※この作品はR-18です。

雷獣譚   作:北屋

2 / 3
春雷譚:二話

気だるげに夜の道を歩く。

疲れからくる体の重さを感じながら、路地裏に入り込み、入り組んだ道を行く。

やがて目の前に現れた寂れた店の扉をくぐると、来客を告げるドアベルの音が彼を出迎えた。

 

 

「マスター、いつもの」

 

 

短く言って、彼はカウンター席に腰を落とすと、先ほどコンビニで買ってきたばかりのパッケージを開いてタバコを口に咥えた。

白地に明るい水色のパッケージ、涼しげな見かけとは裏腹の、タール17mgの重い煙が疲れた体に染みる。

様々なタバコを試してきたが、hi-lightが一番趣向に合っている。16の頃から、一時として手放したことのない銘柄だった。

半分ほどが煙に消えたところで、彼の前に無造作にグラスが置かれた。氷の浮かぶ、飴色の液体を一口だけ含んで舌の上で転がす。どこにでもある、ただの安酒。しかし、彼にとって、日課となった仕事の後のこの一杯は何者にも変えられぬ至高であり癒しであった。

グラスを置いて、煙で肺を満たす。

この生活が始まって、どれほどが経ったことだろう。大分長らく経ったかのようにも思えるが、実際はそこまででもないようでもある。

時間の感覚がひどく曖昧であった。

過ぎた時間のことなど、考える余裕も趣味も彼にはない。ただ、今を生きていくことだけで精一杯だ。

京助は今年で20歳になったばかりの、まだ若い青年である。

ここから遠く離れた、東京の街で生まれ、そこで育った。かつて見た夢を追いかけ、全てをそれだけに費やして駆け抜けるような青春を送っていた。

それが今ではこうして場末で暴力とタバコ、酒に溺れる毎日を送っているのは何の因果だろうか。

酒を煽って自嘲気味に一人ほくそ笑む。

ひどい挫折を負って、古巣を飛び出したのは彼が18になるかならないかの頃だった。ギター一本と中古で買ったボロボロの単車だけで飛び出した世界は、何もかも真新しくて、不思議と怖いとは思っていなかったことを覚えている。

自分の可能性を信じ、見切り発信で漕ぎ出した新しい世界――そこから先の転落までは早かった。

早々にして自分の限界を知った。無才を痛感し、日を追うごとに摩耗していく心。瞬く間に貯金は底をつき、アパートを追い出されるまでに1年とかからなかった。

住処にも、一日の糧を得るのにも頭を悩ませる生活。

荒れに荒れた生活の中で、ついには恐喝とカツアゲまがいのことを繰り返して、街から街へと渡り歩く。その中で、鬱憤を晴らすかの如く暴力に酔い続けていた。

いつの頃だろうか、そんな彼を見た誰かが金を渡して力を頼りにしてくるようになったのは。

復讐や借金の取立て、ボディガードの真似事など、思いつく限りのことはしてきた。人には言えない、汚いことも随分としてきた。

夢を追うための才能はなかったが、元来そちらの才能はあったのだろう。人を殴ることは苦ではなかったし、力任せに体を動かすことはむしろ好ましく思えていた。自分より弱いもの、劣るものを一方的に蹂躙することはこの上ない楽しみだった。

そんな折に、この土地に訪れ、大立ち回りを演じたのが今の仕事先との出会いだった。

偶然に知り合ったのが今の店の店長で、京助の腕っ節を見て話しかけてきたのが始まりとなった。京助の現状を聞いた店長が、丁度店で欲していた用心棒として彼を雇い、今に至る。

からり、とグラスの氷が崩れて音を立てた。

店長には感謝をしてもしきれない。今こうして、当座の住む場所にも食べるものにも困らない生活を送ることが出来ているのは彼のおかげである。

このままここで腰を落ち着けるのも悪くないと――そう思う一方で、何か胸の内にしこりのような物を感じていた。

それが何なのか、彼自身にも分からない。

分からないからこそ、漠然とした不安が彼を駆り立てる。

 

 

「よう」

 

 

グラスの3分の2程を飲み干したところで、横合いから声をかけられた。

 

 

「隣、あいてるか?」

 

 

返事を返す間もなく、声の主は彼の隣の席に座り込んできた。

相手の顔を見るまでもなく、京助には彼が誰なのか分かっていた。

 

 

「今日も仕事か?精がでるな、喧嘩屋」

 

 

タバコを咥えて首を横に回す。

京助の視界に入ってきたのは、一人の男――否、少年だった。

160cmを少し超えた位の小柄な体躯に、まだ幼さのようなものさえ残る顔立ち。恐らく、年齢は京助よりも一つか二つは下であろう。

何よりも特徴的なのはその黒髪黒瞳だった。鴉の濡れ羽色――そんな表現の似合う見事な黒い髪、そして、冬の夜を思わせる光のない黒い瞳。

一体どれほどのものを見てきたのだろうか。その年齢に似合わぬ、両眼に湛えた底知れぬ黒は、彼もまた陽の光の下から外れた生き様を持つことを示していた。

 

 

「よう、拝み屋。そっちこそ景気はどうだ?」

 

 

拝み屋。

彼は少年のことをそう呼んだ。

その呼び名の通り、自らの生業を“拝み屋”と称する少年だった。

その名の通り、いわゆる霊能者のようなことをして小金を稼いでいるとは本人の話である。このバーでも占いや相談などを受けているのを、京助も何度か目にしていた。

それ以上のことを京助は知らない。

それどころか、少年の名前すらも知らなかった。恐らく、少年もまた京助の名前を知らないのだろう。

だが、そのことについて京助は別段不便も何も感じていない。

相手を知ると言うことは、縁が出来ることに他ならない。夜を生きる者どうし、下手な縁を持つことは、因縁を背負いこむことにつながりかねない。

隣で酒を飲んでいた者と、ふとした拍子に命の取り合いにまで発展する。そんな殺伐とした世界のことである。

故に、京助も拝み屋も、お互いのことをあえて深く知ろうとはしないのだった。

 

 

「景気ね。まぁ、ぼちぼちってとこだ」

 

 

そう言って、少年は纏ったコートのポケットからくすんだ緑色のパッケージを取り出し、タバコを咥える。

今時珍しい、両切りの短いタバコだった。

 

 

「いつの世でも、藁にでもしがみつきたい人間ってのはいるもんだ。やれ占いだ、それ憑き物おとしだ、なんてのは可愛いところ。誰それを呪ってくれ、殺してくれ、なんて物騒な話も時たま回ってくる」

 

「なかなか難儀な話……ってもそれも世の常か。んで、お前の占いやら何やらってのは当たるもんなのか?」

 

 

拝み屋は大げさに肩をすくめ、

 

 

「さてな。当たるも八卦、外れるも八卦。信じるものは救われる、ってな。……悪い、火ぃ貸してくんねぇか?」

 

「ちっ……この詐欺師め」

 

 

そう毒づいてライターを手渡すと、少年は自分のタバコの先端に火を近づける。

やがてタバコの先端に淡い朱色の光が灯り、彼は旨そうに灰色の煙を吐き出した。

 

 

「ゴールデンバットか。そんな安物のどこがいいんだか」

 

「煙草飲みの癖にこの良さが分からねぇ奴とは、仲良くしたくないもんだ。安くて美味い、これ以上のものがあるか。……そういうてめぇも、いつもいつもフォア・ローゼズなんて安酒しか頼まねぇじゃねぇか」

 

「酒なんて酔えれば良いんだよ。キツけりゃ何だっていい。味の違いも分からないのに気取って高い酒を飲むなんざ、馬鹿のやることだ」

 

 

京助の言い方がつぼだったのか、拝み屋は年相応の明るい笑い声を上げ、

 

 

「へっ、違いない。マスター、オレにもこいつと同じの頼む。ついでに、オレのおごりでこいつにももう一杯」

 

 

ほどなくして届いた二つのグラスを打ち鳴らし、それぞれ口に運ぶ。

二人共、何も言わなかった。

ただただ店内の静かなクラシックの流れる中で、酒と煙の味を舌の上で転がす。

京助は、こんなあり方が嫌いではなかった。

互いに素性も知らぬ、名さえも知らぬ。京助は自分のことを多くは語らないし、拝み屋もまた同じく自らのことを語らない。

それで良いと思っている。

ただ、時たま出会って実のない話を交わすだけの、友人とも言えぬこの関係が、拝み屋本人の人柄を含めて割と気に入っていた。

 

 

 

 

 

†

 

 

 

 

 

「少し、飲みすぎたか……」

 

 

バーからの帰り道、京助は頭を掻きながら独り言ちた。

丑三つ時を過ぎた頃、周囲に人の気配は一切ない。その伽藍とした静けさは、まるで自身だけを残して世界が滅んでしまったようで、なんとも不安を駆り立てる。

考えて、彼は自分の想像に苦笑を浮かべた。

春先の、まだ寒さの残る夜。程よく火照った体に冷たい風が気持ち良かった。

一日が、こうしてまた終わる。

仕事をこなし、日の終わりに安酒で憂さを晴らす。およそ真っ当と言える職ではないことを除けば、ごく普通の生活。

そんな平坦な日常をこなしていく。決して悪くはないと思う――だが、果たしてこれでいいのだろうか。

何も出来ず、何も成せないままに終わりを迎えることが、時たまひどく恐ろしくなる。

 

――ちっ

 

口元から漏れた小さな舌打ちが、夜の街でやけに響いた。

まだ、自分に期待しているのだろうか。

人の一生には意味があるという。だが、それはごく限られた、非凡なひと握りの人間に限った話に過ぎない。

才なき人間は、ただ生きてただ死んでいくことしか出来ない。無才な自身に、何かなせることなど何もないのだ。

それを知っていてなお、まだ己に何か出来ることがあると考える自分に嫌気がさす。

自嘲的な、擦り切れた微笑を浮かべて京助はタバコに火を点ける。

吐き出した紫煙は、儚くも空気に溶けて消えていった。

 

 

「……ん?」

 

 

ふと、違和感のようなものを感じて立ち止まる。

バーから自宅アパートまでの幾度通ったかも分からぬ、慣れた道。いつもと変わらぬ道のりであるはずなのに、何かがおかしい。

背筋を走る痺れのようなものを感じる。それは勿論実際に肉体が感じる痺れではない。五感が捉えた何かしらが、仮に形をなしたものに過ぎない。

五感を集中して、暗がりの中で気配を探る。

視力だけではなく、聴力や嗅覚、肌の触覚までも駆使し、間もなくして通りを挟んだ小道に鋭い視線を向けた。

衣擦れ、複数人の吐息……気をつけなければ分からぬ程の小さな音。だがそれは十分に剣呑な雰囲気を醸し出していた。

京助は自身の気配を殺し、そっと塀の影から小道を覗き込んだ。

それは単純に興味からきたものである。もしかすると、酔いがそうさせたのかもしれない。平静の彼ならばそんなことはせずに、その場を急いで離れていたかもしれない。

暗がりに目を凝らし……京助は後悔を感じた。

利用するものもいないのであろう、暗く湿って雑草が繁茂したそこに、人影があった。

男が二人――息を殺し、一人は周囲を伺うように立ち、もう一人は地面に這い蹲るようにして何やら動いている。

よくよく見れば、這い蹲る男の下にはもう一人の人間の影があった。

良くは分からないが、男に組み伏せられたそれはまだ若い女のようだった。口を手で塞がれ、体をまさぐられている。精一杯の抵抗をしているのだろう、しかし体格差の前にそれは無駄なあがきでしかなかった。

絶望と恐怖に歪んだ表情、誰かに助けを求めるように宙をさまよう視線。

見ていて気分の良いものではなかった。

 

――ちっ

 

京助はそっとその場を離れた。

あいにくと彼にはこんな現場を覗いて欲情する趣味もなく、胸糞悪ささえ感じる。が、さりとて女を助ける義理は一片たりとも存在しない。

正義感など、この世界に入った時に当に捨て去った。

金と暴力など日常茶飯事のこの世界で、そんなもの何の役にも立たない。今見た光景も、別段珍しいものではなく、いちいち気にかけていては身が持たない。

そして何より、誰かに力を貸すと言うことは、すなわち誰かに敵対するということである。相手にどんな背景があるのか分からないというのに、下手げに手を出せば面倒事に巻き込まれることになる。

くだらない情に流されてリスクを負うのは愚かでしかない。事実、そうして破滅を迎えた人間を、京助は何人も目にしてきた。

己はこうはなるまいと、その度に幾度となく思ってきた。

 

――運がなかったと、諦めろ

 

心中で呟いて、そっと帰宅の足取りを早める。

これ以上、嫌な気分を味あわぬためにも、出来るだけ早くにその場を離れたかった。

 

 

「ちっ……」

 

 

今度は口に出して舌を打つ。

程よく回っていた心地良い酔いが、急速に冷めていくのを感じ、甚だ不快であった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。