※この作品はR-18です。

とある佐天の百合洗礼《レズテスマ》   作:エステル

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第13話 幻想深化《イマジン・サポーター》II

◆ 8月16日 午前1時30分 ◆

 

 翌日の丑三つ時、操車場に浮かぶ無数の薄緑色の人魂。熱帯夜に火事まで起きているのに、美琴は鳥肌まで立っている。反キリスト的怪奇現象に悩まされているからじゃない。彼女を取り囲んでいる光の正体が、御坂美琴と同じ遺伝子を持ったクローンであるからだ。

 

「計画外の戦闘は予測演算に誤差を生じる恐れがあります」

 

 目の位置で淡く発光していたのは、軍用の暗視ゴーグル。火災の光を照り返しているのだろう。ゴーグル以外は美琴と寸分違わぬ姿をしたクローンが敷地を埋め尽くしている。

 

「お姉様も超能力者(レベル5)ですが」

「第2計画は本来よりも大幅に短縮されたため」

「例外的戦闘によるシナリオとの誤差は非常に大きく」

「計画そのものが」

「破綻する恐れがあります

「またミサカには」

「今後予定されている実験に合わせた」

「チューニングが施されており」

「計画を変更することは極めて困難であると」

「ミサカは説得します」

 

 同じ声は複数の発生源から途切れることなく聞こえてきた。違う場所に置かれたスピーカーのスイッチを順番に切り替えている訳ではない。彼女達は全員御坂美琴と同じ声で同じ姿なのだ。研究室で短期間培養された分、14年間かけて成長と言う名の老化が経た美琴より多少若々しく聞こえたが、他人に比べると誤差の範疇でしかない。

 

「ちっ……分かった。分かりましたよ。リレーして喋んな気持ち悪ィ」

 

 一方通行はこの高橋邦子のゲームみたいな状況に順応しているのか、急に殺意を引っ込めて妹達を追い払うように左手を振る。

 

「けどよォ、目撃者はどォすんだ。こいつら風紀委員(ジャッジメント)らしィぞ。生かして帰したら上の連中がやべェンじゃねェのか?」

 

 それでも美琴からはまだ目を離さない。一方通行が美琴らを見逃したのは慈悲からでも善意からでも、ましてや妹達に命令されたからでもない。絶対能力(レベル6)を目指してこの日まで続けてきた努力が水泡に帰すのを恐れたからだ。どのような形であれ、彼は努力をしていた。面倒で気の遠くなるような果てしない量の努力を。一般的に見れば極悪非道な実験かもしれない。しかし美琴風に言えば、妹達の犠牲は"進化"の為に避けて通れないハードルなのだ。

 

"進化は常につらく、そしてさびしい。楽しい進化というものはありえんです "

 

「やっぱここは俺が……」

 

 復活する殺意。ミサカ00001号を殺害してから幾日が過ぎたか。その間一方通行は、妹達の命だけでなく自らの生活をも犠牲にして死に物狂いで実験に邁進してきたのだ。全ては絶対能力(レベル6)に至るため。それを昨日今日知ったばかりの三下が、つまらない感情論を振りかざして台無しにしようとするなど……決して許されるものではない。一方通行は誰にどれほど悪人と罵られようが、それだけは譲ることが出来なかった。ましてや『努力で超能力者(レベル5)になった』ことで有名な御坂美琴に、どうして自分の努力を否定されねばならないのか。口にこそ出さなかったものの、一方通行は本気で美琴に殺意を抱いているのだ。

 

「ご安心ください、お姉様(オリジナル)との交渉の権限はミサカにあります」

 

 ミサカの1体が、食い気味に一方通行を制止する。彼女達は経験上、一方通行の感情の機微は身を以て理解しているのだ。

 

「あなたには速やかに医師の治療を受けていただかねばなりません、とミサカは強い調子で要請します」

 

「…………ハッ。それもそうか」

 

 一方通行は、今度こそ殺意を胸の内に押し戻し帰路につく。自分のミスで実験が失敗したとなれば悔やんでも悔やみきれない。

 

「しっかし、この俺が負傷しちまうとはねェ。まァその分ダリィ作業が短縮できンだし……」

 

 バラストの凹凸を足裏に感じながら、一方通行は改めて自分が傷を負っていたことを思い出す。やはり痛みはないし、脳はむしろ普段より冴え渡っているくらいだが。

 

「そーいやァ、自己紹介の必要はねェようだが……オマエのクローンには世話になってンぜ。感謝しなきゃなァ……」

 

 痛みを通り越して感覚がマヒしたのかもしれないし、超能力者(レベル5)と交戦して成長したからからもしれない。あるいは――一方通行は美琴の耳元で囁く――

 

 

「ゴチソウサン」

 

 9982号と性交したからか。皮膚に貼り付いていた9982号の血と肉片が、ベクトル変換によって剥がれ落ちる。

 

 耳に精子をかけられるように、劣情を含んだ一方通行の声がトロリと美琴の体内に注がれた。美琴は父に犯される少女のように、ただ俯いて震えることしか出来ない。この男は9982号を殺しただけでなく、膣内を犯し、生きながら肉を食らったのだ。ある意味では美琴以上に美琴の体を知り尽くしている。ただそこに居るだけで、美琴は一方通行に犯されているような不安感に苛まれた。

 いや――実感として美琴は犯されていた。一方通行の白濁した熱い精子が自らの子宮に注がれるのを美琴は感じている。2万匹の精子が卵子の壁を突き破って一斉に受精し、2万個に分裂した受精卵が研究者達に奪われてしまったのだ。やがて思春期を迎えた2万体に妹達は、美琴(母)の目の前で一方通行(父)に激しく犯され、柔らかい少女の肉には血に染まった白い歯が突き立てられる。これらは実際に起こっていることなのだ。形を変えて、絶対能力進化(レベル6シフト)計画の名の下に。

 

 一方通行が操車場から去った後、美琴は力なく膝をついて、その場を一歩も動くことが出来なかった。隣に居る黒子も、気絶している初春も、今の彼女にとっては意識の外側に追いやられてしまっていた。犯され損なわれ続けているのは自らであり、妹達であり、娘達なのだ。その妹達の一人が、美琴の前に歩みでて、軍用ゴーグルを外した。どちらが本物なのか自分でも区別がつかない。あるいは自分が本物かどうかは、観念的な問題に過ぎないのかもしれなかった。

 

「お姉様。目下の問題が2つあります。第一に、無関係な一般人を実験に巻き込んでしまったこと。第二に、佐天涙子(イマジン・サポーター)の身柄を御隠しになったことです」

 

「…………」

 

 誰も何も答えない。黒子は美琴に伸ばそうとした手を、自分の胸の前で強く握りこむ。

 

「お姉様、どうか実験にご協力下さい。佐天涙子(イマジン・サポーター)も含め、普段通りの生活に戻って頂くだけで結構です。そうすれば、お姉様と風紀委員(ジャッジメント)のご両名、及び佐天涙子の安全は保証します。お姉様への手配も解除される手筈です」

 

「…………」

 

 ミサカは自分達が殺されることなど初めから眼中にないと言った風に、そんな言葉を口走ったのだ。美琴は彼女達を救うために一方通行に牙を向いたはず。なのに妹達は―――担架に乗せた初春を手錠で拘束し、数人の武装した個体が、黒子に向けてオモチャにしか見えないライフルを構えている。

 

 

「アンタ達……何なの?」

 

 

 美琴は妹達の言葉を無視して……あるいは初めから耳に入って居ないのだろう。震える声でそう呟いた。

 

「おかしいよ……何でこんな計画に付き合ってるの? 殺されちゃうのよ? こんなのワケ分んない……」

 

 もう一人のミサカがゴーグルを外し、美琴に話しかけていた個体と顔を見合わせ、首を傾げた。やはり交渉は失敗でしょうか、と言った具合で。

 

「何でよ!! 生きてるんでしょ!? 命があるんでしょ!? アンタ達にも、あの子にもッ!」

 

 その叫びは誰にも響かない。彼女達は誰一人として、自らの命に価値を認めていないのだから。妹達の心は澄んだバイカルの湖面にように沈黙を保ち続ける。

 

「こんなの……これじゃ一体何の為に……」

 

 故に美琴の感情は、無関心な湖に飲み込まれ、光の届かない水底まで沈められてしまう。

 

「ミサカは計画の為に造れた模造品です。作り物の体に借り物の心。単価にして18万円の、実験動物ですから」

 

 その言葉は受け取り方によってはある種の救いですらあった。クローンの命には何の価値もない。彼女達が何万人殺されたところで気に病む必要はない。人間が牛や豚を食うのと何が違うのだと。新薬を作るためにモルモット2万匹殺すのと同じではないか。生物学的規模のレイシズムが人間の尊厳を導き出したに過ぎないのだ。

 

 美琴は俯いて黙り込んでいた。泣きもしなかった。妹達は美琴の返答を待っている傍ら、粛々と事後処理を進めていた。ある個体は火災現場に消火器を吹き付け、また別の個体は剥がされたレールを撤去し……ある一体は、コンテナの中から9982号の遺体を無造作に引きずり出し、ゴミ袋にしか見えない死体袋に詰め込もうとしている。

 

「やだ……やめて……」

 

 凌辱され殺害された9982号が、死後まで、しかも彼女の妹達によって蔑ろにされている。これ以上黙って見てはいられなかった。美琴は2体の妹達に付き添われた――あるいは監視された――まま、砂利の上を這って9982号にすがり付く。

 

「その娘を放してよ……」 

 

 血で汚れたサマーセーターには、カエルの描かれたバッジ。美琴はその金属片を繊細な割れ物を扱うように撫でる。9982号の失われた顔を直視できないのが自分の弱さだと自覚しつつ。

 作業を妨害されたミサカは、ついて来た2人のミサカを見比べて無言で会議を開催する。彼女達は首を横に振り、美琴の好きにさせるようにと促した。

 

「ねぇ……この娘をどうするの」

「死体ですか? 回収後は焼却処分致しますが、とミサカは説明します」と処理係は言った。

「その後の話よ……」

 

 聞くだけ無意味だと美琴も分かっているのだ。科学者達はクローンを人間扱いしていない。人間として葬るはずがない。そんな配慮ができる人物が、2万体のクローンを虐殺する訳がないのだ。帰納法的推測。だから美琴の言葉は、処理係の個体に向けたごく個人的な質問であった。

 

「ミサカはゴミの処分までは関与致しませんので断言は控えますが、最終処分場に埋め立てられるのではないでしょうか」

 

 ゴミ――その言葉を訊いた瞬間、美琴はバッジを力ずくで千切りたくなる衝動に駆られた。その暴力的欲求を押さえつけ、出来る限り丁寧に安全ピンを外す。たった1日だけだったかもしれない。それでも美琴と9982号は、友人や姉妹と呼べる時間を過ごしたのだ。

 

「これは……私がこの娘にあげたものよ……」

「お姉様?」

「世界中の誰でもない、9982号(この娘)にあげたのよ……!」

 

 美琴は特定の宗教は信じていないし、肉体が死後どう扱われようが異論をはさむ根拠はない。ただ――9982号がバッジごと研究所の焼却炉に放り込まれ、彼女の生きた痕跡が、この世から綺麗さっぱり、初めから何もなかったかのように抹殺される――そんな光景が美琴の死にかけた心臓を握りしめているのだ。

 

「お願いだから……この子をモノみたいに扱わないで……少しは死者に敬意を払ってよ……」

「しかしお姉様、先ほども申しましたようにミカサは一体18万円でいくらでも――」

 

「――んなことは、どうでも良いつってんのよ――ッ!」

 

 美琴はバッジを握りしめて立ち上がり、3人のミサカに向かってあらん限りの声で怒鳴りつけた。彼女達の為ではない、9982号という友人のために。

 

「クローンを人間と見做すとか見做さないとか、科学とか宗教だとかか、そんなの全部どうだって良いのよッ! この子は生きていて、そして死んだの。教えられてないってんなら今学びなさい。死という個人的な偉業を成し遂げた相手に、敬意を払うのは当然のこと。それが生者の義務なの。この子の死を侮辱することは、いくらアンタ達でも許さない」

 

 3人の妹達は、やはり疑問符を浮かべて顔を見合わせあった。妹達は自分の命に何の価値も見出さない。だから姉(オリジナル)がなぜここまで9982号に執着しているのか理解することが出来ない。彼女の親友、白井黒子と初春飾利の問題を無視して、なぜ9982号(死んだ実験動物)について無駄な会話を続けなければならないのか。根本的にデータが不足しすぎている。

 

「…………では担架で運びましょう。 9983号、予備の担架を持って来てください」

 

 監視役のミサカは、姉の感情論に表面上だけでも同意することにした。処理係(9983号)が持ってきた担架に、3人が掛かりで遺体を乗せて運ばせる。

 

 9982号が運ばれてしまってから、美琴はまたバラストの上に座り込んでじっと黙り込んだ。いつの間にか黒子も担架の上に拘束されており、麻酔をかけられたのか静かに寝息をたてている。両名とも応急処置を受けていたが、その周りには、プラスチック製のアサルト・ライフルで武装した妹達が取り囲んでいた。

 美琴は2人を一瞥しただけで、その場を一歩も動こうとはしなかった。ここに居るのは妹達が殺されていると知ったからなのだ。その美琴がどういう理屈で妹達と戦えるだろう。自分の電撃で妹達を焼き殺すくらいなら、自殺した方がまだ救いがある。

 

「お姉様、先ほどの件へのご返答をお願いします。このままでは、ミサカは彼女達の安全を保障致しかねます」

 

 だから美琴はただ何も言わずに、監視役の自分と同じ目をぼんやりと眺め続けた。魂の抜け殻のような今の美琴は、クローンよりもよほどクローンらしく見えた。

 

「……仕方ありません。お姉様の精神状態を考慮し、本日1日を猶予期間として与えましょう。その間、彼女達の身柄はミサカ達が責任を持って預かります。佐天涙子(イマジン・サポーター)の姿を確認でき次第、彼女達は解放致しますので、とミサカはお姉様に最終決定を伝えます」

 

 監視役のミサカは会話を諦めて一方的に宣言する。

 

「ご存知かと思いますが、こちらにはお姉様と同じ超電磁砲(レベル5)が2体存在します。お姉様が交渉に応じて頂けない場合、ミサカは不本意ながらお姉様とご両名を処分しなければなりません。どうか賢明なご判断を、とミサカ10031号はお姉様にお願いします」

 

◆

 

 2人が連れ去られ、妹達が美琴を無視して作業している中、美琴は闇の中で高揚感が湧き上がってくるのを感じていた。思い出したように立ち上がると、彼女達に目もくれず、一心不乱に歩いて操車場を出て行った。妹達が言った一言が、美琴を突き動かしているのだ。

 

 

「佐天涙子(イマジン・サポーター)……」

 

 

 美琴はクスリと笑いながら呟いた。唯一にして絶対的な解答は――初めから美琴の前に提示されていたではないか。初春が発狂し虐殺に加担した元凶、問答無用で馬鹿げた能力を発揮する規格外の奇跡。

 黒子は地球の裏まで飛んだ、初春は超電磁砲(レールガン)を受け止めた。美琴の1%の力もない欠陥電気(レディオ・ノイズ)は、超電磁砲(レールガン)へと成長した。ならば美琴が使えば―――――。

 美琴はほくそ笑みつつ涙が止められなかった。あの時、執拗に迫って来た佐天に一度でも口づけを許していれば、こんな惨めな結末にはならなかったかもしれない。それでも、たとえ9982号が救えなかったとしても、一方通行を家畜のように屠り、関わった研究者を皆殺しにする力は、目の前にぶら下がっている。核爆弾の原料たるウラン鉱石が、人類の生まれる遥か以前から存在してきたのと同じだ。価値とは物自体ではなく、それを見出すシステムの内部にある。

 

 佐天涙子(イマジン・サポーター)という無敵の切り札は、御坂美琴の手の中にある。

 

 その事実は、絶望による無力感を実行的な憎悪に飛躍させるに十二分な起爆剤となった。妹達の姿が見えないところまで歩くと、美琴は大声で腹の底から笑い始める。佐天を隔離させた咄嗟の判断を大声をあげて賛美する。

 

「あはは……初春さん、あなたの言った通りよ。私にはあんな奴とは比べ物にならない無敵の力があるじゃない……」

 

 本末転倒とはこのことだろう。初春は美琴にヒントを与え続けていたのだ。どうすれば一方通行をなぶり殺しにできるか……その具体的な方法について。

 

「あの娘の仇は必ず討つわぁあ! あの男も、研究者も! 全員生きたまま豚の餌にしてやる……ッ! それとも毛虫の詰まった壺に放り込んであげましょうかぁあ!? はは……どっちにしろ残り数時間の命……精々楽しみなさい、一方通行(アクセラレータ)。ふふふ……くははははっ……! あっはっはっはっはっは……!」

 

 復讐。

 それが高揚感の正体だった。怒りはある種の快感となって美琴の中に渦巻いていた。愛でも正義でも欲望でもない。復讐こそが、人の心を最も効率的に奮い立たせる洗練された動機なのだ。黒子と初春が人質になっていることを、忘れてしまうくらいに。

 

 

◆ 8月16日 午前2時57分 ◆

 

 

 佐天涙子。仲良し4人組の中で、彼女だけが蚊帳の外に置かれていた。あるいは台風の目と言うべきかもしれない、ある面では彼女を中心として起きた出来事なのだから。いずれにせよ、佐天は美琴ら3人が直面している危機を知る由もなく、ワンルームほどの広さを持つダブルベッドで、割れた窓からの夜風を感じながら、バスローブ姿でぐっすりと眠りこんでいた。

 

 誤解なきように書いておくが、佐天もすぐに眠り込んだ訳ではない。美琴に置き去りにされた当初、彼女はどうしたものかと途方に暮れていた。21時を過ぎてしばらくした頃に超電磁砲らしき閃光と地震のようなものがあった。美琴に連絡を取ろうと試みたが、電波妨害されているのか電話は通じなかったのだ。テレビは報道管制が敷かれていたし、ネットにも無責任なデマが飛び交っていた。乱雑開放(ポルターガイスト)、ガスパイプ網の大爆発、断層の局地的陥没etcetc。日付が変わってもしばらく待っていた。一度美琴の方から連絡があったものの、すぐ電源が切られてしまって連絡手段が失われたのだ。

 初春が美琴にどんなお仕置きをされたか、美琴はクローン達が企む世界征服計画を止められたのか、自分にいたずらをしてきた9982号が美琴に悪さをしないだろうか。いろいろと懸案事項はあったのだが、昨日未明に初春に起された上2度も性行為を行ったので、体力が底を尽いて眠気も限界だった。そんな訳で、(御坂さんなら上手くやってくれるはず)、と信じて寝床に就くことにした。そもそも美琴が自分の協力を拒んだのだ。ここで心配していても仕方がない……と。

 

◆

 

 だから佐天は今、自分が金縛りに遭っているのだと思い込み、ただひたすら混乱の中でもがいている。深夜に目が覚めたと思ったら、何者が自分の上に圧し掛かり、両手両足を押さえつけられ唇を奪われていたのだ。ここは世界中から学園都市にやってくるVIPを迎えるための最高級ホテル、しかもクラブフロアの一室である。そんなところに、どうやって強姦犯が入りこめると言うのだろう。

 割れた窓から何者かが入って来て犯そうとしているのだろうかとも思った。ここは学園都市、高位能力者であれば、セキュリティを掻い潜って侵入することはありえなくはない。

 ただ―――その人物の行為には、性的な欲望が含まれてないのだ。ただ純粋に口と口を合わせているだけ。息継ぎする度に前歯がこつんと当たって痛い。相手は自分の唇を固く閉ざし、自分を拒絶している。混じり合っているのは唯一鼻息だけ。当の本人が拒絶しながらする強姦なんてない。したがって佐天は混乱し、金縛りであろうと結論づけイヤイヤと暴れているのだ。体が動く時点で、金縛りではないのだが。

 

 佐天は手探りで枕元にあった聖書に触れる。ホテルには必ず置いてあるあれだ。時間つぶしに読んでいたのを片付け忘れ眠ってしまったのだ。

 

「マ、マルコ11章23節、『心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう』……悪霊退散ぁーん……」

 

 佐天は小声で適当な引用をもごもごと呟く。何も起こらない。佐天が神を信じていないのか、そうでなければ悪霊など存在しないのか。

 

「ちっ……起きちゃったか」と上の人が言った。

 

 後者だ。しかもよく知る声。真っ当な手段でここに入ることのできる唯一の人物。

 

「佐天さん、じっとしてなさい。シャンデリアのクリスタルを数えている間に終わるから」

 

「えっ……あなた御坂さん!? 御坂さんなんですか?」

 

 暗くてよく見えない。佐天は聖書に置いていた右手でベッド・サイド・ランプを探るも、手首を掴まれて頭の横に押さえつけられた。美琴らしき少女の胸元が鼻に触れる。この清潔で爽やかな汗の匂い……紛うことなき美琴のもの。一瞬クローンではないかと疑う佐天だが、特有の奇妙な口調ではないし、彼女達だとしたらもっと上手くキスをするはずだ。こんな、子供よりも未熟な青いキスをしたりしない。

 なぜ、と当然の疑問が佐天に浮かぶ。なぜ美琴が自分に馬乗りになってキスしているのか。初春はどうなったのか、百合幻想計画は? 何らかの事情で自分の能力が必要になったのなら、佐天は喜んで協力するつもりでいる。昨日だってそのつもりでいたのだ。事前に一言言ってくれれば、佐天は躊躇なく唇を差し出す。こんな強姦まがいのやり方をする意味がない。

 

「何のつもりですか御坂さん! ちょっと、やめてくださいって!」

 

 それに寝起きだったから、佐天は自分の口臭が気になっていた。寝る前にきちんと歯磨きはしたし、キシリトールガムも噛んだ。それでも就寝中は24時間で最も口内に雑菌が繁殖する時間帯。そんなときに憧れの美琴とキスをするだなんて、佐天の乙女心と性哲学からしてとても耐えられない。

 

「悪いけどやめる訳にはいかないの。どうしてもあなたの能力、幻想深化(イマジン・サポーター)が必要なのよ」

 

「分かりましたから、とりあえず一旦落ち着いてくださいって! 心配したんですよ。第7学区で局地的な大地震があったって言うし! 初春と御坂さんが大喧嘩してるんじゃないかとそりゃも……ンんーーッ!?」

 

 美琴は佐天の話を聞かずに、またしても前歯をぶつけて来た。唇を真一文字に結んで。キスと言うより、顔を擦り合わせていると表現した方が的確だ。

 

「ですから、やめてくださいって! 御坂さん、電話してくれたと思ったらすぐ切っちゃうし、今度は繋がらなくなるし! 一体何があったんですか? お話を聞かせてくださいよ!」

 

「佐天さん、もう黙って。あなたの能力がどうしても必要なの。お願いだから、じっとしてて」

 

 そうして美琴は同じ事を繰り返す。口を堅く閉じ、心まで閉ざして、佐天の唇に自分の皮膚を擦りつける。

 能力が必要……それは佐天を説得するようでいて、自分に言い聞かせているのではないか。佐天はそんな風に感じていた。

 

「私の……能力ですか。御坂さんは、私の能力目当てで、こんなことするんですか?」

 

「…………ごめん。でもやらなきゃいけないの」

 

 美琴は目を逸らして返事をする。夜景の薄い光でも分かるほどに痛々しい表情。美琴はレイプしようとしている側なのだ。

 

「別にそれはいいんです……私の能力が欲しいならあげます……」

「だったら何も言わないで」

「ですけど……!」

 

 ふかふかのベッドに横たわり優雅にバスローブに包まっている佐天に対し、跨っている美琴の制服はぼろ切れ寸前で、体のあちこちには擦り傷を負っており、今にも壊れてしまいそうな儚げな雰囲気を纏わせている。これではどちらが被害者か分からない。

 

「私、御坂さんのことが好きなんですよ! 人としても、同性としても! でもこんなの間違ってる……絶対に間違ってますよ!!」

 

「うるさい……黙れって言ってるでしょ! 私は――――クローンを人間だなんて見れないし、殺されることを受け入れている連中を助けようなんて思えない」

 

「クローン……殺される? 何言ってるんですか御坂さん、何の話してるんです!? あの娘の身になにかあったんですか!?」

 

 美琴は答えず、体全体を押し付けるように体重をかける。唇もそれ以外の部分も、粘膜という粘膜は固く閉ざしたまま。下腹部に金属の冷たい感触が当たるのを、佐天はタオル地ごしに感じる。

 

「んッ!? ……やめて……やめてくださいって! こんなことしても後悔するだけですよ!?」

 

「でも、ひとのDNAマップをくだらない実験に使うヤツらを見過ごす気もないわ」

 

「だから何の話ですか! 言ってくれたら私だって協力しますのに! こんなことする必要ないじゃないですか!」

 

 ジタバタと暴れる佐天。美琴は顔を離すと両手首をがっちりと握り、太ももを脛で押さえつけ、佐天の抵抗を鎮圧する。2人には体格も力もそれほど差がない。疲労困憊の美琴に対し佐天は寝起き。戦力的には五分五分と言えるかもしれないが、対応を決めかねている分佐天が不利だった。

 

「あの計画を潰すためなら、私はどんな汚い手段だって使う。あなたが知るべきは部分はここまでよ。佐天さん、これ以上何も聞かないで」

 

「そんなぁ……! 御坂さんはそんな風に思って……こんなの絶対にダメです」

 

 あまりにも酷い、と佐天は失望する。自分から襲っておいてそれを汚いだなんて、泣きっ面にオオスズメバチだ。ここまで言われて引き下がるほど佐天は都合の良い女ではない。

 佐天は抵抗を決断する。まずは手を払いのけようと肘を支点にして体重をかける。けれども、最先端科学技術を用いた超高級ダブル・ベッドは、どんなに不自然な体勢だろうがあらゆる体重を吸収し最適な寝心地を提供してしまう。てこの原理は使えないのだ。

 

 それでも抵抗の意図は十分に伝わったのか、美琴は手首への圧迫を強めて再び顔を接近させる。唇の触れそうな距離だが、今回はキスが目的ではないようで、ヤンキーが如くガンをつけてくる。

 

「佐天さん、私に立ち塞がるなら容赦しないわよ」

 

「イヤです……こんな御坂さん、私嫌いですよっ! 触らないでください!」

 

 それでも佐天は首を限界まで伸ばし、顔を背け、体全体で跳ね回って美琴から逃れようともがき出す。

 

「放してください……放してってばっ!」

 

 美琴も美琴で、いくら強い力で押さえつけても、反作用が働かずに沈み込んでしまう。本気で暴れ始めた佐天を拘束するのが精一杯で、とても犯せるような余裕はない。

 

「ちっ……こうなったらまた電撃で眠らせて……!」

 

 苛立つ美琴は、掴んでいる佐天の両手に電流を流そうとして……

 

「……はっ?」

 

 ありえない感覚に襲われた。正確には、佐天に対しては絶対にありえない感覚。これと同じ現象を美琴は体験している。

 

「あれっ……なんで……」

 

 美琴は思わず手を放し、不思議そうに自分の右手を見つめる。思い直して左手に意識を入れたが、結果は同じ。佐天に電流が流れない(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)。最後の手段と、美琴は指先を佐天の額に向け電撃の槍を―――放てないではないか。

 

『起こってはならないことが起こってしまった』

 

 上条当麻の右手は、美琴の電撃を打ち消した。しかし……今回は違う。佐天は別に打ち消してない。御坂美琴が電撃を放てないのだ。

 

「なにこれ……あはは……使えないや……」

 

 突然自分を解放した美琴。佐天は素早く足を引き抜いて、ベッドから転がり降りてファイティングポーズを取る。ついでにテーブル・ランプも付けておいた。百合の優しい光がベッド上の美琴を鮮やかに照らす。FXで全財産をロスカットされたみたいな絶望的な顔で、自分の両手を見つめている。

 

「み、御坂さん?」

 

 佐天は警戒しつつも心配そうに声をかけた。改めて見る美琴は思った以上にボロボロで、今にも死にそうなほど疲れた顔をしていた。一体初春やクローン達と何をしてきたのかと疑わざるを得ない。まさか初春を殺してきた……なんてことだったら佐天だって正気ではいられない。事情を話さず強姦に及ぶには一番あり得そうな理由なのが恐ろしかった。初春がやっていたことだって洒落にならない訳だが、だからと言って殺したとなれば話は別。おそらく友情が戻ることはないだろう。佐天はそんな最悪の想像に身震いする。

 

「能力が……なくなってる……意味分んない……私……無能力者(レベル0)に……ああ、まさか……そんなのって……」

 

 想定すべきだったのだ、と美琴は自嘲する。佐天にレベルを上げる力があるとすれば――反対もあり得るかもしれないと。奴らはこれを知っていたのだ、と美琴は考える。一時的にでも、佐天の能力で絶対能力(レベル6)を作ることができるのなら、奴らは真っ先に一方通行(アクセラレータ)に使用したはず。つまり幻想深化(イマジン・サポーター)は、超能力者(レベル5)に対しては、何の意味もない能力ではないのか? 神様の奇跡などではなく――佐天(レベル0)の能力者への嫉妬が生み出した幻想(怨念)……だとすれば――

 絶対的とまで信じた希望はあっさりと崩れ去り、失意の美琴を辛うじて支えてきた意志が根元から折れてしまった。こんな都合の良い話、あるはずがなかったのだ。

 

「ざまぁないわ……これが報いなのね……終わりよ、何もかも……」

 

 美琴は尋常じゃない目つきで、うわ言を呟きながらベッドから降りる。そのまま窓に向かって歩き出す。遥か眼下に望む学園都市の夜景は、8月15日が消し忘れた残り火のようにぼんやりと燻っていた。美琴は自分がぶち破った窓に向かって、よろめきながら近づいて行く。

 

「ちょっ……御坂さん、そっちは危ないですよぉ」

 

 佐天は恐る恐る声をかける。美琴はここから飛んで行ったし、多分外壁を伝って戻って来たのだろうが……今の彼女は自殺志願者以外には見えない。美琴は窓際に立って、足を震わせながら箱庭を見下ろしているのだ。

 

「イカレてる……どいつもこいつも何もかもがイカレてるわ……私も……あの男も……あの子達も……この街の奴らは全員……それとも世界かしら。この世界は狂ってるのよ……」

 

「今さら気付いたんですか御坂さん、そりゃ世界は最初から狂ってますよ! そんなことより、とりあえず窓から離れてくださいって……!」

 

 佐天は足音を殺しながら美琴の背後ににじり寄る。死にたい人には死なせてやればいいとしても、美琴はただ気が動転しているだけなのだ。仮に美琴が初春を殺していた……なんてことがあったとして、美琴にまで自殺されたら寝覚めが悪いどころの話ではない。白井黒子にどんな顔をして会えばいいのか、と佐天は逆流した胃液を飲み込む。

 

 そして美琴は窓から足を一歩踏み出して……

 

 

「うああああああああああああああ!!」

 

 

◆ 8月16日 午前5時59分 Sプロセッサ社脳神経応用分析所 ◆

 

 

「――昨夜の報告は以上です」

 

「ふム……」

 

 白衣を着た中年の白人男、カイツ・ノックレーベンは、アームチェアに浅く腰掛け、シェービングブラシを陶器のボウルの中で掻きまわしながら返事をした。朝の報告にやって来た白髪交じりの研究員と目を合わせることもなく、そのまま頬の上で円を描きながら美味そうな泡を引き延ばしてゆく。

 

「こちらには人質が2人、対するあちらには佐天涙子(イマジン・サポーター)。人質のある限り破壊工作は止まるでしょうが……実験継続も不可能です。樹形図の設計者(ツリー・ダイアグラム)なき今、元の計画に戻すことも……」

 

 無言で朝の髭剃りを始めたカイツに、白髪交じりの研究員は不安気に続ける。テロ攻撃が始まってから一週間弱。勝手に協力してきた初春飾利の妨害を突破し、美琴は昨晩の時点で事件の核心へと辿り着いてしまった。

 御坂美琴の介入は遅かれ早かれ予測されていたことだが、第2計画が始動してからはその可能性が飛躍的に高まっていた。そもそも第2計画は、上層部が現場の進捗状況を一切無視して押し付けてきた無謀な計画なのだ。案内人(結標淡希)の協力があったとしても、65人もの人間を、街中や第3者が居る状況で密かに性交させようなど、無理があるとは思わなかったのだろうか。尤も、第1計画に比べれば時間的に10分の1未満に短縮できた分、全体的なセキュリティ・リスクは下がってはいたのだが……布束砥信が引き起こしたマネーカード事件を切っ掛けに、立て続けに発生した一連の騒動で台無しになってしまった。

 

「それと、第7学区の事後処理はいかがいたしましょう?」

 

 カイツは髭を剃り終えると湯で湿らせたタオルで丁寧に泡をふき取り、鏡を睨みながら剃り残しの有無を確かめる。今日も完璧な仕上がりだ。髭を剃り終えるとデスク上のコーヒーサーバーから直接一口飲む。実にまずいコーヒーだ、とカイツは眉を寄せる。

 

「予定通り証拠を捏造し、警備員(アンチスキル)に引き渡してくださイ。どちらにせよ彼女は用済みですかラ」

「了解です。それにしても初春飾利を確保できたのは不幸中の幸いでした。あの守護神(ハッカー)を野放しにすればどうなったことか。あまりにも多くを知りすぎてますし、可能なら始末したい所ですが……」

 

 カイツは椅子を立って窓のブラインドを引っ張り上げ、研究員に背を向けて朝日を浴びる。生命の躍動に溢れる夏の朝に、陰気な殺人の話などされては台無しだ。

 

「殺せば彼女がどう出るカ。非常に危険でス。手を出しませんヨ、我々ハ」

 

 雲一つない青空。遮るもののない地平を、8月16日の朝日が順番に祝福している。このまま切り取って永久に保存したいくらいに完璧な夏の朝6時。あえて不満を述べるとすれば、この部屋が黒焦げであることと、コーヒーカップの一つもないことと、眼下の第7学区が絨毯爆撃を受けたみたいに瓦礫の山と化していることくらいだろう。

 

「……彼女は交渉に応じるでしょうか」

「これまでの行動パターンから、友人を見捨てられるタイプだとは思えませン。友人かクローンか、選択の余地はないと思いますガ?」

「も、もし彼女が佐天涙子(イマジン・サポーター)と事に及べば……」

 

「彼女の絶対能力(レベル6)到達は樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)の予測演算により否定されています……ガ。佐天涙子(イマジン・サポーター)の超能力者(レベル5)への使用は想定外でス。上層部が佐天涙子(イマジン・サポーター)を手にしながラ、あえて本(レベル6シフト)計画に固執するからには、それなりの根拠があるのでしょウ。元より原理不明の能力、最悪の事態に備える必要がありますネ。本実験自体が意義を失ってしまいますのデ」

 

 今日は長い一日になるだろう。カイツは無関心に瓦礫を眺めながら、焙煎しすぎたブラック・コーヒーを飲み干した。

 




佐天「世界でたった一人のあなたの為に、一体何が出来ますか? あなたに求められもしない、無能力者(レベル0)の私に。次回、最愛(みさかみこと)。科学と奇跡(まじゅつ)が交差する時、物語は始まります――!」
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