「貴女やセラさん、椿姫さんに触れても大丈夫になっていることには薄々気づいていました。貴女達に信用を置いている自分を自覚してはいましたから。貴女とするチェス、最近は楽しみの一つになっていたんですよ」
「私は……望みは、あるって思っても、希望を持っても、いいんですか……?」
おそるおそる大翔さんの背中に腕を回し、壊れ物に触れるように抱き締めたソーナは、声も同じように震えていました。
「俺って、現金な奴です。朱乃にも言われたばかりだけど、女の人から向けられる好意に凄く弱い。ソーナさんの言葉を聞いて、守ってあげたいなとか、離したくないなって感覚になってしまってる。最低と思いませんか?」
「思いませんわ……でも、同時に躊躇ってる。そうですよね?」
震えがやや収まりつつあるソーナの唇からは、大翔さんの心を見据えている言葉が紡がれます。自分を異性として慕ってくれている匙君のこと、いくらソーナ個人を見るといっても必ずついて回るシトリー家の問題……。少し冷静さを取り戻せば、ソーナは現状がちゃんと見えているのです。
「うん。元士郎には恨まれるだろうし、少なくとも思い切り殴られるとは思う。それに、すずかやアリサの家の仕事を覚えるのに精一杯な俺が、ソーナさんの手助けが出来るのかって」
「シトリー家のことは、大翔さんに助けてもらうつもりはありませんよ?」
「ソーナさんにそのつもりがなくても、貴女と寄り添っていくということはそういうことですよ。学生の間だけの彼氏彼女なんて、俺は独占欲強いですからね。無理です。自分の女にするなら、一生自分の女にすることを前提に考える。だから、重たいって言われるんでしょうけどね」
そんな大翔さんに惹かれる女も重たい事情を抱えていたり、深く思われることをむしろ喜ぶ女が揃っているわけです。ソーナも、椿姫ももちろん負担に思うわけも無くて。
「ふふ、私が当主になるのは百年単位で先ですよ? リアスの話ではありませんが、当面は父や母の仕事を一部代行しながら勉強する日々になるでしょう」
「お嬢様は私も補佐し続けます。大翔さんはお嬢様の心の拠り所でいて下されば、十分ですから。あ、私の心の拠り所であって欲しいのは、以前から伝えている通りですね、ふふふ」
微笑むソーナに椿姫。私も意地悪なことを言い続けましたし、少しだけ二人の援護射撃をします。すずかさん、貴女も既に受け入れていますものね。
「大翔さん。ソーナや椿姫が他の男性に嫁いだり、あるいは抱かれることを想像してみれば答えはすぐに出るのではありませんか? それは彼女達を受け入れることでついてくる問題よりも、大きなことでしょうか」
「そう、だね。朱乃、確かに言う通りだ。俺も大概欲深いし、節操なしだ。でも、もうそんな自分を誤魔化すのは終わりにしよう」
苦笑いになった大翔さんは顔を上げ、部屋にいる全ての者に宣言するように、強い口調で言葉を放ちます。
「ソーナさん、椿姫さん。節操がない俺ですが、決めました。俺の女になってください。いずれ、俺の子を産んで下さい。そして、その命尽きるまで傍にいて下さい」
「……はい、喜んで。私を、大翔さんのモノにして下さい」
「お嬢様と一緒に一生、ついていきます」
まずはソーナと口づけを。続けて膝をついて高さを合わせた椿姫とも唇を合わせた大翔さんはソーナの発情状態を緩和するように、鎮静化の術式を施しながら魔力や気の流れを整え始めます。
腕の中で嬉し涙を流し、熱い吐息をこぼしながら彼に身を任せるソーナに、そんな大翔さんに背中から抱きつく椿姫。二人ともとても満ち足りた表情へと変わっていました。
「すずか、俺は自分の欲深さをもう否定しない。そして、強欲になってみようと思う」
ゆっくりと傍までやってきたすずかさんに、ハッキリと大翔さんは自分の意思を告げます。対して、受けるすずかさんも揺らぐこともなく、真正面から言葉を返していきました。
「うん。私が元とはいえば、嗾けたことだもの。だけど、約束して。私は今幸せだけど、これからもずっと幸せなままでいさせて。そして、ひろくんが腕を伸ばした女の子も必ず幸せにしてみせて」
「……ああ、当然だよな。誰にも渡したくないなら、自分が必ず幸せに出来なきゃ意味なんてない」
「もちろん、私もみんなも自分が幸せにいられる努力はするよ。ひろくんだけに任せることはないし、私だって貴方をずっと幸せでいられるようにする」
すずかさんの腕から抜け出した黒歌と小猫ちゃんも人型に戻り、強く頷きます。
「大翔は私達をこれからも、これまでと同じように一生懸命愛して。そうしたら、私やみんなでずっと大翔を幸せにしてあげるからにゃ」
「兄さまが愛してくれる分、私はその倍をお返しします。欲深い、結構じゃないですか。兄さまも私達も幸せにいられる努力を続ければ、それは幸せな家族であり続けるってことですから」
「大翔さんの女達が抱える問題は、大翔さんだけが解決することではありません。家族になっていく私達がそれぞれの力を尽くして、乗り越えていくべきことです。ですから……」
秘書としての仕事、本当に多岐に渡る事になりそうですね。まぁ、椿姫もそのつもりでしょうし、ソーナも月村家やバニングス家の仕事をこなすことで当主就任への準備にも繋がっていくでしょうから、容赦なく巻き込みます。
「…・…ありがとう。そして、これからもよろしく頼むよ」
私達みんなが頷くのを見て、大翔さんは少し照れ臭そうに笑みを浮かべた後、改めてソーナへ声を掛けます。
「さてと、『ソーナ』。動けそうかい?」
「ええ、大翔『くん』。大丈夫、随分落ち着いたわ」
「……呼び捨てても別にいいんだよ? 俺もこれからプライベートでは遠慮なく呼ぶんだから」
「ううん、恋人をこんな風に呼ぶのにどこか憧れていたの。ソーナと呼ばれるのも、何だかむず痒い気分になるわ。少し前までは縁の無い話だと思っていたのに、不思議ね」
「これからは現実だよ、ソーナ。さて、元士郎に早く言わないとなぁ……」
「その辺りはちゃんと私から話をするわ。私が匙の王なんだもの」
「私も同席します、大翔さん。ただ、その上でどうしても匙が話をしたいとなれば、お願いしますね」
「ああ、『椿姫』。二人とも一度に自分のパートナーにするって言い出したんだ、それぐらいはもちろんやるさ」
実際のところ、匙くんとはさほど大きな問題にはなりませんでした。見てりゃ分かるとのことで、ソーナの大翔さんへの想いは透けて見えていたようです。それでも、互いに一発ずつ殴り合ってチャラにするという、男の子らしいやり方で後腐れなしとしていましたね。
アリサ達も予定調和だと言わんばかりの態度で、自分達へ割く時間が減ることの無いようにすれば構わないという話で終わりました。封時結界を張る分にはソーナや椿姫を除いて皆出来るようになりましたし、結界内の時間調整についても補助具を使えば私や黒歌もさほど負担無く出来ます。そもそも、千年万年の世界で生きようとする私達ですから、現実時間のスケジュール管理に関して注意しておけば結界内で過ごす時間が長くなっても大きな問題はなかったのです。
「ソーナちゃんを任せられるのは、確かにひーくんしかいないと思うよ!? 椿姫ちゃんも長い付き合いだもの、ひーくんに任せられるなら納得するけど! 他の男なら氷漬けにして砕いてるけどさぁ! だけど! 自分でも分かんないけど、一度に同時になんて、ずるいよ二人とも!」
……むしろ、核弾頭級の問題が一気に広がろうとしていたのです。
◇◇◇◇
「大翔くんのために魔王を辞めるとまで仰っているのに、お姉様は何を躊躇っているのですか?」
久方ぶりです、頭が熱で浮かされていないこの透き通った感覚は。大翔くんの調整により一時凌ぎではあっても身体の調子も取り戻し、それでも残るお腹の奥の疼きについては、望めば思いきり満たしてもらえるという安心感から、どこか限界の瞬間を楽しみにする余裕すら覚えていたのです。
自分のことながら、なんと現金なことでしょう。大翔さんが私に好意を告げられたことで一気に天秤が傾いた趣旨の発言をしていましたが、その言葉を聞いて心が弾むような自分の感覚といい、『恋慕』という感情は理性では測りきれない未知の感覚なのだと思い知ります。
同時に怖れる必要はないことも。私の想いは彼に届いている。だからこそ、彼を支えてあげたいという新しく芽生えた強い決意も、彼に相応しい女であろうとする向上心も、理を持って行動の規範とする私の思考も、緩やかに繋がり合って……全て私の中にあればいいのだから。
すずかさんは言いました。出来るだけ早いうちに、大翔くんに抱かれるのが望ましいと。彼女も自分の血筋の兼ね合いで、定期的に発情期が襲ってくる体質であり、心だけでなく身体に──女の生殖器官である子宮に何度も精を注がれ、彼のモノであると教え込ませることで発情期の波が幾分緩和されるのだと言うのです。
『もちろん、子供を宿すのが一番の特効薬なんだけどね。結局、あの感覚って生殖本能から来てるから、身体が望んでいる人の子供を産めるのが何より効くみたい』
高校卒業と同時に第一子を授かる人生計画のすずかさんですが、そんなリアルな事情もあったわけです。
『でも、大丈夫。あの時期が楽しみになるぐらいには、ひろくんはすっごく気持ちよくしてくれるよ? ソーナさんの血の強さにもよるけど、今の身体に生まれたことを感謝するようになるよ。保障してあげる、うふふ』
恐ろしいやら待ち遠しいやら。すずかさんの笑みが真に迫っていたので余計に、自分の身体に訪れる変化に少しの不安と大きな期待を覚えてしまう。大翔くんの魔力や気は温かい。あの温もりに包まれて抱かれるのなら、不安が大きくはなりませんから。
あと、これは余談ですけど、大翔さんが互いの力の複写や譲渡が出来ますけれど、体質的なところまでは個人差があるのだそうです。私達に出会う前からすずかさんの力を受け取ったアリサやアリシアさんも、寿命は伸びたものの発情期はそれほど強くなかったりするのだそうです。アザゼル総督が定義した『スキル』と考えると、固有スキルはレベルも上がらないし、個人の資質によって発現度合いが変わるのではないかと、大翔くんやすずかさんは推測しているとのこと。
『なので、ソーナさんのシトリー家固有の力を受け取っても、ひろくんに致命的な影響は出ないし、むしろひろくんが仙術の力を使わずとも絶倫になるのはウェルカムだよ、うんうん。ひろくんは渡す力の取捨選択が出来るし、皆いつでも発情状態ってことはないからね』
嬉しそうでした、すずかさん。確かに大翔さんのパートナーは私や椿姫を含めて、ついに二桁に到達しています。ですので、大翔さんは夜の帝王であればあるほどいいと彼女は言うのですが。あと、黒歌も大歓迎と言っていましたね。エロ猫です。
「分かんないよ。ソーナちゃんじゃないけど、私は恋愛なんてしたことないもん……」
屋外のテラスをお借りした私とお姉様ですが、いつもの軽い口調はどこへやら、不安を吐露するお姉様は自分の心が分からないといった感じです。
「大翔くんを抱き締めたり抱き締められると安心感や幸福感を覚えるんですよね?」
「そうだよ~? でもそれはソーナちゃんでも同じだもん。それに、私は血に塗れ過ぎたよ。ソーナちゃんやひーくんをお姉ちゃんとして見守れるだけでも、すっごく恵まれていると思うもん☆」
「ん~、血で塗れたと言いますが、あの人も大概ですよ~?」
差し入れ持ってきましたとやってきたのは、クアットロさんという大翔くんの協力者です。実際には犯罪組織の一員だと言いますが、大翔さんとは良好な関係性を保っているようです。朱乃達が焼いてくれたクッキーやパウンドケーキですが、ふむ……今度一緒に作るとしましょう。形が若干悪いのはフェイトさんのお手製ですが、これも本当に美味しい。
「あの年で清濁合わせ飲めるってことはそれなりに場数を踏んでるってことです~。十年近い取引相手となりますがぁ、おっ、もぐっ、またフェイトさんも腕を上げましたねぇ……殺しの経験こそ少なくても傭兵の経験も豊富ですしね、相手を腕や足をもいで再起不能に追い込んだ数は相当ですよ?」
基本的に家族や近しい者さえ無事なら他人の犠牲は構わないし厭わないっていう人ですよ、と彼女は言う。
「おっそろしいですよ、私は。あの人を優しい人と評する月村さんも恐ろしい方ですがぁ」
本当は彼が利己的だということを伝えたかったというところでしょうか。ただ、悪魔である私からすれば、それこそ見返りがなく他人のために尽くせるというより余程信用に値します。私が愛情を注ぎ続ける限り、彼は私を決して裏切らないという裏返しでもありますから。
「……ご助言、ありがとうございます。『参考』になりました」
彼女は差し入れのついで程度に波紋を投げ込んだつもりなのでしょう。悪意のある愉快犯ですね。そして、すずかさんへの意趣返しもあるといったところでしょうか。直接害意を加えられないように何かしら術式を掛けられているようですから、少しでも間接的に火種になればと……そんな意図ですね。
足早に去る彼女を見送り、お姉様と顔を見合わせます。そして、どちらからともなく私達は笑みをこぼしたのでした。
「アハハ……悩む必要無かったってことかな☆ ふふっ、そっかぁ☆」
「ええ、お姉様の華麗な戦績を知っても彼の態度は変わらないということですね」
「んー、でもほんとに分からないよ。男の人を愛する感覚って。気に入るのとはまた違うでしょ? それに、ひーくんはソーナちゃんの未来の旦那様になるわけだし……」
私は大翔くんのパートナーになった以上、両親の説得は避けて通れないわけですが、最難関がお姉様であるために後は消化試合に近いものがあります。お姉様が納得する男性ならば、あとは政治家や経営者としての資質が致命的でない限り、お父様とお母様は認めてくれるという予測も出来ていました。
それに、本気で彼に惹かれたことで、シトリーの血による発情をも受け止められる相手となれば、最終的には拒否できようがないのです。私の身体と心を守るという意味でも。
それよりも、目の前のお姉様のほうが深刻です。なんですか、私以上の恋愛へたれですか。拗らせまくった果てに、初恋でどうしたらいいか分からない初心な少女みたいな反応は……! 結婚適齢期を過ぎつつある女悪魔とは到底思えません。
「ソーナちゃん、本気でひどくない!?」
おっと、いけません。心の内が言葉として漏れ出ていたようです。
「隠すつもりもなかったよね!? ふーん、いいよ! いいもん! どうせ私はとうの立った嫁き遅れの拗らせまくった年増悪魔ですよーだ! ふんっ!」
ううん、諭すのにはどうやら失敗したようです。お姉様は余計に頑なになってしまいました。
「むしろ弄って楽しんでたよね~ソーナちゃん酷いよ……」
止むを得ません。それに先程のホッとした表情といい、お姉様が大翔くんをどう思っているのかは十分見えました。なので、後はお任せします。私や椿姫は今から身体を綺麗に磨き上げるなど、大切な準備をしなければなりませんので。
「え? 任せるとかどういうこと?」
私がそれ以上を口にする必要も無く、テラスの隅に現れる深紅色の転移魔法陣。答えは明確でした。
「大翔くん、すずかさん、フェイトさん。申し訳ありませんが、後はお任せ致します」
「な、ななななな、なんでこのタイミングでひーくん達が来るの? ソーナちゃん!?」
念話で会話の内容が筒抜けとか、転移のタイミングを伝えたとか、そんなこともあるかもしれませんね。
「ソーナちゃんの意地悪! 鬼! 悪魔! あ、これじゃ悪口になってない……」
声帯模写をされているような気分なのでしょう。すずかさんは苦笑いしながら、私に椿姫の状況を伝えてくれます。
「大浴場で朱乃さんやアリサちゃんが気合入れて待ってるよ。椿姫さんが先に生贄になってるから、早く行ってあげてね」
「ふふ、それはいけませんね。急ぐとしましょうか」
欲深さから目を背けないと言い切った大翔くん。後はお姉様次第。フェイトさんを同行させているのも、お姉様の気持ちを促すためなのでしょう。
さぁ、ここがお姉様にとっての分水嶺です。私は先に行って待っていますからね?