「……勝手ながら、事情は朱璃から聞かせてもらった。朱乃も私も少しずつ、お互いにちゃんと向き合おうという話をしたよ。それが君達への一番の感謝を伝えることになると、思っている」
「大翔さん、紗月さん。正直、まだ割り切れたわけじゃ無いんです。それでも、お母様とお父様と話して、失えば本当に全てが止まったままになってしまうって思えて」
「うん、朱乃さんがそう感じてくれたのなら、良かったよ」
朱乃さんに答えた紗月の頭を軽く撫でながら、俺も頷く。朱乃さんがもう一度前を向けたのなら、この世界に飛ばされてきた甲斐はあったと思える。
「私も朱璃も、名を呼んでもらえると嬉しい。特に朱璃は、君がずっと『姫島さん』や『朱乃のお母さん』呼びで寂しいと言っていたからな」
「そうですわ。お母様から教えられたお陰で、こうして私は霊体のお母様と話が出来るようになりましたけれど、今もその通りと頷いていますし」
なんというかオーラがあるせいか、名前呼びするのは図々しいと思えるところがあったから、そういう呼び方を徹底していたんだ。アリシアと紗月の物怖じの無さは今に始まったことじゃないし、許されてしまうような得な性格をしてるからね。
「分かりました。バラキエルさん、朱璃さん。私のことも『大翔』と呼んで頂ければ」
「ああ、大翔くん。宜しく頼むよ。ただ、朱乃はそう簡単に渡すわけにはいかないから、そのつもりでいてくれ」
穏やかな表情で、バラキエルさんは急にそんなことを言い出したのだった。
◇◇◇◇
「えっと、すいません。朱乃さんを渡すとか渡さないとか、よく分からないのですが……」
「おいおい、なんで俺にはもっと砕けた口調なのに、バラキエルには敬意を払ってるんだよ」
「アザゼルさんがそういうのはいらないから取っ払えって言ったじゃないですか、俺達に」
「言ったがよ、一人称まで違うじゃねえか! つうか、マジ気づいてないのか、この男!」
アザゼルおじ様が割り込んでくれたお陰で一時的に話が逸れていますが、なんてことを言い出すのですか、お父様はっ!
『あらあら、父としての可愛い嫉妬じゃない、朱乃』
ころころと楽しそうに笑うお母様ですが、私にしたらたまったものではありませんでした。
『それが余計なんですっ! 大翔さんとの距離感もまだ中途半端なのに、私を渡さないと言われても大翔さんが困惑してしまいますっ』
『でも、大翔くんはすぐにでも帰ってしまうかもしれないわ。私と朱乃が意思疎通が出来るようになった以上、ある意味滞在の目的は果たせたわけだし。変わるきっかけも必要じゃないかしら』
確かにそれを言われると、もう時間が無いのかもしれません。それでも、心の準備とか、心積もりというのもあるんです!
「どうした、朱乃。父として釘は刺させてもらっただけだぞ」
「余計なことを言わないで、お父様っ! お父様の馬鹿っ!」
「あ、朱乃……」
ショックが分かりやすく顔に出ているお父様ですけど、正直、私はそれどころではありません。どうにかこの場を収めないと……!
「あ、朱乃さん、どうしたの!?」
大翔さんの手を取り、とにかくこの場を離れます。余計な茶々が入らない状況で、何とか説明をしなくては。
「朱乃さん、ごめん。せっかくバラキエルさんと話せるようになったのに、俺のせいで」
「大翔さんは悪くありません、お父様が早とちりをしただけですから」
幸い、ついてこようとしたお父様やおじ様はアリシアさんやアリサさんが留めて、こちらのフォローと見張りを兼ねてか、すずかさんがついてくれています。鍵が掛かる自室へとお二人を連れて飛び込み、そこでようやく私は一息をつきました。
「ここなら邪魔も入らず、正しい説明も出来ますから」
「いいのかな。ここ、朱乃さんの部屋、だよね?」
「私も一緒とはいえ、ひろくんを自分の部屋にって思い切ったというか……朱乃さん、混乱してるよね」
「え? う、嘘、私……」
大翔さんやすずかさんの声で、私は暴走してしまっていたことにやっと気づきました。まるで大翔さんを自分から誘うような行動を、意識せずにやったようなものです。
悪戯半分でイッセーくんのような弄りがいのある子にちょっかいを掛けるのとは違って、本気で惹かれている人に、自分の内側をいきなり見せつけたようなもので。
『朱乃、朱乃、まずは深呼吸しなさい。落ち着くまで何度も繰り返して』
近くにいてくれたお母様の声のままに、何とか息を吐いて、ゆっくり吸って、また吐いて、吸って。その間、何も言わずにすずかさんは待ってくれています。ちなみに大翔さんは私と同じように深呼吸を繰り返していて、多少なりとも心を落ち着けた私にすずかさんが苦笑いをしながら、その理由を教えてくれました。
「ひろくん、女の子の部屋に入ったりすると緊張するから。私やアリサちゃんとかだと流石に大丈夫なんだけど……」
「会議とかに出ている方がよっぽど落ち着いていられるよ……」
きょろきょろ見渡すのも失礼と思っているのか、正座の上で組んだ自分の手に目線を集中したまま、大翔さんは不動を貫いています。なんだか、自分よりよほど追い詰められている感じがして、私は自然と脱力できていました。
「うふふ。大翔さん、そんなに身体を強張らせなくても大丈夫ですのに。すずかさんも隣にいらっしゃるのですから」
「いや、分かってるつもりなんだけど、身体が勝手にこうなってしまうんだ。どうにも、朱乃さんみたいに綺麗な人のプライベートな場所にいる自分が、あまりに場違いで違和感しかない感じで……」
「私の部屋に慣れるのにも一年ぐらいかかったよ。結局は二人の部屋と寝室をまとめて、二人の私室にしたもんね」
カチコチのままの大翔さんの背中を、すずかさんが解すように繰り返し撫でながら、苦労した自分の体験談を教えてくれます。
綺麗な人と言われて内心浮かれそうになりましたが、すぐに今の彼の状況だと逆効果だと気づきました。彼の信頼を得たとしても、女性への反射的な警戒反応はなかなか治るものでもなく、彼の過去にそれだけ『女性』そのものがトラウマになる出来事があったのでしょう。
「……大翔さん」
「な、何かな、朱乃さん」
「思わず、私の部屋に来てしまいましたが、もう一度移動しましょう。大翔さんにそんな辛い顔をさせたくて、連れ出したわけじゃありませんもの」
放っておけない、こんな大翔さんを。お父様の暴走についての釈明も必要でしょうけど、何より、こんな不安げな大翔さんをまずは少しでも安心させてあげたい。それが一番、優先するべきことで。
「私は、貴方を傷つけたりしないし、したくもありません。不安に思われるなら、悪魔の契約で縛ってもらっても構いませんわ」
立ち上がり、すずかさんにも目配せをして、部屋の引き戸に手を掛ける私に、大翔さんは戸惑い気味に問いかけてきます。
「契約で縛るなんて絶対にしないよ。だけど、どうしてそんなことを?」
私は貴方の味方になりたいし、既にそのつもりでいることを、ちゃんと伝えましょう。
心積もりが必要だと自分で思ったりしたけれど、もう私自身が旦那様は大翔さんしか考えられないわけだし、一度や二度でこちらの好意を本当に信じてくれるかも分からない相手なのですから、訴え続けるしかありません。
……一つだけ問題になる私のSっ気にしたって、この人の敵に向かって、思い切り叩きつけてやればいい。すずかさんやアリサさんによると、大翔さんが長年続く旧家の婿及び巨大企業体の後継者という立場上、敵には事欠かないそうですから。ぶつける相手はいくらでもいるということです。
毎日、この人の魔力を感じて、その魔力に包まれる時間が愛しくて、満たされる感覚をどんどん手放したくなくなって行く中で、訓練時のとても厳しい一面や、何かに夢中になると食事も忘れて没頭してしまう癖を知って。
すずかさんの膝枕で転寝する時などの、どこかあどけない寝顔に、庇護欲を刺激されてしまったり、彼女達のちょっとした我がままにも、少し困った顔をしながらも、必ず付き合っている面倒見の良さとか、色んな彼の一面を知ることが出来て。
「私は、大翔さんをお慕いしていますから」
そう、私は既に大翔さんに強く惹かれている。だから、私は想いを貫いていけばいい。私は、姫島朱乃は、空知大翔さんを──。
「大好き。愛してますわ、大翔さん」
「……朱乃、さん?」
「あー、うん、吹っ切っちゃったんだね、朱乃さん……」
真っ直ぐ大翔さんを見て想いを告げる私に、目を大きく見開いて驚愕の色に染まる大翔さんに、どこか納得顔のすずかさん。ごめんなさい。覚悟が決まったら、想いが止まらなくなりますね。
「姫島朱乃は、大翔さんの恋人になりたいの。それだけじゃない、貴方の妻の一人になりたいとも思っているし、いずれは経営者になると聞いているから、秘書的な役割もしてあげられるように頑張りたいとも思ってる」
大翔さんの魔力が私の男性への嫌悪感を解かして、そして、貴方や貴方を慕いその心を守り続ける人が、お母様との再会と、お父様との蟠りまでも、解かそうとしてくれている。──貴方の存在が、たった一週間で、私の世界を塗り替えてしまったのだから。
「貴方が女そのものを恐れていることを知っています。その枠を乗り越えた存在が、すずかさん達であることも。私もその枠を越えて、頑なだった私の心を温かく包んでくれた貴方を守りたい。守らせて欲しいの」
そこまで言い切って、私は部屋の外へと足を進めました。もう一度振り返って、怖さからではなく、別の意味で固まったままの大翔さんの手を取って。そう、思えば先ほど大翔さんを連れ出した時に、彼の身体は強張らなかった。それなら、少しは期待してもいいですよね?
「答えはすぐに欲しいわけじゃないの。決意表明、みたいな感じです。私が大翔さんにどういう想いを持っているのか、まずは知っておいて欲しかった。それに、すずかさんにも聞いておいてもらわないといけない話だったから、いい機会だったの」
「朱乃さんが、俺を? バラキエルさんがあんなことを言ったのも……」
「お父様のあれは、早とちりの部分も大きいですけどね。結婚は認めないつもりなんでしょうけど、そもそも、私は大翔さんの恋人にもなっていないわけですから」
そして、私は自分の魔力をゆっくりとお二人に流し始めて、お母様から学んだ『憑依』に関する知識を大翔さん達へと取り込んでもらうのでした。
自然に物語を動かすのは難しいです。
ただ、朱乃さんと大翔の関係性を一歩進めたかったので、こうなりました。