを企んでる奴から、あたし達を守ってくれてたんじゃないかな?」

「友達を信じたい気持ちは分かりますが、事実を受け止めてください。こっちには証拠もあるんですよ。どんな理由があって、研究施設へのテロ攻撃が許されると思うんです!?」

「そうだねぇ。例えばぁー」

 

 佐天はちらりと美琴の様子を伺う。そろそろ限界といった感じで、指をくるくると回した。あまりにも固定された真顔だったので、スクランブルが限界なのか、失笑5秒前なのか佐天には見分けがつかない。佐天はとりあえず意味あり気に頷いておいた。

 

「御坂さんの量産軍用クローンを利用した世界征服計画を止める為……とか?」

 

「……ッ!」

 

 小さな悲鳴と共に息を呑む初春。異様なまでに完璧な沈黙が続く。携帯が壊れてしまったのかと、佐天はスピーカーを指先でつっついた。

 

「さては佐天さん、御坂美琴に脅されてるんですね!?」

 

 パニックをそのまま音にした甲高い叫び声が、佐天の鼓膜を殴りつける。

 

「脅されてるって……初春あんた大丈夫? ちょっと妄想激しすぎるって」

 

「そこに居るんでしょ、出なさい卑怯者! 逃げられれると思ってるんですか!」

 

 初春は佐天の存在を完全無視してヒステリックに喚く。美琴はくいくいと指で佐天に催促する。あちゃーと言いたげな顔で佐天は携帯を渡した。

 

「どうもー御坂美琴でーす」

 

「こんのビリビリテロリスト女っ! 今すぐ佐天さんを解放してください! じゃなきゃ体中にハイビスカスを植えて、お花の養分にしちゃいますよ!」

 

 スピーカーにしてないのに部屋中に轟いた初春の脅し文句。意味不明だ。

 

「いいわよ。でも条件があるわ」

「条件!? 言いなさい!」

「多摩川の鉄橋に一人で来なさい。アンチスキルやジャッジメントに知らせたらどうなるか、分ってるわね? あなた程じゃないけど、私にだって通信傍受くらいできるんだから」

 

 電話の向こうで初春が息を呑んだ。美琴がスクランブルをかけていたことに今さら気が付いたのだろう。 

 

「よくも私の佐天さんを……絶対に許しませんよ。結局御坂さんはそうやって力を振りかざすことしかできないから、惨めなテロリストになっちゃったんですよ。何が努力で超能力者(レベル5)ですか! 人殺すための努力なんてまるであの人っ――は、犯罪者です!」

 

 勝手に言い分を並べたてる初春。こんな性格だっただろうか、と漏れ聞いた佐天が首をかしげる。なぜここまで美琴を敵視しているのか、佐天にはまるで理解できない。

 

「偶然手に入れただけの力を利用する気まんまんの、あなたにだけは言われたくないんだけど。佐天さんに何をしたか、訊いたわよ」

 

 そういえば、と佐天は思い返す。初春が寮に来た時、「御坂さんは帰って来ません」などと妙な事を言っていた。あの時から、初春は自分に黙って悪いことをしていたのだろう。その上自分を誘惑して、キスさせるように仕向けたのだ。そう思うと、佐天は無性に腹が立った。今度こそ本当に処女を奪ってやろう、と佐天は密かに決意する。

 

「……その偶然がなければ、あなたに佐天さんが奪われることもなかったのにっ! 佐天さんは私のものなんですからね!」

 

 初春の絶叫。佐天は初春のものになったつもりはないのだ。佐天は本日2度の危機に見舞われたが、未だ純潔を貫いているのだから。もっとも、対面座位でディープ・キスをしながらクリトリスをいじり合う行為が、操を立てると言えるならの話だが。

 

「何の話よ。だいたいアンタみたいな弱者は、弱者なりにびくびく脅えて生きてればいいのよ!」

 

「最低ですね御坂さん。力に溺れた性悪女。良い機会です。あなたのねじ曲がった根性を叩き直してあげましょう。鉄橋まで行ってあげますよ、一人で!」

 

 携帯なのに受話器を叩きつけたような衝撃で通話が終わる。なぜにそんな強気なのかと、佐天は渋い顔をした。芯の強さが変な方向に暴走してしまっている。

 

「初春、どうにかしちゃってますよ。これはお灸をすえた方がいいかもしれませんね」と佐天は言った。ついて行く気まんまんで。

 

 美琴は携帯を返すと壁面へ歩き、学園都市を一望できる巨大な窓ガラスに手を触れる。夜景を見ている訳ではない。ペタペタと硬さを測っている。

 

「ちょっ……何するつもりですか御坂さん!? その窓空きませんよ!?」

「佐天さん、リーク電流って言葉、知ってる? 絶縁された回路に電流が流れちゃう困った現象なんだけど……!」

 

 そんな事を呟きながら、御坂美琴は部屋の隅まで小走りで下がる。そして、何をどう間違えたのか、クラウチングスタートのポーズをとった。

 

「江崎ダイオード、でしたっけ……? って、いやいやいや! 絶対無理ですからそんなのっ! このガラスきっと超お高いですよ……じゃなくて、ここから飛び降りるつもりですか! 30階越えてますよ!」

 

 佐天の静止も聞かず、ガラスの窓に向かって見事なスタートを切った美琴。額から青白い電流が迸り、全身に電流の鎧が張り巡らされる。スイートルームを満たすバチバチという不釣り合いな末期的破裂音。本気でやるつもりだ。一体なぜそんな無意味なことを? 佐天は慌てふためきながらソファーの隅にちょこまかと隠れる。

 

「――――こういうのを言うらしいのよね!」

 

 盛大にガラスをぶち破る音がして、御坂美琴は学園都市の夜景へと舞い上がった。ドロドロに溶けたガラスの流星が、何度か美琴の周りを回って大気圏外へと吹っ飛んで行った。ひらりと舞い上がったスカートから見えたのは……トレードマークの短パン。佐天はぽっかり空いた穴を前に、めくりがいのないスカートの下をしかと焼き付けている。

 

「――って、ニュートン力学じゃないですかっー!」

 

 美琴が消えてしまった虚空に吸い込まれる叫び声。ガラスのない部屋に立ち尽くしていると、妙に飛び降りたくなってくる欲求に囚われた。一歩踏み出せば死ぬという恐怖心が、あたしも飛べるかも? などとありえない錯覚に変換される。佐天がうずうずしていると、携帯が振動しているのに気が付いた。

 

「ごめんね佐天さん。一応窓のセキュリティ解錠しといたけど、見つかったら厄介なことになるから、私が帰るまで部屋から離れないでね!」

 

「はぁあ!? 置いてけぼりなんてあんまりですよ! だいたい初春はあたしじゃないと説得できませんって!」

 

「大丈夫よ、すぐ帰ってくるからー!」

 

 

◆ 同時刻 第177支部 ◆

 

 

 初春は素知らぬ顔でデスク上の荷物をまとめ始める。といっても隠さねばならないのは痕跡の残された電子機器と、一応保身のために印刷してきた絶対能力進化(レベル6シフト)計画の資料くらいなものだ。身支度に要する時間は1分もかからない。黒子は先ほどから気怠そうに自分の机に突っ伏しており、初春の行動には気づかないまま。

 

「ぬぬぬぬ……ただ働きのうえ残業までさせるなどと、ブラック企業も真っ青のダークな職場環境ですの。だいたいお姉様がテロ攻撃の首謀者のはずありませんわ。全く以て、意味不明ですの。きっとお姉様の名を騙る偽物に違いありません。必ず捕まえて濡れ濡れのぐちょぐちょにして差し上げますわよ……!」

 

 独りごとなのか話しかけているのか、黒子は微妙なテンションで呟いた。初春はどうしようか数秒だけ迷って、結局スルーすることに決める。リュックサックを背負って出口へと向かう。

 

「お、お先でーす」

 

 6月の新入社員くらい遠慮しながら声をかける。黒子は自動人形みたいな奇怪な動きで起き上がり、椅子ごと出口に向かって回転した。

 

「あら初春、どこへ行きますの? まだテロ脅威レベルは下がっておりませんわよ」

「あの……ちょっとシャワーでも浴びてこようかと。だ、ダメですか?」

「まぁ、あなたは朝から働きっぱなしですものね。こちらはわたくしにお任せくださいな」

 

 サービス残業を放棄する初春に、黒子は日本人らしくない暖かみのある眼差しを向ける。黒子のことだから皮肉かと思えば、本当に見逃してくれるらしい。

 

「あ、ありがとうございます白井さん!」

 

 元々黒子には、美琴を探す気などさらさらないように見えた。むしろ美琴は何者かに嵌められている……黒子は朝からずっとそんなことばかり考えているのではないか、と初春は危惧する。もしかすると……

 

「そういえば初春……」

 

 初春がドアノブに手を掛けたその時、背中からかけられた粘っこい黒子の声。かすかに猜疑心のようなものも混じっている。初春の足が止まる。背中から心臓に突き抜けた冷たい感触。氷りつきそうな血液が、ドクンと全身へと送り出される。疲労でぼやけていた視界が一気に開け、部屋を舞う埃まで鮮明に映し出す。

 

 感付かれたのだろうか、と初春は唇を噛む。先ほどの電話、最初は部屋の中で取ってしまった。漏れ聞こえた可能性がないとは言えない。加速した意識が、血塗られた結論へと収束し始める。美琴打倒の計画は散々練って来た初春だが、黒子との戦いは想定していない。こうなれば気付かれる間に無力化しなければ、と初春は密かに計算式を探す。空間移動系能力者(テレポーター)に対する最適な攻撃方法は何か。部屋ごと凍り付かせるか、それとも高温で蒸発させるか。あるいは……と初春はセーラー服の下に仕込んだ鋼鉄に意識を向ける。テロ攻撃の被害に遭った現場から、どさくさに紛れてかっぱらって来たアンチスキルの拳銃。まさか自分が武器を持っているなど、黒子は想像もすまい。テレポートされる前に一発撃つことは難しくない。記憶と黒子のAIM拡散力場を統合し、絶対に外さない射撃位置を算出――完了。

 初春は3通りの殺し方を即座に組み上げる。何を選んでも黒子は死は避けられまい。恨みがない友人を殺すのは初春にしても忍びないが――この期に及んでプライオリティは変更不可能。これは戦争だ、と初春は自分に言い聞かせる。戦争ならば、コラテラル・ダメージは避けられない。

 

「な……んでしょうか?」

 

 動揺が隠せず震える声。カタカタと音を立て始めるドアノブ。初春は左手で右手首を握りしめ、振動を腕に逃がす。頭上の花から零れ落ちた蜜が頬を垂れて、顎から床に落ちる。呼吸も乱れ始めた。良くない兆候。

 初めて人を殺す、しかも無関係な友人を。美琴を敵に回した時から覚悟していたとはいえ、実際に遭遇すると並大抵の神経ではいられない。良心と欲望が同時に暴れ出して、黒子を殺すまいと自己説得にかかる。それでも初春は、あらゆる理屈をねじ伏せて計算式を組み始める。

 触れた物の温度を保つことしかできなかった定温保存(サーマル・ハンド)。百合幻想(イマジン・サポーター)の発動、そこに守護神(ゴールキーパー)・初春の演算能力が結び付いたことにより、凶悪なまでの能力に成長することになった。体に触れた物の熱量を自在に制御する超常の力。能力名は、熱量支配(アンダー・コントローラー)。

 

 呼吸を整え、ドアノブを通じて部屋の構造に意識を通す。黒子の最期は……眠るような凍死。せめて安らかに殺してあげよう、それが初春の友人に対する今際(いまわ)の心遣い。部屋全体に、じわじわと自分の力が浸透していくのを感じる。空調で揺らぐ室温を、能力でそっと固定する。そのようにして初春飾利は、177支部を熱量支配の制御下(アンダー・コントロール)に置いた。後は、選択するだけ。

 せめて辞世くらいは聞いてやりたかったが、黒子相手では一瞬の油断も致命的。しかも百合幻想(イマジン・サポーター)は時間限定ゆえに無駄使いが出来ない。一撃で殺さねば、後の行動に重大な支障がでる。それでも初春は、黒子の口が開くのを待つ。一秒が10年に引き伸ばされたような時間。この空間だけ世界から切り取られて、時間の流れから隔絶される。そんな妄想を抱かせるほど、部屋には沈黙が張り詰める。当然初春の個人的な認知の問題で、大宇宙は今日も5000万年前と同じように回転し続けている。

 黒子がすぅーっと空気を取り込む感触を、初春は脳に直接感じる。分断された宇宙の流れが、啓示めいた波を大気へと送り出した……。あるいは宇宙創世と同時に定められた黒子の運命。初春は神経を研ぎ澄ませて、黒子の声を受け止め――

 

 

「頼んでおいたローターが宅配ボックスに届いているはずですの。ついでに取ってきて下さいな」

 

 

 ――ゴン、と鈍い音。額ごとドアに突っ込む初春。花から強酸性の消化液でも出ていたのか、そのままドアをぶち抜いて床に転がって行く。鈍痛と同時に凶悪な覚悟が無慈悲に踏み潰される。あんまりだ、と初春は涙をこぼした。いくらなんでも惨めすぎる。こちらは生きるか死ぬかという瀬戸際に居ると言うのに。もはや精神的レイプだ。

 額をさすりながら、涙を流して黒子の方に振り返る初春。同僚にしてルームメイトの友人は、モニターを見ながらスカートの中でもぞもぞと左手を動かしていた。真面目に引き継ぐつもりはないらしい。何はともあれ、初春は友人を殺さずとも済んだのだ。そのまま無関係で居てくれるに越したことはない。

 

「こ、ここで使うんですか!? いくらなんでも職場で白井行為はまずいですよ変態さん……」

「初春、逆ですわよ」

「すみません」

「アンチスキルの衛星が24時間監視していますし、そもそもわたくしは現場担当ですの。固法先輩はしばらく帰って来ませんし、そのくらい構いませんの」

「その前に……"パソコン部品"を頼むならコンビニ受取りにしてくださいって約束したじゃないですか! 私が買ったって思われるんですからね!?」

「やれやれ、あなたも細かいことにこだわる女ですわねぇ。お詫びに後で使わせてあげますわよ」

 

「使いませんよっ!」

 

「そうですわね。初春はもっと基本的なテクから学んだ方がよろしいですの。付け焼刃の技術では、いざ実戦(・ ・)となったときに、イかせるのは難しいですわよ。なんでしたら、後ほどわたくしが手ほどきして差し上げましょうか?」

 

 空気を卑猥な手つきで撫でまわす黒子。指の残像が忌まわしい人物の女性器を浮かび上がらせる。常盤台生同士見る機会は多いのだろうが、手が覚えるほど妄想するとは尋常ならざる変態っぷり。黙っていれば見惚れるくらいの美少女なのに、これだから始末に負えない。

 

「まったく白井さんは……。くだらないこと言ってないで、しっかり標的施設(ターゲット)を監視しててください!」

 

 黒子はぶつぶつと上層部への文句を言いながら、パンツを触った手でそのままキーボードに触れる。机の上には消毒用のウェットティッシュがあるのにだ。もちろん即物的に言えばキーボードを触った手で性器を触る方が不衛生なのだが。お互いの蜜の味を知っている程度の仲とはいえ、初春はあのキーボードを使う気にはなれなかった。

 

 

◆ 数十分後 鉄橋 ◆

 

 

 美琴は手すりにもたれかかり、多摩川の暗い流れに視線を泳がせていた。遅い、とゲコ太携帯を開く。20時45分。今さら気にしても仕方がないが、門限はとっくに過ぎている。5分ほどして……橋の向こうから花が生えて来るのが見えた。次いで人間の顔、続いて柵川中学の夏服。一見したところ、武器や荷物は持っていないようだ。

 初春飾利――何を企んでいるのか、美琴の野望に立ちふさがる低能力者(レベル1)の風紀委員(ジャッジメント)。美琴はゴミでも見るような蔑んだ目で初春を迎える。一方の初春も初春で、到底友達向けでない素っ気ない表情で、美琴にガンを飛ばしてきた。

 

「目的は手段を正当化する……。そう信じてるんですね、御坂さんは」

 

 あからさまに演技じみた冷たい声。初春は意図的に声から表情を抜くことができるのだ。

 

「何のこと? あぁ……決闘牧場のサイロに放火したことかしら。私、あそこのカツサンド・ドリンク好きだったんだけどね。でもアンタが唆したのよ。学園都市はあそこで密かに牛や豚に能力開発してるんだって。私はアンタと違って素直ないい子だから、つい信じちゃったの♪」

 

 もーもーと牛の真似をしながら挑発する美琴。オウンゴールを繰り返す悪名高き元守護神(ゴールキーパー)とご対面できたのだ。皮肉の一つくらい言う権利はある。

 

「とぼけないでください……誘拐犯っ!」

「ねぇ、初春さん。今更だけど、ここに来たってことはアンタが私に何してたか、素直に認めるってことでいいのよねぇ? アンタが私を妨害してたのは……品雨大学をぶっ潰す前からなんだし」

 

 昨日、ファミレスに引き返すべきだったのだ。初春が自分に食って掛かって来た時に取り押さえておくべきだった、と美琴は悔いる。

 

「私が来たのは佐天さんのため、それ以外の理由はありませんっ! 約束通り佐天さんを解放しなさいっ!」

「なら、私の質問に答えなさい。佐天さんがどうなってもいいの?」

「御坂さんの口から出て来るのは強者の傲慢だけです。力あるものが弱者に振りかざす暴力を、あなたは正義だと勘違いしてる。思い上がりも甚だしいんですよ」

 

 素直に答えるつもりは毛頭ないらしい。初春は美琴と一定の距離をとりながら、ゆっくりと半円状に歩き始める。

 

「あんな狂った計画に協力してるアンタに言われる筋合いはないわ。どうかしてるわよ、初春さん。これ以上邪魔するなら、アンタをお友達扱いするのやめるけど、いいの?」

 

 初春は鼻で笑って、10メートルほど離れた所の欄干に辿り着く。習慣的に触れようとして……はっと手を離した。美琴の歪んだ笑いを見逃さなかったからだ。元来た道を戻りながら、忌々しげに美琴を睨みつける。

 

「今さらですか、御坂さん。私はですね、御坂さんに裏切られたあの日から、あなたのことを敵としか思えませんでしたよ」

「はぁ? 私がいつアンタを裏切ったって言うのよ!」

「私から佐天さんを奪ったじゃないですかっ!」

 

 美琴は初春を睨んだまま記憶を辿る……が、全く心当たりが見当たらない。最近の自分の行動を一つ一つ整理してみたが、やはり美琴は潔白だ。百合幻想(キマシタワー)計画の発覚以降、内心はともかく、外面的にはむしろ佐天を突き放すような言動を心掛けていたはずだ、と美琴は自己分析を終える。

 

「ダメだ、何のことか分かんないや」

「またそーやって馬鹿にしてっ! 佐天さんは私と一緒に住むはずだったんです。なのに御坂さんがゴネて、無理矢理自分の部屋に連れ込んだんでしょ!」

 

 そう言われて初めて、美琴は初春がいつから切れているのかに思い至った。ここ数日の話かと思えば、どうも先月から恨みが続いていたらしい。つまり初春は、最初っから自分を騙す気満々だった訳だ。美琴のボルテージが一段階上昇する。許せない奴リストを作るとすれば、1ページ目入りは確実。

 

「はぁ……私は佐天さんを守ってあげようとしたんだけど」

「ほら、御坂さんはいつもそうです。上から目線で他人を見下して。守ってあげる!? 余計なお世話なんですよ! その傲慢が、佐天さんをどれだけ傷つけてるか、考えたこともないくせに!」

 

 ついさっき考えたんだけど……とは言わなかった。花に血が上っている初春は、逆上するに決まっている。初春の脳内では、暗黒面に落ちた美琴が、自分を追いつめるために佐天を誘拐したという設定になっているのだ。

 

「アンタこそ。友達があんな計画に加担してるって知ったら、佐天さんがどれだけ傷つくか考えたことあんの?」

「あなたって人は……どれだけ恥知らずなんですか! 佐天さんを誘拐しておいて、私に説教するつもりですか!?」

 

 初春は癲狂病みにでもなったのか、興奮しきって同じルートを行ったり来たりを繰り返す。佐天の誘拐という脳内設定は、初春に相当な精神的ダメージを与えているらしい。面倒なことに、闘志の源でもある。

 

「残念。この際だから言っちゃうけど、私は佐天さんを誘拐した訳じゃないの。佐天さんはねぇ、自分から進んでアンタを呼び出したのよん」

 

 美琴は意地悪く微笑むと、舌先をほんの少しだけ出した。唇の輪郭を丁寧に一周させ表面を湿らせる。何を連想したのか、すまし顔を気取っていた初春が、鬼の如く凶悪な形相に豹変し、わなわなと拳を握りしめる。もはや怒りを隠そうともしてない。

 

「そんなこと……私が信じるとでも……」

 

 地獄の底に溜まった瘴気を吐き出すような重々しい響き。こんなのに夜道で遭遇したら、ちょびっと漏らしてしまうかもしれない。目の前にいるにもかかわらず、美琴は少しだけクロッチを湿らせたくらいなのだ。

 

「し、信じて欲しいなんてこれっぽっちも思わないわ。ただ、これだけは理解しなさい。アンタはね、佐天さんの言葉を信じられないからここへ来たのよ。佐天さんは、自分が誘拐されたなんて、一言でも言ったかしら?」

「あなたに脅されていたのに、言えるわけないでしょっ!」

「どっちでもいいわ。ともかく、私の要求は1つだけ」

 

 今にも血管が破裂しそうな初春に向かって、ウインクを投げかける美琴。キーパーソンを握っている事実が、圧倒的な心理的優位を形成している。初春程度に負けることなど考えられないが、戦わないに越したことはない。畳みかけるなら今だ。

 

「この手で百合幻想(キマシタワー)計画を再起不能に追い込むまで、アンタを信頼できる人間の監視下に置くこと。もちろん……アンタが知ってる事実を洗いざらい吐いてもらった後にね。別にアンチスキルに引き渡したりしないから、安心しなさい」

「要求? 誘拐してないのに要求するんですか。自分が何言ってるか、理解しているんでしょうね」

「アンタは誘拐されたって信じてる訳でしょう? なら結果は同じよ。どちらにせよ、佐天さんは私が確保してるの。要求を拒否すれば二度と佐天さんに会わせないわ」

 

 初春の足が止まる。丁度美琴の真正面、車道のド真ん中。心なしか姿が歪んで見える。

 

「佐天さんを殺すつもりですね……鬼畜」

 

 またしても聞くだけで呪われそうな不気味な声。初春が呪術の大家だと言われても、あっさり信じてしまえそうだ。ドス黒いオーラのようなものが初春を包み込んでいる。もちろんそんなもの錯覚に過ぎない――と美琴は一笑に付すが、どうもぎこちない。

 

「アンタがそう思うんならそうなんでしょう。アンタの中ではね」

 

 美琴は内心の動揺を見透かされないように買い言葉をぶつける。わずかばかり声が震えていた。数メートル先の初春まで感情が伝わったとは思えないが、明白に戸惑いを自覚する。なぜ低能力者(レベル1)相手にこんな気分になっているのか……おそらく、底が見えないからだ。美琴は一度大能力者(レベル4)としての初春の実力を目撃している。一瞬にして缶ジュースを爆発させられる力。その程度ならば問題なく対処できるが……初春は馬鹿じゃない。何の考えもなく喧嘩しに来たりはしないはずだ。だからこそ美琴は、言い知れぬ危険な予感に戸惑っているのだ。

 額から汗が垂れて来る。緊張のせいか、それとも熱さによるものなのか、美琴にはいまいち判断が付かない。真夏日の今日、日が暮れても不快指数マックスの熱帯夜が続いているからだ。ただここは川の真ん中。いくらなんでも熱すぎる。ヒートアイランド現象だろう、と美琴は間に合わせの理屈で納得する。

 一方の初春は憎しみを乗せた眼光で睨みつけながら俯き……セーラー服を持ちあげて、物騒なものを取り出した。H&K USPコンパクト。捜査官の顔をした連続殺人鬼が愛用する、馴染みの自動拳銃。訓練された正しい構えで、美琴の心臓を正確に照準する。

 

「風紀委員(ジャッジメント)です、両手をあげて跪きなさい」

 

 クスリと、美琴の余裕が回復する。一般人相手なら致命的な武器。だが美琴にとってはおもちゃに等しい。

 

「お笑いね。初春さん、私って常盤台の超電磁砲(レールガン)とか呼ばれちゃってるんだけど……初耳かしら?」

「御坂美琴……あなたに逮捕状が出ています。現住建造物放火容疑、及び……未成年者略取の現行犯で、逮捕します」

 

 あらかじめ用意した文章を読み上げるみたいな単調さ。初春はこれ見よがしに撃鉄を起こす。それは脅しのためだけではない。万が一にも外さないためだ。

 

「へぇー、ジャッジメントには逮捕権があったんだ?」

 

 美琴も手すりから離れて、臨戦態勢で初春を睨みつける。生暖かい風の揺らめきを、スパークの細い線が刺し貫く。美琴の体のあちらこちらから、漏れ出した電流が体表面を走り抜けた。

 初春は美琴が近づいた分だけ、すり足で後ずさる。運動音痴のわりに照準は全くぶれない。美琴の心臓を一撃で破壊するつもりだ。

 

「私は先ほど、誘拐された佐天さんとあなたが一緒に居る声を聴いてます。私人逮捕の要件は十分満たしていると思いますが」

「どうかしらね」

「で、ですが……これは風紀委員(ジャッジメント)として…………いえ、友人としての最後のお願いです。佐天さんを解放して、アンチスキルに自首してください。御坂さんが逮捕を免れる方法は、それだけです」

 

「寝言ってのはねぇ……寝てから言うものよ、初春さん。殺されたくないなら、銃を降ろしなさい」

 

 美琴の声から徐々に表情が消える。代わりに増大する威圧感。超能力者(レベル5)特有の、異様なまでのプレッシャー。今にも燃え上がりそうなキナ臭い空気が、多摩川の鉄橋に充満する。どちらも視線が逸らせない。逸らした瞬間、片方の未来が永遠に失われる。ただの一瞬で、人生の全てが決定する……そんな末期的沈黙。

 

「や……やれやれ。御坂さんと仲良くお話しても、どこにも辿り着けないことは初めから分っていましたのに」

 

 折れたのは初春。ゆっくりと銃を降ろし、美琴から照準を外す。美琴の電撃は亜光速。不意をついた先ほどと違い、二度と美琴を狙うことは不可能だろう。一気に弛緩する空気。勝てる――美琴はそう確信する。初春ははったりをかまして乗り切ろうとしているだけだ。

 

「元はと言えば、アンタが喧嘩売ってきたんでしょうが」

「百合幻想(キマシタワー)計画は、正規の手続きによって統括理事会に承認された実験です。もちろん日本の法律じゃ違法ですが、ここは学園都市。日本国憲法以下日本の法令は一切通用しません。ここでは統括理事会の決定こそ法律なんです。風紀委員(ジャッジメント)の私が法を犯す人を排除することに、何か問題があるんですか?」

 

 初春はまた落ち着きなくうろつき始める。今度は車道に出て来た美琴の周りを、グルグルと回りながら、八つ当たり気味に捲し立てる。川と鉄橋を花畑が回る。相対して初めて実力差を理解し、理屈でやり込める作戦に切り替えたのだろうか。生憎、美琴は一切妥協するつもりはない。何回転してもだ。

 

「そんな詭弁で自分の悪行を誤魔化せると思ってるの?」

「誤魔化すも何も、私は事実を述べているだけですよ。法を守ることが悪なら、私は悪なんでしょうけどね」

「嘘ね。いくら学園都市だろうが、クローン人間の製造は国際条約違反でしょ。あなたは犯罪を幇助しているのよ」

「ですから、学園都市の法は統括理事会の意思決定なんですって。国際法に反してようが自然権を蹂躙してようが、私の知ったことじゃありません。もちろん個人的には心が痛みますし、違法だと思います。ですが、生憎私は公務員なんです。御坂さんみたいに法律を無視して好き勝手に正義を気取ることは許されないんですよ!」

 

 何を言うかと思えば、ろくでもない被害者気取り。自分のクズっぷりを見せつけて戦う気力を削ごうとする作戦なら、相手を間違えている。

 

「ふーん。まるでアドルフ・アイヒマンね」と美琴は冷たく言い放つ。

「な……なんですって……?」

 

 急に立ち止まる初春。的確に抉られた図星。必死に取り繕うとしていたであろう憎悪が、鋭い目つきとなって表出する。一時は緩んだ空気が、気が付けば再びからからに乾いている。

 

「ナチのサイコ野郎って言ったのよ。お気に障ったかしら?」

「み……御坂さんにだけは言われたくないですよ! 私なんかよりずっと学園都市大好きっ子のくせに! 私は幻想御手(レベルアッパー)事件の時から、この街は狂ってるって疑ってたんですよ! 木山先生の教え子に学園都市がどんなことをしたか、あなたが一番よく知っているでしょうに」

「で? アンタがやってるのは、学園都市が進める狂った実験への協力なのよね。『己の信念に従い、正しいと感じた行動をとるべし』。ジャッジメントの心得だって黒子が言ってたけど、アンタの信念は腐りきってるみたいね」

 

「……わ……私は……あんな(・ ・ ・ )実験に(・ ・ ・ )協力し(・ ・ ・ )てるわけ(・ ・ ・ ・ )じゃない(・ ・ ・ ・ )!」

 

 激しい音圧が、美琴の下腹部に響く。初春は肩で息をしながら、その叫びを、地面に向かって吐き捨てた。演技だとしたならば……最高に真に迫っている。敵としてのフィルターを通す美琴の心さえ、波打たせてしまうほどに。天性の詐欺師か……それとも事実の告白か。美琴には後者に思えてならない。

 

「むしろ、御坂さんを守ってるんですよっ! あなたがこれ以上実験に関われば、確実に命を失うことになるんですから」

 

 続く言葉の真贋までは、美琴には判別できなかった。嘘かも知れないし本当かも知れない。初春の血走った眼が語るのは、痛い目にあわない限り真実は語らないという頑固な意志だけ。

 

「それこそ余計なお世話よ。なんでアンタに守ってもらわなくちゃならないわけ? 仮に死ぬことになっても、私のクローンや友人を利用した計画を、この私が黙って見逃すわけがないでしょ」

 

「御坂さんは超能力者(レベル5)という安全地帯に居るから、そんな子供じみた万能感を抱いてるんです。失敗するかもとか、自分が殺されるかもって、本気で思ったことないですよね。白井さんもですけど、高位能力者は何でもかんでも自分の力で解決できるって信じ込んでるんです。違いますか?」

 

「だ、だからってねえ……」

 

「ほら見たことですか!」

 

 敵を侮辱すると言うよりも、友人を窘めるように言う初春。その態度は、ストレートに罵られるよりもよほど腹立たしい。

 

「てゆーかアンタ、佐天さんが私のクローンに犯されても平気なの? 頭の花に大脳新皮質乗っ取られてるんじゃないの?」

「佐天さんが妹達(シスターズ)とそういう行為に及ぶことはありえません。この私が全能力をもって阻止しますから」

「呆れた。アンタ、何も知らないのね」

 

 万能感を抱いているのはどちらなのか。大方衛星で監視でもしていたのだろうが、まんまと接触を許しているではないか

 

「混乱させようとしても無駄ですから。これが最後通告です。今すぐ佐天さんの居場所を吐いて、アンチスキルに自首しなさい。じゃないと、命の保証はしませんよ」

 

「はぁ……もういいわ」

 

 熱帯夜にしても熱すぎる風が、2人を一回りして通り抜けた。灼熱の夜を凍り付かせる美琴の冷酷な視線が、かつて友人であった人間に深々と突き刺さる。敵を前にして言葉など重ねるだけ無粋というもの。不快な熱気が美琴の怒りを増大させる。何も分っていないのは初春の方だ、と美琴は決めつける。目先の欲望に囚われて、目に映るものの意味さえ分からなくなっている。

 

「こうなった以上……私とアンタ、どちらが正しいのか、決着をつける必要があるようね」

 

 一瞬の閃光。美琴から半径30メートルほどのナトリウムランプが一斉に弾け飛んだ。夜の中心に設けられた漆黒の円卓。テロリストと悪徳捜査官が雌雄を決するには、上等すぎる舞台だ。

 

「望むところですよ」

 

 覚悟を決めたのかやけくそなのか、初春は自信に満ちた不敵な笑みを浮かべる。革靴のつま先でアスファルトをコツコツと叩き、大きく深呼吸をすると……敵意に満ちた真っ直ぐな目で、美琴の全身を捉えた。おりしも時刻は、まもなく21時00分を迎えようとしてる。

 

「行きましょうか、決戦のバトル・フィールドへ!」




上条「嫉妬に狂って御坂を妨害し続けていた初春飾利。御坂を手玉に取っていたはずの初春は、佐天涙子を取り戻すため直接対決に追い込まれる。初春がひた隠しにする残酷な真実、絶対能力進化(レベル6シフト)計画。その裏で繰り広げられる、女のプライドをかけた無益なキャット・ファイト(もう一つの戦い)。学園都市第3位の超能力者(レベル5)を相手に、初春飾利は生き延びることができるのか。次回、熱量支配(クレイジーサイコレズ)。科学と佐天が交差する時、物語は始まる――!」
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