※この作品はR-18です。

とある佐天の百合洗礼《レズテスマ》   作:エステル

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第12話 一方通行《カニバリスト》

◆ 8月16日 午前1時5分 ◆

 

 操車場は操車場としての機能を放棄していた。張り巡らされた線路は片っ端から引き剥がされて折れ曲がり、幾重にも重なり合ってあちこちに鋼鉄の檻が転がっている。横転した貨物列車が赤さびた巨大な台車を晒し、連結されたコンテナ車がねじれながら順番に脱線していた。千切れた架線からはしきりに青いスパークが迸り、信号機の柱や枕木を焼いて黒く焦がしている。広大な空き地には砲撃を受けたかのような大穴がいくつも空いてた。中心部には敷石が赤く燃え、暴力の痕跡を雄弁に物語っている。さながら1945年のベルリン。

 

「クリア!」

 

 銃とライトを構えた初春が、散乱したコンテナの一つに37ルーメンのぼんやりとした光を差し込んで言った。背後では黒子(バディ)が鉄のダーツを握ぎり、深淵に照準を合わせている。単独行動をとる美琴は、2人からわずかに離れた場所で、別の空きコンテナを覗き込もうとしている。

 

 

 3人がやって来た時、操車場には人影らしきものは見当たらなかった。美琴は積み上がったコンテナの上に登りレーダーで周囲探ったが、人っ子一人見つけることは出来なかった。初春にもう一度衛星を調べさせたが、他に不審な操作が行われた形跡はなかった。電波が届かないコンテナの中にいるのではないかと予測し、こうしてひとつひとつクリアリングしているのだ。

 

「こっちにも居なっ……」

 

 美琴は言葉を飲み、とっさに身を翻して入り口の脇に陰に背を付けた。可視光線が鏡に反射されるみたいに、自分の電磁波がダイレクトに跳ね返って来たからだ。鉄板にも多少の凹凸はあるし、一部は吸収されて熱エネルギー等に変換される。こんな直接的な反射の仕方、自然には起こり得ない。

 同じ感覚を美琴は一度体験していた。9982号(妹達の一人)が放った、自分と全く同じ力の照射。あるいは――と美琴は直感する。一方通行(アクセラレータ―)が行うと聞くベクトル反射。可能性は2つに1つ。どちらにせよ、

 美琴は2人に向かって手の平を突き出し、一切の動きをやめさせる。人差し指を唇に当てて頷くと、その指でコンテナの中を示す。黒子のテレポートで音もなく近寄る2人。

 

 美琴は電磁波を止め、水銀をかき分けるように顔を近づけていく。血液が氷水みたいに心臓から吹き出している。これだけ盛大に破壊行為を行った一方通行が、コンテナの中に潜んでいる理由がまるで想像できないのだ。こんなところで暮らしていると言う訳でもあるまい。

 

 初春と黒子は無言で目を合わせ、各々の武器を再点検する。黒子はともかく、初春は拳銃が通じる相手ではないと知っているくせに、それでも手ぶらでは居られなかったのだ。ここで行われたであろう破壊行為を思えば、その気持ちはさほどおかしなものでもない。自分達のやっていた小競り合いとは規模が違う。戦争―――そう呼ぶしかない。

 

 美琴はドアのギリギリまで身を寄せて、顔を慎重に滑らせて闇に目を凝らす。電磁波が使えない以上、暗いコンテナの中を正確に見通すことはできない。人間の輪郭が一つ、闇の中に倒れ込んでいるように見えた。くちゃくちゃと、かすかな咀嚼音のようなものが闇の奥で鳴っている。冬眠明けのクマが潜む洞窟でも覗いているような気分だ。美琴は瞳孔を開き、音の発生源を見極めようとする。

 

「ひゃあっ!」

 

 その時初春が、情けない悲鳴を上げて黒子に抱きつく。張り詰めた沈黙を台無しにする不注意さ。銃と共に地面に向けていたソリテールの光が、向かい側のコンテナを撫でる。黒子が烈火のごとくぶち切れながら振り向き、

 

「えっ……」

 

 呼吸を止めた。2人の足元に―――――黒猫の頭部が転がっているのだ。猫の顔だけなら、可愛らしいぬいぐるみだと思えたかもしれない。切断された首から溢れているのは白い綿ではなく……どす黒く変色した血液。疑いようもなく猫の死体。反社会性人格と言う言葉が、必然的に2人に同時に上ってくる。

 

 すぐそばにいる美琴も、2人の小さな騒ぎをなだめる余裕はなかった。向かいから拡散した懐中電灯の光が、一瞬だけ、ほんのゼロコンマ数秒だけ、コンテナの中にあるものに衝突したからだ。

 

 

 そいつは――洞窟に潜む肉食獣は、3人の立てる音を感じ取ったのか――入光と時を同じく、上半身だけでコンテナの出口を振り返った。

 

 

 美琴は最初、その生き物が、奇形の化物ではないかと誤認した。顔中に黒いカサブタのようなものが貼りつき、髪にまでもその異常が拡大している。その上そいつの唇が……口からぽろんと食み出ていたからだ。しかしながら、一瞬の情報整理の後、美琴はまともな人間が決して考えてはならない種類の解答に辿り着く。そいつは口元から唇を垂らしているのではなく……

 

 

「あぁ――――うそっ――――」

 

 

 唇 を 食 べ て い る の で は な い か。

 

 

 美琴の脳に刻まれた不可逆の反応。全宇宙の悪意が凝縮されたような、細胞全てを闇が焼き尽くすような、圧倒的なエネルギーの輻射が、美琴の体を稲妻として撃ち貫いた。それは真実としての啓示であり、この街と宇宙が美琴に叩きつけた結末であり、究極的な真理ですらあった。人生の全てが、この瞬間のうちに無に帰するような、抗いようのない衝撃。

 

 美琴はもう身を隠すような真似はしなかった。できなかったのだ。黒子と初春が気が付いた時には、彼女は1枚のコインを手にし、腕に紫電を纏わせ、コンテナの中に超電磁砲の照準を合わせていた。初春は慌ててマグライトの光を差し込み――零れ落とした。闇の中の男は、下半身を露出させ、倒れた女の上に跨りながら……その女の顔を――――――食っていたのだ。

 

 地面に落ちたライトは、眼前の結末を闇に葬ることを拒絶する。それは正義感からだろうか、物質に正義感が宿ると言うのだろうか。どちらにせよ、初春と黒子にはそんなもの殺されたって必要としなかったし――全人生を捧げても知らねばならぬことであった。

 

「あァ? ンだよつまんねェ、もォーお片付けの時間かよ。まだ腹減ってンだがなァ。あーァ、帰りに医者ンとこ寄らなきゃなンねェな、こりゃァ」

 

 男は女からペニスを引き抜くと、来訪者には羞恥心を抱く価値もないと言いたげに仁王立ちになる。女の局部からは、それまでペニスにせき止められていた白濁液がドロドロと零れ落ち、太ももと臀部を穢しながら床に広がった。男は引き抜いたばかりのペニスをズボンにしまうと、ガムを飲み込むみたいに、喉を鳴らして唇を胃の中に収め――黒く焼け焦げた頬をさすりながら、全身を美琴の前に晒す。必然的に認識する――3人の影。

 

「……あァ?」

 

 ツインテールと花飾り、闇の外に浮かび上がる、ここにあるはずのない異物のシルエット。少年はただ一瞬だけ、幽霊でも見たかのように目を丸くした。

 

「そいつら……何者だ……? オマエ……」 

 

 2人の異物に挟まれ、狂人の如く目を限界まで見開き、自分に向かって右手を突き出す見慣れた女の姿。その構えは――9982号(人肉)が超電磁砲(レールガン)を撃ったときの姿そのもの。照準は真っ直ぐ眉間に向けられている。一方通行(アクセラレータ)はそれだけで全てを察したのか、面倒くさそうに「やれやれ」とため息を吐く。美琴の正気は――――死んだ。

 

「初春、離れますわよッ!」

 

 黒子が絶叫と共に初春に飛びつき、空間移動(テレポート)によりその場を跳躍する。

 

 ほぼ同時、ある意味では完璧なコミュニケーション、美琴はこの距離で超電磁砲のトリガーを引いたのだ。命中まで数メートル、弾速は音速の3倍。一瞬と呼ばれる時間では長すぎる。意識の追いつく間もなく、空間を焼き尽くしたコインの閃光が、一方通行(カニバリスト)の額に激突―――するはずがない。コインが貫いたのは美琴の後方にあるコンテナ。断熱圧縮とジュール熱により液化したアルミニウムは、鉄板を突き破って搭載された衣料品の山に引火する。爆風が衣服を空にまき散らし、美琴の背後に巨大な火炎の翼を広げた。翼は闇の奥深くまで光を浸透させる。鋼鉄の床に横たわっているもう一人の人間。美琴は初見では、その死体を9982号だと認識することが出来なかった。

 

 顔が無かったからだ(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)。

 

「ぁぐ―――――――ぅぐううううっ」

 

 いくつか血管が切断されたかもしれない。これほどまでの怒りを経験したことが、美琴には今だかつてなかった。木山春生が幻想御手(レベルアッパー)で1万人の夢を利用した時も、テレスティーナが置き去り(チャイルドエラー)を殺しかけた時も……美琴はあくまで誰かのために戦っていた。どれだけ正義感が突き動かされても、どれだけ義憤に昂っても――所詮は他人事。美琴は問題を鮮やかに解決するために都合よくやってくる、誰かを救うための作り物の主人公(ヒーロー)でしかなかった。頭の奥の奥の一番奥では、そんな思いが潜んでいたのかもしれない。だけど眼前には―――彼女と同じ姿した、していたはずの女が、顔を食われ、犯され、絶命しているのだ。

 あの死体が、別人の死体であると信じ込めれば、どれほど楽だったろうか。不謹慎とは理解しつつ、美琴は縋りつかずにはいられない。そんなくだらない幻想に。

 腰のあたりについたバッジが、炎を照り返して煌めいた。天使の羽を広げたゲコ太のバッジ。美琴が"妹に送った初めてのプレゼント"は、その死体が世界中の誰でもなく、ミサカ9982号であると語りかけてくる。この世界で、おそらくは美琴にだけ理解できる共通認識。理性の箍が激情を止めることができようか。

 

 

「コ――――――ロス」

 

 

 炎上する怪鳥を背に、美琴は主人公(ヒーロー)であることをやめた。

 

 

◆

 

 

 81.5m、能力の限界まで空間を飛翔した2人。黒子にそれだけの判断が出来たのは、奇跡的とでも言ってよかった。美琴のことを日々一方的に思い続けていたからこそ働いた直感。だが転移後の黒子は放心状態で、超電磁砲を放った美琴の姿をぼんやりと眺めている。体が心に追いつかなかった。あそこで無残な姿を晒していたのは、敬愛する美琴と全く同じ遺伝子を持つ人間。自分だって平静でいられやしない。今すぐにでも加勢しなければならないのに、その命令が体の各部――それどころか脳の内部でだって正しく伝わっていない。美琴を思う気持ち、一方通行への怒りと恐怖、ジャッジメントとしての使命、あらゆる目的と感情がぶつかり合い、互いに一歩も譲ろうとしないのだ。

 

「はぁはぁ……うっぷ……うぇっ……うえぇええええ!」  

 

 初春は地面に手をついて、敷石に向かって黒い液体をぶちまけた。胃の中に溜まっていたチョコレート。だが彼女にとっては、蓄積されていた美琴に対する罪悪感にしか見えなかった。首謀者でも実行犯でもないが、初春は紛れもなく実験に加担した一人。泣く資格がないと分っているのに、止めどなく涙が零れ落ちる。狂ったように泣くじゃくるせいで、頭にふわふたとした空白の領域が広がっていく。過呼吸の発作だ。泣きながら吐き、吐きながら泣き喚く。ほとんど狂人一歩手前。

 

 胃をまるごと吐き出すような友人の苦悶の声に、黒子にふと正気の光が灯る。何が切っ掛けになったのか、現実的な思考が、洪水のように一瞬で黒子の闇を押し潰す。

 

「初春、初春! しっかりしなさい!」

 

 友人の肩を抱き、背中をさすりながら、黒子は吐瀉物の残る口を強引に塞ぐ。自分の二酸化炭素を送り、過換気された空気から酸素を奪い続ける。数回の呼吸で、初春の発作は急速に収まった。それでも涙は止められず、黒子と見つめ合ったまま唇を震わせている。

 

「あんなの……私が……私の責任です……私が御坂さんに意地悪したからっ……」

「しっかりなさい初春。後悔している場合じゃないでしょう。あいつを、これで撮影するんですの」

 

 初春のスカートをまさぐり、携帯電話を握らせる黒子。惨殺現場を携帯で撮影……そんな野次馬根性が、よりによってなぜ黒子の口から飛び出したのか、初春は理解できず抗議するように涙目で睨む。

「明白な殺人の証拠ですの。たとえどんな連中が隠蔽に加担しようとも、証拠があれば世界が黙っておりませんわ。くれぐれもお姉様やあいつに気付かれないように」

 

「でもそんな……」

 

 冷酷なまでのリアリズム。あまりに冷たい黒子の物言い――だからこそ、初春の涙は止まる。ヘドロのような現実に片足を突っ込んでいるのだ。這い上がろうとしなければ、このまま嘆きながら沈んでゆくしかない。

 

「初春! わたくし達はジャッジメントですの。もしも自分が間違ったことをやってしまったと感じているならば! 今、自分がなすべきことをなさい」

「あ、あいつはあらゆるベクトルを操る学園都市の第1位ですよ……⁉ 私言ったじゃないですか、御坂さんには絶対勝てないって! ねぇ白井さん……御坂さんを説得して逃げましょう……! それしかないですって!」

「逃げる……逃げるですって? 正気ですの初春。あなたはあの男がやったことを見た上で、尻尾を巻いて逃げ帰るつもりですの!?」

「も、もし撮影してるところが見つかったら……私なんか指先ひとつで殺されちゃいますよ! テレポーターの白井さんならあいつに見つかっても逃げられるでしょうけど……! 私は……低能力者(レベル1)の私じゃ逃げることも……」

 

 おそらく3人の中では、初春だけがまともな思考を働かせていた。それは単に、他の2人よりも計画と一方通行に関する知識が多いと言うだけで、彼女が恐怖に支配されてしまったからではない。津波から全速力で逃げる人間を、臆病者とは呼ばない。勝てるはずのないと分っている相手に無策で立ち向かうのは、勇気ではなく蛮勇と称される。

 

「わたくしはお姉様が暴走しないように傍に付いてなければなりません。おそらく……わたくしなら一方通行(あの男)を止められますの」

「止めるって……無理ですよ白井さんには! お願いですから冷静になってください……!」 

 

「初春、リスクは承知の上ですわ。私もあなたも、下手をすれば死ぬかもしれません。それでも自分の過ちを償いたいと思っているなら……分かりますわね?」

 

 黒子は決して認めない……いや、初春自身でさえ自分の思考を軽蔑しているのだ。初春は自分で自分の頬を引っぱたく。あれは天災ではなく――犯罪なのだから。

 

「……分かりました。やります」

 

 初春は銃をカメラに持ち換える。それが無駄な抵抗であろうと、頭では理解していながら。

 

「白井さんも、お気を付けて」

 

 

◆

 

 

 前線へのテレポートと同時に、黒子は美琴の頬を手加減なしで引っぱたいた。電撃の槍、砂鉄の嵐、超電磁砲、あらゆる攻撃を受け流しながら平然と迫りくる一方通行は、突然の仲間割れに歩みを止める。黒子はさらに美琴の胸ぐらを掴むと、怒りで赤く染まる頬に思い切り往復ビンタを食らわせる。

 

 黒子が瞳に浮かべるのは、限りない怒りとそれを圧倒する冷静さ。美琴は無言のうちに、後輩の意図を理解する。理解しながらも、納得することができない。相手は最強の能力者、自分の力が絶対に及ばない存在……だからといって、妹を食った男(カニバリスト)を前に、冷静に話し合いなど出来ようか。あんなものは人間ではない、と美琴は判断したのだ。話し合ったところで、解決するはずがない。初春が言っていた通り、この男は人間ではなく、反社会性人格(サイコパス)なのだ。

 

「風紀委員(ジャッジメント)ですの! ただちに戦闘を停止しなさい!」

 

 美琴に向かって叫んだが……盾の腕章が相対するのは、一方通行(アクセラレータ)。

 

「……風紀委員(ジャッジメント)だァ? おいおい、こいつは傑作だぜ。オリジナル……オマエ、マッポの手先引き連れて来やがったのか? ったく、冗談きついぜ」

 

 一方通行が心底おかしそうに嘲笑する。ジャッジメントの介入など何の意味もなさないと言いたげに。ジャッジメントへの敵対行為は、あるいは学園都市の秩序そのものに敵対することをも意味している。いかに一方通行とはいえ、学園都市との全面戦争など望むまい。

 ならば――ここで黒子を殺したとしても、現場レベルの問題にしかならない――そんな確信に基づいて、黒子の宣言を笑い飛ばしたのではないか。

 

「止めてんじゃないわよ! こんな男は今すぐにでも殺すべきなのよぉぉぉぉ!」

 

 美琴は狂ったように絶叫する。既に2発の超電磁砲が弾き返され、どんな攻撃も通用しないと分っているはずなのに。

 

「黙りなさい! 御坂美琴、抵抗すれば殺人未遂の現行犯で拘束しますわよ!」

 

 あろうことか黒子は心酔する美琴の足を蹴り飛ばし、鮮やかな手並みで地面に押さえつける。この状況での裏切りともとれる行為。それが自分を守るためであるとしても美琴は――

 

「そちらの殿方は――」

 

 流れ始めた電流。それでも黒子は美琴を押えつけたまま、一方通行に顔を向ける。美琴に対するものとは違う、感情の欠落した視線。正確には――全神経で憤怒を封じ込めている瞳。

 

「殺人。及び、死体損壊の現行犯で――」

 

 鋼鉄のダーツを一本、太ももの弾帯から引き抜いた。磨き上げられた矢尻の先端が、一方通行に向けられる。

 

「逮捕します」

 

 逮捕。

 

「く、」

 

一方通行(アクセラレータ)の口が裂ける。

 

「くか、」

 

 割れた黒い頬からは紅い口腔と白すぎる歯。

 

「くかき、」

 

 顔中に付着したミサカ9982号の肉片と血液も相まって、到底まともな人間には見えない。都市伝説にある口裂け女が居るとしたらこんな感じだろう。相手が妖怪でない分口裂け女よりはましだったが、実在する分妖怪より恐ろしかった。

 

 

「くかきけこかかきくけききこかかきくここくけけけこきくかくけけこかくけきかこけききくくくききかきくこくくけくかきくこけくけくきくきこきかかか―――――ッ!!」 

 

 

 一方通行は腹の底から笑い狂う。これ以上面白いことなどこの世には存在しない、その喜びを全身全霊で表しているのだ。

 

「おいおいおいおい、最強の超能力者(レベル5)を笑い殺すつもりですかァ? 俺がここまで追い詰められたのは初めてかもなァ。やるじゃねェーかオマエ。褒めてやるよ」

「この紋章が目に入りませんの? あなたは殺人の現行犯ですのよ」

「なーに人聞きのわりィこと良いってんだァ? あァーそっかァーオマエら知らねえのか。そりゃそォーだよな、知らねえ奴が見たら殺人現場だと思い込ンじまっても仕方ねェな。悪ィ悪ィ、ビビらせちまったな、ポリ公。俺は犯罪者じゃねェーから」

 

 黒子は思い切り眉間にしわを寄せる。一方通行の戯言に腹が立ったからではない。取り押さえた美琴から、弾き飛ばされるような電流が流れて来たからだ。それでも黒子は美琴を離さない。この小さな体に一体どこにそんな力が不思議なくらいに。

 

「ったくよォ、こりゃ"実験"なンだっつーの。双方合意の上でやってンだ。それによォ、俺が殺してるのは人間じゃない……人形どもだぜェ? 人形壊して罪に問われンのかァ?」

「殺す……殺す殺す殺す……殺す殺す殺す殺すぅぅぅぅぅぅぅぅ! こいつだけは生かしておけない、黒子ォオオオ! そこをどけぇぇぇぇ!!!」

 

 美琴は半狂乱になり、左右に暴れ回って黒子の拘束を振り解こうと試みる。美琴が深く爪を立てたせいで、黒子の腕には一筋の赤い流れが伝う。美琴は自分の手に流れて来た親友の血を震えながら見つめ――それでも血塗られた手で黒子を引き剥がそうと掴みかかる。

 

「何を言うかと思えば……絶対能力進化(レベル6シフト)計画のことなら存じておりますの。その上で申し上げますわ。あなたの行為は明白な殺人です。クローン人間の生命に保護法益がないですとか、実験だから同意殺人ですとか、そんな世迷言を主張したいのでしたら、どうぞ法廷で行いなさい。あなたには黙秘権がありますの」

「クク……法廷だァ? 学園都市にゃ警察も法律も裁判所もねぇンだよ。あるのはたった一つ、力だけだァ」

 

 通用しない。この男には、学園都市には、日本国憲法など一切通用しない。この街にはそもそも人権という概念がないのだ。学園都市に社会契約は存在しない。生命、自由、幸福の追求――そんなもの学園都市(この国)では幻想にすぎない。弱者は殺され、強者は殺す。弱肉強食――それが学園都市の有する唯一の法。学園都市の門をくぐる者は一切の権利を捨てよ!

 

「供述は不利な証拠として扱われる場合がありますの」

「分ンねェの奴だなァ。俺はよォ、学園都市公認で実験やってンだっつーの。こンだけの大規模な戦闘やって、上層部が衛星で監視してねェと思ってンのか? 頭大丈夫ですかァ?」

 

 だからこそ、この男は無敵を求めた。最強を越え、全てを支配する絶対的な力を手に入れるために。学園都市の定めたルールにのみ従う、良心を捨て去った最高の"奴隷"として!

 

「あなたには弁護士を立ち合わせる権利があります。経済的事情から依頼できない場合は公選弁護人を付けることができますの」

「つまりよォ……学園都市にとっちゃ……むしろオマエらみたいなクソッタレな偽善者こそが、邪魔で不要な悪人ってこったよなァ!」

 

 ただでさえ割けた口が耳まで吊り上がる。通じる訳がないのだ。人間が自由に生きるために、膨大な犠牲を元に血塗られた手で勝ち取ったルールなど。神との契約に基づいた相互の尊重など。自ら権力の奴隷に成りたがる人間に、通じる訳がないのだ。

 

「アンタも分かったでしょ。こいつは理屈じゃ止まらない。人間未満のサイコ野郎、酒鬼薔薇聖斗(東慎一郎)と同じ野菜人間よ」

 

 抵抗をやめた美琴が、燃える空を見ながら吐き捨てた。この世には殺すことでしか解決できない問題があるのだ、そんな絶望的な台詞。

 

「ええ。ですから――――――」

 

 黒子は美琴の腕をそっと返し、ダーツを一方通行に向けたまま、美琴の前に立ちふさがる。

 

「わたくしが逮捕しますの。一般人は、引き下がっていてくださいませ」

 

 学園都市の頂点に立つ男など恐るるに足らず――黒子の背中はそう語っていた。

 

「黒子何考えてるの……あいつは皮膚に触れただけで全てのベクトルを反射するのよ。アンタも見たでしょ、私の超電磁砲を跳ね返したのよ!?」

「なればこそ、わたくしの出番なのですわ、お姉様。わたくしならば――あのサイコキッズの脳内に―――直接ダーツ(弾丸)を撃ち込むことだって出来ますの」

 

 あらゆる攻撃を反射し、皮膚に触れるベクトル全てを操る。超電磁砲がどんなに強力無比な威力を誇っても、馬鹿正直に空間を突き進んでは勝てるわけがない。

 

 ならば――――皮膚に触れなければ?

 

 実に簡単な話。直接体内に攻撃できる手段があったとしたら、反射されようが操作されようが、何の問題もないではないか。学園都市最強と言っても―――所詮はその程度。だからこそ黒子は、この状況においても、さほど恐怖を感じてはいない。現に一方通行は手負いなのだ。頬に巨大な焦げ跡がある。最強ではあれ無敵ではない。どんな方法を使ったのか、百合妹達(9982号)は彼に傷をつけることが出来たのだ。一方通行を倒す手段は、確実に存在する。

 

「なーァにごちゃごちゃ言ってやがる……偽善者どもが」

「善も偽善もございません、法の執行ですの。もう一度だけ問いますわ、一方通行(アクセラレータ)。大人しく連行されるつもりはありませんの?」

「ねェよ……あるわけがねェよ。つかオマエ、こんな話聞いた事ねェか? 日本の法律じゃ、人を呪い殺しても罪には問えねえンだぜぇえ! そういう判例がちゃンとあンだよ。超能力(ちょうのうりょく)も呪いと同じようなもんだ。検察が因果関係を立証できないンじゃァ……罪に問える訳ねェよなァ? 俺を逮捕したところで不起訴処分が関の山だ。その前に……学園都市がこの俺を日本に引き渡すと本気で思ってンのか?」

「このわたくしが直接警視庁に引き渡せば済む話。日本人が逃げ腰ならば、国際刑事裁判所に突き出しますの」

「面白れぇよ、オマエ。やれるもンならやってみやがれ」

 

「はぁ……でしたら、これで終わりですの」

 

 グサリ――――鋭利な鉄の矢が肉を掻き分けて深々と突き刺さる感触。黒子が狙ったのは一方通行の肩。一発目は脅しとして、故に太い動脈の流れる致死的な部位は避けた。

 

「……っ?」

 

 痛み。肩の焼けつくような痛みは、黒子自身の肩が、自身に向かって訴えかけているではないか。黒子はその痛みが自分の能力によるものだと受け入れることができない。鉄芯は一方通行の皮膚を飛び越え――直接肉を貫いたはず。なぜ自分の肩から血が流れているのか。理屈が通っていない……!

 

「黒子……黒子っ!」

 

 跳ね起きた美琴が、とっさにダーツに手を触れて思いとどまる。黒子はダーツと携帯くらいしか持っていない。止血剤は初春の鞄の中に詰め込んだのだろう。

 

「ああン……?」

 

 一方通行は不思議そうに黒子を眺める。あれだけ威勢よく啖呵を切り、あまつさえ自分を見下すような態度をとっていた女が、いきなり苦痛に顔を歪ませて肩を押えているのだ。

 

「あァそっかァー。オマエ、空間移動(テレポーター)かァ? 悪ィ悪ィ、つい癖でに反射しちまった。まさかマサカまさか、11次元空間を通れば俺の反射膜を突破できるとか思っちゃったンだ。やっぱオマエお笑いのセンスあンじゃン。俺がその程度でやられンなら、テレポーターが学園都市最強じゃなきゃおかしイだろォ? 何で俺が最強の座に君臨してるのか、ちったァ、想像できンのかねェ」

 

 買い言葉はない。一撃で打ち砕かれた自信。心の支えのようなものまで撃ち抜かれた黒子は、その場に膝をつき上半身を傾け、美琴の腕に抱きかかえられた。

 

「だ……大丈夫ですわお姉様……足止め用に撃ったので、大したダメージはありませんの……この場はわたくしと一時撤退を……いぐっ……」

 

 消え入りそうな声で黒子は言う。思ったよりも深い傷なのだろう。テレポーターは能力行使に高度で複雑な計算を必要とする分、万全の体調でなければ力を発揮できない。疲労困憊の上に深く負傷してしまった黒子に、11次元の計算は酷だ。呼吸は浅く不規則、意識を保っているだけでも限界なのだろう。

 

 終わりだ、と美琴は思った。勝てるわけがない。初めから分っていたことだ。美琴は、一方通行には絶対に勝てない。だからこそ初春は、必死になって美琴の妨害をしていたのだ。美琴が一方通行に勝てるとしたら――もしそんなことが可能だとしたら――一方通行を越える絶対の力を獲得した場合のみなのだから。

 

「俺の前で舐めた態度とりやがって……覚悟できてンだろうなァ、岡っ引」

 

 空気が変わる。お道化ていた一方通行から発せられる、手に掴めそうな圧倒的殺意。2人の生殺与奪は、白い悪魔の手に委ねられた。

 エリ・エリ・レマ・サバクタニ。

 

 

「さて――次はこっちの番だ。クローンの肉じゃ食った気がしねェからよォ……常盤台のお嬢様のメス肉ってのォ……食わせて貰おうじゃねェか」

 

 一歩ずつ踏みしめながら襲い来る食人鬼(カニバリスト)。対するこちらは丸腰同然。まるでB級ホラーのワンシーン。

 

 パンパンと乾いた銃声が割って入る。狙いが外れたのか意図的なのか、一方通行の踏み締めようとした敷石を弾く。反射膜は弾丸ではなくこぶし大の石を見当違いの方向に弾き飛ばした。一方通行はつまらなそうに舌打ちして銃声の方角を向く。

 

「俺としたことが、忘れちまうところだった。もう一人……三下が隠れてやがったなァ?」

 

 殺風景な操車場をド派手な花束が横切る。初春は牽制射撃をしながら、コンテナからコンテナへとトタトタとおぼつかない足取りで走ってゆく。腰が抜かしているのに無理やり走っているような不安定さ。黒子が演算に使う時間を稼いだのだろうが――それが出来たらとっくに離脱している。

 

 初春は死角に飛び込むと、銃口だけ出して引き金を引く。一発撃った後は、カチカチと撃針が間抜けな音を立てた。弾切れだ。初春は替えのマガジンは持っていない。無用の長物をそのままリュックに放り込むと、黒子が詰め込んだローターやら鍼がガチャガチャとうるさく日常の音を立てた。初春には、ついさっきまでの出来事が夢のように思えた。どちらが正しい現実なのか区別がつかない。

(何が自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)ですか)、と初春は吐き捨てる。現実に間違いも正解もない。今ここで起きていることだけが現実なのだ。

 

「出てこいよォ三下ァ! 銃なンか捨ててかかって来い! 怖いのかァー?」

「誰があなたなんか……」

 

 初春は数十メートルの距離を挟み一方通行に相対する。歯はガチガチとぶつかり、膝も笑って力が入らない。情報分析専門の初春には実戦経験がない。あえて言うなら数時間前の一度きり。気心の知れた美琴と戦うのとは訳が違う。相手は人食い(カニバリスト)の大量殺人鬼(シリアルキラー)、超能力者(レベル5)でなくとも逃げ出したくなる。体内の全神経は、2人をおいて全速力で離脱せよと警告している。実際初春が残った所で何の役にも立たない。にもかかわらず、大きく深呼吸をして、胃液と共に逆流してきたフェネチルアミンを受け入れた。闘争か逃走か(Fight-or-flight)――体内をアドレナリンが煮えたぎり、初春に究極の2択を迫る。

 

「あなたなんか怖くありません!」

 

 闘争。初春は最も愚かで絶望的な選択肢を選んだ。

 敵の能力はベクトル変換――初春の花畑色の脳細胞は、定温保存(サーマル・ハンド)での戦い方を満開で模索する。温度を一定に保つ……その能力は厳密に言えば、内部エネルギーの総和を固定することに他ならない。奪われていくエネルギーを引き留め、介入するエネルギーを跳ね返す。だとすればあるいは……エネルギー移動の阻止――ベクトルの遮断が可能なのではないか?

 大気を定温保存することであらゆるエネルギー移動を遮断する防壁を展開する――いわば通行規制のバリエーション。一方通行に対しては天敵とも言える力。とっさに思い付いた仮説……いや妄想の域でしかない。低能力者(レベル1)の出力で可能なのかどうかも分からない。

 ただ――初春には確信があった。自分の頭脳が一方通行に劣っているとは思えないのだ。純粋に演算能力の勝負に持ち込むことが出来れば、反射膜ごと殴りつけられるかもしれない。初春とて運動能力に自信はなかったが、仮にもジャッジメントとして鍛錬は積んでいる。あの白い華奢な男は、中学生の拳でも骨まで粉砕できそうだ。

 低能力者(レベル1)が超能力者(レベル5)に打ち勝つ。学園都市を司るルールを根底から否定する誇大妄想により、初春は圧倒的な恐怖心をねじ伏せ闘志に変換する。自分には悟性を使う勇気と決意がある――そう覚悟を決めた初春は一方通行に向け――

 

 

 

「Fuck You M o t h e r f u c k e r !」

 

 ふざけた顔で盛大に中指を突き立てた。

 

 

 

「あの、ヤロウ……っ!」

 

 紅の瞳が瞬間的にテルミット反応を起こす。ありえない、頭がおかしい。最強の存在に向かって、あのガキはFワードを使用し……最大限の侮辱をかましたのだ。殺してくれと懇願しているに等しい狂態。

 望み通り最初に殺してやる、と一方通行はプライオリティを初春に変更する。

 

「あの馬鹿――」

 

 美琴が口の中だけで呟いた。とても正気とは思えない奇行。いくら罪の意識に苛まれていようが、あんなものは犬死にに過ぎない。弱者は弱者らしくビクビク脅えて逃げ隠れていればよいのだ。なのにどいつもこいつも――なぜここまで必死に戦おうとするのか。美琴はふと気が付いた、一方通行を前にしては、自分自身もその弱者であることに。弱者であるにも関わらず、強者に立ち向かおうとする心に。

 

「桜の肥料にしてあげますよぉ、一方通行(アクセラレータ)!」

 

 疾走する初春。一方通行は苛立ちを地面にぶつけるみたいに足元を踏みつけた。瞬間、初春の行く手に大量の砂利が噴火。反射的に腕で顔をカバーする初春。礫石のフレシェット砲弾が腕の皮膚を破る。定温保存の装甲などやはり机上の空論。空間ごと叩きつけられた初春は、そのままの姿勢で後方に吹っ飛ばされてで行く。

 

「は――――ッ――――!?」

 

 速度を保ったまま背中からコンテナの壁に激突、空気が肺から全部吐き出される。意識が飛びそうな激痛の中、初春は自らの両手に目を落とす。2つの敷石が握りこまれていた。手の平にだけは掠り傷一つ負っていない。

 

「ふっ……ふふふっ……」

 

 石を握りこんでほくそ笑む初春。単なる出力範囲の問題。十分通用する――初春ならばできる。いや……初春にしかできない。世界最強の超能力者(アクセラレータ)を素手で捻り殺すことなど――! 黒子に封印された人格の一部が、喜び勇んで躍り出る。今度は、美琴と黒子を助けるために。

 

 

「ふはひへほははひふへひひほははひふほほふへへへほひふはふへへほはふへひはほひひふふふひひはひふほふふへふはひふほへふへふひふひほひははは―――――ッ!!」

 

 

 発狂した初春は高笑いしながら立ち上がり、額から胸、両肩へと自分を殴りつけるようにでかでかと十字を切った。誰がどう見ても異様な雰囲気だったが、一方通行にとって恐怖に発狂した人間を見ることなどさほど珍しくはない。初春のような連中が何度も自分に挑んできては勝手に狂って逃げ惑うのだ。

 

「私を怒らせましたね一方通行(アクセラレータ)ァーッ!! あなたの罪を裁くのは神様かもしれませんが、御許へ送るのはこの私ですよぉぉぉ!!」

 

 それでも発狂した上で立ち向かってくる人間は珍しい。一方通行はニヤニヤ笑いながら地面を蹴り飛ばす。再び初春を襲う無慈悲な一撃。

 

 突破――初春にはあらゆる物体の動きがまるでスローモーションのように感じられた。死を受け入れた生物が敵を恐れないのは、食われることを受け入れたからだ。初春は違う、諦めるどころか狩る側にいるつもりなのだ。生死の狭間、極限状態で解放される真なる力、アドレナリンのオーバードーズ。初春は致命傷になりそうな大きさの石だけを定温保存(サーマル・ハンド)で薙ぎ払う。小石が体を貫こうが初春は止まらない。30メートル、20メートル、10メートル―――! 弾丸を両手で弾き飛ばしながら突進してくる花女。体全体が一本の手のひら(サーマル・ハンド)と化したような奇怪さ。

 

「もっともぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 聖霊を侮辱した罪はイエス様でもお許しくださいませんけどねぇぇぇぇぇ!」

 

 体はボロボロにもかかわらず、なおも真っ直ぐに突っ込んでくる狂人。一方通行は思い直し地面へのストンピングをやめる。殴りたいなら殴らせてやればいい。全てのベクトル攻撃を反射する男を、殴れるものならば。不敵に笑い、ハワイ女が辿り着くのを待つ――が、女は突如意識を失って砂利の上に頭から倒れ伏した。

 

「なンだ……あのキチガイ……」

 

 先ほど後頭部を打ち付けたのか、クモ膜下出血でも起こしたのか、疲労が限界に達したのか……何にせよ初春は気を失って動かなくなった。意志で意識をどうにかすることなど出来ないのだ。一方通行は勝手に死にかけている女に向け歩き出す。この程度で許すつもりなど毛頭ないのだ。

 

「……っ!」

 

 美琴は唇を噛む。気が付けばまともに動けるのは彼女だけ。2人は美琴を守ろうとして傷つき倒れたのだ。巻き込むべきではなかった――初春にさえ美琴はそう感じていた。学園都市に闇に立ち向かうのは本来自分だけのはずであった。黒子達がこの街の暗黒面と無縁と言う訳ではないにしろ、彼女たちにもそれなりの生活というものがあったのだ。それでも、後戻りはできない。不本意ながら、ここから先は一方通行だ。美琴が実験を認められない以上、研究者たちは佐天涙子の拉致を目論む。知ってしまった2人も無事ではいられまい。連中が一方通行を止めないのは、目撃者を抹殺する手間が省けるからだ。

 せめて――3人の後輩だけでも逃がさねばならない。美琴は腕の中でぐったりとする後輩の太ももから、鋼鉄の矢を持てるだけ引き抜いた。これを砲弾とすれば、扁平なコインに比べて空気抵抗の影響は劇的に下がる。融点もアルミニウムとは比べ物にならない。正真正銘、兵器としての超電磁砲(レールガン)。いかに強力な攻撃も通用しないとしても……徹甲弾頭の慣性力によって生まれる莫大な衝撃ならば、目くらまし位の役割は果たすだろう。この場さえ凌げば、目前の危機はとりあえず回避できるのだ。美琴は黒子の唇にそっと口づけして自分の足で立たせると、照準を一方通行の足元に合わせた。

 

「いきなさい、黒子。初春さんを連れて佐天さんの所へ」

「お姉様……何を仰っているんですの……!」

「アンタなら地球の裏側にだって跳べるわ。2人を連れてこの街を出なさい。アンタみたいに完璧すぎて馬鹿馬鹿しい後輩には……こんな狂った街の治安維持(ジャッジメント)じゃ役不足なのよ。いきなさい、アンタにふさわしい街がきっとあるはずよ……」

「嫌です、黒子はお姉様のお傍を離れませんの……そこが地獄の底であろうとも、黒子はかまいませんの!」

 

「何だ何だよ何ですかァそのザマは! 悲劇のヒロイン気取りかっつーの」

 

 耳聡く2人のやり取りを聞きつけた一方通行が振り返る。性懲りもなく3発目の超電磁砲を構える美琴。一方通行にはまるで理解できない。どうしてこいつらは、これほど頭が悪いのか。泣き喚いて思い上がった自分の罪を認めれば、せめて楽に殺してやるくらいの情けはかけてやるのに。

 

「だいたい何被害者面してやがンだオリジナル。オマエも加害者側だろォが。オマエがDNAマップを提供しさえしなけりゃ……人形共が生まれるこたァなかったンだからよォオ!」

 

「あ……私が、加害者……?」

 

 その男の暴言は、あるいは美琴自身の代弁であった。かつて――筋ジストロフィーの治療のために、彼女は自分のDNAマップを提供したことがある。当の山下大学付属病院は早々に閉鎖され、筋ジストロフィーは未だに不治の病。奴らは美琴から騙し取ったデータの基づいて量産型能力者(レディオ・ノイズ)計画は始動したのだ。

 だからこそ美琴はテロ攻撃を繰り返してきた。佐天を妹達から守るため、妹達に佐天を犯させないために――もちろん実際は、それどころの話ではなかった。9981人の妹達は目の前の男に殺害されていた。9982号は彼女のすぐ傍で惨たらしい屍体となり果てている。全ての切っ掛けは自分が幼少時に犯した過ち――

 

(お姉様が原因だったのですね。ミサカが作られたのも、ミサカが殺されるのも、全部……)

 

 一方通行の隣に、顔のない女が立っていた。両目のくぼみからは2対の目が零れ落ち、隙間からはやわらかそうな脳みそが覗いている。

 

「この男……気持ち悪いですわ……」

 

 黒子が喉をすり潰したような低い声で呟いた。

 

 そんなことを言っている場合ではない、と美琴は彼女の袖を引く。黒子には見えていないのだろうか。気が付けばそこら中に同じような女が取り囲んでいる。常盤台の制服を着用した……自分と同じ顔をしているはずの……顔のない女達。

 

「どうした、もう終わりかオリジナルゥ? まだ9982号(乱造品)の方が楽しませてくれたぜェ?」

 

 化物に囲まれて平然と笑う一方通行。女の一人がつかつかと歩み出て……目を不気味な緑色に光らせてながら口を開く……

 

 

「お待ちください、とミサカは双方に即時停戦を呼びかけます」

 

 

 




上条「御坂妹が死んだ――と思ったら次から次へと別の妹が現れた。あいつら一体何人姉妹? それはともかく、妹達(シスターズ)? 実験? この学園都市で、何かとんでもないことが起こってる。どういうことだ、土御門。お前は何か知ってるのか? 次回、幻想深化(イマジン・サポーター)II、科学と佐天が交差する時、物語は始まる――!」
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