※この作品はR-18です。

とある佐天の百合洗礼《レズテスマ》   作:エステル

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第16話 百合証し《カムアウト》

◆ 8月16日 午前7時13分 ◆

 

 上条当麻は不幸だった。何が不幸かと言えば、目覚めたら自分の住んでいた寮の周りが、全部廃墟になっていたことだ。悪夢かと思って二度寝を試みるも、同居するシスターさんの寝起きの甘噛みを頭に受け、現実であると受け入れざるを得なかった。

 ――昨夜、第7学区で局地的な大地震が発生――学園都市の空を漂う飛行船はそう告げている。あらゆる異能を打ち消す右手、幻想殺し(イマジン・ブレイカー)も、自然災害には無力なのだ。

 上条は生存者の救出に加わろうとしたものの、一緒に瓦礫を運んでいた風紀委員(ジャッジメント)連中が能力が使えなくなったと騒ぎ出し、眼鏡をかけた巨乳の風紀委員(ジャッジメント)に事情を話すと、「あなたの能力はレスキュー活動の邪魔よ」と追い出されてしまった。今度は別の所を手伝おうかと思えば、警備員《アンチスキル》のリーダーをやっていたポニーテールの巨乳から「心意気は認めるけど、素人が下手に手出して二次遭難されたらこっちも困るじゃん」とぐうの音も出ない大人の理屈を振りかざされ、すごすごと引き下がって来たのだ。

 そんなこんなで上条当麻は今、インデックスと共に、避難所となった公園にある例の自動販売機の前で、究極の選択を迫られていた。自動販売機に残っているのは3つ、『ガラナ青汁』、『いちごおでん』、そして『カツサンド・ドリンク』。いつもの公園を舞浜の公園ばりに埋め尽くす避難民をもってしても選ばれなかった3つの売れ残り(ジュース)。しかも昨日は酷い熱帯夜。

 カツサンド・ドリンクには『決闘牧場倒産のため次回入荷未定』の煽り文句が踊っていた。にもかかわらず売れ残っているのだ。そりゃこんなもん作ってる牧場は倒産しても仕方ないな、と上条は苦笑する。しかし上条とて日本人。期間限定とか入荷未定と言った言葉にはどこまでも弱いのだ。それに朝から何も食っていない。朝飯代わりにカツサンドを飲むと言うのは、考えようによってはソフィスティケートされたアーバン・スタイルのブレックファストかもしれない。

 

「インデックス、俺はカツサンド・ドリンクに決めたぞ。お前は何にする?」

 

 上条は隣で干乾びていたインデックスの様子を伺う。その時、遠雷が轟いた。口の中に入れるモノとあればいつ何時でも騒ぎ立てるインデックスは、空間の一点を見つめて、放心したように手をだらりと下げている。

 

「『事はすでに成った。私は、アルファでありオメガである。初めであり終りである。乾いている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう』」

 

 自動販売機に向けて言っている訳ではない。インデックスが見ているのは北、さっき雷が落ちた方角だ。雨が降るとでも言いたいのだろうか、と上条は訝しむ。

 

「お前何言ってんだ? 金払わなきゃジュースは出てこねえぞ」

 

 そう言いながら財布に1枚だけ残された2000円札を戸惑いがちに投入する上条。しかしボタンはいくら待っても点灯しない。上条は先ほどの発言を訂正しなければならない。金を払ってもジュースは出てこないこともある、と。

 

「不幸だ……」

 

 いつものように神の聖定(さだ)めを呪う上条。インデックスは虚空に向けていた無色透明な瞳を異教徒の目に戻す。やがて色が戻り、力が戻り、霊のようなものがインデックスに燃え上がった。

 

「主の御使い(ケルビム)が再臨を告げたんだよ、とうま!」と、突如嬉しそうに笑うインデックス。

「ケル……ビム……? はぁ……?」

 

 上条はその単語に聞き覚えがあった。インデックスはここ数日、上条にモーセの律法から黙示録まで全て教え込もうと躍起になっていたからだ。確か3大預言書の一つ、エゼキエル書。どう考えてもUFOとしか思えない連中が中東の砂漠に降臨してくる場面に、そんな言葉が出てきたはずだ。上条としては自分と同じく不幸に嘆きまくっていたエレミヤに親近感が湧いているのだが、ともあれインデックスが持ち出したのは訳の分からない電波全開なエゼキエルの方だ。

 

「私は今日ほど生きててよかったと思った日はないよ。だって私達は、こーえーにも再臨(パルシア)の証人として選ばれたんだから! ああ、主はこの日をあなたの日として選ばれたんですね! アーメン、アーメン!」

 

 意味不明なテンションで天を仰ぐインデックス。熱さと空腹で脳をやられてしまったに違いない。元気だけが取り柄な白いシスターさんが狂ってしまったことに、上条は底なしの不幸を嘆かずにはいられなかった。

 

「その口癖はやめた方が良いんだよ。というより……とうまは今すぐに悔い改めた方が良いかも。その右手を切り落としてでもね。もう遅いかもしれないけど」

 

 インデックスは珍しく深刻な顔で上条を睨みつける。カルト宗教に嵌っている人間特有の迷いない真っ直ぐな眼差しだ。上条はそんな困ったちゃんを無視して無言で返金レバーを下げた。出てこない。

 

「なんつー不幸でせうですか! 神は、」

 

 本当にいるのか? いるとしたらなぜこんな不幸な男から2000円もの大金を奪うと言うのだ、と上条は言いかけて思いとどまった。インデックスのカルティックな瞳を見れば、面倒なことになるのは火を見るよりも明らかなのだ。だが不幸にもインデックスは、上条の呆然とした顔から内心を察してしまう。

 

「とうま! また神様を呪ったね。『主は約束の実行を遅くしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、全ての者が悔い改めに至ることを望み、あなた方に対してながく忍耐しておられるのである。しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響を立てて消え去り、天体は焼けて崩れ、地とその上に造り出されたものも、皆焼き尽くされるであろう』って、ここに書いてあるでしょ? ほら見て、見てってば!」

 

 歩く教会の中から、電話帳くらい分厚い人類史上最高のベストセラー本を出して、表を上条を向けたまま寸分の狂いもなくペトロの手紙二第3章を指さす。彼女は全て記憶しているのだ。

 

「こちとら神道信者だっつーの。テメェらお得意の聖書なんか知ったこっちゃねえよ!」

「ふぅん、あっそ! せーぜーヤオヨロズノカミとかテンノーヘーカって虚しい偶像にすがることだね。だってこれから……」

 

 そして――インデックスはトーンを落とし、ほとんど聞こえないような小声で――

 

「主の審判(ジャッジメント)が始まるんだもん」

 

 そんな、不穏な言葉を呟いた。

 

◆

 

◆ 8月16日 午前7時15分 Sプロセッサ社脳神経応用分析所 ◆

 人員移送が進む中、カイツはまだ黒焦げの研究室に残って爪を切っている。パリパリと、焦げた地面を踏みしめる音がして、1人の女が彼のもとを訪れた。いつもの研究員ではなく、まだ幼さの残る中学生くらいの女の子。額には軍用ゴーグル、常盤台の制服、妹達(シスターズ)の一人だ。

 

「お姉様(オリジナル)が絶対能力(レベル6)に到達しました」

 

 カイツが周囲一メートルに張り巡らせていた極薄の氷が砕ける。研究者とすら目を合わせない彼の緑の瞳が、ミサカの焦点が曖昧な目と視線を交差した。

 

「また、三角法によりおおまかな位置情報の特定に成功しました。第3学区のシティ・ホテルです、とミサカは報告します」

 

 カイツはしばらく口を開けなかった。コーヒーの飲み過ぎで精神錯乱を起しているのはないかと疑った。でなければ、妹達(シスターズ)がおかしくなったのだ。しかしカイツの精神活動は正常だったし、もちろん妹達(シスターズ)が嘘をつくはずもない。カイツには事実をありのまま受け止めることしか許されていないのだ。

 

「ふム……」

 

 電撃使い(エレクトロマスター)はAIM拡散力場を微弱な磁場として周囲に放っており、それを感知する能力もある。ミサカ・ネットワークもこのAIM拡散力場を同調させることによって神経信号を共有するシステムだ。とは言え、美琴(オリジナル)と妹達(シスターズ)は遺伝子は同じでも脳や肉体の発達過程がまるで異なり、放出するAIM拡散力場には少なくない誤差がある。携帯電話から衛星通信、他の能力者まで様々な電磁波が入り乱れる学園都市で、彼女達が美琴(オリジナル)を検知するのは容易なことではない。

 識別が可能となるのは至近距離まで接近するか、そうでなければ強力な電磁波として力が放出された時。美琴は妹達はもちろん、黒子にも初春にも連絡を入れていない。おそらくは佐天を匿い、反政府テロリストとして逃亡中の身だ。ならば自分から位置を暴露するのは筋が通らない。超能力者(レベル5)では検知できなかった無意識下の放射を検知したことを意味する。絶対能力(レベル6)に到達したかどうかはさて置き、美琴の力が爆発的に増大した可能性は高い。つまり美琴は、禁断の果実(レベル・アッパー)に手を出してしまったのだ。

 

「ご報告ありがとうございましタ。事後の対応は、後ほど私から通達しまス」

 

 部屋の焦げ臭さにようやく気が付いたのか、カイツは顔をしかめて椅子から立ち上がる。これ以上廃墟でくつろいでいる暇はない。

 

 

◆ 8月16日 午前7時21分 とある病院 ◆

 

 初春飾利はとある病院の個室に寝かせられていた。薄い掛布団の下は、精神病患者にするようにガチガチにベルトで縛り付けられている。初春は試しに腕を持ち上げようとしてみたが、どれだけ力を入れてもあざが増えるだけで、白い革ベルトはびくともしなかった。定温保存(サーマルハンド)の応用で断ち切れないかとも思ったが、手首を拘束されているために身動きが取れない。監視を命じられたらしい妹達の一人は、退屈そうにライフル(トイソルジャー )の安全装置をカチャカチャと弄って遊んでいる。目覚めてから約1時間、初春は途方に暮れていた。

 奴らは真相を知った美琴から絶対能力進化(レベル6シフト)計画を防衛するために、自分達を人質に取ったのだろう、と初春は推測していた。ならば一刻も早くここから抜け出し、美琴や佐天と合流する必要がある。自分達が人質になっている限り美琴は身動きが取れないのだ。

 

「初春さん」

 

 焦燥感のせいか、妹達に薬でも打たれたのか、上から幻聴が聞こえて来た。誰かが枕元に立って初春の名前を呼んでいるのだ。

 

「聞こえてますよね。おはようございます、初春さん」

 

 はっきりとした艶のある声で幻聴の主は言った。左目が長い前髪で隠れている女が初春を見下ろしている。同い年くらいの少女だ。

 意識がはっきりしているのに体が動かせない現象を人は金縛りと呼ぶ。ただ初春の場合は外的要因で体が動かせないだから、これが金縛りであるはずがない。ならこの女は誰だ、と初春は思った。幽霊なのか。病院で死んだ少女の霊だとでもいうのか、この学園都市で。仮に幽霊だとしても妙に顔色が良い。決して明かるくは無かったが、まだまだ元気そうな彼女を死体扱いしては死体に失礼だろう。

 

「あなた……どこから入ったんです? そういえば……どこかで見たような……」

 

 しばし見つめ合う2人。2度瞬きした後、パズルのピースがカチリとハマった。初春はこの少女を見たことがある。

 

「ああ! 思い出しました、確か佐天さんのストーカーの、」

「しー! 静かにしてください」

 

 少女は慌てて初春の口を両手で塞いだ。首を動かせない初春は黒目を上下させて返事に変える。

 

「私に何か用ですか、重福省帆さん」

 

 監視人まで届かないよう、初春は口の中の空気をもわりと震わせる。

 

「というか、あなたの能力じゃ監視カメラまでは誤魔化せないんですよ。こんな所まで来たら捕まっちゃいますって」

 

「心配なさらないで。私、佐天さんの力で少しだけ超能力者(レベル5)になってるので。ちょっとだけなんですけど。電磁データごしでも人間には知覚できないんです」

「佐天さんが…………?」

 

 目を閉じて思い出を噛み締めるようにはにかむ重福。確かに妹達はこちらを見ようともしない。重福が泳がされているか、彼女が初春を騙すつもりか……でなければ意味するところは1つ。佐天がこの少女にキスしたのだ。不本意にも黒子の性奴隷となってしまった初春だが、それでも誰彼かまわず愛嬌を振りまくかつての恋人と、一瞬とはいえ寵愛を受けたこの少女に憤りを覚えずにはいられない。

 

「で、何の用です? 早く済ませちゃってください。私、こう見えても暇じゃないんですよ」

「じっとしてて下さいね」

 

 初春はぷんすかと天井に囁く。重福はそんな怒りを気にするでもなく、ポケットから折り畳み式ナイフを出して初春のベルトを一本ずつ切断して行く。妹達が初春を解放する理由がどう考えても見当たらない。やはり佐天は彼女を愛したのだ。初春の中で重福への感謝と怒りが同時に沸き起こった。

 

「実は、ある人からこれをあなたに渡すように言われて来ました。私なら誰にも気づかれずに近づけるから……」

 

 重福は4つの電子機器をベッドに並べた。妹達に回収された初春と黒子の携帯と、初春の携帯端末(PDA)、残り一つは彼女達の物ではない。最近流行りのスマートフォンなる多機能携帯端末、佐天も持っているものだ。

 

「佐天さんと同じ携帯……でも佐天さんのじゃないですね。佐天さんの皮脂の芳醇な香りがしませんから」

 

 首を固定したままスマホを手に取り、なぜか勝ち誇った顔で重福を見上げる初春。重福もなぜか悔しそうに前髪の下の眉を歪めた。

 

「誰です、あなたにこれを渡したのは」

「名前は分かりません。ただ『脱ぎ女』と伝えれば分かるはずだって言われました」

「脱ぎ女ですって? じゃあこれは……」

 

 初春の記憶に脱ぎ女は一人しかいない。彼女ならば自分達の側に付いても不思議ではないし重福の能力や人間関係だって筒抜けだろう。どこで事情を嗅ぎつけたのかはともかく、重福の来訪を初春に納得させるには十分な名前だった。

 

「それじゃ、私はもう行きますね」

「ま、待ってください重福さん! どうしてあなたは私にこれを?」

「私はただ佐天さんのお役に立ちたいだけです。あなたならきっと上手くやってくれるって、脱ぎ女さんは言ってました」

「木山先生……」

 

 黒く冷たい画面越しに、初春は木山の姿を想像した。相変わらず眠そうだったが、彼女の目から隈は消えている。

 

「それに、私も初春さんのこと、少しだけ知ってます。佐天さんはお手紙でいつも初春さんのパンツのお話をしてくれるんです」

「さ、佐天さんがそんな話を!?」

「私も佐天さんにパンツめくって欲しいな……」

「だ、ダメです! 私だって最近はめくって貰えてないんですからね」

「知ってます。佐天さんは御坂美琴さんとお付き合いなさってるんですよね」

「うぐっ…………」

 

 頭に浮かびかけた佐天と美琴のあられもない姿を、初春は舌を噛んで追い払う。美琴が拘束されていないなら――妹達にそんな事できる訳ない。だからこうして自分達を人質に取ったのだ――今頃佐天と事に及んでいるだろう。学園都市は文句のつけようのない晴天なのに、少し前に先ほど大きな雷鳴が轟いた。つまりはそういうことだろう。

 

「お互い頑張りましょうね、初春さん」

 

 耳障りの良いキュートな声を残して、重福はコソコソと部屋を出て行った。妹達はぼんやりと窓の外を眺めている。佐天は重福とキスしたのだ、と初春は改めて思った。

 

「はぁ……でも私は白井さんの性奴隷ですし……それにしても、どうして今さら幻想御手(レベル・アッパー)なんか……」

 

 やはり体を固定したまま、もぞもぞと手を動かし、頭の上にぶら下がっているナースコールの子機を手繰り寄せる。重福の残していったナイフで子機とUSBケーブルの片方を切り落とし、リード線をより分けて即席の変換プラグを作り出す。学園都市の線という線はオンライン化されているのだ。

 

「とりあえずこれで病院のセキュリティを乗っ取って白井さんと連絡を……」

 

 初春は布団の中に手を突っ込んだまま、ナースコールをPDAに突き刺した。

 

 

◆

 

「『およそ、語り得るものについては明晰に語り得る。語りえぬものについては、沈黙しなければならない』」

 

 逆立った金髪に濃青のサングラス、ハープパンツからは2本のジャングルを伸ばし、ド派手なアロハシャツをはだけ厚い胸板を見せつける男、土御門元春は、赤い液体に満たされた円筒の中に浮かぶ"魔術師"を怒鳴りつける。土御門は魔術師への敵意を怒りを隠そうともせず、混じりけの無い嫌悪感をぶつけるように睨んだ。

 

「ふむ……」

 

 アレイスターは笑っているような泣いているような、推測不可能で曖昧な表情を固定していた。真面目に相手をする価値もないとでも言いたげに。

 

「ウィトゲンシュタインの言葉だ。俺達には既に聖書がある。その意味が分からないとは言わせんぞ」

「君は本当に、創造主が聖書を書いたと思っているのかね?」

 

 土御門は面倒くさそうに舌打ちして、忌々し気に頭を掻いた。嘲笑しているようにも見えたが、視覚をコンバートする段階で余計な感情が入りこんだせいだろう。

 

「悪いが俺は、お前と中学生レベルの宗教談義をしているほど暇じゃない」

「尤もだ。本題に入ろう。つい今しがた、学園都市初の絶対能力(レベル6)が降臨した」

 

 土御門は眉一つ動かさなかった。彼は英国のスパイとしてある程度の情報は把握していたし、一方通行(アクセラレータ)を第一候補(メインプラン)とした絶対能力進化(レベル6シフト)計画の存在も大まかには掴んでいる。だが―――

 

「俺を呼んだのは、そ(・)の(・)程(・)度(・)の些事を再確認するためではあるまい」

 

 彼の怒りを伴った冷静さは別の要因によるものだ。絶対能力(レベル6)に到達したのは、一方通行(メインプラン)はおろか、未元物質(スペアプラン)でさえない平の超能力者(レベル5)。学園都市の第3位、超電磁砲(レールガン)こと御坂美琴なのだから。

 さらに言えば、御坂美琴(絶対能力)さえも、土御門にとって懸念すべき対象ではなかったし、アレイスターにしても同じなのだ。問題は御坂美琴を絶対能力(レベル6)に到達させた力――

 

「幻想深化(イマジン・サポーター)だな」

「気付いていたか」

 

 気付かない方がおかしいとばかりに、土御門は雇い主を睨み続ける。

 

「佐天涙子の力は、能力者の強度(レベル)を上げる程度の子供騙しではない。あの少女の本当の能力は……そうだな、百合証し(カムアウト・クローゼット)とでも名付けようか。つまるところ決(・)定(・)す(・)る(・)力なのだよ」

「…………」

 

 一瞬湧いた殺意を、土御門は自己軽蔑と共に踏み潰した。

 誰もが笑って、誰もが望む。そんな、最高に幸せな結末に、"あれ"が必要だと言うのなら、受け入れない理由がどこにあろう。

 

「それが事実だとして、お前は"彼"をどうするつもりだ? いや……どうにかできるとでも思い上がっているのか、異端者(魔術師)。そもそもお前の目的(プラン)は――」

「幸い、私は幻想殺し(切り札)を保有している。ぜひともあれに、どうにかしてもらいたいのだよ」

 

 神様の奇跡(システム)を打ち消せ――21世紀の魔術師は、窓のないビルの中心で土御門にそう告げる。この日に呼び出された時点で、土御門には薄々分かっていたことだ。だが――それでも土御門は開いた口を閉じることが出来なかった。魔術師や能力者との戦いとは訳が違う。軍隊や騎士団との戦争ですらない。

 

「俺に選択の余地があるのか」

 

 土御門は身を翻し、黒いインクを分厚く塗りたくった空間に向かって歩きながら呟いた。

 

「『語りえぬものについては、沈黙しなければならない』……ではなかったのかね」

「……良いだろう。ただし――俺はお前に協力する訳じゃない。どこまで性根が腐っているにせよ、俺が従うのは主の御心だけだ。覚えておけ」

「ふっ……よかろう」

 

 主の呪いあれ(God damn it)! と土御門は吐き捨てる。

 

 詰まる所、彼はいつもそんな仕事ばかりしていた。

 

 

◆

 

 明晰夢。夢を見ていると自覚している夢。夢だから何でも思い通りになるはず。黒子だって最初はそう思っていた。夢の中で白井黒子は、常盤台女子寮の自室で、自分のベッドに寝転んで微睡んでいた。明晰夢とは言っても夢は夢。覚醒しきっていない意識は、目に映るものの意味を理解できても、心を動かすにはとてもじゃないが非力すぎた。

「ダメですよ御坂さん。ほら、白井さん起きちゃったじゃないですか」

「見せてあげればいいのよ。黒子は変態だから、こういうのだって喜ぶはずよ」

「……やぁん、御坂さん。駄目ですよぉ」 

 

 隣のベッドで、美琴が佐天を押さえつけて、彼女の口の中に唾液を垂らしていた。甘く輝く耽美な透明の橋が、美琴の舌先から佐天の喉へとじわりじわりと落ちていく。

 許してはおけない、と黒子は思った。今すぐあの泥棒メス猫をテレポートで宇宙の彼方へと吹っ飛ばして、お姉様の愛の湧水を一滴残らず飲み干さなければならないのだ。頭ではそう思っているのに、ふわふわとした分厚い眠りの雲が体をベッドに縛り付けている。

 その時、もう一人の御坂美琴が視界を遮るように立ち塞がった。同じようでいて違う。肌艶も筋肉の付き方も違うし、ぞくぞくするような冷たい視線もない。自分を実験動物などと言い切った女だ。よりにもよって御坂美琴の肉体を使ってそんなことを言ったのだ。それでも佐天と戯れている後ろの美琴よりも、存在感に妙な重みと説得力が付与されている。

 

「本実験にあなた達を巻き込んでしまったことについては、本当に申し訳ないと思っています、とミサカは頭を下げます」

 

 嬌声を背にして、感情を失った御坂美琴の妹が謝罪の言葉を述べる。普段の黒子なら、今ので軽く脳溢血していたかもしれない。

 

「すまないと思うなら、わたくし達の側に付きなさいな! あなたは、妹達(シスターズ)が科学者に洗脳されているとお分かりですの?」

「洗脳と言うよりも、ミサカの心は作り物です」

「ええ、あなた方の心は作り物、ええ、作り物と言う他ありませんの! あなた方は、学習装置(テスタメント)を使って連中の思い通りにプログラミングされておりますもの。ですから、そんな作り物の心は捨ててしまいなさい。あなたは身も心もわたくしに預け、わたくしと共に生活することで健全な心を育成するべきですの」

 

 黒子は熱弁するが御坂妹には届かない。御坂妹は自分の性的価値を自覚している、同性愛者であり、しかも御坂美琴に好意を寄せる黒子の言葉の真意を察していたし、つまるところ利用目的の違いでしかないと結論付けた……御坂妹の沈黙から、黒子はそのように考えた。

 

「どの道、お姉様とわたくし達が必ず実験を破綻に追い込みますわよ。これ以上実験を続けても、無意味な犠牲を出すだけですの。あなた方はお姉様と同じ頭脳をお持ちなのでしょう? でしたら、その程度のことは理解できるのではなくて?」

 

 御坂妹は少しだけ不快そうに目を細めた。実験完遂の為だけに生まれ死んでった彼女達に、実験を至上の物とする価値判断基準が搭載されていても不思議ではない。ならばその価値を破壊してしまえ、と黒子は企む。

 

「ミサカに反乱を起こせとおっしゃっているのですか、とミサカは問います」

「その通りですの。そもそも! クローンですからと言って平然と殺人を犯すサイコなマッド・サイエンティストのサイコ計画に協力したり、人殺しのサイコ男を絶対能力(レベル6)に到達させたり……あなた、本当によろしいんですの? そんなサイコ連中が強大な力を得る手助けをしたい……というのでしたら、あなた個人に対しても人道に対する罪を問わざるを得ませんの! 人類全体に対しての罪ですわよ」

 

 御坂妹は自分の命に価値を見出していないし、命を捨てることを恐れてもないが、同時にそれが悪だと言われることは想定していなかった。「自殺が悪だ」という感情論なら御坂妹には通用しないだろう。けれども……犠牲になることが能動的に悪に加担する行為だと言われたら、まともな思考回路を持つ御坂妹は自分の死が持つ意味を考えざるを得ない。

 一方通行(アクセラレータ)を絶対能力(レベル6)にすることがどれほどの利益を生み出し、逆にどれほどの損害をもたらすか。御坂妹にはその計算が出来るだけのデータがない。だから一方通行と研究者たちがそれを是とし、白井黒子や御坂美琴(オリジナル)は否としたという、客観的現象から推察するしかなかった。一般的価値観から言えば、まともそうなのはどう見たって後者だ。

「……」

 御坂妹の顔にははっきりとした動揺が浮かんでいた。黒子を取り巻いていた妄想の牢獄が揺らぎ始める。胸から腕へと、温かい血液が通っていく。

 フレームが切り替わるように、一瞬の後、視界は再び闇に戻っていた。黒子は自分の置かれた状況を正確に理解する。何らかの能力遮断装置に隔離されているのだ。黒子は無能力者同様の状態に追い込まれ、エプソムソルトのバスタブに浮かべられている。

 

「たとえこのミサカが反乱を目論んでも、妹達が反乱を起こすことは不可能です、とミサカは断言します」

 

 現実世界のスピーカーから、御坂妹が会話を続けていた。黒子の体には、脳から足の先まで吸着電極が張り巡らされている。おそらくは自身のバイタルが示す精神的動揺の意味を取り違えて、夢の世界へと介入してきたのだろう。

 

「なぜですの」と黒子は壁に叫んだ。

「理由をお聞かせくださいな!」

「機密事項です」

 

 鋼一枚隔てた所で見張っていた御坂妹は、白い箱に浮かんでいる変態女に向かってはっきりと言った。

 

「わたくしはジャッジメントですの。そのわたくしの前で機密も秘密もありませんわ。ともかく、ここから出しなさい! そうすれば、あなたも初春のように尋問して…………」

 

 黒子は舌なめずりした。はっきり言っておく。黒子が好きなのはお姉様であってクローンではない。だからと言って、クローンが嫌いかと言えばそんなことはない。しかし、人間が視覚から得る情報は、8割とも9割とも言われている。だとすれば、お姉様と同じ容姿をしている人間が目の前に居れば、欲情してしまうのは不本意ながら仕方のない事なのだ。

 

「ぐふふ……きっひっひっひ! お姉様と同じDNAを持つあなたにあんなことやこんなことを……!」

 

 黒子はお姉様のような強力な反撃が出来ないクローンを押さえつけて泣くまでい(・)た(・)ず(・)ら(・)をしてやった。想像で。なかなか良い体験であった。紆余曲折を経て、最終的には幸せなキスで終わることが出来た。お姉様に隠れてお姉様のクローンと許されざる愛を育むのもそれはそれで悪い考えではないな、と黒子は本気で思い始めていた。しかも、お姉様を落とすことに比べたら遥かに現実的なのだ。

 

「残念ですが、ミサカはあなたの期待に応えることは出来かねます。なぜなら、ミサカ達は佐天さん以外の女性に好意を抱くことはないからです」

「けっ! まーた佐天さんですの!」

 

 もろくも崩れ去る計画。黒子は反射的に天井を蹴り飛ばしそうになったが、死海並の浮力を誇るエプソムソルトのバスタブには頭から突っ込むことしかできなかった。口内の粘膜をレイプする硫酸マグネシウムをぺっぺと吐き出し、黒子は壁の向こうを睨みつける。

 

「こうなったら憂さ晴らしに初春でも犯して……」

 

 黒子は新たな計画を練る。計画と言っても今度のものは、初春を回収して人気のない所に連れ込めばすぐ実行できるインスタントなプランだ。

 

 

◆

 

 

「白井さん、聞こえますか? もう動ける状態ですか?」

 

 しばらくの後、その初春の声がスピーカーから聞こえてきた。何らかの連絡手段を見つけたのだ。この功績に免じて次は優しく犯してやろう、と黒子は思い直す。

 

「問題ありませんわ。初春、とっととここから脱出しますわよ」

「病院の通信システムを乗っ取ってます。聞こえたらナースコール押してください。マイクのスイッチが入ります」

 

 初春は黒子を無視して一方的に会話を続ける。こちらからの返答は聞こえていないのだろう。

 

「ナースコールぅ? どこですのそれ……」

 

 黒子の視界は相変わらず黒一色。御坂妹は内部の照明を消して完全な暗闇を作り出しているのだ。

 

「あれれ……寝てるのかなぁ。こんな時に寝てるだなんて、白井さんは本当に役に立たない白井さんです」

 

 黒子は前言を撤回する。黒子は舐めるのは好きでも舐められるのは好きじゃないのだ。

 

「朝ですよー、起きてくださーい! 外に聞こえると思って黙ってるんですか? 大丈夫、小声なら外の妹達には気づかれません。それともまだスイッチ見つからないとか? しょうがないですね、横ですよ横! 側面のボリューム・ダイヤルの隣にあるスイッチです。ちょっと考えれば分かることでしょうに!」

 

 黒子がキョロキョロしていると、初春はせっつくように続けた。設計図でも見ているのだろう。黒子は水面を回転しながら四肢を伸ばし、壁面をさすってそれらしいボタンを探り当てる。

 

「初春、感度は・いかが・ですの?」

「はいはい、良好です」

 

 初春は事務的に返答する。何事もなかったかのように。黒子はあえて余計なことは言わないことにした。何をするにもまずは脱出だ。

 

「手短に状況を説明しますねー。現在、私達は第7学区のとある病院に収監されています。白井さんが隔離されているアイソレーション・タンクは一種の知覚遮断装置です。少年院とかで使われてるAIMジャマーの亜種ってところですかね。元々は、能力が原因の精神的ストレスを、AIM拡散力場を打ち消すことで一時的に解消するための装置みたいです。ですので、能力自体が使えなくなる訳ではありません」

 当事者でもないのに言いたい放題言ってくれる、と黒子は初春の仕事用ドヤ顔を想像して思わずエプソムソルトを吐きかけた。仮に能力を使えても、カプセルの蓋を飛ばすのは目隠しして人込みで機関銃を乱射するに等しい愚行。自分を飛ばすのはもっと危険だ。普段のテレポートは、膨大な知覚情報を無意識に代入して演算している。自転や公転といったデータを知覚入力できない以上、下手をすれば銀河の彼方へ放り出されかねない。

「11次元の演算はあなたが想像するより高度で複雑ですのよ。システムを乗っ取ってるなら、あなたが止めてくださいな」

「止められるなら止めてますよ。音響以外は独立してるので無理なんです。私がその部屋まで行ければいいんですけど、シミュレーションの結果99.9%の確率で失敗します。私を監視してる"妹さん"からライフルを奪えれば成功率はあがりますが……」

「やれやれ、本末転倒ですわね」

 

 連絡が取れたからと言ってどうしようもないではないか、と黒子は悪態をつく。それから脱力して重力を水に預けた。意識が覚醒した状態で暗闇に浮いていると、黒子は本当に宇宙空間に放り出されたような気分に襲われた。初春の声は予め録音されたもので、今頃自分は妹達の1人と一緒にロケットで宇宙に捨てられたのではないか。それなのに、何もかもがどうでもいいような、あきらめの境地に達してしまうのだ。クローンの1万人を助けた所で、世界では今日も何万何千の子供が無残に殺されているのだ。そんなどうしようもない子供達のことを考えたら、世の中の悪意に立ち向かうことがこの上なく馬鹿げたことのように感じられた。

 

「それで、何か策はありませんの? このままでは身動きが取れませんわよ……」

「なかったら連絡しませんよ。こんな時にボケないでください白井さん! いつになったら、ジャッジメントの白井さんに戻ってくれるんですか!」

 

 黒子は初春との出会いに感謝した。もしもナースコールの向こう側に居るのが初春のように執念深い腹黒中学生でなければ、このままゆったりと休暇を満喫するのも悪くないと思い始めていたからだ。

 

「……具体的にはどんな策ですの?」

「はい! 白井さんには死んで頂きます!」

 

 初春は、きっといつもの憎たらしい笑みを浮かべて平然と言った。黒子も負けじと最高の微笑み返す。

 

「素晴らしい案だと思いますの。それはそうと……あなたも好き者ですわねぇ、初春。お望み通り、ここを出たら涙が枯れるまで犯し抜いて差し上げますわっ!」

「す、すみません言葉足らずで。本当に死ねって言ってる訳じゃないですよ私は! その装置は脳波とか脈拍とか心電図を外に送り続けてるんです。ですから、例えば白井さんが溺れたりしたら妹達が開けて様子を見るはずなんですよ! ちなみに電極は外しちゃダメですよ、ばれますから」

「その一瞬で、しかも朦朧とした意識でテレポートをしろですって? あなたも無茶言いますわね!」

 

 傍観者特有の現実を無視した空論。そんなお粗末な作戦なら黒子にだって思いつくのだ。あえて考えなかっただけなのだ。

 

「白井さん。このまま黙って捕まってるつもりですか?」

 

 急に真面目なトーンに豹変する初春。見え透いた挑発。だが初春にしても、ただ黒子の助けを待っていたわけではないのだろう。故に黒子の返事は最初から決まっている。

 

「初春、外の警備状況は?」

「はい。確認できた限り、自動小銃で武装した妹達が1個分隊。内訳は、それぞれ部屋の内外で1人ずつ、計4人。廊下の警備が各階2人です」

「大した人数ではありませんわね」

 

 黒子は記憶にある病院に見取図に妹達の位置をマークしていく。救助に来た御坂妹をダウンさせ、ミサカ・ネットワークの情報共有で感付かれる前に初春を抱えて病院から脱出する流れを思い浮かべる。フローティングのお蔭で思考は十分すぎるほどクリアだ。

 

「それがそうでもないんですよ」と初春は硬質な声で言った。

「監視カメラから勤務表と照合したんですが、傭兵っぽいのが病院関係者に変装して潜んでます。カメラがカバーしてない屋上にはスナイパーがいるかもです。あそこは外から梯子で登れますから。それに、各出入り口と玄関ホールに警備員(アンチスキル)が展開してます」

「傭兵はともかく、アンチスキルですって!?」

「ああ……そうでした。白井さんはニュース見れてないんですね。まあ……出たら分かることですよ」

 

 噛み潰した苦虫の味を思い出したみたいに初春は言った。それ以上聞かなくても碌なニュースではないのが分かるくらいに。

 

「ともかく事態は把握しましたの。わたくしが空間移動(テレポート)であなたを連れ出せばよろしいんですわね」

「そうなんですよー。というわけで、死んでくれますよね?」

 

 初春は相変わらず能天気に言う。ここまでくると自分から犯されることを望んでいるとしか思えない。

 

「初春……覚悟なさいですの」

「はいはーい。では脱出ルートを説明しますねー。私の部屋は白井さんの部屋から――」

 

 

◆

 

 

「お姉様ぁあああああああああああああああああああああ!!」

 

 目が覚めたら白い病室だった。愛するお姉様が御迎えに来てくれたのだ。美しく凛としたお顔はまさしくお姉様のものだった。黒子は一も二もなくお姉様を抱きしめた。初春が何か叫んでいたがそんなことはどうでもよかった。黒子はお姉様と愛し合うために生まれてきたのだ。お姉様以外のことなんかどうでもいい。お姉様はあの無能力者の佐天より自分を選んだのだから!

 

「即刻ミサカから離れなさい、とミサカはあなたに銃口を突きつけて最終警告を行います」

 

 お姉様が銃を向けていた。黒子は混乱する。お姉様意図が理解できない。血管に水銀が流し込まれたみたいに頭が重苦しく曇っている。歪んだ世界が血に染まりぐらぐらと揺れていた。初春は相変わらず訳の分からないことを叫んでいる。そんなに叫んだら妹達に気付かれると言うのに。

 黒子の頭には病院の見取り図が浮かんでいた。何をすればいいのかも分っていた。けれども、視界の隅を通り過ぎる意味のない宣伝広告みたいに、意識の中心に持ってくることが出来ない。だって彼女の首筋からはお姉様と同じ香りがしたのだから。

 

「あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! いい匂いですのぉ……くんくんんはぁっ!!!!!」

「このままじゃあと1万と18人の妹達が殺されるんですよっ! 御坂さんの妹を見捨てるつもりですか!?」

 

 初春の叫び声はスピーカーからだけでなく、直接部屋の大気を震わせた。あるいは錯覚だったのかもしれないが、初春の怒鳴り声によって、錯乱していた黒子の中枢神経が叩き起こされ、雪崩のように階段を降りて並び始めた。赤血球から遊離した酸素がようやく神経細胞を目覚めさせたのだ。

 

「両手を頭の上に高く上げて跪きなさい、とミサカは命令します」

 

 その人はお姉様ではなかった。お姉様のクローン、お姉様の妹達。そして黒子の大切なセフレ候補だ。

 

「黒子に穴をおあけになるのは、お姉様でなくてはなりませんの」

 

 黒子はまだ呂律の回らない舌で妹達に向かって宣告する。

 

 銃口はわずかに逸れる。狙いは肩、一方通行(アクセラレータ)に付けられた傷と反対側。負傷させて空間移動(テレポート)を阻止するつもりなのだ。

 だが黒子はその一瞬を見逃さない。11次元の階段は既に初春の病室まで延長されているのだ。

 マズルフラッシュの光。銃弾が到達するより早く、黒子の肉体は11次元空間に拡散する。時間の断絶はない。まさにその瞬間、黒子の視界は初春の病室へと切り替わる。初春はベッドに押さえつけられて背中に銃口を突きつけられ、ドアを蹴り飛ばして転がり込んできたもう一人は既に黒子に狙いを付けている。

 黒子はミサカ・ネットワークの戦闘力を侮っていたわけではない。黒子にしても、11次元の知覚によって初春の病室の状況は把握しているのだ。だから黒子が出現したのは、初春のまさに直上であった。

 

「ぽっと出の分際で『妹妹』と……! わたくしこそ、黒子こそがお姉様の唯一無二の妹ですのっ!」

 

 黒子は初春を組み伏せている妹達の頭上から落下し、頭を鷲掴みにすると同時に、病室のど真ん中に消し飛ばした。丁度、ドアとベッドの間を塞ぐように。

 射線を遮断された妹達。彼女達は別個体を殺害する許可も能力も与えられていない。故に撃てない。黒子はそのまま初春の小ぶりなお尻に落下して馬乗りになる。

 

「ひゃぁん!」

 

 何を期待しているのか初春が喘ぎ声をあげた。甘く切ない少女の嬌声を5.56mm完全装甲弾が切り貫く。

 だが、妹達の放ったライフル弾の速度は、黒子と初春の逃亡を阻止するにはあまりにも遅すぎた。

 

 

◆ 8月16日 午前7時58分  水穂機構・病理解析研究所 ◆

 

 

 絶対能力進化(レベル6シフト)第2計画の新たな司令部に、白衣の研究者が息を切らせて怒鳴りこんできた。カイツは悠々と爪を磨きながら「ハロー」と爽やかに朝の挨拶で彼を迎える。

 

「どうしましたドクター・天井。そんなに血相を変えテ」

 

 天井は挨拶を返さず、カイツの机に資料の山を叩きつける。御坂美琴が絶対能力(レベル6)に到達し、さらに捕虜が脱走したと言う悪夢が報告された後、カイツが通達してきた絶対能力進化第2計画の修正案だ。

 

「ハローじゃない。あの2体は超電磁砲量産(レズ・シスターズ)計画の完成体だぞ! この先佐天涙子(イマジン・サポーター)を利用できない可能性があるというのに、なぜ実験に使ったりするんだ! このまま計画が頓挫するかもしれないんだぞ!」

 

 借金まみれの天井にとって、手元にある2体の百合妹達(レベル5)は人の形をした金塊。しかもその威力は第1次実験で証明(コンバット・プルーフ)済みと来た。そんな貴重な検体を研究者でもない警備責任者の独断で処分すると言うのだから、天井が激昂するのも無理はない。

 

「だからですよ、ドクター天井。実験失敗のリスクが高まった以上、百合妹達(レベル5)を2体も残すのは極めて危険でス。概念実証姉妹(エルダー・シスターズ)は、少なくとも一週間は超能力者(レベル5)として行動が可能。万一最終信号(安全装置)が破られでもしたら、私達に対処する術はありませン。一方通行(アクセラレータ)と超電磁砲(レールガン)にそれぞれ始末させるのが賢明かト」

 

 ならば1万体を越える欠陥電気(レディオ・ノイズ)が反乱を起こせば対処できるのかと言えばそんなことは全くないのだが、混乱している天井には唱えるべき異論が思いつけない。3体の怒れる超電磁砲に襲撃される妄想は、血が上った天井の頭を冷やすには十分すぎる。

 

「どうしてこんなことになったんだ! 最初から佐天涙子(イマジン・サポーター)を拉致してくればよかっただろ!」

「その場合、超電磁砲のみならず、警備員(アンチスキル)との衝突も不可避となったでしょウ。説明したではありませんカ」

「クソ、クソッ! 統括理事会の馬鹿ども、余計な口出しをしてきた挙句私の研究を滅茶苦茶にしやがって! お前もだ! 実験が失敗したらただじゃ済まさんぞ!」

 

 天井が自分の持ってきた資料を滅茶苦茶に破り捨てるのを、カイツは爪を磨きながら涼しい顔で眺める。

 

「まァまァ、落ち着いテ。彼女が超電磁砲(オリジナル)を始末できれば全ては丸く収まりまス。超電磁砲にクローンは殺せませんからネ。きっと成功しますヨ。仮に失敗したとしても、超電磁砲一派は自分を殺そうとするクローンのために戦おうとするでしょうカ?」

 

 ふむ、と天井は顎に手を当てる。確かに御坂美琴さえ排除できれば、実験完遂の障害は無きに等しい。取り巻きのジャッジメント連中も、御坂美琴が死ねば戦う理由はなくなるだろう。百合妹達を使ってでも賭けに出るのは悪くない選択に思えた。天井は納得したのか、そのまま踵を返し部屋から出て行ってしまう。

 

「ドクター・天井も研究者としては優秀なんですがネェ」

 

 残されたカイツは、椅子に浅く腰掛けデスクに両肘を立て頭を抱えた。天井だけではない。まともに現状を理解している奴がひとりでもいるのだろうかと。

 学園都市は時限爆弾付の客船と化している。アレイスターが当てにしている幻想殺し(イマジン・ブレイカー)には爆弾を解除することなど出来やしない。カイツは全力を尽くして沈没に備える他ないのだ。

「"神は、その心に適う者に、知恵と知識と喜びとを下さる。しかし罪人には仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる"」

 カイツは横目で学園都市を取り囲む高さ5メートルの壁を睨みつける。風を封じ込めようとする虚しい壁を。

 

 

◆ 8月16日 午前7時45分 ◆

 

 

 焼け付くような8月の日差しが、都心を満たす粉塵の一粒まで見逃さずに焼いている。過剰に埃っぽい高湿度の空気は、さながらスチームオーブンで加熱調理されているようだ。我らが主イエス・キリストは、おとめ座超銀河団の辺境にある銀河系の辺境にある太陽系第三惑星のそのまた辺境にある学園都市の塵一つにさえ愛を注ぐことをお忘れにはならないのだ。

 黒子と初春は、テナントビルから電灯の一本まで、あらゆるランドマークが破壊された廃墟の中を彷徨い、目的地とした風紀委員活動第177支部まで辿り着いた。つい昨日まで二人が勤務していたオフィスは、倒壊と言うよりも根こそぎ砕かれてコンクリート片の山に変貌していた。

 2人がまだ第7学区に止まっているのは、警備員(アンチスキル)によって外へ繋がるあらゆる道が封鎖されていたからだった。黒子はテレポーターとはいえ、一度に81.5mしか飛ぶことが出来ない。地上と衛星から多重に監視された分厚い包囲網を抜けるのはほとんど不可能だった。仮に抜けられたとしても、美琴と佐天の元へ警備員(アンチスキル)を案内するようなものなのだ。

 黒子は瓦礫をテレポートで掻き分け、重なり合っているデスクの残骸を見つけだした。偶然鉄筋コンクリートの隙間にはまり込んだのか、予備の装備やいくつかの現場用通信機器を無傷で残っている。初春は黒子の横から手を伸ばし、丸みを帯びた砂まみれの黒い箱を掴んでスカートにこすりつけた。

 

「これちゃんと充電できますかね。バッテリーがないとどうにもなりませんよ」

「知りませんわよ、あなたのでしょう?」

「固法先輩のですよ。私のは昨日全部持ち出して使い切っちゃいました」

「まったく、少しは後のことも考えておきなさいな!」

「そんなこといったって、コンセントの1個も見つからないなんて普通思いませんし」

 

 初春がぶつぶつ文句を言いながらPDAに充電ケーブルを接続すると、充電ランプに手をかざしてじっと覗き込んだ。死にかけの蛍みたいな弱々しい光を放っていた。指の隙間からこぼれて来た日光に塗りつぶされたせいだろう。

 

「何とかなりそうですよ。あの人達に目にもの見せてあげます。昨日の証拠映像を世界中にばら撒いたら、学園都市に打つ手はありません。少なくとも国際世論は私達の味方です!」

 

 初春は古風な折り畳み携帯からmicroSDカードを引っこ抜いて、花のツールボックスに仕舞っていたUSBカードリーダーに突き刺した。クローンの製造と殺害、その決定的証拠を。

 

「悲観的になる訳ではありませんが、そう簡単に行くとは思えませんの」

「心配要りませんよ。その辺飛んでるWiFiを乗っ取れば私達だってばれません。こういう時に備えて、遠隔操作用のトロイを仕込んでるんですよ。ISPのファイアウォールだってトイレットペーパーより簡単に破れます。私に任せてください」

「まぁ……上手く行くことを祈るしかないですわね」

 

 初春の犯罪告白をさらりと無視して、黒子はコンクリートの石の上に片足を載せてスカートをめくり上げた。その時初春は黒子の正面に座っていたから、嫌でも細く引き締まった白い太ももが目に入ってしまった。太陽の光を受けてきらりと光る鋼鉄の棒を、黒子は弾帯に一本ずつ挿入していく。物があるべき位置に整理整頓されていく細かい作業は、不思議と人を引き付ける魅力がある。特に初春のようなハッカー的人種は、世界の論理的構成を体感することに並々ならぬ快感を覚えてしまうのだ。初春はチラチラと上目遣いで黒子が固い棒を自ら挿入する様子を伺っていたが、性的興奮を覚えたからではないのだ。

 

「何を見ておりますの?」

「見てませんよ!」

 

 黒子はさっとスカートを降ろし足も降ろした。新しいダーツを掴むともう片方の足を石の上にあげる。しかし今度は、両手をスカートの中に突っ込んで、手先の感覚だけで棒を挿入し始めた。

 初春は再び黒い画面から目を逸らし黒子を一瞥――その挑発的な視線に射止められる。黒子は蔑むように笑って初春を見下ろしながら、プリーツ・スカートの端に小指を掛けて、ほんの少しだけ白い太ももを露出させる。初春の黒目は最新鋭の自動追尾ミサイルみたいな正確さで、黒子の太ももに照準を合わせた。

 

「どういうおつもりかしら、初春? わたくしのアジールにご興味がお有りですの?」

「こ……これは違いますよ! 私が好きなのは佐天さんなんです。佐天さんに気持ちを伝えることが禁止されたって……私の思いは変わりませんよ」

 

 黒子は何も言わずにじりじりとスカートをまくり上げて行く。初春は視線を落とすことが出来なくなっていた。どんなにいい訳したところで、初春は黒子の太ももを食い入るように凝視してしまっているのだ。

 もう少し、あと数センチも進めば、太ももの奥にある聖地の入り口が見えてくるはずだ。だが――黒子は布端の堤防をほんの少しだけ顕わにして、小指をあげるのを止める。それから、物憂げな、何か大切なものを失いかけている儚げで沈んだ表情を浮かべ、小指の先を仄かに震わせた。つい数時間前、激しく肌を合わせた強気な少女が見せた今まで何無い感情の発露。

 

「で、ですけど……べ、別に白井さんが嫌いだって言ってる訳じゃないですよ!? 白井さんは私のパートナーですし……と、特別な友達って言うかなんというか……セ……セフレ? そうですよ、セフレだって思ってますから!」

 

 黒子は狼狽する初春を小馬鹿にするように鼻で笑うと、今度は視線を気に留めもしないで自分の作業を続行し始めた。

 

「セフレですって? 冗談じゃありませんわ。初春は私の性奴隷ですの。思い上がらないでくださいまし!」

「はひっ!」

 

 初春は慌ててPDAの電源を入れた。節電の為に最小限の光量で起動させたディスプレイは、しかして鮮やかなコントラストで電子世界の窓口を開く。

 楕円形の天幕が、音もなくそっと2人に覆いかぶさったのだ。2人は吸い寄せられるように首を上に向けた。荒れ野を超然と傍観していた飛行船の巨大モニターは、丁度2人の方向に向けられている。

 

 

◆

 

 

「ご覧ください。この通り第7学区は、筆舌に尽くしがたい惨状となっております。雑居ビルが密集した繁華街は、区画ごと瓦礫の山に変わり果てました。完全下校時刻以降の惨事でしたが、店舗の従業員や寮に住む住人を初め、夜遊び中の学生たちや武装無能力者集団(スキルアウト)が多数巻き込まれてしまいました」

 

 飛行船には第7学区の空撮映像が投影されていた。報道カメラが飛行船に乗り込んでいるのかもしれない。ここは渦中の第7学区なのだが、彼らはその映像を当事者に見せつけることに特に気を揉んではいないらしい。

 

「現在も警備員(アンチスキル)と風紀委員(ジャッジメント)による行方不明者の続いております。現時点で判明しておりますのは、死者行方不明者は1万31名、重軽傷者が約1万名です。その8割が無能力者(レベル0)の学生とのことです」

「現場からの中継でした。えー……当初は当局により地震と発表されておりましたこの学園都市未曾有の大規模テロリズム事件ですが、警備員(アンチスキル)は、現場に残された能力使用の痕跡やAIM拡散力場の観測記録から、実行犯として常盤台中学2年の超能力者(レベル5)の女子生徒、及びその協力者として柵川中学1年の女子生徒1名の行方を追っているとのことです」

 

 清潔で安全なニュース・スタジオで、アルマーニのスーツを着た若いアナウンサーが、いかにも「自分は心痛をひた隠しにしているのだ」と言いたげな真顔で、プロンプターに表示された文字を読み上げる。彼の隣には、同じように仕立ての良いスカート・スーツを着た、淡い茶髪ロングヘアの白人女性が、すまし顔をカメラに向けて固定していた。彼女の表情もどこかしら作為的だったのだが、その動機が隣のアナウンサーとは全く異なるであろうことは、彼女の名を知る者には声を聞くまでもなく察せるだろう。

 アナウンサーは女の方を向いて、第7学区の視聴者たちに彼女の名を紹介し始める。

 

「解説として先進状況救助隊(MAR)からテレスティーナ・木原・ライフライン氏にお越しいただきました。テレスティーナさん、今回のテロ事件についていかがお考えでしょう?」

 

 テレスティーナと呼ばれた女性は口を開こうとしたが、唇が離れたかどうかといった段階で真一文字に結んでしまった。

 

「テレスティーナさん?」

 

 表情筋が小刻みに痙攣を始めている。お高くまとまった仮面を維持しようと必死に耐えようとしたのだが、やはり彼女には無理だった。自分を押えることが出来ないのだ。

 

「ぎゃはははは! モルモットが何人死のうが知ったことかよぉおお! おい御坂美琴ぉ、見てるかぁ? テメエのせいでモルモット共が1万匹死んだってよぉぉ! まったく、テメエがテメエで居られる最高の場所じゃねえか学園都市はぁああ! 本当退屈しねえよなぁああ、この街はぁあああ!」

 

 顔のパーツを引きちぎれるんじゃないかと心配になるほど表情筋を暴れ狂わせるテレスティーナ。あまりに突然のことだったので、育ちの良いアナウンサーは言葉を失って、馬鹿みたいに口を開けて彼女を見ているしかなかった。すぐにカメラが止められ、飛行船にはテレビ局のロゴマークが映し出された。

 数十秒後、放送は再開された。テレスティーナも言いたいことを言って満足したのか、菩薩のように穏やかな優しい目で、カメラに優しく微笑んでいる。

 

「えー……、先ほど容疑者の実名等、不適切な発言があったことをお詫びします。改めてテレスティーナさん、今回のテロ事件は、ネット上では乱雑開放(ポルターガイスト)が原因ではないかとも囁かれていましたが」

 

「はい、当初は我々や警備員(アンチスキル)もその線で捜査しておりました。しかしRSPK症候群の場合は――」

 

 何事もなかったかのように番組は続く――

 

 

◆

 

 

「なんですのこれ……」

 

 黒子は口から雲の塊を零れ落とした。怒りよりも混乱の割合が勝り、あらゆる価値判断が一時留保された曖昧な顔で初春の様子を伺う。

 

「ジーザス! あいつら、先手を打ってきましたっ!」

 

 その初春は黒子とは対照的に、歯軋りをしながら飛行船を睨みつけて囁き声で叫んだ。つい先ほどまで、警備員(アンチスキル)は第7学区で起きた大量虐殺の原因を公式には不明としていたのだ。

 

「連中の隠蔽工作ですよ! 9982号の残した痕跡を、御坂さんの物だと偽って報道することにしたんです。マスコミをアンダー・コントロールされました。最初からマスコミにリークするつもりはありませんでしたけど……きっとネットでも大規模な工作されてますよ! 統括理事会は、SNSや匿名掲示板を荒らす専門の業者をいくつも飼ってますからね」

 

「初春、映像は残ってますのっ!? あれを消されたら、わたくし達に対抗する手段はありませんわよ!」

 

「安心してください。 オメガ・シークレットで暗号化してましたから」

 

 初春がどや顔で言い放った瞬間、黒子はタランチュラでも口に入れたみたいに青ざめた。オメガ・シークレットとは、絶対暗号コンクールで最優秀の評価を得た究極の暗号のことだ。学園都市のスーパーコンピューターをもってしても、小さなファイルひとつ開くのに200年もの歳月がかかるとされている

 

「そ……そんなもので暗号化したらデコードできないではありませんの! 何考えてるんですの馬鹿野郎!」

 

「……マジですか?」

 

 激昂する黒子を小馬鹿にするような冷笑。初春はこみ上げる笑いを口腔に含みながら小型キーボードを指先でつつき始めた。

 

「な、何ですのそのムカつく反応は」

「だって白井さん、どんな暗号にだって必ず解読法はあるものですよ。まさか、プログラマ自身も解読できないなんて、あれ本気で言ってるとか信じちゃってるタイプですぅ? どんな小さなファイルにも200年必要だとか、どんな計算したらそうなるのか知らないで真に受けちゃってるんですかぁ? 白井さんって変態のわりに案外ウブですよね。未通女(おぼこ)ですしー」

 

 クスクス笑いながら黒子をコケにする初春。別に黒子がITに疎い訳じゃない。初春はわざわざ自分の得意分野にご主人様を引きずりあげて笑い者にしているのだ。つまりオメガ・シークレットなる単語を持ち出したのは黒子を安心させるためじゃなく、こうして嘲り笑う為。

 初春の黒く歪んだ瞳から、黒子はそのように推測する。普段黒子から虐められている初春飾利だが、基本的には他人を陥れることに性的快感を覚える倒錯したサディストなのだ。黒子は衝動的に初春の頬を抓りあげようとして……力を入れることなく頬をなぞりながら顎を摘まんだ。そのまま人差し指を唇の割れ目にあてがい指先でくにゅくにゅとこじ開けて、生意気な舌先にぬぷりと触れた。

 

「何ならここでわたくしが御奉仕して差し上げもよろしいんですのよ。優しく丁寧に執拗にじっくりねっとりと……泣くまで可愛がって差し上げますわよ?」

 

 黒子は指を入れたまま初春に隣に座りこみ、耳を口に含みながら囁いた。音は鼓膜から中枢神経へ浸透し、体の芯から伝播してくる切ない震えに変わる。

 初春はおしゃぶりに縋りつく幼子みたいに、黒子の人差指に舌をまとわせた。

 

「ちゅくぅう……んちゅ……ほめんらしゃいっ……ちゅう……しゅらいしゃん……」

 

 黒子は忠実に主人に答える愛犬の舌先を、こしょこしょとくすぐってやる。主従関係ははっきりさせなければならないのだ。なぜなら黒子もまた、初春を虐める快楽から逃れらない倒錯性癖のサディストだからである。

 

「いい娘ですの。あなたはそうやってわたくしに奉仕をしていれば幸せなのですわ。今後一切、わたくしに対する冒涜は許しませんの。もし次に不必要に生意気な口を利いたら……」

 

 必死に自分の指を舐める同級生を愛おしみながら頭を撫でる黒子。うっとりと満足げな黒子の表情に、初春はどこか引き返せない深みにはまりつつ予感を覚えた。けれども、彼女はあえて何も言わずに奉仕を続ける。沈みたいならどこまでも沈めばいいのだ。

 

「初春、いつ解読できますの?」

「ほふんんッっ……ほふんくらひれふよぉぉ……」

「5分ですわね。できなかったら承知しませんわよ」

 

 初春の作業を既に5分以上妨害している黒子は、そう言って初春の上の口から人差し指を引き抜いた。唾液でベトベトに汚れた指を、自分で綺麗に舐めとってからハンカチで拭いた。舐めてから拭いたのである。最初からハンカチで拭いても良かったのに、黒子はごく自然に、習慣的に、当然のように初春の唾でぬめぬめとしている指を舐めとったのだ。初春はちょっと震えながら一部始終を上目で観察していた。

 5分後、初春は勝ち誇った顔でデコード完了を告げるダイアログ・ボックスを見せつける。黒子はファイルが正常に復元できたことを確認すると、すぐにメディアプレイヤーを閉じてしまった。初春のガラケーは形状こそ古いが、学園都市製だけあって解像度は4Kに対応しているのだ。

 

「それにしてもあの女、何故テレビに出られるんですの」

 

 黒子は画面から顔を放すとわざとらしく話題を変えた。初春も今度は挑発したりはせずアップロード作業に取り掛かる。

 

「御坂さんを挑発するために釈放したんじゃないでしょうか……ってぇ! ちょっと待ってくださいよ。柵川中学の1年って……私のことですよね!?」

「佐天さんかも知れませんわよ」

「尚更問題ですよっ!」

 

 力任せにエンター・キーを引っぱたく。一方通行(アクセラレータ)が殺人を犯した確たる証拠は、2.4GHzの電波に変換され、そこら中のPCと携帯端末を経由して学園都市外のサーバーへと拡散して行く。誰にも止められない。インターネットは無法地帯でないが、インターネットは無法地帯ではないと言う正しい認識を持って使っているユーザーは滅多にいないのだ。

 

「白井さん、LiveLeakとYouTubeに証拠あげましたよ」

「ご苦労様。あとは世論がどう動くかですわね」

「その事ですけど、ちょっとまずいですね」

 

 初春は貧乏ゆすりをしながらF5ボタンをつんつん叩く。彼女が開いていた学校裏サイトやSNSに、普段とは明らかに異質な勢いで新着書き込みが増えてるのだ。

 

「見てください白井さん。さっきのニュースのせいでもう炎上が始まってます。案の定私達の本名とか……写真とか、事実無根の誹謗中傷が書き込まれてます! ほら見てください、『御坂美琴は自動販売機を蹴ってジュースを窃盗してた犯罪者』ですって!」

 

「……事実ですから何とも言えませんわね」

 

 汗だか冷や汗をぬぐいながら黒子は掲示板を除く。見るに堪えない(主に美琴への)誹謗中傷が、ネットの海にものすごい勢いで拡散して行く。黒子はもちろん、初春にだって止めるすべはない。イナゴの大軍を機関銃で全滅させることが出来るだろうか? ありえない。それこそ核弾頭でもぶち込まない限り。

 

「さっそく殺害予告してる人もいますよ。『御坂の幻想死ね絶対に殺してやる。覚悟しろよビリビリ。お前の居場所は分かってるんだ。あとはその幻想をぶち殺すだけだ』……白井さん、幻想を殺すってどういう意味ですかね?」

 

「……。初春、どうしますの?」

「こっちだって同じことをするんです。一方通行(アクセラレータ)の虐殺映像を世界中の掲示板にコピペ爆撃してやりますよ。遠隔操作中の端末に爆撃スクリプトを走らせますから」

 

 初春はハッカー特有の何をやっているのか分からない奇怪な動きでキーボードを高速で叩きまくる。訳の分からないコマンドプロンプトがいくつも立ち上がっては高速でログを垂れ流しては消えてゆく。初春は凄いソフトを使って凄い技術で凄いことをしているのだ。感じ感じ。

 

「それ、法的には大丈夫なんですの? 犯罪者はともかく、一般の人を巻き込むわけでしょう?」

 

 黒子はそんな初春を胡散臭気に観察しながら引き気味に訊いた。

 

「違法もなにも、人権も法律もありませんからね、この街には! 学園都市は無法地帯だって、正しい認識を持たせてあげましょう。科学者に飼い馴らされた"モルモット"には丁度いい薬じゃないですかね」

「やれやれ……あなたが最初からそれくらいの気概で挑んでれば、とっくに一方通行は逮捕出来てたでしょうに。何だったんですの、昨日のあれは」

「む、蒸し返さないでくださいよ……! 私は自分の罪を悔い改めてるから、こうして本気になってるんじゃないですか!」

 

 全ての処理が完了したらしいダイアログ・ボックスが立ち上がる。初春は訳知り顔でにやりと笑うと、エンター・キーをやはりターンとこれ見よがしに打鍵(う)ち放なった。

 爆撃スクリプトが稼働―――ふざけた顔をした初春が中指を立て証拠動画のあるURLをファックしているAA(アスキー・アート)が、全世界の掲示板を猛烈な勢いで埋め尽くしていく。初春にとってスクリプト爆撃はお花の種蒔きと同じだ。短縮URLからトロイ・サーバーを経由させ、ブラウザの脆弱性を突いてネットリテラシーの無い一般人の端末を初春の子供達として鍛え直すのだ。

 ちなみに自分の顔を使ったのは、ハッカー特有の自己顕示欲の表れである。どうせばれている。隠れても仕方ないのだ。

 

「わたくし達、本格的にテロリスト扱いされますわね……」

 

 口を開けた初春のAAにイラっとしながら黒子は呟く。すご腹が立つのだーーごく控え目に表現して。

 

「ジャッジメントですよ、白井さん。"私達"がジャッジメントなんです」

 

 初春は黒子の苛立ちを無視して断言する。断言するに足る根拠がどこにあるのか黒子には甚だ疑問だったが、初春は自身満々に言い切ったのだ。

 

 

◆ 8月16日 午前8時00分 第3学区 とあるシティ・ホテル ◆

 

 

 朝の第3学区では、外部から取材に入って来た大量のマスメディアが対テロ警戒に当たる警備員(アンチスキル)に足止めを食らい、苛立った記者やカメラマンたちの怒号がそこら中で鳴り響いていた。美琴の宿泊しているホテルにも外部から来たエリート気取りの報道スタッフがそこら中の応接ソファーで踏ん反り返っていた。併設カフェも遅めの朝食客でにぎわっている。サンドイッチ一皿で貧乏学生の一週間の食費が賄えるくらいの値段がする店だ。

 そんな騒がしい朝のホテルに、不自然なまでに無表情な少女がやって来た。彼女の常盤台中学の制服を目撃した記者たちが、中心から順番に凍り付いてゆく。普通に暮らしている人間が一生にそう何度も体験できる種類ではない迫真の緊張が、雑音を薙いでホールに張り詰める。誰か一人が唾を飲み込んで沈黙を侮辱すれば、次の瞬間には全員が腸をぶちまけているかも知れない。

 その女は、誰がどう見たって御坂美琴だったからである。

 美琴と寸分違わぬ姿の妹達(シスターズ)は、戦慄する記者たちに目を止めることなくフロントへ向かう。フロント係の女の子は、テロリスト相手だと言うのに、多少緊張してはいたが丁寧に頭を下げた。地獄の沙汰も金次第、いわんやなんとやらである。

 

「御坂様、お帰りなさいませ」

「おはようございます、とミサカは爽やかな朝の挨拶を返します」

 

 それでもやはり恐怖心には勝てないのか、彼女は崩壊一秒前のダムを前にしたような引きつった愛想笑いを浮かべた。

 

「申し訳ありませんが、ミサカは部屋の鍵を紛失してしまいました。後ほど全額弁償いたしますので、直ちにスペア・キーを戴けませんか? とミサカは謝罪風脅迫であなたに迫ります」

 

 佐天を匿っているなら鍵を預けて出る様な真似はしない、と御坂妹は踏んだのだ。現に御坂美琴はフロントに鍵を預けていない。

 普段のフロント係なら小言の一つでもぶつけてやりたい客の不始末だが、今回ばかりは恩と引き換えに命を確保できると思ったのか、これ幸いと部屋のキーを金庫から出して、震える手ででカウンターに置いた。

 御坂は無表情で微笑むと、鍵を摘まみ取ってエレベータ・ホールに向かってさっそうと去ってゆく。金色の鍵には、部屋番号がはっきりと刻印されていた。御坂美琴の宿泊している高層階のスイート・ルームの番号が。

 

「お姉様(オリジナル)の居場所を特定完了。これよりミサカ10032号は、お姉様暗殺作戦に移行します」

 

 

◆ 8月16日 午前8時03分 第3学区 とあるシティ・ホテル ◆

 

 

 混じりけの無い白熱の祝福の中、2人の少女は半分脱ぎかけた常盤台中学の制服を纏い、体熱が空気に溶けるまでじっと抱き合っていた。美琴の額を源流とする塩の小川は、薄い桃色の谷を越えて白い丘を下り、透明な雫となって涙子の胸元へそっと落ちて行った。シルクハットをかぶった謎のキャラクターがプリントされている涙子の下着は、繰り返される洪水によって氾濫原と化しており、これ以上は一滴も水分を含むことは出来なくなっていた。染みだした塩水は涙子の鎖骨を堤防として透き通った淡いピンク色の塩湖を形成していた。

 その豊かな大地は、かつてイスラエルの民が寄留し奴隷とされていた忌まわしくも懐かしきナイルの緑を思い起こさせた。肌色のきめ細やかな砂の道を辿り、川の源流をいくら遡って行っても、山らしきものを見つけることができない。19世紀、ブリテンの民がヴィクトリアの泉を見つけるまで、ナイルの源流は神秘に満ちた秘境であったのだ。ほとんど錯覚に近いくらい仄かに盛り上がった2つの丘のちょうど真ん中には、細やかに磨き上げられたピンク・コランダムの宝石が2つ、生まれたての恒星のように饒舌に光り輝いていた。

 エジプトは決して不毛の砂漠ではない。いかほどに起伏の乏しい緩やかな流れであっても、主はナイルの流れを偉大なる海まで止めることは決してなさらなかった。かの地をヤコブの子ヨセフに任せ、イスラエルを飢饉から救い、自ら救世主となって地上に降りるその日その時まで、ユダとベニヤミン、レビの血脈を絶やしてはならなかったからだ。そして幼少時のイエスも、自分の地位を脅かすメシアを恐れ殺害しようとしたユダヤの王ヘロデから逃れるために、エジプトの豊かな地へと寄留したのだ。かつてイスラエルとなったヤコブがそうしたように。

 アスワンの湖面は大きく波打って、統一された意志が水底から全部救い上げて純白だったシーツへと消えてしまった。白かったはずのシーツには、宿命的な真紅の鮮血が、失われた古代文明の残した遺跡のように散りばめられている。美琴は涙子の上から降りてその赤に指先で触れると、かすかな横顔で涙子に微笑みかけた

 

「美琴さん。能力の方は、どうですか?」

 

 涙子は体ごと横を向くと、目線に現れたピンクの宝石を見上げながら思い出したように呟いた。

 

「のうりょく」

 

 美琴は穏やかな笑みを浮かべたまま、鼻歌交じりで口ずさんだ。それから涙子と向き合った美琴は、両足の間に手を差し込んで、太ももの内側を指先でツンツンとつつきだした。涙子はその手に指を絡めると、ネオジム磁石みたいにくっ付いてくる美琴の手を自分の体から引き放し、2人の中間地点に固定して、改めて美琴の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「《御坂さん》、能力ですよ!」

 

 美琴は一瞬泣きそうな顔をしたかと思えば、涙子が次の瞬きした時には、にへっと顔中が溶解寸前の笑みを浮かべていた。

 

「あ、ああ……能力ね。そうだった。そのためにしたんだっけ」

 

 満開の桜色で頬を塗布すると、美琴は涙子の手をするりと振りほどいて、指を彼女の長い黒髪の間にすっと通した。自分の物だったヘアピンを身に着けた少女の黒髪をうっとりと愛おしむ。結婚したのだ、と美琴は思った。死が二人を分かつまで、彼女達の絆は切れることがないのだ。もしも離れるようなことがあれば、すなわち神への反逆なのである。美琴は自分が大いなる宇宙創世の摂理によって涙子と結ばれていることを実感した。そして彼女はこういったのだ。

 

「レ(・)ベ(・)ル(・)な(・)ん(・)て(・)、(・)ど(・)う(・)で(・)も(・)い(・)い(・)こ(・)と(・)じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)」

 

 それから美琴は涙子の唇に口づけをした。本(・)当(・)に(・)ど(・)う(・)で(・)も(・)よ(・)か(・)っ(・)た(・)の(・)だ(・)。美琴はいつの間にか、学園都市という被造物の作った箱庭で一喜一憂していたかつての自分に別れを告げていた。今や美琴は、彼女達の新しい世界と、創造主にしか定めることのできないキリストの福音に従って動き始めたのだ。

 それは唯一なる主が聖定めた運命であり、エルヴィン・シュレディンガーが本当に求め続けた真実という原理に基づいた世界なのだ。教理と教会の呪縛を脱ぎ捨てた真なるキリストの御光によって世界が浄化される日、シュレディンガーの猫は主の栄光と共に復活するのだ。誰も猫を箱に閉じ込めることはできない。そして、無意味な実験を繰り返し生命を冒涜する悪魔(サタン)の喉元を、研ぎ澄まされた光の牙で食い破るのだ。一切の慈悲はなく、一瞬の猶予もない。だから……

 

「レベルなんて、どうでもいいことじゃない」

 

 美琴は唇から1ミリメートルのところで囁きかける。吐息は涙子の喉奥にある声帯をじわりと湿らせ、音は体内の敏感な粘膜を細かく震わせる。震えは涙子の体を内部から丁寧に愛撫してゆく。その甘い疼きは、涙子の口からため息に鈴の音を乗せたような喘ぎを零れ落とした。

 

「もう、美琴さんったら」

 

 涙子は目を泳がせながら早口で呟いた。

 

「だって、涙子が可愛いから」

「私なんかより美琴さんの方が可愛いし美人ですよ」

「違うもん。涙子の方が可愛いもん」

 

 美琴は再び唇を前進させたが、涙子が勢いよく顔を背けたので頬に接吻することになった。

 

「美琴さん」

 

 涙子は幾分硬い声で美琴の名前を呼んだ。彼女は別にキスを拒絶したかったわけではない。かすかな物音に気を取られて入口の方を向いたのだ。

 ある意味では、白井黒子や初春以上に見られたくない人物が、ダブル・ベッドの上で繰り広げられる、半裸の少女たち公開レズ・ビアンショーを、若干の妬みを込めて睨み付けていた。誤解していたとはいえ、別の個体であれ、佐天涙子は彼女たちの処女を奪ってしまったのだから。

 ミサカ10032号、今の彼女に与えられた名前だ。

 

「――――処女喪失のお祝いに、これを」

 

 無機物に近い瞳を向けるミサカ10032号は、真紅の薔薇の花束を2人に差し出した。廊下の花瓶から引っこ抜いてきたものだろう。聖母マリアのもう一つの象徴は、冒涜者の手によってキリストが流した鮮血のごとく紅く燃え上がっている。

 美琴といえば、招かれざる妹を全く無視……というよりもこの騒動にまだ気づいていない。抵抗する涙子の両手での妨害を突破して、唇の間に舌を突き入れようと試みている。

 

「ミサカからのご祝儀です」

 

 事態は美琴の計画を待たない。その日は盗人のようになってくるのだ。

 10032号が放り投げた薔薇の花束が、部屋中の酸素を吸い込んで燃え上がった。目の眩むような光と音の爆風。戦術仕様の超電磁砲を花束ごとぶっ放したのだ!

 巨人が大槌でホテルを側面からフルスイングでぶったたいた。室内の空気は端から端まで一点に圧縮される。音速の20倍にも達する超高温高密度の光の砲弾は、絵画も花瓶もテーブルランプも一切合切巻き込んで時空間まるごとを消滅させた。

 涙子は血の気の失せた顔で絶叫している。いや、厳密には声なき声で力なく叫んでいるだけだ。爆風を人間の声帯で震わせることなどできやしない。

 塵一つまで発狂したスイート・ルームで、美琴は警戒する素振りすら見せない。

 反応できないのではない――――しないのだ――!

 涙子が大きく開けた口に舌を突き入れると――、その右手はプラズマの土石流を薙ぎ払った。

 あっさりと、蚊でも振り払うように。

 鋼鉄の暴風が壁面を触れるだけで消し飛ばす。重金属の残像は閃光の尾を靡かせながら天へと突き抜ける。感情を表そうとしない10032号も、原因と結果の整合性の取れない現実に目をひん剥く。2発目をスカートのポケットから引き抜いて装填した、反射的に。しかしトリガーは引けない。実戦で培われた動物的直観が警告を発しているのだ。ミサカは親指のレティクルを合わせたまま生唾を飲み込んだ。

 

「――空間中の誘導体(レール)に新たなレールを強制接続、弾道を反らしたのですね、とミサカは推定します。ですが原理が分かればミサカにも……」

 

 今のお姉様(オリジナル)に電磁砲が通用するわけがない――10032号には、いや彼女でなくたって理解できた。相手は、絶対能力(レベル6)。完全なる奇襲攻撃となった初弾を、いともあっさり落としたのだ。子供だって分かる、勝てるわけがない。

 だが――撤退の理由には足りない。9982人の妹達は勝算が1%もない一方通行(アクセラレータ)に挑み、殺されたのだ。ましてや純粋な戦闘能力においてなら、10032号は御坂美琴に勝るとも劣らない。相手は所詮ただの中学生、こちらはプロの戦争屋だ。そのうえ、お姉様(オリジナル)は自分を敵とは見做していない。一方通行とは、真逆の理由によって。

 

「あは……あはははははははは……」

 

 涙子はベッドの上で笑いながら涙を零す。安堵、興奮、恐怖、あらゆる感情が短時間に一斉に入力されたせいで、表情筋への神経伝達が混乱しているのだ。

 

「涙子! 大丈夫、怪我しなかった?」

 

 美琴は媚びた上目遣いで、涙子の頬を撫でまわしながら言った。意識の片隅にすら、妹の姿を捉えていない。

 

「ええ……なんとか大丈夫です」

「ほっ、よかった。涙子が怪我なんかしたら私は……うえーん!」

「ちょ……泣かないでくださいよ美琴さん。あたしならこの通り、ぴんぴんしてますから」

「ちょっと触って確認していい?」

 

 返事を待たずに胸に手を伸ばす美琴。さっきの攻撃でからからに乾いたブラに触れる寸前、佐天涙子の左手が美琴の手首を捉える。

 

「ダメですって美琴……《御坂さん》! あの子、百合妹達(妹さん)ですよね。私たちを狙ってるっぽいですよ!」

「御坂さんって言った! 涙子、どうしてそんな他人行儀な呼び方するの!?」

「そろそろ頭を切り替えてくださいよ! あたし達何のためにエッチしたんですか!」

「何のためって……涙子が好きだからに決まってるじゃない」

「そう言ってくれるのは嬉しいですけど……って違いますって御坂さん!」

「ほらまた! 名前呼んでくれなきゃ返事しないもん」

「うへぇ……」

 

 通用しないことは分かってるとはいえ、砲口を突きつけられている涙子の冷や汗は止まらない。唯一守ってくれそうな美琴がこの調子なのだ。

 

「な……名前を呼び合うのは、二人だけの秘密ってことにしません?。二人っきりの時だけ、名前で呼ぶってのはどうです?」

「二人だけの秘密……!! いいわ、るい、佐天さん!」

「………………」

 

 ミサカ10032号への放置プレイが続く。彼女は自分に残る姉殺しへのもやもやとした気持ちが、なんだかもうすっかりと消えてしまったのを感じた。

 

「この泥棒猫……とミサカはかわいい妹から恋人を奪ったお姉様(オリジナル)を罵倒します」

 

 第2射――一瞬の白が世界を塗りつぶした後、3人は青空の下で対峙していた。美琴の部屋がまっ平らな屋上になってしまったのだ。ホテルの上部は鉄筋ごと気化して雲の中に溶け込んでしまった。幸いテロリスト乱入に際し、フロントが宿泊客をひそかに避難させていたので死者や負傷者は出ていない。とはいえ今の美琴ならば、ホテル全館の電気使用量どころか、人間由来の電磁波を探知することも容易い。人間は一種の電磁体でもある。誰もいないことを知ったうえで受け流したのだ。

 美琴は今度は佐天の前に立ちはだかり、彼女に向けて超電磁砲(レールガン)を放った女を睨み付ける。

 

「泥棒猫。それ、あんたよね。あたしの部屋で、佐天さんの寝込みを襲ってレイプしたそうじゃない。どう落とし前付けてくれるわけ?」

「ですから御坂さん、そんなこと言ってる場合じゃないと思うんですけど……」

 

 口を挟む佐天を手のひらで制し、美琴はヤンキー丸出しの乱暴な顔で妹を睨みつける。反論は許されないのだ。

 

「佐天さんはミサカのことを愛しています。ミサカが超能力者(レベル5)になっているのがその確たる証拠です、とミサカは証明を終了します。Q.E.D.」

「はぁ? そんじゃ佐天さんは初春さんや黒子のことも愛しているっていうの? あの2人にも能力は発動したんだけど」

「はい。佐天さんはビッチなので、とミサカは佐天さんのお股の緩さを指摘します」

「ちょっと……どういうことよ佐天さん!」

 

 美琴は矛先を佐天に向ける。矢面に立たされることにいまいち納得がいかない佐天は、2人の御坂美琴を見比べてジャパニーズ・スマイルでお茶を濁す。

 

「えぇ……あたしですか? あたしのことはいいじゃないですか! 今問題なのは絶対能力進化(レベル6シフト)計画のことで……」

「答えなさいよ佐天さん!」

 

 美琴は追及の手は緩めない。美琴の関心事はもはやくだらない学園都市の陰謀ではなく、佐天涙子の浮気だけなのだ。

 

「あのその……つまりですね、人間愛ですよ! あたしって結構博愛主義なところあるじゃないですか。重福さんとかも迫られたらつい答えちゃうんですよ」

「重福? 誰よその女……あっ! あのストーカーね! 佐天さん、今後は二度とそういうことしないで。もしも私以外の女に色目使ったら、《そいつがどうなるか》、分かってるわよね?」

「御坂さん……顔怖いですよ……てゆーか、あたしは御坂さんの妻ですよ! さっき神様に誓ったばっかりなのに! ですから、そうじゃなくてですねぇ! 絶対能力進化(レベル6シフト)計画はどうなるんですか!」

「さっきからしつこいわね、佐天さん。今さらそんな計画が何だっていうのよ」

「はい、些末な問題です。と、ミサかは不本意ながらお姉さまに同意します」

 

 強いビル風が吹き上げて相対する二人のスカートを巻き上げた。ミサカ妹の目に入るピョン子は、無慈悲にも涙を流している。ミサカ妹の額に一筋の汗が流れ落ちた。お姉様(オリジナル)が妹達(シスターズ)に手を出せないだなんて大嘘だ。戦いの構図は、クローン対オリジナルから、一人の女をめぐる女と女の修羅場へと変わり果てているのだ。

 

「うーん、ということは、御坂さんの絶対能力(レベル6)到達をもって計画は中止になったってことですか?」

 

 佐天は知ってか知らずか保身のためか、あえてくだらない問題に固執する。

 

「いいえ。このミサカは佐天さんをお姉様から取り戻すために参りました。しかし、それは建前にすぎません、とミサカは告白します」

「でしょうね。誰があんたに佐天さんを渡したりするもんですか。ふざけた実験に巻き込むだけならまだしも、あんた達の慰み者にするつもりなんでしょ」

「ですがお姉様、佐天さんの協力がない場合、予定通り残り10018回の実験が行われます。最小の犠牲を望むのでしたら、佐天さんを私達にお貸し頂いた方がよろしいかと、とミサカはお姉様の良心に訴えます」

 

「だから、《終わった実験》のことなんて、持ち出してくるんじゃないわよ」

 

 美琴は低い声で素っ気なく言い放つ。予兆。周囲の粒子がにわかに帯電し始める。青白い火花が2人の間に現れては消え、ぶつかってはバチバチと爆ぜる。カラカラに乾いた熱風が佐天の黒髪の隙間を通り抜けた。

 

「一方通行(アクセラレータ)は殺す。統括理事会も潰す。ついでにあんた達を助ける。でもね……」 

 

 美琴はコインを一枚引き抜いた。助けると言っておきながら砲撃を放とうか理解不明な行動に、さしもの10032号も困惑に身構えた。しかしミサカ妹は姉の超電磁砲を恐れてはいない。絶対能力になったところで、美琴の弾頭はアルミニウムのコインでしかないのだ。音速の3倍以上の負荷はかけられない。ファイティングポーズをとるミサカ妹。姉直伝の対超電磁砲戦術はすでに習得済み。美琴の攻撃など、襲るるに足りないのだ! 

 

「涙子はぜーったい誰にも渡さないんだもんんんん!」 

 

 そして美琴は、コインを思いっきり妹に投げつけた。ポケットから次々とコインを取り出し、手当たり次第に投げつける。愛すべき妹に金属の塊を投げつけるという姉にあるまじき鬼畜の所業。それでも許せないのだ。この無表情な妹が、自分の横で佐天の体を好き勝手にしていたことだけは!

 

「お姉様こそ、何の権利があって佐天さんの体を独り占めするのですか、とミサカは断固抗議します。可愛い妹に譲りなさい」

「佐天さんに触れていいのは私だけなの! どうしてもってんなら、この私をミサカ・ネットワークに接続して、リアルタイムで感覚を共有することね。それくらいは許してあげるわ。あんたも知っての通り、常盤台の御坂美琴ちゃんは、妹思いの素晴らしいお姉様だから」

 

 無い胸を張って美琴は言い放つ。10032号は口元を歪めて奥歯をゴリゴリと噛みしめた。

 

「不可能だと知っているくせに、とミサカはお姉様の欺瞞を暴きます」

「できないと思うからできないのよ! その捻くれた根性、叩きなおしてあげるわ!」

 

 美琴は10032号が投げ返してきたコインを放り投げて、頭上に向けて今度こそ超電磁砲を連発。完全におふざけだと思って油断していた佐天が、悲鳴を上げながら耳と目を塞いで地面に頭から飛び込んだ。ことごとく砕け散ったコインが、微小なアルミニウム片となって空中に拡散。それらは磁力によって連結され、ドーム状の天幕となって屋上を覆う。

 

「さて、これで真面目な話ができるわね」

「はい、お姉様」

 

 2人は突如、テレパスでも放ったかのように神妙に頷き合った。終わった計画も、終わらせなければ終わらないのだ。

 

「で?」とだけ言って、美琴は続きを促した。

「"心して目を覺しをれ、汝等その時の何時なるかを知らぬ故なり"」

 

 10032号はドヤ顔で聖句を引用すると、床の佐天に向かってウィンクをする。気付いた美琴が視線上に立ちふさがった。

 

「いつ?」と美琴はぶっきらぼうに急かす。

「本日の夕刻、第2次実験です。10031号と一方通行の戦闘開始を持って、ミサカ達の対学園都市反攻作戦、最終戦争(クローン・ウォーズ)が発動します」

「ちょっと待ってくださいよ! 妹さんは初めから反乱を起こすつもりだったんですか?」

「ホサナ、とミサカは歓喜と共に主を讃えます」

「いや、答えになってないんですが……」

 

 佐天は美琴が差し出した手に捕まって立ち上がり、スカートの煤を軽く払った。

 

「ミサカ・ネットワークの安全装置を解除するために、お姉様たちの力が必要です」

「あたしにできることがあればなんでもやりますよ!」

「必要なのは佐天さんではなく、初春飾利(ハッカー)と白井黒子(テレポーター)です」と10032号は冷たく言い放つ。当て付けだ。

「私達の役割は分かってるわ。まずは初春さんと黒子に合流しましょう。佐天さん、説明はそれからよ」

 

 ミサカは頷きながら、震えだした右手を押さえつける。アルミニウムの結界は一時しのぎにすぎないらしい。忌まわしき電磁波はミサカの意識を浸食し、人の子を獣へと貶めようとしているのだ。

 

「鎮まれミサカの右腕……と、ミサカはお姉様たちを殺そうとするミサカの暗黒面(ダークサイド)を自己説得します。早く行ってください、ミサカが狂気に呑まれる前に。と、ミサカは中二病全開で2人を急かします」

「どうにも緊張感がないわね」

 

 美琴は肩をすくめると佐天のおしりに手を当て、ひょいと救い上げる。佐天が口を開く前に、有無を言わせず地面へと飛び込んだ。真昼の彗星が一筋流れ、東の空に御使いのラッパを吹き鳴らした。 

 

 

◆

 

 

「『の幻想を殺す』……と。ビリビリ、待ってろよ。今にお前の幻想を殺してやるからな!」

 

 上条当麻は激怒していた。第7学区の惨劇を引き起こしたのがあのビリビリ中学生であったというニュースが、彼らの頭上で繰り返し流れていたからだ。無実の自分に向かって致死性の電流を放つ御坂、負けたのが悔しいというだけで人を殺そうとする女、いつかこういう日が来るかもしれないと考えるべきだったと、上条は自分を責める。自分ならば、この悲劇を止められたはずなのだと。

 今からでもビリビリを殴りにいかねばならない。群衆を前に讃美歌を歌い始めたインデックスを放置して公園を出てきたものの、見覚えのある建物はどこにもなく、方向感覚すら掴めない。GPSを頼りに常盤台中学の女子寮へたどり着いたものの、残っているのは廃墟だけ。そんなところに美琴がいるはずもないのだ。呆然と立ち尽くしていると、携帯が尻を震わせた。

 

「土御門……か」

 

 番号を伝えていないのだから、御坂美琴からかけてくるはずもないのに、期待を裏切られたような気がして上条はため息をついた。

 

「やっと繋がったにゃー。カミやん、これは安全な回線かにゃー?」

「はあ?」

「安全な回線かと聞いてるんだぜい」

 

 自分のクラスメイトらしき隣人の男は、能天気な調子で切り出した。らしきというのは、上条が夏休み前の記憶を失っているからだ。この緊急時にギャグか本気か分からない謎の男に、上条は理不尽とは分かりつつも無性に腹が立った。

 

「知るかよ! それよりテメェ、朝から義妹放ったらかしてどこ行ってやがった!?」

「……舞夏に何かあったのか?」

「お兄ちゃんが行方不明なのだーって泣き喚てたぞ」

「心配いらんにゃー。カミやんから無事だって伝えといてくれ」

「今お前が使ってるその機械は何だ!? 自分で連絡しやがれ!」

 

 上条は吐き捨てる。シスコンの分際で妹を放り出して何をやっているのかと説教したかった。インデックスを棚に上げて。

 

「それはそうとカミやん、ちょっと真面目な話があるんだわ。カミやんにも関係ある話ぜよ」

 

 土御門は何を警戒しているのかボソッとした声で呟いた。

 

「御坂のことじゃないだろうなっ!?」

「それも一要素ではある。とりあえず俺のバイト先まで来てくれないか? この回線は盗聴されてるかもしれん」

「俺達の会話を盗み聞ぎするような物好きが居るのかよ。まあいいぜ、話だけは聞いてやるよ」

「頼むぞカミやん」

 

 いよいよ自分の出番が来たとばかりに決意を込めて回線を断ち切った後、上条は土御門のバイト先など知らないことに気付いて、すごすごと折り返し電話をかけた。

 

 

◆

 

 

 学園都市と外の科学技術は30年程度の開きがあるとされるが、こと医療技術に関しては世紀単位で進んでいると言えよう。何せ人体実験を一切躊躇しない連中なのだ。おかげで一方通行のIII度の火傷は、わずか半日で完治してしまった。

 退院した一方通行はいつものモノクロTシャツに着替えて街に出た。第7学区の大半は廃墟と化していた。廃墟の上空を悠々と泳ぐ飛行船は、犯人が御坂美琴と初春飾利なる反学園都市テロリストだと告げていた。その通りだ、と一方通行は納得した。美琴がDNAマップを提供しなければ、彼が第7学区を破壊することはなかったのだ。自分だけが悪いのではない。むしろ主犯は御坂美琴だと言っても過言ではない。

 広大な第7学区は、全てが灰燼に帰したと言う訳でもない。一方通行はどの部分が破壊を免れた区画かもちろん知っている。自分がよく使うコンビニもその区画にあった。一方通行も考えなしに破壊行為に及んだわけではないのだ。彼の日常に必要なものは、巧妙に破壊を免れている。

 武装無能力者(スキルアウト)の連中が、そのコンビニに押し入って店員に銃を向けていた。他の連中は商品を片っ端から袋に詰め込んでいる。警備員(アンチスキル)が救難活動に掛かり切りになっている間に略奪を行っているのだろう。

 一方通行は平然とコンビニに入り奥のリーチインショーケースへと進んでいく。通路上に居たスキルアウトの何人かは、無残にもうめき声をあげて床に倒れ伏した。

 

「能力者か……」

「はァ?」

 

 頭が天井にまで届きそうな大男が、一方通行の前に立ち塞がる。そのゴリラのような大男は、一方通行に敵わないことを動物的直観で見抜いたのか、彼に敵意を向けていた他のスキルアウトに銃を降ろすように指示した。

「俺達は確かに略奪者だ。だが……好きで略奪している訳ではない。組織が保有していた資産は昨夜の地震で全て消滅し……スキルアウトは学園都市内の銀行に口座を開けない。警備員(アンチスキル)や風紀委員(ジャッジメント)に頼ることも出来ない……略奪以外に……我々が食料を得る手段がない……この借りはいずれ返すつもりだ……見逃して欲しい……」

 

「消え失せろ三下。山で自殺するのが弱者の尊厳だろうが」

 

 一方通行は大男が持っていたツナマヨおにぎりを分捕って、オープンケースに戻した。とある経団連の名誉会長は、『楢山節考のおりんさんは、最後、山に死ににいきます。そこには、貧困の中での人間の尊厳があります』と言う言葉を残した。彼は『貧乏人は金持ちの権利を守り、山で自殺すべきだ』と言いたかったのだ。

 物わかりの悪いスキルアウトは貧乏人のくせに生きようとしたので、一方通行に"説教"されてしまうことになった。コンビニを血で汚さないように丁寧に死体を始末し店の外に放り出す。それから冷蔵庫にあるコーヒーを片っ端から買い物かごに詰めて、図らずも救ってやった店員の前にドンと置いた。金髪にサングラスをかけて身長は180cmにも届きそうな長身の男。一見スキルアウトの残党にも見えたが、コンビニの制服を着ているし大量のコーヒーをちまちま1つずつバーコードリーダーに通しているので、店員で間違いなさそうだ。

 

「1万9800円になりますにゃー」

 

 一瞬聞き間違いかと思ったが、コンビニの店員がどんな口癖だろうがどうでも良いことなので、一方通行は黙ってポケットから2万円を置いた。そのままレジを離れようとする。一方通行にとっては200円の釣銭よりも、釣りを貰うための時間の方が損失なのだ。だがその奇妙な店員は、袋に伸ばした一方通行の手首を掴んだ。礼でも言いたいのだろう、と一方通行は仕方なく振り返る。

 

「お客様、少々よろしいかにゃー?」

「礼も釣りも要らねえ。早く手を放せ気持ち悪い」

「まあ聞け、一方通行(アクセラレータ)」

 

 男の口調が変わる。この男、つい先ほどまで略奪を受け、目の前で人が死んだと言うのに平然としすぎていた。学園都市じゃ死体を見ることなど日常茶飯事だが、それにしても異常な落ち着きようだと、一方通行はいぶかしむ。

 

「……ァ? オマエ今俺の名前……」

 

 実験の関係者かもしれないと、一方通行は蟻の触角の先端レベルの友好的表情を浮かべた。だとすれば自分がこのコンビニを使っていることも知っているだろうし、待ち伏せしていても不思議ではない。そんな回りくどいやり方をする連中に心当たりはなかったが。

 

「悪いことは言わん。実験から手を引け」

 

 当ては外れる。その男、土御門元春は、一方通行の手を握ったまま、サングラスの下から神をも畏れぬ思い上がった高慢を除かせたのだ。

 

「……ほォ。いい度胸してンじゃねえかオマエ。この俺に触れるってことが何意味してンのか、知ったうえでの台詞ですかァ?」

 

 関係者以外で実験のことを知っているからには、御坂美琴の仲間かそれに類する人間の可能性が高い。実験外の出来事に対する殺しのライセンスは得ていないが、先ほどのスキルアウトの死体に放り込めばバレやしない。一方通行は男の血流に意識を向けた。はたから見れば男同士手を握り合っているだけだが、男が地獄の門の入り口で銃口を突きつけられているのだ。

 

「誤解するな。これは善意からの忠告だ。御坂美琴は既に絶対能力(レベル6)に到達している。いくらお前(最強のレベル5)でも、絶対能力(レベル6)になった超々電磁砲(スーパー・レールガン)には適うまい」

「三下……命が大事ならそれ以上喋らねェほうがいいぞ」

 

 絶対能力(レベル6)なる妄言を訊いた瞬間に男を殺さなかったのは、服を血で濡らすのは面倒くさいと思い直したからだ。妹達(シスターズ)が超能力者(レベル5)になった理由を一方通行は知らない。おそらくミサカ・ネットワークを応用した分散コンピューティングではないかと一方通行は推測していた。あるいは同じような手段で、美琴(オリジナル)が絶対能力(レベル6)に到達しても不思議ではない。自分を出し抜いてあんな弱者が絶対能力(レベル6)に到達したなど、冗談でも許されない。

 この男が御坂サイドであろうが、妄想に囚われたパラノイアであろうが、一方通行には実験をやめる気などさらさらない。仮に美琴が絶対能力(レベル6)になったとして、反射膜を突破できない限り負ける余地はないのだ。あと数十人ばかりの妹達(シスターズ)を殺せば、一方通行も絶対能力(レベル6)に到達するのに、どうしてやめらるだろうか。

 

「……わ、悪かったにゃー。お詫びにこのコーヒーは奢ってやるぜい」

 

 男は一方通行の凶悪な目つきに竦み上がると、一度受け取った2万円を握らせる。たかがコーヒーの100本やそこらで買収できるとでも思っているなら、自分がどれほどの闇に足を突っ込んでいるのか自覚していない。一般人と同じだ。一方通行は男への興味を失い、軽く反射を発動して男の手を払い飛ばした。弾き飛ばされた男の手はショートホープとマルボロに突き刺さって有害なアルカロイドをレジ裏に撒き散らす。

 

「こちとら夏休みにバイトなンぞやってる貧乏人と違って、金にゃ不自由してねェンだよ。これ以上余計な事言いやがったら、マジにぶっ殺すぞ」

「そンなにオラついてると女の子にモテないぜい?」

「悪ィな、今日も女と約束しちまってンだよ」

 

 米袋2つ分ほどのコーヒーが詰まった袋を指先ひとつで持ち上げ、一方通行はコンビニを去る。絶対能力(レベル6)、それは彼が到達しなければならない無敵の世界。昨日対峙した美琴は、同じ超能力者(レベル5)とは思えないほどのシケた能力者だった。戦闘経験を積んだ妹達の方がまだ手ごたえがあったくらいなのだ。あの程度の三下に先を越せるわけがない。ありえるはずがない。

 

「……くれぐれも御坂美琴(レールガン)を甘く見るんじゃないぜよ。お前には文字通り世界の命運が掛かっているんだにゃ」

「はっ、くっだらねェ。世界ってのはいつからそンな安物になっちまったンだ」

 

 一方通行は自動ドアのセンサーに向かって吐き捨てると、袋から一缶引き抜いてキンキンに冷えたブラックコーヒーを一気飲みし、アデノシン受容体に拮抗薬(カフェイン)を送り込んだ。

 




上条「瓦礫と化した学園都市。破壊の首謀者に仕立て上げられた御坂美琴は行方をくらましたまま。このままじゃ御坂と学園都市との全面戦争が始まっちまう。それはともかく土御門、お前は一体何を知っているんだ? 次回、百合審判(ジャッジメント)。科学と魔術が交差する時、物語は始まる――!!」
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