自分を一言であらわすのならば、ロクデナシ、あるいは悪党という表現が一番似合うことだろう。そんな風に彼はふと考えていた。
思い返してみても、生まれてこのかた、誰かの為に何かをなそうと思ったことなど一度もない。
楽しいから喧嘩をして、愉しいから人を殴って、やりたいことだけをやって生きてきた。
今までも、そしてこれからもそれは変わらないのだろうと、薄々気がついていた。
「ちッ……」
自分自身に嫌悪さえも感じて、何度目になるのか分からない舌打ちを漏らす。
一方で、そんなあり方をどこか納得している自分がいた。
獣が他者をいたわるか?
その答えは否である。
己の欲望のまま、目の前の肉を食い散らかすことしか出来ぬ獣。きっとそれが自分の本質なのだろう。
とにもかくにも、津田京助という男は己のため以外に拳を振り上げたことはなく、それはあり方であると同時に、半ば彼自身の矜持とも言えるものであった。
「!」
こつり、と。
京助の靴音が、路地裏に響いた。
見張りとして立っていた男が目を丸くし、女を嬲っていた男までもが顔を上げる。
「よう、なかなか面白そうなことしてんじゃねぇか。俺も混ぜろよ」
さらに靴音が響く。
厄介事には関わらないこと、それが生きていく上で最も重要であると、頭では理解できている。
しかし、今、自分がしていることがリスクしかない行為であると分かっていながらも、足が止められなかった。
理性なき獣が、自らに首輪をかけるなど、土台無理な話であった。
「なんだ、てめぇは」
見張りの男が警戒を顕に威圧するように低い声を発する。
ドスの聞いた声に、ひどく落ち着いた態度。明らかにカタギの人間には思えない。
「なに、名乗る程のもんじゃない。ただな、」
じりり、と靴底が地面をこする音がした。
京助の目が、抜き身の刃のごとく細まっていく
「――気にいらねぇな」
紫電が、走った。
男にはそうとしか思えなかったことだろう。
刹那に跳ね上がった京助の右足、そのつま先が男のコメカミに叩きつけられていた。何のことはない、工夫も何もないただの素人の上段回し蹴り――ただし、その一撃は雷のごとく速く、鋭い。
悲鳴を上げる間もなく、男はどう、とその場で倒れこんだ。
この行為がどういう意味を持つかが分からない程頭が悪い訳ではない。だが、それ以上に、身の内から湧き上がる衝動の方が大きかった。
好きなように生きて、その結果はどうなろうとも構わない。いっそ、捨て鉢に思える程に単純な行動原理。
女を助けに戻った――訳ではない。
ただ、男たちが気に食わなかっただけだ。
気に入らない物を見つけたらどうするか、その答えは京助の内で決まりきっていた。
「てめぇ!」
もう一人が立ち上がって、手に何かを握り締める。
薄闇を切り裂く鈍い光。つい数時間前にストーカーが見せた果物ナイフよりもはるかに剣呑なそれは、一本の匕首だった。
にぃ、と京助の口元が釣り上がる。
気合の声をあげて、匕首を腰だめに突っ込んでくる男を、京助は避けようとさえしなかった。
刃物の間合いに入る直前、再び彼の足が跳ねた。地から天へ、蹴り脚と軸足が一直線になるように伸びた前蹴りが、男の顎を正確に打ち砕いていた。
柔軟性と体のバネ、いずれにしても天性のものがなければ出来ぬ一撃である。
「ぺっ……」
崩れ落ちた二人を忌々しげに見て、唾を吐き捨てる。
イラつきは、収まるどころかむしろ強くなる一方だった。
飽きたとでも言わんばかりに男たちから視線を動かす。しかし、彼の目に女が映ることはなかった。
京助が男たちを打ち倒すほんの刹那の隙に、女は忽然と姿を消していた。思わず京助も苦笑する程の見事な逃走だった。
「ん?」
ふと、目にとまるものがある。
近づいて、拾い上げてみればそれは財布であった。中高生が使うようないかにも安っぽく、どれほど長く使っているのか、ところどころ色あせて擦り切れた合皮の財布。
恐らく、先ほど襲われていた女の持ち物であろうそれをしげしげとそれを見つめ、彼は徐に中を漁ってみる。
思ったよりも中には金が入っていた。万券が1,2枚、小銭が少々。身分を確認できる物やカードの類は何も見て取れない。
札を抜き取った後で、注意深く奥を確認していく――
「む……」
財布の隠しの部分から取り出したモノを見つめて、京助は眉間に皺を浮かべた。小さなチャック付き袋――中に詰まっているのは白い粉。
その正体は容易く想像がついてしまった。
先ほど女が襲われていたのも或いはこのためかもしれない。
長く生きたいのであれば、命が惜しいのであれば関わってはならぬ事……しかし、彼はその財布を捨てることなく、あえて持ち帰ることにした。
「難儀な、ことだな」
半ば口癖になりつつなる言葉を口にして、しかし京助は薄く笑む。
今夜の出来事は、もしかすると自身を満たしてくれる事件へと成りうるやもしれないと、そう考えていた。
ひりつく様な、生死をかけた緊張。
拭うことのできない退屈と、理由も分からぬ焦燥から逃れるための術を、彼は求めていた。
思い違いならば、それはそれでいい。また倦怠の日々の中を過ごし、新たなひりつきを求めるだけのことだ。
口元に血泡を浮かばせる男たちを見ることもなく、彼は帰路に就く。
その満面に浮かぶ笑みは、ひどく獰猛な、獣の笑みであった。
†
控え室の中、何本目になるか分からないhi-lightに火を点ける。
重い煙を味わいながら、退屈そうに彼は煙でわっかを作っては天井に向けて吐き出していた。
――暇だ
両手を頭に、パイプ椅子の背もたれにふんぞり返りながら心中で毒づく。
今の職にも、職場にも不満はない――が、時折訪れるこの退屈な時間だけは我慢のならぬものがあった。
何もない、殺風景な控え室、薄い壁に囲われた空間の中で目を閉じれば、女の子のはしゃぐ声と、さぞ鼻の下を伸ばしているのであろう、男の陽気な笑い声が聞こえてくる。
彼の務める店はいわゆるキャバクラであった。
金のある大人が、女の子と酒を飲み、癒しと快楽を求める場所。
そう聞くといかがわしい行為を推奨する店のように思われがちだが、少なくとも彼の務める店ではそういった行為は禁止されている。最近では規制が強く、ふとした拍子で営業停止処分を受けかねないのだ。
「ふぅ……」
名残惜しげに紫煙を、吐き出す。
フィルターギリギリまで吸ったタバコを灰皿にねじ込む。彼の耳は、店の方から聞こえる剣呑な声を聞きつけていた。
どれだけ法による縛りがあろうとも、そんなものが守られるのはあくまで表立ってのことでしかない。
彼が身をおくのは、男女のことに金と酒、薬や暴力、嘘に虚構がごった煮となった、この闇鍋のような世界である。
トラブルはどうしても避けられない――
「きょーちゃん!ごめん、ちょっと来て!トラぶった!!」
「うっす」
ゆっくりと立ち上がり、首を回す。こわばっていた体が軋む音を立てる。
避けられぬトラブルを真っ向から打ち崩し、喰いブチにする。
それが、彼がこの店に籍を置く理由である。
何もないのならばそれはそれで構いはしない。だが、給金をもらっている以上、こうして時おり仕事をこなさなければ少々座りが悪いのも事実である。
ましてや暇を持て余していたこの時分、こうして舞い込んできたトラブルは、まさに渡りに船だった。
「店の中だから穏便に頼むよ」
「分かってますって。脅してすかして――それでダメならかるーく撫でて大人しくさせますよ」
店へとつながる扉を開き、気怠げな歩き方で渦中に向かう。
彼の顔には、獣の如き獰猛な表情がありありと浮かんでいた。
†
「ふぅ……」
明け方の街。
薄闇の中、紫煙をまとった京助の姿があった。
今日の仕事を終えて帰る彼の表情は、しかし暗い。浮かない表情の原因は、店内での揉め事にあった。
暴れていた男自体をつまみ出すのは簡単そのものだったが、知りたくもない背景を店長から聞かされてしまったのが良くなかった。
男の正体は、女の子達の中の一人の、いわゆるヒモであった。
後で他の子達に聞いてみれば、彼女が日常的に暴力を受けていたことは周知の事実で、男は時折店にも金をせびりにきていたらしい。
「ちっ……」
舌打ちを一つ、京助はタバコを吐き捨てて乱暴に踏み潰した。
男を叩きのめした時、それをかばったのは、彼を養っている女だった。その時女に向けられた、憎悪の混じった視線が未だに脳裏にこびりついている。
女に金をたかり、あまつさえ職場で暴れるなど、どこからどう見ても救いようのない相手である。そてを叩きのめした自分は、彼女に感謝される道理はあれど、恨まれる所以はないと――そう考えて、やりきれないものを感じた。
助けたと思った相手にあんな目をされては、流石の京助もたまらないものがある。
あんな男でも、彼女にとっては大切な相手だったのだろうか。
そこまで考えて、彼は先を考えるのを辞めた。
人の気持ちを考えるのは元来苦手な性分である。ましてや女の気持ちなど、理解できるとは思えなかった。
――こちとら、慈善事業やってるわけじゃねぇしな
自嘲気味に、口元を歪める。
あくまで自分のやっていることは”仕事”に過ぎない。中途半端な正義感や善意など、まずそこに入る余地はなく、あったとしてもそれは気持ちよく仕事をこなすための言い訳に過ぎない。
言い訳や責任転嫁は昔から好かない質である。そんなことをするくらいならば、いっそ仕事と割り切ってしまった方が楽であった。
商品を守る、ただそれだけが自分のすべきことだと、彼は自らを戒めるようにそう言い聞かせた。
「ふぁ……眠ぃ」
思わずこぼれそうになったあくびを噛み殺して、京助は目元をこする。
何分夜の仕事である。全ての業務を終えて変える頃には日も上り始めていて、それに比例するように彼の眠気もピークに達しているのだった。
今にも抜けそうな錆びた階段を登り、自室の扉に鍵を差し込む。
鍵を半回転、開くべきはずの扉はしかし大分ガタが来ているのか、思うように開いてはくれなかった。苛立たしげにノブを力ずくで引っ張ること二、三回。ようやく開いた戸をくぐって、京助は乱暴に靴を脱ぎ捨てて部屋の中へ進んでいく。
古びた畳に万年床。部屋の隅に置かれたギター用のハードケース。
それら以外にはこれといって何もない、異様な程に殺風景な部屋であった。
ドアが締まる音を聞きながら、京助は上着を脱ぎ捨てるだけで他に着替えることもなく布団に潜り込んだ。
クタクタに疲れた体が休息を欲していた。
――鍵をかけただろうか
頭の片隅にそんな疑問が浮かんだが、半瞬にも満たない内に疑問は霧散して、彼は暗い瞼の裏の闇の中へと落ちてゆくのだった。