ドクターの実験に巻き込まれて、違う次元世界に送り込まれるのは、これが初めてじゃない。が、気を失うというのは久し振りだった。
意識を取り戻したものの、気分は悪くない。一緒に巻き込まれた紗月達の身体を腕の中で庇ったものの、うまくいったのか外傷もなく、そのまま瞳を閉じている。それに加えて、どこか鼻腔をくすぐる甘い香りが漂っているし、温もりが半身に伝わってきて……。
「……え?」
ふと横を向けば、飛び込んできたのは白地の和装……というか、巫女服だな、これは。それに身を包んで、長い黒髪をポニーテールにしている綺麗な女性が寝息を立てている。
「いやぁ、すずかちゃん以上の大きさなのに、腰回りはしっかり細いなんて。世の中は不公平だね、アリシア」
『お尻も大きめの安産型だよ。一物も二物も持ってるよ、紗月』
「え、最初のコメントがそれなの?」
ある意味いつも通りのマイペース、とも言える二人に少し安堵しつつ、ツッコミは漏れなく入れておく。確かに和風な風貌なのに、どこかアンバランスにも思えてくる、海外のモデルさんのような肉感的な身体を持ってる巫女さんだけど、問題はそこじゃない。
というか、すずか達のお陰で少しはマシになったと思っていたけれど、身体に走る悪寒は強まってきていて、初対面の、特に美形になれば、拒否反応が先に立つ。彼女が俺に害を及ぼすと決まったわけではないけれど、意思で抑え込めるほど、身体の震えは弱くなかった。
「ひーちゃん……」
「未だに、駄目みたいだ。公的な場ならもっと気を張るから、もう少し身体の反応は抑え込めるんだけど」
それでも、これぐらいなら行動に支障はない。
それよりだ。寝息を立てる彼女から感じる魔力は、明らかに俺の気質が感じられる。俺の魔力は、取り込んだ側と溶け合う性質があるから、意識を失っている間に、彼女に魔力を吸われたと判断するしかない。
「それよりも、まずいのは彼女から俺の魔力を感じることだ。蒐集に似たことをされたんだろうな……。それにしては、吸い尽くすわけでもなく、こうして隣で寝てしまうとか、目的が分からないけれど……」
「ハッキリと分かるぐらいだから、結構吸われてるよね……ひーちゃん、魔力量多いから、行動には支障ないけど。この場にひとまず、すずかちゃん達がいなくて良かったよ。追っかけてくるにも、この世界の次元座標を割り出さないといけないだろうし」
あんまり使いたくはないけれど、すずかからもらった力の一つ、心理操作能力で記憶改ざんを行う心積もりをして、まずはドクターの強制次元転移に巻き込まれた際に、お決まりの作業を始める。
「相変わらず、目が痛くなるような数だよね……」
「こういうのも、結局は慣れだよ。アリシア、紗月」
空中に投影したディスプレイをいくつか展開し、同じく投影したキーボードに次元座標を割り出すための必要なデータや体感から感じる、海鳴との次元の差を片手で打ち込んでいく。もう一方の腕に感じる存在を意識しないで済むように、解析へと集中していく──。
◇◇◇◇
傍にある暖かさに安堵しながら、意識が戻った私はゆっくりと目を開きました。まだ頭はどこかぼうっとしていて、身体の火照りも引いたわけでもなくて。初対面の彼の肩に身を預けたまま、私は彼の横顔を眺めています。
「おおよそ、解析は出来たか……ただ、次元間の時差が大きいな。その辺りも考えて、座標を計算しないと、数年単位で誤差が出かねない……」
想像したよりも、声に落ち着きがあるんだと、そんなことを思って。空中に瞬くパソコンのような画面を複数展開し、画面を厳しい瞳で見つめる彼は、まるで近未来の魔法使いのように感じてしまう。
「もう少し時間をかけて、調べないといけないけど……早くしないと、すずかやアリサが怒るだろうしなぁ。ドクターは絶対に面白がって、座標を教えないだろうし」
少し困り顔になって、呟いた彼が呼んだ二人の女性の名前。その呼び声だけで、彼の本当に大切な人達なのだと分かるほどに、その声色は優しく、愛情に満ちたものでした。
……どうしてでしょう。どうして、その声に私の心は沈みそうになっているのでしょう。
残る理性が、私の状態が異常であることを教えてくれているのに、身体は動こうとしないのです。普段の余裕を持ったように見せる佇まいや振る舞いなんて、完全に身を潜めてしまっています。
「……ひーちゃん、目を覚ましたみたいだよ。でも、これは……ちょっと、ごめんね。少し、触れるよ?」
彼の隣にいた先程の女性が、断りを入れた後、私の顔を覗き込み、首筋や手首に手を当て、何か確認する仕草を見せます。その間も、私は彼に寄り掛かったまま、ぼうっとその動きを見たままでした。
「どうした、紗月……? 彼女は、確かに体調がいいようには思えないけど……」
「うん、脈も早いし、身体も火照ってる。瞳も潤んだままだし、吐息も熱っぽいしね」
「風邪なら、こんな野外にいるのはまずいだろ。彼女を運ばなきゃ」
「ぶっぶー。風邪じゃないよ、これは。私も分かるし、すずかやアリサちゃんもよぉく知ってるよ、この状態は」
どういう、ことでしょう。彼も首を傾げていますね。うふふ、その仕草も何故か愛らしく思えてきます。
「ひーちゃんの魔力を調整なしに取り込んだからだとは思うけど、ひーちゃんの溶け込んだ魔力に充てられて、お酒に酔っ払ったような状態になってるんだね、これは」
「は?」
酔っぱらっている、ですか……。このふわふわした気分は、そういうことなのですね。うふふ、悪くありません。むしろ、良い気分ですもの。
「だから、彼女は初対面なのに、ひーちゃんから離れようとしないんだよ」
「し、しかし、すずか達や紗月達がそんな感じになったことは……」
「ここまでなることはそうないけどね。ただ、マッサージしてもらってる時なんか、彼女に近い状態になってるよ?」
完全に脱力してしまってますものねぇ、私。普段の私じゃ考えられませんけど、彼に寄り掛かって、難しいこと考えずに、リラックスしてるのって、本当に楽……。
「ひーちゃんは私達に魔力を流して循環させる時、此方の体調に合わせて、細かく出力を調整するでしょう? だから、気持ちいい感覚はあっても、ここまではならない。だけど、抱き合う時に、魔力を流してもらいながら繋がったりすると、あっという間に私達はイッちゃったりする。似たようなことが起こってるんだよ、これ」
まぁ、彼と一つになったら、もっとすごい感覚が味わえそうです……。ふふー、一方的に責められるのも悪くないかも……。
「ご機嫌だねぇ、お姉さん」
「勝手に吸った私が悪いんですもの。このまま食べられても仕方ないことですわ、うふふ……」
「あ、食べられるの、前提なんだ」
「食べないよ! 初対面の女の人を抱ける勇気も度胸も無謀も知らないから!」
あー、弄ると可愛い反応をしてくれるタイプの人ですね……。油断しきってる私が言うのもなんですけど、先程の他の女性の名前を呼んだ時の温かさもそうですし、彼の特別になれれば、すごく楽しい毎日が過ごせそう、なんて。
「!……お姉さん、何を!?」
「朱乃、です。寝室まで運んで頂けませんか? あちらに見えてる社が、私の家ですわ……」
首筋に腕を回して、わざと胸を押し付けるようにしながら、懇願する。標準以上に大きく育った胸を押し付けて、これで動揺しない男性はあまり見たことがない──。
「あ、ぐ……」
急変。彼の顔色が瞬く間に青くなっていき、身体が震え始める。触れることでよりハッキリと感じられた、彼の魔力も大きく乱れていて。
「離れてっ!」
『ひろ兄ちゃん、しっかり!』
力が抜けていた私は、あっさり引き剥がされる。目の前の彼が自分自身を抱き締めるようにして、身体の震えを堪えていた。
酔いのような、ふわふわしていた心地良い感覚が、一気に冷めていく。自分の行為で、彼の異常を招いた。それだけは分かっていた。
「ごめん。ひーちゃん、女性恐怖症を抱えているから、慣れていない人にああやって異性を強く感じるアプローチをされると、拒否反応が強く出るんだよね。私も調子に乗り過ぎたよ……。お願い、横になれる場所を貸してくれないかな。ひーちゃんは私が運ぶから。……『ブーストアップ』!」
「!……こっ、こちらですわ! あっ!?」
同行者の彼女が自身に魔術を行使し、自分よりかなり大きい彼の身体をしっかりと支え、我に返った私の誘導の元で走り出そうとしたのですが、酔いに似た影響が残っていたのか、私はうまく走れずに躓いてしまいました。
「私、何をやってますの……!」
「……紗月、アリシア。頼む、俺の背中にくっついてもらえるかな。それで、震えがマシになるはず……」
「ごめんね、ひーちゃん」
『ひろ兄ちゃん、ごめんなさい……』
膝をつく私の隣に、唇が青ざめ、未だ震えが残る彼が膝を畳んで、私の手をおもむろに取ります。彼の背中には、顔を歪ませた彼女が強くしがみ付いていました。アリシアさんから二つの声が聞こえてきたことにも、今は気に留める余裕がありません。
「ダ、ダメです! 恐怖症なら、私に触れたら余計に!」
「こうして、軽く触れたり、寄り掛かられるぐらいなら、意思で耐えられたりするんだよ、何とか。貴方が平常じゃないことも分かったし、魔力の流れが乱れてる。俺の魔力が原因なのに、放っておけない」
「……こういう人なの、ひーちゃんは」
『そーそー。自分のことすぐ後回しにするんだけど、それがひろ兄ちゃんだもん』
彼女から、再度、二つの声が聞こえた後、彼の魔力がゆっくりと私へと流れてきました。身体の中を流れる暖かい感覚が、隅々まで満ちていって、血液の流れに沿うように、心臓から身体の各部へと、指の先まで魔力が巡っていくのを感じます。
「あたた、かい……ですわ……」
魔力の流れが過剰になっていたものが、ゆっくりと落ち着いたものへと戻っていきます。過剰な熱を持っていた、彼が溶け込んだ私の魔力も、暖かさと同時に安心感を伝えてくれるものに変わっていました。ええ、まるで優しく抱き締めていられるような、そんな感覚──。
「!……どこか、痛みでも!? でも、流れは落ち着いてきているのに……」
「違いますわ。とても安心出来た時にも、女性は涙をこぼすことがありますから」
私は取り繕う部分が無い、そのままの微笑みを浮かべつつ、静かに涙を流したのです。思い出してしまったから。お母様が健在で、お父様も一緒だった、あの時の温もりを。嫌悪感なく、お父様を思い出せたのは本当に久し振りで。
「あの……もう少しだけ、魔力を流して頂いても、構いませんか?」
「俺の方は、大丈夫。ああ、でも、良かった。ずいぶん、魔力の流れが安定したね」
唇の色は変わらないのに、彼の声は強さを取り戻していました。私は、その声に安堵を感じてしまう自分に違和感を覚えなくなっていました。
「私、姫島朱乃と申します。勝手に魔力を吸ったりなどして、本当にごめんなさい……」
「俺は、空知大翔。詳しい話は、出来れば夜風が避けられるところでやりたいかな」
「私は、紗月だよ。もう一つの声が、アリシア・テスタロッサ」
『詳しくは夜風が避けられる場所でお願いしたいな!』
「うふふ、分かりました。屋根も壁もある明かりの下へとご案内しますわ。……あ、あの、魔力はこのまま流して頂いていても……」
「手が繋がってるぐらいなら、少し姫島さんの感覚に慣れてきたし、このまま続けておくよ。紗月、アリシア、このままそっちにも循環させるからね」