※この作品はR-18です。

とある佐天の百合洗礼《レズテスマ》   作:エステル

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第2話 定温保存《サーマルハンド》

◆ 窓のないビル ◆

「何が起こっているアレイスター。これもお前のプランだと言うのか?」

 

 土御門元春が懸念するのも無理はなかった。樹形図の設計者(ツリー・ダイアグラム)による天気予報は「予報」ではなく「予言」である。その予言が、目に見える形ではっきりと狂わされていた。本日午前、学園都市の瞬間最高気温が、60度を超えた。数十分間の出来事だったとはいえ、ヒートアイランド現象の域を超越していた。普通でない力が働いた明白な証拠だ。広大な学園都市の気温をこれほどまでに操作できるのは、3つ手段が考えるだろう。1つは科学の力。学園都市の科学技術をもってすれば、 短時間の局地的気候操作くらいは不可能ではなかった。しかしながら、街全体を巻き込むほどの大規模な実験ならば必ず告知されるし、ただでさえ熱い夏の学園都市に、さらにうんざりするほどの日照りをもたらすことに莫大な予算と人員を抽出する意味も見当たらない。少なくとも彼のプランについて知っている者からすれば。第二に、もう一つの科学。すなわち、超能力だ。温度操作系の能力者と言えば、代表的なのが定温保存(サーマル・ハンド)。しかし学園都市全体の気温を60度まで上げるとなれば、超能力者(レベル5)でなければ不可能。7人しかいない超能力者の中で、直接的にそれが可能な能力者は居ない。間接的な手段で実行すれば、必ず大規模な痕跡が残るはずだ。だとしたら、考えられるのは三番目しかなかった。魔術だ。

 

「どこの魔術師だ。何の目的でこんなことをした?」

 

 アレイスターは土御門の詰問を聞き流しながら愉快そうに笑う。正確には、土御門にはそう見えたというだけの話だ。この男にそんな感情が残っているのか、彼には分からない。

 

「私は思わぬ収穫を得たのかもしれないな。あれを上手く手なずけることができれば、プランは9割9分短縮することができる」

 

 予期せぬ不吉さに土御門は戦慄した。学園都市の存在が、アレイスターの計画のためでしかないことは土御門も承知している。にもかかわらず、彼の口から出た返答は、「未知」であった。しかも、彼にとって好ましい形での。

 

◆ 数日後 ◆

 

 下校中の初春はかつてないまでに興奮していた。身体検査(システムスキャン)の結果、初春飾利の能力は大能力者(レベル4)に格上げされたからだ。尤も、その結果を初春はまるで受け入れられなかった。自身の能力、定温保存(サーマル・ハンド)が成長している実感は何一つない。出来ることと言えば、相変わらず自動販売機から出て来たヤシの実サイダーを冷たいまま自宅へ持って帰ることくらいなのだ。

 とはいえ、ここまで現実と乖離した結果を再確認しないほど学園都市という機関は適当ではない。その上誤差といえる範囲を大きく逸脱しすぎている。すなわち――一時的にしろ――初春は確かに大能力者(レベル4)に到達していたのだ。

 

「うーいーはー……」

 

 能天気な佐天の声が後ろから迫る。初春は反射的にスカートを押えそうになった。しかし、数日前に経験した例の突拍子もない光景が頭に過り、両手であわてて口を塞いだ。

 

「るっ♪」

 

 ふぁっさーと布の擦れる音。初春の白い太ももを隠していた薄い紺色のカーテンが、天高く舞っていた。口を押えていたせいで悲鳴も上げられない。

 

「今日は淡いピンクの水玉かぁ♪」

 

 晴天と薄ピンクのコントラストは、晴れ渡った空に実によく映える。周囲の生徒たちから騒めき声が挙がる。初春の露出したパンツは、彼らの視線を釘付けにする。老若男女、教師も生徒も通行人も誰一人の例外もなく、まるで自然の節理のように!

 

「んーんんーんー!」

 

 口をふさいだままの初春は声にならない抗議の声をあげながら振り返る。佐天は絵にかいたような満面の笑みで微笑んでいた。

 

◆

 

 佐天と初春は、三越デパート前の植え込み脇にあるベンチで一休みしていた。

 

「はぁ……酷いですよ」

「ごめんごめん調子に乗っちゃって。代わりに私のパンツいる?」

「いりませんよっ! もう、佐天さんは」

 

 初春は先ほどのスカートめくりについてずっと抗議をしているのだが、まさに暖簾に腕押しと言った具合で佐天はまともに取り合おうとしない。いい加減に諦めたのか、大きなため息を吐き出した。

 

「そういや、どうだった?」と佐天は唐突に話題を変える。

 

「どうっ……」

 

 羞恥心の中にはまり込んでいた初春の意識が、ふいに引き戻される。何気なく聞かれた質問だったのに、初春は不自然なまでに黙り込んでしまった。佐天が聞いたのは身体検査《システムスキャン》のことだ。自分がレベル4になったことを、無能力者(レベル0)である友人に告げるべきか否か、瞬間的に脳内会議が開催されてしまった。

 佐天涙子が無能力者であることにコンプレックスを抱いていることは、今さら思い返すまでもない。初春にとって、佐天がレベルアッパーに手を出し昏睡した記憶はまだ新しい。口では気丈に振る舞っているけれども、彼女の中で完全に問題が解決しているとは初春にはまだ思えなかった。初春が佐天を信用していないからではない。佐天が弱い人間だからでもない。どれだけ取り繕ったとしても、学園都市において能力とは絶対的価値であるからだ。受験生にとっての合格証書であり、求職者にとっての内定であり、外の全ての人間における金のようなものだ。能力こそ学園都市を規程する奇跡(システム)であり、考え方ひとつでどうとでもなる価値観ではないのだ。

 

「露出プレイのことじゃなくて、身体検査(システムスキャン)のことなんだけどぉ?」と佐天はにやにやといたずらっぽく笑いながら言う。

「分かってますよ……」

 

 初春は煮え切らない言葉を返して俯く。佐天は初春の顔を覗き込むようにして隣に座る。2人の荷物が置いてある方ではなく、わざわざ初春との直に接する側に回り込んで。真夏だというのに太ももをぴたりとくっ付ける。明らかに不自然で2人にとって初めての体験なのに、佐天はさも毎日繰り返してきたかのように自然にやってのけた。

 

「あちゃぁ……もしかして悪いこと聞いちゃった? あたしみたいに無能力者(レベル0)に落ちちゃったとか」

 

 佐天はさりげなく初春の左手の甲に自分の右手を重ねながら言う。初春が左手を引き戻そうとすると、まるで生体電流を読み取ったかのように指を絡め、自分の膝の上に持って行き押さえつけた。初春はちらちらと伏し目がちに佐天の顔色を伺うが、そこの浮かぶのは無色透明な笑顔。対して初春の頬は、夏の暑さとは起源を異にする内部からの熱によって赤く染まっている。この小さな敗北感が、おそらくは初春に小さな反逆心を抱かせたのだ。

 

「それが……その……レベル……ぉ……です」

 

 初春は消え入りそうな声で佐天に反抗する。

 

「ごめん、よく聞こえなかった」

 

 佐天は平坦な口調でそう言うと、唇が触れ合いそうな距離まで顔を近づける。挑発的なまでに中立的な微笑は、初春の鼓動が高まったせいで彼女の言葉が聞こえなかった、とでも糾弾しているかのようだ。

 

「私、大能力者(レベル4)になってたんですっ!」

 

 初春は佐天を押しのけるように立ち上がり、絶叫した。佐天のシャンプーの匂いが付いた風がふわりと初春を包み込む。 

 

「えっ……うえぇえええ!」

 

 佐天は素っ頓狂な声をあげると、ベンチに倒れ込んで大袈裟に手をバタバタとさせる。でも驚く振りをしているだけなのは、その過度に演技じみたコメディカルな動きからありありと伝わってくる。はなから本気にしていない。

 

「で、ホントのところはどうなの?」

 

 佐天はカンフー映画のように足の勢いだけで身を起こしてから――速度が早すぎたために、スカートの間から見える白い布と空に浮かぶ雲の区別がつけられない――、初春をからかうようないつもの軽快な口調で訊いた。初春は佐天の天真爛漫な顔を一瞥すると、気怠そうにベンチに座り直して溜息を付く。

 

「本当なんですよ。でも佐天さんに信じて貰えなくても仕方ありません。私だってまだ信じられないんですから」

 

 初春は抑揚のない声で言った。しばらくはやれやれと呆れた感じで肩をすくめていた佐天だが、初春の顔があまりに微動だにしないので、徐々に表情が凍り付き始めてしまう。初春は積極的にボケるようなタイプではないのだ。

 

「えっと……それマジ?」

 

 佐天は目を細めて言った。口調に幾分真剣味が混じっている。

 

「嘘です♪ ……と言いたいところですが本当です。多分測定ミスだと思うんですけど……」

 

 初春は鞄から診断結果を取り出す。今度は佐天が沈黙する番だった。守護神《ゴールキーパー》と恐れられる初春が、自作のセキュリティを突破して『書庫』にクラッキングを仕掛けたのでなければ……初春はレベル4の大能力者なのだ。

 

◆ 数日後、柵川中学 ◆

 

 夏の強烈な西日にはちょうど雲が覆いかぶさり、ほんの少しだけ季節を押しとどめている。そんなある日の放課後。佐天涙子は職員室前の壁にもたれかかってクラスメートを待っている。セーラーの隙間からわずかに下腹部が露出し、時折通りかかる教師や男子生徒から卑猥な目線を送られてくる。佐天は男の下衆な劣情を気に掛けるでもなく、虚ろな目で天井のシミを数えていた。

 初春が担任に呼び出されてからかれこれ30分は過ぎただろうか。ようやく彼女が職員室から姿を現した。その目は爛々と輝き、頭上の花畑は今まさに見頃と言った感じで満開。

 

「それで、話って何だったの?」

 

 佐天は一抹の不安と共に口にする。これまでの事情と初春の様子から考えて、彼女の返答はある程度は予測できる。おそらくは、佐天にとっては複雑な感情を引き起こす答えだ。

 

「て……転校ですよ! 佐天さん、私、あの常盤台中学に転入することになっちゃったんです!」

 

 ほらね、と佐天の脳内に自嘲的な声が響き渡った。そもそも最初から住む世界が違ったのだ……なんてことを改めて突き付けられたよう。喜ばしいことのはずなのに、佐天の顔はこわばったままで、友人の朗報に笑顔で答えられない。

 低能力者(レベル1)と無能力者(レベル0)の間には決して超えることの出来ない壁がある……佐天は改めて苦汁を飲まされる。ましてや大能力者(レベル4)など、佐天にとっては雲の上の存在。常盤台の超電磁砲(レールガン)こと御坂美琴らと接するうちに、上位能力者への偏見こそ解消されたが、……だからといってコンプレックスが払拭される訳ではない。美琴に「佐天さんは別よ」と慰められても、何が別なのか、佐天には今だに分からないのだ。スキルアウトと自分の違いは、良識の有無だけではないのだろうか。そして善悪なんてものは、学園都市においては殆ど何の意味も持たない。平気で子供を実験台にする連中がうようよいる町なのだ。もしも美琴や白井黒子が居なければ……今ごろ佐天は凄惨な死を遂げていたであろうことは容易に推測できる。力がなければ、この街で何かを為すことなど出来やしない。

 

 ――初春の見たこともないような喜色満面は、その圧倒的現実を、抉り込むように佐天に突き刺した。

 

「そ……そっか……そうだよね。良かったじゃん……」

 

 それでも佐天は、震える声で祝福の言葉を紡ぎ出す。素直に喜んでやれない自分の惨めさ。自分だけ置いて行かれたような寂しさ。あらゆる感情がごちゃ混ぜになって、神経伝達物質が暴れ狂っている。平常心はそう長く保てそうにない。

 

「白井さんと御坂さんにもお知らせしておかないと! 私もついにお嬢様の仲間入りですよー!」

 

 憧れの常盤台生になれる感激で、初春は完全に舞い上がっていた。佐天の声色や表情を気に掛けるでもなく、頬を紅潮させ無邪気に目をキラキラさせて、両手を自分の胸の前で組む。佐天は体の奥底から湧き上がってくる黒い感情を、歯を食いしばって必死に押しとどめる。親友を祝福できないなどあってはならない。親友? 初春は果たして親友なのだろうか。かつて御坂美琴に自己紹介した際、『初春のクラスメートの佐天涙子です。ちなみに能力値は無能力者(レベル0)でーす』と皮肉全開に言ってしまったことが思い返される。後者を言った理由は明らかだが、前者は? なぜ素直に『友達』という言葉を使わなかったのだろう。自分に敬語を使う他人行儀な初春に対する抗議だったのか。あるいは……友達と言いたくなかった理由があったのかもしれない。

 それに大能力者(レベル4)になった初春を妬む気持ちを押えようとするこの心は、一体何だろうか。御坂美琴との交流を通じて成長した結果だろうか。違う。佐天には違うことが分かっている。ずっと前から分っている。この気持ちはもっと個人的(パーソナル)で、現実感(リアリティ)を伴ったもの。そう、つまり初春に対する……

 

「うぃ……」

 

 佐天が口を開こうとしたその時、雲間から強烈な西日が差し込んだ。くっきりと映し出される初春飾利の満面の笑み。ああ、やっぱり自分は言う訳には行かない、佐天は口を真一文字に結ぶ。それでも押しとどめられない感情が、涙となって勝手に溢れ出してしまう。こんな顔を見せる訳には行かないのに。

 

「佐天さん……!? す、すみません、私、佐天さんの気持ちも考えずはしゃいじゃって……」

 

 みるみる内に青ざめる初春。しかし、この世の誰が佐天の流した涙の理由を勘違いせずにはいられようか。

 

「ごめん初春、あたし先に帰る」

 

 初春に自分の気持ちが分かるわけがない……そう思ってしまった佐天は、居てもたってもいられずに初春の前から駆け出す。だが初春の背後で踏みとどまった。最後にやっておかなければならない。もう二度とやることが出来ないかもしれないのだから。

 

「うぃ―――!」

 

 舞い上がる紺色の布。露わになる青白の縞パンと透き通るような白い太もも。それらは鮮やかな映像として世界に投射され、瞬間的に記憶情報へと昇華する。初春という概念が、佐天の体内に刻み込まれていく。不可逆の化学反応。それは圧倒的な啓示のようで、佐天には抗う術など残っていない。

 

「はぁ―――――!」

 

(この社会(せかい)が、ストレート(アンタ)の作った常識(システム)の通りに動いてるってんなら―――――)

 

 佐天は伸ばした一指し指を思い切り舐る。まるで男性器でもしゃぶる様に。

 

「――るぅうっ!!」

 

(――――まずは、その幻想をぶち破瓜(ころ)す!!)

 

 そして、佐天は初春の秘部を突き刺した。そこにあるピンクの亀裂、さらにその奥にある不可侵の聖域。佐天の人差指が、それをあっさりと挿し貫いた。本当、今まで何でこんなものを守っていたのか笑いたくなるほどに。あっさりと、愛液に濡(ぬ)れたティッシュペーパーでも突き破るように。

 

「きゃぁぁぁああ―――!」

 

初春の絹を裂く悲鳴を背に、佐天は廊下を全速力で走り去った。

 

 

◆

 

 

 体の真ん中に残る違和感を引きづりながら、内股で寮の自室まで戻った初春。居てもたってもいられずに、洗面所に駆け込む。汗ばんでほんのり湿った下着をずり降ろした。青と白のストライプ柄には、三色目がうっすらと加わっていた。ほんの少しだが、確実に、血液が付着していた。恐る恐る膣口に指を当てると、乾いて黒ずんだ血の欠片が、爪先に挟まっていた。

 処女喪失。必然的に思い浮かぶ4文字。もちろん指を入れられたからと言って処女でなくなる何てことはない、そんな理屈は分かっている。だがそんなものは空論だ。指に付着した血液は、圧倒的な現実感を伴って圧し掛かる。なぜ自分がこんな目に合わねばならないのか。理不尽さへの怒り。無垢でなくなってしまったことへの絶望。初春はその場にへたり込んで、自分の血で汚れたパンツを握りしめる。

 こんなことになったのは……誰のせいだ。佐天涙子。初春のクラスメート。だが奇妙なことに、初春には佐天に対する怒りがまるで湧いてこなかった。それどころか、佐天の顔を思い浮かべた時、初めに連想したのは、自分の一番敏感な所に突き刺さった熱い指先の感触。たっぷりと唾液をまとい、初春の奥深くを愛撫したあの指。偶然最適な角度で侵入したからか、全くと言っていいほど痛みを感じなかった。

 気が付けば、初春は自分のパンツの匂いを嗅いでいた。そこに佐天の残り香があるかもしれないと思ったからだ。唾液……何千億もの雑菌が繁殖する不潔な液体。しかもパンツについているもの。頭では分かっているのに、口を押し付けて舌で味わってしまう。

 

「佐天さんの味……甘いです……」

 

 味なんかする訳がないのに、初春にはあの日味わったレモンキャンディーの甘酸っぱさが蘇ってくる。共感覚とはこういうものなのだろうか。体験したことのない切ない疼きが、体の中心から湧き上がってくる。怒る理由しかないはずなのに、一瞬だけ見せた佐天の涙が、堪らなく愛しく思えてくる。初春は勘違いなどしていない。どんな理由であれ、佐天は自分に転校して欲しくなかったのだ。涙を流すほどに、初春を求めているのだ。そう考えれば考えるほど、佐天の行為に怒るどころか、愛情すら覚えてしまうではないか。

 初春はかすれ声で佐天の名前を呼び続け……やがて右指は吸い込まれるように下腹部を目指して……

 

 けたたましい電子音に阻まれた。朦朧としていた意識が一気に現実に引き戻される。着信。相手は……佐天。震える指が、決心をする前に受信ボタンを押してしまう。佐天の緊迫した息遣いが、コーン紙を通しても伝わってくる。佐天は何度も息を吸い込んでは、諦めるように吐息を吹きかける。お互いの呼吸音だけが存在証明を果たしている。1分、2分……10分。時間だけが無常に経過する。初春は掛ける言葉が見つからず、ただ息を飲んで佐天の口が開かれるのをじっと待った。

 

◆

 

「責任、取るから」

 

 佐天の第1声。初春の脳裏に凄まじい速度で妄想が展開される。責任を取るとはどういうことなんだろう。お金で償うと言いたいんだろうか。それともそれとも……この先もずっと……。

 

「この先、あたしが原因で彼氏と上手く行かなくなったら、あたしが行ってちゃんと説明するから。だから何も心配しないで! 初春はまだ処女だよ!」

 

 佐天なりに考えたのだろう。初春にとって全く見当違いな答え。思わず吹き出す初春。両回線の間で、今にもちぎれそうなくらい張りつめた空気が、ぱっと弛緩した。

 

「佐天さん……私の男性経験を勝手に決めないでくださいよ」

 

「えぇッ!? 初春ってもう経験あるの!? い、意外……やることやってるんだねぇ」

 

「なに言ってるんですか! ありませんよ!」

 

「だ、だよねー。びっくりさせないでよ」

 

「もう……佐天さんは変なことばっかり言ってるんですから」

 

 アンジュ・パッセ。不意に訪れる沈黙。話題が途切れたからでも、言葉を紡ぐのに覚悟がいるからでもない。2人の間で共有された温かい休息。ほんの数秒の後、佐天は口を開く。

 

「ところでさ、さっきはホントごめんね」

「いいんですよ、全然気にしてませんから」

「そっか。でも責任取るってのは本気だよ。この先何があっても、地球の果てでも駆けつけて説明するね」

「そんな機会ありませんよ……」

 

 初春は少しだけ媚びるような声で呟いた。佐天が誠実という建前で、既成事実を有耶無耶にしようとしているように思えたからだ。

 

「あの時は取り乱しちゃったけど、改めてまして、おめでとう初春」

 

 佐天は相変わらずどこ吹く風で聞き流す。

 

「佐天さん……あの、私っ!」

「いいのいいの。私のことは気にする必要なし! 初春、ずっと憧れてたんでしょ?」

「はい……でも私、本当に能力が上がったかどうかも分からないですし」

「学園都市が太鼓判押してるんだから、行ってきなって」

「佐天さん……」

 

 何かがおかしいと初春は訝しむ。佐天はただ強がっているだけには聞こえないのだ。

 

「なに? あたしが居なくて寂しいの?」

「そ、そうじゃなくてですね。私は常盤台には」

「もー初春ってば。あんたはもうあたしが居なくても大丈夫。初春の成長を一番近くで見守ってたのはこのあたしだよ?」

 

 違和感。佐天は話を聞こうとせずに一方的にまくしたてる。先ほど通じ合えたと思ったのは、幻想だったとさえ思えるくらいに。

 

「ですから佐天さん! 転校の話はですね!」

「御坂さんたちなんて言ったたの? それより祝賀会いつにしよっか! 常盤台入学記念に、大能力者(レベル4)昇進記念も兼ねてるから、盛大に祝わないとね」

「佐天さん、私の話を聞いてくださいってば!」

 

「ごめん、初春! 今天ぷら揚げてるの。手が離せないからまた明日ね!」

 

 通話は切れてしまう。掛け直しても呼び出し音は鳴りっぱなし。メールを送っても返信はない。初春は溜まらず家に押しかけようとして――踏みとどまった。今押しかけても、きっと佐天は出てくるまい。興奮状態で話し合っても事態を悪化させるだけかもしれない。

 明日、佐天に教えてあげればいいのだ。自分は、常盤台中学には転校しない―――と。

 

◆ 翌日 ◆

 

 初春は教師の出勤よりも早く登校し、担任に固い決意を伝えた。校長や教頭まで交えた説得にも頑として耳を貸さず、常盤台中学への転校を拒絶したのだ。初春が常盤台へ転校するという噂は既にどこからともなく広まり、昨日の今日にもかかわず柵川中学では一面トップを飾る大ニュースとして生徒たちの話題に上っていた。加えて職員室に来た生徒が初春の行動を知ったのだろう。口が羽よりも軽い女子中学生たちの間には、電流のようにニュースが流れてしまっていた。当然、佐天が登校するよりも早くに。

 一人で教室に入ってきた佐天に、丁度その話題で盛り上がっていたアケミのグループが駆け寄ってくる。

 

「涙子ぉー、初春ん常盤台行かないんだってー?」

 

 むーちゃんは好奇心丸出しで佐天に質問を浴びせかける。

 

「へ? 初春は秋から常盤台生だよ」

 

 佐天は意外そうな顔で、けれども断定的な口調で答える。

 

「でもみんな言ってるよ? 転校の話蹴ったって」

「もったいない! 私だったら絶対行くのになぁ!」

 

 アケミとまこちんが口々にむーちゃんの言葉を補強する。教室のあちこちからも、噂を肯定する声が漏れ聞こえてくる。佐天は今にもウルトラプリニー式噴火しそうなほど、小刻みにプルプルと震え始めた。

 

「みんな、意味わかんないことばっか言わないで。初春は常盤台中学に転校、」

 

「しませんよ」

 

 佐天の背後から、柔らかい初春の声。優しい響きだったのにかかわらず、佐天は幽霊にでも遭遇したみたいにびくりと戦慄する。佐天が振り向いてくれなかったから、初春はわざわざ回り込み、佐天の正面に立った。

 

「私、常盤台には行きません。佐天さんと、ずっと一緒です」

「何考えてんのよ……初春は大能力者(レベル4)なんだよ!? ちゃんと能力開発するためには、常盤台に行かなきゃ!」

「レベルなんかどうでもいいんです。私は佐天さんと一緒(柵川中学)の方がいいですからっ!」

 

 初春の宣言に、クラスメイト達の大歓声が巻き起こった。柵川の生徒たちは、多かれ少なかれ能力者へのコンプレックスを抱いている。そんな中で名門校よりも母校と友情を選んだ初春の言葉は、彼らの自尊心への狂おしいまでの肯定と捉えらえたのだ。

 もちろん初春にそんな意図は一切ない。彼女の瞳に映っているのは佐天涙子ただ一人。だがその佐天といえば、喜ぶどころか逆に初春を糾弾するように睨みつける。

 

「可愛いこと言ってくれちゃって―――――なんて言うと思った!?」

 

 佐天はわざと彼女にぶつかって突き飛ばすと、一目散に教室から走り去る。

 

「また逃げるんですか、佐天さん! 今度は逃がしませんよ!」

 

 後を追う初春。ジャッジメントで訓練を受けている初春よりも、足の長い佐天の方が速い。みるみる引き離されていく距離。佐天は上靴のまま昇降口を突破する。一方の初春は運動靴に履き替えてクラウチングスタートのポーズをとった。

 

「行きます!」

 

 制止する教師を無視し、クラスメートの囃し立てる声を背に、初春は全力で無断早退を開始した。

 距離が開いたとはいえ、佐天はまだ視界内。体力の差は装備の差によって徐々に肉薄する。佐天は一度も振り返らない。佐天は丁度やってきたバスに飛び乗る。

 ―――間に合わない。初春は辛うじてテールライトを掴むと、両足を揃えて左手を添えた。バスは走り出す。後部座席に座った佐天が、後ろを振り返えるのが見えた。佐天は窓の下を覗くことなく、座り込んで一呼吸付く。

 

 次のバス停で降りた佐天は、どうやら安心しきったようでとぼと歩きだした。初春は物陰に隠れながらこっそりと追跡する。向かった先は寮の自室。初春は佐天と歩調を合わせて足音を消し、背後にピッタリと張り付いた。佐天がドアを開けた瞬間――隙間に足を差し込み、がっちりと固定する。

 

「う……初春、なんでここに!?」

「今の私にだって、十分定温保存(サーマルハンド)を使いこなせてるってことです!」

 

 目を丸くする佐天。初春は佐天を部屋に引っ張り込んで、くるりと入れ替わって後ろ手でドアをロック、すかさずU字ロックも掛ける。廊下に尻もちをつく佐天。迫りくる初春から逃げるように部屋の片隅に這っていく。

 

「と、常盤台に行かないのはあたしのせいでしょ!? そういうのやだよ! 私は、初春の邪魔をしたくないの!」

「佐天さん、どうしてそんな風に考えるんです? 私は、自分がしたいことをやってるだけなんですよ」

「嘘だ……あんたはあたしに同情してるんだ。あたしは同情なんかして欲しくない! 初春にはすごい能力があるの、あたしとは違って!」

「またそんな風に卑屈になって……私がいつ佐天さんに同情したって言うんですか! 私の気持ちを勝手に決めつけないでください」

「ずっと憧れてたくせに。どうして自分に正直になれないの? あたしのせいで常盤台への転校を断るとかさ、そんなのバカじゃん!?」

 

 ドン! 遂に初春は佐天を壁に追い詰め、両腕で佐天の身動きを封じた。

 

「黙ってください」

 

 空虚な言葉ばかり並べたてる佐天の唇を、初春は噛みつくように塞ぐ。そのまま強引に唇をこじ開けて、自分の舌を突き入れて行く。口の中でさえ佐天は逃げ回ろうともがくが、逆に初春の舌を奥深くに招くだけ。荒い鼻息がお互いの肌を撫でる。佐天の舌は、やはりあの時と同じレモン味。初春は夢中になって味わい尽くそうと、佐天の舌を追い回しながら、口内のあらゆるところを舐め犯す。

 

「やめ……んんっ、ダメっ、だって……ういはるぅ!」

「何がダメなんですか! 責任取るって言いましたよね。佐天さんは私の処女を奪ったんですから、責任をとる義務があるんです!」

「だからそれはぁ……」

 

 佐天の声色がだんだんと切なさが帯びてくる。言葉とは裏腹に、自分からも求めるように舌を絡める。唾液が混じり合い、くちゃくちゃと淫靡な音を奏でる。唇を合わせただけの最初の口づけとは比べ物にならないダイレクトな快感。初春はその快感に酔いしれる。もっと早くこれを知っていればよかった……などと後悔を覚えるほどに。

 

「待って、初春! ちょっと待って」

 

 佐天は唐突に場違いに冷静な声で言った。

 

「いやですぅ……んちゅ……まち、ませんんっ!」

 

 ペースを乱された初春は、少しイラついた声で、再び佐天の舌を求めようとして……。

 

「初春、なんか焦げ臭いんだって!!」

「焼きレモンちゃんの匂いですよ佐天さん」

 

 佐天は初春の両脚を掴み、スカートのカーテンを潜って初春の拘束から逃れ、部屋を見回した。

 

「か……壁が燃えてるっ⁉」

 

 佐天がさっきまで居た場所から、もくもくと白い煙が上がっているのだ。初春は慌てて壁から手を離す。はじかれるように正気を取り戻し、数歩先にある台所へと急ぐ。佐天は洗面所に駆け込もうとしたが、思いとどまってドアの鍵を外しに向かった。

 

「うあっ! な、何ですかこれっ!」

 

 水を汲もうとコンロに置いてあったステンレス鍋に手を触れた瞬間、猛烈な勢いで燃え上がった。火はあっという間に天井に達する。

 

「佐天さん、消火器はどこです!?」

「持ってきたよ!」

「貸してください」

 

 破裂。初春の手にした消火器からドバドバと中身が零れ落ちる。炎は既に天井に燃え移り、表面を滑りながらあっという間に燃え広がる。

 

「なんで……」

「の……能力! 初春の能力だよっ!」

「わ、私は発火能力者(パイロキネシスト)じゃありませんよ」

「初春の触った壁から煙が出て、天ぷら油が燃え上がった! どう考えても初春の能力でしょ!」

「はっ……まさか発火点!?」

「あんたの定温保存(サーマルハンド)は、ちゃんと大能力者(レベル4)になったってことよ!」

「そんな……私のせいで佐天さんのお家が……」

「つべこべいってないで、早く外に! このままじゃ死んじゃう!」

 

◆

 

 消防車は間に合わなかった。佐天のアパートは全焼。2人は丸焦げになったアパートの前で、呆然と立ち尽くす。

 

「佐天さん……多分、私の能力じゃないですよ」

 

 初春はぼそりと、少しだけの失望と、大いなる希望を込めて呟いた。もしも初春の予測が当たっていれば、佐天にはとんでもない能力が秘められていたということなのだから。




上条「ようビリビリ。熱膨張って知ってるか?」

御坂「知ってるけど。それがどうかしたの?」

上条「物体は加熱する事で体積を変えるんだ」

御坂「だから知ってるってば」

上条「分かりやすい例が、ステンレスの流しに熱湯を捨てた時にベコベコ音を立てる、あれだ」

御坂「知ってるっつってんでしょうがぁぁぁぁぁ―――!」

上条「次回、『熱膨張って知ってる?』 科学と魔術が交差する時、佐天涙子の物語は始まる――!!」
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