「じょ、冗談だろう……?」
アッシュレイは答えなかった。はなからキャッチボールをする気は皆無なのだから当然だ。
「ちなみに。そのピアスだが、従者専用のだからオレの認証がないと取り外せないからな」
「……、………他にも何かあるのか?」
「主から従者に対して強制的な命令を出せる。肉体操作の優先権が主側に渡るわけだ。
他にもある。現在地が把握出来るし、思念を送ることもできる。受け取ることも然りだ。
また、上級者にもなれば主側が従者を召喚することも可能になる。
で。オレはもちろん上級者だ」
「へ、変なことするのか!?」
シルヴィアはズサァっと後ずさった。
「しないと思うのか?」
「やっぱりするのか!?」
シルヴィアはズサァァァアアアアっと後ずさった。
二回目で、しかも一回目よりも大幅に下がったものだから、ついにドアに背中が当たった。はっと思い至り、勢いよくドアを開け放ちアッシュレイの魔の手の範囲から逃亡する。
バタンッ――――ダダダダダダダダダっ
貞操がかかったシルヴィアの遁走は、それはそれは素早いものだった。
瞬く間に一階への階段を駆け下りて、アポロ寮の外へと飛び出す。
人とは、死ぬ気になれば存外に力を発揮するものだ。ソースは“背水の陣”。
「速ぇーえぇ……」
窓から、逃亡するシルヴィアを眺める。
あんな必死になっちゃってw。なんて、思った。
けれどもシルヴィアが必死だったのは、実のところ突発的なものがほぼだということをアッシュレイは察していた。究極的に言えば、彼女も
パチンっ
アッシュレイが指を鳴らす。
起こった変化と言えば、彼の眼前にシルヴィアが現れたことくらい。
いや、『くらい』というか、かなり重要か。
「――――――はぁ、はぁ……。ここまで来れば――――……っえ?」
直前まで、全力疾走で辿り着いた女子寮の正門にもたれていたのに、どうしたことか見覚えのある部屋に自分はいる。
ふかふかのベットの上に召喚されたシルヴィアは、自分の身に起きた現実がいまいち理解出来ず混乱した。
「言っただろ、主は従者を呼び出すことが出来ると」
背後から回された腕が、シルヴィアを拘束した。
同時にかけられた言葉のおかげで、シルヴィアは我が身に起こった事を無理やりに理解させられる。
「!? は、放せッ!」
もがくシルヴィア。
対しアッシュレイはすんなりと腕を解き解放した。
「っえ……。ア、アッシュレイ…………?」
いとも簡単に自由を返してもらえたシルヴィアは、逆に困惑する。不安露に後ろを振り返えった。
アッシュレイは空を仰いでいた。
「(やはり今日は疲れたな……)」
「へ? ……あ、ああそうだ、な……?」
それはボソリとした独り言だが、距離が距離だけにシルヴィアの耳にも入る。
覇気が完全に失せた様子のアッシュレイは、もはや乙女の天敵にほど遠かった。
状況に置いて行かれ気味のシルヴィアに視線を戻す。
「今夜はここにいろ」
不意に抱きしめられて、そのままもろともに寝台へ倒された。
「や、やめ……」
「心配するな。何もしないさ」
全く安心できない。
しかし、シルヴィアが抵抗するかしまいか迷っている間に、アッシュレイは寝息を立て始めた。
「えぇっ?」
もう、シルヴィアはアッシュレイが一体何をしたいのかよく分からなかった。
襲おうとしていたが、やはり疲れたので睡眠を優先した。……というのが真相だが、やはり理解できなくて普通だろう。
シルヴィアはアッシュレイの腕から抜け出そうとしたが、少しの間もがいた後、大人しくなった。アッシュレイの拘束が思いの他強固だったのと、シルヴィア自身も眠気にそそのかされ始めたのが要因である。
いつしか、シルヴィアも寝息を立て始めるのであった。
翌朝。
アッシュレイは予期せぬ来客のせいで叩き起こされた。
先ほどから誰かが扉を叩いているのだ。
少ない友好の幅から考えて、直ぐさまに浮かんだのはブリギット……ではなく、その主人であるレイモンだった。
「オレの睡眠を妨害するとは……、どうしてくれようか」
ふつふつと湧き上がる怒りをチャージしながら、扉を開け放つ。ただし、後ろ回し蹴りという名の制裁を加えて。
「やあ、アッシュレイ・ブレ――――っ!?
来訪者はかの悪友ではなかった。
アッシュレイはピタリと蹴りを止めて、足を戻した。
「ああ、悪い。レイモンかと思ったんだ」
驚きの表情をしているレベッカ・ランドールに軽く謝罪する。刺々しいし冷淡な面もあるが、基本的にアッシュレイは常識ある人間なのだ(←疑わしい)。
「……レイモンが浮かばれないな。
ところで。休日とはいえ、寝坊とは感心しないぞ」
ちなみに、レイモン・カークランドは生徒会の庶務であり、レベッカとの面識も当然ある。
「あんたはオレの何なんだ……。つか良くもまぁ男子寮にズカズカと……」
「それは王女殿下に言ってやったらどうだ?」
レベッカの視線はアッシュレイの後方へと向けられていた。
ベットの上で枕を抱きしめてすやすやと寝息を立てているのは言わずもがなシルヴィア・ロートレアモンその人である。
まずい。よろしくない。
アッシュレイはどう言い訳したものかと考える。
「昨日の夕方に、クー・フリンで会場の片づけがてらに飛んでいたら王女殿下がこそこそとアポロ寮に入っていくのを見てしまってな」
「どうしてオレの部屋だと?」
「明かりを付けただろう?」
なるほど。
簡単な理由だった。
「言っておくが、全年齢対象なことしか起こってないからな」
「それは良かった。国の王族とデキてしまったなんてなったらその代の生徒会長の名にも良くない影響があるからな」
「で? 様子を見に来ただけなのか?」
「他にもある」
そう、レベッカはニヤリと笑うのである。
◇ ◇ ◇
少し遅めの朝食としてケバブを齧りながら市街区を歩くアッシュレイ。
――――あの後ことを説明しよう。
いや、まぁ説明すると言っても、『結局、優勝賞品である“レベッカとデート”をすることとなった』というだけなのだが。レベッカは身支度をしたいとのことなので、二人は市街区の『聖ダーラム像』前で待ち合わせになった。
しかし困ったことがある。
『アッシュ・ブレイク』だが、レベッカとほとんど接点がないのだ。シルヴィアとも、同じクラスで今回たまたま対立した……というだけの希薄な関係だったが、レベッカとの関係・情報はそれ以上で、皆無も同然であった。無論、生徒会長で、美人で、凄く強くて、などという基本的なものはあったが。
だがそれがデートで役に立つか。
否であった。
好きな色は?
男のタイプは?
好みの食べ物は?
逆に、食べられない物は?
趣味は?
くり返す。
全く、否であった。
「これが、アンサリヴァンの町か……」
市街地を歩いてしばらく、アッシュレイは驚嘆の声を漏らした。知識を受け継いでいるとはいっても、やはり実物の存在感は肌で感じるのが一番である。
メインストリートは人ごみで賑わっている。祝日というのも助け、往来には学院生の姿も多い。
道端には様々な屋台が並び、香ばしい匂いを漂わせていた。今現在アッシュレイが手にしているケバブも屋台から買ったものだ。
(さて……。レベッカ・ランドールは来てるかね)
良い女は待ち合わせにわざと遅れて、男を立たせる。……なんて地球で聞いたことがあるアッシュレイ。
そして。初対面でも分かるほど、レベッカは良い女だ。
が、しかしアッシュレイはそういう面倒極まりないことが嫌いだった。
(地球と同じじゃありませんように……)
神に祈る。安いな、神。
しかし結果から言えば、それは杞憂だった。
聖ダーラム像がある広場に行くと、人だかりが形成されていた。
「会長、是非この僕に貴方と甘美なるひと時を共にする栄誉をお与えくださいっ!」
「レベッカ様、俺と一緒に映画を!!」
「生徒会長! 私と共に乗馬を!!」
「Ms,レベッカ、僕と花を愛でに……」
荒れている。無法地帯だ。
その人だかりの中心にいるのはレベッカで間違いないなく、それがアッシュレイの気力をガクっと削ぐ。
やる気ウンヌンは置いといて、とにかく、彼女をあの人間台風から救い出さなければならなかった。
いっその事ばっくれようか。いやぁ、それは流石に……。
はぁ、っとため息を吐いた時、レベッカの声が広場に響いた。
「すまないが通してくれ」
なんてことない、普通の声。凄んだわけでも、張り上げたわけでもない普通の声。
だというのに、レベッカの声は凛として透き通り、喧騒を沈めた。
飲まれた群衆が開けた道を、レベッカはアッシュレイの方へと抜けてくる。
ミモレ丈の白いワンピースと、360°つばがある麦わらの帽子は、彼女の美しさをさらに引き立てていた。
「やあ、アッシュレイ。先に来たつもりが、結果的に君を待たせてしまったね」
集まる視線を一切気にせず、レベッカは問題児に声をかけた。
「たった今来たばかりだ。気にすることはない」
「ほう。問題児で有名なアッシュレイ・ブレイクにも、女性に対する気遣いというものが備わっているらしい」
軽口はさておき、どうやらレベッカは、アッシュレイがいつ現れたか知らないようだった。
アッシュレイは、それをわざわざ指摘するほど殊勝ではなかった。
「失敬な。オレは一定以上に好感が持てる女は大切にするぞ」
「口説かれていると思ってもいいのかな? アッシュレイ」
「好きに解釈すといい」
「……うーん。わたしはこれでも自分をなかなかの女だと自負しているのだが……、なかなかどうして、食えない男だよ」
好戦的な笑みのレベッカに、それで、どこに行くんだ? アッシュレイは訊ねる。
取り合わずにスル―されたレベッカは、面白く無さ気に眉を若干上げて魅惑の唇を尖らせた。
しかしすぐさまアッシュレイの紳士としての失言を拾いにいく。
「おや。決めてないのか、ジェントルマン?」
「ああ、街にはさして出たことがない。
案内してくれるか」
レディ? と返さないあたり、この男はやはり捻くれ者である。そして、アッシュの記憶を検索しないあたり、自力本願の性分も持ち合わせてるようだ。
仕掛けをひらりひらりとかわすアッシュレイにレベッカは調子を崩しそうになるも、 なんだか普通に“少女”としていられる、――――
レベッカは、自然と微笑みを零していた。
アッシュレイは(紳士の端くれとして)肘を差し出しながら、その余裕はいつまでもつかね、と密かに笑うのである。
少し高めのレストラン。
めぼしい場所を回り終えた二人は昼食を摂っていた。
「なぁ」
「ダメだと言ったろう」
「しかしだな」
「私は生徒会長だ、看過するわけにいかない。それに、他の客の目もある」
アッシュレイは物足りなげにグラスを揺らす。
彼はワインが好きだ。地球では、未成年のくせに毎日飲んでいたほどに。
今回、さすがに自重して普通に山葡萄ジュースを注文した。……のだが、学院生のアルバイトと思わしきウェイトレスが間違って赤ワインを出してしまった。
アッシュレイはレベッカと話していたこともあり、気付かずにそれを口に持っていってしまった。飲む前に違和感に気付いたアッシュレイだったが、体が停止を良しとしなかった。
要は、飲み足りなくなってしまったのである。
別段、顔色を変化させていたわけではないが、そこは赤ワイン。もともと香りを楽しむ嗜好品故に、正面に座ったレベッカには早くに気付かれた。しかし、レベッカはこの段階では指摘しなかった。アッシュが山葡萄ジュースを注文していたのを確かに聞いていたからだ。店側のミスであることを、しっかりと理解していた。
けれど、アッシュレイが同じウェイトレスを捕まえて、
『同じのを貰えるか』
なんて言ったので、そこはレベッカが止めに入った。
アッシュレイはとぼけてみせたし、ウェイトレスも何が何だかという反応だったが……貴族として実家でワインを嗜んできたレベッカの指摘は強く、結局異変を察知した上司の店員が声をかけてきたことでアッシュレイのちっぽけな野望は潰えたのである。
「頭が固すぎだ、レベッカ」
「在学中にどうしても飲みたいというのなら長期休暇中に飲むといい」
「今がいいんだって」
「一杯飲んだのだ、我慢しないか。
というか貴族でもないアッシュレイがどうしてワインマニアなんだ。わたしには皆目分からない。
……まさか寮の部屋を漁ったら大量に出てくる、なんてことあるまいな?」
「無いな。なんなら今夜調べにでも来るか?」
アッシュレイが首を傾けて、可笑しそうに笑うのに対し、レベッカも反撃にでる。
やはりレベッカ・ランドールは
やられてばかり、からかわれてばかりなど、性分が許さないのだ。
「どうして今
目を若干に細めて、肘を着いて手に顎を乗せる。
するとどうだろう、あっという間に大人顔負けの妖艶さが醸し出された。
周辺の席の客、店員がほぅ……っとため息を漏らし、デート中だったカップルの男側はそれぞれのパートナーからもれなく机の下で脛にキックを頂戴して悶える。
しかし、
「おいおい、なんだその生娘みたいな質問は」
それはカウンターの餌食にすぎなかった。
「…………っ」
悪そうに笑う、アッシュレイ。
レベッカは思わぬに余裕の体現に二の句を告げず、一瞬の後には頬を朱に染める。周囲の女性たち――――ただしここが学院の食堂であったならまた反応は違っただろう――――は総じて羨望が混じった視線をアッシュレイに向ける。男性陣は、脛の痛みで彼女に愚痴を吐くどころではなかったようだが、不幸中の幸いと言えた。
「(可愛い反応だな、
耳元で囁かれたその言葉は、アッシュレイがレベッカの心情を終始正確に読んでいたことを示し、レベッカはらしくなく、さらに顔を赤くした。乗り出していた身を引き、軽く俯く。
一方で、企みが上手くいったことに喜ぶアッシュレイだが、その脳内では全く別のことを考えていた。
『アッシュ』の財力の無さを憂いていたのだ。
なぜ? って、このデートで四割近くが吹き飛びそうなのである。
先の学院生アルバイトではないが、自分もどこかで金を稼がねばならなかった。
あぁ、メンド臭い。
ぁぁぁああああ、メンド臭い。