とある佐天の百合洗礼《レズテスマ》 作:エステル
◆ 8月15日 夕方 ◆
御坂美琴は、夏に浮かれる学生たちの間を縫うように歩いていた。ファミレスからホテルに直行して、そのままずっと出ずっぱり。茹だるような暑さの中、服に染みこんだ汗と埃で不快指数が振り切れている。
美琴は夜も明けぬうちから今の今まで、学園都市中の研究施設に片っ端からテロ攻撃を繰り返していた。だが――襲撃はことごとく失敗。まともに潰せたのは、夜の内に攻撃した2つの施設だけ。普段はさして有能とも思えない
キャップを深くかぶり、金のハートが3つ並んだ黒Tシャツに、オリーブグリーンのホットパンツ、一見小学生男子みたいなボーイッシュな変装。さらに髪をポニーテールに結んでいる。誰がどう見たって常盤台のお嬢様には見えまい。衛星の追跡を交わすため、この格好に着替えてから人込み紛れ今に至る。
問題は明らかだ。敵が、自分の動きを完全に予測していること。まるでどこを攻撃するか知っているみたいに、アンチスキルが駆けつけてくるのだ。計画関係者以外にはありえない。ならばこれまで攻撃した施設はどうして見逃したのだろうか。決まっている、敵の陽動にまんまと引っかかったのだ。最初から情報は間違っていた。美琴は彼女の助言に基づいた脅威判定を鵜呑みにして、今日まで攻撃を行ってきた。今なお無傷で残っている施設が、奴らの計画の本命に違いない。そして……おそらくは同一人物が、アンチスキルとジャッジメントを裏から操っているのだ。
くっだらない、と美琴は吐き捨てた。何が
こんな馬鹿げた計画を守ろうとしている奴もどうかしてる。実際の所、美琴は最初から怪しいと疑っていた。冷静に考えたら、動植物をも組み入れた惑星コンピュータなど無理がありすぎるからだ。虚数学区・五行機関の正体が"彼女"の言うように
とどのつまり、どこかの誰かが
さらに言えば、別に美琴は佐天に対し特別な感情があるわけじゃないし、嫉妬される謂れもない。部屋を一緒にしたのは、本心から佐天の安全を考えてのこと。ただ――佐天を抱き枕代わりに寝てみたら温かくてやわらかくて肌触りが良くてぬいぐるみより断然気持ち良かったとか――あの形の良い胸を直に触って照れさせてみたいとか――
◆
そろそろ日が暮れようとしている。これ以上動いても、何の成果も得られそうにない。自分の攻撃を読み切ってアンチスキルを動かしている元凶を取り除かなければ。唯一にして最大の問題は――そいつがジャッジメント、体制側の人間だと言うこと。それだけじゃない。百合幻想計画自体も学園都市が裏で進めている可能性が高い。この街にとって、どう考えても敵は御坂美琴、彼女自身であった。
美琴はまとまらない思考を持て余しながら、繁華街を無為に歩いている。どいつもこいつも夏に唆された呆け顔でくだらない会話をしている。あの流行りの曲かっこいいとか、あの服ほしい、とか。
「ま、それが普通よね」
狂ってるのはどちらだろう。学園都市の闇を知らない連中か、それとも学園都市相手にテロ行為を繰り返す自分なのか。
「あれぇー、御坂さんじゃないですかー!」
背後から能天気な声がかけられる。ありえない。この変装が一発で見破られたこともそうだが、なぜ彼女がこんな時間に外を歩き廻っているのだ。ただでさえ夏の夕暮れは治安が悪いのにだ。
美琴は振り返って佐天涙子の姿を見止める。自分の抱えている闇とは正反対の透き通った笑顔。清純な長い黒髪に品の良い目鼻立ち。常盤台の制服を着ていると、自分よりよほどお嬢様らしい。
いつもより妙に血色がよく、露出した肌が夕日をキラキラと跳ね返している。ただ――普段なら癒されもするだろうが、今日ばかりは彼女の無垢さに苛立ってしまう。だいたいレベル0の無能力者のくせに、少しは自分の立場というものを弁えられないのだろうか、とさすがの美琴も呆れかえる。
「佐天さん、悪いけど今は話している時間がないの。門限も近いし、今すぐ寮に帰りなさい。というか、昼も勝手に出歩かないでって言ったはずよね」
自分を棚に上げて、突き放すようにとげとげしい言葉を投げつける美琴。しゅんとなるかと思えば、佐天は意外にも怒ったように眉をひそめる。
「な……何ですかその反応! さっきはいきなりろ……」
佐天は言葉に詰まり、みるみるうちに頬を紅潮させ、
「路上接吻行為を強要して来たくせに! やだもう!」
自分の体を抱きしめながらくねり始める。美琴に向ける媚を含んだ視線。黒子と同じ――いやもっと具体的。黒子にあるのは願望100%の邪な嬌態。だが佐天の瞳に宿るのは、経験を共有する者に向けた共感の眼差し。ある種の確認作業……例えば恋人の名前を無意味に呼んだりするような。
――手遅れ。美琴の脳裏を絶望の二文字が掠める。足元から脳天へと、巨大な羽虫が這い上がるような悪寒が這い上がる。この反応、
「……何ですって? 佐天さん、もう一度お願い」
美琴は念の為に、佐天の目を見て問いただす。自分がよほど怖い顔をしていたのか、佐天から表情が消えて一気に青ざめてる。あと一歩押せば泣きそうなくらいに。自分のせいで佐天にこんな顔をさせていると思うと、美琴に吐き捨てたいほどの嫌悪感がこみ上げる。それでも有耶無耶にするわけにはいかない。
「えっ……本気ですか? 御坂さん……とぼけるつもりですか!? 『ミサカは佐天さんと高濃度身体的接触を開始します』とか言って、あたしが腰を抜かすくらいキスして来たでしょ! その後トイレに連れ込んであんなことやこんなことまで……もにょもにょ」
目を逸らしてもごもごと口ごもる佐天。嘘にも冗談にも見えないし、レズ行為が嫌いと宣言した美琴にこんな嘘を吐く理由がない。美琴は思い切り両拳を握りしめた。
「……まさか、あいつらッ!? いつ! いつ私とキスしたの!?」
「いつって……どういう意味です? ……それとも誤魔化すつもりですか」
「答えなさい佐天さん、私がいつあなたとキスしたのかを」
「嘘すよね……嘘吐いてるんですよね。御坂さんはどうしてそんな嘘つくんですか……」
佐天は今にも零れ落ちそうな涙を瞳一杯に溜める。健気に唇を噛み締めるが、決壊した感情を押しとどめる程、佐天の涙腺は強くない。瞼を乗り越えた透明な雫が白い頬を流れる。泣き顔は見せまいと俯いて顔を隠す佐天。美琴はそんなこと構いもせずに、肩に手を置いて無理矢理佐天の顔を上げさせ、目を合わす。
「いいから答えなさいって、言ってるでしょ!」
叱りつけように叫ぶ美琴。佐天の内部で衝突する怒りと好意。正反対の感情が濁流となって佐天を突き動かす。結論は生体電気となり、筋肉を急激に収縮させる。振り上げられる啓示めいた右手。
美琴には一瞬何が起きたのか分からなかった。頬が突然熱を持ちヒリヒリと痛んだ。あの従順な後輩が自分に手を上げるなど、どうして美琴に想像できたろうか。
「好きって言ったくせに……。あたしのこと好きって言ったくせにっ!」
通りの向こうまで響き渡った絶叫。野次馬根性丸出しの通行人が一斉に振り返る。美琴からすれば全く見当違いの冤罪なのだが、説明する訳にもいかないジレンマ。無関係な後輩にはこんな狂った計画に関わって欲しくない、と美琴は佐天の理不尽な憤りを甘受する。
「ついさっき別れたばっかりじゃないですか! まだ10分も経ってませんよ。今さら気が変わったとか言いませんよね? それとも、都合が悪くなると記憶にない振りをするんだ。最低ですよ、御坂さん!」
美琴は佐天を解放、よろめいた佐天に手を差し出したが、彼女は足を踏ん張って美琴の手を払いのけた。遠巻きに冷やかす野次馬どもを電撃で睨みつける。
「こうしちゃいられない……」
計画は既に開始されている。美琴の鼓動はコーヒーを飲みすぎたみたいにドキドキと早まる。思考は迷走、何一つ有効な解決策が思い浮かばない。佐天を匿って学園都市から脱出するという考えも美琴の頭に浮かんだが、過酷な逃亡生活に佐天を巻き込む前にまだできることがあるはずだ、と思い直す。関係者を全員ぶちのめせば、良いのだろうか。全員消せば、いくら学園都市が絡んでいようが関係ない。あるいは、学園都市そのものを潰す必要さえあるかもしれない。どちらにせよ……まず最大の障害を排除しなければなるまい、と美琴は唇を噛む。それから佐天に背を向け、彼女のもとへ歩き始めた。
「逃げるつもりですか! 御坂さんがそういうつもりなら、初春と付き合っちゃいますからね。あたしは初春ともBまで行ったんですから!」
一歩踏み出した所で、美琴の足が止まる。初春の所に行きさえすれば何とかなるとの考えは、根底から打ち砕かれる。佐天の言葉が意味するのは……つまり……
「あ……あなた初春さんとキスしたの? いつよ!」
「いついつって……自分のことは何も話さないくせに、あたしのプライベートだけ知りたがるんですね。今どき亭主関白なんて、自分が寂しがり屋のかまってちゃんだって言いふらしてるみたいなものですよ! 御坂さんあたしに構って欲しいんですか? なら素直にそう言えばいいのに!」
「答えなさい。痛い目に遭いたくないなら……」
突きだした手のひらの上で、バチバチとスパークが爆発する。佐天の目の前にさらけ出された御坂美琴の本性。能力を傘に着た、上から目線のいけ好かない奴。自分より下の人間を小馬鹿にする女。結局同じなんだ、と佐天の心に失望がシミのように広がっていく。今まで見せかけの気安さに騙されて来たのだ。
「脅す気ですか!? ええ、答えますよ!
「…………あの脳外お花畑女!」
美琴が悔しそうに地団太を踏む。違う、佐天は確信を得た。御坂美琴はただ嫉妬してあんなことを言ったのだ。佐天の中でバラバラのピースがありえない形で組み合わされる。美琴の支離滅裂な言動が佐天の脳内で意味を持った物語として構築される。
(御坂さんは悪くないんだ。御坂さんは初春に嫉妬して意地悪言ってるんだ)
「そもそもあたしを馬鹿にして弄んでる御坂さんが悪いんです。ちょっと美人で頼りがいがあって格好よくて優しくて胸は控えめだけど友達思いで超能力者なのに全然傲慢じゃなくて親しみやすくてキスが初春より上手いからって、あたしがいつまでも御坂さん狙いだと思わないでください!」
「……ごめん佐天さん、もう行くわ。後で全部説明するから!」
言うや否や、御坂美琴は植え込みを乗り越えて車道を突っ切った。
「行くってどこへ……はッ!?」
またしても佐天を妨害する無粋なトラック。能力があればトラックごとぶち抜いてやるのに、と佐天は車道ごしに美琴を追う。だが相手は運動神経抜群の美琴だ。佐天にしたところで身体能力が劣っているとは思えないが、スポーティーな服装と言うこともあってやはり美琴の方が足は速い。あっという間に引き離されてしまう両者。
「初春に何かしたら、このあたしが許しませんからーっ!」
佐天の叫び声を背に、美琴は繁華街を走り抜ける。汗の臭いは佐天さんを不快にしなかっただろうか、などと頭の片隅から湧き出る乙女心を蹴飛ばしながら。
不足しているのは確証だ。初春飾利を完全に黒と疑うことのできる証拠はない。初春の部屋には何も残されて居なかったし、美琴は既に罪を犯している。明白な証拠がなければ、アンチスキルはもちろん、黒子も自分より初春を信じかねない。
いっそ初春に直接接触しよう、と美琴は決意する。しかし……佐天の力でレベルが上がっているとすれば、手加減している余裕はないかもしれない。
リスクを覚悟して黒子に相談すべきだろうか。ただ……黒子には昨日辛く当たってしまって、会い辛い部分もある。黒子は証拠もないのに自分を信用してくれるだろうか。しかし黒子が味方になれば、初春も素直に話を聞いてくれるかもしれない――初春にそれだけの理性が残っていたらの話だが。
あるいは――不本意だが、あいつの手を借りるという選択肢もある。あの格好つけのヒーロー気取りなら、どんな厄介ごとにも進んで首を突っ込んでくるに違いない。どんな異能も打ち消すあいつの右手が、誰もが笑って誰もが望む、そんな幸せな世界に導いてくれる――美琴は確信している。
白井黒子か、上条当麻か。御坂美琴が取るべき選択肢は――
A
B