とある佐天の百合洗礼《レズテスマ》 作:エステル
◆ 8月15日 夜 ◆
日が暮れると学園都市の治安は一気に悪化する。そこら中に
第7学区の路地裏。数日前から始まったマネーカードブームにより、都市の死角は生徒たちの目で塗りつぶされていた。しかしながら、
そんな地の底を想起させる殺風景な場所で、年端もいかない2人の少年少女が向かい合っている。一方は御坂美琴――今の彼女は学園都市の誰が見てもそう考えるだろう。少年にしても同じだった。白い髪に赤い目をした華奢な少年は、所定位置に佇む彼女に訝しんで眉を顰める。彼女には2つの物が足りなかった。1つはトレードマークの軍用ゴーグル、もう2つは少年相手に役に立った試しのない自動小銃。本日の実験台、ミサカ9982号は全くの手ぶら――少なくとも外見からは――に見えた。
他方、彼の名は
2人は会話をする距離でも、かといって無視できる訳でもない、居心地の悪い中途半端な距離で相対している。意識し合っていることは明白だったが、そこには好意や敵意は含まれていない。ただ向かい合い、共通の何かを待っている、そんな無関心な態度。共に電車を待つ乗客、あるいは待合室に居合わせた外来患者か。淀む沈黙を破ったのは、実験動物の機械的な声。
「現在時刻は20時58分、
準備運動なのか、首を左右にひねっていた一方通行が、斜め上を向いたまま、ぎょろりとミサカを睨みつける。
「ああン、
「諸事情によりシナリオが変更されました。これから私たちは、
楽しそうに、思い出し笑いをするかのように、人形が笑った気がした。いや――人形が笑っても不気味なだけだ。今までこの人間擬きを9981回虐殺してきた一方通行だが、一度も恐怖を感じたことなどない。ただ一方的に狩りを楽しんでいただけ。恐怖など感じる筈もない。にもかかわらず、彼の背中をぞくぞくとした震えが駆け上った。武者震いってやつか、と一方通行は感情を切り捨てる。
「勝手に他人の個人情報覗いてンじゃねェぞ陰険ストーカー女。呪いの人形かよ」
「呪いですか? 随分と非科学的なものを信じているのですね、とミサカは呆れます。やれやれ」
「はんっ、俺に殺されるためだけに存在する奴らにとっちゃ、生まれたこと自体が呪いみてェなもンだろうが。つーかよォ、オマエら
「詳細は機密事項につきお答えできませんが、あなたの倒すべきミサカは、このミサカを含め後65体です」
唇が三日月型に割ける。その意味は希望。このちまちまと面倒な解体作業が一気に短縮され
「……よくわかンねえがァ、楽しめるなら俺は大歓迎だぜ。今までの雑魚どもは……殺しがいがァ、無かったからよォ……!」
オラつきながら恐怖を煽る一方通行。ミサカには恐怖も諦めもなかったし、相変わらず自分の命に価値など考えていなかった。死んだところでいくらでも代替可能な肉体。しかしなぜだか、今日のミサカには妙な高揚感がある。
勝算だ。一方通行の能力開発データを調べ上げたミサカには、具体的な勝算があった。実験継続のためには彼を殺すことまで許されないが、不慮の事故により怪我をさせて延期に持ち込むことは許可されている。そうすれば、ミサカはもう一度佐天涙子に接触することができるのだ。
(なぜでしょう。他のミサカと佐天さんがあのような行為に及ぶことに、ミサカは胸のざわめきを感じています。ミサカは全個体と記憶を共有しており、ミサカの経験は他のミサカの経験でもあると理解してはいるのですが、とミサカは悩みます)
ありえないことだが、今回勝利して、あるいは次も勝ち、その次も、そのまた次も勝ち続けることが出来れば、とミサカは空想する。そんなことが実現するならば、佐天と何度でも行為に及ぶことが出来るではないか。
(佐天さんはこのミサカに好きと言ってくれました。ミサカネットワークの存在を知らない彼女にとっては、ミサカ全体に対する言葉に違いありません。ですが……その言葉を掛けてくれたのは、このミサカに対してだけなのです、とミサカは他のミサカに自慢します)
それにミサカは処女を奪われてしまったのだ。クローンだろうが一体18万円の命だろうが、ミサカが女の子である以上佐天に責任を取って貰わねばならない。責任を取らせるまで、死ぬ訳にはいかない。ミサカの貞操観念は
(負ける訳にはいきません。佐天さんはどのミサカでもなく、このミサカと結婚するのですから)
ミサカは決意めきながら唇を噛み締めた。これから戦う一方通行には、既に9981回殺されている。文字通り、万に一つも勝てない相手なのかもしれない。しかし――万に達するにはまだ"19回も"あるではないか。
「21時00分になりました。これより、第1次実験を開始します。被験者
ふわりと、ミサカは路地の間を天に向かって昇ってゆく。あんぐりと口を開けて、その姿を観察する一方通行。お人形さん遊びのクライマックスが、最適な角度で通過する。白と青のストライプに、縦長の黒模様。
「近頃の人形は空飛びやがンのか。ったく、時代の進歩ってのは早ええよなァ!」
一方通行は高笑いしながら、そこら中に落ちている小石や割れたビール瓶を蹴り飛ばす。明らかに狙いを外したゴミの弾丸。しかし彼の体に触れた瞬間、意志を持ったかのように空中のミサカを目指して飛翔する。ミサカは避けようともしない。宙に浮かびながら、一方通行の様子をじっと見下ろしている。
爆ぜる弾丸。四方八方へはじけ飛び、一発たりとてミサカを傷つけることはない。一方通行はしばし様子を伺うように頭上を見上げる。今までの人形どもなら、あの程度の攻撃でも軽く皮膚を突き破っていただろう。彼はくぐもった声で笑う。初の
「いいねいいねェ、簡単に潰れちまったら殺しかいがねェからよォ!」
屋上まで到達したミサカは、両手を地面に向けて差し出す。狙いは一方通行ではない、彼を挟む雑居ビルの壁面だ。
――瞬間、路地裏が白一色に染まった。
前後上下左右、全身に浴びせかけられる空間放電のシャワー。事前に壁面に電極を仕込んでいたのだろう。律儀に地面にまで設置している。一方通行を狙っている訳ではない。全ての電流を細かく制御しているためか、見た目の派手さに比して、威力はせいぜい家庭用電源の直刺しレベル。
「安全地帯から間接攻撃すりゃ反撃できないとでも思ってやがンのかァ? 今まで何学ンできやがった実験動物がァ!」
光は一方通行を中心に合流――頭上に撃ち上げられる! 雷が折れ曲がるのは、電気抵抗の高い空気中を突き破って進むためだ。だが空間放電により熱されプラズマ化した空気は、電流を通す砲身の役目を果たす。故に彼の放った電流は直線。束ねられた
ミサカは避けない。いや、避けられるはずがない。光速の三分の一で動ける人間がいるだろうか。動けたとしても、その瞬間ぐちゃぐちゃに潰れてしまう!
直撃。地面までも揺るがす凄まじい雷鳴。稲妻は天まで轟き、巨大な光の柱となってミサカを撃ち貫く。粉砕された窓ガラスが一方通行に降り注ぐ。もちろん彼に当たるはずもなく、砕け散って地面の肥やしになる。
「ほぅ……」
一方通行は感心したように笑う。光のやんだ屋上には、つまらなさそうに地上を見下ろすミサカの姿があった。
「
「面白れぇ……やっと面白くなってきやがったじゃねえか。モルモットが犬猫程度にはレベルアップしたってことかよ」
一方通行はその場に軽くしゃがみ込むような動きを見せる。飛ぶつもりだ、とミサカは目を細めた。彼の力ならば屋上まで飛びあがることは難しくない。今の彼には、直接ミサカに触れない限り勝ち目はないのだ。街中でビルごとぶち壊す訳にもいかないし、一般人を巻き込むような戦術も取れない。どこまでも追い回して殺すか、広い場所へ追い込むつもりだ。ミサカは屋上から路地を見渡し、事前に用意した逃走経路に従って、ビルを1つ越えた路地に向かって飛び込む。
(可視光線による測定距離と攻撃性電流反射座標の差により、敵体表面に展開された反射膜と体表面との距離を正確に算出することに成功。これよりミサカは、リストカット作戦の第2段階に移行します)
磁力制御で羽のように着地したミサカは、ポケットから砲弾をとり出した。
両手で指鉄砲を作って親指で砲弾を支え、照準を月へ向ける。どれだけ速かろうが、一方通行に反射された時点で死ぬのは自分。あくまで牽制の為であり命中させる訳には行かない。
「お姉様。
路地裏を真昼間が如く照らし出すフラッシュ。駆け上る閃光の軌跡。人間の目で追いきれる速度ではない。壁面が衝撃波で抉り取られる。それは砲撃と言うより実体を伴った雷。飛び込んだ一方通行の眼前を撃ち貫く極超音速の光弾。現に彼は雷撃での攻撃だと誤認しているくらいだ。ミサカの構える2発目の砲弾が目に入らなければ、超電磁砲だとは気づかなかったに違いない。今だプラズマ化した空気が滞留し、落下する一方通行にぶち当たって四散した。
「くこかかかか! 今のが第3位様のとっておきって奴かよォ! すげえじゃねえかオマエ。いっそ
着地寸前に放たれる2発目の
「そりァ、感謝するしかねェよな……俺に殺されてくれる可愛い可愛いお人形さンにはよおォ!」
一方通行は再び屋上へ飛ぶ。路地裏を追いかけても、立体的に動き、しかも小回りの利くミサカに追いつく術がない。手っ取り早く区画ごとぶっ潰す手もあるが、上の連中に何を言われるか分かったものじゃない――が、
「ンなこと俺が知ったこっちゃァーねえよなァ!」
ビルに手を突っ込む。このビルは動いている。禅問答ではない。実際に動いているのだ。地球の自転と公転だけではない。太陽系自体も銀河――さらに言えば銀河も動いている――を公転しているのだ。その速度は、音速の638倍。ミサカの超電磁砲など比べ物にもならない。宇宙の力をほんの少しだけその手に乗せて、一方通行はビルの操縦を開始する。
「ご通行中の市民の皆さンよォ! 悪りィがこの区画には通行規制を敷かせてもらった。早く立ち退かねェと、轢き逃げしちまうぞおらァ!!」
地中深くからごうごうと地鳴りが響き、どこにでもある4階建ての雑居ビルが根こそぎ地面を滑り始める。常軌を逸した光景。通行人たちは恐怖に絶叫しながら逃げ惑う。さながらパニック映画のワンシーン。ぶち当たったビルはぼろぼろに崩れて瓦礫の山となり、それでも強制的に変換されたベクトルに従って問答無用に前に突き進む。
「ぎゃはははははは!!! 出てこねえと学園都市ごとぶっ潰しちまうぞにゃンこちゃン! 保健所様が駆除にやってきてやったンだ。とっととしっぽを見せやがれェ!!」
既に攻撃と表現すべき事態ではない。もはや災害、天災と呼ぶべき災厄。一方通行はビルをオモチャのように振り回し、区画丸ごと瓦礫の山に変える。寸断されたガス管が次々と爆破炎上。同じくブチ切れた水道管が狂ったように水をまき散らして鎮火して行く。この下には少なくない人間が潰されているだろう。だが一方通行にはその程度のことどうでもよかった。実験のための尊い犠牲だ。研究者たちからすれば表彰物だろう。自分にこんな力が眠っていたことを思い知らせてくれたのだから。
「保健所に連れていかれた猫がどうなるか、知ってて言ってるのですか、とミサカは憤慨します」
瓦礫の山から半球状にスパークが炸裂する。中心にいるミサカは、一匹の猫を抱き抱えて一方通行を睨みつける。ぐったりとして、今にも息を引き取りそうだ。落ちてきた瓦礫にブチ当てられたのだろう。ミサカの感情の薄い目には、それでも静かな怒りが燃えている。
「見つけたぞメス猫ォ!!」
地面を踏みつけるだけで、崩れ落ちたコンクリート片が猛烈な速度でミサカへと飛んでいく。だがこの瓦礫は鉄筋コンクリートの山。氷上のスケーターが如く、ミサカは縦横無尽に滑り狂う。直線でも曲線でもない、予測不可能な奇妙な動き。さしもの一方通行も、狙いが定まらなければどうしようもない。
「はっはァ! ンだァその逃げ腰は。愉快にケツ振りやがって誘ってンのかァ!?」
「残念ながら男には興味ありません、とミサカは唐突にカムアウトします」
一方通行の周りをランダムに運動しながら回転するミサカ。その周囲にはやはり半球状の電撃が展開されている。戦おうともせず、磁力を利用してふわふわと自由自在に逃げ回るミサカに、一方通行は不満そうに声を荒げる。
「つっまンねェヤロウだなオマエ、ンな事やったって無駄なンだっつの分っかンねェかなァ。ってか。俺はこれから延々とオマエの悪あがきに付き合ってくってのか、ありえねェ!」
――妙だ。一方通行は訝しんで攻撃をやめる。猫を巻き込んだことに怒っているなら、なぜそんなものを展開しながら逃げ回る必要がある? 電流をまき散らした所で互いにダメージがないことは分かっているはずだ。なら、こいつは何のために放電しているんだ?
気が付いた時には遅かった。悪臭を嗅いだ瞬間、気の遠くなるような凄まじい眠気が一方通行を襲う。意識を引きちぎるような衝撃。この感覚は全身麻酔を受けるか気絶したことのある者にしか分かるまい。自分の意識が暴力的に押し潰される圧倒的感覚。
(はァン、なるほどね。オゾンって訳かョ?)
あの電流は酸素を分解するためのもの。あのジグザグ運動も単に攻撃を避けるだけが目的じゃない。余計な気流を起さないように計算して動いているのだろう。
酸素欠乏――一方通行は追い詰められる。肺では取り入れた空気と肺胞腔のガスとのガス分圧の差により、気体間での酸素交換が行われる。高い方から、低い方へと。故に体内のガスよりも酸素の少ない低酸素気体を吸い込むと、逆に体内の酸素が外へ出て行ってしまうのだ。低酸素気体とは、酸素が少ない気体ではない。酸素を奪う気体なのだ。故に一呼吸するだけで、肉体の酸素濃度は急激に低下する。その大部分を使用する脳への影響は、計り知れない。
「イイねイイね最っ高だねェオマエ! 訂正してやるよオマエきっちり俺の敵やってンじゃン! ははっ、退屈しねエな、流石に1万回もぶっ殺されてりゃ悪知恵の一つでも働くってかァ!」
一方通行は残った意識をかき集めて思い切り地面を蹴った。ミサカの行き先に立ちのぼる噴煙。無論この程度なら突っ切ることが出来た。だがミサカは距離を取ろうと外側を向く――こちらもだ。周囲すべてが濃密な土埃で満たされている。一方通行は攻撃のために放ったのではない。これは目くらましだ。どちらに逃げるべきか。一瞬の迷い、それが致命的な過ちとなる――!
「だ・け・ど。弱点が一つ!」
失われた視界から突如現れた白い男の手。ミサカの肩目がけて、死神の鎌が振り下ろされる! 直線上にしか動けない一方通行に、本来ミサカは捕まるはずなどなかった。勝機を前にした一瞬の油断、ただ一度のミスが、ミサカの命運を分けることになってしまう――!
「オマエが追いつかれちまったらこの作戦は失敗だよなァ!!」
ミサカは脅えるような、死の前に味わう激痛を恐れるような壮絶な表情を浮かべ――最後の電撃を放つ。そして一方通行が――ミサカの肩に触れてしまった。
「さァてそれじゃ敗者復活戦の問題です」
白い一方通行は嘲るように、
「俺は今『血』に触れている。血の流れに触れている。さて、この『向き』を、この血の『向き』を逆流させると、人間の体はどうなっちまうでしょうかァ? 正解者には安らかな眠りを♪」
高らかに勝利を歌う一方通行。が、ミサカ9982号の肉体ははじけ飛びも逆流もしなかった。興奮と暗さで、よく見えなかったのだ。一方通行が、自分が今何に触れているかを。ミサカの肩からは、もうもうと煙が上がっているではないか。
(……指に血が触れてない……? 何だサクサクしたこの感触。……こ、こいつ正気か? 自分の腕を高圧電流で焼き切りやがった……)
「あなたの力はその程度ですか、とミサカは主人公の成長を発奮するライバルのような台詞を送ります」
「ほざけ実験動物。なめた真似しやがって……」
だが、そんなもの一時しのぎにしかすぎない。少し手を動かして生きている皮膚に触れれば、あっという間にバラバラに出来る程度の命。もはや死んだも同然だ。一方通行の勝利を否定するものなど、ありえるはずがない。だから彼もまたミスを犯す。敵に余裕や迷いを見せることは、すなわち死と同義だというのに。
観念的な痛みに震えながら、ミサカはおずおずと一方通行の頬に手を添える。触れるか触れないか、ギリギリの位置。
「ンだオマエ。命乞いでもするつもりかァ?
残酷に笑う一方通行。確信の笑い。彼の中で戦いは終わってしまった。ミサカ9982号は、既に死んだ人間だと認識されてしまった――!
「命乞いではありません。計画通り、攻撃位置への誘導を達成した、とミサカは訂正を求めます」
ミサカは苦痛を忘れて、歓喜するかのように限界まで目を大きく見開く――
「さて、そろそろ反撃してもいいですか? とミサカはドヤ顔で言い放ちます」
一発、乾いた銃声がした。
同時に、ビクン……と一方通行の顔が弾き飛ばされる。
あらゆるベクトルを反射するはずの一方通行が、張り手の一撃を受けたみたいにミサカに殴り倒された。雷鳴の残響が瓦礫の山に啓示のように響き渡っている。人肉の焼ける忌まわしい臭いが立ちのぼる。ミサカのものだけではない。日本人にしては白すぎる肌に焼き付けられた、ミサカの黒い手形。一方通行の顔に浮かぶのは疑問だけ。痛みも熱さもない。それもそのはず、ミサカと同じく、痛覚神経ごと炭化し、頬がボロボロと崩れ落ちているのだから。白い肌よりもさらに白い奥歯が、狭い天井から覗く月光を反射して、割れた頬の隙間からきらりと光った。
「で……ンげ、き?」
一方通行はだらりと跪いて、うわごとのように呟く。頬に触れた自らの手に、黒焦げになった皮膚片がこびり付いた。ミサカは指を振り払い、茫然自失状態の一方通行を特に感情のない瞳で見下ろす。
「ミサカは新技、ミサカ流木原神拳を使用して攻撃しました。あなたにも電撃は通用するようですね、とミサカは自己確認します」
(クソッ……何をしやがった。俺の設定は間違ってね……ンならどうして電撃が反射できなかった?)
ミサカは動かなくなった一方通行から距離を取り、肩の不快感に顔をしかめた。勝つ為とはいえ、払った代償は小さくない。これだけのダメージを受ければ、能力使用にも影響が出るだろう。だが、それは向こうとて同じ。顔を半分黒こげにされて、正常な思考ができる程人間は丈夫にできていない。一方通行は、敗北したのだ。ミサカはクスリと、思い出し笑いを浮かべてしまう。
「やれやれ、残念ながら今の彼ではミサカには勝てませんねと、ミサカはミサカの能力を過小評価してしまった研究者の失態を追求します。あなたの熱傷はIII度に達しています。口裂け一方通行として学園都市伝説になりたくなければ、直ちに医師の治療を受けるべきです、とミサカは懇切丁寧に忠告します。治療のため実験を延期なさいますか? と、ミサカは、降伏の意思を確認します。降伏なさる場合、所定の手続きに基づき最寄りの医療機関へ送迎致しますが、いかがなさいますか? と、ミサカは重ねて問いかけます」
(
「ミサカは一方通行の回答を要求します」
しかし――一方通行は廃墟から立ち上がる。肉体を吹っ飛ばされたゾンビが、墓の下から起き上がる様に。ミサカには理解できない。彼は学園都市1位の貴重な人間のはず。これ以上戦えば最悪、死もありえるのだ。
「ククク……オマエ、バラバラになりてえようだなァ……ああンッ!? 殺してやるぜェ。9982体の中で一番むごい方法で虐殺してやらァ!」
叫びながら頬の肉をボロボロとこぼし、奇形の怪物と成り果てる一方通行。ミサカの額に一筋の汗が零れた。夏の暑さのせいじゃない、これは冷や汗だ。作戦は――失敗。ミサカは動かない猫をそっと地面に降ろす。戦いはまだ終わりそうにない。
「こ、このまま実験を継続してもよろしいのですか、とミサカは再度確認を取ります」
「ったりめえだろうが。まぐれで攻撃が当たったくらいでナニ勘違いしてやがる、腐れ人形がァアアア―ッ!」
再び爆発的に飛翔する一方通行。ミサカはフィギュアスケーターがごとく、磁力のスケートリンクを気ままに滑り、ことごとく攻撃を交わす。冷静になれば当たるわけがないのだ。
「承知致しました。ミサカは不本意ながら――
◆ 8月15日 午前0時1分 ◆
時は巻き戻り――本日未明。
初春の部屋にはところせしと段ボール箱が並び、布団1枚をおいては生活感のあるものは1つもない。住人を失いかけた部屋は彼女たち惜しんでいるのか、どことなく寂しさを醸し出している。今日は本来なら、黒子と初春が常盤台外部寮へ引っ越しを予定していた日。
部屋には1つだけ稼働している電子機器。初春のノートパソコンだ。ブルーライトが怪しく輝き、初春の眠気を吹っ飛ばしている。彼女は夕食の後からずっと、ピリピリした様子でPCに向き合い――戦っているのだ。
「初春、例の侵入者とやらは、まだ続けていますの?」
「はい。諦めの悪いサイバーテロリストです。いい加減に私に勝てないって気付いてるはずなんですが」
「カウンターテロリズムも結構ですが、寝不足はお肌の天敵ですの。私は引っ越しに備えてもう寝ますわよ」
黒子は盛大に欠伸をすると、初春に背を向けて寝転がった。次に初春が気が付いた時には、寝息を立ててすっかり眠り込んでいる。初春は画面の右下に目をやる。もうすぐ3時の夜食の時間だ。
ふいに侵入が止まった。この数日、あれだけしつこく攻撃をしかけてきたハッカーが、突如として回線を切断したのだ。今さら諦めるとも思えない。これが何を意味するのか……初春は直感的に理解する。奴は気が付いたのだ。初春が最初から防衛などしていなかったことに。敵の目的地に先回りして改竄を施し、侵入者に偽のデータを掴ませ続けていたことに。あるいは――その発信元がどこにあるのかに。
「――まずいです、このままじゃ!」
初春は電源ケーブルをぶち抜くと、髪飾りの中に隠した
パジャマを脱ぎ終わると……少し迷って黒子の制服を身に着ける。深夜3時だと言うのに、初春は家を飛び出して、全力で走り始める。こんな事もあろうかと、各所に注意深くトラップをまき散らしてきた。奴が計画を完全に潰すまで、今少しばかりの猶予があるはずだ。その間に……奴に対抗できる手段を得なければならない。
初春は夜の街を走りながら記憶にある番号に発信する。大して役には立たないだろうが、時間稼ぎくらいにはなるはず。
「警備責任者のカイツ・ノックレーベンさんですね」
「どなたです、こんな時間ニ。なぜこの番号を知っているのですカ」
「些末な事情です。今すぐ
「ふム、そのようなことはできかねますネ」
「何を悠長な……! 今まで誰があなた達を守ってあげたと思ってるんです? このままじゃ、血に飢えたテロリストがあなた達に辿り着くのは時間の問題です。数時間後には、みんな仲良く皆殺しですよ」
「なるほど、あなたでしたカ。ご忠告には感謝しまス。ですがこちらの問題は我々で対処いたしまのデ」
やはり連中は公的な対策を取れないらしい。当然だ、あんな実験を表沙汰にすれば、学園都市そのものが崩壊しかねない。しかし、これで連中も目が覚ますだろう。ただ防衛体制と整えてもらえば、彼らの役目は十分。あとは、信頼できる人間に電話を一本入れるだけ。初春は電話帳から黄泉川愛穂の名を探し――
そう、初春は知っている。黒子にすら告げていないが、初春飾利は侵入者の正体も、目的も、初めから終わりまで全部知っていた。彼女の名前は――御坂美琴。学園都市に7人しかいない超能力者の第3位、最強無敵の電撃姫の異名を持つ、常盤台の
上条「学園都市を破壊し続ける2人の